~001~
「阿良々木くん。今日は何の日か知っているかしら?」
老朽化した扉を開けて出てきた戦場ヶ原は、開口一番にそう僕に尋ねてきた。
今日は七月七日。世に言う七夕。
色とりどりに飾り立てられた笹の葉に、夢や願いごとを書き記した短冊をつるし、星にお祈りをする日。
でも今日は、そんな節句なんかよりも重要かつ大切な日だった。
戦場ヶ原にとって――いや僕にとっても。
「そりゃな。その為に今日は此処に来たんだからな」
「そう」
「今日はお前の誕生日だ」
「何を言っているの阿良々木くん。今日はポニーテールの日よ」
「いや、確かにお前のポニーテール姿は大変魅力的で、途轍もなく似合っているけど、なんでそんな一般大衆が知らないような日をチョイスするんだよ! もっと他にあっただろ。特に今日なんかは」
「ええ、その通りだわ。カルピスが販売開始された日でもあるわね」
「んな事しらねえよ!」
「相変わらずの浅学菲才ぶりね。これで私と同じ大学に通いたいと言っているのだから片腹痛くて、ちゃんちゃら可笑しいわ。あら、阿良々木くんってとっても面白い人だったのね」
「それは嘲笑の類と言うか、僕に対する皮肉だろうが!」
「肥肉ですって。私が肥えた豚みたいな女だと、そう言いたいのかしら?」
「違うよ! なんでお前が、僕の言葉を皮肉として受け取ってんだよ! 字も違うし、曲解し過ぎだろ」
「あらそう、ならいいのだけど。もし阿良々木くんが反旗を翻そうとしていたのなら、片さなければいけないところだったわ」
片すって言うのは、『片付ける』ってことだよな……え、僕を? どう言う意味なんだ?
聞き手の裁量で如何様にも取れる不穏な言葉を吐きやがって……間違いなく猟奇的な意味だろう。
「阿良々木くん。そんなところに突っ立ってないで、はやく中に入ったらどう?」
「ああ、ごめんごめん。立ち話もなんだもんな」
本来、家主が言う言葉ではあるけど僕が代弁しておく。
「いえ、そういう事ではなくて、私の家の前に阿良々木くんのような不審人物が立っていると、近所に悪い評判が流れるでしょう。知り合いだと思われたら困るのよ」
「僕のどこが不審人物なんだよ!」
「そうね、阿良々木くんを人物――人間と定義するなんて間違っていたわ。阿良々木くんのような腐審物が捨てられていると――」
「腐ってもないし、物でもないし、捨てられてもねえよ!!」
「御託はいいから、さっさと入ってしまいなさい。近所迷惑よ」
「…………はい」
理不尽ではあったが、至極尤もなこと言われてしまったので、我慢して戦場ヶ原宅にお邪魔する。
民倉荘。木造アパートの二階建て。201号室。
六畳一間の小さな部屋。
綺麗に整頓されているとうよりは物が余りにも少ないといった感じだ。
失礼な話だが、朽ちかけた壁は新聞紙で補修されていたりして、此処に火憐を解き放てば一日足らずで倒壊するのではないだろうか。そう思えてしまうほど状態がよくない。
まあアイツが本気になれば、どんな家だって時間の差異はあれど同じ結果に至るのだろうけど。
部屋に入ると畳独特の匂いが鼻腔を擽る。なんだか落ち着いた気分になるので僕はこの匂いが好きだったりする。
部屋の中央には卓袱台が置かれており、その上には既に料理が並べられていた。
戦場ヶ原自ら料理をして、僕の為に腕を振るってくれたわけだ。
これには心から感謝しなければいけないだろう。
先程、僕が発言したとおり、今日は戦場ヶ原ひたぎの誕生日。
僕の奢りで外食でもしに行こうとも提案したのだが、戦場ヶ原たっての希望により、こうして家に招かれたのである。
「何も持ってこなくていい」とのお達しだったが、ケーキだけはデパートまでひとっ走りして(自転車でだけど)購入済みだ。
戦場ヶ原のお父さんへのお土産も兼ね、選択できるように4種類、別々のケーキを買ってある。
それに、ちゃんとプレゼントだって、胸に忍ばせている。
ケーキに関しては隠せるような物でも、サプライズを気取るつもりもなかったので、戦場ヶ原に預け冷蔵庫に収納して貰う。
誕生日プレゼントの方は帰る直前にでも渡すことにしよう。
どうやら例の如く、戦場ヶ原のお父さんはお仕事のようで、今日も今日とて二人っきりだ。
受験勉強の監修をして貰っているので、今更二人っきりになっても緊張するものでもないが、今日は完全なオフ。
戦場ヶ原の誕生日を祝うのが第一だが、僕も羽を伸ばして楽しめそうである。
~002~
僕は戦場ヶ原の家の六畳間の部屋の中で、正座していた。
いや、戦場ヶ原に正座を強要させられたとかそんな訳ではなく、ただ座っていることしかできない自分への戒めの為にだ。
ようするに、戦場ヶ原は料理の仕上げ、メインディッシュの調理に取り掛かっているのに対し、そんな彼女のお手伝いも出来ずにただぼーっとしているしかない僕が、胡坐をかいてのんびりするのも気が引けた為の処置だった。
大人しく邪魔をしないよう待機中なのである。
卓袱台の上には、サラダ(シーザーサラダっぽいもの)と、白いスープ――推測ではあるが、ヴィシソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)、それに切り分けられたバゲットが配膳されていた。
ただテーブルクロスの類はなく、茶色い机の上に飾りもなく並べられているのが少々無骨ではある。
戦場ヶ原の料理の腕は、漫画などに散見される壊滅的な下手さでも、超絶的な技巧を有する天才なんてのでもなく、普通だった。
いや、普通と言うと少し語弊がある……調理工程などは問題ないのだが、味付けがかなり独特で、人によっては受け付けない場合もあったりする。たしか神原は苦手としていたはず。
僕はそこまで拒否反応を示すことなく食べれる、と言うか結構好みの味だ。
しばらくすると、戦場ヶ原がお盆にメインディッシュを載せてやってくる。
戦場ヶ原の説明によると、豚ヒレ肉のソテー赤ワインソース風ということらしい。
赤ワインは戦場ヶ原父の秘蔵の品を拝借したと揚々と語ってくれた。
付け合せには、ほうれん草のソテーと、人参のグラッセが添えられている。
おお、見た目も豪華で美味しそうだ。
卓袱台にスペースが余っていないので、そのまま畳の上に置き、向かい合わせに座る僕たち。
「いや、ほんと、悪いな。今日はガハラさんの誕生日なのに、どちらが祝って貰っているのか判らなくなるよ」
「いいわよ、祝うだなんて。私は阿良々木くんに服従して貰うだけで十分だもの」
「一瞬、いい台詞を言ってんのかと思ったが、最低な台詞だな! 僕はお前の奴隷になんかならないぞ!」
「私だって阿良々木くんのような無能を配下にしたところでメリットがないし、こっちから願い下げだわ。いい迷惑よ」
「ううう……僕をゴミくずのように扱いやがって」
「そんな扱いした覚えはないのだけど」
「……ならいいんだけどさ」
「阿良々木くん、大抵のゴミは火をつければ燃えて無くなってくれるけれど、阿良々木くんを火葬するのにはお金がかかるし、放置したら異臭騒ぎになってしまうわ。ゴミくずの方が無害なだけマシよね」
こいつ、曲がりなりにも自分の彼氏を、話の中でとはいえ殺しやがった。しかもゴミ以下の扱いだ!
「僕が明日もし死んでいたら、その死因はきっと自殺だろうよ!」
「と言うことは、私は阿良々木くんを殺した、阿良々木くんを殺さなくてはいけないのね。困ったわ。どうすれば解決するのかしら…………そうね。タイムマシンを手に入れて、阿良々木くんが死ぬ前に始末すればいいと言うことね。でもこれって『親殺しのパラドックス』が発生しないかしら?」
「確かにお前は僕を殺した奴を殺すとか言ってたが、その場合の犯人は確実にお前だ! 僕が自殺する前に僕を殺してる!」
「なら阿良々木くんを殺した私を、私が殺す。私は阿良々木くんの為になら死ねるもの。この命ぐらい差し出してみせるわ!」
「めちゃくちゃ格好いい台詞だが、その原因をよーく考えてみろ! 矛盾だらけで意味がわかんねえよ!」
なんて物情騒然とした食卓だ。
これが誕生日を祝う宴の席だとは思えないぞ。
~003~
ガハラさんお手製のフルコースを堪能した僕だった。デザートに関しては僕が買ってきたケーキなんだけど。
料理の出来栄えは、もしかしたら今日の日の為に練習したのではないかと思えるぐらいの美味しさで、あれなら神原だって、誰だって美味しく頂けるだろう。
和やかな談笑とは言えないものの、食事をしながらのお喋りも楽しめた。
いつもより暴言毒舌が冴え渡っていた気がするし、戦場ヶ原も満足出来たんではないだろうか。
今は二人で食器の後片付けを済ませて、ただ何をするでもなく、座っているだけだった。
「でもこうして七夕の日に二人で会うなんて、なんだかロマンチックでいいよな」
「そうかしら?」
「つれないこと言うなよ……そう言えば、七夕の行事と言うか、短冊で願掛けとかしなくていいのか? あ、それに今からでも星を見に行ったり。お前に連れて行って貰ったあの景色には適わないだろうけど、田舎だし今日は晴れてるし、それなりの星空が見れるだろうぜ」
今日は戦場ヶ原の希望通り、家の中で過ごしているが、僕だって一応デートプランを考えていたので、そう言ってみたのだけど、彼女の反応は今ひとつだった。
「その必要はないわ。私は自分の誕生日が七夕だってことを余り快く思っていないのよ」
「なんだよそれ、七夕の何がいけないんだよ……」
「阿良々木くん。七夕って知ってる?」
「おかしな事を聞く奴だな。知ってるからさっきから話題に上げてるんだろ」
「その七夕に関する逸話の内容を……よ」
「ううん…………まあ、それぐらいなら……ええと彦星と織姫が一年に一度出会える日なんだろ。あ! ちゃんと知ってるぜ。この二人は結婚してるんだよな」
僕の発言に、心底呆れたような顰め面をつくる。
「そんな浅い知識を臆面もなく語れることに驚愕するわ」
吐き捨てるように言われた!
「違うってのかよ?」
「そうね。とは言っても、私も所詮受け売りの知識でしかないのだけど。七夕伝説の大筋だけね……」
戦場ヶ原は悠々と語り始める。
「天の川のほとりに、天帝の娘である
「……そんな致命的な確率じゃねえよ!」
「まあ、そのお二人さんなのだけど、夫婦生活が楽しすぎちゃったのか、愛にうつつを抜かして、織女は機織りをすっかり止めてしまい、牽牛も牛を追わなくなった。天帝も始めは新婚だからと大目に見ていたのだけど、二人に改善の余地がみられなかったので、ついには天帝の堪忍袋の緒が切れちゃったのよ」
「へー。そんな話があったんだな」
僕が理解しているか値踏みするように見つめてから、話を再開する。
「怒った天帝は二人の所へ出向くと、織女に再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出すことを命じたの。実家に連れ戻されるってことね。でも父親である天帝も一抹の温情からか『心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら一年に一度、七月七日の夜に牽牛と会うことを許してやろう』と告げたそうよ。娘に嫌わるのが怖くなった父親が仕方なしにそう言ったのではないかと私は睨んでいるわ」
「お前の解釈は余計だ。天帝も人の親って感じがして親近感が沸いちゃったよ」
いや、そう思って間違いないのかもしれないけど、もっとこう厳粛な取り決めというか、何というか……僕の中の天帝のイメージが「パパのこと嫌わないで~」とか言ってる駄目親父になってしまった。
「まあここからは知っての通り、二人は天の川に隔てられて引き離される事になるのだけど。それ以来、自分の行いを反省した織女は年に一度の牽牛との再会を励みに、以前のように機織りに精を出すようになり、牽牛も気持ちを入れ替えて働き始める。牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて七月七日の夜を待つ…………そんな話よ」
「なるほどなぁ」
やはり物語の上辺だけしか知らないってのは、良くないな。
事の本質を見落とす原因になる。そこから得られる教訓や意味が見当違いなものになりかねない。
「要するに七夕ってのはね、結婚した二人が愛にかまけて、やることもせずに働かず怠慢したのがそもそもの原因なのよ。なのに当然の報いとして受けた罰に手心まで加えて貰ってる。しかも自分勝手に悲恋だと恨みがましく騒いでる困ったちゃんなのよ。直裁的に言って自業自得よね。そんな二人にあやかりたくなんてないわ」
「要するなっ!! ああもう。なんでお前はこんな壊滅的な思考に行き着くんだ? 僕が伝承の中の人物の釈明をしても意味はないけど、自分達の過ちに気付いて悔い改め、愛する人を想う一途な心を讃えようって話だろ!」
「それは違うわ、阿良々木くん。ご褒美に釣られてるだけよ。動機が不純だわ。きっと罰則を解除すれば同じ過ちを繰り返すでしょうね。それに天帝だって再三注意を促していた筈なのに、その忠告を無視した結果がこれなのよ。情状酌量の余地なしだわ」
「…………」
駄目だ。僕にこの戦場ヶ原の歪んだ思考を覆すことは出来そうにない。
羽川に依頼して、説き伏せてもらうとしよう。
「でも確かガハラさんさぁ、あの星空の夜に教えてくれなかったか? こと座のベガが織姫星で、わし座のアルタイルが夏彦星だって。それにデネブを加えて夏の大三角とか。あの時はもうちょい簡単な説明だったけど、あれから僕なりに調べたんだぜ。そこまで嫌っているようには見えなかったけど……」
「ええそうね。でも阿良々木くん。星に罪はないもの。だから私が言っているのは『七夕伝説』の方だけよ。それも別に頑なに拒んでいるわけでもないし、ちゃんと祈ったりもするのよ」
「なんだ、そうなのかよ」
やはり心の奥底では七夕の伝承を、二人の実直な愛に感応することもあるのだろう。
「だから私は戒めを籠めて祈っているわ。私はあなた達みたいに愚かな事はしないってね。反面教師と言うのかしら」
……どうもしなくても、僕の勘違いだったようだ。
「それにね……」
と、戦場ヶ原は心持ち静かな声で『七夕伝説』の後日談というか、なんとも救われない話を語り始めた。
「そんなニ人が待ちに待ち焦がれた七月七日。一年に一度きりの大切な日。でもね……その日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができず、夏彦も彼女に会うことができない。一年積み重ねてきた思いが水の泡となる。気紛れな天候に左右される。努力では、どうする事も出来ない天の意思。全く救えない話だわ」
あと付け加えて戦場ヶ原は「かささぎの群が飛んできて二人の逢引を手助けする話」もしてくれたがあまり一般的ではないらしい。
「一年に一度しか逢えない。しかも雨が降ったらそれだけでお流れになるなんて考えられないわ。だって私は一年に一回しか阿良々木くんに逢えないなんて耐えられないから」
戦場ヶ原は僕の瞳を見据え、僕の心に訴えかけるように語る。
「一日でも、一時間でも、一秒でも傍に、ずっと一緒に居たい。そう思っているわ。私はそこまで我慢強い女ではないのよ」
「だろうな」
「阿良々木くんが愛しくて、胸が張り裂けてしまいそうになる夜もある」
「そうなのか?」
それは信じがたい……でも素直に嬉しくもある。
「ええ。だからずっと一緒にいましょう」
「ああ」
「あと、我がままを言ってもいいかしら」
「いいよ」
間を置かずに即答する。
ガハラさんの我がままと言うのがどんなものか検討もつかないけど、今日は彼女の誕生日。
多少、無理なお願いでも叶えてあげよう。
それぐらいの腹積もりで、気構える。
「キスをしましょう、阿良々木くん」
「お。さすがに一度でそこに辿りつけるのか。でもガハラさん。それは我がままじゃないよ」
「べろちゅ-をしましょう」
「雰囲気が台無しだ!」
「嫌だったかしら……」
「いや、望むところだ」
こうして――――戦場ヶ原ひたぎと阿良々木暦、二人だけの誕生日パーティーは終了した。
ただ二人でいる時間。
それだけで十二分に幸せで、それ以上何も望む必要はない。
僕と戦場ヶ原が一体何を何処までしたか話すのは無粋と言うものだろう。