アルジェントウィッチーズ-AΠHENTO WITCHES- 作:kuuru
暗い雲が夜の空を覆い隠し、激しい雨が打ち付ける様に吹き荒ぶ。本来、空を埋めるはずの星の輝きの代わりに、稲妻が時折その暗闇の中に光を生み出し、その中に、幾つかの人影を浮かび上がらせた。雨に濡れる事も厭わず、空中を飛行するそれらの人影は、全て女性――それも年端の行かぬ少女ばかりであり、彼女達は悪天候の中、雨具の代わりに余りにそぐわぬ重火器を携えて、髪や服を身体に貼り付けながら暗い夜空を滑る様に飛び続けている。
だが、何より目に付くのは、彼女達の身なりである。上半身こそ、統一感は無いとはいえ、造りのしっかりとした軍服に身を包んでいるが、下半身に目を移せば皆、足を剥き出しにしている。そして、その足はまるで衣服の代わりと言わんばかりに、戦闘機を思わせるデザインの筒状の機械に挿入され、その先端、爪先に当たる部分で回転するプロペラのような物が、どうやら彼女達をこの高空に留まらせる原動力となっているらしかった。
そして、一際大きな雷鳴が轟き、耳障りな高音と共に、これまでで一番の稲光が黒雲を浮かび上がらせた。その瞬間、その中にいた「何か」が露わになり、雲を突き抜けて彼女らの前にその姿を現す。
それは、「人型」だった。頭・首・両腕・胴体・両足。シルエットを見ただけでも、人型であると容易に判断できるほど、それは人型としての基本的な要素を備えていた。唯一つ、それが人外に巨大である点を除いて。
「ネウロイとの接触を確認。散開して、囲んで仕留める」
だが、その巨大さに怯む事無く、短い黒髪の、サイドだけを肩まで伸ばした特徴的な髪型の少女が通信機を通じて指示を出した。それを契機にして、他の少女達が動き出す。うつ伏せの体勢で、滑る様に飛行する巨人に対し、並走する様に軌道を修正しながら取り囲み、一斉に安全装置が外された。
雷とは異なる光と音が、闇夜に鳴り響く。少女達の銃撃は殆ど照準も定められていなかったが、人体の数倍はあろうかという対象の巨大さ故か、まるで吸い込まれる様に多くの銃弾が命中した。しかし、一発一発が命を奪うに十分な威力を持っているにも関わらず、巨人は身じろぎ一つせず、着弾で生じる火花を纏いながら、まるで蝿でも払うかのようにその大きな腕を振り払った。
惑星の周りを周回する衛星の様に、巨人を取り囲んでいた少女達は、その突然の行動にも慌てる事無く、僅かに軌道をずらしただけでそれを回避して見せた。だが、巨人の動きはそれだけでは終わらない。それまでのうつ伏せの体勢から、何の予備動作も無く、巨人はその身を起こし、空中で「立ち上がった」。露わになった頭部の、人で言う所の顔面に当たる部分には、楕円形の、青い水晶の様な物が、まるで眼球の代わりの様に六つ、二行三列になって並んでいた。その青い水晶が、突如として赤色に染まる。少女達が光が収束するのを視認した瞬間、赤い光が閃き、その直線上にいた少女に襲いかかった。
しかし、確実に命中するはずの軌跡を描いていたその光は、少女の眼前で弾かれ、幾筋もの光条となって四散した。それが、さも当然の事象であるかの如く、彼女達は動ずる事無く引き金を引き続ける。やがて、集中砲火に全身を炙られる巨人の身体に、火線とも火花とも違う輝きが煌めいた。
『ネウロイ背部に《核》を確認』
通信機からノイズ混じりの報告が届く。それと同時に、これまで明確な照準を持たなかった少女達の攻撃が、一気に巨人の背中へと集中した。巨人の背部中央、着弾煙の中でもその存在を際立たせる輝きを大量の銃弾が貫き、巨人の身体は支えを失った様にがくりと折れ、結晶化し崩壊した。
朝焼けが、広大に広がる緑の絨毯を薄青に染め上げている。背の低い草は夜中に降り続いた雨水をたっぷりと蓄えて頭を垂れ、嵐の去った空は、晴れ掛けた雲が白とオレンジのコントラストを作り、朝の澄んだ空気で満たされた世界を照らし出していた。
だが、見渡す限り草原が広がっているかに見えたその場所に、一つ異様な部分があった。土が円形に盛り上がり、逆にその円の内側に当たる部分は掘り下げられた様に窪んでいる。遥か上空からの落下物の衝撃によって、土が吹き飛ばされて生じたその場所の中央には、人の身体ほどもある巨大な塊が、シートに覆われて外部からの視界を遮りながら鎮座していた。
その周囲を、幾人かの人間が慌ただしく行き交いながら、土壌の収集や落下物の調査を行っている。それを、円の縁で一人の少女が眺めていた。短く切り揃えられた黒髪を、サイドだけ肩まで伸ばした少女――竹井醇子は、自身が撃ち落とした物と、その落下によって生じた大穴を、静かに見つめている。しかし、彼女の静観は、突如として周囲に騒音を撒き散らしながら現れた、一機のヘリコプターによって遮られた。
その場にいた全員が、何の前触れも無く現れた乱入者に身構え、また或いは茫然とする中、その軍用ヘリは少し離れた場所に着地し、間髪入れずにその胴横に設えられたハッチが開き、二人の人物が降り立った。先陣を切って降りて来た初老の白衣を着た男性は、後に付いていた肩までの金髪の、眼鏡をかけた女性に何事か指示を出すと、真っ直ぐ竹井の方へと歩いて来る。
「君がここの指揮官かね?」
多少、身構える竹井に対し、男性は白くなった髭を蓄えた口元を大きく歪めて笑顔を見せ、人懐こそうな様子でそう言った。竹井は、金髪の女性が落下物の方へ向かって行くのを目で追いながら、その様子を見て僅かに緊張を和らげる。
「この現場においては、私が指揮を任されてますが」
それでも、相手の出方を窺う様な竹井の返答と、感情を読ませない無表情さに、男性は満足気な笑みを浮かべた。
「成程、君が『リバウの貴婦人』というわけか。聞いた通りの賢明な女性の様だ」
妙に嬉しそうに語る男性の様子に、竹井は眼前の人物が何故、自分の通り名を知っているのかという疑問も忘れ、僅かにその無表情を崩した。
「失礼ですが、あなたは……」
「おぉー、そうだったそうだった。世間話をしている場合では無かったな」
どれほど頭の中を検索しても、竹井は男性の顔に全く覚えは無く、已む無く相手の気に障らない様に慎重に、下手に出る様な口調で窺うと、男性は大仰な声と仕草で手をぽんと叩き、懐に手を差し込み束になった書類を取り出した。
「たった今よりこの場は、我々『モルグ』が貰い受ける。これが命令書だ、暇なら確認でもしてくれ給え」
「……は?」
男性の口から飛び出した余りに理解を外れた言葉に、冷静な竹井でさえ我を忘れ、普段の彼女からは想像も出来ない間の抜けた声を出して、硬直してしまった。茫然としたまま、半ば脊髄反射で差し出された書類を受け取り、それに目を通していくと、そこに書かれた更に信じ難い文面に、彼女の困惑は深まって行く。
そこには、彼女の属する連合軍第五○四統合戦闘航空団、その部隊の指揮権に関わるおよそ全ての立場の人間の署名が記されていた。即ち、この場の指揮権を、眼前の、誰とも知れない男性に与えるという事が、連合軍の意思である、と言う事だ。
「こ、これは一体……」
「先生っ!」
混乱したまま整理できない頭をフル回転させて、ようやく絞り出された竹井の言葉は、多分に喜色を含んだ女性の声に遮られた。思わず声のした方向に竹井が視線を向けると、金髪の女性が落下物に被されたシートの端をめくり、その一部が露わになっている。
「おお!」
竹井がその行為を咎める前に、今度は男性が大きな声を上げた。その声音は女性のそれ以上に弾んでおり、またその表情はまるで、ずっと欲しかった玩具を手に入れた子供の様に華やぎ、無邪気な輝きをその瞳に湛えていた。
「素晴らしい! 遂に手に入れたぞ!」
握り締めた両拳を振り上げ、ガッツポーズを取る男性の姿に、最早、竹井は口を挟む事さえ出来なかった。
「完全な……ネウロイの『頭部』を!!」
何故、そんな物を手に入れてそこまで喜ぶのか、いくら考えても理解出来ぬまま、竹井はひたすらにはしゃぎ続ける男性を見つめることしかできなかった。
全ての物を塗り潰してしまう様な、深い闇が広がる廊下に、一つの足音と、懐中電灯の明かりが蠢く。その人影は、慎重な足取りで廊下を進んでいたが、やがて一つの扉の前で立ち止まった。頼りない懐中電灯の光に照らし出されたその扉には、「NOGUCHI」と書かれたプレートが掛っている。その人物は躊躇い無くドアノブに手を伸ばし、施錠されている事を確認すると、懐から取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。開錠音がして、扉が開くようになると、人影は周囲を警戒しながら開いた隙間に身体を滑り込ませ、ゆっくりと、音を立てない様に扉を閉めた。
廊下と同じ、或いはそれ以上の闇が埋め尽くす室内を、懐中電灯の光が舐める様に動き回る。その明かりの中に見えた物に、人影が驚いた様に身を固くした。
浮かび上がったのは、人骨標本・人体模型・様々な人体部位の解剖図。特に、人体模型の汚れて淀んだ眼球が、まるでこちらを見ているかのように見えて、人影はしばらく警戒する様に人体模型を照らし続けた。少し経って、ようやく人影が動き出し、余り広くは無い室内を物色する様に歩き回る。いくつかの机が並んだその室内は、設計図の様な図面や専門用語の盛り込まれた書類などが机上のみならず、壁面にまで貼り付けられ、驚くほどに散らかっていた。だが、それは荒らされた、という雰囲気では無く、ただ忙しさにかまけて置ける場所に物を置いて行った結果、という感じではあったが。
そんな室内を物色していた人影が、一つの机の前でその動きを止めた。他の机と同じ様に、書類やらが散乱したその机には、一つだけ、他とは異なる物があった。
写真。金髪で赤縁の眼鏡を掛けた女性と、癖の強い髪の毛を強引に纏めた様な髪型の青年が映っている、一枚の写真。人影は、それをしばらく眺め続け、ゆっくりと手を伸ばしてそれに触れた。
「マキ……」
消え入る様な呟きが、人影の口から洩れた。その瞬間、大きな音と共に扉が蹴破られ、驚いて振り向いた人影を、懐中電灯とは比べ物にならない光量が照らし出す。眩しさに目を細め、腕を翳して影を作る人影の眼前で、軍服を着た男達が数人、室内へと入って来た。
「タクト・カネシロ君だね」
その内の一人が、腕を翳したまま身動きの取れない人影に向かって言った。
「我々と一緒に来て貰おう」
言うが早いか、軍服を着た男達がタクトと呼ばれた人物を取り囲み、タクト・カネシロは為す術無く拘束された。
耳障りな、ヘリコプターのメインローターの回転音に耳を傾けながら、タクト・カネシロは自分がこの状況に置かれて、どれ程の時間が経過したのか思案していた。拘束された時点で目隠しによって視界は塞がれ、聴覚に意識を集中させて少しでも周囲の状況を拾おうとしたものの、耳に届くのは回転翼の風切り音ばかりで、彼を拘束した男達は、一人の人間が時間の間隔を失うほどの長い間、一言も喋る事無く、恐らくはほとんど身動きする事も無く、空中散歩に勤しんでいるらしかった。ただ、彼らがどういう人間か、タクトはある程度の予想は付いていた。恐らくは、軍の諜報部か何かなのだろう。何しろ彼が忍び込んだのは、軍の研究所なのだから。
余り考えない様にしていた、「この後自分がどうなるか」という点について思考が及び、タクトが冷や汗をかきはじめた所で、ヘリコプターの挙動に変化があった。体重が椅子に乗った臀部にかかる感触があり、足元の接地感が大幅に増す。少し訝しんで、徐々にメインローターの回転数が落ちて行くのに気付いて、タクトはようやくヘリが着陸したのだと思い至った。一体、ここが何処なのかと、タクトが考えるよりも先に、これまで全く動く気配の感じられなかった周囲の人間が一斉に動き出し、ハッチが開放され外気が室内に流れ込んで、しばらくぶりの土の匂いがタクトの鼻をくすぐった。
「降りたまえ」
タクトの隣に座っていた男が、腕を掴み上げて立ち上がる様に促す。それに従い、足元を探りながらタクトが地面に降りると、目隠しが外され、開き切った瞳孔が光に晒され、目が眩んで多少ふらついた。しかし、彼の目に飛び込んできたその光は太陽のそれではなく、人工的な光、照明の物であった。目が慣れて、周囲に視線を巡らせると、無機質に周囲を取り囲み、外部からの侵入を拒んでいるであろう、高く頑丈そうな塀が目に入る。その塀は見る限り、相当に広い範囲を囲んでいる様に見えたが、今タクトがいるその内側には、寂れた倉庫の様な建物が一つと、物置の様な掘立小屋がある以外に建造物は見当たらなかった。
ここは一体何処なのか、そして何故自分がここに降ろされたのか、タクトが思案に暮れていると、倉庫の扉が大きな軋みを上げながら開き、中から二人の人物が現れる。
「ようこそ、モルグへ!」
その内の一人、白衣に身を包んだ初老の男性が、周囲一帯に響くのではと思えるほど、大きく、堂々とした口ぶりでそう告げた。周りの男達が一斉に敬礼する中、タクトはその発言の意図を測りかね、暫しの間茫然としていた。が、その男性の後ろに隠れる様に立っている、金髪の女性の姿を目に留め、にわかに我に返る。
「マキ……?」
信じられない物を見た様に、タクトがそう呟くと、それが聞こえたわけでは無いだろうが、女性はタクトの視線を拒む様に目を伏せた。
「一体どういう事なんだよ、マキ!」
スチール製の、同じ形のロッカーがずらりと並ぶ、男性用更衣室に、タクトの怒声が響き渡った。その大きな声に、金髪の女性、マキ・アガタは、身を竦ませて僅かな怯えをその顔に滲ませる。
「何で俺が、ノグチ博士の助手って事になるんだよ」
「……博士の研究、機密事項だったから。信頼できる人を探して、その都度引き抜いてたの」
苛立ちを露わにしながら、用意されていた白衣に着替えるタクトを見ながら、マキは遠慮がちに言った。
「だからって、いきなり拉致るとか、滅茶苦茶だろ」
「でも、タクトは博士の事を色々調べたりしてたし、こうでもしないと、本当に軍に攫われちゃうかも知れなかったから」
「だから、それはお前が全然連絡が付かなかったからじゃないか!」
激昂と共に、タクトの拳がロッカーの扉にめり込んだ。鈍い音が部屋中に反響し、マキは思わず身を震わせる。
「こっちは心配して、何度も連絡したのに! 研究所詰めだったって、何なんだよ!」
正面切って、真っ直ぐに怒りをぶつけてくるタクトに対して、マキは悲しそうな表情を浮かべて、何を言い返すでもなく目を伏せ、下を向いた。だが、その反応はタクトの怒りの炎に、油を注ぐ結果となる。
「黙るなよ! そうやってちょっと都合悪くなると、すぐに何も言わないで下向いて! 言いたい事があるなら、ちゃんと言えよ! 言わなきゃ分からないだろっ!!」
より音量を増したタクトの怒声に晒されながら、それでもマキは顔を上げず、相手の視線から逃れる様に下を向いたまま、何も言い返す事は無かった。それを見て、タクトはポケットに手を突っ込み、そこから小さな箱を取り出してマキに見える様に差し出した。
「どうせ、誕生日のプレゼント、渡したって何も言わないんだろ!」
そう言い捨てると、タクトはその箱を手近なゴミ箱に投げ捨て、そのまま部屋を出て行ってしまった。後に残されたマキは、ゴミ箱と、タクトが出て行った扉に交互に視線を向け、泣きそうな顔をしたまま、その場に佇んでいた。
タクトが連れてこられた施設の本体とも呼ぶべきは、錆びついた倉庫を入り口として、その地下にあった。上物からは想像も付かないほど綺麗に整えられた廊下は白く清潔で、円形の階層が数層に渡って重なっている。そして、その円の中心部は吹き抜けになっており、壁面がガラス張りになっている廊下からは、どこからでもその中にある物を見る事が出来た。
その廊下を、タクトは苛立ちを隠そうともせずに歩いていた。すると、ガラスの向こうにある物を無心に見つめている白髭の男性――ノグチ博士の姿が目に留まり、思わず歩を止める。
「おお、準備が出来た様だね、タクト・カネシロ君」
しかし、夢中している様に見えたノグチは、意外にも目聡くタクトの存在に気付き、たっぷりと口元に蓄えた白髭を大仰に動かしながら、人懐こく微笑んで見せた。それに対しタクトは露骨に視線を逸らし、傍目にも明らかなほど、嫌悪感を露わにする。だが、ノグチはそれを意に介さず、タクトに近付いてその肩を叩いた。
「君の事は、マキ君から良く聞いていたよ」
「……僕も、博士の事は聞いた事がありますよ。とてもCrazyな方だと」
皮肉たっぷりのタクトの台詞に、それでもノグチは笑みを崩さず、それどころか愉しそうにくつくつと笑い声を洩らした。
「気違い結構。そうでも無ければ、こんな研究出来やせん」
そう言って、ノグチは再びガラスの向こうに目を向けた。それを追って、タクトも視線をそちらへ向ける。
そこには、一体の巨人が横たわっていた。だが、それは「人型」と呼ぶには余りにも歪だった。人体の外観において重要な要素である左右対称を、それは全く守るつもりが無いかの様に、腕も、足も、左右で明らかに形が異なっていた。更に、その全身は正に継ぎ接ぎだらけで、出来の悪いパッチワークの様なその身体は、まるで小説の「フランケンシュタインの怪物」その物の様に見える。それこそが、ノグチの研究成果であった。
「だが、この研究の為に、マキ君の時間を独占してしまった事は謝ろう」
諭す様なノグチの口調に、タクトは顔を顰めた。本来、不満を向けるべき相手に素直に謝罪の意を示されてしまい、彼の感情は遣る瀬無く彷徨う。
「今日の実験が成功すれば、研究は一段落だ。そうしたら、二人でゆっくり話し合うと良い。言葉は溝を埋めてくれる」
自分達の関係を掻き乱した張本人に、まるで心を見透かされているかの如く、適切な言葉をぶつけられて、タクトは何も言えずに黙ったまま、同じ様に静かにその身を横たえる怪物を見つめていた。
「……成功すると、思っているんですか。あんなネウロイの継ぎ接ぎが動くと」
「継ぎ接ぎでは無い。これでいいのだよ。あれは器でしか無い。意思を持った金属、それが作り出す積層構造、そしてその隙間に織り込まれた、無数のワイヤー。それは即ち、筋肉と神経だ。一致するんだよ、人体とね」
徐々に熱を帯びてくるノグチの説明を聞きながら、タクトは怪物から目を離さなかった。怪物の頭部には、人体で言う眼球がある部分の右目の側にだけ、目の様な物が存在している。しかし、そこに何らかの生命、或いはそれに準ずる様な生体活動は微塵も感じられず、全身の至る所に取り付けられた電極は、まるで心臓の止まった人間に電気ショックを与えて蘇生させようとしている様で、タクトにはそれが成功するとは到底思えなかった。
しかし、今、彼の眼前にいる狂人は、成功すると心から信じている。最も、それ自体は、タクトにとってはどうでもいい事だった。彼はただ、マキ・アガタがノグチの考えに賛同し、彼女もまた、この実験の成功を信じている一人であるという事、そしてこの実験を、自分との逢瀬よりも優先していたことが許せないだけなのだ。同時に、それが子供染みた嫉妬でしかないと判断できるだけの頭脳を持った彼は、その苛立ちを発散する事も出来ず、拳を握り、何時しか物言わぬ怪物を睨みつけていた。
「君には、電圧を安定させる作業を任せたい。軍の整備兵なら、機械には強いだろう?」
そんなタクトの内心を知ってか知らずか、ノグチは話を切り上げ、タクトの肩をぽんと叩いて廊下の先へ歩き出した。
「好奇心と探求心、そして行動力。マキ君を探し出した君の執念に期待する」
左手を軽く上げながら去って行くノグチの背中を見ながら、タクトは最後にガラスの向こうの怪物を一瞥し、ノグチが歩いて行った方向とは逆の方へ向かって歩き去った。
唸りを上げて、巨大な発電機が活動を開始した。一つ、二つ……そしてそこに設置された全ての発電機が動き出し、圧倒的な電力が生み出される。
「一号機から四号機、電圧安定。伝導率、予測範囲内」
眼前に並べられた、発電機のあらゆる情報を示す計器の数々と睨み合いながら、タクトは耳に取り付けたインカムに向かって状況を伝えた。それは、怪物の眠る実験室の壁面に沿って数か所設置されたブース全てに伝わり、それを受けて、各所の動きも慌ただしくなる。
『了解。パルス電流、頭部へ流入を開始』
『流入確認。金属体の反応を確認』
怪物の身体が、正に人間の身体に微弱な電流を流した様に、ビクビクと僅かな痙攣を始めた。それと同時に、その表面に素人目にもはっきりと分かるほど、変化が現れる。
『金属体の表層部が液状化し、表面の欠損個所を自己修復しています』
報告をする研究員の声は、信じられないという思いと、それを上回る興奮が込められ、若干上ずっていた。勿論、それは一人に限った事では無い。この実験の経過を見ている全員、当初は興味を示さなかったタクトでさえ、今起こっている事象にはある種の興奮を隠せなかった。
見る見る内に、継ぎ目だらけでぼろぼろだった怪物の表皮が、液化した金属によって整えられていく。その様子に研究員達が見惚れていると、インカムからつんざくような、ノグチの笑い声が響いた。
『素晴らしい! 素晴らしいぞ!! やはり仮説は正しかった。電気信号を伝えるワイヤー、それに反応する意思金属、そして、損傷部位の自己修復! 紛れも無く、生物!!』
両手を振り上げて、ノグチは全身でその喜びを表現していた。そしてその隣で、そこまで極端ではない物の、確実に歓喜を共有しているマキの姿をガラス越しに見て、タクトは一瞬の高揚も忘れ、それどころか例えほんの一時でも、実験の成果に目を奪われていた自分に腹が立ち、唇を噛んで下を向いた。だが、それでもその際、目の端で捉えた計器の異変に、彼は敏感に反応した。
「――出力低下! 電流、実効値を下回ります!」
燃料計以外の針が瞬く間に数値の低下を伝え、思わずタクトは発電機本体へ目を向けた。しかし、発電機に異常は無く、焦る様に慌ただしくなったインカムから伝わる音声が、彼の意識をすぐに引き戻す。
『すぐにキャパシタの予備電源に切り替えろ! 大至急だ!』
『五から八番までの予備電源を起動。実効値に達し次第、切り替えを行います』
飛び交う怒号の様な指示に耳を傾けながら、タクトも慌てて発電機の回転数を上げる。しかし、発電機が発する音量が増すばかりで、出力の低下が止まらない。
「発電機、出力上がりません。電圧、更に低――」言い掛けて、タクトは思わず言葉を止めた。「い、いや、電圧上昇。実効値に戻ります」
先程までとは逆の方へ動き出し、元の値を示す計器を見て、タクトは胸を撫で下ろした。しかし、その安堵も一瞬で終わり、次の異変が彼らを襲う。
「電圧、更に上昇? 最大値を上回ります!」
『予備電源じゃないぞ! 大き過ぎる!』
悲鳴染みたノグチの叫びが、耳に突き刺さる。
『実験中止! 全回路切断、ケーブルを切り離せ!! このままでは――』
ノグチの言葉を遮る様に、実験室に爆発音が響いた。発電機が火を噴き、ケーブルの継ぎ目の金属部分からは雷の様な火花が散っている。タクトのブースにあった計器類は針が振り切れ、過剰な電流を流された怪物の身体は、人間がそうである様に大きく痙攣し、繋がったままのケーブルがそれに伴って、まるで蛇の様にうねっていた。
『フランクが、死ぬ―――!!!」
ノグチの悲鳴が、まるで切っ掛けだったかの様に、うねるケーブルが弾け飛び、実験室内にいた研究員達の身体を引き千切った。ケーブルは強化ガラスで覆われていたブースに襲い掛かり、衝撃で倒される中、タクトはマキとノグチのいたブースにケーブルが突き刺さるのを見た。
それとほぼ同時に、これまで火を噴きながらも何とか稼働していた発電機が遂に爆散し、研究所全体の照明が落ちた。僅かなタイムラグの後、非常灯の赤い光が点灯し、実験室が赤黒く照らし出される。その中でタクトは身を起こすと、真っ先に、マキの安否を確認しようと、彼女のいたはずのブースへ目を向けた。
それは惨憺たる光景であった。ケーブルが強化ガラスを突き破り、中の機材が滅茶苦茶になっている。タクトは必死に人影を探すが、最初に目に入ったのは、ケーブルを押し退けてふらふらと出てくる、男の姿。
「フ、フランク……フランク……」
ノグチは何かに憑かれた様に、「フランケンシュタイン」を文字って付けた、怪物の呼び名をうわ言の様に呟き続けた。覚束無い足取りでフランクに近付くノグチの姿を追ううち、タクトは押し退けられたケーブルの隙間から、探し求めた女性の姿を見つける。
「マキ! 大丈夫か、マキ!?」
幸いにも、タクトのいたブースのガラスは破られていなかったが、それは逆に、彼をマキの元へ行かせない足枷となっていた。もどかしさをぶつける様に、タクトは届いているのかも分からない呼びかけを続ける。やがて、彼の声が届いたのか、暗い中でもはっきり分かるほど、マキが体を動かすのをタクトは見た。
そして、その瞬間、彼の視界は再び覆い隠される。
「なっ―――!?」
思わず仰け反るタクトの眼前で、怪物が突如、その身を起こす。巨人の胎動に建物全体が悲鳴を上げる中、起き上がったフランクの頭部が天井に達し、施設が一気に崩壊を始めた。
「生きている! フランクは生きてるぞぉ!!」
狂気の喜びに身を震わせるノグチの姿が、崩れ落ちる瓦礫に飲み込まれた。そして、フランクはまるで、何かを探す様にふらふらと、天井に頭をつっかえさせたまま動き回り、マキのいるブースへ手を伸ばす。
「や、止めろ! 止めろぉぉぉぉ!!」
あらん限りの叫びを上げて、タクトはひび割れたガラスを叩いた。だが、フランクの手がそこに達するよりも先に、限界を迎えた施設の天井が崩落する。フランクがまるで踏ん張る様に手を付いて、圧し掛かる重量に耐えた後、夥しい閃光が全てを覆い尽くし、それを最後の記憶として、タクトは意識を失った。
夜空には雲一つ無く、零れ落ちそうな程、沢山の星が競う様に輝きを放っていた。その様子を、ぼやけた視界で捉えながら、タクトの意識はゆっくりと覚醒して行く。
「うぐっ……が……」
まず、実感したのは猛烈な、気を失ってしまいそうな程の全身の痛み。妙に遠近感に乏しい視界に違和感を感じ、左目に手をやると、ぬるりとした感触が手に伝わるのみで、左目は触れた感覚すら無く、最早痛みさえ感じていない有り様だった。左手で顔を抑え、僅かに身体を動かしただけでも気が遠くなるほどの激痛に耐えながら、仰向けになっていた身体を何とか起こす。周囲を見渡すと、そこは地獄の様相を呈していた。
原形を留めないほど崩れた建物。地下に数層に渡って建造されていた研究所は、最下層からの強大な力によって全て吹き飛ばされ、僅かに残された部分がその階層構造の名残を晒しているに過ぎない。タクトにいた最下層は崩れた瓦礫に埋め尽くされ、発電機から洩れた燃料に引火したのか、所々から炎が噴き出ていた。
「……マキ」
だが、それらの惨状に気を向けるでもなく、タクトはふらふらと立ち上がり、うわ言の様に彼の恋人の名前を呟いた。瓦礫に足を取られながら、歩ける場所を探して彷徨い、やがて彼の耳は、足元に人の声を捉えた。
「フランク……フランク……」
それは、ノグチ博士であった。全身を瓦礫に押し潰され、辛うじて災厄から逃れた頭部は空を向き、そこに見えているであろう夜空へ向かって、彼は自身の研究成果の名を呼び続けていた。
「教えてくれ……お前の名前……生まれた場所、話す言葉……何でもいい、お前の事を……」
傍らに立つ、タクトの姿にさえ気付かず、ノグチはただ空を見つめ、そう呟き続けて、やがてがくりとその首を折った。死を悼むかのように、タクトは目を細めてその最期を見届け、再び、瓦礫の間をたゆたい始める。
やがて、巨大な瓦礫の前で、彼は足を止めた。その瓦礫の下からは、小さな肌色がはみ出し、タクトは愕然とした表情でそれを見つめ続けていた。
それは、手だった。細く、白くて綺麗な左手。その薬指には、この惨状の中でも輝きを失っていない、飾り気は無いが、質素で美しい指輪が嵌められていた。
「……分からないよ、マキ。お前、何時も何も言わないから」
その指輪は、タクトが彼女に用意した物だった。誕生日の贈り物にと用意して、渡そうとしても彼女と連絡が付かなくて。そしてようやく会えたと思ったら、喧嘩して、そしてゴミ箱に捨ててしまった、指輪だった。
「何かしてあげたって、デートしたって、何も言わないから、楽しいかどうか、分からないじゃないか……嬉しいなら嬉しいって、悲しいなら悲しいって、ちゃんと言ってくれなきゃ、分からないよ……マキ」
タクトの残った右目から、ぼろぼろと大粒の涙が零れた。流れ落ちた涙が、指輪に当たって弾ける。タクトは蹲り、そして、抑える事無く、大きな声を上げて泣いた。その慟哭は誰に届く事も無く、少しだけ反響して、そして穏やかな夜空へと消えて行った。
次回
Phase02:死と少女と