アルジェントウィッチーズ-AΠHENTO WITCHES-   作:kuuru

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Phase05:出会と憎悪と

 天頂近くにまで昇った太陽の光が、大地と大海に等しく降り注ぐ。それは「ストライクウィッチーズ」の基地の、白い壁に反射して、ドーバー海峡にその豪奢な姿を浮かび上がらせていた。基地のある、ブリタニア本島から満潮時には海中に没してしまう通路で隔てられた小島から、更に海上へ突出する形で設けられた滑走路を、宮藤芳佳と、リネット・ビショップの二人が疾走する。

「どうした、速度が落ちているぞ!」

 それを監督する、坂本美緒の檄が飛んだ。二人は息も絶え絶えな中、ようやく「はい!」と返事をすると、腕の振りを大きくして、どうにかしてようやく加速した。

「頑張ってるわね、二人とも」

「……ミーナか、珍しいな」

 その様子を、少し離れて観察していたミーナが坂本に声を掛けると、坂本は、普段は遠巻きに見守っている事の多い同僚が、今日に限って近付いてきた事に驚く。

「新人さんの来る日だから」

 坂本の表情を見たミーナが言うと、坂本は合点がいった顔になって、青と白のコントラストが美しい、青空を見上げた。

「そうか……もうすぐだったな」坂本は言った。「ラスト一本!」

 坂本が声を張り上げると、滑走路の先端まで走り終え、肩で息をしていた芳佳とリーネは、再び大声で返事をすると、今度は走り切ったばかりの滑走路を、逆走し始めた。最早、虫の息といったその走りぶりに、ミーナは思わず、小さく溜息を吐く。

「まだ厳しいかしら?」

「宮藤は、飛行のセンスはいいんだが……あれでは、戦闘が長引くと不安だな。最も、あいつは典型的な実戦型だし、そういう意味では、訓練次第でどうにでもなるだろう。むしろ、問題はリーネか。実戦で訓練通り出来る人間なんてそうはいないが、あそこまで実力を発揮出来ないとなると」

 明らかに速度の落ちた駆け足で、少しずつ近付いて来る二人を見ながら、坂本はそう言って、ミーナに倣う様に溜息を吐いた。教官としても、その手腕を評価されている彼女としては珍しく、坂本はお手上げといったばかりに肩を竦める。それは、彼女の正直な、リネットに対する評価でもあった。

 既に、坂本はリネットの能力に関して、これ以上の指導をする事に、躊躇いを覚えてさえいた。弾丸に魔法力を付与し、その弾道を安定させる固有魔法を操る彼女の、その射撃技術は高いレベルにあり、今は他人から何かを言われるよりも、自分なりのスタイルを確立させていく時期にあると、坂本は思っている。無論、それ以外の部分では、細かな面で指導するべき事は多々あるものの、こと戦闘技術に関して、最早、坂本はリネットに対して、口出しすべき事は無いと考えていた。

 だが、リネットは、実戦になるとからっきしであった。持ち前の射撃技術が発揮出来ないだけでなく、周囲との連携も取れなくなってしまうのだ。それは、新兵にありがちな、自己愛に駆られて、周りが見えなくなるというわけでは無く、むしろ、周囲に気を配り過ぎて、結果、自分の立ち位置が分からなくなっている、というパターンであった。こういうタイプは、一度、壁を乗り越える事が出来れば、指揮官として高い適性を発揮するが、どうやらリネットの目の前にある壁は、坂本が思う以上に高く分厚いらしい。しかし、これはあくまでリネット自身の問題であり、外野が口出しして解決出来る問題では無いのだ。坂本に出来る事は、彼女が解決の糸口を掴む事を期待しながら、ただひたすらに訓練を繰り返す事だけであった。

 坂本が、リネットの行く末に思いを馳せていると、最後の復路を終えた芳佳とリネットが、倒れ込む様にして、滑走路に寝転んだ。ぜいぜいと、離れていても聞こえる程の、大きな呼吸を二人は繰り返す。

「空戦は、体力的な負担が非常に大きい。この程度で音を上げていては、立派な航空魔女にはなれないぞ」

「す、すいません……」

 荒い息のまま、芳佳は何とかそう言ったが、傍から聞いていては、それは声なのか、息なのかの判別さえ困難で、それを聞いた坂本は、呆れた表情で溜息を吐くしかなかった。

 その時、はるか遠方から聞こえる風切り音を、坂本の耳が捉える。彼女は、顔を上げて、目を細めて遠くを見ると、青空の中に一点の黒を見出し、思わず呟いた。

「……来たか」

 坂本の一言を、ミーナはその意味まで理解した上で、芳佳とリネットは何事か分からないまま、多少の齟齬がありながら、三人は一様に、坂本の視線の先を追った。まるで、青いキャンバスに出来た、一点の絵の具染み程度にしか見えなかったそれは、数分と待たずに、その大きさとディテールを確認出来るまでに接近し、彼女らはそれが、戦車の輸送まで可能な、大型の輸送ヘリだと認識した。それに伴い、その巨体と、中身の重量を空中へ引き上げる為の、巨大なプロペラが空気を叩く音が、大音量となって四人の耳を襲う。芳佳とリネットが、余りの騒音に耳を塞ぐ中、ミーナと坂本は、徐々に高度を落とし、滑走路の中央に着陸せんとする、そのヘリの動きを見つめていた。

 ヘリの巨大な胴体を支える、車輪が大きな軋み音を上げて、地を踏み締める。ローターの回転数が落ち始めると、その胴体に設けられた引き戸のハッチが開き、中から数人の男が現れた。彼らは、ミーナと坂本に対して敬礼すると、ヘリの尾部に周り、作業に取り掛かる。

 そして、最後に、少し間を開けて、一人の男が降り立った。左半分が鮮やかなオレンジで、右半分は対照的に、喪服の様な黒に配色された、独特な「フューネラル」の制服に身を包んだその男の、制服同様、完全に左右非対称なその姿を見て、芳佳とリネットだけでなく、ミーナと坂本も、驚きを隠す事は出来なかった。しかし、彼は、そんな反応に構う事無く、右手を額の前に運び、敬礼をして見せる。

「本日付で、第五○一統合戦闘航空団に出向になりました。リウ・ソーマ少尉です」

「私が、隊長のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐です。まずは、歓迎するわ。ソーマ少尉」

 表情を取り繕って、ミーナは一歩前に出ると、同様に敬礼の姿勢を取って、にこやかにそう言った。

 その脇で、芳佳は、リネットと一緒に、慌てて立ち上がって姿勢を正しながら、リウの表情を窺い見る。不意に、リウが芳佳の方へ目を向け、お互いの視線がかち合うが、思わず表情を強張らせる芳佳に対して、リウは変わらぬ無表情のまま、値踏みする様に、淡々と芳佳と、その隣で同様に硬直しているリネットの姿を観察して、その視線をミーナの方へと戻した。

 その背後で、輸送ヘリの尾部に設けられた、跳ね上げ式の巨大なハッチから、相応に巨大な体躯が、その姿を現していた。一見、筋肉質にも見える、逆三角形の胴体。そこからは、人間の様に、二本の腕と二本の足が、左右対称に生えている。しかし、唯一、そして、決定的に人間の姿と異なるのは、頭部に当たる部位が存在しない事であった。まるで、斬首された人体の様な風体のそれは、どこか生物的な曲線を残すフォルムながら、穏やかな陽光の下でさえ、驚くほど無機質さを感じさせる、その鈍色の身体を、ミーナ達の前に晒していた。

「あれが……」

 それを見て、坂本は思わず、感動とも驚嘆ともつかない声を漏らした。それを聞き取り、リウは視線だけをずらして、坂本の方を見る。

「ご興味が?」

「まぁ、同じ戦線に立つわけだからな」

 言葉を濁しながらも、露骨に関心を示す坂本の言葉に、リウを除く全員の視線が、平均的なネウロイとほぼ同じサイズの、その機体に集中する。それは、まるで舞台俳優が観客の視線に応えるかの様に、陽光を反射してぎらりと輝いた。

「それは、またおいおいね」それを破って、ミーナが言った。「宮藤さん、リネットさん。悪いけど、十五分後に、ブリーフィングルームに集合する様、みんなに伝えて来て貰えるかしら」

「あ、は、はい。分かりました」

 芳佳とリネットが慌てて答えると、ミーナは優しく笑って「お願いね」と付け加えた。

「それじゃあ、ソーマ少尉は、私に着いて来て頂戴。顔合わせの前に、手続きだけ済ませておきたいから」

 ミーナに促されると、リウは無言で首肯した。そのまま、ミーナの後に着いて、歩き去って行くその姿を、芳佳はしばらく見送っていたが、リネットに催促されて、慌てて基地の方へと駆け戻って行った。

 最後に残った坂本は、未だ搬入作業の続く、物言わぬ巨人の姿を、厳しい表情のまま、ただ見つめていた。

 

 

 遡る事、数日。リウ・ソーマが、その時いた場所は、比較的、第五○一統合戦闘航空団の基地と似た様な風景の場所であった。その小島は、人の足でも、半日もあれば十分に一周出来てしまう程の広さしか無かったが、無人島である為か、そこで生活していると、実際の大きさよりも大きく感じる様な島であった。その南側の海に面した、猫の額程の広さしか無い砂浜のすぐ先の崖の上に、一軒の寂れた洋館が建っている。その、古めかしいバルコニーに置かれた、対照的に真新しいロッキングチェアに身を預けて、リウは手にした紙の束に、ゆっくりと目を通していた。

 そこに書かれているのは、フューネラル、統合戦闘航空団、そしてネウロイについての、一連の資料であった。一九一四年の第一次大規模侵攻、その後、小規模の攻撃を繰り返した後、一九三九年の第二次侵攻。ガリア、カールスラントが陥落し、撤退した魔女を中心とした、統合戦闘航空団の結成。更に、複数存在する航空団を統制する為のフューネラルの設立。その簡潔な経緯と、現在までに判明している、ネウロイの特性。そして、彼の行く先である、第五○一統合戦闘航空団の、そこに所属する魔女達の一覧。これらは全て、病室で出会った、謎の男が持って来た物であった。

「何故、お前はこんな事をする」

 手元から目を離さず、リウは、少し離れた場所で、同じ形のチェアに腰掛けている、男にそう聞いた。

「おいおい、今更、そんな事を聞くのかい。順番が逆じゃないのかねぇ」

 男は、これまで彼が、リウに対して見せていた態度と、変わらぬ様子のまま、何時も通り、何処か勿体ぶった口調で答える。最も、この質問に関しては、リウ自身も明確な回答を期待していたわけでは無く、むしろ予想通りの返事が返って来た事に安心しながら、彼は紙を一枚、捲った。

「お前との契約を、反故にするつもりは無い」

「そう、重要なのはそこさ。これは契約なんだよ」男が言った。「ギブアンドテイク。いい言葉だと思わないかい? 僕は君に、唯一無二の機会を与える。君は、僕との約束を果たす。それ以上でも以下でも無い、とても簡単な事さ」

「言っている事は分かっている。だが、信用出来ない」

 ようやく、手元の紙から目を離して、リウは男の方へ視線を向けた。しかし、男はリウの方を見る事は無く、ただリラックスした様子で腰掛けながら、ゆらゆらと椅子を揺らして、水平線へと視線をたゆたわせている。

「……何が不満なんだい?」

「お前の、本当の狙いは何だ? 俺に新しい名と、復讐の場を与えて、それでお前が得られる物は、一体何なんだ」

 リウが一息に言うと、男は肩を震わせて、僅かに笑う素振りを見せた。

「信用が無いねぇ。これだけの事を、してあげたのに」

「これだけの事をしているからだ。得られるメリットと、釣り合っているとは、とても思えない」

 リウの言葉に、男はすぐに応えなかった。静寂が周囲に満ち、海岸に打ち寄せる、波の音だけが、この島にいる、ただ二人の人間であるリウと男を包み込む。男は、その波の音に耳を傾け、充足した様に、調子はずれな鼻歌を鳴らしながら、脇に置いてあった無愛想な紙袋に手を伸ばした。がさりと、紙袋とその中身が擦れる音がして、男が手を上げると、そこには赤々とした、林檎が携えられている。いつぞやの病室と同じ様に、男はそれをおもむろに口元へ運ぶと、豪快に、丸ごと齧り付いた。波の音に混じって、小気味良い咀嚼音が聞こえ、じっくりとその味を堪能して、男は林檎を嚥下する。その余韻を楽しむ様に、男は一つ息を吐いて、それからようやく、口を開いた。

「物事の価値なんて物は、結局それを受け取る人間次第、という事さ。君にとっては無価値でも、僕にとってそれは変え難い物かも知れない。僕にとって無価値な物が、君にとっての悲願である様にね」

 男の揶揄する様な言い振りに、リウは眉を顰めて、不貞腐れた様に、黙って手元の書類に目を戻した。その動きを横目に確認して、男は満足気に目を細める。

「それでも一つ、忠告をするなら」男が言った。「僕にとって、君は特別では無い、と言っておこうか」

 その一言に、リウはぴくりと反応し、思わず紙を捲る手を止めた。

「……何が言いたい」

「簡単な事だよ。リウ・ソーマという名は、特定の個人を指す言葉じゃあない。リウ・ソーマという役割の事なのさ。忘れちゃいけないよ、リウ・ソーマが、君である必要性なんて、僕には全然、無いんだからさ」

 男の言葉に、リウは戦慄いた。その動揺を悟られまいと、必死に平静を装うが、書類の束を握る手には思わず力が籠り、紙がひしゃげる乾いた音が、二人の間に鳴り響く。それを、横目に確認した男は、満足そうに言った。

「だが、君にとっても、悪い話じゃないだろう? 君は、忘れる事が出来ないんだからさ。もしかしたら、復讐を果たす機会があるかも知れないのだから」

 まるで、真綿で首を絞められる様な息苦しさを、リウは感じて、思わず顔をしかめて、唇を噛み締めた。彼をいびるのを楽しんでいるかの様に、男は変わらず不敵に笑いながら、食べかけの林檎を、再び口に運ぶ。

「もう後戻りは出来ないんだよ、リウ・ソーマ君。君は、既に禁断の実を、食してしまったのだからね」

 男は、紙袋に手を伸ばして、真っ赤な林檎をもう一つ取り出して、リウにも見える様に、掲げて見せた。

「林檎、食うかい?」

 

 

「フューネラルより出向になりました、リウ・ソーマ少尉です。よろしくお願いします」

 第五○一統合戦闘航空団の基地の一角、ブリーフィングルームの前方に立って、リウは本日二回目の、自己紹介を行った。その長方形の形をした部屋は、一方の短辺側に入口が設けられ、その反対側には小さな教卓が置かれている。そこにはミーナが立っており、リウはその左脇で、直立の姿勢のまま、沈黙する室内をぐるりと見渡した。

 部屋の中央部には、机と椅子が並べられている。机は二行三列の、合計六台が置かれ、椅子は机一台につき三脚が配置されており、室内のスペースに比べるとやや少なく思えたが、部隊の人数を鑑みれば、必要十分な数量ではあった。その証拠に、教卓前に立っているミーナと、そのミーナを中心に、リウを挟んで反対側に立っている坂本の二人を除いた、九名の部隊員達は、特に規則無く、思い思いの場所に腰掛けている。

 そして、リウの見る限り、その場にいる少女達は、ミーナや坂本まで含めて、一部を除き、およそその出で立ちにも統一性は無かった。それもそのはずで、統合戦闘航空団には、フューネラルの様な統一された制服は無く、彼女らはそれぞれ、自身の出身国の軍服を着用しているのだ。とはいえ、一目で多国籍軍と分かるその様は、リウの様な新参者にとっては、隊員を判別する一助となってはいたが。

 しかし、今、ばらばらな出で立ちの、その少女達の視線は、一様にリウへと注がれていた。表立って騒ぎ立てる者こそいないものの、その視線に含まれる物は例外無く興味、或いは好奇心であり、それはどちらかと言えば、希少な生物や植物に向けられる物に近いと言えた。

 最も、それは、この部隊の事情を考えれば仕方が無い事でもあった。魔力を持った男性の存在は、歴史上でも数える程しか確認されておらず、必然的に、ストライカーユニットを駆り、ネウロイと戦うのは魔女、即ち女性ばかりという事になる。故に、彼女らと接点を持つ男性とは、軍の将校か、或いは基地にいる整備兵くらいの物で、男性が「同僚」となるのは初めての事なのだ。付け加えれば、余りに奇異な、リウ自身の風貌もそれを助長している。

「ソーマ少尉は、新型機動兵器のテストパイロットとして、当分の間、この基地に留まります。目的は、ストライカーユニットとの連携も含めた、実戦データの収拾ですので、共に出撃する事もあると思いますから、そのつもりでいて下さい」

 ミーナがそう言うと、隊員の間に、落ち着かない雰囲気が広がった。男性の追加人員が来る事は、事前に周知されており、大っぴらに騒ぎ出す者こそいなかったが、女所帯での生活が長かった彼女らにとっては、男と寝食を共にするというのは、やはり、身構えてしまわずにはいられないものの様であった。

 ミーナは、その反応をある程度、予想していたのか、特に何も発言せず、隊員達をぐるりと見渡した後、自身の前にある卓の、その上に置かれた、リウへの支給品一式を手に取った。それらは、装飾の少ない、質素な箱に収納されていたが、唯一、剥き出しのまま、その箱の上に置かれている物があった。この部隊の隊員、ある一人を除く全員に支給されている、拳銃。リウは、それに対して何の反応も見せず、無造作にそれを受け取ると、懐に仕舞い込む。

 それを見ていた、隊で唯一人、拳銃を携帯する事を拒否した芳佳は、思わず眉を顰めた。エゴとはいえ、彼女は彼女なりの信念を持って、ネウロイを倒す為以外に銃を持つ事を拒否したのだが、それでも、他人が何の抵抗も無く、それを受け取っている様子を目の当たりにすると、如何に自分が特異な行動をしているか、思い知らされてしまう。

「持って無いのは宮藤だけだな」

 芳佳の、そんな心情を知ってか知らずか、前の席に座っていたエイラ・イルマタル・ユーティライネンが、タロットカードを並べる手を止めて、茶化す様にそう言った。それが聞こえていたのか、エイラの座る机の更に前、最前列に座っていたバルクホルンが、露骨に不機嫌な様子を見せる。それを見て、芳佳は委縮した様に俯いてしまった。

「何か、聞きたい事はあるかしら、ソーマ少尉?」

 芳佳とバルクホルンの姿に苦笑いしながら、ミーナは話題を変える様に、リウにそう問い掛けた。聞かれたリウは、変わらず無感情な視線を室内に彷徨わせ、やがて口を開く。

「……この基地には、面白い物があると、聞きました」

「え?」

 リウの発言の意図が掴めず、ミーナは思わず聞き返した。リウは、それまで無表情だったその顔を、僅かに歪める。目聡い何人かの隊員が、その表情の変化を見止めるが、構わずリウは続けた。

「実験複合体《EX-1》」

 その一言は、主張の小さい、呟く様な言葉であったが、浮足立っていた隊員達を驚かせるには十分な物であった。彼女らがリウに向ける視線は明確に変化し、そこからは警戒心さえ感じられる。その雰囲気に、ミーナも表情を強張らせ、厳しい視線をリウへと向けた。

「……随分と博識ね」

 ミーナが発した言葉は、彼女自身も驚くほど、棘のある言い振りだったが、リウはさして気に留めた様子も無く、彼は微細に感情を発露させた顔を、ミーナの方へ向ける。

「友人が、研究に参加しておりましたので」

 リウが、押し殺した声でそう言うと、実験の顛末を知るミーナだけが、表情を引きつらせた。《EX-1》の暴走の件を知らされていない隊員達が、ただ純粋に、新参者と厄介な滞在者との意外な関わりに驚き、ざわつく中で、リウは、ゆっくりとミーナから視線を外し、元の無表情を、その顔に貼り付ける。

「ですので、多少、興味が」

「そう、なの」

 興味があると言いながら、まるで無関心の様に、淡々と言うリウの言葉に、ミーナは、平静を取り繕って、ようやく一言、そう返した。リウが、起動実験の事を何処まで知っているのか、或いは何を言うか、ミーナは警戒する様に、注意深く窺ったが、どうやらそれは、憂慮に終わる。リウはこれ以上言う事は無いと、そう言わんばかりに、視線を正面へ戻したまま、直立の姿勢を崩そうとはしていなかった。その様子が、まるで隊員達を威圧しているかの様に、室内は沈黙に満たされる。

「……基地の中を案内するわ。《EX-1》のいる場所も含めて、ね」

 初顔合わせは、どうにも首尾良く無かったらしい。そう判断したミーナは会合の終了を宣言して、リウに着いて来るよう促した。が、リウは一歩、踏み出し掛けて、その足を止めて、ぽつりと口を開いた。

「……フランク」

「え?」

 ミーナが、何事かと振り返る。リウは、目が合うのを拒否する様に、俯いたまま、囁く様に言葉を続けた。

「ノグチ博士は、《EX-1》の事を、そう呼んでいたそうです」

 リウがそう言うと、隊員達の間に驚きが広がった。《EX-1》という呼称は、実験体としての識別番号であり、巨人を表す記号でもあった。彼女らにとっては、それは事実上、巨人の名前と同義であったのだが、研究の中心を担っていた科学者が、「フランク」などと、如何にも人間的な呼称を用いていたという事は、余りにも意外で、驚くべき事であったのである。

「……教えてくれてありがとう。覚えておくわ」

 ミーナは、余り穏やかではない調子でそう言うと、踵を返して、扉の方へ向かって歩き出した。リウも、特に何も言う事無くそれに従い、二人が二枚扉を潜って、部屋から出て行くと、ようやく、室内に緩慢な空気が流れ始める。

「何か、凄いのが来たなぁ」

 最初に発言したのは、シャーロットであった。彼女は背凭れに身を預けると、リラックスした様子で、長い足を組む。シャーロットも、当初、試験運用の話を聞いた時には、顔見知りの誰か、この隊の規則を考えれば、ギネビア・グリーンかスー・ハリスのどちらかが来るものだと思っていたのだが、彼女は当てが外れた事を残念がっているというより、むしろ楽しんでいる様子であった。

「あんまり苛めてやるなよ。一応、休養明けなんだ」

 シャーロットの、あたかも玩具を見つけた子供の様な様子を見て、坂本が釘を刺した。その中の、「休養」という言葉を聞いて、バルクホルンの隣に座っていた、エーリカ・ハルトマンが、小柄な身体を椅子に投げ出して、思い出した様に口を開く。

「そう言えば、バイクで事故した人だっけ。シャーリーと話、合いそうだね」

「え?」

 何気無い、ハルトマンの言葉に、シャーロットは意外な程、頓狂な声で驚いた。

「あれ? バイクレースとか、やってたよね?」

 予想外のシャーロットの反応に、ハルトマンも驚いて、自分が勘違いしていたかと、確認する様にそう言った。周囲の注目までが集まる中で、シャーロットは少しばつが悪そうに、鼻の頭を右人差指で掻きながら、視線を逸らす。

「いや……まぁ、どうかな。バイクやってたのは、昔の事だし」

 普段の様子と打って変わって、歯切れの悪いシャーロットの様子に、一時は賑わいかけた室内が再び沈黙する。それを破る様に、バルクホルンが、大きな引き摺り音を立てて、椅子から立ち上がった。

「何であれ、役に立つなら問題無い」

 吐き捨てる様にそう言うと、バルクホルンは振り返り、芳佳に厳しい視線を向け、そのまま部屋から出て行った。

「大尉も相変わらずだなー」

 一瞬だけ、緊張感に包まれた室内を、エイラの間延びした声が和ませる。最も、それは意図的な物では無く、ただ偶発的なものであって、実際、彼女は我関せずとばかりに、手元のカードを弄り続けていた。それを見た、ペリーヌ・クロステルマンが、席を立ってエイラの方へ近付く。

「そう言うエイラさんこそ、さっきから何をなさってますの」

「見れば分かるだろ。占いだよ」

 眼鏡の位置を直しながら、気取った言葉遣いをするペリーヌを、エイラは一瞥すると、カードを動かす手を止めずにそう言った。そして、おもむろに一枚のカードを捲り、その絵柄を見て、彼女は顔を顰める。

「何が出たんだ?」

 それを見たシャーロットが、席を立ってエイラの後ろからその手元を覗き込んだ。が、タロット占いの知識の無い彼女は、そこに描かれている絵が示す意味が理解出来ず、つまらなそうに口を尖らせる。興味を持ったのか、エイラの左隣に座っていた、サーニャ・V・リトヴャクも、カードに視線を向けた。

「逆位置の『世界』……」

 エイラが呟くが、その意味が分かる者はおらず、全員が疑問符を浮かべて、エイラの方へ注目する。

「どういう意味?」

 サーニャに促されて、エイラは少し考える様な素振りを見せた後、口を開いた。

「どうにもならない、諦める、完成しない」箇条書きを読み上げる様に、エイラは言った。「……どうしても、分かりあえない」

「何か嫌なカードだな」

 シャーロットがそう言うと、エイラは少し、非難めいた視線を彼女に向けた。

「嫌なカードっていうか、そもそも逆位置だし……」

「細かい説明されても分からないよ」

 お手上げ、とでも言う様に肩を竦めるシャーロットを見て、エイラはむくれて、カードを片付け始める。

「ま、こんなのただの占いだし。悪い目が出たら、そうならない様に努力しろって事」

 趣味であるタロットカードに、露骨に無関心を示されたせいか、エイラはぶっきらぼうに言った。そして、不機嫌そうに、机の上でカードの端を揃えると、そのままポケットに仕舞い込んでしまった。

 

 

 空には、幾許かの白い雲が流れるばかりで、遮るものの無い陽光に晒された砂が、それを反射して、僅かに光り輝いている。しかし、その砂の中に埋もれつつある、ひび割れた巨大な瓦礫の山が、爽やかな空には似つかわしくない、惨劇の痕跡を、マイケルに痛烈に訴えていた。マイケルが、手にした書類の束の中の、研究施設「モルグ」の見取り図を見ながら、慎重に瓦礫を避けて歩いて行くと、一人の男性がその姿を見つけて近付いて来る。

「お待ちしておりました、ハートランド中佐」

 ロバート・カーマイケルは、そう言って、簡単に敬礼をして、マイケルを出迎えた。連合空軍少佐の立場にある彼は、優しげな風貌に癖の強い金髪という、好青年風な男で、どちらかと言えば、連合軍内でも厄介者扱いされがちな、フューネラルの面々に対しても、特に身構える事無く接してくる人物であった。

「酷い状況ですね、ここまでとは」

 マイケルも敬礼を返し、周囲を見回してそう言った。

「全くです。大体が吹き飛んでしまってはいたのですが、何といっても、施設の殆どが地下にあるもので。一か月以上かかってこの有り様です」

 ロバートは、溜息混じりに言うと、マイケルを促して歩き出した。何台もの大型トラックや、瓦礫を動かす為の重機が行き交う中を進んで行くと、まるで隕石でも落下したかの様に、ざっくりと掘り返された、巨大な縦穴がマイケルの前に現れた。その周囲には、瓦礫などの重量物を吊り上げる為のクレーンが二台設置され、今も数人の男達が作業に当たっているのが見える。

「これは……」

「施設の最下層は、地下三十メートル程の位置にあった様です。瓦礫一つ、持ち上げるだけでも大変ですよ」

 マイケルは、ロバートの言葉を聞いて、穴の淵からその底を覗き見た。下には、やはり数人の作業員が降りていて、残骸を散策しながら、目ぼしい物、或いは邪魔な物があると、クレーンを降ろして、それを持ち上げている。時間がかかるわけだ、と、マイケルは納得して、数歩後ろに退がった。

「それで、遺体の回収の方は?」

「一応、ブリタニア軍に提出されていた名簿と照らし合わせて、全員の遺体を確認しました。最も、損傷の激しい物も多くて、自信を持って言えるのは、数は足りていたというくらいですが」

 ロバートはそう言いながら、肩を竦めて見せた。マイケルは、事前に渡されていた資料を何枚か捲り、施設にいた研究者のリストを開いた。流し読みして行くと、「ノグチ」や「マキ・アガタ」という名前も見え、横には「死亡」と記されている。この二人に限らず、並ぶ名前の横には、悉く同じ様に記入されていた。しかし、その中で、一か所だけそれが抜けた場所を見つけて、マイケルは注目した。

「この『タクト・カネシロ』という人物は? 生存者がいたのですか?」

「ん?」ロバートがマイケルの手元を覗き込んだ。「ああ、申し訳ない。間違えて、古い資料を渡してしまった様です」

 ロバートはそう言うと、自分の持っている資料を手早く捲り、マイケルの方に差し出した。マイケルがそれを見ると、「タクト・カネシロ」の欄の横には、他の研究員達と同様、「死亡」という記入がされている。

「確かに、タクト・カネシロは、唯一の生存者でした。病院に運ばれて、一時は話が出来るくらいまで、回復したらしいのですが、その後、容体が急変して死亡したそうです。ついこの間の事だったと思いますよ」

 ロバートの説明を聞いて、マイケルは成程、と納得した。しかし、彼自身にも理由は分からなかったが、何となく、このタクトという人物が印象に残り、資料の中から、研究員達のプロフィールを探し出して、それを眺める。その時、少し離れた場所から、ロバートを呼ぶ声があり、ロバートはそちらに軽く頷いた後、マイケルの方を向いた。

「中佐、すいませんが、少々、用事が出来た様です」

 ロバートが申し訳無さそうに言うと、マイケルは手元から目を離して、彼に笑いかけた。

「いえ、こちらこそ、お忙しいのに時間を作って頂いて、感謝しております」

 マイケルにそう言われて、ロバートも破顔した。そして、彼は軽い敬礼をして、声の有った方へ歩き去って行く。それを見送って、マイケルは再び、資料に目を戻した。

「扶桑出身か……」

 思わず、そんな呟きが、マイケルの口から出た。彼に限らず、研究員達の名簿には、扶桑の名前が目立つ。とはいえ、研究の中心人物であったノグチ博士と、その助手であるマキ・アガタも扶桑出身である事を考えれば、それは至極当然の事とも思えた。

「ん?」

 一通り見終わって、マイケルが一歩踏み出すと、妙に硬質な感触が足の裏に伝わった。疑問に思って、マイケルが足元に目を向けると、砂の中に、明らかに異質な、金属の輝きが見える。

「これは……?」

 マイケルが拾い上げたそれは、銃弾であった。それも、空薬莢では無く、未使用の物。どう見ても、研究所の跡地には相応しく無い物であったが、それとは別に、マイケルはもう一つ、違和感を感じていた。

「連合軍の物じゃないな」

 見覚えの無い弾薬に、マイケルは表情を曇らせる。今、ここにいる連合軍の人間達も、銃弾の一つや二つ持っていてもおかしくはないが、これは、マイケル自身を始めとした、連合軍人に支給されている物では無かった。何より、最近落としたにしては、随分と深く、砂の中に沈み込んでいた様にも思える。どちらかと言えば、事故以前にここに落とされ、爆発によって巻き上げられた土砂を被った、と考えた方が、如何にも納得出来た。

 マイケルは、再び資料に目を戻した。研究員の中には、軍人としての立場を持つ者も何人かはいるが、精々、それは整備兵くらいで、彼らがこの弾丸を落としたと考えるのは、少し無理があると、マイケルは思った。何故なら、彼が今、手にしている物は、拳銃などの小型の銃器に使う物では無く、所謂アサルトライフルのそれであるからだ。マイケルの手元の資料と、遺体の数だけは照合したという、ロバートの言葉を信用するならば、そして実際、彼は信用に足る人物であったが、詰まる所、この弾薬の持ち主の目星は、全く付かないのであった。

「何処へ行ったのかな……これの、落とし主は」

 ただの、研究中の事故であったはずの、この一件に、不穏な空気を感じて、マイケルは小さく呟いた。

 

 

 がこん、と、小振りで質素な造りながらも、頑丈さだけは一級品の扉が、鈍い音を立てて閉まった。それを背に受けて、リウは、真っ直ぐ前へ歩き出す。程無く、短い通路の先に、無愛想な、灰色の体躯が姿を現した。

 実験複合体《EX-1》。或いは、フランク。そう呼ばれる、ネウロイの死体から再生された巨人は、今や大事な小鳥を閉じ込める籠と化した、第五○一統合戦闘航空団の、格納庫の一角で、静かにその羽根を休めていた。

「……来たぞ」

 その前に立ち、その姿を目の当たりにして、リウは低く、そう呟いた。その言葉には、抑え切れない憎悪が滲み、彼はその、既に歪んでいる顔を、更に醜く引きつらせて、何も応えないフランクの姿を睨み付ける。

「この日を、ずっと望んでいた」リウは言った。「こうして、お前と再び相見える日を。あの日から、ずっと」

 リウの声は、決して大音量を伴う物では無かったが、物音一つ無い、フランクの籠の中では、酷く響いて聞こえた。反響する自分の言葉を、噛み締める様に聞きながら、リウはフランクの姿を睨み続ける。

「教えろよ、フランク。お前は、何がしたいんだ。どうしてマキを殺して、こんな所まで逃げて来たんだ」絞り出す様に、リウは言った。「応えろよ」

 僅かに語気を強めて、リウは言ったが、やはりフランクは、それに何の反応も示す事は無かった。リウが、砕けんばかりに、歯を食いしばる。その時、唯一の扉が開閉する音がして、リウは思わず、自分も通った、短い通路の方へ振り向いた。

「あっ……」

 まさか、中に人がいるとは思わず、ましてやそれが、いきなり自分の方を見ているとは思っていなかった芳佳は、短く驚きの声を上げて、思わず足を止めていた。反射的に、元の無感情な表情に戻っていたリウが、多少の驚きを持ちながら、静かにその姿を見つめて、沈黙がその空間を支配する。

「えっと……こ、こんにちわ」

 それに耐え切れなくなったのか、芳佳はそう言って、戸惑いがちに笑った。しかし、リウはそれに答える事をせず、目を伏せて、視線を逸らす。

「あ、私、宮藤芳佳って言います。私も、この間、ここに来たばかりなんですよ」

 愛想の良い笑顔で、そう話しかけてくる芳佳を、リウは直視しようとしなかった。彼は、ちらりと視線を向けただけで、気まずそうに視線を逸らして、フランクの巨体を見上げる。結果として、二人の間に会話は成り立たず、再び流れる沈黙に、芳佳は肩を落とした。

「……宮藤軍曹は、ここで何を」

 しかし、それを破ったのは、意外にもリウであった。芳佳は驚いて、思わずリウの顔を見返す。その視線は、相変わらず逸らされたままであったが、それでも芳佳は、反応があった事に安堵したのか、僅かに笑顔を浮かべる。

「何を、って程の事でも無いんですけど……何となく、っていうか」

 芳佳はそう言うと、リウは訝しげな表情になった。

「危険だとは思わないのですか。これがどういう物が、知らないわけではないでしょう」

「あ……それは、分かってはいるんですけど。でも、私、助けて貰った事とかもあって、あんまり怖くないっていうか」

 怯えた様子も無く、笑いながら言う芳佳の様子に、リウの表情が強張る。芳佳は、それに気付いていないのか、一歩前に出て、リウの隣に立つと、先程までのリウの様に、フランクの巨躯を見上げた。

「私がここにいられるのは、この人のお陰なんです。私、初めての戦闘で、やられちゃいそうになったんですけど、そこを助けてくれて。だから、危ないとか、そういう感覚が――」

 芳佳の言葉は、そこで途切れた。それは芳佳の意思で、そうされたのではなく、リウが、弾かれた様に、左手で彼女の右肩を掴み、強引に引き寄せた為であった。思わず、リウの顔を見上げた芳佳は、その引き攣った表情を見て、思わず言葉を失う。

「何を、言っているんだ、お前は」絞り出す様に、リウが言った。「こいつはネウロイだ。人を殺す敵だ。それなのに、お前はどうして、そんな風に笑って、そんな事が言えるんだ」

 予想外のリウの剣幕に、芳佳は何も言えず、かといって視線を逸らす事も出来ず、ただ怯えた表情で彼を見つめたまま、その唇を震わせていた。その様子に苛立った様に、リウはその表情を、更に険しくする。

「どうしてお前は、こいつには、そんな顔をするのに……どうして」

 その表情が、記憶の中の、マキの表情と被って見えて、リウは悔しげにそう言った。しかし、芳佳にそれが分かるはずも無く、彼女は眼前の、唐突に分からない事を口走る男の姿を、茫然と見つめる。

「何とか言えよ。黙ってちゃ、何も分からないだろ!」

 その視線に、リウが語気を荒げ、芳佳の右肩を掴む左手に、一層の力が籠った。フランクに笑い掛ける事、リウに、怯えた様な、困った様な顔を向ける事。その全てが、マキのそれを想起させて、リウの心を掻き乱す。

「い、痛っ……」

 爪が喰い込んで、芳佳は思わず、顔を顰めてそう零した。それで、リウは、我に返った様にはっとして、その手を離すと、ふらふらと二、三歩後ずさる。その姿に、芳佳が怯えた視線を向けると、リウは悔しそうに唇を噛み締めて、急ぎ足でその場から立ち去ってしまった。

「あ、あの……」

 芳佳は慌てて、その後ろ姿に声を掛けようとするが、その言葉は、寸前で閉まった分厚い扉に遮られ、その音でかき消されてしまった。再び、元の静けさを取り戻したその中で、芳佳はまだ少し痛む右肩に手を伸ばして、茫然と佇んでいた。

 

 

 リウは、自室に入るや否や、上着を脱いで、苛立ちを発散する様に、部屋に一つだけ置かれた、木製の質素な椅子にそれを投げ捨てた。しかし、その行為は彼の心を落ち着かせてはくれず、むしろ抑え切れない破壊衝動となって、彼は上着の引っ掛かった椅子を、思い切り蹴り飛ばした。

「くそっ……」

 椅子が倒れる、けたたましい音を聞きながら、リウは忌々しげにそう呟いた。芳佳の表情と、マキの表情とが入り混じって脳裏に浮かび、彼は、歯が軋む程、強く歯を食い縛る。

「ソーマ少尉? いるのかしら?」

 その時、扉を叩く音と共に、部屋の外から、ミーナの声が聞こえた。リウは、慌てて平静を取り繕って、扉の方へ向き直る。

「いますが、何か?」

「ちょっと話したい事があるのだけど……入っても?」

「……少々、お待ちを」

 リウはそう言って時間を稼ぐと、床に落ちた上着を拾い、倒れた椅子を起こして、体裁を整えた。そして、一呼吸置いて、ゆっくり扉を開けると、ミーナが「ありがとう」と言いながら、遠慮がちに室内へ入って来る。ミーナは、ベッドと椅子、机と衣類棚という、備え付けの家具しか無い殺風景な室内をぐるりと見渡して、溜息を吐いた。

「本当に、私物はほとんど無いのね……あ、このままで大丈夫よ」

 椅子を勧めるリウを制して、ミーナは腕を組んで、近くの壁に身を預けた。

「それで、話とは?」

 リウがそう言うと、ミーナは少し戸惑った様に、視線を逸らして言い淀む。

「ええと……分かってるとは思うのだけど」やがて、言い辛そうにミーナは言った。「この部隊に、男性はソーマ少尉一人になるわ。だから、その……風紀を乱す様な行動は、くれぐれも控えて欲しいの」

 ミーナは露骨な表現を避け、ぼかした言い様でそう言った。とはいえ、その意図を履き違えるほど、リウも愚かな訳は無く、彼はわざわざ警告を受けた事が不服だと言う様に、僅かに表情を曇らせた。

「問題があるなら、整備班員の居住区へ移ります」

「そ、そこまでは言ってないのよ。非常時に、離れた所にいると色々と支障が出るし。ただ、年長者として、節度ある行動をお願いしたいだけで」

「……ご期待には、応えられると思いますが」

 リウが淡々と言うと、ミーナは少し安堵した様な表情になった。しかし、彼女はそのまま、何かを言うでもなく、落ち着かない様に視線をたゆたわせる。

「まだ、何か?」

 その様子を疑問に思ったリウに問い掛けられて、ミーナは一旦、何事かを言おうとして、思い留まる様に口を閉じ、目を伏せた。しかし、思い直した様に視線を上げると、躊躇いがちに口を開いた。

「……《EX-1》の、事なのだけど」

 思いがけない言葉に、リウの取り繕っていた表情が、僅かに引き攣った。だが、ミーナが、その様子を観察する様な目を向けているのに気付き、慌てて視線を逸らして、彼は平静を装う。

「率直に聞くわ。あなたは、《EX-1》の起動実験の事を、知っているの?」

 ミーナの言葉に、リウは驚いて、思わず彼女へ視線を戻した。

「中佐、何を」

「答えて」

 リウは戸惑うが、ミーナは突き放す様に言った。リウは内心の動揺を悟られない様、注意しながら、頭の中を整理する。先刻のミーティングで、自分が余計な事を口走ったのかも知れないと、やや軽率だった言動に多少の後悔を感じながら、ミーナの知る「リウ・ソーマ」のプロフィールを考慮して、慎重に、言葉を選んで、リウは答えた。

「……知っています」

 問題は無い、と、リウは自分に言い聞かせた。この基地に来る以上、《EX-1》の事は知っていて当然の事柄であり、それでなくても、所属や国家に関わらず、この話はそれなりに知られた話なのだ。だが、もし、ミーナが、リウの回答について、何らかの方向に、決めてかかってしまっているとするなら、その限りでは無い。とはいえ、リウはミーナの意図を測る事は出来ず、状況を見ながら、無難な回答に終始するしか無かった。

「そう……」ミーナは、残念そうに、溜息を吐いて言った。「じゃあ、暴走事故の事も、知っているのね」

 リウは、未だミーナの考えが見えず、絞り出す様に「はい」と、短く答える事しか出来なかった。それを聞いたミーナは、何事かを考え込む様な表情になって、一層、リウを困惑させる。

「ソーマ少尉。一つ、お願いしたいのだけど」ミーナは、渋々、といった様子で言った。「事故の事を、みんなに話さない様に、して貰えないかしら」

 ミーナが発した言葉の意味を、リウは理解しかねて、思わず、彼女を値踏みする様な視線で見てしまう。しかし、ミーナの様子に、何らかの隠された意図を見止める事は出来ない。

「それは構いませんが……何故です?」

 戸惑いながら、リウが言うと、ミーナは困惑した表情になって、目を逸らした。リウは、その様子で大体の事情を推察し、驚く。

「話して、いないのですか?」

 信じられない、と言わんばかりのリウの言葉に、ミーナは観念した様に口を開いた。

「不必要に、みんなを不安がらせたくなかったの。そんな危ない物が、この基地にいるなんて」

 疲れた様子で、そう零すミーナの様子から、リウは目を逸らした。そして、表情を曇らせながら「分かりました」と答えると、ようやく、ミーナは安心した表情になる。

「ありがとう」

 笑ってそう言うミーナの姿を、リウは直視しなかった。

「……ですが」そして、何かに抗う様に、リウは言った。「大丈夫なのですか、それで」

「そう願うしか無いわね。ブリタニア軍からも、資料の提供は受けているし、注意して扱うしか」

「いえ、そうでは無く」リウは、ミーナの言葉を遮って言った。「中佐は、それで大丈夫なのですか」

「え?」

 ミーナは意外な言葉に驚いて、リウの方を見るが、リウは視線を逸らしたまま、眉根を寄せて、思いつめた様な表情をしていた。そして、その後に続く言葉を言う事に、まるで逡巡する様に沈黙して、ようやく、彼は口を開いた。

「……一人で、背負い込む様な事を、していらっしゃるので」

 リウは、いかにもそれが不満だと言わんばかりに、低い声で言った。それを聞いたミーナは、狐に抓まれた様に、きょとんとしてリウを見返す。そして、居辛そうに、髪の毛を掻き揚げるリウの様子を見て、彼女は微笑んだ。

「ありがとう。でも、私は大丈夫よ、慣れてるから」

 ミーナの言葉に、リウは何も言わなかった。彼は、照れた、というにはやや険しい表情のまま、ようやく、顔を上げて、ミーナの方を見る。

「随分、時間を取らせてしまったわね。今日はゆっくり休んで、明日以降に備えて頂戴」

 そう言って、ミーナは退出しようと、扉に手を掛けた。その時、安息とは程遠い、聞く者全てに緊張を強いるであろう、警報の音が鳴り響く。ミーナは、和らいでいた表情を瞬時に引き締めると、鳴り響く音を、まるで視認しようとするかの様に、宙空に視線を漂わせた。

「ネウロイ……」

 ミーナがそう呟くと、リウは、ベッドの上に放ってあった上着を取って、身に纏った。

「ソーマ少尉、《ザルク》はまだ調整が終わっていないから、出撃はさせるわけにはいかないけど」ミーナは言った。「見て学ぶ事も、大切な事よ。私達の戦い方を、見せてあげるわ」

 リウが、自分の言葉に首肯するのを見て、ミーナは、先程までの、優しげな物とは違う、自信に満ちた笑みを、その顔に浮かべた。

「管制塔へ」

 ミーナが指示を出すと、リウは右手を上げて、敬礼して、答えた。

「了解」

 そして、二人は、警報音の鳴りやまぬ廊下へ、走り出て行った。

 




次回
Phase06:憎悪と使命と
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