~003~
「まてまて、火憐ちゃん。勝負って」
「揉めたら勝負。いっつも兄ちゃんがあたしに言ってたことじゃねぇーかよ!」
むむ。確かに、僕達兄妹の間ではそういう慣わしがあるけれど、それを戦場ヶ原に適用するのは話が違うだろうに。
「黒帯所持者のお前を倒せる奴なんて普通の女子中高生の中に居るはずないだろ。これは勝負として公平性に欠けるし、成立しない。んな物騒なこと許可できるわけねえだろーが!」
文房具で完全武装した全盛期の戦場ヶ原なら、或いは、相応の勝負をすることができたかもしれないが、やはり、贔屓目に見ても、火憐の戦闘能力を過小評価することはできない。
あの鉄拳をこの身で味わった僕から言わせて貰えれば、あいつは武装しなくても全身凶器みたいなもんだからな。
そんな危険人物と、戦場ヶ原を勝負させるなんてありえないありえない。
僕が火憐の発案を却下するのは当たり前のことだと言える。
「いえ、いいのよ阿良々木くん――火憐さん、その勝負受けてたちましょう」
しかし、僕の配慮を他所に、あろうことか火憐の申し出を聞き入れてしまう戦場ヶ原だった。当然、そんな無謀な愚挙を容認できるわけがなく、考えを改めさせるため声をかけようとしたが――先んじて戦場ヶ原が口を開く。
「でも流石に、取っ組み合いの勝負というのは物騒だし、そうね、ここは穏便にジャンケンで決めちゃいましょうか」
と、戦場ヶ原から斯様な提案がなされた。
「どう? 火憐さん」
「ふん。あたしは何だって構わねーぜ。望む所だ。ジャンケンでこの常勝無敗、天下無双、一騎当千の阿良々木火憐ちゃんに勝負を挑むなんて、とんだ身の程知らずが居たもんだ」
戦場ヶ原の挑発めいた申し出に対し、大仰な台詞で快諾する火憐。
ジャンケンでここまで強気に啖呵が切れるのも、ある意味すごい。どこからその自信が沸いてくるのだろうか。
あと、いかにも強そうな四文字熟語を言葉の響きだけでセレクトした節がみられる。ジャンケンにおいて一騎当千がどういった意味合いになるのか気になるところだ。
さて、とんとん拍子の間に『ジャンケン勝負』が締結されてしまったが、僕としては口を挟まずにはいられない。
「おいおい戦場ヶ原。僕達の一生に関わる事柄を、時の運に勝敗を左右されるジャンケンなんかに委ねるってのはどうかと思うんだけど」
それ以前の問題提起としては、勝負すること事態おかしい。
「ふふ、一生、ね。大丈夫。私を信じて阿良々木くん」
僕が何気無く使った言葉に笑みをこぼし、なにやら自信ありげに瞳を覗き込んでくる。
火憐の自信の根拠も不明だが、それは戦場ヶ原にも言えることだ。
果たして、僕はこの勝負を認めてしまっていいのだろうか?
既にやる気満々なご様子の火憐は、腕を伸ばしてのストレッチに屈しん運動と――ジャンケンにどれ程の効果をもたすのか真偽は不明というか、効力はないであろう柔軟体操に精を出し始めている。
あーくそ。当人等の中では決定事項のようだし、今更あれこれ言っても考えを改めさせるのは難しいか。
まぁいざとなったら、適当な難癖をつけて有耶無耶にするとして、ここは流れに身を任せるしかない。
「火憐。やる前に一つ忠告しておくが、以前に僕に試した『ジャンケン必勝法』をつかったりなんかしたら、問答無用で反則負けだからな」
「なにっ!?」
「ほんとに使うつもりだったのかよ!」
「うわ、どうしよどうしよ……あたしの……あたしの秘策がー!」
自信の源を封じられ、狼狽する火憐は捨て置くとして――さて、この『ジャンケン勝負』発案である戦場ヶ原が特筆してジャンケンが強いとかそんなこと、今まで一言たりとも聞いたことがない訳だが……その辺りの事情はどうなのだろう?
そもそもこの世の中にジャンケンが得意な人間なんて居るのか?
一部には、『HUNTER×HUNTER』でゴンが使っていたような、突出した動体視力を用いて、相手の指の動きから即座に対応する方法なんかを、本当に実行出来てしまう人間も居るには居るらしいけど(羽川談)、戦場ヶ原にそんな芸当が出来るとは思えない。
「私を信じて」なんて言われても、その自信の拠り所が気掛かりというか、僕は不安で一杯だ。
「ほんとに大丈夫なのか?」
堪らず、戦場ヶ原に問い掛ける。
「愚問ね、阿良々木くん。私はジャンケン十三奥義を会得した女よ」
「なんだって!?」
ジャンケン十三奥義。知る人ぞ知る、もしくは知る人しか知らないであろう、ジャンケンの根幹を揺るがす革命的、革新的あの奥義を会得しただとっ!?
なるほど、戦場ヶ原の自信にも納得がいく。
『ジャンケン超高速破壊拳』なんかは火憐が習得してしまいかねない奥義の一つだよなぁなんて危惧している。個人的にはミントさんの『ジャンケン買収』あたりが、実用的で最強だと思う。
いや、待て待て。ジャンケン十三奥義について語っても誰にも伝わらないし、納得なんて出来るか!
「そんなの使うつもりなのかよ」
「嫌ね。冗談よ、冗談。なんで本気にしてるのよ」
そんな奥義にも似た自称必勝法を使用した馬鹿が身内に居るからに他ならない。
「じゃあささっと始めましょうか」
戦場ヶ原の呼びかけで、両者立ち上がり、向かい合う。
僕と戦場ヶ原の今後の趨勢が懸かった勝負だと言うのになんか軽い感じというか、 勝敗を決める手段がジャンケンじゃ、今ひとつ緊張感が足りない。いや、あっても困るのだけど。
「かかってこいっ!」
動揺していた火憐も、いつのまにか腹をくくったらしく、普段通りの威勢を取り戻していた。
視線を交え、互いに準備万端であることを確認し、いよいよ雌雄を決する時がきたようだ。
そこで。
徐に火憐の眼前に拳を掲げ、強調しながら戦場ヶ原は宣言する。
「火憐さん、私はグーを出すから、いい? グーよ、グー」
「え?」
面食らう火憐ちゃん。
「じゃんけん――」
と、火憐にその真意を問う隙すら与えず、戦場ヶ原主導の下ジャンケンが開始された。
「――ぽん」
結果。
火憐ちゃん、パー、戦場ヶ原、チョキ。
勝者、戦場ヶ原。
「………………………………」
なんだろう。戦場ヶ原の勝利に喜べない、このもどかしい感情は……。
よくある心理戦を用いた駆け引き的なものなのだろうが……なんか違う気がする。
良く言えば、火憐の単純な性格、頭の弱さを見抜いた見事な策略。戦場ヶ原の作戦勝ちと言ったところか……? いや言うほど見事でもないし、清々しいまでに姑息な手段だけど。えげつねぇ……。
程度の問題で言えば火憐の発案した『ジャンケン必勝法 (早だしして相手を強制的に後出しにするというせこ技)』と大して変わりはない。
「勝負とは非情ね」
頬に手を当て、すまし顔で飄々と言ってのけるのだから大したものだ。
「いや……お前な……」
さすがに、文句のひとつでも言ってやろうかと口を開きかけた僕に対して、
「蟹」
と、戦場ヶ原が短く一言。
「はい?」
「ほら、私、蟹さんだから」
ちょきちょきと、指で形作ったはさみを閉口して、ちゃめっけな笑顔で言うのだから呆れるしかない。それ以上の追求も憚られるってもんだ。
ただ、こんな騙まし討ちとも取れる手段で負けた火憐が納得するはずもない。
「負け……負け、た……兄ちゃんが……兄ちゃんがとら……うっ……とられる、にいぢゃんが……うわああああああああああああああぁん!」
――なんて思ったが、完全に負けを認めていた。
僕と戦場ヶ原が付き合うことを事実上容認しなければいけなくなった事実が受け入れられないって感じなのだろう。
まぁじゃんけん必勝法なるイカサマ擬いの戦術を思いつく感性の持ち主なのだから、戦場ヶ原の戦術(と呼ぶには抵抗を覚えるけど)に不服を唱えることもないか。
つーか、まじ泣きしてるな。
その場に崩れ落ち、顔面蒼白で放心状態になる火憐ちゃんである。
嗚咽まじりに、しゃくりをあげ大泣きする妹をただ黙って眺めてるわけにはいかず、急いで歩み寄る。
「よしよし。いい子だ。いい子。戦場ヶ原と別れることはできないけど、火憐ちゃんの兄ちゃんは僕だけだぞ。兄ちゃんはお前を見捨てたりしないし、いつまでも一緒だ。唯一無二、二人っきりの兄妹なんだからな」
火憐の頭を撫でながら、懸命に言葉を投げかける。
「あのー。お兄さまー。わたし、わたし。プリチーな、可愛い末っ子月火ちゃんのことお忘れではございませんかー?」
必死に火憐をあやす僕の後ろで何やら月火が言っているけど、そんなのに構っている余裕はない。
多分この一連のやり取りが、忍の機嫌を損ねるに至った『仲良しごっこの家族ごっこ』の最たる箇所なのだろうと思う。
とまぁ伝え切れていない話はまだあるものの、そんな感じで。
僕の懸命な働きの甲斐あって、後に『ガハラサミット』と呼ばれることになるこの会合は、なんとか無事終了したのだった。
~004~
後日談というか、今回のオチ。
「兄ちゃんはどっちの味方なのさっ!?」
「お兄ちゃんはどっちの味方なのっ!?」
サラウンド。左右の耳から同時に飛び込んでくる甲高い二人の声に、僕は固唾を呑む。
今回は、いつものような兄を起こしにきた妹達の図でない。
はてさて……どちらか片方の味方をすれば、否応無しにもう片方と敵対することになるのは明白なこと。正義は正義以外に対する敵であるように、一方に加勢するということは、それだけで危険な要因を孕んでいる。
迂闊な返答は避けなければならない。
なんとこの姉妹、現在喧嘩の真っ最中だったりする。
つまり、現状を説明すると、二人は僕を味方に引き込んで、立場を優勢にしようと躍起になっているところなのだ。
僕と喧嘩することはあっても、傍目から見ていて気持ちが悪いくらいに仲良しなファイヤーシスターズの二人が、喧嘩するってのは大変珍しい光景である。
いや、これは喧嘩というより対立といった方が表現として正しいだろうか。
まぁその対立状態になった理由はというと……
「翼さんのこと、月火ちゃんだって認めてるだろ」
「それは確かに認めているし、私だって尊敬しているけど、こればっかりは戦場ヶ原さんしかないね。私は断固としてお姉さまを支持するね」
なぜこれほど異常なまでに戦場ヶ原ひたぎに心酔し、憧憬を抱いているのかは不明だけれど、戦場ヶ原にも一種のカリスマ性というものがあるのは確かだ。
その一例として身近にあの変態の後輩がいるわけだし、戦場ヶ原と月火の性質が似ているのも大きな要因と言える。シンパシーを感じるものがあったのだろう。
いつの間にか、『お姉さま』と慕うほど仲良くなっていた彼女と妹の関係を悪いとは思わないが、戦場ヶ原と神原のあの百合関係の事例があるだけに、諸手を挙げて歓迎することは出できない。
「いいや、翼さんに決まってる。翼さんの凄さを知っている人間なら、それ以外考えられない、つーか翼さんだから、あたしはなんとか我慢できるんだ。それ以外の奴なんて願い下げだ!」
そして、火憐は火憐で、羽川翼に肩入れしているみたいなのだ。
これは僕も僕で羽川を崇める一人として大いに共感できるし、まだまだ火憐は羽川の力の片鱗しか見て取れて居ないと、僕は声を大にして言いたいのだけど、ここでは割愛しよう。
まぁかようにして、この姉妹が戦場ヶ原派と羽川派に別れ、論争を繰り広げているわけなのだが、その論争の焦点になっている議題はというと、どちらが僕――阿良々木暦の花嫁に相応しいかだったりする。
いやいやいや……花嫁って。
何を言っているんだこの姉妹はと。一蹴して、黙らせたい。あわよくば息の根を一時止めてみたいものなのだけれど、話はそう簡単に済むものではない。
ただ単にファイヤーシスターズが言い争っているだけならば、僕はそこまで困りはしない。
相応の手段をもって黙らせることは可能で、兄の強権を発動することは本来容易い。
だけど。
なのだけど。
この場に――リビングのソファで優雅に紅茶を嗜む、件の張本人達がいるのがこの惨劇における重要なファクターなのだ。
今更なぜこのような事態になったのか、僕が訊きたいぐらいではあるが、もう状況が出来上がってしまっているだけに、振り返ってもせん無いこと……。
戦場ヶ原ひたぎ、羽川翼の両名は、涼しげに紅茶を味わっている。
優雅に午後の麗らかなティータイムをくつろいでいるような二人だけど、ただ間違いなく、この僕達兄妹のやり取りを、一片も洩らさず傾聴しているのは確かなのだ。
どちらかに肩入れでもすれば、もう片方との間に亀裂が生じることは避けられない。
そんな運命の二択を強いられてると言っても過言ではない。絶体絶命の修羅場……いますぐこの場所から逃避したい……助けてのぶえもん!
「あら、こよこよ。顔色が悪いわよ」
口につけたティーカップを置いて、戦場ヶ原。普段人前では使用しない愛称を使っているのはどういう心境の表れなのか。
「ほんとだ。阿良々木くん大丈夫?」
続けて羽川も心配して声をかけてくれる。ただ、若干棒読み気味と言うか、冷めた声音に訊こえるのは僕の被害妄想の類だろうか。僕を気遣ってくれる羽川の頭に、ある筈のない猫耳の幻影まで見える。
「なぁ、兄ちゃんはどっちの味方なのさっ!?」
「ほら、お兄ちゃんはどっちの味方なのっ!?」
僕を責め立てるように妹達は繰り返す。
じりじりと断崖絶壁の淵に追い込まれているようだ。
退路は、ない。
今まさに、第ニ回ガハラサミットが開催されんとしていた。