「んで、その少尉さんの案内を俺に?」
「ああ、知っているんだろう? 彼女を」
「いや、知らねぇよ。話題に上がっただけだ。会ったこともねぇ」
「だが、彼女は相当な精神的ダメージを負っているはずだ。多少なりとも事情を知っているお前が適任だと思うが」
「お前の中じゃ、もう決定事項なんだろうな。――たくっ、こっちはジョイスの面倒も見てんだから、これ以上お守り対象を増やさないでくれよ」
「ふっ、なんだかんだ言って、それなりに板について来たんじゃないか? あのジョイスが、お前の傍にいると安心している様だぞ」
「やめてくれ。それ、俺じゃなくてジョイスのプライドを傷つける」
「そういうところが、板について来たというんだ」
「…………ちっ」
徐々に近づいてくる二人の会話は、とても親しげだった。互いに互いを信頼し合っている。注意しなくてもそれを感じ取れる雰囲気に、彼女は少し羨ましく、妬ましく思う。
彼らとて、彼女と同じ“閣下”の創り上げた私兵部隊なのだ。だというに、どうしてこうも待遇が違うのだ。私なんか……。
いや、やめよう。マイナス思考でいると、彼らへの印象が悪くなる。そもそも、自分は自分たちの環境を変えるために危険を冒してまでここまで来たのだ。
彼女は気持ちを入れ替え、鏡で表情を確認すると、扉に向き直る。
コツコツと扉がノックされ、二拍ほど間を開けてから彼女は扉を開いた。
開け放たれた扉の先には
司令官である青年は、ただそこにいるだけなのにどこか魅かれる気がした。なるほど、あの方の息子だというのにも頷ける。人を引き付ける、指導者らしい青年だ。
そしてもう一人。一見どこにでもいそうな普通の青年。だが、纏う空気は張りつめている。まるで、千切れた木の枝を風に乗せて旋回させているような、刃を乗せた暴風を纏っているような、深く見れば剣呑な空気を身に纏っている。そんな青年。少しでも油断すれば、首を掻き斬られそうな。
だというに、ほんの少しだけ、その危うさに見惚れてしまった。
いや、
彼女はすぐに思考を放棄した。そして、右手を持ち上げ敬礼し、挨拶の言葉を紡ぐ。
「お初にお目にかかります。元PK師団所属、タリス・オファーランド少尉であります」
***
やはり、兄妹か。
ローレンジは確信した。
写真を見ただけで、どことなく似た雰囲気を感じたのだ。実際に目にすれば、それが事実であることを確信できる。ただ、兄はどこか頼り無さげだったのに対し、彼女はそれと比べればしっかりしている。見た目の印象からすれば寡黙で冷静な女性。彼女のような副官がいるとすれば、まず間違いなく有能な副官に見えるだろう。そんな初見の感想をローレンジは覚えた。
身長は――そこまで高いわけでもない。一六○センチを少し超える程度か。だが、きっちりした軍服を纏っている所為か、見た目よりも高く思えた。髪色はオレンジ。それをボブカットでさっぱりとした印象に整えている。軍人だからだろうか。ただ、ローレンジが知っている同年代の女性は皆、髪は長めだった。サファイアしかり、アンナしかり。だからか、髪型一つでも強い印象を与えられた。
所作にはどことなく緊張感があった。嘗ては敵対していた部隊――その司令官と対面するのだ。それも仕方ない。ただ、緊張はしつつも動きに無駄はない。こちらを窺うような目の動きといい、軍人としてしかと鍛えられている。
まだ若いためか少しぎこちなさもあった。もし彼女を暗殺するとしたら……気負うことはない。何気ない風に、道端で偶然横切った風に、ナイフを突き立てればいい。それだけだ。――それで片が付くか……?
――……っと、久しぶりに昔の癖が。またそっちの手のことを考えちまう。
すでにその仕事から足を洗って三年近く経つ。だというに、未だ初対面の人間を観察し、その対処に思考を巡らせる自分は変わらない。いや、
まぁ、いまさら根っこまで腐ったそれを変えることはできないだろうし、そのつもりも失せてきているが。
最近は、少しそう考えることが多いなと、反省しておく。
ただ、彼女を見て、どこか
互いに僅かな間で相手を窺う。ほんの一秒足らずだっただろう。ローレンジが自分の思考を振り払うと同時に彼女が敬礼し、名乗った。
「お初にお目にかかります。元プロイツェンナイツ師団所属、タリス・オファーランド少尉であります」
「ああ、そう畏まらなくていい。オファーランド少尉。私は、
「雇われ兵、ってとこか。ローレンジ・コーヴだ。なんでかこいつに連れてこられた」
ヴォルフが言う前に、それを遮ってローレンジも名乗る。その二人の態度を見て。タリスが僅かばかり目を見張ったのをローレンジは見過ごさない。大方、司令官であり
実際、ローレンジもヴォルフの秘密を知った時は態度を改めるべきか――ほんの一瞬――悩んだ。結局、柄じゃないと今までどおりを貫くことにしたが。
「ひとまず、座って話すとしようか。入らせてもらうぞ」
ヴォルフの言葉を切っ掛けに、三人はドラグーンネスト内の応接室に入る。ヴォルフが奥に座り、タリスが対面する位置に腰掛け、ローレンジは壁に背を預ける。
「お前も座ったらどうだ?」
「いや、いい。こっちのが楽だ」
ローレンジは部屋の中を見回しながらヴォルフの誘いを断る。狭い艦内の応接室。椅子も二脚しか用意しておらず新たに持ってくるのも面倒だった。
「そうか。では話に入ろう。単刀直入に聞くぞ」
ヴォルフは一呼吸空け、そして一息に尋ねた。
「PKが暗黒大陸で活動していると聞いた。事実か?」
「はい」
対するタリスも即答だった。互いに互いに目を見つめての回答。脇から眺めても嘘ではないとローレンジは思う。
「具体的には?」
「暗黒大陸入りしたのが六ヶ月前。帝都決戦の日、ギュンター・プロイツェンの敗北後、彼らはルドルフ陛下の暗殺の機会をうかがいながら帝都周辺に潜伏していました。ですが、その時は来ず残党も少しずつ発見され、壊滅は時間の問題です。
その時でした。暗黒大陸から来たというある男の提案から、彼らはガイロス帝国の基地に大規模な奇襲をかけ、ホエールキング三隻を強奪して暗黒大陸に乗り込みました」
ホエールキング強奪の件はヴォルフの耳にも入っていた。ただ、帝国軍部はこの事実を隠蔽しようとしたらしく、ヴォルフがこの事実を知ったのは、とある筋からの情報である。
「暗黒大陸には、惑星Ziに地球からの移民が来る以前から暮らしていた民族が社会を作っていました。ですが、暗黒大陸から来たという男の手引きでPKは彼らの都市を瞬く間に制圧。暗黒大陸はすでにPKの勢力圏内です」
「なるほど。事態は思ったよりも進行していると……」
ヴォルフは俯きながら考える様子を見せた。タリスは、その様子を静かに見守っているだけだ。
「それで、君はなぜこちらに来た。そこまで知っているということは、彼らに協力していたのではないか?」
「……はい。確かに、私は彼らと共にありました。ですが、プロイツェン様亡き後のナイツは烏合の衆同然。離反者も多くありました。しかし、私も含めた一部の者たちはプロイツェン様の後釜となったある人物に希望を見出したのです」
「後釜?」
「詳しくは、私も知りません。ただ、“K”と呼ばれていました」
“K”
ローレンジは自身の記憶を漁った。ルドルフが皇帝に即位するまでの三ヶ月。彼の護衛をしながらプロイツェンの関係者を漁り続けた。だが、思い当たる人物は出てこない。
「……って、んな名前も分からない奴を信用したってのかよ」
ただ、会話の中で生じた疑問をローレンジは思わず聞いた。いや、愚痴ったと言うべきか。目の前のタリスという人物が、名前も分からない者を妄信するなど考えられなかったのだ。
「恥ずかしながら。プロイツェン様が亡くなられ、私も気が動転したのでしょう」
「……へぇ、そうか」
それだけ言って、ローレンジは再び黙ることにする。そして、それを事前に割っていたようにヴォルフが口を開く。
「つまり、今のナイツの首領はその“K”という者か?」
「いえ、指揮官はドルフ・グラッファー。嘗てはナイツの一部隊の指揮官でしたが、今は彼がナイツを牛耳っています」
「ふむ、つまりドルフ・グラッファーと“K”。この二人が首謀者と考えていいか」
ヴォルフはメモ帳を取りだしその二人の名前を書き込む。そして、ふと気づいたように顔を上げた。
「ああ、そう言えば君がこちらに来た理由を聞いてる途中だったな。申し訳ないがもう一度――っと、ローレンジ、コーヒーを淹れてくれないか? 飲み物もなければつまらないだろう」
「あ? 今更かよ。つか、俺か?」
「当たり前だろう? 何のためにお前を相席させたんだ」
「おい、俺はカフェの店員か? コーヒー淹れるためだけに連れて来たのか?」
「………………」
「いや、なにその顔。「当たり前だろ」みたいなその顔。……わーったよ、淹れるから」
「助かる。こいつの淹れるコーヒーはなかなか美味いぞ。見かけによらず」
ヴォルフの毒を背中で受け流し、ローレンジは部屋の隅の机でコーヒーを淹れる準備を整えた。聞き耳を立てると、ヴォルフの唐突な変化にタリスも表情を柔らかくしたようだ。かすかに笑い声が聞こえた。
やがて、コーヒーを淹れ終わり二人の前に――差し出す所作は褒められたものではないが――カップを置いた。
「……うん、さすがだ」
「……本当ですね。見かけによらず美味しい」
「なんで初対面の奴に、んなこと言われんだ……」
二人の感想を聞きながらローレンジもコーヒーを飲む。そして、おかわりを要求されたら塩を足してやろうと心に決めた。
場が和んだところで、タリスが再び切り出す。
「最近のナイツは、どこかおかしい。私は、元プロイツェン派のハイデル・ボーガンという男の下に居たのですが、とてもついていけません。暗黒大陸の原住民の方々に対する圧政。戦火を止めるために自分たちが世界を治めるべきだという思想の元、戦火を撒き散らす。私は、もう限界で……僅かな隙を突いて同様の考えを持った者たちと逃げ出したのです。ですが、結局ここまで逃げてこれたのは私だけで……」
「……なるほどな」
タリスの身の上を聞き、その後もナイツの現状を把握するために質問を交えた。そして、すっかりメモを取り終えたヴォルフは最後にコーヒーを飲み、カップを置いて立ち上がった。
「よく分かった。ありがとう。今日は部屋を用意するので、そこで休むといい。明日、皆に君のことを紹介する。それからは出港の準備、近く、暗黒大陸に向かおう。」
「よろしいのですか?」
「元々、ナイツは我々が取り逃がしたのだ。後始末は、付けねばならん」
「……すみません。彼らを、止めて下さい」
「無論だ」
席を立ち、ヴォルフが退出する。ローレンジもそれに続き――そこでピタリと足を止め、振り返った。
「……そうだ、一つ俺からも聞くことがあった」
用意された部屋に向かうために立ち上がったタリスも、ピタリと足を止める。ヴォルフが振り返り、それを待ってローレンジは続けた。
「前にプロイツェンの研究所に忍び込んだ時にさ、俺たちを助けてくれた奴がいるんだ。名前は……ユースター・オファーランド」
その名を口にした瞬間、タリスが反応した。まるで盲点だったと言わんばかりに。
「ユースターはさ、妹が居るって言ってたんだ。ナイツに。……タリス・オファーランド少尉。あんたのことだよな」
「…………はい」
「あいつには世話になってさ、もう一度会って礼を言いたいんだ。ユースター。今、どうしてる?」
「…………分かりません。兄は、おそらくまだ暗黒大陸に残ってるかと」
「知らねぇのかよ」
「…………引き離されましたので」
「兄貴の事、心配か?」
「当然では、ありませんか」
確固たる意志を瞳に宿し、そう語ったタリス。だが、タリスはこの日の対談の中でも最も動揺していたと、ローレンジは感じた。そして、そんな彼女の態度は、ローレンジに一人の少女を思い出させる。
記憶の彼方に、いつまでも残り続ける一人の少女を。
――……感傷、だな。
***
タリスの案内はサファイアが請け負い、ローレンジはヴォルフと共にヴォルフの執務室に戻っていた。
エリュシオンに築かれた屋敷の一室。ヴォルフ以外にも多くいる、ゼネバス帝国復興の要となる人物たちの住まう場所だ。ただ、皆が活動的なため普段からこの建物は空っぽなことが多い。ヴォルフも、屋敷が完成した日以来ここに入ったのは二回目だ。
「どう思う」
「なんか隠してるな。確実に」
ヴォルフの問いに、ローレンジは淀みなく答える。その眼には以前のローレンジがよく宿していた暗さがある。しかし、ヴォルフはそれ以上の闇を、その瞳から読み取った。ローレンジが未だ口にしたことの無い過去の事か、それに関わる事だろう。そう察したからには、ヴォルフはその話題に触れることを辞めた。誰しも、関わってほしくない過去の一つや二つはあるものだ。そして、ローレンジのそれは、人よりずっと重たいものの筈だ。
ヴォルフは机の引き出しから封筒を一つ取出し、ローレンジに投げた。執務室の淀んだ空気に乗り、くるくると回転しながら向かってくるそれをローレンジは指二本で挟み取る。
「タリス・オファーランドについて、まとめたものだ」
ローレンジがヴォルフに視線を投げると、ヴォルフは机の上の書類に目を通しながら答えた。ローレンジはそれ以上追及せず、封筒を開き中の書類に目を通す。
「へぇ、ユースターは
「彼女が我々に協力する理由としては、世間のためより
「兄貴のため、ねぇ。出来た妹だ。まぁ、どっちに転んでるのかは不明だし。なにより、これの
ローレンジの挑発的な言葉に、ヴォルフは沈黙だった。ローレンジは僅かに目線を落とし、半眼になって次の言葉を口にする。
「ヴォルフ。
「……今のところは、な。ナイツがここまで進行していたとは、予想外だったが」
「ま、連中を
「おかげで、連中の始末には時間かかる」
「そうだな。まぁ、俺はお前がどこまで
ヴォルフは送られた書類に目を通し、仕分けながら答えた。今回ばかりは、二人とも軽口を言い合う余裕はなかった。
「放置は出来ん。ナイツは確実に私たちの――ゼネバス帝国の障害となりうる」
「まぁそこは同意だ。しかし戦火の無い世を作るために戦うか。いやいや、矛盾してるよな。戦いたくないから戦わざるを得ない」
「ああ、戦の無い世など、幻想にすぎぬのかと気が滅入る」
「……ヴォルフ。
「ふっ、心配いらんよ」
最後の書類にチェックを入れ、背もたれにもたれかかりながらヴォルフは大きく伸びをする。ローレンジは最初から執務室にソファーに熱転がったままだが、ヴォルフの作業が終わったのに合わせて起き上がる。
「ローレンジ。分かっているだろうが、タリス少尉には注意してくれ」
「はいよ。……って、またフェイトに文句言われそう。暗黒大陸では別々に動いてほしいんだろ」
「ははは、すまないな。大切な妹から引き離して」
「いや、少し距離取らないとな。依存されんのはあいつによくないし。……バンが来たのはちょうどいいや。
フェイトのことを思いだし、ローレンジは苦笑した。そして、同時にジョイスの事も思い出す。
バンが来たのは良いことがある反面、この上なく悪い部分もある。
バンとジョイスは会わせたくない。彼らの関係を考えれば、一触即発の事態は避けられないのだ。幸いにもドラグーンネストは二隻ある。別々に乗せて向かえば問題はないだろう。
「お前には、苦労をかけるな」
「ははっ、お前に会った時から、俺は厄介事を請け負うことになっちまったんだ。もう諦めてらぁ」
窓から差し込む夕日がヴォルフの顔を赤く染める。それを眩しく思いながら、ローレンジはもう一度心の中で誓う。
ヴォルフには返しきれない恩を返していくのだと。それが、自分を夜闇に消えないよう留めてくれた、親友への誓いだ。
だが、親友のために
「そうだ、ローレンジ。一つ聞くことがあったな」
心持ちを新たにしたところで、ヴォルフがはたと何かを思いついたように問いかける。
「以前、共和国から依頼を受けたと言っていたな。まだ、詳細を聞いてないぞ。差し障りない程度で、話してくれる約束だろう?」
「ああ、それか。面白くねぇぞ」
「構わん。それに、何かきな臭いものを感じるのだが」
ローレンジは「やっぱり敵わないな」と肩をすくめた。ほんの些細な情報だろうと、ヴォルフは逃さない。それが、ゆくゆく影響を及ぼすと分かっているからだ。
「あれは……ルドルフ陛下が即位してすぐ、ジョイスを保護した後だったかな……」
長い話になるだろう。要点を拾うだけでも、かなりの長話だ。そう予感しながら、ローレンジは自身の経験を思い起こした。
……この一年で、最も記憶から吐き捨てたい出来事を。
次回、ちょいとご注意ください。
流血沙汰と、胸糞悪い展開の大応酬です。