ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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第61話:助け

 それは、ある荒野でのことだった。

 一人の少女が、胸から血を垂れ流しながら横たえている。その近くには真っ白な美しいゾイドが。白く、獣の意匠を色濃く残したそれは、吹雪の中に隠れ、幻影のように見えることから、後に“ミラージュフォックス”と呼ばれることになる。ただ、少女からすれば、フォックスは『フォクシー』という名の相棒だった。

 

「おいティス! しっかりしろよティス!」

 

 少女――ティスの元に金髪の少年が駆け寄り抱き起す。ティスも若いが少年はさらに若い。まだ十代前半といった頃合いの、あどけなさを残した少年だった。

 

「ローレンジ……兄さんは」

「カイ、カイは……」

 

 少年――ローレンジが振り返った先にはもう一体のミラージュフォックスが居た。横たわりコックピットは完全に砕かれている。そして、そのコックピットからは赤く濡れた少年が横たわっていた。

 

「兄さん……」

 

 ティスの瞳が、絶望に染まった。見れば分かる。ミラージュフォックスのコックピットから見える少年は、もう生存の望みもない状況だ。

 そして、少女自身も満身創痍で、もはや生存の望みはなかった。

 

「くっそぉ!」

 

 ローレンジが拳を大地に叩きつける。

 この惨劇を引き起こしたのは、二人も良く知るある少年だった。無垢な笑顔で、鳥型のオーガノイドと白き獅子を従えた純粋な少年。だが、たった一言、この惨劇の始まりを告げた一言を皮切りに、全ては変わり果てた。

 

「うっ……」

「ティス!」

 

 少女の顔が苦痛にゆがむ。少女の右肩から先はすでに無く、その切り口からは大量の赤い液体が流れ出していた。それだけでなく、少女は体中の骨が折れている。かろうじて会話できているのが、奇跡なほどだ。

 ローレンジは自分の愛機から持って降ろした医療キットを開いた。せめて出血だけでも止めようとするが、ローレンジがこれまで学んできたのは生かす術ではなく殺す術だ。今にも命が消えそうな少女に、ローレンジが出来ることは、無に等しかった。

 

「どうにか、なにか……!?」

 

 そして、ローレンジは掴んだ。医療キットの中の物ではなく、常に懐に携帯し続けたそれ。よく研ぎ澄まされたそれは、修行の終わりにいつも研ぎ直してきたナイフ。

 

「ローレンジ……助けて…………」

 

 何時も強気だった少女から紡がれた弱々しい助けを求める声。それが、ローレンジの耳から突入し、頭の中に響いた。

 助ける。だが、助けるにはその技術がない。いや、彼女の言う助けてとは、「()()()()」ではなく、()()()()()()()()()だとしたら――ローレンジには、それが出来た。

 

 ナイフを自分の背中に添えながら、ローレンジはティスに向かい合う。

 

「ああ。助けるよ。俺が」

「ロー……レン、ジ?」

 

 ティスの瞳に戸惑いが映った。それをローレンジは見逃さない。だから、可能な限り笑顔を作った。作られた、悲しい笑顔を。

 

「目、つぶってて」

「うん」

 

 ティスは素直に応じた。激痛に耐えながら、しかし目をつぶったティスに、不覚にもローレンジは見惚れる。いや、見惚れていたのはずっとだ。故郷を失い、師匠に拾われ、兄妹弟子になってからずっと。それは、ただの一目惚れだった。

 幼いころから――という訳でもないが、共に育ってきた間柄。ローレンジにとっては、幼なじみも同然の少女。だから、

 

「――!? ロー、レ……ン、ジ? ……ふふっ、あ……りが、と……」

 

 ティスが、ほんの僅か驚いたように硬直し、震える声で言葉を紡ぐ。ローレンジは、その硬直を彼女の瞳に見た。そして、少し顔を離し、最後の言葉を告げた。

 

「さよならだ……ティス――!!」

 

 

 

 ――俺の……大切な、友達……、俺の……………………。

 

 鋭い切っ先が、穿った。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「そいつは、マジの事なんだろうな」

『ああ、間違いない。それとも、オイラが信用できねェかい?』

 

 ローレンジの再三の確認の言葉に、通信先の相手は陽気な声音で答えた。言葉の端に「ふーっ」と息を吐き出す音声が混じっていることから、相手は十中八九煙草を吸っている。普段から煙草好きな男だ。だから、それは当然の仕草でいつもの事なのだが、今日限りはその態度に苛立ちを覚えた。

 訊いてみれば、よく耳にする話だった。戦時下の世界で、立場が良くない者たちは、必然的に何かに縋って生きていくことになる。

 生きるとはそういうことだ。一人で生きていこうにも限界が訪れ、結局人と人で繋がりを生み、互いに依存しながら生きていく。己の何かにしろ、相手の何かにしろ、依存した何かを犠牲に生きていくものだ。嘗てのローレンジが赤の他人の命を犠牲にしていたように。

 そして、彼女も犠牲にしていた。己の全てを。たった一人、唯一の肉親を助ける。ただそれだけのために。

 

「……いや、ただの確認さ。……まぁ、だとしたらあいつは……気に入らねぇな」

『へぇ。彼の暴風(ストーム)が、随分と気にかけているネェ。気に入らねーのに、直に話そうってのかイ?』

「気に入らないからほっとけないんだ。たくっ、ジョイスも好戦的になってきてて、ほったらかせねぇのに、面倒事は全部俺だ」

ジョイス(そいつ)を引き入れたのも、原因もアンタってハナシでしょうが。オイラに愚痴られてもしょーがねェってハナシよ。愚痴りたいのはオイラだぜ? 息もつけねェようなトコロに飛ばされて……煙草くらいしか娯楽がない』

「つまんねぇ大人だな。あんたみたいにゃ、なりたくない」

『あいやーそら酷い。オイラみたいな“縁の下の力持ち”がいるから、アンタらが働けるんでしょうが。もっと感謝してほしいねェ』

「……話が終わりなら切るぞ」

『あいよ。ほどほどにしとかないと、バレたら大変だからねェ。ナイツにも、鉄竜にも……ニャハハ』

 

 ふざけたな笑い声を残し、通信相手との通話が切れた。

 ローレンジはモニターに表示した地図を元に、ニフル湿原を突き進む。目的地は、ニフル湿原のど真ん中。屈強な野生ゾイドが生息する湿原の深部だ。

 ローレンジの目的はニクス大陸西部のPK(プロイツェンナイツ)の痕跡を探すこと。虱潰しに探すのもいいが、湿原内部はグレートサーベルやディロフォースでは相性が悪い地形であった。故に、本来ならばローレンジとジョイスではなく、ヘルキャットに乗る五人のうち誰かが探索する手はずだったのだ。

 なぜ、それなにのローレンジはこの湿地帯の奥地までやって来たか、その理由は簡単である。ある情報がもたらされたからだ。

 

「――カバヤ、そっちはどうだ」

『依然、変化なしっスね。あの女、何しにこんなじめじめと辛気臭い所に来たんでしょうか』

 

 通信先のカバヤの報告に、ローレンジは無言を貫いた。必要なのは現状確認、それ以外の無駄口は叩くなと言う意思表示だ。カバヤは、つまらなそうに息を吐くと、通信を切る。

 

 ――タリス・オファーランド。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)内部じゃ、裏切り者、なんて話も出てるが……。

 

 ニフル湿原奥地で偶然発見したと言うタリス・オファーランド。カバヤには隠れて様子を見るよう指示を出し、ローレンジ自身が接触を試みようと考えている。これには、わけがあった。

 一つ。カバヤはタリスを裏切り者と認識していること。ドラグーンネストで爆発騒動を起こし、その隙に姿をくらましたのだからこれは当然と言える。だが、裏切り者と思い込んでいては一触即発の事態は避けられない。様子見に情報収集を重ねたい状況から言えば、いきなり戦闘という事態は避けたかった。

 そしてもう一つ。ローレンジがある筋から一つの情報を得たからだった。それは、タリスの現状について。はっきり言えば嘘である可能性も捨てきれない。だが、ローレンジは情報をもたらした男を信用している。彼がもたらす情報は、考慮するに値するものだった。だからこそ、ローレンジは自ら出向く。

 最後に一つ。これは、ローレンジの私事でもあった。なぜこの場に私事を持ち込むことになったか。それは、つい先日の思いがけない邂逅が物語っている。

 

 ――……ったく、()()()()()気になっちまうじゃねぇか。

 

「ローレンジ。何を焦っているんだい」

「うるさい。そういうお前こそ、随分とやる気だったじゃねぇか。ゾイドは嫌いなんじゃないのか?」

「除け者にされるのが、癪に障ったんだよ」

 

 ジョイスと軽口――という名の毒――を吐き合いながらローレンジは湿地帯の奥へと突き進む。鬱蒼とした木々が僅かに凹んでおり、それが目印であった。

 

 

 

***

 

 

 

 深く、じめじめとした、それでいて生命の伊吹を感じられる場所。それが、ニフル湿原という場所だ。

 イグアナ型、昆虫型、などなど、湿地帯に生息するゾイドは数多い。そして、それに混ざってニクス大陸特産とも云われるゾイド――ジークドーベルの野生体も、ここや山地を主な住処としていた。

 

 その湿原の真っただ中。湿原性の樹木や鬱蒼とした草が生え渡るじめじめとした大地に、一体のゾイドが鎮座していた。太く強靭な腕、短いものの、その身体を支えるには十分な脚。兜でも被っているような頭部。片に背負った連装ビーム砲にバルカン砲パック。そして背中の誘導対空ミサイル。そのゾイドの装備である。

 人に近しい体形はどんな地形でも一定の行動を可能とし、ガイロス帝国で運用されている傑作ゾイドとも謳われたゴリラ型ゾイド――アイアンコングをそのまま小さくしたようなゾイド、ハンマーロックである。

 

 ハンマーロックの肩の上に、一人の女性が立っていた。目に優しいオレンジの髪を短く切りそろえ、その下に覗く瞳の色は憂いを宿したような赤。プロイツェンナイツの隊服を着込んだ女性は、くぼんだ表情で湿地を見下ろしていた。

 

 女性の名は、タリス・オファーランド。プロイツェンナイツ所属の、女性士官である。

 タリスは、絶望の表情でこの湿地帯に居た。

 

 

 

 一週間と少し前である。彼女は、プロイツェンナイツの()()()()()()()で、|鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に潜り込んだ。

 目的は達成。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)はニクス大陸のエントランス湾付近でPK(プロイツェンナイツ)の部隊と戦闘に突入。海中から、空中から、そして上陸地点から苛烈な攻撃が加えられた。上陸地点の情報を渡すと言うタリスの目的は、十分達せられた。ただ、一つ問題があったとすれば、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の戦力が予想外に強力で、この場で倒すはずだったのに、上陸に成功してしまったのだ。

 それは、タリスの計画を大いに狂わせた。

 

 ――どうして……なぜ彼らはここまでの力を……!

 

 当初の計画通りなら、すでにドラグーンネストは海の藻屑。その戦果を持って、タリスは大手を振ってPKに帰還、そして、彼と共にニクスの地から去ることが出来たのだ。

 だが、計画は失敗。想定外の損害を出し、あろうことかデッドボーダーのパイロットが敗北し、捕虜として捕らえられた。それは、大きな損害と計画のズレをPKにもたらした。そして、タリス自身も脱出すること敵わなくなってしまった。

 

 ――もう、手が思いつかない。時間もないのに……!

 

 タリスが()()に気づいたのは数ヶ月も前だ。()を助けるために奔走し、彼の助命を頼み込み、その結果たどり着いたのが今回の計画。すなわち、やってくる鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)を罠に嵌め、その犠牲を持ってPKに彼の助命と脱退を進言することだ。

 しかし、それも失敗した。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)はニクス大陸に上陸、PKの陰謀を掴むために方々へと調査隊を散らし、本艦であるドラグーンネストも行方を眩ませた。未だガイロス帝国特務部隊は潜伏を続けており、へリック共和国機動部隊を押えたからといって予断を許さない状況に変わりは無かった。

 

 ――このままでは、兄さんが……。

 

 タリスには一人の兄がいた。ユースター・オファーランドという。

 ゾイド乗りという存在に憧れたタリスを、いつも見守ってくれた兄だ。ギュンター・プロイツェンに才能を見出され、辺境の村の出身でありながらいきなりPKへの所属を約束されたタリスを追って、共にPKに入ってくれた兄。

 しかし、ある時からユースターはPKの活動、引いてはギュンター・プロイツェンその人に反感を抱き、弓引いた。

 その件は今も引き摺られ、ユースターのPK内部での立場を限りなく落としていた。

 

 タリスにとって、ユースターの存在は限りなく大きいものだ。自ら望んでPKに入団したとはいえ、そこでの訓練は並大抵のものではない。ガイロス帝国の、それも摂政の私兵部隊にして、エリート集団と称されているのだ。そこらの部隊とは比べ物にならない苦痛と辛い訓練の日々があった。

 タリスがそれに耐え抜けたのは、単衣にユースターのおかげでもあった。小さな村での生活から一転、大都市ガイガロスでの暮らしに加えてPKでの訓練に明け暮れる日々。唯一の知り合いであり肉親であったユースターの存在は、タリスがその暮らしを続けることのできた際たる所以でもあった。

 

 だが、その兄も今は傍にいない。

 ガイガロスで巻き起こった帝都決戦。その前日に、ユースターはギュンター・プロイツェンの秘密研究所の警護に勤めていた。しかし、タリスは与り知らぬことだが、そこにある青年が侵入。ユースターはあろうことかその青年の逃走を手助けし、捕まった。

 

 一緒に逃げていればよかったのに。タリスは何度もそう思った。兄の独断は胸に響いたものの、態々残る必要はどこにもなかったはずだ。さっさと逃げていれば、兄は今現在も続く苦痛に苛まれることもなかったはずなのだ。そして、タリスがこうして思い悩むこともなかったはずだ。

 

 ――兄さん……。

 

 兄を思えば思うほど、何としてでも助けたいと言う意志は強くなる。しかし、そのために己がやったことは、信頼してくれた者たちを裏切ったというそれ。

 

「……助けて…………」

 

 誰にともなく、タリスは呟いた。

 助けなど来ないと分かっている。このニクスの大地に居るのは、自身を貶めるPKと自信が裏切った鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)。そして、見ず知らずのニクス大陸の人々。今現在の自分がPKに属していることを考えると、彼らが手を差し伸べてくれることはない。

 

「誰でもいいから……」

 

 それでもタリスは願った。すでに自分の出来ることはやり尽くした。しかし、状況を打破することはできない。もう、誰かに縋るしかなかった。悔しく、情けなく、それでも、願う。

 

「助けて……!」

「なにをだよ」

 

 その時だ。その青年の声が届いたのは。

 ハンマーロックの肩の上からタリスは振り返る。鬱蒼とした、じめじめとした湿地帯の草が掻き分けられ、一人の青年が歩み寄る。傍らに純白のオオトカゲを引き連れて。

 

 助けなど来ない。己の問題は、己で解決しなければならない。タリスは、そう思い込んでいる。だから、信じられなかった。裏切ったはずの部隊の、その中でも重要人物に当たるだろう青年が、この場に現れたことを。

 

「ローレンジ……さん」

「よぉ……お互い、なんかやつれてんなぁ」

 

 自嘲するように、ローレンジは小さく笑った。

 

 

 

***

 

 

 

 グレートサーベルから降りたローレンジはカバヤと合流。ジョイスと一緒に待機させ、自身はタリスと接触するためにその背後に向かってじめじめとした湿地を歩いた。

 湿気を帯びた空気と自分自身の心境が、ローレンジを鬱屈させる。先日のコブラスとの邂逅が、否が応でも過去を思い起こさせた。助けを求め、しかし永遠の眠りという名の救いしか与えられなかった少女の事。

 もう、過去の話だ。コブラスと、ローレンジと、ティスとカイとの、出会いと別れ。修行の日々という充実した時間、そして、絶望への片道切符だった日々。

 

 ――居た。

 

 やがて、ローレンジの瞳はハンマーロックの太い背中を見出す。その肩に乗り、憂鬱な雰囲気を漂わせる女性。

 似てはいない。容姿も、性格も、ローレンジがよく知る過去の少女とは似ても似つかない。少女は思いつめるような性格ではなく、どちらかといえば感覚で動く人物だ。そして、タリスはもう少し理性的だろう。だというのに、

 

 ――あいつ、どうしてこう……()()()を想わせてくれるんだよ……。

 

「助けて……」

 

 タリスが、小さく呟いた。ずっと距離があると言うのに、それは不思議とローレンジの耳に届く。意味の分かる言葉として。その瞬間、ローレンジの中で心臓が大きく脈打った。

 

『助けて……』

 

 遥か過去に追いやった記憶が、あの少女の最後の言葉が、体の中で幾度も反響し続ける。

 

「なにをだよ」

 

 だから、ローレンジも言葉を吐き出した。あの日の彼女の願い。その、もう一つの答えを聞きたくて。己が訊こうとしなかった、もう一つの答えを。

 

「ロー……レン、ジ……さん」

「よぉ……お互い、なんかやつれてんなぁ」

 

 自嘲気味に笑い、ローレンジは一歩踏み出した。

 ハンマーロックの背中でタリスは警戒心を逆立てた。当然だと思いつつ、ローレンジは歩みを止めようとはしない。湿地の湿った地面に足を埋め、引き抜き、生い茂る草を掻き分けながらハンマーロックの足元までたどり着く。

 

「何やってんだよ、こんなところで。もたもたしてるから、俺なんかに見つかるんだ」

「……いったい何の用です?」

 

 タリスの問いに応えず、ローレンジはハンマーロックの脚に手をかけた。突起を握り、脚を引っ掛けながら登り始める。

 

「私は――あなたたちを裏切ったんですよ。……捕まえに来たんですか?」

「そう見えるか?」

「それ以外に何の目的が?」

 

 曖昧な言葉を返しながら、ローレンジはハンマーロックの背を登った。外付けされたミサイルに脚をかけ、ななめに傾いた背中を登る。そして、タリスの乗る肩とは反対の肩に登った。

 時間は、日が落ちて少し経った頃だ。湿原を照らしていた太陽は地平線の彼方へと沈み、本格的な闇夜が支配する時間帯。

 

「ユースターの尻拭い、どん詰まりか?」

「っ……!?」

「お前を連れてPKから脱退しようとしたユースターはあえなく失敗。その罪で、ユースターはこの一年あるゾイドのテストをさせられ続けた。それから開放する為に、お前は鉄竜騎兵団(俺たち)に近づいて殲滅を謀った。悪いが、もう全部分かってんだ。下手に取り繕うなんて真似、するなよ」

「――――っ、なぜ」

 

 ローレンジがある筋から手にした情報が全てだ。タリスの裏切り行為は、全て兄を助けるため。それが分かったから、知っているのがローレンジだけだから、ローレンジはこの場に来た。

 対するタリスはハンマーロックの肩から滑り落ちそうなほどの衝撃を受けた。心臓を打ち付けられたような痛みが、ショックが全身に降りかかる。

 自分ひとりの胸にしまいこんでいた、自分と兄の二人だけの問題に、赤の他人である青年が()()()()()()割り込んだのだ。

 

「……ん――よく調べたものですね……。あなたが?」

「俺の知り合いだ。これでも、昔は世間の裏側に潜んでたものでね。そのくらいの情報源(ソース)になりえる奴はいくらでも知ってるんだよ。それに、今でもパイプはたくさん持ってる」

「……迂闊でしたね。それで、それを知って、あなたは私にどうしてほしいのです?」

 

 ローレンジが調べ上げた内容は、全て事実だった。タリスは兄のため、たった一人の兄を助けるために、もはや居る意味すら見いだせなくなったPKから逃げることをしなかった。兄が作ってくれた、唯一の逃げ道すらふいにして。

 だが、タリスは動揺を悟られないよう、強がった風に、なんでもない風に言った。それが知られたところで、自分にダメージはない。すでに決めたことだから、いまさら辞める気もないと言うように。

 そうして平静を装えることに、ローレンジは少なからず感心する。彼女自身にとって、最も秘するべきないようだろうに。それを外部に見せない心の強さ。素直に、すごいと思った。

 

「……さぁね。俺自身、何をどうしたくてここにいるんだろうな」

 

 そして、ローレンジも曖昧に言葉を取り繕った。そこまで知った上で、何をしたいのか自分でも分からないと。それが嘘であることは、この場に現れた時点で明確だと言うのに。

 だから、タリスは苛立った。

 それが本意でないのは分かってる。なのに言葉を取り繕い、興味がない風にされるのが苛立ちを覚えさせた。ローレンジの態度が、本当に嫌だった。だから、

 

 

 

 ダンッ!

 

 

 

 渇いた銃声が鳴り響く。タリスが手に握り、迷いなく引いた引き金は、銃口から鋼鉄の弾丸を迷うことなくローレンジに向かわせた。一直線に夜闇を切り裂いた弾丸は、ローレンジの左頬に浅く傷をつけた。傷口から、タラリと赤い液体が流れ落ちる。

 タリスに当てるつもりはなく、またローレンジも外れると分かっていた。だから、動いていない。

 

「なにすんだよ。いきなりか?」

「そこまで知って、何も感じない? なんであなたは、そこまで不愛想で居られるんですか?」

 

 震える声で、タリスは呟いた。それは一度口を吐いてしまえば、もう止まらない。湧水の如く言葉は流れ出す。

 

「なぜ! どうしてあなたは――いえ、あなたも、兄さんも! そんな風に言葉を誤魔化すんですか! 私は、私の意志でPK(プロイツェンナイツ)に入った。あの方を世界を統べる人とすべく、私はナイツに入ったんです! なのに、兄さんは頼んでもないのに私を引き離そうとする! おまけに私のナイツでの立場まで崩して! 迷惑でしかないんですよ!」

「ずいぶんと、兄貴のことを邪険に言うんだな。そんなに嫌か?」

「当たり前です! 私は、いつまでも頼りない妹じゃない! 兄さんに頼りっぱなしの私はもう過去の遺物! 私は今でもプロイツェン様にお仕えするPK(プロイツェンナイツ)の一員です! この紋章に誓って!」

 

 タリスの服の胸には紋章が刻まれていた。蜂を模した、王を守る働き蜂の紋章が。王――皇、すなわちギュンター・プロイツェン。

 

「お前の言い分は分かった。兄貴のお節介はもうウンザリと、そうだな」

「ええ。そして、あなたにもお節介をかけられる必要はありません。……早く立ち去ってください」

「立ち去れ……ねぇ。…………なら、その涙はなんだよ」

「――――っ!?」

 

 タリスの左手が、不意に目元に運ばれた。そこには、湿った感触があった。うっすら湿った頬。水滴が目元から指へと流れ、腕に筋を作った。

 

「嫌なんだろ。今の自分が。兄貴の苦言を言うのが、お前のために全力だった兄貴を否定するのが、思ってもない嘘を口にするのが、辛いんだろ」

「……何を」

「プロイツェン様だぁ? お前、自分で言ったじゃねぇか。ナイツにはついて行けないって。あの時の言葉こそ、嘘だってのか?」

「そうです。あの時は、あなた方に信用されるのが第一ですから。違いますか?」

「違うな。だったらプロイツェンを貶して、少しくらい後ろめたさを感じる筈だ。だが、あの時のお前にはそれが一切なかった。俺はそれなりに人付き合いが多いからな。そのくらい、すぐ分かるんだよ」

「……ただの、勘ですか」

「そうだ。言うなれば、“ゾイド乗りの勘”ってか?」

「話になりません」

「だが、感情は嘘を吐けない。違うか?」

 

 とどめを刺すように突きつけるローレンジに、タリスは二の句が継げなかった。

 なぜなら、真実だからだ。タリスは、()()()()()()()()()()()()()()()。タリスは、兄を助けるために鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)を利用したのだから。

 

「それ以上、口を開かないでください。私の問題に首を突っ込まないで。早く立ち去ってください」

「またそれか」

 

 ため息を吐きつつ、ローレンジは一歩踏み出す。脳裏では、類似したある日のことが再生(リピート)される。

 

 

 

『ローレンジは、早く逃げて』

『逃げてって……おい!』

『私は、兄さんが心配だから……あの子を――コブラスを止めなきゃ!』

『待てよ! なら俺だって……!』

 

 

 

 遠い記憶が、苦い記憶がローレンジの脳内で反響した。兄を追って、二度と戻ることの無い殺し合いに飛び込んでいった少女を。守ると一人誓い、成すことのできなかった苦い後悔を。

 

「悪いが……聞けないな」

「……あなたは、どこまで――」

「――お前、死ぬ気だろ。兄貴を助けるために。……万策尽きた今、PKからも裏切り扱いされるのを覚悟の上で、ユースターを救出してどこへともなく逃げるつもりなんだろ。はっきり言っとくが、やめとけ。お前一人でできるほど、甘い奴等じゃない」

 

 大きく息を吐き出しつつローレンジは言葉を吐き捨てた。流れ出た血を指で拭い、ハンマーロックの足元に弾き飛ばす。

 この時点でローレンジは思考を改めた、揺さぶり、彼女から言葉を引き出すのではなく、飾らずに、正面から伝えることに決めた。

 

「俺が、自分が何したいのか分からないってのは、撤回する。……俺が手を貸してやる。お前が考えてるヤケクソな暴走が万が一にもうまくいったとして、その先が続かないだろ? 俺だったら、ヴォルフに掛け合って居場所を用意してやれる。それに、あいつらの懐に先入するのは二度目だ。助けてやれるよ」

「居場所……それは、あなたがたの監視下ということですか」

 

 底冷えした声で、タリスは呟いた。少しずつ歩み寄ろうとしていたローレンジの脚が、ハンマーロックの肩から頭の後ろに向かう途中でピタリと止まった。

 タリスの指が再び引き金を引く。「ズガンッ」という発射音と共に、ローレンジの右頬を掠った弾丸が、湿地の地中に消えてゆく

 

「くだらない。あなたの言うことにだって、成功すると言う保証はないでしょう? それをさも任せれば万事解決のように言って……信用できませんよ。あなたは」

 

 握り込んだ拳銃にさらに力が籠められる。タリスの中の激情が拳銃を通してローレンジに打ち込まれ、ローレンジは一歩足を引いた。

 

「私は! もう後がないんです! 兄さんを助けるためには、私の命を投げ出す覚悟でなければダメなんですよ! 私を見縊らないでください!」

 

 タリスの叫びと共に、ハンマーロックの瞳が光った。「ヴン」という起動音と共に、ハンマーロックは肩に乗っていたローレンジを振り落す。しかし、ローレンジは慌てることなく、ハンマーロックの背中を滑り台のように足で滑り、ハンマーロックの脚の付け根から跳んで、ぬかるんだ地面に着地する。

 湿地の濁った泥が飛び散り、ローレンジの脚を汚す。

 タリスはその間にハンマーロックへと乗り込んだ。主の操縦を得て、おとなしい気質のコングに決意が宿った。

 

「あなたは、私が兄を助け出す一つ目の障害です。さぁ、あなたのゾイドに乗りなさい。近くにいるのでしょう? 私の道を阻むと言うなら、私はあなたを踏み越えていくまで!」

『グゥゥゥゥ!』

 

 タリスの言葉に同調し、ハンマーロックは太い腕を振り上げ、豪快にドラミングをした。ゴリラ型ゾイド特有の威嚇行動だ。自身の最大の武器である腕のパワー、そして響き渡らせる音で己を鼓舞し、また相手に見せつける。この力に挑みかかる勇気がお前にあるのか、と。

 しかし、ローレンジにはそれが悲壮の決意を固めた悲しき獣に思えてならなかった。子を失くし、悲しみに沈む母ゴリラのように、辛さを抱えている。ここでローレンジを打ち破ったところで、先は目に見えているのだから。

 タリスは次の機会を待つつもりなどない。自らの力で、兄を助け出そうとしているのだ。たった一人で、たった一機のハンマーロックで。

 

 だから、ローレンジも立ち塞がるべく、()()()()()に乗った。

 

 

 

「――なんの、つもりですか」

 

 震える声で、怒りを滲ませながらタリスは呟く。

 ローレンジは、ハンマーロックの足元で鎌首を擡げ、低い姿勢で威嚇するニュートの背中に乗った。両脚でバランスを取り、ニュートの背に立つその姿は、馬に騎乗する騎士とはまた別の気迫があった。

 

「ゾイドに乗れって言ったろ。オーガノイドだって、立派なゾイドだ」

「私を……愚弄しているのですか?」

「……御託はいい。こいよ。お前なんて、サーベラの手を煩わせるまでもない。ニュートと俺で、十分さ」

 

 口端を持ち上げ、ローレンジは笑みを浮かべた。余裕を持ったその表情だ。タリスのハンマーロックがそうであるように、ニュートが口元に炎をチラつかせて威嚇する。

 ハンマーロックは小型ゾイドだ。ガイロス帝国が誇るアイアンコングを小型化した機体で、アイアンコングが持つどんな地形にも対応できる走破力と、あらゆる地形で発揮する運動神経とパワーを兼ね備えた、へリック共和国のゴドス――ゴジュラスの小型版とも言うべき機体――と並んで、傑作小型ゾイドに数えられる。

 ニュートはそれと比べてもさらに小さい。当然だ、オーガノイドは人と同じくらいの大きさしか持たないのだから。ニュートとローレンジは、まさに象に喧嘩を売った子犬のようなものだ。

 

「……私を、嘗めないでくださいッ!!!!」

 

 ハンマーロックが腕を振り上げる。火器ではなく、その太く強靭な腕の一撃で仕留めるつもりなのだ。そこからローレンジが感じたのは、口では強気になりながらも、決して非常になれないタリスの本性。

 小さな相手、それもたった一人に対して格闘戦を挑むのは下策だ。群に対してまとめて薙ぎ払うためならまだしも、たった一体相手では狙いを定めることも難しい。それに加え、オーガノイドであるニュートは小型ながらブースターを装備しており、さらに小回りも効く。そして、二足歩行のジークなどと違い、オオトカゲ型のニュートにとって、湿地帯は移動に適した地形でもあった。

 

 振り下ろされるハンマーロックの拳の下を、潜り抜けるようにニュートが走り抜けた。背中のローレンジも腰を落とし、片手をニュートの身体に添えてバランスを保つ。そして、打ち付けられた拳にニュートは素早くとりつく。拳に作られた細かな凹凸に爪を引っ掛け、ペタペタとトカゲの様に駆け上がる。

 腕にしがみ付かれ、タリスの表情が変わる。僅かに目を細め、右肩に装備された連装ビーム砲のトリガーに指が伸びた。一瞬で覚悟を決め、トリガーが引き絞られビーム砲が撃ちだされる。

 

 

 

 ――……終わった。

 

 苦しさと辛さ、そして空しさを胸に収めながらタリスは勝利を確信した。ビームはニュートの背中を、ローレンジの身体を容赦なく撃ち抜いているはずだ。

 殺してしまった。だが、それが自分の覚悟だ。後戻りはできないし、しない。僅かな後悔を胸に、タリスは閉じかけていた瞳を開く。

 

「なっ……」

 

 そして、その光景に言葉が詰まった。

 

 

 

 ローレンジが空を舞っていた。

 

 ローレンジの手元からは見えるか見えないかの細い糸――ワイヤーが走っていた。ワイヤーはハンマーロックの連装ビーム砲の銃座に巻きつき、それを支点にローレンジはワイヤーを引き戻してハンマーロックの肩に乗る。

 すぐさまハンマーロックは腕を振り上げようとした。肩に乗ったローレンジを振り下ろすためだ。

 だができない。ニュートが肩と身体の関節部に噛みついていたのだ。ほんのわずかな隙間に頭を突っ込み、熱を帯びた牙で肩との接続部の一部を焼き切っていた。それが、ほんの小さな傷が、動作不良を起こしている。

 そしてローレンジ。外れた肩からコックピットのすぐ前まで近づくと、その開閉部にある緑色ののぞき窓にナイフを叩きつけた。強化ガラスで守られたコックピットのカメラ部分、そこにナイフの切っ先が打ち込まれ、あろうことかあっさりと砕け散る。タリスは反射的に顔を庇うが、そのわずかな隙がローレンジの狙いだ。

 視界を閉ざしてしまうこの隙に、ローレンジはコックピットの開閉スイッチを押してタリスを押えにかかる。ゾイドのコックピットの開閉スイッチは、いざという時のために外部にも隠されているのだ。

 だから、タリスはコックピットが開くその瞬間に、ローレンジを撃ち抜くと覚悟を決める。素早く拳銃を取りだし、構える。そして、コックピットの天井が勢いよく開け放たれた。

 

 ズガンッ!!

 

 三度目の銃声が鳴り響き、銃弾は赤い線を引いて虚空へと消えていく。

 その光景を、タリスはどこか夢心地で見つめていた。銃弾は確かに赤い線を引いて彼方へと消えて行った。夜空に駆け上がる、流星のように。

 だが、それと同時に力を失う筈の彼は、流星の存在する宇宙空間の極寒とも思える、暗く、冷たい目でタリスを捉えていた。右手に握り込んだナイフを、その切っ先をタリスの首筋に突きつけて。

 

「…………な、お前一人じゃ、俺すら突破できない」

「どうして……そこまで……?」

 

 ローレンジの右腕を赤い筋が伝った。かろうじて掠らせたのだ。

 開けた瞬間に銃撃されると読んだローレンジは、あらかじめその軌道を予測。そして、コックピットを開いた瞬間のタリスの位置から銃口が向いている方向を瞬時に判断し、咄嗟に半身になることでそれを躱しきった。浅く、腕を抉られたが、その程度で済ませたのだ。

 

「……昔、俺の知り合いがな、兄貴助けようと敵わない相手に挑みかかったんだ。たった一人で」

 

 ローレンジは噛みしめるように言った。

 

「結局、俺を無視して、一人で戦いを挑んで、一撃でコックピットを粉砕されて負けた。片腕失くして、激痛の中で死んでいったんだ。……もう、あんな想いは御免だ。目の前で、知り合いに勝手に死なれるなんてのは」

 

 ローレンジのナイフを持つ手に力が籠る。震えるナイフの切っ先が、タリスの首筋に浅く当たり、赤を流させた。

 

「ロー、レンジ……さん」

「言ってしまえば、全部俺の我侭さ。お前を助けようってのもな。でもさ、ほっとけねぇよ。それに……もう終わりなんて決めつけんなよ。お前がどんな奴だったとしても、裏切り者でも、どんだけ世間から非難されようと、少なくとも俺は、一人の知り合いとして、見捨てられねぇから」

 

 ナイフを引き、それと同時にタリスはシートベルトを外した。起き上がるタリスに、ローレンジはコックピットから外に出ながら、もう一度提案し、手を指し出した。血で汚れた、しかしまばゆく見える救いの手を。

 

「なぁ、俺にも手伝わせろよ」

 

 

 

 挑みかかるような、真っ直ぐタリスの目を捉えて離さない眼差し。それは、兄と同じだった。反逆し、絶体絶命の状況の中でたった一人、(タリス)を助けに戻ってきた(ユースター)と同じ瞳。

 兄は気づいていた。変質するPKに、タリスが先を見いだせなくなっていたことを。辞めようと何度も思い、しかし脱走が許されず挫折していたことを。

 しかしタリスは、ユースターが示した新たな道へ導く手を取らなかった。それが、タリスの間違いであり、今もタリスを苦しめる要因だった。

 

 ユースターと同じ目で、同じ兄という立場に居るローレンジが差し伸べてきた手に、タリスは未来を見る。そして、心の内で謝罪した。

 

 ――ごめんなさい。兄さん。

 

 あの時、差し伸べてくれた手を取れなかった。今も続く苦しみに、巻き込んでしまった。その謝罪だ。そして、謝罪を下地に、これから始める。

 

 今度は間違わない。助け出して見せる。だから、そのために、この手を取るんだ。

 血に汚れた手に、汚れを覆う様にタリスの手が置かれる。タリスの頬を滴が伝い、そして彼女は願う。

 

「…………助、けて……!」

 

 タリスの願いが、ローレンジの心に届いた。

 

 

 

***

 

 

 

「それが、君の守りたいもの、か」

 

 その様子を近くの木の上で音もなく見つめていたジョイスは、一人呟いた。

 ローレンジは以前、知り合った人々を失いたくないと言った。それらに優先順位を付けず、自分の手の届く範囲で守りたいと。そして、そう思えば思うほど、守りたい人は増えていくと。

 

「僕も、その一人にされたんだったな」

 

 ジョイスは小さく嘆息した。ローレンジの決意がようやく理解できた気がする。と同時に、その危うさを知った気もした。極少数じゃない。少しずつ増えていく守りたい人を、全て守ろうと、すべて失わないようにしようと言うその覚悟。ジョイスやフェイトにゾイドの乗り方、生身での戦闘を教えていたのは、自分がいないときでも失わないように最善の努力を尽くすからこそだ。

 

『まるで、昔の俺を見てるみたいだ』

 

 ローレンジはそうも言った。昔の自分。守りたくても守れなかった、そんな人々を想い、後悔に耽るいつもより小さなローレンジ。だが、その言いたいことは分かった。

 

 ――僕にも、いつかはできるのか? お前みたいに、失いたくないと思う奴が……。

 

 自問し、しかし答えが出ないそれにジョイスは頭を振った。今は、そんなことを考える場合じゃない。おそらく、ローレンジは今のメンバーでタリスの兄を救いだす算段を整えるだろう。今度こそ、戦える。彼のために……。

 

「――奴のため? 何を考えているんだ、僕は」

「うん? なんか言ったっスか?」

「なんでもない」

 

 隣の木の上で同じように気配を殺しているカバヤに言われ、ジョイスは適当にあしらった。さて、話は済んだようだからディロフォースをいつでも動かせるようにしておくか、と木の下に下りようと、

 

「グゥウ……」

 

 黒いオーガノイドの、低い唸り声が耳に届く。

 

「どうした、シャドー?」

 

 シャドーはジョイスの問いに応えず、真っ直ぐ湿地の奥を捉えている。何か来るのか? そんな予感に駆られ、ジョイスも湿地帯の奥に目を凝らした。

 

 そして、

 

 

 

 望まぬ死闘が、始まりを告げた。

 


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