アルジェントウィッチーズ-AΠHENTO WITCHES-   作:kuuru

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Phase03:少女と決意と

 扶桑皇国海軍航空母艦『赤城』は、数隻の駆逐艦の護衛を従えながら、目下大西洋を北上していた。『赤城』には坂本や、芳佳も乗艦しているが、無論この艦隊は彼女達を運ぶ為だけでは無く、ブリタニアへの補給任務も担っている。

 その『赤城』の狭い通路を、芳佳は視界を塞いでしまう程、うず高く洗濯物が積み上げられた籠を抱えて、ふらふらと歩いていた。余りの危なっかしさに、道中数人の乗組員が助力を申し出るが、その度に芳佳はそれを断りながら、覚束無い足取りで看板への道を進んで行く。が、遂に、通路の継ぎ目に爪先を引っ掛け、頓狂な悲鳴と共に、その小さな身体は地に倒れてしまった。

「あーあ……」

 物が物だけに、大きな音はしなかったものの、通路一面に散らかってしまった洗濯物を見て、芳佳は痛みも忘れて、暫し茫然とその光景を眺めてしまう。とはいえ、呆けていても事態は好転しないと気合いを入れて、手近に落ちている物からかき集め始めた。芳佳が手元に夢中していると、突然、視界の外から纏められた洗濯物が差し出されて、彼女は驚いて、顔を上げて上を見た。

 その視線の先には、芳佳よりも若干、年齢が上に見える、一人の下士官の少年が立っていた。少年は、何枚かの洗濯物を差し出したまま、厳しい視線を芳佳へ向けている。

「あ、ありがとうございます、富田さん」

「……いえ、別に」

 芳佳はそれを慌てて受け取ると、愛想の良い笑顔で礼を言うが、富田は表情を崩さず、素気無い返事を返すだけだった。手ぶらになった富田は、そのまま何も言わず、硬質な足音を立てながら、通路の奥へと姿を消す。

 富田と言う男は、大体この様な男であった。遠目に見ている限り、他の乗組員達に対しては、ここまで無愛想では無いのだが、芳佳に対しては何時もこの通りで、芳佳が艦内に馴染んでからも、それは一向に変わる様子が無い。その後ろ姿を暫く見つめて、芳佳は気落ちした様に下を向き、短い溜息を吐いた。

「宮藤」

 芳佳が散乱した洗濯物を集め終わった頃、坂本がやって来て、そう声を掛けた。坂本は芳佳の暗い表情を見ると、少し怪訝そうな顔をする。

「どうした、何かあったのか?」

「い、いえ、何も無いですよ」

 慌てた様に笑顔を取り繕って、一見すると何時も通りにはにかむ芳佳の様子に、坂本は勘ぐる様な目を向けるが、すぐに表情を変え、何処か悪戯っぽく笑った。

「宮藤。その用事が終わったら、少し付き合ってくれるか。見せたい物がある」

「え? あ……分かりました」

 見た事の無い坂本の表情に、芳佳は少し驚きながら、戸惑いがちにそう返事をした。それに満足そうな顔をして、坂本は「また後でな」と言い残し、その場を立ち去って行った。

 

 

「これが……」

 それを見た時、芳佳の口を衝いて出たのは、感嘆とも、驚きとも取れる声だった。今、芳佳の眼前にある物は、航空母艦『赤城』の、甲板の真下にある格納庫の中に鎮座し、照明の光を反射して、その存在感を訴えている。

「そうだ、これが『ストライカーユニット』。宮藤博士が作り上げた、私達、魔女の、魔法の箒だ」

 同型の機体が二台、並んで置かれている台座を眺めながら、坂本は誇らしげにそう言った。

「これが無ければ、我々とて、ネウロイに対抗する事は出来なかった。お前の父は、人類の救世主と言っても過言じゃない。誇るべき、父親だよ」

 言いながら、坂本は懐から一枚の写真を取り出すと、それを芳佳に手渡した。戸惑いがちに芳佳が受け取ったそれには、生前の宮藤一郎、完成したストライカーユニット、そして、若き日の坂本の姿が映っている。

「お父さん……」

「博士には、私も随分お世話になった。感謝しても、し切れるものではないな」

 そう言って、坂本は苦笑いを浮かべた。それに釣られる様に、芳佳もはにかむ。

「お父さんは、どんな感じでしたか?」

「ん? そうだな……」坂本は、少し考え込む様な仕種をした。「まぁ、少し変わった所もあったかな」

 言い辛そうな坂本の様子を見て、芳佳も苦笑う。

「『ストライカーユニットは、戦争の道具じゃない』と、口癖の様に言っていたよ。今となっては、博士がどういう意図で、そう言っていたのかは、分からなくなってしまった」

 何処か遠くを見る様な目で、坂本はストライカーユニットを見ながら、懐かしそうにそう言った。芳佳は、写真に目を落とし、色褪せたその写真に写る、父親の姿を指でなぞる。その様子を見て、坂本は満足気に目を細めた。

「その写真は、お前が持っていると良い」

「え……」芳佳は、坂本の意外な言葉に驚いて、顔を上げる。「で、でも、坂本さんの大事な物じゃ……」

「気にする事は無い。その写真は、恐らく博士が最後に撮った写真だから。博士も家族に持っていて貰う方が、嬉しいだろう」

 坂本にそう言われて、芳佳は再度、手元の写真に目を落とした。笑顔で写真に写っている、在りし日の父親の姿を暫く見つめ、やがて、芳佳は破顔する。

「……やっぱり、いいです」

 そして、彼女は写真を坂本へ返した。坂本は意外そうな顔をしてその写真を受け取り、笑顔を浮かべたままの芳佳を見返した。

「いいのか? 別に気を遣う必要は無いんだぞ?」

「いいんです。だってお父さん、全然変わってないんですもん」苦笑して、芳佳は言った。「それに、ちょっと嬉しかったんです。私達だけじゃなくて、坂本さんにも、お父さんが大事に思われてたんだなって」

 芳佳の言葉を聞いて、坂本は驚いた表情をした。が、心底嬉しそうに笑う芳佳を見て、すぐに表情を崩して、柔らかく笑う。

「……そうか、分かった」

 そう言って、坂本が写真を懐にしまった時であった。

 けたたましいサイレンの音が、艦内に大音響を響かせる。芳佳は思わず、その音量に驚いて耳を塞いだ。それを尻目に、坂本は一転して厳しい表情になり、格納庫の壁に設置されている伝声管へ駆け寄る。

「こちら坂本。何があった?」

『ネウロイです。二時の方向、間も無く接触します』

 伝声管越しにも、緊張感が伝わる声が響いた。それを聞いて、坂本は苦虫を噛み潰した様な表情になる。

「何故、気付かなかった」

『申し訳ありません、雲の中を移動していた様で……』

「迂闊だったな。だが、過ぎた事は仕方ない。航空機部隊を大至急出撃させろ。私も、ストライカーユニットで出る」

『了解』

 短い返事を最後に、伝声管からの声は途絶えた。それを確認すると、坂本は収納されたままのストライカーユニットに近寄り、その状態を確認し始める。

「さ、坂本さん……」

 その様子を見て、不安に耐え切れなくなった様に、芳佳は怯えた声を発した。坂本は振り返ると、その気持ちを察したかの様に、他人を安心させる様な、朗らかな笑みをその顔に浮かべる。

「どうした宮藤。情けない顔をするな、それでも扶桑の撫子か?」

「でも……」

 不安そうな顔で自分の事を見つめてくる芳佳の様子に、坂本は肩を竦めた。そして、おもむろに芳佳の方へ近寄ると、その耳元の髪を掻き上げ、耳穴に何かを挿し入れる。

「これは……?」

 芳佳が不思議そうに耳に手をやると、硬質な感触が指先に触れた。

「通信機だ。これがあれば、何時でも私と話が出来る」坂本は言った。「だが、だからといって、些細な事で使わない様にな。使うのは、本当に非常時だけ。いいな?」

 坂本は、母性さえ感じさせる様な、包み込む様な笑顔になって、芳佳の肩に、優しく手を置いた。そして、芳佳の表情から怯えた雰囲気が消えて行くのを見て、景気付ける様にぽんと、軽く彼女の肩を叩く。

「宮藤、医務室の場所は分かるか?」芳佳が頷くのを見て、坂本は言葉を続ける。「戦闘が終わるまで、そこにいるんだ。余程の事が無い限り、出るんじゃないぞ」

 最後に「分かったか」と坂本が付け加えると、芳佳は大きく首肯した。それを見て、坂本は満足そうな顔をし、早く行く様に促す。それに従って、芳佳は格納庫を後にしようとするが、出口の所で立ち止まって、坂本の方を振り返った。

「坂本さんも、気を付けて下さいね」

 芳佳の言葉を聞いて、坂本は一瞬、きょとんとした後、大口を開けて豪快に笑い出した。

「言われるまでも無い。私を誰だと思っている」

 坂本の力強い返事を聞いて、芳佳は安心した様に頷くと、今度こそ格納庫を出て行った。芳佳の足音が遠ざかって行くのを聞きながら、それが聞こえなくなると、坂本は一転して厳しい表情になり、物言わず一部始終を眺めていた、自身の『魔法の箒』へ視線を向けた。

 

 

 坂本が言う様に、今回、扶桑艦隊がネウロイの接近を許したのは、些か迂闊であったと言える。『赤城』の艦内では、艦載機の発進準備、或いはネウロイの迎撃準備に大わらわであったが、それに比して、艦橋内は幾分落ち着いていた。

「二時の方向、ネウロイを視認しました」

 双眼鏡を覗いていた、副長の樽宮が、雲の切れ間から姿を現した、黄色い体色の人型を見止め、言った。それを聞いて、甲板上で蠢く艦載機の様子を見ていた、艦長の杉田は振り返り、樽宮から渡された双眼鏡を覗き込む。間も無く、レンズ越しに遭遇した敵の姿を見つけると、杉田は双眼鏡から目を離し、肉眼では黄色い点程度にしか見えないそれを睨み付けた。

「ブリタニアまで、もう少しだと言うのに……」

 悔しげに歯噛みしながら、杉田は呟いた。何しろ、現在、艦隊が航行している場所から、目的地であるブリタニアの基地までは、時間にしておよそ半日。これまでの一か月に及ぶ長い行程からすれば、最早、目と鼻の先と言っても過言ではない距離なのである。ここまで何事も無く進めていただけに、まるでゴール直前に転倒してしまったマラソンランナーの如き苦渋を、杉田は味わっていた。

 とはいえ、運に完全に見放されたわけでもない。時間さえ稼げれば、第五○一統合戦闘航空団の援軍も、十分期待が持てる位置ではあった。

「艦長、坂本少佐です」

 樽宮に呼び掛けられ、杉田は伝声管へ近寄った。

「少佐、今、何処に?」

『格納庫です。戦闘機の状況は?』

 杉田は、ちらりと甲板の方へ視線を向け、その様子を確認した。

「間も無く出れる」

『了解しました。私が先に出ます、甲板を空けて下さい』

 それだけ言って、坂本からの反応は途絶えた。とはいえ、この場に坂本の言葉を信頼しない者はおらず、艦長含め、全員が坂本の指示通りに動き始める。

「甲板空けろ! 坂本少佐が出るぞ!」

 伝声管に向かって大声が飛ぶと、ややあって、甲板上を動いていた戦闘機が、波が引く様に艦後部へ下がって行った。そして、それを見計らった様に、甲板の、やや前よりに設けられた昇降機がせり上がって来る。そこには、ストライカーユニット『零式艦上戦闘脚二二型甲』を装着し、機関銃の九九式二号二型改と、一本の扶桑刀を携え、今まさに出撃せんとする坂本の姿があった。昇降機が停止すると同時に、その足元に、巨大な魔法陣が光り輝く。そして、魔導エンジンが咳き込む様に排気し、その先端の呪符発生器に、増幅された魔力が呪符を形成、高速で回転を始めた。

『坂本美緒、発進するぞ!』

 坂本が装着した通信機が、その檄声を捉えると同時に、彼女を乗せたストライカーユニットが動き出す。それは、瞬く間に甲板から飛び立つと、すぐに方向をネウロイの方へ向け、飛び去って行った。

 杉田は、それを確認すると、再び伝声管に手を掛ける。

「航空機隊、発進急げ! 坂本少佐を一人で戦わせる気か!」

 その指示を受けて、甲板上の戦闘機が慌ただしく動き始めたのを見て、杉田は坂本が飛び立った方向に視線を戻した。

「死ぬなよ……」

 彼方で火線が走るのを見て、杉田はそう呟く。転倒から立ち上がり、ゴールを駆け抜ける事が出来るか、それとも走行不能になってリタイアしてしまうか、彼らは今、その分水嶺に差し掛かろうとしていた。

 

 

 青と白のコントラストを、赤い一閃が切り裂いた。人一人、赤子の手を捻るよりも容易に蒸発させるだけの熱量を持つそれを、坂本は自身の軌道を少し右にずらしただけで回避して見せた。お返しとばかりに、そのまま擦れ違い様に銃弾を叩き込む。それらは全て、吸い込まれる様にネウロイへと命中するが、致命傷どころか、ネウロイは当たってさえいないかの様に、平然と進行を続けていた。

「足止めにもならないか……」

 坂本は高度を上げつつ旋回しながら、背中越しにネウロイの様子を確認して、忌々しげに呟く。そのまま上を取る様に動き、彼女はにわかに、その右目を覆う眼帯に手を掛けた。

 その瞬間、ネウロイの光線が坂本を襲う。が、直撃寸前で、彼女を守る様に現れた光の壁がそれを遮り、坂本はその場から離脱した。

 これこそが、ストライカーユニットが、ネウロイに対抗出来る、有力な戦闘兵器たらしめる要因である。

 魔力を持つ少女、魔女は、ストライカーユニットの助けを得る事で、その魔力をより適切にコントロールする事が可能になる。それによって、本来特別な訓練を受けなければ発揮出来なかった、身体能力強化や防御魔法といった技能を、訓練無しで使用する事が出来るようになるのだ。

 その中でも、坂本の装着している物は『飛行脚』と呼ばれ、坂本が魔法の箒と評した様に、魔力と引き換えに、魔女に飛行能力を与える代物であった。飛行にはある程度の訓練が必要ではあったものの、その機動力は通常のレシプロ戦闘機を遥かに上回り、現在までに確認されている、個体全てが飛行能力を有するネウロイに対して、機動力で対抗出来る、唯一の兵器なのである。

 ネウロイの放つ、赤い光線を回避しながら、坂本は眼下に見えるそれに向かって、急降下した。攻撃をぎりぎりで捌きながら、交差ざまに引鉄を引く。そのまま海面すれすれまで降下し、再度上昇。ネウロイの進行方向に並行する様に進路を取った。

「くそ、近いな」

 視線の先に、編隊を組んで航行する艦隊の姿が見え、坂本は思わず舌打つ。既に坂本の位置から、艦の種類まで判別出来る程、ネウロイと艦隊の距離は縮まってしまっていた。

『坂本少佐、御無事ですか』

 その時、坂本が耳に付けた通信機から、ノイズ混じりの声が聞こえた。それを聞くと同時に、坂本は再び高度を上げ、弧を描いて旋回する。眼下を数機の戦闘機が飛行して行くのを見て、彼女は安心した様に笑った。

「来たかっ」

 思わずそう呟いた瞬間、ネウロイの光線が、編隊飛行をしていた戦闘機隊に襲い掛かる。部隊は編隊を崩して難を逃れると、そのままネウロイを取り囲む様に動き始めた。

「敵の攻撃が激しい。注意を引いて、隙を作ってくれ」

『了解!』

 戦闘機乗り達は、坂本の指示に対してそう返すと、ネウロイを中心にして散開しながら、一定の距離を取って、まるで衛星の様にその周囲を動き回る。ネウロイは明らかにそれに気を取られ、まるで人間が蝿や蚊の羽音を聞いて、その所在を探すかの様に四方八方へ頭を向け、目に付いた戦闘機へ当たらない攻撃を続けていた。

 その様子を見て、坂本は少し離れて滞空し、先程外しかけた眼帯を改めて捲った。その下にある右目は薄紫に発光し、左目とは明らかに異なる雰囲気を湛えている。

 これは、坂本が持つ、固有魔法『魔眼』であった。その能力は、双眼鏡を上回る超長距離の視野を彼女に与えるだけでなく、ネウロイとの戦闘において、より重要な効果を発揮する。

「……見えたっ」

 坂本はその右目で、ネウロイの胸部に輝く《核》を見つけた。ネウロイの体内に潜む、人間で言うなら心臓とも言うべきその存在を、表皮の上から見つけ出す。言わば、ネウロイ限定の透視能力とでも言うべきこの力は、発現と同時に、それまで大火力の殲滅戦が最善とされてきた、対ネウロイ戦法を一変させた。特に、撃破に必要な火力を大幅に抑える事が可能になった為、総火力に乏しくなりがちな、飛行脚による一撃離脱戦法の有用性が増し、その機動力と相まって、魔女の死亡率を大幅に下げた事は、扶桑以外の国でも坂本の知名度を増す事に一役買っている。

 そして、坂本は勝利への道筋を見出し、眼帯を戻した。本来、航空魔女の基本戦術は二機編隊であり、単独での戦闘を行う事はまず無い。それは、主流である一撃離脱戦法に上手く合致した事、各機の相互支援がし易く、状況に応じて編隊を組み替えたり、二機編隊二組の四機編成による戦術など、応用が利いた事も理由ではあるが、不足しがちな火力を補う事が大きな理由であった。

 ネウロイは、外見は全て同一であるが、そのサイズについては大小様々な個体が確認されている。小さい者は人間の大人と同程度の大きさから、大きい者になると十メートルを超える場合もあった。

 今、坂本が対峙しているのは、体長約五メートル程。平均サイズに比べ、それなりに大型に分類される大きさで、航空魔女一人の火力では打倒は厳しいと言えた。だが、戦闘機隊に上手く援護させればその限りでは無いし、何より彼女には背中に背負った扶桑刀がある。扶桑刀に魔力を付加し、敵を一刀の元に切り裂く。それこそが坂本の本領であり、強さであった。

 《核》さえ露出させる事が出来れば良い。そう意識して、坂本は機関銃を構え直す。

 その瞬間、それは起こった。

 ネウロイが、突如として急上昇する。何の予備動作も無く起こったその動きに、戦闘機隊の反応は遅れ、軌道上にいた一機が体当たりで破壊された。そして、自身を取り囲む様に動いていたそれらを置き去りにし、いとも簡単に上を取ったネウロイが放った光線が、まるで戦闘機を追尾する様に、横薙ぎに海を割った。

 瞬く間に、数機が爆散。あっという間に残り二機になった戦闘機隊は、それでも抗う様に上昇し、敵に追い縋る。が、息つく間も無く、ネウロイは、今度はノーモーションで横滑りし、二機の進行方向を、その巨大な体躯で塞いでしまった。

 青い空を、赤い爆煙が染め上げる。正に瞬殺という言葉が相応しい、あっという間の出来事に、流石の坂本も茫然とするしか無かった。

 しかし、それも一瞬。

 脱出する間も無く、圧倒的な力で粉砕された戦闘機の破片が、ばらばらと海面へ落下して行くのを見て、坂本は銃を握る手に力を込めた。そして、弾かれた様に動き出し、何事も無かったかの如く、進行を再開したネウロイへ、猛然と向かって行った。

 

 

 タクトは、ぼんやりと、清潔感のある病院の天井を見つめていた。その行為に彼の意思があるわけでは無く、ベッドに横たえられ、自然と天井が目に入るだけの事ではあるのだが、とにかく彼は茫然としたまま、まるで廃人の様に、する事が無ければ一日中だって、白い天井を見つめていた。

 既に、タクトが意識を取り戻してから三日が経過していた。看護師の話によると、彼は運び込まれて約三週間、眠ったままだったらしいので、あの忌まわしい事故からはほぼ一カ月が過ぎた事になる。兎にも角にも、タクトは目覚めてからの三日間、食事と下の世話をして貰う時、身体を拭いて貰う時以外は寝たきりで、静かな時間を過ごしていたが、どうやら今日は少し様子が違った。扉が開き、数人の男達が入って来る。一人は白衣を着たタクトの主治医で、後二人、軍人らしい男達がいた。

「容体は安定していますが、精神的な傷が深いと思われます。話をするのは結構ですが、状況次第では、すぐに止めさせて頂きますので、ご了承下さい」

 医師はそう告げると、部屋から出て行った。残された二人の男達は、医師がいなくなるのを確認して、年上らしい男がタクトの寝ているベッドの脇へ身を寄せる。

「タクト・カネシロ君だね」

 声を掛けられて、タクトは視線だけ動かして、男の姿を視界に入れた。年齢相応に皺の刻まれた顔は、落ち着いた雰囲気を醸し出し、彼がそれなりの立場にいる人間であることを窺わせる。袖章を見ると、ブリタニア空軍中将の階級章が見えた。

「突然で済まないが、少し話をさせて貰っても構わないかな?」

 タクトが僅かに首を動かして頷くのを確認すると、中将は手近にあった椅子を引っ張って、それに腰掛けた。

「君は、実験体《EX-1》の研究に参加していたね」

 タクトは再び、首肯する。《EX-1》とは、ノグチ博士が『フランク』と呼んでいた、あのネウロイの正式名称であった。ブリタニア軍の上層部が関わっていた事実を、タクトは改めて確認したが、最早彼はそれに何の感慨も抱かない。

「あの日は、《EX-1》の起動実験があるはずだった。だが、モルグのあった場所には大きな穴が空いているだけで、《EX-1》の姿も無い。何があったのか、覚えているかね」

 中将は、タクトの顔を覗き込む様に、少し前のめりの姿勢になった。タクトはその眼をしばらく見つめた後、ゆっくりと口を開く。

「……覚えていません。《EX-1》が突然動き出し、光に包まれて、気が付いたら倒れていました」

「ふむ」

 タクトの説明を聞いて、中将は少し考える様な素振りを見せた。

「《EX-1》は、確かに起動したんだね?」

「……はい」

「突然起動した原因に心当たりは?」

「……実験中、電圧が不安定になり、その直後に動きましたが、関係は分かりません」

「何故、電圧が不安定に?」

「……分かりません」

「《EX-1》が、何処へ消えたか分かるかい?」

「……分かりません」

「《EX-1》は、起動した後、何をしたかな?」

「…………奴は」

 タクトの脳裏に、惨劇の映像がフラッシュバックする。

「ノグチ博士を踏み潰し……」

 全身の汗腺が開いた様に汗が吹き出し、呼吸が荒くなって行く。

「マキを……奴は、マキを」

 フランクが、マキの方へその歪な腕を伸ばす映像が、鮮明に蘇った。タクトは瞳孔の開いた目を見開き、過呼吸の様に荒い吐息が部屋に響く。

 だが、その回想は、甲高い機械音に遮られた。中将が驚いた様に顔を上げると、扉が開き、医師と看護師が慌ただしく入って来る。医師が中将に何事か話している中、看護師がタクトに注射器を打ち込み、そのまま彼は、深い眠りへと落ちて行った。

 

 

 駆逐艦隊の応戦空しく、ネウロイの放った光線が、駆逐艦『雪風』を貫いた。装甲を溶かし、鉄板を貫いたそれは、わずか一撃で、巨大な戦艦を爆破炎上たらしめ、『雪風』は炎に包まれる。

 それを、遥か上空から見届けた坂本は、歯軋りしながら、背中の扶桑刀を引き抜いた。そして、砲撃を物ともしないネウロイへ向けて、一直線に降下する。刀へ自身の魔力を集中させ、ネウロイ胸部に見えた、《核》へ狙いを定め、乾坤一擲、その気合いを以って、刀が振るわれた。

 が、その一撃は届かない。ネウロイは、まるで危険を察知したかの様に、左腕を掲げて坂本の刀を受け止めた。

「ぐっ……!」

 腕を半分ほど切り裂いた所で、それ以上刀が動かなくなる。坂本は咄嗟に刀を引き抜き、シールドを展開すると、ネウロイの攻撃が、光の壁に弾かれて四散した。

「しまった!」

 だが、坂本は安堵する間も無く、自身の失態を悟る。幾重にも分かれてしまった光線は、行き場を失ったかの如くに彷徨い、その威力も勢いも損なう事無く、残った扶桑艦隊へと降り注いでしまった。そして、旗艦たる『赤城』が被弾し、坂本の脳裏には、艦内にいる一人の少女の姿が思い浮かぶ。

「宮藤っ」

 坂本が短く叫ぶと同時に、『赤城』の甲板で爆発が起きた。

 

 

 様々な薬品や器具が収納された、硝子戸の戸棚が、振動でかたかたと音を立てる。巨大な爆音の後、幾許かの時を経て、少し落ち着いて来た『赤城』艦内の、医務室の中で、質素なベッドに腰掛けながら、芳佳はまるで、自分で自分の身体を抱きしめる様にしながら、遅い来る不安に身を震わせていた。何度も耳の通信機に手を伸ばすが、その度に、坂本からの返事が無かったら、という恐怖に押し負けて、芳佳はただ、状況が好転している事を祈り、一人孤独に佇んでいた。

 しかし、医務室の扉が大きな音を立てて開き、二人の人影が転がる様に入って来て、その祈りが通じなかった事を、芳佳は実感する。

「ああ、宮藤さん。ここに避難していたんですね、良かった」

 そう言って、一人の青年が笑った。佐々木と言う名の、一般兵の青年は、精悍な顔を油か煙かで真っ黒にしながら、右腕でもう一人の青年を抱える様に支えている。ぐったりとした様子で佐々木に身を預けるその人物は、芳佳も良く知る人間であった。

「富田さん……?」

 芳佳が驚いた様に呟くと、それが聞こえたのか、富田が顔を上げて、その何処か澱んだ視線と、芳佳の視線が交わった。

「済みません、ベッドを空けて頂いても構いませんか?」

 佐々木に言われて、芳佳は慌ててベッドの上から退いた。佐々木がベッドに富田を仰向けに寝かせると、肩口から胸にかけて、流血で真っ赤に染まった衣服が露わになり、腕を滴った血液が、白かったシーツを汚して行く。富田が苦しげに呻き声を上げるまで、芳佳はまるで時が止まったかの様に、茫然とその様子を眺める事しか出来なかった。

「あの、富田さん、大丈夫なんですか?」

「出血さえ止まれば、大丈夫でしょう。宮藤さん、そこの棚から、消毒液と包帯を、出して貰っても良いですか?」

 不安げな芳佳の問い掛けに対し、佐々木は手際良く、富田の衣服を剥いで、傷口を露出させながらそう言った。しかし、芳佳は戸棚へは向かわず、横たわる富田へ近付く。

「宮藤さん?」

 疑問を投げ掛ける佐々木を余所に、芳佳は富田へ向けて両手をかざすと、何事かに集中する様に目を閉じた。何をするつもりかと、佐々木だけでなく富田も注目する中で、芳佳の身体はやがて薄く光に包まれ、頭部から犬の耳、そして臀部には尻尾が生える。

「治癒魔法……?」

 芳佳の身体を包む光が、やがて、徐々に富田の傷口へ集まって行く様子を見て、佐々木は驚いた様に、小さく呟いた。芳佳はそれに応えず、なおも集中し、富田の怪我の治癒を試みる。

 だが、間も無くそれは中断された。富田が、自身の身体にかざされた芳佳の手を、動く右手で掴み上げる。突然の事に、魔法は中断され、芳佳の耳と尻尾は引っ込み、芳佳はただ驚いた様な顔で、富田の顔に視線を向けた。

「あ、あの、私、簡単な治癒魔法なら使えるんです。だから……」

 その行動を、自分の未熟さ故に止められたのだと受取り、芳佳はしどろもどろに説明をした。が、明らかにそれとは違う、富田の憎悪とも言える表情を見て、思わず言葉を詰まらせる。

「あんた、魔女なのか!?」富田の怒声が、医務室に響き渡った。「ならどうして、こんな所にいるんだ!」

 芳佳の腕を掴む、富田の手に力が籠り、それに呼応する様に、塞がっていない傷口から、どろりと血が溢れ出る。

「と、富田さん、血が」

「俺の事なんて良い!」

 叩きつける様な富田の言い様に、芳佳は怯えた様に身を竦ませた。

「今、坂本少佐は一人で戦っている。なのに、あんたは戦える力があるはずなのに、こんな所で何をしているんだ!」

 食ってかかる様に、怪我の痛みも厭わず、身を乗り出して猛る富田の様子に、芳佳はひたすらに圧倒され、口元が小刻みに震えているのを感じた。

「私は、その……銃を持った事も、無いですし」耐え切れなくなって、芳佳は富田から目を逸らした。「それに、戦争は、嫌いで」

「お前が、ここでつぐんでいる間に!」

 だが、逸らした視線は、富田の怒号で強引に引き戻される。

「その間に、何人死んだと思っている!」

 苦しげに掠れた富田の言葉に、芳佳の身体は硬直した。ずっと、心の何処かで楽観し、そして目を背けていた現実を、まざまざと知らしめられて、芳佳は言葉を失い、立ち竦む。

「寄越せ! お前の力、使わないなら俺に寄越せよ! 畜生、俺にその力があれば、畜生……!」

 言いながら、富田の身体からがくりと力が抜け、芳佳は茫然としながらも、反射的に、倒れそうになる富田を支えた。ぐったりとした様子の富田の姿に、一瞬最悪の事態も頭を過るが、辛うじて感じられた心臓の鼓動が、彼が一命を取り留めている事を知らせる。

「痛みで気絶したみたいですね。人間の身体は良く出来てる」

 気を失った富田を、再度ベッドに寝かしながら、佐々木は冷静に言った。そのまま、彼は戸棚から必要な物を取り出し、てきぱきと止血と応急処置を行う。それを、芳佳は手伝う事も出来ず、脇で茫然と眺めている事しか出来なかった。

「……富田の家はね、軍人一家なんですよ」

 やがて、一通り治療が終わる頃、佐々木が口を開いた。

「富田にとっては、戦争は好き嫌いで語る物じゃない。父が死のうが、兄が死のうが、それはお国のために、当然の事なんです。だから、こいつはきっと、戦争を嫌いだと言うあなたを、許さないでしょうね」

 淡々と語る佐々木の様子は、比較的、愛想のいい人間だった、いつものその様子を余りにかけ離れていて、芳佳は言葉を挟む事も出来ず、ただ黙ってその言葉を聞き入れる。

「でもね、宮藤さん。今、坂本少佐が一人でネウロイを足止めしています。それでも、あなたが何も感じないと言うなら、自分もあなたを軽蔑しますよ」

「でも、この艦には戦闘機もたくさん……」

 突き放す様に、視線を逸らしたままの佐々木に対し、芳佳はようやく、絞り出す様にしてそう言った。それを聞いて、ようやく佐々木は、芳佳の方を見る。だが、その表情は冷たく、その視線はまるで呆れた様であった。

「戦闘機隊? そんな物、とうに全滅しましたよ」そして、佐々木は投げ槍に言った。「駆逐艦『雪風』、『谷風』は大破、『初風』、『天津風』、『浦風』は動力部に被弾し航行不能、残った『浜風』もいつまでもつか」

 それを聞いて、芳佳は足から力が抜ける様な感覚を味わった。ふらふらと後退り、壁まで下がって、それを支えにしてようやく体勢を維持する。

「宮藤さん、これが、あなたがこの医務室で、目を瞑っている間に起きた事です。ここはもう大西洋の真っただ中、欧州なんです。平和な扶桑じゃない。これが現実です」

 芳佳はずるずると、壁に身を預けたまま身体を崩し、へたり込む様にして座り込んだ。佐々木は、それに構わず、医務室を出て行こうとする。が、扉から身体を半分、出した所で立ち止まった。

「……もし、あなたが、何でもいいから出来る事をやろうと思えたら、甲板へ来て下さい。富田の様な怪我人が、何人もいるはずですから」

 振り向かず、それだけ言うと、佐々木は部屋を後にした。その足音が遠ざかり、恐らくは駆逐艦の物と思われる、砲撃音だけが、遠くの花火の音の様に室内に響く様になっても、芳佳は糸の切れた操り人形の様に、茫然と、蹲ったまま佇んでいた。

 だが、やがてその視線がベッドの上で眠る富田の姿を捉え、それを見て、何かを決意した様に、彼女は立ち上がる。そして、手近な鞄に包帯や消毒液を詰め込むと、それを持って、芳佳は医務室から走り出て行った。

 

 

 坂本のストライカーユニットが、雲を引く。それを散らす様に、坂本の身体が一瞬前まで存在した場所を、ネウロイの赤い光が貫いた。

「そうだ、もっとこっちを狙って来い!」

 坂本はネウロイの様子を見ながら檄した。しかし、その思惑とは裏腹に、ネウロイは坂本の存在に興味を失った様に、足元の艦隊へと、標的を移す。先程から露骨に、人の多い艦隊の方ばかりを狙うその様子に、坂本は舌打った。まるで、付き纏う蝿を追い払う程度にしか自身が相手にされない事と、既に五隻の駆逐艦が行動不能にされた事で、苛立ちが募って行く。

「そういう習性でもあるのか……?」

 このネウロイのこれまでの行動を思い返して、坂本は呟いた。戦闘機隊が到着した時も、ネウロイは坂本を半ば無視し、すぐにそちらに標的を移していたし、今も、執拗に攻撃を仕掛ける坂本には構わず、既に攻撃能力をほぼ失った艦隊へと固執している。これまでのネウロイの行動に関する研究では、この様なケースは報告されていないが、冷静になってみると、人の多い方向へ向かって行くという行動原理に、納得できる部分はいくつかあった。

「こっちを、向けぇ!」

 気合一閃、一六勝負の刃を、坂本は振り切る。しかし、ネウロイはこれも腕を盾にして、その脅威から《核》を守り抜いた。だが、坂本は止まらない。こちらに気を向ける気が無いのならば、そうせざるを得ないまで、止まる事無く攻撃を続けてみせる、その気迫で、坂本は第二撃を加えんと、愛刀を振り被った。

 その瞬間、ネウロイと、目が合った。

 そう感じた。

 即座に、坂本はシールドを張る。それを自覚する間も無く、次の瞬間には、猛烈な力で坂本の身体は弾け飛んだ。本能で危険を感じ取り、滑空して高度を下げつつ、即座に体勢を整える。

 ネウロイの目は、戦艦では無く、なおも間違い無く、坂本の姿を、見下げる様に捉えていた。咄嗟に、身体を捩る様にして、坂本は回避行動を取る。

 刹那、赤い光が、坂本の僅か数十センチメートル脇を通過し、そして、坂本は自身の判断ミスを知った。

 ネイロイの放った光が海を割る。その直線上にいた、最後の駆逐艦『浜風』を嬲った。一瞬の後、爆発。『浜風』は、操舵が利かなくなったのか、大きくその進行方向をずらし、まるで吸い寄せられる様に、旗艦『赤城』の方へと寄って行く。逃げる様に『赤城』も進路をずらすが、それも空しく、『浜風』の艦首が、耳障りな轟音と共に、『赤城』の右舷前方へ突き刺さった。やがて、艦全体が軋むような音と共に、『赤城』と『浜風』はその動きを止め、二隻の軍艦は、海原で推進能力を失い、孤立した。

 

 

 芳佳が目覚めた時、最初に感じたのは、口中に広がる鉄臭い味であった。最も、それが口内の出血に拠る物なのか、鋼鉄同士の摩擦によって、舞い散った鉄粉に拠る物なのかさえ、分からない程、茫然としながら、彼女は身を起こし、定まらない視点を巡らせて、周囲の様子を確認した。

 そこには、惨憺たる光景が広がっていた。どうやら、ここは坂本と話した格納庫であるらしかったが、壁面は破壊され、その代わりに、滅茶苦茶にひしゃげた、駆逐艦の艦首と思しき物が、めり込む様にして突き刺さっている。それは、時折軋む様な、嫌な音を立てており、否応無しに、それを見る人間の不安を煽っていた。

 だが、芳佳にとって、視線を奪う物はそれでは無い。その鈍色の中に、ちらほらと、異質な色が混ざり合う。それは、無愛想な鉄の色とは対照的な、鮮やかな赤。そこでは何人もの人間が、押し潰され、切り裂かれて、その末路を晒していた。その周囲では、数人の人間が、慌ただしく動いて、生存者の救出に躍起になっている。その惨状に、芳佳は身体の震えさえ起きず、まるで違う世界の光景を眺めている様に、脱力して焦点の合わない視線を、ただそこに向けていた。すると、芳佳の姿に気付いた様に、一人の下士官がやって来る。それは、先程医務室で別れた、佐々木であった。

「大丈夫ですか、宮藤さん」

 声を掛けられて、芳佳はようやく、首だけを動かして、頷いた。佐々木は、芳佳の身体に目立った怪我が無い事を簡単に確認すると、その脇に打ち捨てられた、消毒液や包帯を詰め込んだ鞄を見て、目を細める。

「……すいません、自分が言ったせいですね」

 後悔する様に唇を噛んで、佐々木はそう言うが、芳佳は呆けたまま、それに答える事が出来なかった。

「宮藤さん、恐らく、この艦はもう駄目です。間も無く退鑑命令が出るでしょう。艦尾に短艇がありますから、そこへ向かって下さい」

 佐々木は矢継ぎ早にそう言って、最後に「いいですね?」と念押ししてから、再び救助活動へと戻って行った。だが、芳佳はそれを見送り、気の抜けた様に、脱力し切った身体を壁にもたれさせたまま、眼前の光景に目を奪われるばかりであった。

 その心に去来するのは、呵責の念だったかも知れない。今の彼女には、それを判断する余裕さえ無かったが、ひたすらに頭を過るのは、坂本が一人で戦っていると言った、佐々木の言葉であった。

 あの時、彼は口にこそしなかった物の、きっとこう言いたかったのだろう。「お前が戦っていれば、誰も死ななかったかも知れない」と。それは勿論、どう考えてもただの希望的観測であったし、だからこそ佐々木も飲み込んだ言葉であったはずだが、今は、芳佳自身が誰よりも、そう思ってしまっていた。少なくとも、芳佳には現状に抗う力があったのに、個人的感情に流されて、それを行使しなかったのだ。もし、自分が逆の立場であったら、きっと自分は相手を恨んだであろう、そう思い知って、芳佳は自分の愚かしさを呪った。

 ふと、彼女は横に視線を動かした。それは、苛烈な現実から目を逸らしただけの行為かもしれなかったが、とにかく、芳佳は視線を横に向け、それを見た。

 それは、この惨状の中でも輝きを失わず、光源も無いのに、光を反射している様にさえ見えた。

 ストライカーユニット。坂本の予備機が、発進装置に載せられたまま、佇んでいるのを目にして、芳佳は、まるで語り掛けられたかの様に、一つの言葉を思い出す。

 

『芳佳、お前には、お母さんや、お婆ちゃんにも負けない、人を守れる大きな力があるんだよ』

 

 それは、かつて、父に言われた言葉であった。当時、幼かった彼女には理解出来なかった言葉が、時を超えて、芳佳の身体に、力を取り戻させる。ふらふらと、芳佳は立ち上がると、ゆっくりと、まるで彼女を待っているかの様に鎮座する、ストライカーユニットへと近付いた。

「宮藤さん、何をするつもりですか!?」

 それに気付いて、佐々木が前に立ちはだかった。

「坂本さんを、助けに行きます」

 間髪入れずに、そう答える芳佳を見て、佐々木の表情が青褪める。

「無茶です! 訓練もした事無いのに、戦うどころか、飛ぶ事だって出来やしない! 自分は、そういうつもりで言ったんじゃありません!」

 必死で止めようとして、佐々木は芳佳の肩に手を掛けた。しかし、芳佳はまるで子をあやす親の様に、優しくそれを押し留める。

「別に、自棄になっているんじゃないんです」そして、芳佳はどこか穏やかに言った。「ただ、少しだけ分かったんです。誰かを守る為には、後ろに退がるだけじゃ駄目だって言う事に」

 その様子を見て、佐々木は思わず言葉を呑んだ。そして、芳佳は、無抵抗になった佐々木の手を退かして、ゆっくりと、その横を通り過ぎて行く。打って変わって、決意に満ちた表情を浮かべる芳佳に呼応するかの様に、ストライカーユニットはきらりと輝いた様だった。

「敵を倒す為に戦うんじゃなくて、戦って、皆を守る為に。その為に、私は飛びます」

 そう言って、芳佳はストライカーユニットに手を触れた。その瞬間、彼女を中心に、光り輝く魔法陣が現れ、使い魔を顕す耳と尻尾が生える。その様子を、ただ眺めるしか出来ない佐々木に向けて、芳佳は全身に光を纏わせながら、力強い笑顔を見せた。

 

 

「右舷浸水、傾斜角、右舷へ二十度!」

「左舷の注水、限界です! これ以上は……!」

 艦橋では、被害報告、その対応に関する指示が、正に喧々諤々といった様子で飛び交っていた。その喧騒の中で、杉田は、後ろ手を組みながら、無表情に前を見つめていた。その目に映るのは、『赤城』の右舷にめり込んだ、駆逐艦『浜風』の姿であった。僅かに下唇を噛み締めながら、それを眺めていた杉田は、やがて静かに口を開く。

「限界だな」

 その一言は、ともすれば掻き消えてしまう程、小さな呟きだったが、艦橋内で慌ただしく動いていた人間達は皆、まるで予期していたかの様に動きを止め、その言葉を噛み締めた。その様子を確認して、杉田は続けて指示を出す。

「総員、退艦準備をせよ。怪我人の搬出を急げ」

 一瞬、遣る瀬無い空気が場を支配した後、乗組員達は慌ただしく動き出した。ある者は伝声管へ向けて唾を飛ばし、ある者は艦橋を飛び出して行く。その中で、杉田は身動き一つせず、感情の失せた目で、赤い光の飛び交う空を見上げていた。

「……『翔鶴』と『瑞鶴』がいれば」

 杉田はぽつりとそう呟いたが、今度は、誰にも届く事無く、その言葉は空気に消えた。

「艦長、行きましょう」

 樽宮に声を掛けられて、杉田は小さく頷く。しかし、名残惜しそうに、艦を一望できる窓から甲板を見て、杉田はある異変に気が付いた。

「誰がリフトを動かしている?」

 杉田が顔を顰めると、樽宮も何事かという様に、窓からその様子を確認する。見ると、甲板中央部に供えられた、先刻、坂本も使用した、格納庫に繋がるリフトが開いていた。もうもうと立ち上がる煙の中で、良くは見えない物の、彼らの眼前で、リフトがせり上がって来る。

 その中央には、どうやらストライカーユニットの発射台があるらしかった。しかし、坂本が出撃している今、それを使う者に心当たりが無く、杉田と樽宮は戸惑ったまま、状況も忘れて事の成り行きを見守るしか無かった。

「誰だ、あの娘は!?」

 やがて、煙の中に、見慣れぬ少女の姿が見え隠れして、杉田は思わず声を張り上げる。

「坂本少佐が連れて来た少女です! 名は確か……宮藤、芳佳」

 樽宮の言葉に、杉田は目を見開いた。

「宮藤……まさか、宮藤博士の娘か!?」

 そう叫ぶ杉田の眼前で、『赤城』の広大な甲板にさえ、収まりきらずに飛び出してしまう程の、巨大な魔法陣が輝きを放った。

 

 

 その様子は、坂本にも見えていた。『赤城』の上に、巨大な魔法陣が現れた瞬間、坂本はそれが芳佳に拠る物だと直感する。

「宮藤、何をする気だ!?」

 慌てて、通信機に向かって大声を張り上げる。暫しの雑音の後、その向こうから、ようやく返事が返って来た。

『坂本さん! 良かった、無事だったんですね』

 しかし、余りに予想外だった芳佳の言葉に、坂本は思わず言葉を失う。

「い、いや、私の事よりもだ。すぐにそこから離れろ、危険だぞ!」

 一瞬、ネウロイの事さえ忘れ、坂本は叫んだ。しかし、芳佳はそれにはすぐに応えず、やがて、まるで彼女の意思を示すかの様に、魔法陣が一層、強く輝いた。その意味を悟って、坂本は顔を顰める。

「止めろ、宮藤! 訓練もしていないお前に何が出来る!」

『何も出来ないかも知れないけど!』芳佳が叫んだ。『何もしなかったら、きっと私は一生、後悔します。そう思うんです』

 芳佳の訴えに、坂本は言葉に窮した。今、芳佳が持ち得た覚悟は、自分が安易な言葉で摘み取ってはいけない物だと、そう思って、彼女は慎重に言葉を選ぶ。

「……本気なんだな」

 そして、導き出した一言は、坂本にとっても予想外な程、肯定的な物であった。通信機越しに息を呑む様な気配が伝わって来るが、芳佳の魔法陣は、決して輝きを失いはしない。

『才能は、無いかも知れないんですけど』芳佳がゆっくりと言った。『私、お母さんやお婆ちゃんと同じ、人を助けられる力がある事、凄く嬉しかったんです。こんな私にも、誰かを守れる力があるんだって。でも、私は、きっと良く分かって無かった。守るって事は、とても大変な事なんだって言う事を』

 坂本は、黙って芳佳の言葉に耳を傾けていた。しかし、その口元には、抑え切れない喜びが、言い様の無い笑みを作り出していた。そして、何処か懐かしい物を目の当たりにした様な、柔らかな面持ちで、彼女は芳佳の想いを受け入れる。

「お前の覚悟、良く分かった」坂本は堂々たる言い振りで告げた。「来い、宮藤! その決意で以って、ここまで上がって来て見せろ!」

『はい!』

 言うが早いか、芳佳は発射装置から射出された機関銃を手に取った。大の男でさえ、容易く振り回す事の出来ないそれを、華奢な彼女が軽々と携えて見せるのは、その魔力の補助故に他ならない。そして、間髪入れず、ストライカーユニットが装置から外れ、芳佳は滑走路を走り出す。ぐんぐんと速度を増すそれは、長い『赤城』の甲板の、その先端まで、あっという間に差し迫った。

 だが、上がらない。芳佳は長い助走距離を終えてなお、重力に囚われたまま、勢い付いて海上へ飛び出した。手を伸ばせば、海面に触れてしまうほどの位置を、彼女は滑る様に動く。その様子を、ネウロイの注意を惹きながら、それでも誰より注意深く見ていた坂本は、発破を掛ける様に、一言、叫ぶのだった。

「飛べぇ! 宮藤―――!!」

 

 

 波飛沫がかかるほどの、海面ぎりぎりの滑空にも、不思議と芳佳は不安を抱かなかった。普通であれば、接触を恐れるはずの海面を見ても、陽光を反射する様が綺麗だと、そう思えるほど、彼女の心は落ち着いていた。

 芳佳は、飛べないはずが無いと思っていた。それは、自惚れや現実逃避の類では決して無い、唯一つの確信。

「お父さん」芳佳は、自分の足に着けられた装置に語り掛けた。「お願い、私に力を貸して」

 そして、その願いに応えたかの様に、魔導エンジンが一際大きく唸りを上げた。

『飛べぇ! 宮藤―――!!』

 坂本の声が聞こえて、芳佳は空を見上げる。

 陽光の中に、坂本の姿が浮かび上がった。その瞬間、大瀑布が巻き上がる。

 そして、水飛沫を切り裂いて。芳佳は飛んだ。

 高く、高く。

 太陽の真ん中へ。

 




次回
Phase04:決意と出会と
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