ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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第74話:激闘――前夜

 空を行く巨大な青いゾイド。陸ガメの背中のように膨れ上がった背中は、一個大隊のゾイドを詰め込むことが出来る。共和国らしいオレンジ色のキャノピーで顔を覆った亀と呼び難い物体がホエールキングと同じ大空を翔る。共に元は海に生息しているゾイド、陸に生息しているゾイドであり、それが大空を行く様は圧巻であると同時に異質であった。しかし、それがゾイドという金属生命体の、今の姿である。

 ホエールキングはPKが所有していたゾイドだ。チェピン要塞から物資とゾイド、人員を輸送する際中であったが、内部で起こったとある事件により、それは不可能となった。内部に潜入していた破壊工作員、並びに、一人の青年によって輸送艦ホエールキングは丸々乗っ取られたのだ。

 

「と~りょ~! 無事で何より~――って、なんですがそれ!? どこまでボッコボコにやられたんですかぁ?」

 

 そのホエールキングを着陸させ、ネオタートルシップの乗組員と合流しようと出て来たローレンジを出迎えたのは、乗組員ではなくローレンジの部下、ハトリ・ルソンとホツカ・イスパルドだった。

 

「いんや、これ全部返り血だよ」

「頭領……容赦ないな……」

 

 非難が含まれた部下二人の目線を、ローレンジは過ぎた事と何食わぬ顔で流した。タリスの助けになると決めた時点で――正確には、それを言い訳として――この惨状は確定していた。ローレンジ自身の、高まる激情を払うためには、こうするしかなかったのだ。

 

「ローレンジ」

「分かってる。俺は、咎人なんだよ」

 

 タリスが辛そうに口火を切るのに対し、ローレンジはあっさりと言葉を重ねる。

 全身を真っ赤に染めたローレンジは、歩いてきたその足元まで血を垂らしている

彼に付き添っていたタリスも血だらけだが、ローレンジのそれは比べようがない。紅でない所を探す方が難しいくらいだ。

 

「んなことより、お前らの方はどうだった?」

 

 ホツカとハトリは、ローレンジの指示でオルディオスの追跡を行っていた。向かった方角からして、ニクスの東部――首都のヴァルハラに向かったはずだ。また、同じように戦場を去ったコブラスの追跡も二人は行っている。ローレンジは指示していないが、二人の優秀さを見ればそれも任務の範疇に入れただろうことは予測できた。

 

「えっとぉ、それがですねぇ……」

 

 もったいぶった物言いで、ハトリは話し始めた。

 

 ミミール湖から飛び立ったオルディオスは、プテラスやレドラーといった現役の飛行ゾイドを上回る機動力で空を駆け抜けた。向かう方向はあらかた予測できるものの、追跡は困難を極めた。

 加えて、ローレンジとの戦闘を切り上げたコブラスとライガーゼロがその妨害に入ってきたのだ。光学迷彩があるとはいえ、コブラスは驚くような勘の鋭さを見せ、森の中で光学迷彩を張った二体のヘルキャットを執拗に追撃した。遂には限界を悟り、ホツカとハトリは逃走を決意する。後ろ足に仕込んだスモーク弾を排出し、煙と光学迷彩で錯乱し、その場を離脱したのだ。

 

 だが、二人含め雷獣戦隊(仮)のメンバーは、ガイロス帝国特殊工作師団で任務を達成し続けたエースだ。逃走した、と見せかけ密かにコブラスの尾行を開始。ローレンジと同門であり、同等クラスの暗殺技術と警戒心を持ち合わせている彼に気づかれることなく尾行を続けた。同時に二人は別れ、ホツカはそのままコブラスの尾行、ハトリは行方を断ったオルディオスの追跡に移った。

 オルディオスには事前に追尾装置を仕込んである。居場所を探し出すのは、砂漠で砂一粒を抓むようなものだった。

 

 ホツカはコブラスの尾行を続けていたのだが、目立った行動を起こさない上に、彼自身の目的すらつかめない。PKに協力しているように見えて、その作戦や行動には一切手を出さず、静かに戦況を見守っていた。

 

「私見ですが……コブラスは独立した勢力にあると思う。……目的が一致したから、PKと一時的に組んだ。それだけだろう」

「だろうな」

 

 ホツカの意見は、概ねローレンジが予測していた通りだ。コブラスと別れて八年、ローレンジは憑りつかれたように暗殺業に入れ込み裏業界で名を馳せていたが、その間コブラスは一切姿を現さなかった。静かに、不気味に、世界のどこかで息をしていたのだ。そのコブラスが、突如表舞台に顔を見せた。PKと繋がっているのなら、一年前の帝都決戦の際に姿を見せていたはずである。

 だからこそ、コブラスはこの件に関しては深く噛んでいない。ただ、何かしらの利益を得るためにひょっこり顔を出したに過ぎないのだ。

 

「コブラスに関しては、もう切っていい。情報が少なすぎて、相手にし辛いからな。それに、あいつを始末するのは俺だから」

 

 ホツカからの報告を訊き、次いでハトリが話を引き継ぐ。

 

 ハトリはオルディオスを追いかけ、ニクスの首都、ヴァルハラに潜入していた。そこで、いくつか彼らの情報を手にすることができたのだ。

 オルディオスを奪い去ったのはユニア・コーリンという女性だ。ニクス大陸に住むゾイド乗りで、ローレンジも一戦交えた黒龍ガン・ギャラドのパイロットに匹敵する実力らしい。ニクスの民の間で行われたニクス最強を決める決闘では、僅差でガン・ギャラドのパイロット、ジーニアス・デルダロスが勝ったと伝わる。

 ちなみに、ジーニアスは別の大陸から来た探検家の息子らしいが、幼いころにニクスの地に住み込み、ユニアとはその頃からの幼なじみらしい。

 そしてもう一つ。ユニアは機が熟したように動き出したという。目指した先は、セスリムニルという大きな集落近くの川辺。そこに集まっていたフェイト達を襲ったとのことだ。襲撃自体はフェイト達の旅を監視していたヴォルフの采配で鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の主力部隊が防衛に参戦。無事に事なきを得たのだが……。

 

「そこでマリエスって子は向こうに奪われて、助けようとしたフェイトちゃんは、「バァン」ですよ」

「…………あ?」

 

 ハトリの軽い口調でそれが紡がれた時、場の空気が一変した。

 元凶であるハトリは思わず悪寒を覚え、無口なホツカが思わず緊張し、冷汗を滲ませた。ずっとジョイスを背負っていたシャドーは目を細め、半眼となってローレンジを睨みつける。のんびり欠伸をしかけていたニュートは、主の変化に敏感に反応する。

 

「ハトリ、どういうことだ?」

「え、えっとぉ、だからぁ……フェイトちゃんが、撃たれちゃった」

 

 その瞬間、ローレンジの手が懐を攫った。引き抜かれたナイフは、ローレンジにすら気づかせずに接近を許したハトリに、その首にピタリと押し当てられた。

 

「……あの、とーりょー……?」

 

 ローレンジの持つナイフには、力が込められていた。首筋からタラリと赤い液体が流れる。今にも首を切断しそうな、真紅に塗れたナイフは、それを持つ手はもう一人の存在によって抑えられていた。

 

「ダメですよ。分かっているでしょう?」

「……ああ、殺しはしねぇよ。俺の部下だからな。……だが、警告は必要だからな」

 

 発される殺気は、ハトリやホツカがこれまで感じたことの無いものだった。二人は、勘違いしていたことを思い知る。今まで人の良い青年を演じていた彼は、内に秘める狂気を外に出さなかっただけだ。青年が内包するそれは、ハトリ達が今まで相手にしていた、戦争という枠組みの中での敵とは違う。青年は、一度敵とみなせば一切の容赦を捨てて斬りかかる、殺す、暗殺者(アサシン)なのだ。

 

「……俺の部下を名乗るなら、次はないぞ?」

「――はっ! 忠告、この胸にしかと刻み付けます! 頭領!」

 

 のんびりとした、皮を被った言葉ではない。ハトリの口から本気の宣言が告げられる。

 

 だが、ローレンジはナイフを外さなかった。ハトリに意志を確かめるように、底冷えした瞳がハトリの怯えを見抜く。その間、ハトリは敬礼の姿勢のまま――緊張か恐怖かで小刻みに震えるが――一歩も動かずその視線に耐えた。

 

 

 

「おいおい、こんな時に仲間割れはよしてくれよ。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の懐刀さん」

 

 ローレンジはじろりと瞳だけを持ち上げた。その視界に入ったのは、いかにもと言った感じの好々爺。優しく穏やかな瞳を持つ、へリック共和国の老将校だ。

 軽く息を吸い込み、「ふーっ」と息を吐きだし、ローレンジはナイフを仕舞う。その際、ナイフに残っていた血を振り払い、その血がハトリの頬を濡らした。

 

「悪いな。ちょいと気が立ってた。――で、まさかあなたが来るとは思わなかったよ、ボーグマン少佐」

「おまえさんと出くわした時から、妙な縁が出来ちまったらしいな。今回の作戦指揮に当てられた。改めて、アーサー・ボーグマンだ。まぁ、よろしく頼むわ」

「ローレンジ・コーヴ。今回は、なんでか鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の白虎隊隊長を務めることになった」

 

 互いに挨拶を躱し、血だらけのローレンジの手をアーサーは全く気にすることなくとった。未だ手に残る血がアーサーの手を濡らし、ぬめり気を残すが、アーサーは固くその手を握った。

 

「……血に塗れた手だ。お前にここまで罪を背負わせて、情けない大人だな。おれたちは」

「俺が自分で決めて進んで来たんだ。あんたらに嘆かれる謂れはない。自分の過ちは自分でケジメ付けるさ」

 

 約一年ぶりの再会となる共和国最強のレオマスターに、ローレンジは好印象を抱く。彼となら、共に戦地に赴いても信頼できると。

 

 

 

***

 

 

 

 作戦司令室はネオタートルシップのコックピットだ。ホエールキングの内部に残されていたものは、残らず回収された。尤も、ある広間だけは誰も入ろうとしない。いかに戦場を駆けてきた兵士だろうと、限度がある。余りにも凄惨なその現場には、入りたくないのだ。

 ホエールキングが利用されないのは、もう一つ理由があった。ホエールキングのブリッジは、負けず劣らずの凄惨な光景だからだ。我慢できなくなった爆弾魔がやらかしたのだ。その爆弾魔は、現在相棒に説き伏せられて別室――という名の獄中――で待機中である。

 

「さて、主要なメンツも揃ったし、改めて顔合わせとこれからについて話しておこうか」

 

 アーサーの張りのある声がブリッジに響く。

 ブリッジには、元々ネオタートルシップに乗り込んでいたへリック共和国派遣部隊とガイロス帝国特務隊、そして鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の特殊部隊のメンバー、そこに、ローレンジを加えた面子が揃っていた。

 

「トリップ殿、本隊との連絡はどうなった?」

「はい。本隊はズィグナー様が率い、現在トローヤに向けて進軍中です」

「ズィグナー? 司令官はヴォルフさんじゃぁないのか?」

「ヴォルフ様は、切り札を手にするためにフェイト達と別行動とのことです」

 

 鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の総司令官、ヴォルフの不在は当然ながら鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の面々に暗雲を立ち込めさせた。なにせ前線に出たがる自己犠牲精神満載の司令官である。その彼が前線を離れ、全く別の場所に向かうとは、普段と違う行動に若干の不協和音が聞こえた気がする。

 

「司令官不在か。ってぇこたぁ、そのズィグナー殿ってのが、おれたちと連携することになるが、いいか?」

 

 場の空気を乱さぬよう、アーサーがサファイアに問いかけた。サファイアは静かに頷き、肯定の意志を示す。

 

「なるほど。んじゃ、今後の行動について話させてもらおう。現在、ネオタートルシップはニクス大陸とテュルク大陸の間、海峡を渡ってるところだ。このままの速力を維持すれば、三日後にはトローヤ近辺で先行する鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)本隊に追いつける、だな?」

「はい。ネオタートルシップの速力から考えると、決戦の日には合流できるかと」

「よし。んじゃあ、おれたちへリックガイロス連合軍はトローヤから十キロ地点に布陣。出てくるPKの部隊、そして目覚めた『惨禍の魔龍』に重砲撃を加える。こいつは、ロン・アイソップ大尉とガーデッシュ・クレイド大尉に任せたい」

 

 指名された二人の将校が視線を交わし合う。嘗ては敵対した帝国と共和国の将校だが、今は味方だ。互いに連携を取れるよう、意志の疎通は重要である。

 

「魔龍の復活は避けたいからな。おれが高速戦闘隊を指揮して懐に飛び込む。それから、奴ら側の最高戦力だが……、悪戯に数ぶっこんでも勝ち目は薄い。相応の実力を持ったゾイド乗りを少数、最悪、単機になるかもしれんが、どうにか抑え込みたい。のだが……」

 

 アーサーが集まったメンバーを見回す。

 最高戦力と言われて尻込みするのは誰だって同じだった。すでに鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)本隊と情報の共有は行われており、連合軍の構成員は最高戦力について――データ上――把握していた。

 嘗て一機で共和国内部まで潜入し、破壊活動を起こしたジェノザウラー――その同系機であるジェノリッターと互角以上に渡りあったガン・ギャラド。そのガン・ギャラドと同等以上の力を有しているであろうオルディオス。

 両軍の将校が尻込みするのも、無理からぬ話であった。飛行ゾイドは機体を浮かせるために、軽量化が図られている。それは、機動力に長けるが装甲が脆いという弱点を示していた。

 しかし、相対する二機は、両者ともその欠点を欠点としていない。荷電粒子砲の打ち合いによる爆発を耐え抜くガン・ギャラド。性能は未知数だが、現状から推し量るだけでも破格の性能を有するオルディオス。その性能は、例えるならゴジュラスが驚異的な飛行能力を持って急襲するようなものだ。装甲と機動力、パワーの全てを両立させ、三次元的な戦場を自由自在に駆けるゾイドなのだ。

 ゾイド乗りの技術云々ではない。ゾイドの性能そのものが、現行ゾイドの全てを上回っていた。

 

 そんなゾイドを相手に戦おうなど、自殺するようなものだ――――なのだが、

 

「ガン・ギャラドの相手は俺様が受け持とう。一度、やりあってみたかったのだ」

 

 一切臆することなく、逆に闘志をみなぎらせたカール・ウィンザーが口火を切った。

 

「なら、オルディオスは俺の担当だな。個人的に、私怨たっぷりなんでね」

 

 そして、ローレンジもあっさり名乗り出た。ウィンザーほど闘志を高ぶらせてはいないが、内から湧き上がる感情を抑え込むように、その顔は不敵に笑っていた。

 

 二人の勇敢とは言えない、短銃な闘志と意志の示す戦意に、アーサーは僅かに口端を持ち上げ、笑った。

 『若さ』か、『無鉄砲』か。しかし、熱い心を持った二人の意志は、嘗て戦ったガイロス帝国の『猛将』を彷彿とさせる。特に、赤き疾風(はやて)のような炎の男からは。

 

「決まりだな。最善策は『惨禍の魔龍』が目覚める前に到達し、連中を叩くことにある。だが、おれの“勘”は間に合わないって言ってんだ。各員、気を引き締めろ! これは、下手すりゃ惑星Ziの存亡にも関わるどえらい事態だ! 去年のデスザウラーに匹敵、凌駕するだろう。だが、勝たなきゃおれたちに明日はない! 以上、解散!」

 

 アーサーの締めの一言と、闘志をみなぎらせる唱和が重なった。

 

 

 

***

 

 

 

 ネオタートルシップの一室。医療設備が整ったそこに、青年は寝ていた。外傷は大したことないが、その肌は死人のように白く、眠っているのに、疲れが表情に浮かび上がっている。極限を越えて、青年は疲労しているのだ。

 

「兄さん……」

 

 やっと取り戻した兄は、今にも死にそうだった。意識は戻らず、もしかしたらもう目覚めないかもしれない。目覚めたとして、もうゾイドには乗れないだろうと言われていた。

 

 兄――ユースター・オファーランドは、ゾイド乗りになることが夢だった。しかし、その姿を妹の前では見せず、勤めて妹のために尽くす青年に成長した。

 だが、タリスは知っていた。兄がゾイドに焦がれていたことを。この世のすべてのゾイドに乗ってみたいと、兄は心の奥底で願っていた。

 

 

 

 もう、その願いが叶うことはない。

 

「ごめんなさい。私が、兄さんの夢を台無しにしてしまった」

 

 その懺悔は、兄に向けてのものか、それとも自分への責苦なのか、タリスには分からない。どちらの意味も含んで、タリスは言葉を吐き出した。

 

 

 

 コツコツと、扉が叩かれた。「どうぞ」と告げると、扉はすぐに開いた。そこに居たのは、数時間前まで血みどろだった鮮血の青年。

 

「よぉ、ユースターの調子は?」

「目覚めません。ずっと、眠ったままです」

 

 タリスの隣に椅子を引き摺り、ローレンジは座り込んだ。ユースターの表情を確かめ、脈を診る。自分でもユースターの容体を確かめようと言うことだろう。こうしてみると、血みどろで凄惨な光景を生み出した人物と同じとはとても思えない。

 当然だが、ローレンジは服を着替え、念入りに身体を洗い流していた。血みどろだった箇所は、もうどこにも見当たらない、すっかり清潔である。それでも鼻を突いてしまう鉄錆び臭さは、彼の身体に滲みついているのだろうか。表面上は、鼻に優しい香りだが、どこか、ローレンジという存在そのものが、鮮血の臭いを纏っている。

 

「………………良い匂い」

 

 口を吐いて出た言葉は、鼻を突く臭いに対してではない。彼が纏う空気とか、すっかり毒気を抜いた穏やかさとか、そこから表現してしまった言葉だ。

 ただ、大いに誤解を招くのも確かである。

 

「は?」

「あ、いえ、……良い石鹸でも使われているのですか?」

「ああ、サーベラの収納庫にさ、フェイトが選んだ石鹸が入ってんだ。そういうところは潔癖症なのか、なかなかいいもんだろ?」

 

 ローレンジのグレートサーベル――サーベラはホエールキングの中からネオタートルシップに移されている。PKによって多少弄られていたものの、ザルカの技術によってすっかり元通りだ。細かい調整も加え、よりローレンジに馴染むゾイドに仕上がったという。

 

「……ローレンジさんは、フェイトちゃんのことが大切なんですよね」

 

 当たり前のことを訊いた。その答えなど、タリスは把握している。

 

「当たり前だろ」

 

 やはり、予想通りの答えだった。だが、そもそもなぜこんなことを訊くのか、タリス自身分かっていない。

 

「それは、兄としてでしょうか?」

「……ま、それもあるけどさ」

 

 そう言い、ローレンジは思案する。少しだけ、タリスは心が締め付けられたように感じた。

 

「あいつは、俺にとってストッパーなんだよ」

 

 ローレンジは座っている椅子を傾け、器用にバランスを取りながら虚空を見つめた。

 

「あいつが居るから、俺には踏み込んじゃいけない『領域』があるんだ。今回はあいつがいないからさ、散々、俺の心の底が叫ぶままにやっちまったけど、あいつの前では、『あれ』は見せられねぇよ」

 

 ローレンジの言う『あれ』とは、当然、タリスの前で見せた凄惨な姿だろう。嘗てエウロペに名をとどろかせた闇の存在、名うての暗殺者、殺し屋『暴風(ストーム)』。今現在、タリスの横に入る人物とそれが同一の存在と、言って理解できる人は少ない。

 ローレンジは頭の後ろに回していた手を硬く握りしめた。握り込まれる手は、せっかく洗い流したのに、また血がにじむのではないかと思うほど力が込められている。

 

「今回はさ、助かったよ。戻れないところの一歩手前まで行ってたから、お前が引きとめてくれたおかげで、俺は今の俺のままで居られる」

 

 そう言って、ローレンジは椅子の片側でバランスを取るのを止めて元に戻す。椅子が地面を叩き、「ガタン」と音が鳴った。病室に空しく響くそれは、ローレンジの中に溜まっていた何かが音を立てて落ちた瞬間か。

 

「ありがとよ、タリス」

 

 そう言って笑ったローレンジの顔は、あの時と同じだった。助けを求めたタリスに手を差し伸べてきた、あの時のローレンジの、柔らかい笑顔。

 

 それを見て、タリスは気づいた。自分が不安だったことに。

 タリスはローレンジを引きとめた。彼が向かう底なし沼から、彼を引き戻した。ただ、その時に見せた凄惨な表情と、柔らかい笑顔。どちらが本当のローレンジなのか、分からなくなっていた。

 しかし、タリスが心配する必要はなかった。ローレンジが見せた笑顔は、彼の本質だ。

 ローレンジの本質は、柔らかかい笑顔と、妹や仲間を思いやる暖かな心だ。凄惨な光景に飛び込んでいくのは、彼が優しいからこそ耐え切れない、過去の罪の産物なのだ。

 

「タリス。兄貴が心配だろ? お前は、もう降りろ」

 

 そう告げられる優しい言葉は、不覚にも縋りたくなった。少し前、彼が差しのべた手を取った、あの時のように。だが、タリスはそれが過ちに繋がると知っている。予感できる。彼が示す優しい道は、彼を不幸にするのだ。

 

「いえ、私も参ります。戦うのでしょう? オルディオスと」

 

 ローレンジが僅かに息を飲むのが分かった。彼にとっても生きるか死ぬか分からない戦いだ。きっと、彼は余計な犠牲を生みたくないのだろう。だから、最も危険な戦場に真っ先に飛び込んでいく。他の誰かが来た時のための、露払いをするために。

 

「私は、元々PKです。兄と私を歪めたPK。私も恨みをぶつけたいですから。それに、オルディオスのことも少しは分かるつもりです。役に立てます。連れて行ってください」

 

 ローレンジは表情を歪めるが、断りはしなかった。肯定も否定もせず、思考に耽る。

 

「お前、ゾイドは?」

「ハンマーロックでは力不足ですね。グレートサーベルに乗せてもらいます。言ったでしょう? あなたが間違いを犯さぬよう、見守ると」

「……勝手にしろ」

「勝手にします」

 

 互いに単調な言葉をぶつけ合う。ローレンジが立ち上がり、廊下へ出て行ったあとも、タリスは部屋に残った。想いは伝えたのだから、覆されることはないのだろう。

 

 

 

 だが、一つだけ、タリスが疑問に思うことがあった。ホエールキングの獄中にいた時も考えていたことだ。

 タリスは兄を助けることに必死だった。なのに、どうして今はローレンジのために尽くそうとしているのだろう。

 分からない。PK内部での冷えた関係上、親しく話せる間柄は兄しかいなかった。これまでは。

 

 

 

 ()()をタリスが理解するには、彼女はまだ経験が足りないのだ。

 

 

 

「ええぃ、止めです止め! 今は彼をサポートすること! そして、PKを倒す! この二つだけ考えていればいい! 見ていてください、兄さん!」

 

 吹っ切れた様にタリスは立ち上がる。先に出て行った彼の後を追う様に、タリスも病室を後にする。

 

 

 

 誰もいなくなった病室。疲れ果てて眠るユースターだけの空間。そこに残された彼は、薄く笑みを浮かべていた。柔らかい、暖かな、やさしい笑みを。笑顔を……。

 


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