聖天使学園初の男女混合授業は、これまでと違う異様な熱気の中で始まった。無論、男子と女子が互いを意識しあう熱気である。戦闘とは違う熱気は自らを律す能力が高いはずの一軍メンバーを酔わすのに充分であった。
講義の合間の休憩時間に、ゼシカは大きく息を吐く。
一軍メンバーが学ぶ大教室は中央の通路を境に男子と女子が分かれている。まだその境を越えて接触を試みる勇者はいない。
エレメント候補生は通常、幼少期、遅くとも十二歳ごろから養成所に入るのが普通だ。当然のことながらそこでも男女はしっかりと隔離されており、結果として彼らエレメント候補生は人生の多感な時期に異性との接触に慣れていない。その為現状は当然である。
かくいうゼシカとて、若干ながら自らが浮ついていると自覚していた。自分の精神を把握するのもエレメント候補生の重要な素質である。
しかし、彼女が気になっているのはそこだけではない。
(……アマタ、何でいないんだろ?)
男子側の席を見渡してみても、彼の姿はない。
てっきり自分たちより先に教室に入ったと思っていたのだが、一限を終えても全く現れる気配がない。
背後のミコノも不審そうに見渡している。
(……授業中にアンディとカイエンが呼び出されたけど、関係あるのかな?教官に聞いてみるか)
先ほどまで講義を行っていた教官から情報を得ようとする途中、何事かを集団で話している女子らの横を通り抜ける。
彼女らの会話の内容を聞く気はなかったが、自然に耳に入ってくる。
「えっ!?あの転入生、暴力沙汰起こしたの!?」
「しかも、それにあのアンヌも関わってたんだって!!」
「えぇ!?どーゆーこと!?」
思わず出してしまった大声に、話していた女子がビクッ!!と振り向いた。
*
アマタは学園の最上階にある、扉に『理事長室』というプレートが飾られた部屋の中にいた。その部屋は高級ながらも落ち着いた調度品が取り囲む部屋であり、外界から隔絶したかのような、まるでそこだけ時間が止まった印象を彼に与えていた。
(……シュレードの部屋といい、大分金かけてるな……いや、逆に考えるなら、生徒なのにあそこまで優遇されているシュレードが異常なのか?)
アマタは自らの横で退屈そうに、その実油断なく周囲を見渡しているアンヌを見遣る。
この部屋にいるのは二人以外に二名。ドナール、スオミは彼らから少し離れて立ち、窓際の机には誰もいない。
アマタとアンヌはとりあえず気絶した連中を救護室に運び、そのまま流れ作業のごとく教官室に連行され、そこで説明という名の尋問の最中に理事長室に呼ばれ、今に至るのである。
無言の空気の中で、口を開いたのはドナールだった。
「もう一度聞く。今日朝にカイト二軍候補生とヨハン二軍候補生、二名に何をしたか詳細に述べろ」
「……朝眠気覚ましに校舎裏行ったら二人と接触。攻撃の意思を確認したのでやむなく迎撃。その最中にアンヌが介入した。それだけです」
「わたしが介入したのは、アマタが必要以上に攻撃するのを防ぐため。あの馬鹿二人の返り討ちは確定だったけど、それで重症とかになったらアマタが大変だったから。わたしが割って入っても止められなかったと思うけど、能力で惑わせた瞬間に二人を無力化することなら簡単だったと思うし。……ま、わたしの能力すらすぐに見破られちゃったし、そもそも必要以上に痛みつけるようなしょっぱい人じゃなかったみたいだから、徒労だったけどねー。
ってか、もう何回も同じこと話してるんだから、解放しなさいよ」
教官を相手にしているのにふさわしくない、気楽な調子でアンヌは話す。主任教官が苦い顔をするのにも視線すら向けない。
「……お前たちの言い分は理解した。監視映像に矛盾はない。あいつらの脳内を精神感応系エレメントに走査させても嘘は見られない。……少なくとも、今回は」
「俺達の脳も調べなくていいんですか?」
「……脳に情報を逆流させられてぶっ壊されたらたまらんからな。おまえら二人ならそれぐらいはやりそうだ」
アンヌがその愛らしい顔を愛らしい笑みに染め、けれど紡がれるは悪意に満ちた嘲弄。
「まさか。そんなことしなくとも直接壊せばいいんだし」
「アンヌ、口を慎みなさい!!また反省部屋送りになりたいのですか!!」
「教官程度が、このわたしをどうにかできるとでも?」
アンヌの口調が僅かに変わった瞬間、部屋の空気が一変する。アンヌの小柄な身体が何倍にも巨大化したかのような不可視の圧力が、部屋を蹂躙する。
されど。
「あんまり驚かせるな。何を苛ついている?」
僅か一言。
その空気にも身動ぎしないアマタが発した言葉が、その場の支配権を打ち砕く。
「べっつにぃ。ただこの学園の理事長に会えると思って期待したのに、誰もいないのが肩すかしだっただけ」
アンヌの軽口にドナールが答える。
「理事長は俺達教官すら一度も会ったことがない。お前たちをこの場所に呼んだのも不動ZEN総司令だ」
「あの人、理事長じゃないのにこの部屋に呼んだのか?ってか総司令なんだから私室ぐらいないんすか?」
「ない」
「……なんで俺らここに呼ばれたんだ?」
アマタの疑問に応じるように、背後の扉が開く。
「揃っているかね?」
「司令?なぜこちらに……?」
入室してきた司令は小型の端末を携えていた。それは片手で収まる大きさであったが、彼はそれを両手で包んでいる。それが重要な物品であり、万が一にも損傷すら許されないというように。
司令は端末を慎重に机の上に置き、電源を入れる。端末の画面にノイズが走り、『SOUND ONLY』の表示が発生すると同時。
『皆さん、初めまして。聖天使学園理事長、クレア・ドロセラです。此方からはカメラを通してあなたたちの姿は見えています。一方的に顔を隠す無礼をお許しください』
端末から流れた理事長と名乗る声は幼い少女のもの。されどその声には幼い無邪気さなどひとかけらも存在せず、年月を経た者のみが醸し出す、一種の重みがある。ネオ・ディーバの中でも上位の位置にいる司令がその身を直角に曲げたことからも、彼女が名乗った通りの肩書であることは間違いのない。司令に遅れ、主任教官二人も慌てて頭を下げる。
『ああ、楽にしてください。そもそもその体勢ではあなたあなたたち二人の顔が見えませんし』
(……二人?)
僅かに顔を上げた教官二人は、やっと気づく。
生徒二人が頭を下げていないこと──ではなく。
その片割れ、アンヌ・ウィッチが流れさす、圧倒的な殺気に。
その殺気は、さきほどの威圧感が小春日和の陽気に感じられるほどの冷たさを持っていた。
余波を浴びるだけで心臓は悲鳴を上げ、脂汗を流す。
そう、彼らが浴びているのはあくまで余波。本命を浴びているのは顔も見えない理事長以外にありえない。その殺気の凄まじさは映像越し関係なく感じ取れるはずであるが、
『アンヌ・ウィッチ一軍候補生、アマタ・ソラ一軍候補生、あなた達に会うのは初めてですね。シュレードに匹敵するエレメントということなので、できれば生身で会いたかったです』
されどアンヌからの全てをその存在のみで殺す殺気にも、クレア・ドロセラは揺るがない。自分という大樹は、その重ねてきた年月は、たかが人間程度では揺るがないというように。
だが。
「こんにちは、理事長。わたしとしてもお姿が見えないのは残念ですが、致し方ないでしょう」
殺気の主はただの人間ではない。アンヌの放つ殺気が、平凡な言葉と共に密度を増して。
「いい加減、遊ぶのはよせ」
繰り返されるは先刻の再現。アンヌの放つ殺気をアマタは身じろぎもせず、僅か一言で霧散させる。
アンヌはつまらなそうに殺気をひっこめ、唇を尖らし、
「ちぇー。やっぱばれちゃう?」
「あたりまえだ。敵意がないどころか殺気そのものも中身がない。量だけ多くしても質がないと意味がない。何の真似だ?」
「ちょーっと挨拶したかっただけよ。このわたし、アンヌ・ウィッチのオリジナルに、ね」
『……なるほど、しかし残念ながら私はあなたのオリジナルではありません』
「ああ、そうだった。ま、別に誰がオリジナルでも関係ないけど」
「……何二人で完結した会話繰り広げてるんだ?わかるように話せ」
アンヌは僅かに苦笑した後、視線を宙に泳がせる。これ以上質問に応じる気はないことが明白であり、アマタも踏み込む気はない。
『アマタ・ソラ。あなたは何か私に言いたいことはありませんか?』
「別に何も。そっちこそ、俺に聞きたいことがあるのでは?」
『いえ、質問すべきことは何も。それに、過去に何があろうとも、今ネオ・ディーバに協力していただけるなら問題はありません』
「……それで、理事長。どのようなご用件で通信なされたのでしょうか?」
ドナールが質問する。
『ああ、ただ皆さんに挨拶したかっただけです。今回のトラブルに介入する予定はありません』
その答えに納得していないのだろう、教官は二人とも訝しむような顔をしているが、
『そもそも、介入する理由がないでしょう。あなたがたが二人を良く思っていないことは聞いていますが、それで両名に不利になるような判断の公平を損ねるとは考えていませんよ。不動も、そのことを知っていたから何も言わなかったのでしょう?』
この場にはいない人物への確認。そのはずだった。この部屋に最後に入室したのは端末を携えた司令であり、それから後は一回も背後の扉が開く音は鳴らなかったのだから。もし彼が最初からこの部屋に潜んでいたとしても、この場にいる全員から気配を隠すことなど不可能。
理屈の上ではいるはずのない。だがこの場にいる全員は後方の扉へと視線を向け。
そこに、不動ZENはいた。
その場にいた全員の中で、アマタとアンヌの驚愕はとびきりであった。それは、今の今まで彼の存在に気付けなかったから──ではない。
その姿を見てもなお、二人は不動がそこにいるのか確信が持てなかったからだ。
あらゆる感覚器官は彼の存在を肯定している。それ以前に、彼のもはや巨大と形容するしかないプレッシャーも感じ取れる。
しかし、それら全てを統合しても。二人にはその場所に不動ZENが存在することを確信できない。まるで『不動ZENがいるからそこに不動ZENの情報を受け取っている』のではなく、『そこに不動ZENが存在するという情報があるからその場所に不動ZENが存在するという事になっている』ような矛盾を感じる。
存在という前提すらもどこか異質な人物が、飄々とした、それでもって覇気持つ声で告げる。
「人の持つ闇は深く、時には見えるはずの道すらも覆い隠す。
されどそれに惑わされぬ者にこそ、いずれは真実の光が照らされる」
その言葉を誰に向けたものかを察し、教官二人が僅かに黙る。
いかに素行に問題があろうとも、不審な素振りがあろうとも、生徒である以上は公正に判断する。彼らが『教官』である以上、それは当然であった。
モニターの向こうで、軽くうなずく気配が起こる。
『では、そろそろ解散にいたしましょう。私は近日中にそちらに戻るので、その時には直接ご挨拶できます。アマタ・ソラ。貴方にはシミュレータ室で強化された機械天使の性能を再現するための調整を手伝っていただきます。よろしいですね』
「了解」
端末から表示が消え、それを持って司令が退室。アンヌも軽く体を伸ばして退室する。
アマタもそれに続こうとするが、その背にドナールの声がかかる。
「言っておくが、今回俺が何もしなかったのはおまえが一応生徒だからだ。もしお前がネオ・ディーバに害為す意思があれば……」
「同じことをカイエン・スズシロにも言われた。そう心配しなくとも、自慢の隠しカメラやら盗聴器やらで監視していればいい。ご希望なら反省室だか独房だか、そこに俺の私室を移してくれても構わない。そこにずっと俺を閉じ込めて、必要な時だけ外に出ることになっても文句は言わない」
口調を戻したアマタに気負いも演技もなく、心の底から自らが兵器と同様の扱いでもいいと思っていることが分かる。
「……前に通信で、ここにきたのは成り行きだと言っていたわね?」
「それが?」
「私には、貴方がこの聖天使学園にそこまでする理由が分かりません」
「……理由なんてない。俺はただ、
今度こそ退出しようとするアマタの背に不動ZENが告げる。
「自らを縛る過去に、留まることを望むか。それはあの少女に否定した道のはずだ、アマタ・ソラ」
「……あいつが勝手に救われただけだ。俺自身を否定する言葉でな」
背後に言葉を捨て、アマタは扉を開ける。
視線を感じ、顔を向けると退出したはずのアンヌが軽く壁に背を預けていた。
「騙すことはわたしの得意分野なんだけど。お兄さん、嘘つくの下手だねー。自分にも、他人にも、さ」
「……俺はもう、この道を選んだんだ。嘘でも何でも、これしか選べない」
「本当に納得したんなら、そもそもここにいないだろうに」
アマタは言葉を返さず、シミュレータ室に向かう。
*
あらゆる軍事行動において、平時での演習を怠るものには愚者の称号と死が与えられる。
聖天使学園でのそれは、シミュレータにて行われる。これは機械天使の挙動を完全に再現するだけでなく、パイロットのオーラを計測し、それに応じた強化までも各種パロメータを調整することで再現する優れものである。
アンディ、カイエンの両名は授業中に召集され、なぜか講義に参加しなかったアマタと共に強化された機械天使の性能を再現するための調整を行っているのである。
これはこれからのエレメント全員を支える重要な作業であり、いつもは軽口が多いアンディも愚痴ひとつこぼさず作業を重ねる。
シミュレータ上で何回も機械天使を動かし、そのたびに各種数値を変更する作業を繰り返し、疲労がたまってきたところで
「アンディ・W・ホール、カイエン・スズシロ。両名は訓練に戻れ。今からなら射撃訓練に間に合う。アマタ・ソラは引き続きデータを収集する」
「「了解」」
カイエンが疲労を感じさせないきびきびとした動きで退出し、アンディはそれに遅れ少しゆっくりとした動きで後を追う。
「じゃ、後でな、アマタ」
アンディは軽く挨拶し、射撃場に向かう道すがら、カイエンに声をかける。
「カイエン、噂聞いたか?アンヌが昨日のうちに反省室出たって話」
「ああ、ずいぶんと早いな。おそらく……」
「『改革』の一つだろ?」
アンディが口にしたそれは、ネオ・ディーバが急務としていたものだ。
現状のネオ・ディーバは危ういバランスで成り立っている。
自分たちは侵略者に対して防衛に成功しているが、常に受け身の体勢しか取れない。こちらは相手の情報が全くと言っていいほどわからず、攻撃を仕掛けることなど夢のまた夢。さらわれた民間人の救出も、襲撃の根本を断つことも全くと言っていいほどめどが立っていない。
おまけに散発的な都市への襲撃は経済活動を緩やかに締め付けている。今でこそ勝利で目をそらしているが、確実にアブダクターはこの社会そのものを少しずつ破壊しているのだ。それに加え、相手の性能も、襲撃の数も彼が初めて実戦に出た時とは比べ物にならない。
有人機の存在こそ一軍以外には漏れないように箝口令がしかれているが、この学園にいる者で敵の変化を感じ取れない者はいないだろう。
そして、学園上層部、自分たち程度では顔も拝めない上層部の慌ただしさも、少し勘が鋭ければ誰だって気づく。
そう、ネオ・ディーバは変化を求めていた。アブダクターに対抗できる『改革』を。
そして、それはおきた。
一つ、機械天使の強化。上層部が言うには真の力の解放らしいが、自分たちには小難しい理屈などどうでもいい。かつての機械天使で幾度も戦場に出た彼にとって、ネオ・クーロンで体感した現状の機械天使はもはや同じものとは感じ取れないほどに格が違った。
二つ。男女共学化。これまで『聖なる守護者の純潔を守るため』などという眉唾物の理由で禁じられていた男女の接触が解禁されたのは彼個人にとってはうれしいことであるが、ネオ・ランディア戦での教官の会話を聞く限り、それを禁じることで機械天使の力を封じ込めていたらしい。
『男女共学化による機械天使の覚醒』はいずれは時期を見て実行されていたのだろう。そうでなくては昨日の今日で男女共学のスケジュールが整ったことに説明がつかない。
「あいつ、実戦に出たことがないシュレードを除けば間違いなくこの学園トップだからな」
「期待されているのは戦力としてだけじゃないだろう。アマタとミコノ、
本来の予定ならばここまで急に変化せず、緩やかで制御しやすい変化により確実に機械天使を制御するためのノウハウを手に入れる予定だったはずだ。なにせ、上層部とて機械天使の能力を恐れていたのだから。
ひょっとしたらEVOLと呼ばれたあの新形態は学園側の『改革』に想定外のものだったのかもしれない。
アンディはネオ・ランディアでのベクターマシンの異常も、ネオ・ランディアの拳も、ただの暴走であるとは考えていない。たまたま暴走し、たまたま自分たちに有利な方向に働いたなどというのは少々楽観に過ぎる。
むしろ、機械天使が自らの手で自分を進化させるために必要な要素を取れいれたと表現した方が適当である。
しかし、それこそあり得ない。機械天使はあくまで兵器。そして使用者の意に反して勝手に動く兵器など、欠陥品以前の問題である。
だが現に機械天使は自ら進化し、その起点となったのが二人の規格外、アマタ・ソラとミコノ・スズシロである。
かたや未知の技能を用いて圧倒的な戦闘能力を持ち、かたや機械天使の性能を極限まで底上げする、どちらも理論のりの字も解明できない異常。
現状のネオ・ディーバは想定をはるかに超えた機械天使の覚醒とこれまでの常識をはるかに超えた逸材に頭を悩ませているだろう。仕組みが分からないのだから応用ができない。訳のわからないものを訳の分からないままに使うしかない。
使用ができても発展ができないのならば、いずれはどのような形であれ限界が訪れる。
なんとしてもその理論を解明し、これからの発展につなげなくてはいけない。
そのために自分たちの持つ最大単位との反応を計測することで、理論を解明するためのデータを収集したいと上層部は考えているのではないか。
その為に注目されているのがアンヌ・ウィッチ。彼女はシュレードを除けば、間違いなくこの学園トップのエレメント。それだけでなく、彼女は
アンディは最近の戦場を思い返し、
「……これから先、アマタレベルが標準になる。あのレベルなら勝てるんじゃない、あのレベルになってようやく渡り合うことができるってことだ。……きっついな」
「なんだろうが、俺達は全力を振り絞って戦うだけだ。おまえもここにいる以上はそうだろう?」
現状、有人機に渡り合える可能性を持つのはアマタ級のエレメントであり、あのシュレードがアマタと一対一の戦闘を避けたことを考えるに今の自分では及びもつかない。
目指すべき地平は遠く、されど。
「俺はただ、穴開けるだけだ。それがどんな壁だとな。さ、急ごうぜ。アマタが言うには『強さを高め、維持するためには鍛錬しかない』らしいからさ」
ホール家は代々穴掘りの家系。他者が進む道の為にすべての困難に風穴を開けることこそ彼の本懐。
改めて決意を決め、彼らは歩みを早める。
なお、彼らが会話していた時に射撃訓練が終了したことはまだ知らない。
*
そんな訳で昼休み。いかに軍事行動に従事しているとはいえ、若者にとって昼食の時間がいかに癒しになるかは論じる必要もない。
それは、裏庭のベンチに座るゼシカとミコノも例外ではない。
昼休みの終わった後は『ベルリン』のがれきの撤去や教官の会議などで自主訓練である。
「はむはむ。やっぱりここの焼きそばパンは絶品だね」
「すすめといてなんだけど、ミコノってお嬢様だよね?ずいぶん庶民派だけど」
「中学の頃は寮生活、そこ卒業したらアパートで独り暮らししていたの。実家とのつながりは仕送りだけで、それもほとんど使ってないし」
パンを齧りながら雑談する見目麗しい少女が二人。この場所は人気がなく、周りには誰も居ない。
二人で食堂からこの場所に向かう際、背後から『ボーイッシュ娘と小動物系お嬢様のカップリング、イケル!!』『ゼシミコ?ミコゼシ?』などと囁く女子の声が聞こえたような気がするが、二人は気にしないことに決めた。
「だけどミコノ、けっこう銃に慣れてたね」
「ゼシカみたいに動いてる的に命中なんてできないよ。私は訓練終盤に距離を近めにした止まっている的に当てることがやっとで、それだって当てただけで円の中には入らなかったのが多かったし」
「いやいや、たしかにそうだったけど、普通素人が銃持てばもっと危なっかしいじゃん。教官から軽くレクチャー受けただけで撃てるようになることはないでしょ」
「実家にいたころ、家の射撃場で訓練したの。いい結果は出せなかったけど、扱い自体は覚えてたんだと思う。
……で、さ。話は変わるけど、雰囲気、変だよね?」
ミコノの口調が変わり、どこか影を感じさせる。
「私、ああいうのには敏感なんだ。小さいころから、同じようなもの感じていたから。正直に言って、すごく嫌だ」
「……私も、ああいうのは好きじゃない」
二人が感じたのは、学園のあちこちで現出した悪意。アマタが暴力沙汰を起こしたという噂はあっという間に広がり、それが今まで覆い隠されていた醜い感情も表面化させた。
それは嫉妬であり排斥であり蔑みであり無責任。総じて、直接攻撃していないことを言い訳とした悪意の発露である。あらゆる場所でアマタを貶す言葉が駆け巡っており、それに参ったミコノがゼシカに人気のいない場所を相談。同じく辟易していたゼシカはこの場所へと案内し、今に至る。
「元々、土壌自体はあったの。ミコノは実感ないかもだけど、この学園に在籍すること自体がかなりの難関で、エリート意識を悪い方向にこじらせた人が少なくないから。おまけについ前まで男女が分かれていた影響で、女性が男子を不潔な存在って蔑んだり、その逆もあったんじゃない?」
「聖なる守護者が真っ黒だね……でも、全員じゃないんでしょう?」
「まあ確かにそうだけど。そういった人たちにとって、いきなり現れて一軍レギュラーを掻っ攫ったアマタがどう思われるかは言うまでもないっしょ。今までは表に出すことが憚ってたけど、噂でタガが外れたんだろうね」
無論、その中にはアマタのルーツに疑問を持ち、彼を自分たちの害となる存在になるかもしれないという『まっとうな』、意思で警戒している者もいるだろうが、少数の識者は多数の民衆に押し流されるのが世の常である。
ミコノも似たような立場ではあるが、彼女はネオ・ディーバのスポンサーであるスズシロ家の令嬢であり、またアマタと繋がりを持っていることからも敵意を表立って向ける者はいない。無論、彼女の特性が機械天使の強化という一人では完結しないものであることも関係しているが、ゼシカはそのことに触れない。
(ミコノに背負わせなくてもいい後ろめたさを感じさせる必要もないしね)
ミコノはそんなゼシカの心遣いを察し、心の中で感謝し、
「うるさいわね!!」
不意の金切り声が、全てを中断させる。
「今の、MIX!?」
「あっちだ!!」
不穏なものを感じた二人の少女は声の方向へ走る。
走りながらも聞こえる声は安定を欠き、泣き叫ぶかのよう。
二人はその場所に到達し、そして。
*
アンディという少年は、他者を妬んで貶すことで自尊心を満たすことも、それに遊び半分で同調することも是としない。その心の強さは間違いなく彼を彼たらしめている重要な要素である。
よって。
「おーい、アマタ。一緒に飯食べよーぜ。入学祝にスペシャル弁当おごってやる」
アマタの返事も待たず、買った弁当を押し付け、さりげなく人気のない方へ誘導する。背後からの『三枚目キャラと転校生キャラ、イケル!!』『アマアンかアンアマか、それが問題ね……』という声は無視することに決めた。
道中でもアマタを見てあからさまにひそひそ話をしたりする生徒を見て嫌な気分になりながら、彼の観察力は言われている当人であるアマタが全くと言っていいほど堪えていないことにも気が付いていた。
周囲の悪意に気づいていないという訳ではない。耐えているのでも、受け流しているのでもない。文字通り、悪意に何も感じていないのだ。
本来ならその精神の在り様は強いと賞賛すべきであろうが、アンディは言葉にできない部分で在り方の歪を感じる。第六感というべきそれは、戦闘でも掘削作業でも幾度も彼を助けてきた。
(アマタといい、シュレードといい、アンヌといい、強いエレメントってどっか性格ねじれてるんだよなあ)
「いただきます」
意外にも、行儀よく挨拶してから弁当を食べるアマタを見て、思う。
「この弁当、うまいな……それはそうと、アンディ。少し聞きたいことがある」
「なんだよ?」
「アンヌ・ウィッチ。彼女のことについて知りたい。教えられる範囲のことでいいから教えてくれないか?」
「……?そう言えばあいつ、謹慎明けなのに授業出てなかったような……まさか、もう会ったのか?」
「ああ、朝ちょっとな。自分では『学園最強の女子エレメント』とか言って、教官らも扱いに注意してたみたいだが、生徒視点からの評価も聞きたい」
「まあ、アンヌが実戦に出ていないシュレードを除けば学園最強ってのは間違ってない。この学園に転入してきて最短記録で一軍レギュラーに上り詰め、実戦じゃ単独のベクターマシンでアブダクターを全滅させたこともある。アンヌがいなけりゃ、アブダクターにさらわれた民間人は一、二割増しじゃすまなかったかもな」
「……それは凄い。そんな奴がいるなら出し惜しみする必要は無いのでは?」
アンディは苦笑し、
「あいつ、功績はトップだけど悪名もまたトップなんだよ。実戦では毎回のように命令聞かないし、暴力沙汰も俺が知ってるだけで何回もある。まあ、そっちの方は自分から仕掛けてくることはないらしいけどな。
でもまあ、そういったのを覆い隠すほどには実績がある。実戦もそうだが、潜入してきたスパイを炙り出したり、あいつ独自のデータが俺たちのオーラ制御における訓練プログラムを進化させたり、といった具合にな」
「あいつ独自のデータ?」
アンディが彼女の持つエレメント能力以外の特性を説明しようとした瞬間。
「そこにいたのね!?」
金切り声が大気を震わせた。そちらを見れば、金髪の髪を三つ編みにした、眼鏡の奥から眼差し鋭い女子が迫ってくる。
「あのビッグバンは、MIX?」
「誰だ?」
「女子エレメント一軍レギュラー。かなりの腕利きだけど、男嫌いで有名」
怒りを発散させるMIXに、まずはアンディが声をかける。
「よお、初めまして。俺の名は……」
「汚らわしい男がしゃべらないでくれる!?それに、あなたには用無いの」
あまりの剣幕に、アンディが黙る。
「ってことは、俺に用か?何だ」
アマタは気だるげに声をかける。
MIXは大きく息を吸い。
「あなた、何のつもり!!」
全身から嫌悪感を滾らせ、問い詰める。
「なんのって、どの事を言ってるんだ?朝の事はお前に関係ないだろう?」
「ベルリンを壊したことよ!!」
アマタは軽くため息をつき、
「あれは俺の意思じゃない。たぶん機械天使が自分で行ったんだ。自らを覚醒するためにな。
そっちだってわかっているだろう?あの機械天使の本当の姿は陰陽合一。男と女が合わさった矛盾こそが完全なんだって」
MIXは認めない。否。理解しているのに認めたくないのか。
「嘘おっしゃい!!穴だらけの男が完全な機械天使に必要なわけないでしょう!!
そもそも、エレメントに男なんていらないのよ!!人類の守護者は、聖なる機械天使には、穢れ無き乙女だけが相応しいのよ!!」
「穴ばかにすんな!!」
どこかおびえるような声を聴き、声を荒げるアンディとは対照的に。アマタの口から洩れるは笑み。思わず漏れた失笑。
「馬鹿か?あの機械天使は兵器。おまえ達エレメント候補生に求められるのはそれを使って戦うこと。穢れがあろうがなかろうが、結果さえ出せばいいんだよ」
その言葉にMIXが想起したのは、ネオ・ランディアでの敗北か。それとも真綿で首を絞められているかのようなネオ・ディーバの現状か。
「ふざけないで!!妙な能力持っているだけの癖に!!」
激高し、繰り出されるは回し蹴り。冷静さを失っていたにもかかわらず体幹、フォーム、全てが比類なき一撃。
脚が風を切る音が走り、
鈍い音とともに、座ったまま軽く掲げられたアマタの左腕に阻まれる。
空に近い弁当箱が軽く揺れるが、それだけ。いささかの痛痒も感じてなどいない。
MIXの驚愕は一瞬。脚をつかまれるのを防ぐために引き戻し、距離を取る。
「おい、MIX……!!」
声を荒げたアンディをアマタは視線で黙らせ。
「攻撃しかけてきたってことは、攻撃されることも覚悟しているんだよな?」
『ごちそうさま』とあいさつしたあと、ゆっくりと立ち上がり。
「さあ、少し遊んでやる。来い」
自然体で立ちながら、静かに宣告した。
*
MIXは自らの攻撃が防がれたことにより激昂し、されど戦士としての彼女は冷静を取り戻す。確実に目の前の『敵』を倒すために。
何のための戦いかも定かでなく、されど行われる攻撃に慈悲はない。
アマタ・ソラは飛翔能力以外にも、異常なまでの身体強化能力を持つ。銃弾を弾くほどの身体能力に真正面から向かっても待つのは自滅。されど、それがオーラによるものである以上、使用する際には全身を発光現象が覆う。身体が光っていない時ならば身体能力は情人並みで、その状態では守護者たる自分が負けるはずのない。
現状アマタはただ立っているだけで、発光現象は見られない。そして、彼女自身が優れた使い手であるがゆえに知っている。身体強化はオーラの暴走を防ぐために、精神を集中させねばいけない。
故に、選択するべきは速攻。能力も強化も使う暇さえ与えず勝負を決める。
虚実入り混じった連打の嵐で、目前の敵を押しつぶす──!!
されど。
牽制の拳は虚しく空を切り、
足止めの蹴りは軽く下がるだけで躱され、
追撃の裏拳はアマタの鼻先を通り過ぎる。
繰り出す攻撃は接触すらしない。
右に左に、前に後ろに。アマタは僅かにステップを踏むだけでそれらすべてを躱し続ける。
肉体全てを完全に連動させた動き。その長身に不釣り合いな俊敏さは、MIXの放つ攻撃の嵐を風に舞う風船のように軽やかに回避。
MIXは彼の影を追うばかり。
繰り出された攻撃はすでに二十を超え、その全てがアマタにかすりもしない。
その事実から導き出される結論は一つ。
アマタ・ソラは、特別な身体強化をせずとも。
素の身体能力だけで、純粋な実力で。
自分たち、ネオ・ディーバのエレメントを凌駕している。
(ふざけ、ないで……!!)
自分の攻撃が全て当たらず、今も上段回し蹴りを軽く頭を下げることで躱されたという事実が、目を真ん丸にしながらこちらを見る汚らわしい男の視線が、自分を見る視線にいかなる感情もこもっていない『敵』の眼が、それら全てが認められない。
こめかみがうずく。
幼い情景を、悲嘆にくれた過去を、そこから生まれた決意を思い出す。
自分は負けられない負けられない負けられない。
穢れている男に、軟弱な男に、不完全な男に。
聖なる守護者たる自分は、負けるはずが、
「負けるはずが、ないのよ!!」
絶叫とともに、MIXの身体が光に包まれる。身体強化。オーラを制御するための精神集中を、攻撃を仕掛けながらも一瞬でこなしたのはさすがか。
灼熱の意思が命ずるままに、過去最高の身体強化を果たしたMIXの右拳が、未だ強化していないアマタの腹へと向かい。
その攻撃は実行されなかった。
拳が速度に乗る前に、拳が発射されようとした瞬間に、攻撃が実行される寸前に。
無造作に伸ばされたアマタの腕に抑え込まれていた。
「!?!?」
驚愕と共に反射的に蹴りを放つ──その蹴りも、攻撃が実行される前に伸びてきた脚によって阻まれる。
これまでのように、実行された攻撃が通用しないのではない。それ以前に、攻撃という行動すらも『敵』は許さない。
「馬鹿正直に身体能力上げ過ぎだ。動きが雑になっている」
手足を払いながら、つまらなそうにアマタは呟く。
「なにいってるのよ……!!」
疑問しながらも攻撃の手をより一層激しくするが、それら全ては実行する前につぶされる。
「なんだ、本当に知らないんだな。いいか、身体能力を直接強化しても、今度はそれに振り回されてしまう。どんだけ出力強化しても、それを扱える処理能力がなけりゃ、結局は無駄が出る。そんな状態でできるのはせいぜい雑魚退治だけだ。
むしろ、制御にこそ本質はある。
そもそもオーラってのは自分の内界にある生命の力。それを利用するっていうのは自分の内界と外界をつなげ、新しい視点で世界を感じる。まあ、例えるなら達人が到達した世界ってのが適当だ。達人は力に頼らない。磨き上げた技こそが本領。俺達もより深く内界とつながることで身体の制御を研ぎ澄ませ、オーラを無駄なく運用する。出力の上昇はそのあとだ。無理やり十の出力を叩き出した炉心と、安定して七の出力を発揮できる炉心、どちらが総合的に見て高い出力を出せるか、考えるまでもない。
むしろさっきの方が、動き自体は良かったぜ?」
自らは力の底上げをせず、技量だけでアマタはMIXを抑え込む。
そして。当然のことながら。
「そろそろ、こっちの番だ」
こちらの動きが完全に読まれている以上、相手はいつでも攻撃を当てることができる。そして最初に宣言した通り、攻撃しない理由はない。
「気動状態なら、まあ大丈夫だろ」
言葉と共に拳が振るわれ、
「おっと」
軽い調子で中断し、後方へと下がる。
MIXが何かしたわけではない。
それはただ単に、側面から突撃してきた第三者を躱しただけだ。
MIXをかばうように、前に出たのは。
「アンディ、何の真似だ?」
名を呼ばれた少年は、唇を吊り上げ、
「お前の兄貴は、どんな理由であれビッグバンな女の子が一方的に弟に殴られるのを黙って見られるような奴じゃない、それだけだ」
それを聞いたアマタに浮かぶのは、僅かな笑み。蔑みなど見られない、どこか眩しく、遠いものを見るかのように僅かに目を細める。
この場にいる者すべては、その表情の意味が分からず、
「いいだろう。アマタ・ソラはアンディ・W・ホールの挑戦を受諾──」
全てを無視し、MIXはアマタに突撃する。
アマタはその突進を僅かに右に動くだけで躱し、アンディは遅れて攻撃を仕掛ける。
「おいおい。せっかく二人の息が合うのを待ってたのによ」
「うるさいわね!!」
これまで出した声とは比較にならぬ大声をだすMIXが、攻撃を再開する。
そこからは、語るまでもなく。
アンディとMIXの攻撃がアマタを捉えることはなかった。
MIXはアンディにいささかの配慮も見せず、むしろ彼すらも巻き込まんとする勢いでがむしゃらに攻撃を仕掛ける。男に援護されているという現実を否定するかのようながむしゃらな攻撃は、あまりにも単調に過ぎる。
アンディは冷静にMIXの援護をしようとするものの、彼女はそれを意に介しもしないどころか時折彼にすら攻撃してくる。そんな状態ではまともにアマタの動きをとらえることすらできず、体力だけを無駄に消耗してしまっている。
そして、アマタにとって冷静さを失ったMIXの攻撃を捌くことも、彼女の動きを誘導してアンディを阻害する場所に置くことも容易かった。
もはやこれは勝負にすらなっていない。アマタが完全に場を支配してしまっている。
アマタはMIXの突きを躱しながら、
「せっかくの数を生かしていない。あえて連携を崩すことでリズムを隠す戦法もあるが、それだって最低限方向性は揃えなくちゃ話にならない。
勝つ気有るのか?」
アマタの問いに被せるように、MIXが言葉を放つ。
「黙って!!男に頼らなくたって私は強い!!男なんて、男なんて、男なんて……!!」
「そうか」
アマタの空気が変わる。もはや、話すことなどないというように。
「なら、現実を教えてやる。戦場に男女の区別などなく。在るのはただの結果だけと知れ」
そして。
*
そして、ゼシカとミコノ、二人の少女は見る。
呆気にとられるアンディと、腰を抜かすMIX。そこから一歩離れた場所に立ち、構えを取るアマタ。
最後に、MIXを庇うかのようにアマタに相対する、青いエプロンドレスを着た幼い少女。
「いやーダメでしょ、お兄さん。何をしたいかはわかるけど、その方法じゃ与えられるのはただの敗北だけ。
本当に大事なことは、自分の手で掴み取らないとね」
その言葉とともに、少女の姿が掻き消える。彼女らが認識したのは幻覚。
本体は今、ゆっくりと姿を現すもの──なのか?
「そんなわけで、これからはわたしが相手するよ、お兄さん?」
アンヌは、花が咲くような笑顔でそう言った。