ああそうだ。
こんなことは知っていた。
というかむしろ覚悟していたはずだ。
そう、落ち込むことなんてない。全ては納得の上。後悔や不満を起こすこと自体が間違っているのだ。悪いのは自分。世間様は何も悪くない。
と言いつつ、この落ち着かない感情の捌け口を探しているのは、まだまだ自分が子どもだからだろう。
一度の、深い溜め息。
「愛好会……か」
そりゃ俺だって馬鹿じゃない。去年まで女子校、今年からやっと共学になるというこの恋恋高校が、他校と比べても劣らない程の運動系の部活を持っているなんて期待、初めからしてなかった。あってソフトボール部ぐらいだろうとか、少なくとも高野連に登録できない女子高に、硬式野球部があるなんて期待していなかったのだ。
で、その期待は、極自然に、通ったわけで。(というかそもそも、入学案内さえ見れば一発だった)
だからこそ、この自分が創始者となって、ここから野球部を始めていこうと、そう思って俺は入学を決めた。何も初めから在るものに頼る必要は無い。無ければ創ればいいだけのことだ。自分が入学したことに代表されるように、今年からは男女共学。男子生徒の入学生も多いはずだ。幸いここ恋恋高校は部活動必須なので、その大半は女子の花園に埋もれることを避け、この野球部に入部を求めてくるはずである。うーん完璧だ。実力はまぁ後からついてくるだろう。まずは野球を始めて、練習試合でもいいからとにかく試合数をこなしていきたいところである。
「愛好会だって立派な活動だよ。野球ができるんだから、ほら、文句言わない」
例え入部男子が未経験者でも構わない。むしろ変なクセがついていない分、素人の方が指導しやすいし。練習で基礎を磨き、試合で技術を向上させる。よし。これで見るに耐えないチームとはならないはずだ。俺って何て頭がいいんだろう。もしかすると地方でも結構通用するようなチームにすら成り得るのではないか? それは少し夢見がちか……いや、やる気さえあれば、そうなることも容易い。そうだ。目標を小さくしてどうする。
そして地方さえ乗り越えれば、ついに幼少の頃夢見た甲子園に……。
「行きたかったんだよ俺は……」
「どこに?」
「甲子園」
「何で過去形かなぁ。まだ一年生だよ? これからだって」
そう言われても、あまり夢を語る気になれないのが現状だった。
今年の恋恋高校、男子の入学生総数は、自分ともう一人を含めても、全部で七人。この野球愛好会への入会数も、やはり七人。今、捕手である自分のミットに力いっぱいの投球をしている女の子は、やる気も素質も充分な投手であるが、所詮は一人だ。そう、この数字が重要。
会員が全員で八人だと知った時。この時ばかりほど、野球に九つのポジションがあることを恨んだときはなかった。
つまり、チームさえ組めないのである。
「あーもう、そんな鬱な顔しない! ボクのやる気まで一緒に失墜しちゃうじゃないか!」
そうは言っても。
「あ……! ほら、キミがそんな表情してるから、思わず図らずワイルドピッチだよ!」
いやー絶対ワザとでしょ、今のは。二メートルは外れてたって。
俺は渋い顔をしながらも、さっさとボールを拾いに走った。ダイヤモンドは現在、他の部員が守備練習――投手と捕手と左翼手と右翼手がいない、である――に使用しているので、こちらはグラウンド脇に作られた手製のマウンドを使っているのだが、これが後ろにネットが無い分、一度ボールを逸らすと取りに行くまでが少し辛いのだ。
と、飛んできたボールに反応してくれたらしい、自分の守備位置である右翼を放ったらかしにしているノックバッターが、それを片手でキャッチしてこちらへと投げて寄越してくる。
眼鏡をかけているわりにちっともインテリっぽくない、この愛好会の中でも貴重な一応の野球経験者。彼は、矢部明雄と言う。入学初日に出会ってから三ヶ月というもの何かとウマが合い、以来付き合いのある友人だ。矢部君と呼んでいる。うん、とてもベターな呼び方だ。
「ありがとう矢部君」
「どういたしましてでやんす」
もう聞き慣れた、独特の口調で返してくる矢部君。こちらに視線を向けている間に返球されたボールが脇腹に当たったようだが、まぁ身悶えしている程度なので気にはしない。
野球愛好会。人数不足で部とすら名乗れないこのちっぽけな野球好きの集合体は、正直なところで“暇なときのスポーツ”くらいの勢いしか持っていない。野球の楽しさを知らない未経験者が多いのも理由の一つだが、 硬式野球のくせに甲子園さえ目指せない。あまつさえ試合にも出れない。そんな環境が、最も大きな原因だろう。しかしそんな状況下でも目標を失わずに居られる人間は、強い人間なのか、果たして空想主義の夢見人なのか。
少なくとも自分は、空想主義に属していると思う。何せこんな愛好会を甲子園まで導こうなどという絵空事を、軽々しく描いているのだから。それが、楽しくてしょうがないのだから。
そうだ。野球は楽しい。
九人揃えば。
「はぁ……」
矢部君――まだ脇腹を痛がっている――から受け取った球を、土を盛り上げただけのマウンドに立つ投手へと返球する。その瞬間、溜め息が漏れた。
彼女はそれを見逃さなかったらしい。
「ほーら、何溜め息なんてついてんのよ! キャッチャー兼キャプテンのキミがそんなことしてたら、皆のやる気にも響くでしょ?!」
さきほどからやたらやる気やる気と五月蝿いのは、この愛好会唯一の女性会員、早川あおい。本当はマネジメントを受け持つ女の子がもう一人いるのだが、選手としての活躍を望んでいるのはこの早川あおいだけだ。いまどき珍しい根性とやる気論者で、とにかくメンタル面での云々を全ての重点に置いており、それがそのまま彼女の人格を作っていたりする。早い話が、普段からやる気満々な気分屋で、結構な前向き思考を持っている女性選手だということだ。ちなみにあおいちゃんと呼ばせてもらっている。
ソフトボール部には目もくれず、野球をすることを好んでいる女の子であるあおいちゃんは、何を隠そうこの野球愛好会の創立者だ。
俺や矢部君と同時入学且つ同級生且つ同い年なのだが、野球愛好会創立に関しての手はずは彼女の方が早く、しかも具体的だった。一応三人同時に立ち上げたことになっているのだが、彼女の方が一足早かった。
短気が故に行動が突飛で微妙に無計画なところがあるが、それあっての彼女でもある。
「よっしいくよ、必殺シンカー!!」
必殺。その単語は架空の打者に向けられた言葉なのか、或いは投球先である俺に向けられたものなのか。独特なアンダースローから渾身の力を込めて振り抜かれた腕が放ったボールは、通常の機動を大きく逸れて、そのまま矢部君を殺した。
「うぎゃでやんす!」
倒れる矢部君。
「うわっ! 矢部君ごめん!!」
バウンドして低く加速した必殺シンカーに文字通り脇腹を抉られた矢部君は、その場に崩れ込んで唸り始めた。その頭上を内野から返球された力無いボールが通過していく様が、何とも哀愁を誘う。あおいちゃんはその瀕死の矢部君に駆け寄ると、仰向けに寝かせ、直撃場所をさすってやっている。
ご愁傷様。
呟いて俺はふと、矢部君の容態に苦笑しながらも時間を持て余している会員たちへと視線を向けた。ここから見えるのはあまり日焼けもしていない、どう見ても高校球児という肩書きの似合いそうにない青年たちばかりだ。殆んどが野球未経験者。中には基本的なルールさえ知らなかった人間さえいた。
過去形にしてはみたが、恐らくそれは今も大して変わっていないだろう。そんな仲間を甲子園まで連れて行ってやろうなんて考えるんだから、やはり自分は夢見がちな人間らしい。
地方大会予選止まりだっていいだろう。贅沢は言えない。
多分、嫌いになれないから、愚痴っているんだよな。
一通りの考えをそう完結させて、ようやく復活したらしい矢部君を横目に見ながら、俺はグローブを見た。そこには入学決定と同時に書き入れた一行の文字が、マジックの色そのままに黒く浮かんでいる。
目指せ甲子園。
俺は、思わずニヤけた。
俺? 俺は西条樹だよ。