アルジェントウィッチーズ-AΠHENTO WITCHES-   作:kuuru

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Phase06:憎悪と使命と

 陽光が、青々とした木々の緑を、より鮮明に浮かび上がらせている。少しでも多くの日の光を浴びようと、競う様に伸びるそれらの中の、頭一つ抜きん出た大木に、一羽の小鳥が止まった。その小鳥は、長旅で疲れた羽根を休める様に、くちばしで毛づくろいをしながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 しかし、その時間は、耳をつんざく破裂音によって遮られた。大型の動物であっても、思わず身を竦ませてしまう様な、危険に満ちたその音を聞いて、小鳥は泡を食った様に羽ばたき、慌ててそこから飛び去って行く。

 そこからほど近い、海上に迫り出す様にして設けられた、巨大な滑走路の先端に、その音の元凶はあった。そこでは、リネット・ビショップが、寝そべった状態で、対装甲ライフルの「ボーイズMK1」を構えており、坂本美緒と、宮藤芳佳の二人が、それを見守る様に囲んでいた。

「……少し左に逸れたな。外れだ」

 坂本が、右目の眼帯を捲り、彼女の固有魔法である「魔眼」で、超遠距離の的を見ながら言った。それを聞いて、芳佳はその方向を見るが、目を細めても何も見えなかったのか、やがて諦めた様に溜息を吐いた。

「もう一度。感覚を忘れるな、ずれた分だけ修正しろ」

 坂本の指示を受けて、リネットはもう一度、ライフルを構え直し、ボルトハンドルを引き戻して、次弾の装填を行った。排出された空の薬莢が落ちて、軽薄な音を立てると、周囲に響く音は波のさざめきだけになり、訓練ながらひりついた空気が流れる。その中で、リネットは深呼吸をした。そして、もう一度、大きく息を吸い込み、右手人差指に力を込めて、その引鉄を引いた。

 再度、けたたましい発射音が鳴り響く。放たれた弾丸は、遠く離れた的のほぼ中央を貫き、リネットは短く息を吐いた。それを確認した坂本は、眼帯を戻し、満足気な表情になる。

「よくやった」

 坂本がそう言うと、芳佳は感心した表情になって、身を起こすリネットの方を見た。

「凄いね、リネットさん。私なんか、的も見えないのに」

 芳佳は裏表の感じられない様子で、リネットの射撃を称賛したが、リネットは俯いて、浮かない表情になる。

「……そんな、大した事無いよ、これくらい」

 リネットはそう言って、会話を拒否する様に黙ってしまった。その様子を見て、坂本は溜息を吐き、既に高く昇った太陽を確認する。

「よし、今日はこれまでだ」

「え、もう終わりでいいんですか?」

 何時に無く早い時間に、坂本が訓練の終了を宣言したのに驚いて、芳佳が言った。それを聞いて、坂本は少し呆れた表情になって、何処か嬉しそうな気配を湛える芳佳の方を見る。

「忘れたのか、宮藤。ちゃんと伝えていたと思ったが」

 そう言うと、坂本は振り返って、長く伸びる滑走路の先、基地の格納庫へ目を向けた。それにつられて、芳佳もそちらを見ると、そこには鈍色の巨人が鎮座していた。それを見て、芳佳はその名前を思い出す。

「《ザルク》……」

「これから、試験飛行を行う。お前も、この部隊の一員になる以上、いずれ編隊を組むんだ。しっかり見ておけよ」

 坂本に言われて、芳佳の脳裏に思い浮かんだのは、それを動かす、部隊唯一の男性隊員の姿であった。先日の、《EX-1》の格納庫での顛末を思い出し、芳佳はむっとして、眉根を寄せる。

「どうした、宮藤。戻るぞ」

 既に、基地の方へ向かって歩き出していた坂本に声を掛けられて、芳佳は我に返り、慌ててその後を追った。

 三人が、数分をかけて滑走路を歩き切ると、《ザルク》の周囲には、夜間哨戒明けのサーニャを除く、全ての隊員が集まっていた。

「お疲れ様」

 ミーナが、芳佳達の姿を認めて、労う様に微笑んだ。坂本はミーナの隣に立つと、跪いた体勢でありながら、彼女の身の丈の倍以上はある《ザルク》の姿を見上げる。《ザルク》は、その背部が縦開きに開く様になっており、扉の開閉と連動して、座席が前後に動き、そこから乗り込む構造になっていた。今、解放されたハッチからは操縦席らしい機械類が見え隠れし、そこで、座席に腰掛けたリウが作業を行っている。

「行けるのか、リウ」

 坂本が声を掛けると、リウは顔をそちらへ向けた。

「全機能正常。問題ありません、行けます」

「そうか。では、見せて貰うぞ。そいつの実力を」

 坂本に言われて、リウは頷くと、操縦席の方へ視線を戻す。そして、彼の座る座席がその中へ飲み込まれ、伴って閉まるハッチが、その姿を完全に覆い隠した。ぷしゅう、と、空気の抜ける音がして、操縦席内部の機密性が確保されると、唸る様な、低い駆動音が響き始める。そして、その巨体がゆっくりと立ち上がり、隊員の誰かが、感嘆の声を上げた。

 《ザルク》は、自身が人型兵器である事を誇示するかの様に、そびえる様に直立して見せていた。坂本が、ミーナから受け取った通信機を右耳に装着すると、一瞬の雑音の後、リウのいる《ザルク》の操縦席と、音だけが繋がる。

「まずは、思う様に飛んで見せてくれ」

『了解』

 リウがそう言った瞬間、その変化は、静かに起こった。音も無く、予備動作も無く、《ザルク》の足は僅かに地面を離れ、重く巨大なその身体が宙へ浮く。一かけらの不自然さも無く行われたその動きは余りに違和感が無く、間近で見ていた隊員達でさえ、一瞬、《ザルク》が浮いた事に気付くのが遅れる程であった。

「滑走無しで飛ぶのか……」

 坂本が、思わずそう漏らした。坂本のみならず、この場にいる全員にとって、この機体は未知の存在であった。レシプロ航空機は勿論、航空用ストライカーユニットでさえ、魔力フィールドの上を滑走して離陸するのだ。航空用ストライカーユニットについては、魔導エンジンに直接エアを送り込み、回転数を補助して飛び上がる、という発進方法もあるにはあるが、いずれにせよ、《ザルク》の様にふわりと浮き上がる事は出来ない。敢えて、この機体に近い動きの出来る存在を上げるならば、それはネウロイという事になる。「ネウロイモーター」と呼ばれる、ネウロイの動力源を搭載したこの兵器は、ある意味で、前評判通りの動きを披露していると言えた。

 次の瞬間、《ザルク》は、一直線に上昇する。瞬時に最高速に達したそれが生み出す空気の流れが、驚く隊員達を煽る中、高度を上げた《ザルク》は、今度は前方へと進路を変えて見せた。適当に、基地から離れた場所で、見せびらかす様に、そして実際に、その特異性を存分に見せつけながら、右に左に、《ザルク》は縦横無尽に空を駆ける。しかし、方向転換一つとっても、その機動は、既存の兵器とは一線を画す物であった。

「何か、気持ち悪い動きだね」

 それを見ていた、ハルトマンが、その動きをそう評した。余りにそれは抽象的な物言いだったが、それに異を唱える者はいなかった。《ザルク》の方向転換は、航空機の様に旋回しながら方向を変える物では無く、その場で「曲がる」のだ。天才肌で、どちらかと言えば直感的なハルトマンは、その慣性を無視した動きを、気持ち悪いと表現したのであって、他の隊員達も、驚く程、その言い回しに納得していた。

「……そう言えば、シャーリーはどうした?」

 その時、坂本が、ふと集まった隊員達の顔を見渡して、思い出した様に言った。それを聞いて、他の隊員達も視線を巡らせるが、隊唯一のリベリアンは、周囲には見当たらない。速度狂で、この手の物に一番、興味を示しそうな人物がこの場にいない事を、誰もが不思議に思い、隊員達は、各々顔を見合わせた。

『私なら、ここに居ますよ。少佐』

 何故か、通信機からシャーロットの声がして、坂本は驚いて周囲を見回した。

「シャーリーか? 今、何処にいる」

 通信機の音声が聞き取れない隊員達が、何事かと坂本の方を注目した瞬間、一陣の風が、彼女らを煽った。驚いて振り返る皆の前で、ストライカーユニットを装着したシャーロットが、特徴的な、明るい赤毛を翻して、空中で一回転を決めて見せる。

「ここです、ここ」

 言いながら、シャーロットは低空で滞空して見せた。その様子と表情を見て、坂本が怪訝な表情になる。

「何をする気だ、シャーリー」

「野暮、言っちゃいけませんよ、少佐。大型新人の初飛行が、単独の曲芸飛行じゃ詰まらないでしょう?」

 笑顔で言うシャーロットとは対照的に、坂本は眉を潜めた。

「百聞は一見にしかず、ってね。どれくらい違うか、見てみた方が早いと思いませんか?」

 悪戯っぽく、そう提案するシャーロットを見て、塩梅の良く無かった坂本の表情が僅かに和らぎ、彼女は考え込む様に、顎に手をやった。そして、一度ちらりと、遠方で動く《ザルク》の姿に目をやってから、シャーロットの方へ振り返る。

「……いいだろう」

 坂本の決断に、周囲が驚く中、シャーロットは指をぱちりと鳴らして、喜びを表現する様に、その場で一回転して見せて、《ザルク》の方へと飛び去って行った。

 

 

 まるで、目を閉じたまま、水中に没した様な感覚であった。上下左右の感覚さえ、何処か希薄に感じられる中で、カメラが捉える映像と、機体の動きが身体にかける負担だけが、リウの神経を辛うじて繋ぎ止めている。

 しかし、空中機動に没入していた彼の心を、唐突に眼前を過ぎ去った、一つの影が強引に引き戻した。衝突せんばかりの勢いで向かって来たそれを、辛うじて回避し、《ザルク》が体勢を整えると、その影はまるで、挑発する様に、一気に高度を上げて見せる。

「イェーガー中尉?」

 得意げに身を翻すその人影を確認して、思わずリウは呟いた。一瞬、ネウロイが襲来し、緊急発進したのかと考えるが、基地の警報が鳴っていない事、シャーロットが手ぶらである事を認識し、彼は困惑した。

『リウ、聞こえるか?』

 その時、通信機が坂本の声を発し、リウは戸惑いながら応じた。

「坂本少佐。何か、イレギュラーでも?」

『違うよ、新人』

 リウの問い掛けに、坂本が答えるより早く、シャーロットが割り込む。その軽妙な調子に、リウは僅かに眉根を寄せた。

「少佐、これは」

『まぁ、ちょっとした模擬戦みたいなものを、して貰おうと思ってな。やり様はシャーリーに任せる』

『そういう事』

 坂本の言葉を受けて、シャーロットはそう言いながら、高度を下げて、《ザルク》の眼前に姿を見せる。

「……見世物になれと?」

 坂本らの意を察したリウが、声音を低くしてそう言った。

『勘違いするなよ、リウ。ここは最前線だ。些細な事が、死に直結する事もある。それが何であろうと、未知の兵器を、話だけで戦闘に投入する事は出来ない』

「……了解しました」

 力量を示せ。暗にそう言う坂本に、渋々といった様子でリウがそう言うと、それとは対照的に、シャーロットは髪をなびかせ、まるで踊る様に、軽快にくるりと回って見せる。そして、彼女は《ザルク》に向き直ると、まるで奔放な猫の様に、悪戯っぽく微笑んだ。

『来なよ、ベイブ。ベイブ・ルースが泣いてるぜ?』

 シャーロットは、右手を煽る様に動かすと、軽快に飛び去って行った。リウも、表情を引き締め、《ザルク》を駆って彼女を追う。背中越しに、シャーロットはそれを確認すると、ぺろりと舌舐めずりして、おもむろに速度を増した。

『私に後ろを取られない様、頑張ってみな!』

 言うが早いか、シャーロットが角度を変え、一気に上昇に転じる。そして、《ザルク》もまた、通常兵器では有り得ない動きで方向転換を行い、それに追い縋った。

 

 

 シャーロットとリウの追いかけっこを、隊員達は息を呑んで見守っていた。シャーロットの曲線的な動きに対して、《ザルク》の動きは何処までも直線的で、それは極めて分かり易く、《ザルク》という機体の特異性を、彼女達の視覚に訴えていた。坂本はその様子を見て、感心した様に、一度、大きく呼吸をする。

「……速いな」

 坂本の呟きは、そのまま溶ける様に、消えていった。しかし、それはその場にいる者達の誰もが思っている事であり、その総意を代弁していた。

 機体の特性を考えれば、《ザルク》の敏捷性が高いのは当然であった。あらゆる方向へ、一切の無駄なく方向を転じる事の出来るその能力は、空戦兵器として明らかに理想的なのである。

 だが、《ザルク》は、単純な速度についても、予想以上の力を見せていた。シャーロットのストライカーユニット「P-51D」は、機動性に優れたユニットで、彼女はそれを、更に高馬力に改造して使用している。彼女の、ユニット装着時の最高速度は、五○一は愚か、世界中の魔女の中でも最高級なのだ。しかし《ザルク》は、そのシャーロットの速さに、決して遅れを取ってはいなかった。《ザルク》はシャーロットとほぼ同等の速度で動き回り、その敏捷性と相まって、彼女の後ろにぴたりと付いて離れない。それは、ストライカーユニットに代替する兵器の誕生を、五○一の隊員達に感じさせるに十分な物であった。

「連合軍が力を入れるわけね」

 その様子を見ながら、ミーナが感嘆とも、諦めとも取れる調子で言った。

「量産されれば、我々もお役御免か」

 坂本が、少し空しげに呟いた。しかし、ミーナはそれを聞いて、首を横に振る。

「そう簡単にはいかないと思うわ。機体があっても、乗れる人間がいなければね」

「え、どういう事?」

 ミーナの発言に、ハルトマンが疑問を呈した。同様の疑問を抱いたのか、隊員達の視線は上空のドッグファイトから外れ、ミーナに集中する。その中で、ミーナだけが視線を動かさず、二機のうねる様な軌跡を見たまま、彼女は口を開いた。

「《ザルク》の実験中の事故は、皆、知っているわね。本来は、それで大破した機体も、復元して実戦配備されるはずだったのよ。でも、結局されなかった」

 ミーナの視線の先で、《ザルク》がほぼ直角に、その進行方向を変えた。何とか、距離を離そうと、急降下からの上昇を行うシャーロットを嘲笑う様に、《ザルク》はその後ろを追尾する。

「えっと……何で?」

 言葉を切ったミーナに、エイラが解答を促した。

「パイロットが見つからなかったのよ。あの機体の機動に長時間、耐えられる人間は、現時点では、世界に四人しかいないの。本来は、ソーマ少尉が五人目になるはずだったのよ」

 ミーナが言うと、隊員達の間に驚きが広がった。各国が、多少なりとも、優秀な航空機乗りの出し惜しみをした事は想像に難くないが、それを差し引いても、《ザルク》に乗れるというだけで、航空機乗りとしては世界のトップエースという事に等しいのだ。

 隊員達が、リウへの認識を改める中で、リネットは俯いて、輪から外れる様に、話を聞いていた。だが、やがて彼女はそろりと振り返ると、その場を離れて、基地の方へ歩き出した。他の隊員達は、未だ続く空中戦に気を取られ、リネットの動きに気が付かなかったが、偶然、それを視界の端で捉えた芳佳だけが、不思議に思い、その後を追う。

「リネットさん?」

 格納庫から、基地内へ続く廊下に入った所で、芳佳はリネットを呼び止めた。リネットは足を止めると、ゆっくり振り返り、足早に近付く芳佳の姿を見止める。

「どうかしたの?」

 暗い表情のリネットを見て、芳佳は言った。しかし、リネットは答えず、顔を逸らして俯いてしまう。会話が途切れて、その気まずさを誤魔化す様に、芳佳は半ば無理矢理、笑顔を作った。

「えっと……戻らない?」

 遠慮がちに、芳佳はそう尋ねるが、リネットは顔を伏せたまま、答えなかった。

「す、凄いよね、ソーマさん。あんな動き、私じゃ出来ないよ」

 一向に反応を返さないリネットの様子に、芳佳は間を持たせようと、そう言った。すると、ようやく、リネットは顔を上げ、沈んだ表情を芳佳に向ける。その目を見て、芳佳は次の言葉を飲み込んだ。

「……ソーマ少尉だけじゃないよ。この部隊の人は、凄い人しかいないもの」リネットは暗い調子で言った。「バルクホルン大尉とハルトマン中尉は、撃墜数の一位と二位だし、ユーティライネン少尉は一度もシールドを使った事の無い、スオムスのトップエース。坂本少佐は、世界でも知らない人のいない、対ネウロイ戦術における功労者。他の人も、誰だって、各国の魔女で、一番に名前の上がる様なエースばかり」

 口調に反して、やたら饒舌なリネットの言葉に、芳佳は感心した様に聞き入っていた。

「凄いね……やっぱり私、場違いなのかな」

 芳佳が、苦笑いしながらそう言うと、リネットは僅かに眉をしかめた。

「そんな事、無いよ」リネットは言った。「本当に場違いなのは、私だから」

 思いつめた様子で、リネットが意外な事を言った。それを聞いた芳佳は驚いて、思わず彼女を見返す。

「え、リネットさんだって、この部隊に入れるくらいなんだから、やっぱり凄いと思うよ」

「違うの、宮藤さん。私は、引き抜かれてこの部隊に入ったわけじゃない」リネットは言った。「ブリタニアにある航空団に、ブリタニアの魔女がいないのは体裁が悪い、でも、優秀な魔女を派遣するのは勿体無い、ただそれだけ。私である必要なんて、全然無かった。ブリタニアの魔女なら、誰でも良かったの」

 諦めた様に、リネットはそう言い切った。彼女は怒りとも、苦渋とも知れない感情に、その端正な顔を歪ませる。取り付く島の無いリネットの様子に、芳佳は言葉に詰まった。

「でも……あんなに上手に的に当てられるのに」

 ようやく、芳佳はそう、絞り出す様に言った。しかし、リネットを称えるつもりで言った、その言葉を聞いて、リネットは眉を吊り上げ、厳しい表情になって、芳佳の事を睨み付けた。

「あんなの、ただの訓練じゃない」強い口調で、リネットは言った。「訓練がいくら上手に出来たって、何の意味も無いの。実戦で出来なければ、無駄な努力でしか無い」

 その剣幕に、芳佳は思わず身を竦めて、怯えた様にリネットの表情を窺うしか無かった。しかし、黙っていては、リネットの言葉を肯定した事になってしまうと、何事か、言うべき言葉を必死で探す。だが、リネットが、何故こうも苛立っているのか、芳佳は根本的に、理解が足りていなかった。

「でも、訓練で出来るんだから、ちゃんとやればきっと」

「訓練も無しに、いきなり飛べた宮藤さんとは違うの!」

 芳佳の言葉を遮って、リネットの激声が廊下に響いた。その声は壁に反響して、やがて消えてゆく。それが演出する静寂の中で、芳佳は、忌々しげに表情を歪ませる、リネットの姿を見つめていた。そして、リネットが振り返り、小走りに立ち去って行っても、彼女はそれを呼び止める事は出来なかった。廊下の先に、リネットが姿を消しても、芳佳は立ち竦んだまま、リネットの言葉を反芻しているかの様に、茫然とした様子で、宙空に視線をたゆたわせる。

 しかし、その一時は、長くは続かなかった。ネウロイの襲来を知らせる警報が鳴り響き、芳佳の身体を緊張させる。芳佳は、リネットの去った方向に視線を向けるが、一瞬だけ逡巡して、結局、踵を返して、格納庫へと戻って行った。

「シャーリー、待て、先行するな!」

 芳佳が格納庫の扉を潜ると、武装を持って、一人で飛び立とうとしているシャーロットを、坂本が呼び止めていた。言いながらも坂本は、自分のストライカーユニットへと駆け寄り、瞬く間に出撃準備を整える。他の隊員達も慌ただしく動く中で、芳佳の姿を見つけて、ミーナが近付いた。

「宮藤さん、何処へ行っていたの?」

「す、すいません」

 バネ人形の様な勢いで、頭を下げる芳佳を見て、ミーナは呆れた表情になった。彼女は、何か言おうと口を開きかけるが、その時、リネットが転がる様に駆け込んで来て、結局、その言葉を飲み込んで、溜息を吐くに留める。

「敵、グリッド東、一一四、高度一万五千。ハルトマン、バルクホルンは前衛、シャーリーとルッキーニは後衛に回れ。ペリーヌは私に着いて来い」

 その背後で、坂本が大声で指示を出していた。しかし、隊員達がそれに承諾の意を示し、出撃準備を整える中で、一人、リウだけが、《ザルク》を着陸させ、そのハッチから姿を現す。

「リウ、《ザルク》はどうだ?」

 それを見て、坂本が声を掛けた。リウは、一度《ザルク》を見上げると、坂本の方へ向き直る。

「機体に問題はありません。ですが、ライフルの装着と、液体炸薬の準備がまだ」

「どれ位、掛かる」

「炸薬の充填に一時間はかかります。始めると中断も不可能です」

 リウの回答を聞いて、坂本は考える素振りを見せた。しかし、その時間は長く無く、坂本は、傍から見れば殆ど瞬時に判断をして、リウに指示を出す。

「分かった、装備の準備はしなくていい。他の隊員と共に待機しろ」

「了解」

 坂本はリウの返事を聞くと、一旦、ミーナの方を振り返った。坂本が目で合図を送ると、ミーナも了解した、と言う様に、無言で首を縦に振る。その瞬間、坂本の足元に魔法陣が発現し、彼女が魔力を発動させた事を示した。それにつられる様に、出撃準備を整えていた隊員達も、続々と魔導エンジンに火を入れていく。

「出撃!」

 坂本の激声を合図に、魔女達が一斉に走り出す。長く、余裕のある滑走路を、どこか悠然とした雰囲気で駆け抜け、瞬く間に、彼女達の姿は大空へと溶け込んで行った。ミーナはそれを見送ると、彼女と同様に、魔女達の行く先に目を向けていた、整備兵達の方を向く。

「《EX-1》の、隔壁を開放して下さい」

 ミーナが、整備兵に出した指示を聞いて、リウは驚いた。その感情を、表立って表現する事は無かったが、内心、穏やかではない気持ちで、リウはミーナの姿に注目する。そんな彼の思いを知ってか知らずか、ミーナは出撃しなかった隊員達をぐるりと見回し、管制塔へ行く様に言うと、率先する様に、自ら先立って、格納庫を後にした。

 

 

 申し訳程度に漂う白雲が、抜ける様な青空を、僅かばかり濁らせている。その中を、六人の魔女達は、全開までの速度を出さず、魔力を温存しながら、それでも、現存する戦闘機を上回る速度で飛行していた。彼女達の表情は、これから戦闘を行うに相応な緊張感を湛えてはいたが、比較的、早期に出撃出来た事もあってか、それほど緊迫した雰囲気は感じさせない。二機編隊三組が、規則正しく、三行になって進んで行くと、やがて、雲の切れ目から、黄色の巨人が姿を現した。

「一時の方向、敵影を確認」

 戦闘にいたバルクホルンが、真っ先に反応して、言った。それを見落とす様な人間が、この場に居るはずも無く、一斉に銃器の安全装置が外される。

「無理せず、一撃離脱で削り落とすぞ、いいな!」

 僅かに進行方向を変えつつ、ネウロイの側面から回り込む軌道を取りながら、坂本は指示を出した。防衛するべきブリタニア本土は遠く、敵のサイズも標準的である事から、強引に攻撃を行う必要は無いと、彼女は判断していた。それに従い、魔女達は隊列を崩さず、ネウロイに肉薄する。

 口火を切ったのは、当然、先頭にいたバルクホルンとハルトマンであった。バルクホルンは二丁、ハルトマンは一丁、それぞれ手にした機関銃「MG42」の、引鉄を引いた。毎分千二百発にも及ぶ勢いで放たれる、無数の弾丸が、ネウロイの表皮を瞬く間に抉り取って行く。それにつられて、ネウロイは、自らに危害を加える者達の姿を捉えようと振り向いた。しかし、その時には既に、バルクホルン達はその視線を避けるかの様に、上昇し離脱している。ネウロイがそれを追い掛ける様に視線を巡らせると、今度は、坂本とペリーヌの攻撃が襲い掛かった。そして、最後にシャーロットとルッキーニが、交互射撃を披露する。ネウロイが、離れて行く二人の姿を、まるで見送る様に、頭を巡らせた。

 しかし、攻撃はそれで終わらない。息継ぐ間も無く、旋回したバルクホルンとハルトマンの銃口が、再びネウロイの巨体を捉えた。魔女達は、一糸乱れぬ連携で、見事な波状攻撃を行い、ネウロイを翻弄する。

 それに対して、ネウロイはやや鈍重とも言える動きで、ようやく、反撃の光線を放った。しかし、戦闘機や戦艦相手ならいざ知らず、歴戦の魔女達にとって、それは大した脅威にはなり得ない。あっさりと回避、或いは防御され、お返しとばかりの銃撃が、再びネウロイを襲った。

「左胸部に、《核》を確認」

 その中で、坂本は右目の眼帯を外し、魔眼を使用して、ネウロイの《核》の位置を確認すると、全員に伝えた。先鋒の二人はそれを聞くと、速度を上げてネウロイに迫る。密度を増した砲火が、人型の、丁度、心臓に当たる位置を炙った。二人が攻撃を終え、離脱する頃には、その部位の表皮は吹き飛ばされ、妖しく発光するネウロイの《核》が曝け出される。それを見た坂本が、肩に背負った扶桑刀に手を掛けた。

 その瞬間、まるで迫る危険を感じ取ったかの様に、ネウロイが上昇した。そして、それを追う坂本達へ、赤い光線が襲い掛かる。寸前で展開されたシールドが、難なくそれを弾き飛ばすが、ネウロイは魔女達が近付くのを嫌う様に攻撃を続け、逃げる様に、雲の影にその姿を滑り込ませた。

「逃がすな!」

 坂本がそれを見て叫んだ。それと同時に坂本は加速し、勢いも殺さず、雲の先へと躍り出る。しかし、その先の光景に、彼女は思わず言葉を失った。

 

 

「中佐」

 居残りの隊員達が、管制室に集合して少し経ち、ミーナの作業が一段落したのを見計らって、リウは彼女に声を掛けた。ミーナは振り返ると、厳しく引き締めていた表情を、僅かに和らげる。

「ソーマ少尉? 何か?」

 リウは、ミーナに促されると、他の隊員が少し離れた所にいるのを確認して、声を潜めて言った。

「何故、《EX-1》の隔壁を開放したのですか」

「……その事」

 ミーナは、リウの言葉に表情を曇らせた。そして、リウがした様に、彼女も他の隊員達の姿を確認する。隊員達に、どうやら聞こえていない事を確認して、ミーナはおもむろに、滑走路の脇の、開いたままになっている隔壁の扉へと、視線を向けた。それに釣られて、リウもそちらに目を向ける。そこには、正にその《EX-1》が、その灰色の体躯を陽光に晒しながら、静かに佇んでいた。

「上層部の指示なのよ。ネウロイ出現時には、《EX-1》の拘束を一時的に開放するように、と」

 ミーナが、声量を絞って、小声で言った。それを聞いて、リウは驚いて目を見開き、ミーナの方を見る。その視線を受けて、ミーナは一層、その表情を暗くした。

「何故……一体、何の意図があって」

「《EX-1》の戦時に於ける行動、兵器としての実用性を、見極めたいそうよ。研究員の誰かが、計画には無い、何らかのプログラムを仕込んだ事が、実験での暴走に繋がったと、彼らは考えているらしいわ」

「プログラム?」リウは思わず聞き返した。「それは、どんな? 誰がそんな事を」

 ミーナは、リウの質問に対して、諦めた様に首を振った。

「分からないわ。第一、もしそれが分かっていたとしても、私は上からの指示が無い限り、あなたに教える事は出来ないの」

「……申し訳ありません。出過ぎた事を」

「そんな事は無いけど……」

 ミーナは、若干、突き放す様に言ったものの、リウがあっさりと引き下がった事に、少しばかり驚いた。怪我で歪んだリウの表情は、驚くほど感情が読み取りにくく、そこから彼の心の内を知る事は出来ない。二人の間に、短い沈黙が流れるが、それは通信機から響く坂本の声に遮られた。

『ミーナ、聞こえるか』

「美緒? 大丈夫、聞こえているわ」ミーナは、通信機のマイクに近付いて言った。「何かあったの?」

 明らかに、任務終了の報告では無い様子の坂本の口調に、ミーナは焦った様に聞き返した。その様子に気付いたのか、離れた所にいた芳佳やリネット、タロットカードを弄っていたエイラまでが、二人の会話に傾聴する。

『済まない、対象を見失った』

 坂本の返答に、ミーナは目を見開いて驚いた。

「どういう事?」

『一旦、接触はしたんだが、雲の中に身を隠されて、その後、一向に姿が見えない』

「雲って……」

 言いながら、ミーナは窓から空を見る。そこには青空が広がり、申し訳程度に、白い雲が流れているだけだった。空を覆い隠す程、雲が広がっているのならいざ知らず、坂本達が敵の姿を見失うには、それは些か見晴らしが良いと思えた。

『信じ難いかも知れないが、事実だ。私達は、もうしばらく周囲を警戒する』

「了解したわ。気を付けて」

 そう言って、ミーナが坂本との会話を終えようとした時であった。耳障りな警報が、基地中に響き渡る。

「ネウロイ!?」

 それを聞いたミーナは驚いて、思わず大声を出した。

『ミーナ、何があった?』

 警報と、ミーナの声が聞こえたのか、坂本の切迫した声が、通信機から流れる。一瞬だが、不可解な状況に呑まれていたミーナは、それを聞いて我に返った様に、通信機に向き直った。

「ネウロイが出現したわ。そちらはどう?」

『いや、こちらでは確認できない。出現地点を教えてくれ、そちらへ向かう』

 坂本はそう言うと、返事を促す様に言葉を切った。だが、ミーナは考え込むと、やがて意を決した様に口を開く。

「いえ、これはこちらで対応するわ。もうしばらく、その地点の警戒をお願い」

『ミーナ?』

「別の個体という可能性も、無いとは言えないでしょう。後手に回るわけにはいかないわ」

『……分かった。我々は、今の場所の探索を続ける。そちらは頼む』

「お願い」

 ミーナの言葉を最後にして、坂本からの通信は終わった。ミーナはそれを確認すると、集まっていた、待機中の隊員達の姿を見回し、一番後ろにいたエイラの方へ視線を向ける。

「エイラさん、サーニャさんは?」

「夜間哨戒で魔力を使い果たしてる。無理だな」

 エイラは、仲の良いサーニャの状態を尋ねられて、両手の人差し指でばつ印を作りながら、そう答えた。サーニャは、全方位広域探査の固有魔法を持つ、五○一で唯一の夜間戦闘魔女であり、その主な任務は、他の隊員達が眠っている、夜間の哨戒任務である。それ故に、彼女は基本的に昼夜逆転の生活を送っており、夜通し飛び続ける事もあってか、任務終了時には、殆ど余力が残っていない事もしばしばであった。

 ミーナは、エイラの返答を聞いて、眉をひそめた。そして、隊員達の顔を見回して、渋々といった様子で口を開く。

「私とエイラさんで、ネウロイを迎撃します。宮藤さんとリネットさんは出撃の後、基地周辺で待機。ソーマ少尉も、何かあった時にはすぐ出れる様に、準備を」

 隊員達は、ミーナの指示に従い、管制室を出て格納庫へと向かって行く。がらんとした管制室を、最後にミーナは出ようとして、はたと足を止めた。そして、振り返って、窓から見える空の様子を伺い見る。それは、何処となく、先程までよりも曇りが増している様に、彼女には思えて仕方が無かった。

 それから程無くして、彼女達はストライカーユニットを装着し、出撃の準備を整えた。待機のリウの格納庫に残し、ミーナ、エイラ、リネット、芳佳の四人が、滑走して飛び上がる。そして、基地上空に留まるリネットと芳佳を尻目に、ミーナとエイラは速度を増して、大空を駆け抜けた。二人の間に会話は少なく、最低限の指示と受け答えに終始しながら、彼女らは高速で飛び続ける。そして、間も無く、雲間にネウロイを発見した。二人は軽く視線を合わせて、互いが敵影を捉えた事を確認する。そして、明確な攻撃意思を以って、一層その速度を加速させた。

 まるで、それを認識したかの様に、ネウロイは首を振り動かして、迫る二人の姿を捉えた。それを、二人が自覚した瞬間、エイラが短く叫ぶ。

「来るっ!」

 ミーナとエイラが身体数個分、進路をずらしたその時、一瞬前まで彼女達がいた場所を、赤い光が貫いた。それが外れた事に苛立つ様に、ネウロイは戦艦さえ一撃で葬る程の火力を誇る攻撃を、間髪入れずに再び繰り出す。だが、何度それを続けても、ミーナとエイラにそれが届く事は無い。エイラの操る、未来予知の魔法によって、二人はシールドに頼らず、全ての攻撃を回避しながら、ネウロイに急激に接近した。

 先行するエイラが、第一撃を放たんとした、それとほぼ同時に、ネウロイは払いのける様に、左腕をエイラに向けて振り上げた。エイラは、まるで木の葉や薄い紙切れが、僅かな風圧にも舞ってしまう様に、ネウロイの腕に纏わりつく様に機動して、それまでもかわして見せた。そのまま、擦れ違いざまに、身を焼く弾丸がネウロイの身体に喰らい付く。

 それに続くミーナが、初撃に気を取られたネウロイに、機関銃の照準を合わせた。だが、彼女が引鉄に掛けた指に力を込めた瞬間、その視界から、ネウロイの姿が消える。

 慌てて照準器から視線を外すミーナを尻目に、ネウロイはその身体を急降下させていた。それを、エイラが一直線に追跡し、一拍遅れてミーナもそれを追い掛ける。高度を下げたネウロイは、そのまま二人から逃れる様に、真っ直ぐ飛行し始めた。背中を向けての逃走という、見た事の無い標的の行動に、ミーナは若干、戸惑いを覚えながら、それでも離れず、それを追った。

 彼女の脳裏に、つい先程、目の当たりにした光景が甦る。シャーロットと《ザルク》のドッグファイト。最速の魔女に、難なく着いて行く、人工の巨人。その動力源には、ネウロイのそれを使用している事を考えれば、単純な話、ネウロイにも同等の動きが可能と言う事になる。そうなれば、限界まで最高速を高めたシャーロットのユニットで引き離せなかった速さに、ミーナは追い付けるとは思えなかった。それどころか、《ザルク》は先刻のドッグファイトで、限界を見せていない可能性さえあるのだ。しかし、兎にも角にも、現状では彼女も、僅かに先行するエイラも、引き離される事無く追い縋っている。それが、単純にネウロイごとの性能差なのか、ネウロイが本気を出していないだけなのか、ミーナは判断できずにいた。そして、その迷いが、彼女の聡明な頭脳を曇らせていたのは間違い無い。

「基地から……引き離されているの?」

 自分達と、還るべき基地の位置関係を確認して、ミーナはようやく、ネウロイの意図らしきものに気が付いた。しかし、それが一体、何の為なのか分からず、彼女は確信を抱けない。そして、敵は、それをゆっくりと考える時間を、ミーナに与えてくれはしなかった。

 ネウロイが、その進行方向を突然、反転させる。それは余りに唐突で、意味が不明であるが故に予想不可能な行動であった。未来予知の出来るエイラでさえ、ぎりぎりで回避するのが精一杯で、その結果、彼女は体勢を崩し、視界からネウロイの姿を外してしまう。そして、咄嗟に武器を構えたミーナに、ネウロイの放った光線が襲い掛かった。

 しかし、それは彼女に届く直前で、魔法シールドによって防がれた。障壁にぶつかって、拡散する赤い光が、ミーナの視界を埋め尽くす。そして、それが収束し、眼前が晴れた時、そこに広がる予想だにしなかった光景に、ミーナは硬直した。

「ネウロイがいない!?」

 泡を食って、ミーナは周囲を見回すが、そこには見渡す限りの空と、晴れやかな青空が広がるばかりであった。それ以外に映る物と言えば、少し離れた所で、同様に慌てているエイラだけ。ミーナは、反射的に、自身の固有魔法を発動させた。

 彼女の能力は、三次元空間把握。周囲に存在する物を瞬時に認識する能力であり、普段は出現したネウロイの位置、数、行動などの確認に活用されている。その能力を以って、彼女は周囲の探索を行った。

 直後、ミーナは弾かれた様に、振り返って後ろを見た。しかし、そこには虫一匹の姿も無く、水平線の彼方まで、遮る物無く海と空が広がるばかりであった。それでも、ミーナはそれが信じ難いと言う様に、茫然とした様子で、その光景を見つめている。

「隊長? どうしたんだ?」

 近付いて来たエイラが、その様子を見て怪訝そうに言った。

「いえ……何でも無いわ」

 ミーナはそう答えるが、それは正に生返事で、なおも彼女は心ここにあらずといった雰囲気で、宙空に視線を漂わせている。

 彼女の能力は、確かにネウロイの存在を捉えていた。いや、本来であれば、捉えるまでも無く、それはそこら中に存在しているべきであった。ミーナの能力は、彼女の周囲に無数のネウロイを捉えていたが、しかしそれは、どれだけ目を凝らしても見止める事が出来なかった。自らの視覚と、能力の間の齟齬に戸惑い、ミーナはただ、見えない敵を探し続けるしか無かった。

 

 

 静かになった基地上空で、芳佳とリネットは武器を抱えたまま、滞空していた。二人の間にある音は、魔導エンジンの可動音と、せいぜい波の音くらいで、特別に会話する事も無く、彼女達は無言で待機任務に終始していた。

「……みんな、遅いね」

 その沈黙に耐えかねたのか、とうとう芳佳がそう口を開いた。彼女が様子を窺う様に、ちらりと視線をリネットに向けると、リネットは視線を動かす事無く、険しい表情のまま、海の向こうを見つめている。

「戦ってるんだもの。仕方ないよ」

 何処か棘のある言い振りでリネットが言うと、芳佳もそれ以上、言葉を続ける事が出来ず、再び二人の間に沈黙が満ちた。

「……さっきは、ごめんなさい」

 しかし、それは長くは続かず、そして、意外な事に切り出したのはリネットであった。芳佳は、彼女が何に対して謝罪しているのか分からなかったが、すぐに出撃前の顛末を思い出し、それについての事だと気が付いた。

「ううん。私の方こそ、無神経なこと言って、ごめんね」

 芳佳はそう言って、リネットに笑い掛けるが、リネットは視線を合わせる事を拒否する様に、俯いてしまった。

「宮藤さんは、どうしてこの部隊に入ったの?」

 リネットが零す様に、ぽつりとそう言うと、芳佳は驚いた様に目を見開いた。

「えっと……坂本さんに誘われて、それで」

「拒否だって、出来たでしょ」リネットが、芳佳の言葉を遮って言った。「おかしいよ。ずっと、戦争なんて関係無かったはずなのに、急にこんな所に来るなんて」

 苦渋に満ちた表情で、そう言い捨てたリネットの様子を見て、芳佳は戸惑っていた。先程、基地で偽らない本心からの言葉が、上手く伝わらなかった事を思い出し、どう答えるべきか、彼女は考えた。だが、いくら考えても、偽りの、上辺だけの回答をするという事に納得が出来ず、芳佳は、大きく息を吸って、口を開く。

「……戦争が、関係無かったから、かな」

 芳佳の言葉に、リネットは意外そうに目を開いた。

「私はただの町医者の娘で、確かに魔法は使えたけど、いずれは自分が家を継いで、医者になるんだろうって、小さい頃から漠然とそう思ってた。お父さんがブリタニアで死んだって聞かされても、それは変わらなかったし、戦争なんて嫌いだって思う様になっただけ。ここに来たのだって、本当はお父さんの事を知りたくて、坂本さんに無理を言って、着いて来ただけだったから」

 芳佳は一旦、言葉を切ると、伏せがちになっていた顔を上げて、リネットに笑い掛けた。

「でも、来る途中でネウロイに襲われて、自分がどれだけ甘えてたのか、凄く良く分かった気がしたの。私は戦争が嫌いだって言うだけで、世界の何処かで、戦争が起きているっていう現実から、目を背けてただけだった。こんな私だけど、お母さんやお婆ちゃんから貰ったこの能力だけは、きっと誰かを助けられると思うから。だから、せめて出来る事を、精一杯やろうって、そう思ったんだ」

 リネットは、茫然とした表情で、そう語る芳佳の姿を見つめていた。

「怖く……ないの?」

「怖いよ。凄く、怖い。今だって、手が震えちゃってるよ」

 そう言って、芳佳はその両手に視線を落とした。彼女の言う通り、その手は小刻みに震え、頼り無く、巨大な機関銃を支えている。

「でも、逃げ出してしまったら、私はきっと一生、後悔する。だから、私はここにいるの」

 芳佳は、震える手とは裏腹に、穏やかで、何処か気丈な笑みを、その顔に湛えていた。それを見て、耐え切れなくなった様に、リネットは俯いて、風に波打つ海面に視線を落とす。海は一見、彼女の乱れた心と同じ様にさざめいているが、それは、ある種の流れによって生まれた物で、実際は酷く平穏なのであった。その事実に思い至って、リネットは結局、伏せた視線を脇に逸らしてしまった。

「リネットさんは、どうしてこの部隊に入ったの?」

 芳佳が言うと、リネットは驚いて振り返った。

「……言ったでしょ。私の意思じゃない、軍の都合で」

「違うよ」芳佳は、やんわりとリネットの言葉を否定した。「そんな理由だけじゃ、ここにいる事なんて出来ないよ。だって、凄く怖いんだもの。生半可な気持ちじゃ、きっと逃げ出しちゃうよ」

 リネットは、頭を優しく叩かれた様な気分で、はっと息を呑んだ。肩からベルトでぶら下がる、重い銃を握る手に力を込めると、手の平が僅かに汗ばんでいる様だった。

「……私は」

 たっぷりと沈黙した後、ようやくリネットが口を開きかけた。しかし、絶妙とも言えるタイミングで、それは遮られる。三度、基地から響く警報が、和みかけていた彼女らの雰囲気を、あっという間に戦慄かせた。

「ネウロイ!? そんな、みんないないのに」

 リネットの発した言葉には、二通りの意味があった。一つは、部隊の全員がネウロイの討伐に当たっている状況にも関わらず、ネウロイが出現した事など、これまでに無いという事。そして、もう一つは、彼女達が頼れる人間は、今、何処にもいないと言う事。

「ど、どうしよう……私達だけじゃ」

 リネットは落ち着かない様子で、基地の格納庫へ視線を向けた。そこには、《EX-1》と《ザルク》が佇んでいるが、どちらも動く気配は感じさせない。

「無理だよ、リネットさん。《ザルク》には、武器が無いんだよ」

「でも……」

 リネットが振り返ると、そこには覚悟を決めた様な表情で、彼方を見据える芳佳の姿があった。その視線を追い、先にある物を見止め、リネットもその意味を悟る。

 脱力した様に、だらんと四肢を投げ出して、ゆっくりと近付いて来るネウロイの姿が、そこにはあった。

「何とかするしか無いよ。私達で」

 芳佳はそう言って、下唇を噛み締めながら、銃を持ち直した。

「何とかって……そんな……」

 諦観にも似た、覚悟を窺わせる芳佳とは対照的に、リネットは戸惑った様に、芳佳とネウロイの間に視線を彷徨わせる。

「私達がやらなきゃ、ブリタニア本島に上陸されちゃう」

「ブリタニア……」

 リネットは基地の方へ振り返った。その視線は、基地では無く、その背後に広がる、彼女の祖国を捉えていた。その悠然とした様は、まるで全てを受け入れる様な包容力を持っている様に思えて、リネットはしばし、微風に僅かに揺れる草木のざわめきに目を奪われる。しかし、それを守らなければならないと思えば思う程、その重圧は彼女の心に重く圧し掛かった。

「駄目……無理、やっぱり出来ないよ」

 リネットは視線を逸らして、頭を振って、その不安を吐露した。

「……大丈夫だよ。リネットさんはここにいて」

「え?」

 芳佳の言葉の意味を理解しかねて、リネットは振り返った。その先には、唇を噛み締め、厳しい表情で手に持った機関銃の、安全装置を外す芳佳の姿があった。混乱して、硬直するリネットを尻目に、芳佳はゆっくりと、推進力を増して、ネウロイの方へ進み始める。

「宮藤さん!?」

 リネットは面食らって、思わず芳佳を呼び止めた。しかし、芳佳は僅かに首を捻って振り返ると、気丈に笑って、それに応える。

「私が引き付けるから、リネットさんは、その隙を狙って」

 そして彼女は短い言葉で、勝つ為に考えた作戦を口にした。

「わ、私が……?」

 それを聞いたリネットは、呆けて芳佳の顔を見返すが、見る見る遠ざかっていくその姿を見て、すぐに我に返って声を張り上げた。

「待って、宮藤さん! 私じゃ……!」

「無理じゃないよ。リネットさんならきっと出来る。だって、私の何十倍も、何百倍も努力して来たんだから。絶対、大丈夫」

 芳佳の声は、随分と落ち着いている様に聞こえた。明確な根拠で以って、断定するその一言に、リネットは言葉に詰まり、そして結局、離れていく彼女の姿をそのまま見送っていた。重量を増した様にさえ感じられる、重厚なライフルを担いだまま、リネットは一目には穏やかな宙空に漂う。しかし、程無くして、その平穏は破られた。

 接近する芳佳に気付いたのであろう、ネウロイの放った赤い光が、青い空を切り分けた。それを見て、リネットは慌てて担いでいたライフルを構え、砲身上部に装着された弾倉を、避ける様に設置されたピープサイトを覗き込む。

 円形の中心に、ネウロイの黄色の体躯が捉えられる。回避行動の予兆も見せないそれに狙いを据えたまま、リネットは引鉄に掛けた右手人差指に、ゆっくりと力を込めた。

 だが、それは重く冷たい引鉄を引き戻すには至らなかった。発射すれば、十中八九、ネウロイに命中するその状態で、リネットは照準器を覗き込んだまま、下唇を噛み締め、冷汗を流す。

 彼女の視線が囚われていたのは、ネウロイではなく、その周囲を飛び回る、芳佳の姿であった。ネウロイの注意を惹く為とはいえ、その動きの無軌道さは、リネットに、僅かな照準のブレが、敵では無く味方を殺してしまう可能性を感じさせていた。勿論、芳佳は射線を意識して動いているのだが、一度そうイメージしてしまったリネットの中では、その映像がどんどん膨らんで行き、結果として、彼女の指を絡め取る様に、その動きを留まらせる。そして、とうとうリネットは、引鉄を引く事無く、銃口を下げてしまった。

 この時、芳佳とリネットの間には、致命的とも言える認識の齟齬が存在した。どちらかと言えば実戦型で、考えるよりも先に行動を起こす性格の芳佳にとって、訓練で出来た事が実戦で出来ないというのは、理解の及ばぬ事であった。それは、単純な意思疎通の不足といった問題では無く、初めてでも比較的、何事もそつなくこなせる人間と、場数をこなしてようやく、その能力を発揮出来る人間との、物事に対する取り組み方の違いである。加えて、五○一にいる魔女達は世界でも屈指の魔女ばかりであり、初めてロッテを組む相手であっても、必要十分な連携を即席で行える程、錬度の高い人間ばかりで、同士撃ちなど起きるはずも無く、芳佳はリネット程、その危険性を実感出来ていないという事もあった。

 勿論、この状況における二人一組の戦術として、芳佳の判断は決して間違いではないが、その判断を行った上で、彼女が作戦の根幹をリネットに託したのは、こればかりは、どうにも相互理解の不足から来る選択ミスであったと言える。

『リネットさん!』

 しかし、リネットが下げかけたその手を、引き留めたのは、通信機から聞こえる芳佳の声であった。それを耳にしたリネットは、はっとした様に顔を上げ、視線の先で、ネウロイの攻撃を防ぎ、回避する芳佳の姿を見止める。その動きはまさに紙一重で、今にも直撃を受けてしまいそうな危うさを、多分に孕んでいた。

『リネットさんにしか出来ないの! お願い!』

 だが、芳佳の声にはその様な危機を感じさせる要素は無かった。その言葉に後押しされる様に、リネットはゆっくりと、一度は降ろしかけた銃を持ち上げ、照準器を覗き込む。

 再び、円の中央にネウロイの姿が収まった。周囲を飛び回る芳佳に苛立った様に、激しく動き始めたそれを、リネットは巧みに追い掛け、銃口の先を外さない。しかし、それでは駄目なのだ。相手の動きに合わせて照準を動かしていては、当たるかどうかは完全な運任せになってしまう。攻撃を、より確実に、少しでも高い確率で命中させる為には、仲間との連携が重要なのだ。だが、リネットは言えない。自分の攻撃の為に、ネウロイを引きつけろと、他人に言う事が出来ないのだ。

 その時、まるで口に出来ないリネットの想いを汲んだかの様に、芳佳の攻撃が止まる。そして、背を向けて上昇するその姿を追い掛けて、ネウロイの動きが極めて直線的に変化した。

『リネットさん! 撃って!』

 通信機から芳佳の声を聞いて、呆気に取られていたリネットは慌てて銃を構え直した。ネウロイが動くであろう、その僅か先を見越して、銃口をそちらへ向ける。

 次の瞬間、リネットはようやく引鉄を引いていた。命のやり取りが行われているとは思えない程、穏やかだった海上に、胃の底を圧迫する様な、重たくくぐもった発射音が響く。そして、放たれた弾丸が、空気を切り裂いた。

 だが、秒の時間が過ぎても、それ以外の変化は起こらなかった。その間も、ネウロイの動きは止まらない。外した、リネットがそう認識した時には、ネウロイは芳佳に追い付き、命を摘み取る様に、その腕を彼女へ向けて伸ばしていた。

「宮藤さ―――」

 リネットが叫んだその瞬間、ネウロイの身体が弾け飛ぶ。鈍色の巨人、《ザルク》が、半ば体当たりの様に突進し、身体をぶつけてネウロイを、その意図していた軌道から弾き出していた。ネウロイはすぐに体勢を戻すと、目標を変え《ザルク》へと迫る。それから逃れる様に、《ザルク》は急速に上昇してその場から離脱した。それを追い掛けて、ネウロイもまた、同様の軌道を描く。

 その光景を見た時、リネットは大いに安堵した。そして、同時に身が震える程の恐怖を思い出す。自分が攻撃をしくじったせいで、人が一人、死にかけた。それは、リネットが最も恐れ、何時も彼女の手元を狂わせる原因であった。

『リネットさん、大丈夫?』

 呆けていたリネットの意識を、芳佳の声が現実へ引き戻した。慌ててリネットがその姿を探すと、彼女は何事も無かったかの様に、脅威の去ったその場に佇んでいる。

「ご、ごめんなさい! 私のせいで……」

 思わず、リネットはそう謝罪していた。遠距離射撃をする者にとって、あってはならない失敗に、何を言われても仕方ないという覚悟も同時にした。しかし、意外にも芳佳は、通信機越しにも責める様な雰囲気を感じさせない。

『ううん。でも、さっきの、惜しかったよね!』

「えっ?」

 命の危険に直面したばかりとは思えないほど、明るい調子の芳佳の声に、リネットは間の抜けた返事を返すのが精一杯であった。

『もう一回、やってみよう。次はきっと出来るよ』

 しかし、次の芳佳の一言で、リネットの顔が青褪める。

「何……言ってるの、宮藤さん」リネットは言った。「さっきの見たでしょ。敵の動きも満足に見切れないのに、私に出来るはず、無いよ」

『そんな事無い。リネットさんならきっと出来るよ』

 変わらない調子で言う芳佳の様子に、リネットはぎり、と歯を食い縛る。

「私の事なんか何も知らないのに! 何の根拠があって、そう言い切れるの!」

 リネットの掠れた叫びが、通信機も必要無い程、周囲に大きく響いた。言ってしまった後で、リネットは自己嫌悪に襲われるが、しかしそれでも、芳佳は激昂する様な素振りを見せなかった。

『……そうだね。確かに私、リネットさんの事、深く知らない』芳佳は、柔らかい調子で言った。『でも、リネットさんが、たくさん努力をしてきたって言う事だけは、知ってるつもりだよ』

 芳佳の言葉を聞いて、リネットは俯いてしまった。自分が、酷く矮小な人間に思えて仕方が無かった。ついこの間まで、軍人でさえ無かった少女が、人一人の命など容易に奪ってしまう脅威を目前にして、こうも気丈に振舞っているというのに、遠距離射撃さえ、恐れて満足に出来ない自分の情けなさが、際立つ様であった。

「……どうして」絞り出す様に、リネットは言った。「どうしてあんな危ない目に遭って、もう一度なんて言えるの? また、私が外すかも知れないのに」

『大丈夫だよ。リネットさん、訓練であんなに上手に出来るんだもの。次はきっと上手くいくよ』

「訓練と実戦は違うの! 動かない的に幾ら当てられたって、動く相手に当てられる様にはならないのよ!」

 リネットはそう言って、頭を振って頭を抱えてしまった。彼女は、状況も、自らの自分勝手な言い分も理解してはいたが、それでも、自分の行動の結果、他人の命が奪われてしまう事への恐怖を拭い去る事が出来ずにいた。

『……それなら、大丈夫。きっと、的は動かないよ』

 しかし、芳佳の声は意外な程、穏やかなままであった。そして、その口調以上に、彼女の意図を、リネットは理解する事が出来ない。

「宮藤さん、何を」

『私、リネットさんの事を信じてるから』リネットの言葉を遮って、芳佳は言った。『だから、リネットさんも私を信じて』

 そう言い残して、芳佳は飛び去った。程無く、その姿を見送ったリネットの視線の先で、芳佳は《ザルク》を追い掛けるネウロイに対して、追撃を行う。それに気付いたネウロイが、その標的を再び芳佳へと向けた。すると、芳佳は迷わずに方向を変える。彼女は、転進すると、真っ直ぐリネットの方へと向かっていた。追走するネウロイの姿を見て、リネットは芳佳の意図が分からず、混乱に陥った。

 だが、すぐにリネットは、その意味を理解した。真っ直ぐ、ぶれずにリネットの方へ直進するネウロイの姿は、動かない的その物であったのだ。

『リネットさん、カウント!』

 打って変わって、リネットは冷静であった。ネウロイの《核》は、多くの場合、身体の正中線上にあるのだという坂本の教えを思い出し、無駄の無い動きで、真っ直ぐ向かってくるネウロイの頭部に銃口を定める。照準器の中には、ネウロイの姿と、その前を飛ぶ芳佳の姿が重なって映り込んだ。

「三、二、一!」リネットは叫ぶ様に言った。「撃ちます!」

 今日一番、最も迷い無い力強さで、リネットは引鉄を引いた。そして、その刹那に銃弾が放たれ、芳佳がぎりぎりのタイミングで、その射線上から身体を翻す。銃弾は寸分の狂い無く、ネウロイの頭部から胴体までを貫いて、その身体は砕け散った。

 陽光を反射して、プリズムとなったネウロイの破片が散らばって行くのを、リネットはぼうとして眺めていた。達成感よりも、安堵の方が先に来て、解脱した様な脱力感が、彼女の全身を包み込む。

「リネットさん!」

 すると、リネットの視界の外から、芳佳が飛び込んで来る様に現れた。リネットとは対照的に、その表情は堪えようの無い喜色に彩られ、まるで自身が手柄を上げたかのように、リネットの戦果を喜んでいる様であった。

「やったよ、リネットさん。やっぱり、リネットさんは凄いよ!」

 しかし、芳佳が興奮を隠さずにそう言うと、リネットは静かに首を横に振った。

「違うよ。私がここまで出来たのは、全部、宮藤さんのお陰。あなたがいなかったら、きっと私は、ブリタニアを守る事が出来なかった」

 そう言うと、リネットは背後に広がるブリタニア本土を振り返った。その島国は、眼前で行われた戦闘の痕跡を感じさせない雄大さで、彼女を包み込む様に、静かに佇んでいた。

「私、宮藤さんの事が羨ましかった。いきなりこんな所に来たのに、それでも笑って、明るくいられるあなたの事が」

 リネットは顔を伏せてそう言うと、僅かに涙を湛えた瞳を、芳佳の方へと向けた。

「でも、あなたのお陰で思い出す事が出来た。この部隊への配属が決まった時、私なんかに何が出来るか分からないけど、それでも、ブリタニアを守る為に、出来る事をやろうって、そう思えた時の気持ちを」

 それは、越えてしまえば、何と言う事のない壁であった。自身だけがブリタニア出身である事から来る疎外感と、祖国を守らなければならないという使命感。その中で、リネットは無意識に、他の部隊員と距離を取ってしまっていた。そして、何時も彼女の銃弾を逸らしてしまっていたのは、仲間を信頼し切れない彼女の気持ちだったのだ。

「本当に、ありがとう」

 リネットはゆっくりと、正面から芳佳の首に手を回し、その身体を抱き締めた。芳佳は一瞬、戸惑い慌てるが、すぐに安心した様な表情になって、おずおずと、リネットの身体を抱き締め返した。

 そして、その瞬間、閃いた赤い光が空を裂き、二人の身体を吹き飛ばした。

 

 

「馬鹿なっ!?」

 弾き飛ばされた芳佳とリネットが、滑走路に落下して行く光景を見を、《ザルク》のカメラ越しに見た時、リウは思わずそう叫んでいた。その光は、ネウロイの身体が砕けたその場所から放たれ、そしてその場所で、煌めくその破片達が、ゆっくりと元の姿を形作っていく。

「分解と再構成! そうやって、こちらの網をすり抜けたのか!?」

 その時には、既にネウロイは無傷の姿を再生させていた。そして、まるで何事も無かった様に、五○一の基地の、その滑走路の先端に降り立った。

 リウは呆気に取られてその行動を見送っていたが、ネウロイの視線の先に、撃墜され地に落ちた芳佳とリネットの姿を見止め、我に返った。ゆっくりとその身を起こす芳佳を見て、リウはまず、その生存を確かめて安堵するが、それを嘲笑う様に、ネウロイは再び光線を放つ。

 弱々しいシールドが、それを遮った。しかし、ストライカーユニットの推力が無い状態ではその衝撃に抗う事が出来ず、芳佳の小さな体は弾き飛ばされる。固い滑走路を転がる芳佳を、なおいたぶる様に、ネウロイが追撃の意思を見せた。

 弾かれた様に、リウは《ザルク》を動かしていた。一瞬で最高速に達し、猛烈な重力加速度が彼の身体を襲い、体内の空気が口から吐き出される感覚を覚えても、構わず《ザルク》は突進する。しかし、それに気付いたネウロイが振り返りその姿を捉えた。そして放たれた光線が、回避しようとした《ザルク》の右腕に喰らい付く。だが、それでも《ザルク》は止まりはしない。右腕をパージし、被害を最小限に食い止めて、《ザルク》は第二撃を行わんとしたネウロイの、その懐に入り込んで見せた。

 残った《ザルク》の左腕が、ネウロイの頭部を抑え付けた。意図しない圧力に抗うネウロイの力と、《ザルク》の力が拮抗して、耳障りな軋み音が鳴り響く。

 だが、その拮抗も長くは続かなかった。暴れるネウロイの腕が、《ザルク》を直撃する。その衝撃で《ザルク》は引き剥がされ、一瞬だけ、リウの制御を離れたその先で、ネウロイはゆっくりと、芳佳とリネットの姿を捉えていた。

 リウの脳裏に、あの光景がフラッシュバックする。研究所、暴走するフランク、そして、彼の大切な女性。

「やめろ――――!」

 かつてと同じ絶叫が、思わず口を衝いて出ていた。しかし、実体を伴わないその叫びは、ネウロイの行動に何の支障もきたす事無く、無情な光が収束する。

 だが、その光が、芳佳とリネットを焼き尽くす事は無かった。

 そこには、ネウロイと彼女達との間に、割って入る者の姿があった。

「フランク!?」

 その姿を見たリウは、驚いて、思わずそう叫んでいた。一瞬の対峙の後、フランクは、ネウロイの攻撃を受け止めた、巨大な左腕を振り上げ、猛烈な勢いでネウロイへ突進する。同時に放たれた、ネウロイの第二射が、フランクの身体を炙り火花を散らせた。そして、眩い光を帯びたフランクの左腕が振り抜かれる。猛々しい破砕音が響き、ネウロイの頭部が吹き飛んだ。残った身体はぎくりと硬直し、程無く土色に結晶化して、そして砕け散った。

 リウは、ネウロイの身体が砕けて、その痕跡も探せなくなるまで霧散してしまっても、信じ難いという目で、その光景を追っていた。しかし、通信機から漏れ聞こえるノイズ混じりの声が、その意識を引き戻す。

『――宮藤さん、リネットさん! 誰か、応答して!』

 それは、切羽詰まったミーナの声であった。リウは我に返って、慌てて通信機のスイッチをオンにした。

「こちら《ザルク》、リウ・ソーマ少尉です」

『ソーマ少尉!? 状況を説明して!』

「……ネウロイが出現しました」

 リウが言うと、通信機の向こうで息を呑む雰囲気が感じられた。

『それで、現状は?』

 少し冷静になった様子で、ミーナは言った。

「ネウロイの撃破を確認。基地への被害もありません」

『人的被害は?』

 やや硬い口ぶりで、ミーナが言った。リウは一旦、言葉を切ると、滑走路に倒れる芳佳とリネットの姿に視線を向ける。そして、二人の身体が、僅かに動いているのを確認して、短く息を吐いて安堵した。

「宮藤軍曹、ビショップ軍曹が負傷していますが、命に別条は無い様です」

『そう……』安堵した様に、ミーナは溜息混じりにそう言った。『宮藤さんと、リネットさんの事をお願い。私もすぐに戻ります。その後で、詳細な報告を』

「了解」

 リウがそう言って、両者の通信は終了した。

 

 

 全身に痛みを覚えながら、芳佳はゆっくりと、自分の身体を起こしていた。上着はぼろきれの様にはだけ、アンダーウェアも各部が千切れ、各所から血が滲んでいたが、擦り傷や打撲の痛みこそあれど、骨折、或いは部位の欠損などの、致命的な負傷が無い事を確認し、まずは安堵の溜め息を吐く。そして、次に、同様に攻撃を受けたリネットの存在を思い出し、痛みを忘れる程に慌てて、彼女は起き上がろうとした。しかし、その時、眼前に立つ人影を目にして、思わずその動きを止める。

「ソーマ……さん」

 芳佳は、呟く様に言った。リウは表情を変えず、何処か厳しい目つきを、芳佳に注いでいる。その視線に、芳佳は身体を硬直させた。

「何を、しているんだ、お前は」

 低く、絞り出す様な声が、リウの口から漏れた。だが、芳佳はその言葉の意味が理解出来ず、ごくりと唾を飲み込んだだけで、何も応える事が出来ない。

「どうして逃げなかった。自分まで死ぬつもりだったのか」

 ようやく、芳佳は合点がいった。リウは、ネウロイの攻撃に対して、自分が逃走では無く、防御を選んだ事が不満であるのだと。だが、そう理解はしても、芳佳は何も言う事が出来なかった。

「……黙るなよ。言わなきゃ、何も分からないだろ」

 リウは少し苛立った様子で、表情を歪ませた。芳佳は、何故、彼がここまでその事に拘るのか、どうしても分からなかった。過程はともかくとして、結果だけ見れば、芳佳もリネットも五体満足で助かった。何より、彼の言う行動は、それはつまり、リネットを見捨てて、自分だけ助かれという事に他ならない。そこまで思索して、芳佳は体温が上がったと思う程、怒りで全身が湧き立つのを感じた。

「逃げてしまったら、何も守れないんです」

 芳佳は、何とかそれだけ言い放った。しかし、リウの様子に変化は見えず、彼はなおも、冷たい視線を彼女へと向けている。

「運が良かっただけだ」リウは言い捨てた。「何も出来ないのに、抗うなんて無様だ。お前に、何が出来る」

 思わず叫び出したくなる程の怒りが、芳佳の全身を包んでいた。しかし、感情に任せて、それを口にする事は、彼女には出来なかった。自身が何も出来なかった事、生存は、ただ運が良かっただけだという事。どちらも痛いくらいに芳佳は理解していた。だから、リウの言葉を否定する事を、彼女の理性は許さなかった。

「分かってます。でも、それでも、何も出来ないからって諦めて、最初から何もしないなんて、私は嫌です。全てが終わったその後で、自分のした事を後悔したくない」

 言いながら、芳佳は拳を握り締めて、《赤城》での戦闘を思い出していた。

「結果は変わらないかも知れません。ただの自己満足なのも分かっています。でも、私は何度だって、今日と同じ事をします。やらないで後悔するくらいなら、やって、後悔しないで死んでいきます」

 芳佳は、真っ直ぐ、リウの目を見つめ返していた。その視線、言葉に、リウの険しかった表情が崩れる。そして、彼はすぐに悔しげに顔をしかめ、芳佳の視線から逃げる様に俯いた。

「……死ぬとか、言うな」

「え……?」

 リウの呟いた言葉を、芳佳は聞き取れなかった。そして、聞き直そうとした芳佳の顔を、覆い隠す物があった。

「もうすぐ中佐が戻って来る。着ておけよ」

 それは、リウの上着であった。芳佳は突然の事に驚いて、リウの方を見返すが、その時には彼は既に背を向けており、その表情を伺う事は叶わなかった。

「……馬鹿だな、お前は」

 背を向けたまま、リウはそう言った。芳佳は羽織った上着の裾を、きゅうと握ったまま、呆けた様な視線を、その後ろ姿に注いでいた。投げ渡された上着が、彼女の視界を遮る直前、リウが、形容し難い、懐かしげな目をしていた様な気がして、それでも、それを確かめる事が出来ず、二人は他の隊員が戻って来るのを、黙って待ち続けていた。佇むフランクが、まるで見守るその場所で。

 




次回
Phase07:使命と逃避と
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