聖天使学園は,ネオ・ディーバ最高のエレメント養成施設であり,機械天使の基地であり,つまりはネオ・ディーバという組織そのものと言ってもよい。その理事長という職務は,並大抵の人物に勤まるものではない。
しかし,クレアの前で今理事長室の席に座っているのは。
「はむ,はむ。相変わらず絶品ですね」
ドーナッツを頬張る,十二歳ほどの少女であった。
黒いドレスを着込み,藍色の髪を長く伸ばす,どこか高貴な印象の少女だ。
されど,その身に纏う雰囲気は大木が如き重圧。
聖天使学園の理事長という役職が,彼女の為にあつらえたかのようによく似合う。
「クレア・ドロセラ理事長は,今まで神話型の機械天使の謎を調べるための旅をなさっておられたのだ」
そう説明したのは,ドーナッツを恭しく差し出した後,傍らに直立した学園長だ。自らが本来持つ覇気を極限まで薄めたその姿勢は,完成された老執事のようにも見える。
「神話型……本当に存在していたのですね。正直に申し上げて,誇張されたものだと思っておりました」
「まあ,
「……なるほど,今回の男女共同学習もその一環ということですか」
自分の声に険が籠るのを自覚するが,改めるつもりはない。
それは自分の可愛い教え子たちを男子と接触させることのみが原因ではない。
「そして,あわよくばその奥にあるものを手に入れるつもりですか?」
「なんのことです?」
「ごまかさないでください。当事者たる『彼』を同行させたのもそれが理由でしょう?」
彼女の視線の先のモニターでは,生徒と共にドナールが仏頂面で座っている。
微かに,クレアが感心したように息を漏らす。
スオミとて,今まで何もしていなかったわけではない。
自らが用いる権限と,それより半歩踏み出した手段。それら全てを用いて知りえた情報のなかに,ただ一つ。機械天使そのものの根幹に迫りうる事件があった。
「アクエリアの悲劇……」
アブダクターの襲撃の最初期,より正確に言うならば機械天使が対アブダクターでの運用が始まったころにおこった惨劇。当時最大規模の襲撃をきっかけにおこった機械天使の暴走事故。具体的なことは調べきれなかったが,いくつかわかったことはその事件を機に現在の男女接触を禁じるシステムができたこと,そしてその事件の生き残りがドナールであることだ。
「なら,わたくしからも一つ。Mr.ドナールが同行を希望したのは彼自身の意思でもあります。彼はその事件で自分の肉体のみならず,大切な人を二人も失ったのですから」
その言葉とともに,ドーナッツを食べ終わり,スオミから目を離すと。
「では,そろそろ。欲しい情報は手に入りましたか?」
「?」
そう呟くクレアの目線の先には,監視カメラがあって。
*
「あー。映像途切れちゃった。やっぱ最初からばれてたか」
聖天使学園一軍とドナールが乗ったフェリー。未だに男女が初々しい空気を発する中,その空気に当てられていない数少ない例外の一人。アンヌは溜息をつく。その小ぶりな手の中にはタブレットがあり,その画面にはつい先ほどまで監視カメラを通した理事長室が映っていた。
当然のことながら,これは正規の手続きを経たのではない。監視システムに不正な介入をした結果である。
「おいおい,おとなしくしてるんじゃなかったのか?」
隣のアマタが呆れ顔を作る。向かい側のゼシカも同様で,その隣のミコノはチラチラと教官を盗み見ている。
「誰にも迷惑かけてないもーん。ってかお兄さんこそどったの?なーんか弄ってるの見てた時からブルーになってたけど?」
「……別に」
「つれないなー。相談してくれてもいいんだよ?」
身体を摺り寄せようとするアンヌを,ゼシカが押しとどめ,座らせる。
「こら,近づきすぎ。一応恋愛禁止なんだから」
「あの,ゼシカ?さすがにアマタ君とアンヌちゃんを恋愛に結び付けるのはどうかと思うんだけど?具体的には年齢と倫理の面で」
苦笑いするミコノ。一方アンヌはゼシカをしたり顔で見る。
「ふーん……へぇ。なるほどなるほど。そーゆー事。まあ,最初に話聞いた時から予感してたんだけど」
「……なによ」
「いやいや,別に」
ニマニマ笑いを深くするアンヌの眼を,ゼシカは正面から受けることができなかった。
「……それにしても,解せない。まだ反省室入りの期間を消化していない俺達や,訓練を免除されているはずのシュレードまで召集して,理事長直々に男女共同実習だと出かけてみれば向かうのはネオ・クーロン?あそこに行って何をするっていうんだ?」
「まあ,反省室にいる間色々と勉強になったけどね」
アマタが誰に問うでもなくごち,アンヌは軽口を漏らす。。
「思い出した。クレア・ドロセラ……あの理事長さん,見た目は小っちゃかったけど,今代の『リーナの娘』だよ」
ミコノの言葉に,アンヌが口笛を吹き,アマタは納得の息を漏らす。
「……なるほど。ミコノは会ったことあるのか?」
「ううん。でも,お父さんからきいたことがあるの。お父さんはスズシロ家の当主だから,その縁で。確か先代がミスを犯して,急遽代替わりしたって話だけど」
「あれ?ミコノ,家から離れてたんじゃなかったっけ?」
アンヌからの視線を逃れることを諦めたゼシカが問う。
「その話を聞いたのは私が家にいたころ,もっといえばアブダクターが襲ってくる前の話なの」
「……あの人何歳?」
「そういった常識にとらわれないのが『リーナの娘』って聞いたけど。こまかいことはアマタ君に聞いた方がいいんじゃない?」
「俺の知識もミコノと大して変わらないと思う。そもそも,俺が知っていることは少し古いものばかりで……」
アマタが先頭に立ったドナールを認め,会話を中断する。
「プリントを配布する。ネオ・クーロンでは記載された班で,指示されたコースを回れ。班で行動するのなら,どれだけの班と共同で行動しても問題はない」
その言葉とともに,プリント回ってくる。
それらを受け取り,生徒が思い思いの声を上げる。
「ブロムナードを散策,プール,ホテルで飲茶,シメは展望台で空中散歩って,ネオ・クーロン定番のデートコースじゃん!!」
「しかも班は必ず三人一組の男女混合,たまんねえ!!」
「おい,いっしょの班だろ?協力しようぜ」
「ああ,協力だ!!」
ある者はシチュエーションに興奮し,ある者は具体的な手順を思い浮かべ,ある者は同性のチームメイトを牽制する。
それを横目に,アマタらも確認する。
「俺の班は……ミコノとゼシカか。あからさまに意図感じるな」
「むぅ,なんでわたしは一緒じゃないのさ。……ま,小さくガッツポーズするいじらしい二人の姿見れて幸運にしますかね」
班で固まり,興奮の度合いが高まってきたところで,再度ドナールの声が響く。
「尚,これから配る腕輪には発信機が内蔵されている。それを装着して行動しろ」
雰囲気に軽く水を差されながらも,配られてきた腕輪を皆が受け取る。
「……重いな。発信機だけじゃない」
「ま,ただ集団デートするなんてこの学園の実習らしくないし,当然じゃない?」
より考察を深めようとするアマタらに,アンディが近づく。
「……アマタ,お前はいいよなぁ……花に囲まれてて……」
「アンディが地獄を背負ったみたいにやさぐれてる!?」
思わず目をむくミコノとは対照的に,アマタは調子を崩さずに問いかける。
「どうした」
「俺の班を見てくれ……」
そうアンディが指差した先には。
刺すような目つきでこちらを見るMIXと。
椅子にもたれかかる緑色の大きな人形があった。
「……確か,アンディの班はMIXの他にユノハって子だよね……」
「せっかく俺も女の子と仲良くなれると思ったのによう……」
「いいじゃないか,あいつはかなりレベルが高い」
「いや,確かにMIXはビッグバンだけどよ……」
「そっちじゃない。てか,ビッグバンって?」
「そりゃあ……」
アンディは顔をだらしなく緩め,MIXの豊かに実った胸部装甲に視線をゆっくりと移動させ。
「あのたわわな……ンギャー!!」
胸に目をやった瞬間,アンディが絶叫する。その一瞬前には腕輪の一部が小さく点灯し,それが原因であることは明白。
「えげつないなあ。暴徒鎮圧のスタンバレットよりちょっと低い電圧の,ギリギリ動ける電気ショックだよ」
「……条件が読めない。どんなルールに違反した?」
アマタやアンヌ,そしてシュレード。かれらの表情に浮かぶのは思索。三人は冷静に状況を把握し,腕輪の反応と教官が冷静を保っていることからこれを実習の『ペナルティ』と判断。観察に移る。無論,データを集めるためである。率先してアクションを取る必要は無い。
「おい,なんだ?」
「急にアンディが……」
異常に反応し,生徒にざわめきが広がる。冷静さを失いイレギュラーな行動を行って『ペナルティ』を受けた生徒を観察することでルールを把握しようとしたのだが。
(……何も起こらない?冷静さを失うだけじゃルール違反じゃないのか?)
疑問にかかわらず,集団は冷静さを徐々に取り戻す。アンディに群がっていた集団も徐々に解散し,
「あ,ごめん」
「あっ……気にしないで」
一組の男女が軽く接触。顔を見合わせ,赤面する。それは男女の接触に乏しい生徒同士の微笑ましい光景であり。
「キャー!!」
「どわー!!」
容赦なく制裁が下される。
それのみにとどまらない。
ある場所では,転倒した女子と,それを支えた男子が。
またある場所ではもみくちゃになり,抱きつく形になった男女が。
別の場所ではお互いを励ましあった男女が。
それら全てに制裁の雷が落ちる。
(なるほど,だいたいわかった)
「アンヌ」
「りょーかい。あーっ!!あそこにナイスバディな水着美女が寝そべってる!!」
アンヌの指差した先に,アンディを筆頭にした男子のほぼ全員と一部の女子が注目する。
それと同時に彼女は能力を発動。過激な水着を身に纏った,豊満な肉体を持つ金髪美女が彼らの視線を奪う。その結果。
「「「「「ぎゃぁぁあぁぁっぁあぁぁっぁあっぁ!!」」」」」
悲劇の多重奏が木霊した。
幻影を消しながらアンウは確信する。
「やっぱ性的な興奮がルール違反なんだね」
「アンヌちゃん?女の子がふしだらなこと言っちゃだめだよ」
「ムラムラしちゃだめなんだね」
「もっといやらしくなった!?そうじゃなくて,せめてドキドキにしよう!!」
「ってか今の幻,モデルはアンヌ?だいぶスタイルに誇張あったけど」
「いいもん,わたしだってゼシカぐらいになったらナイスバディになるんだもん」
「アマタ……俺達になんか言うことはないか?」
アンディがこちらを恨めし気に見る。
「ああ,データ収集の協力,感謝する」
「鬼!!悪魔!!」
*
軽いトラブルがあったが,ネオ・クーロンに到着した。
生徒らはそれぞれ行動を開始する。
「それじゃ,お兄さんまたあとで」
「あれ,アンヌは一緒に行かないの?グループ同士の行動もOKでしょ?」
ゼシカの問いに,アンヌは苦笑で答える。
「そーしたいのはやまやまだけど,そうしたらわたしの班員が心臓止まっちゃう」
アンヌが指差した先には,生まれたばかりの小鹿もかくやといわんばかりに全身を震わせた一組の男女がいた。
確か,女子の方は前にアンヌに『お仕置き』された生徒だとゼシカは思い出す。
「……また?」
「うん,しかも今度は会って早々の男子を誑かして二人で。まあ,男の子の方もノリノリだったし,新人いびりぐらいは日常的にやってたんじゃない?
とにかく,それでちょっと『お話』したら予想以上にびびっちゃって。これにお兄さんまで加えちゃさすがに可哀そうだ。ま,お兄さんとのデートはゼシカに譲るよ」
「で,デートじゃないって。ミコノもいるし」
「『ミコノもいるし』ねぇ……」
「ちょっと,なにニヤニヤしてんのよ。ってかミコノもなんで『やっぱりか』みたいな顔してるのよ」
微笑ましいものを見るかのような雰囲気が女子の中に満ちる。
「じゃあ,私たちも行こう。……あれ,アマタ君は?」
先ほどまで一緒にいたはずのアマタの姿がない。
あたりを見渡してみれば,少し離れたところに佇んでおり,視線はある一点を凝視している。
「アマター。私たちも出発するわよ……タワー見てるの?」
「ああ……あのタワーって」
「そ。この実習のシメ。数年前に完成した観光名所。それがどうかしたの?」
「……いや」
視線を外し,歩き出す。その姿はいつもと変わらないもので。
だけど少女たちには,その姿がどこか物悲しげに見えた。
*
そうして,実習を滞りなく行い,プールへと到達して。
「期待と違う……」
「ドキドキのかけらもない……」
学園の貸切状態のプールにて,水着姿の少女二人は愚痴りあう。
そう,実習は滞りなく行われている。何のトラブルもなく……何の盛り上がりもなく。
例えば,
パターン① プロムナードにて
「うわぁ,かわいい!」
「はむはむ……おいしい」
「……楽しそうだな」
「そりゃそうだよ!!最近学園がピリピリしてたから,気晴らしもできなかったし」
「前にネオ・ランディアに旅行に行ったときは途中で終わっちゃったから,消化不良だったんだよ。アマタ君も楽しめば?」
「……雰囲気ピリピリしてるなかでリラックスはできない」
「ピリピリって,こんなに平和なのに」
「あちらこちらに明らかに軍人系の人間。おそらく生徒のボディガード。さっき二人に商品渡したのもそうだ」
「……」
「おまけにそれとは系統が違うやつらがちらほらと。挙句の果てにそいつらを牽制しながら俺にぴったり照準合わせている狙撃手が一人。たぶんドナール教官だ」
「……」
パターン② レストランにて
「うわぁ……サザンカがもろに電撃浴びてるよ……至福の表情のままで」
「一つのコップでストロー三本。意図は明白だけど,自分は参加せずにカイエンとシュレードが一緒に飲んでるだけでドキドキできるんだからある意味便利よね」
「私たちも早速……って,いつのまにか三分の一がペットボトルに入っている!?」
「この形式でだと飲む量に差が出るかもしれないからな。さっき買った飲料水のペットボトルを空にして入れたんだ。要望があるなら残りも半分に分けるが」
「理由の面から間違っている!?」
そして現在。
「さすがに恋人みたいなことが起きるなんて期待はしてないよ,でも,ドキドキもしないってどーゆー事!?」
「まあ,あの電撃の事もあるし。……なくても変わらない気もするけど」
「このプールで勝負をかけよう,清楚系と過激系,コンビで攻めれば……」
「ミコノ……これ,どー考えても失敗フラグ……」
「待たせたな」
待ち人の声に振り向き……絶句する。
「俺はあっちで泳いでくる。出たくなったら声をかけてくれ」
そう言って競泳用のプールに歩いていくアマタ。水着のみを着用したことであらわになった無数の傷跡が,いやでも目に飛び込んでくる。
エレメント能力者に傷跡があるのは,珍しくはない。能力の暴走,周囲の人間からの迫害,内からも外からも彼らを傷つける原因は数えきれないほど存在する。それは,この世界の『普通』から外れてしまったが故のリスクとも言えるかもしれず,そういった被害からの保護組織としての面もネオ・ディーバにはあるが。
アマタに刻まれる傷跡は,『普通』ではない。
「……お父さんにも似た傷跡がある。あれって,銃創?」
「それだけじゃない。ナイフに,腕の傷は大型の獣の爪かな?」
虐待でも,能力の暴走でもない傷跡。種類も大きさも様々なそれは,ただ一つの共通点がある。
すなわち。闘争。自らの全てをかけて,アマタという存在を否定するためにつけられた傷。
そういった状況に晒されながら未だにアマタが生存しているという事実は,つまりは彼が相手の存在を否定し返したという事に他ならない。
おそらく,そこに何があったのかなど彼女らには想像すらできないだろう。
アマタとの埋めようのない隔絶に言葉を失った少女らは,もう一つの由々しき事態に気づく。
「……あれ?水着のリアクションなし?スルーされた?」
「気づいても言わなかったことを!?」
*
アルテア界を包む闇は,ヴェーガのそれとは量も質も全く異なる。
この世界を包む──否,この世界そのものとも言える闇の深さは,あるいは我らが行く道そのものなのかもしれない。
イズモはそんな感傷を頭の片隅でもてあそびながら,安堵をにじませた部下の報告を聞く。
「ミカゲさまのおかげで,アイアンシーの出力にも余裕が出ました。逆さ棺への供給も安定しています」
『逆さ棺』──それはこの世界の未来の貯蔵庫にして失った現在。その名に込められし願いは復活。
アイアンシーの完成が未来を作るのならば,逆さ棺の解放は現在を取り戻す。
「そうか……久しぶりに確認したい,降りるぞ」
「お供します」
エレベーターを降り,メインタワーの地下へ。
その何層にもわたる広大な地下こそが逆さ棺。
その名前が意味するところは,一度見れば明白。
「私は中央部に行く,お前は少し待て」
「しかし,私が離れるわけには……」
「お前にも,ここに来るべき理由があるだろう」
その言葉に,僅かに部下が揺れる。彼も,否,この世界に住むすべての人間が奪われた大切なものが此処にはある。
「……感謝します」
その言葉と共に歩いていく部下を見送り,イズモは中心部に,正確にはそこに安置してある棺へと向かう。
逆さ棺──その場所に満ち足りるは生命の脈動,目に見えず,しかし確かにある気配がこの空間の色を決定している。その質はこのアルテアの,否,ヴェーガのどこにもこの場所ほどに命の気配に満ちた場所はない。
しかし,それこそはありえない。この世界にそんな気配が存在するはずもなく,この空間を占領しているモノが何であるかを認識していればありえない。
されど。
全体から見た広さでいえば僅かであるはずの中央部に安置された棺は,そういった理屈の全てを吹き飛ばす。
そこに安置された人物を表現するのに,ただ『眠り姫』という言葉以外に存在しない。
眠り続ける長い金髪の女性,その姿はまさしく天女。この世ならざる幽玄の美。
十を超える年月を眠りながらもその姿はいささかの衰えも見せず──それどころか,流れ出る気配のみでこの世界の呪いすら駆逐する。
「アリシア……」
常人には慮ることなど不可能なほどの質量をもって,イズモはその名を口にする。
彼女こそがアルテアの希望の象徴。アイアンシーの真なる核,その片割れ。
そして,イズモ自身にとっては。
『……イズモ様!!』
不意に通信機から,部下からの報告が届く。
『カグラ様がミスラ・グニスの性能試験中に隔壁を破壊!!ゲートに近づきます!!』
「何……?」
思わず舌打ちを漏らそうとするのをこらえ,とるべき手を模索する。
彼は貴重な戦力であり,この世界を担うことになる人材──人格に著しい問題はあるが──であり,必要以上に傷付けるわけにはいかない。そもそも警備隊では手も足も出ないだろう。ジンを出して共倒れにするのは最悪ともなれば,
「しかたない,私が出る。」
『は!!……しかし,イズモ様の機体は……」
「ノーマルグニスでいい。跳ねっ帰りに躾するのに我が剣を持ち出す必要もないだろう。やりすぎて『あの悲劇』を自らの手で繰り返すわけにもいかぬ」
「了か……なんだこれは!!」
安堵すら滲ませた部下の声が,驚愕の一色に染まる。
「どうした!?」
「次元ゲートが起動!!ミスラ・グニスが……たった今通過しました!!」
「何ぃ……!!」
次元ゲートはイズモの許可がなければ起動しない。それを介さず起動させたとなれば,考えられる可能性は一つ,彼ですら知らない裏口が存在する。そして,そんなものを仕込めるのは唯一人,
「ミカゲ……何を考えている!!」
憎々しげな声が,逆さ棺に漏れた。
*
空を夕焼けが包む頃になって,実習も殆どのグループがラストの空中散歩,つまりは展望台からのバンジージャンプを行おうとしていた。
アマタらの班も展望台へと到着しており,外を見れば何人もの人間が展望台の突き出た部分からロープを命綱に飛び降り,スリルを楽しんでいる。なるほど,デートのクライマックスにはふさわしいかもしれないが。
「アマタ君がこれでドキドキするなんて思えないよね……」
「よしんばしたとしても,私たちにじゃないと意味ないよ……」
機械のように調子を崩さないアマタに対し,女子二人には落胆の色が濃い。結局,アマタの腕輪は一回も反応せずに実習を終えそうであり,そのことが彼女らのプライドを傷つけた。
「やっぱり地道に好感度上げるしか方法ないのかな……」
「まあ,そっちの方が『自分』を好きになってくれたって感じがするし。出会った時から好きなんですなんて,使い古された漫画みたい。それよりも,『私』を見てほしい」
ゼシカの言葉には,これまで自分の行動の結果としての成果を手に入れてきたという自負があった。その言葉を聞き,ミコノが笑みを漏らす。
「ゼシカ……さっきから,アマタ君に好意を向けられる対象が貴方にもなってるよ」
「え!?ち,違……」
「いいって。私に遠慮しなくても。何となくそうなる予感したし。……なんだろう,むしろ嬉しいんだ。私の誇らしい友達が,同じ人を好きになったことが」
「だから違うって……」
赤面しながらも,アマタに聞かれていないか周囲を見渡すゼシカ。
周囲に彼の姿がなく,聞かれていないことに安堵して,気づく。
「……あれ,アマタは?」
「そういえば,展望台に入る前は後ろにいたと思ったんだけど」
二人で周囲を見回す。すると探し人は見つからなかったが,ドナール教官が早足で歩いているのを見つける。
「なんでここに……そういえば,教官はアマタを監視してるんじゃ」
彼は若干の焦燥をにじませながら職員用のドアを開け,上へと続く階段を上る。
ゼシカとミコノは顔を見合わせ,軽く頷くと,その背を追った。
*
アマタは一人,屋上に佇んでいた。
その能力を用い,外側からこの場所へと到達したのだ。
その視線は眼下に広がる夕焼けに染まる光景を見ながら,その実なにも映していなかった。
背後の扉が開く音で振り返ってみれば,ドナール,ミコノ,ゼシカの三人が屋上に侵入した。
「……教官に,二人とも。迷惑をかけた。すぐに戻る」
「それよりも,理由を聞かせろ。こんな場所に来ることは,お前のパーソナリティにそぐわない」
アマタの顔に,どこか自嘲するかのような笑みが浮かぶ。
「ここが,この場所が……俺の生まれた場所だから,というのは理由にならないか?」
「何……?」
「ここから見える風景も,だいぶ変わった。だけど,俺は思い出すんだ。あの時見た風景を。今と同じ,夕焼けに包まれた街を」
ドナールが問い詰める。
「お前の住民データに記された出生地は,この街ではないはず……今の言葉は,データの改ざんの自白と受け取っていいか?」
その言葉に,アマタは答えない。ただどこかうつろな笑みを僅かに浮かべる。
「……つれないなぁ。だったら私たちに教えてくれればよかったのに」
「そーだよ。私たちは内緒にしていたよ」
女子二人が,努めて明るい声を出す。
「生憎,それは無理だ。俺はついさっきまで確証はなかったし,この街の名前だってさっき知ったばかりだ。思い出したんじゃない,そもそも記憶していなかった。……さっき言った,この場所で俺が生まれたというのは,俺がこの街で生まれたって意味じゃない」
僅かに,息を吸い,
「俺はこの場所で,完成していなかったこの展望台の,その屋上で,人間として産まれたんだ」
──ノイズ交じりの記憶がよみがえる。
──今と同じ夕焼けが,大きくて,大きかったと覚えている。
──今まで何度も見たはずの,銀髪の彼女が,とてもきれいだったと覚えている。
──空っぽだった心に,何かが満たされたのを覚えている。
──それがなんだかわからなくて,だけど流した涙が暖かかったことを覚えている。
──『貴方は,何にもないなんてありえません』
──『貴方には翼がある。私と共に,どこまでも行ける翼が』
──『それでも,自分が存在しないというのなら,貴方の名前を作りましょう』
──『数多の空駆ける者──アマタ・ソラ』
──『それが貴方。私と共にある唯一の存在』
──その記憶が,今になって再生するのは当然だ。その記憶からの始まりこそが,彼にとって──なものであるから。
──そして,始まりの場所は,新たな因果を導き出す。
夕焼けを駆逐し,上空に光が満ちる。
それは世界を渡る門。無慈悲なる収穫者を迎える門。
されど,今日その門より来たりしは獣。満たされぬ渇望を抱えし者。
出現した赤い機体から屋上に飛び降りた影は,一直線にミコノを狙う。
もとより,獣はそれしか見えていない。
故にアマタは獣が飛び降りる直前にミコノに駆け寄り,獣を真正面から向かい撃つ。
獣は激突の寸前,急制動をかけて飛び退く。
そして,両者は初めて対面する。
アマタは獣の姿を見る。
赤い髪も,野生そのものの男。
絶望の予知で見たその男に,さしたる驚きもわかず,むしろ納得しかない。
カグラは男の姿を見る。
自らが求めし糞女との間に入る,うっとおしい男。
その男は血の匂いを纏いながら,自らは何も匂いを持たなかった。
そして。
両者が示し合わせたように口を開く。
「「お前は……なんだ」」