第一話 無能力者の少年
【
とある女科学者【
それを解決したのは常盤台に通う一人の少女。【常盤台のエース】と呼ばれるその少女は、およそ二三〇万の学生が暮らすここ学園都市で第三位に位置する超能力者。七人しかいないと言われる、最強の一角。
無能力者達を慰めるように。
無能力者達を叱咤するように。
無能力者達を激励するように。
彼女は詫びた、己の無神経さを。他人の苦しみを分かった気になっていた己の傲慢さを。
彼女は褒めた、彼らの強さを。能力カーストに苦しみながらも、それでも前に進もうとする彼らの強さを。
彼女は言った、頑張れと。もう一度頑張ってみようと。諦めず、何度も前を向けばいいと。
被害者達は眠っていた。意識なんてなく、ただ病院のベッドで無様に寝ているだけだった。声なんて届くはずもなく、想いなんて伝わるはずもなかった。
しかし、彼女の言葉だけは何故か届いたのだ。彼女の想い、そして気持ちだけは確かに伝わったのだ。
ワクチンソフトの効果により、彼らは目を覚ました。そして己の不甲斐なさと弱さを反省し、彼女の言葉通りに前を向いて歩こうと決意した。もう逃げはしない。どんな壁にぶつかろうとも、諦めずに進んでいこうと決心した。
これはそんな人間の話。能力なんて持っていない、無力で無知で最弱な一人の少年の物語。
☆
七月も終盤となり、いっそう太陽が活発に働き始める夏。そんな炎天下の中、とある高校では数名の学業不振者及び出席日数不足者を集めての大補習会が行われていた。
奇妙なまでにこじんまりとした子供にしか見えない女の子が教壇に立って必死に授業を進めているが、一部の例外を除いて参加者達にやる気を感じることはできない。教室の後方に座る者達にいたっては、雑談に勤しんだり惰眠をむさぼっている輩までいる始末だ。教わる立場がこの体たらくでは、教師も気を削がれてしまう。
「こ、こらー! ちゃんと起きて授業受けないとダメですよー!」
「……んぁー?」
今日も今日とてロリっぷりの激しい女教師、
彼は寝惚け眼のまま欠伸を噛み殺すと、既に涎で使用不能となったノートのページを切り取っていく。
「先生おはよぉございまぁす……ふあぁぁ」
「全然眠気が取れてないじゃないですかー! そんなんじゃ駄目ですよ佐倉ちゃん!」
「いやいや、ちゃんと見てくださいよ俺の目を。こんなにやる気に満ち溢れている生徒もいませんって」
「先生の目にはトロンとしている惚けた怠け者の目しか映ってませんよ?」
「ありゃそうなんすか? これは失敬」
ごしごしと目を擦り、背伸びを一つ。パキパキと関節が小気味よく鳴るのを満足そうに聞き終えると、佐倉と呼ばれた彼はいきなり教材を片付け始めた。
授業中にも関わらず突然帰宅準備にとりかかる佐倉に目を丸くするのは我らが小萌先生。彼女はどんな生徒が相手でも真摯な気持ちで接するという心情を持っているため、あからさまなサボリ系の態度を取る彼の席へと慌てて駆けより手を掴んで帰宅を阻止する。
「ちょっ……ちょっと待つのですよ佐倉ちゃん! 帰るにしても事情を言って許可を貰ってから帰るのが正しい早退方法なのです!」
「まさかそう言われるとは予想外の極みですが。今回ばかりは勘弁してください先生。今日は仲間内で大事な仕事を行う日なんです」
「……大事な日なのですか?」
「はい、どうしても外せない用事なんです。これに行かないと俺だけじゃなく、先輩達にも迷惑をかけることになってしまう」
いつになく真剣な面持ちで語る佐倉に、やや気圧されてしまう小萌。彼女はその性格上、生徒のマジな頼みを断ることができない。教師の鑑とも言っていい性格ではあるが、逆に利用されやすいという欠点もある。佐倉はサボり屋だがそれなりに真面目な生徒のため、彼女はいっそう気をかけてしまう。
しかし彼が補習を途中で抜けるというのは珍しい。いつも寝てはいるものの、最後までしっかりと受け切るのが
「じゃあ今回ばかりは見逃してあげます。でもでも、明日からはちゃんと真面目に受けてくれないとダメですからね?」
「分かってますよ。ありがとうございます、先生」
「はい、また明日」
同じく眠りこけていた大柄な青髪の青年を殴り飛ばしつつ手を振ってくる小萌に微笑みを向け、佐倉は教室を後にする。何やら似非関西弁らしき変態の嬌声が聞こえてきたが、このクラスに三ヶ月も通っている彼はしっかりとスルー。【
自転車置き場にて愛用の自転車に跨ると、彼は夏休みのため学生達で賑わう街を疾走していく。
『もぉー心配し過ぎだって初春ぅー』
『だっ、駄目ですよ! 佐天さんまだ目覚めたばっかりなんですから!』
「……平和だなー」
すれ違う学生達の会話が耳に届くが、特に気にすることなく自転車を進める。長髪と頭に花冠を載せた柵川中学の二人組が印象的だった。特に花冠の少女は、何故そんな愉快な格好をしているのか聞いてみたいほどに興味が湧いたが、彼は人を待たせている身であるのでグッと好奇心を抑え込む。
二十分ほど経って、彼は人気の少ない建物の裏路地へと入っていく。日の光もロクに届かず薄暗いその空間は、彼にとって第二の家と言ってもいい場所であった。
適当な場所に自転車を止め、奥へと進んでいく。
「おー、やっと来たか佐倉の坊主。あまりに遅いんで三人だけで突っ走る予定だったんだぜ?」
気配も感じさせず放たれた声の主。帽子やシャツ、ジャケットなどの服装全般を黒で固めた細身の青年が闇から滲み出るようにして佐倉の前に姿を現す。
半蔵と呼ばれる彼は、この界隈ではそれなりに有名な忍者かぶれだ。いつも迅速かつ穏便に仕事をこなすその様はまさにジャパニーズニンジャ。自身の名前からして服部半蔵の子孫説が浮き出るほどに彼の忍者っぷりは卓越している。
そんな彼に頭を下げると、ポケットからソフトボール大の物体を取り出して半蔵に放る。
「これは?」
「今からの仕事に役立つオモシロ道具その1です。手に入れるのに骨折りましたけど、その分威力は保証しますよ」
「なるほど、そりゃ助かるわサンキューな。しっかしお前、幻想御手事件で昏睡状態になってからやけに仕事に対して真面目になったよなぁ」
「……まぁ、色々と喝を入れられましたんで」
遠い目で脳裏に思い浮かべるのは、あの時夢の中で走った凄まじい衝撃。電撃のような力からするに第三位の中学生によって放たれたであろうその電撃を食らって、佐倉は彼なりに気持ちを改めた。
今までそこそこにしか取り組んでいなかった仕事を、もっと真面目にやろうと思うようになった。世間的には堂々と顔向けできない仕事ではあるが、そこが自分の居場所であるなら精一杯頑張ろうと決心した。
「俺なんかとは違って、どこまでも強くてどこまでも優しい女の子に叱咤されちゃあ嫌でもやる気になりますよ」
「……ははーん? なるほどなるほど。そういうことかいやー青いねぇ」
「はい? どうしたんすか半蔵先輩」
突然にやにやと微笑ましげに表情を緩め始めた半蔵に怪訝な顔を向ける。半蔵がこういう表情を見せるときは大概佐倉をからかう時なので、佐倉としては嫌な警戒を覚えてしまう。何を言われるのか内心ビクビクしながらも一応形式として半蔵に次の台詞を促しておく。
「いやさー。お前の表情と口調、そんでもって台詞から察するにお前はその女の子に惚れていると俺は見たね!」
「ぶっ!? がっ……がほげほげほげほっ!! い、いやいやいやいや! そそそ、それはあんまりですよ先輩! だ、大体顔も見たことない相手に惚れるとかあり得ませんって!」
「でもほらその顔はその女を守りたいって思ってる感じじゃね?」
「勝手な想像で人の顔面改竄しないでください!」
必死に反論を並べ立てる佐倉だが桃色に染まる顔のせいで説得力は八割減だ。それと動揺しまくった言葉のせいでさらに二割減だ。もはや一厘たりとも否定の余地は残されていない事実をなんとか覆そうと持てる限りの議論力を盛大に使ってみせるが、
「電撃使いの超能力者だって? 御坂美琴かめっちゃ可愛いじゃん」
「み、見たことあるんですか!?」
この一言でまとめて粉砕してしまう未熟さがなんとも微笑ましい。そしてそれに気付いて赤面し、プルプルと恥ずかしそうに震える姿がなんとも可愛らしい。
(あーもーからかうとすっげぇ楽しいなこいつー)
後輩は弄るためにあるという格言を確かなものにする存在、それが佐倉望だった。
人生に新たな喜びを覚えた可愛くて健気な後輩を一通り虐め終えたところで、半蔵はふぅと息を吐くと表情を引き締める。
「そんじゃそろそろ行くとするか。浜面と駒場のリーダー待たせちまってるしな」
「それなら俺をからかわなくても……いえ、もういいです。言っても無駄な気がしますし」
「よく分かってんじゃんかさすがは我らが愛する後輩」
「いいストレス発散相手ってだけでしょ?」
苦笑交じりに自嘲する佐倉だが、多少の自覚はある上にあまり悪い気はしないのでまぁいいかと嘆息する。こういう扱いでも「心地いい」と感じてしまっている以上自分も楽しんでいるのだなと再確認してしまうのだ。
彼らは学園都市の裏で密かに活動する集団。無能力者が仲間と手を取り、泥と汚れにまみれながら生きていくための居場所。
一般に