なにはともあれ最新話。お楽しみいただけると幸いです。
学園都市が誇る超能力者の一角、御坂美琴。
登場と共に垣根帝督を吹っ飛ばすと、彼女は佐倉の方へと歩み寄ってきた。どこか呆れたような表情を浮かべているのは、おそらく佐倉の気のせいではあるまい。
「やっと見つけたわよこの馬鹿。手間かけさせんなっつうの」
「み、さか……?」
「そーよ。常駐戦陣美琴さん。いきなり失踪したどこぞの馬鹿を探すために第七学区中を走り回った私の苦労を分かってんのアンタ」
「……すまねぇ」
「謝る暇があるのなら立ちなさい。まだ休めるような状況じゃないらしいからさ」
美琴が顎で示す方向に視線を向ける。
「……あぁくそ、何だってんだ畜生が」
ズン……と鈍い音が工場内に響き渡る。積み重なった瓦礫を押しのけ、振り払う音だった。
土煙と共に姿を現したのは、純白の堕天使。腹立たしい程に潔白な六枚の翼を背中から生やしているその男は、痛みを振り払うように頭を振ると忌々しげに呻き声を漏らす。
学園都市第二位。【未元物質】を操る垣根帝督。
この世界には存在しない物質を自由に操る能力者である彼は、考えようによっては学園都市内でも最強と呼べる超能力者だ。一方通行に比べて能力の多様性と応用性に富んでいる【未元物質】は、直接的な弱点が存在しない。信じられないほど厄介な能力者。
彼は先程、同じ超能力者である美琴の【超電磁砲】を横っ腹に受けて盛大に吹っ飛ばされたはずだ。いくら順位では一つ下の美琴の攻撃だとはいえ、軍隊を相手取ることができると言われている超能力者の攻撃を受けてただで済むとは思えない。
しかし、垣根は怪我一つない様子で服を叩きながら立ち上がった。あれだけの電圧と速度を食らったにも関わらず、彼の肌には傷一つついていない。【未元物質】の翼で防御したのだろうが、それにしても超絶的な防御力だ。無能力者の佐倉には想像できない程の強度を誇っている。
一通り埃を落とし終えると、垣根は鋭い眼光を美琴へと向ける。
「いきなり乱入してきて何事かと思えば、第三位のお嬢ちゃんかよ。常盤台の優等生がこんな廃工場に何の用だ? 夏休みの自由研究にしても趣味が悪すぎるぜ」
「お生憎様。私の研究テーマはゲコ太一色で染まっているの。こんな鉄臭い工場を取材するような興味も気概も持ち合わせていないわ。今回はちょっくら別の用があったのよ」
「あン? 別の用事だぁ?」
「えぇ。どうしようもない馬鹿を男色野郎から救い出すっていう、ロールプレイングもびっくりなイベントがね」
愛想よく上品に笑うと、ポケットからコインを取り出す美琴。ゲームセンターで使われている種類のそれを右手の指に乗せると、バチバチと髪先から紫電を迸らせる。佐倉を背後に庇うように移動すると、彼の方に小さな紙袋を放った。
「ちょっと預かっといて」
軽い調子だが、その奥に潜む緊張感を察して佐倉は言葉を発することさえできない。超能力者が纏う殺気に、脳が発言を全力で拒否していた。
戦闘態勢を整える美琴に対して、垣根は三対の翼をはためかせると空中に浮きあがった。外から差し込む陽の光を受けて浮遊するその姿は、まさに神話上の天使。神々しくも恐ろしい、畏敬と畏怖に塗れた存在。この世界とは違う、天上に住まう者。
異なる世界の者同士は互いを見据える。片やコインを、片や剣を右手に携え、いっそう強い殺気を放ち始める。
「…………」
「……お先にどうぞ、お嬢ちゃん」
「そう。だったら……お言葉に甘えさせてもらおうかしらね!」
数億ボルトの電撃が右手へと集まっていく。膨れ上がるようにして集束した電流は、フレミングの左手の法則に従ってコインを前方へと弾き出した。膨大な電気の放出によって発生した【超電磁砲】は、音速の三倍で垣根の胸元へと襲い掛かる。
普通ならば回避はおろか、防ぐことすらままならない速度の攻撃。
しかし、垣根は右手を軽く振ることで烈風を生み出すと、赤橙色の一閃をいとも容易く吹き飛ばした。
そう。
「――――――――はッ……?」
何が起こったのか。目の前で展開された一連の現象に理解が追いつかない様子の美琴。第三位の彼女を以てして、信じられないことが起こっていた。
【超電磁砲】は、能力名からも分かるように彼女が自分の必殺技としている武器である。
フレミングの左手の法則の原理を利用して、弾となるコインを前方へと発射する。その破壊力は想像を絶するもので、数億ボルトという膨大な強さの電流によって放たれるコインは立ち塞がる全ての物を粉砕し、塵へと変えるほどの威力を持つ。能力測定の際にはプールを緩衝材として能力を使用しないと測定ができないとされるくらいである。それでも、彼女は手加減をして【超電磁砲】を使っているのだ。
そんな絶大な威力を誇る【超電磁砲】が、一陣の烈風如きに防がれる。【超電磁砲】の恐ろしさを誰よりも知っている美琴には、その事実があまりにも信じられなかった。
呆然と立ち尽くす美琴。垣根はつまらなそうに一瞥すると、
「まさか、今のがお前の切り札だったりするわけ?」
「っ……!」
「え、マジかよ。おいおい嘘だろ超電磁砲。いくら格下だとはいえ、この程度の威力で必殺技とか笑えねぇぞ。猿山の大将だってもう少しマシなジョーカー隠してるっていうのによぉ」
ケラケラと空中で腹を抱える。学園都市内では最強とまで謳われる【超電磁砲】を一撃で消し飛ばした能力者は、佐倉達が想像している以上に規格外の化物だった。
計り知れない余裕を隠すこともない様子の垣根を見上げ、地面に這いつくばったまま佐倉は思わず拳を握っていた。彼の顔に浮かぶのは、絶望と憤怒。
(あれが、【未元物質】……)
学園都市に七人存在する超能力者の中で一方通行に唯一対抗できると言われる能力者。規格外の第七位は別とするとしても、おそらく第一位に次ぐ、もしくは肩を並べるほどの実力者。振るわれる能力は天災と同義で、佐倉達のような無能力者には愚か、第三位以下の超能力者でさえも止めることはできない。
ベレッタで対抗しようとしていた先程までの自分は、なんと命知らずな馬鹿者だったのだろうか。あんな怪物を相手にして、鉄の塊ごときで迎え撃てるはずがなかったのだ。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよこのメルヘン野郎が!」
美琴が叫ぶと同時に周囲の鉄柱が宙へと浮き上がる。大小合わせて三十ほどだろうか、美琴の磁力を受けて武器と化した鉄塊が、四方八方から死角を埋めるように発射されていく。六枚しかない翼では防御しきれないであろう密度の弾幕を、鉄柱と電撃で展開する。
【電撃使い】である美琴の特性を最大限に生かした複合攻撃。黙視すら難しい速度と針の穴を通すような正確さを兼ね備えたその攻撃は、そんじょそこらの能力者では回避することすらままならないだろう。能力で迎え撃つにも時間の余裕がなく、そもそも攻撃力が段違いなので受け流すこともできない。上手い攻撃だ、と佐倉は内心彼女を称賛する。
だが、それでも垣根帝督には届かない。
「数さえ打てば下手な鉄砲でも当たると思ったのか? だとしたら、相当お粗末なおつむしてんぜ」
今度は指一本動かさずに衝撃波を発生させる垣根。三百六十度、蟻一匹入り込めないような衝撃波が全方位へと展開される。
轟ッ! という凄まじい音が廃工場を震わせる。
三十本以上の鉄柱は向かい来る衝撃波に煽られ、空しく地面へと落下し始めていた。風に吹かれた紙飛行機のように、針路を真下に向けて威力を失っていく。
だが、美琴は負けじと再び鉄柱を発射していた。工場内に散らばった鉄塊が無数の弾丸となって垣根へと降り注ぐ。先程の一撃に比べると量も威力も上乗せされた波状攻撃。
しかし、佐倉は冷静に状況を判断する。
(駄目だ……あんな攻撃じゃ、アイツには及ばねぇ……!)
攻撃の巧い拙いなどといった問題ではなかった。そんなものは些細な違いでしかない。怪物を相手にしている以上、人間レベルの攻撃をいくら繰り返したところで通用するはずがないのだ。
おそらく。いや、間違いなく、今の美琴では垣根に勝利することはできない。美琴崇拝者を自負する佐倉が贔屓目で評価しても、垣根に彼女の攻撃が通用するヴィジョンが浮かばない。『表』の世界で無類の強さを誇る御坂美琴程度では、『裏』の世界を住処とする垣根帝督を相手取ることすら烏滸がましいのだ。
「このこのこんのぉ……!」
「いい加減無駄だって気付けよ超電磁砲。テメェがいくら攻撃を続けたところで、俺にとってはそんなもん子供騙しですらねぇんだ。才能とか、努力とかで補える差はとっくに超えている」
「そんなの……やってみないと分からないでしょ……!」
「いいや分かるね。第三位如きの才能と努力で
その通りだ。優雅に翼をはためかせる垣根の言葉に、佐倉は思わず頷いていた。
絶対的勝利者。生まれながらにしての強者。周囲に見下されることなんてあり得ない、
垣根帝督。
圧倒的実力か、はたまた彼のカリスマ性か、佐倉は無意識のうちに彼への憧れを抱き始めていた。無力であるがゆえに、最強の力を無慈悲に振るう彼という存在がどうしようもなく素晴らしいものに思えた。
――――佐倉の表情の変化を一瞥すると、垣根は愉快気に口元を歪ませる。
「防御にも飽きてきたし、そろそろ攻撃に移るとしようかね。
剣を持っていない左手を美琴達の方へと向ける。手を広げ、平の部分を前方へと突き出すような格好になる。
例えば、左手から何かを放出するような体勢に。
「っ! 伏せるんだ御坂、今すぐに!」
「え……?」
突然の怒声に思考が停止する美琴の手を引くと、なけなしの力で引き寄せる。彼女の身体を隠すように覆い被さり、佐倉は来るであろう衝撃に備えて歯を食いしばった。
「ちょ、ちょっと! いいい、いきなり何すんの!」
眼下で顔を真っ赤にして騒ぎ立てる美琴を無視して、力強く抱きしめる。返事をしている余裕などなかった。
垣根帝督は、今こう言ったのだから。
本気を出す、と。
「さぁさぁお待ちかね。垣根帝督一世一代の爆破ショーをお見せしましょう!」
ニヤリと笑う。突き出した左手を握り込み、あらかじめ空気中に散布していた【未元物質】に指令を与える。
「ショータイムだ」
一瞬、佐倉の五感は激しい爆音と閃光で完全に機能を失った。
☆
生きていたのは、奇跡と言っていいかもしれない。
佐倉に抱きすくめられていた美琴は電磁波で爆発を察知すると、咄嗟に鉄塊を磁力で引き寄せて即席の盾を作った。所詮寄せ集めのハリボテでしかないために爆発を防ぐことはできなかったが、直撃はなんとか免れることができていた。焦げ臭さが鼻を突くものの、佐倉の様子を窺うに致命傷には至っていないらしい。服は焦げているかもしれないが、なんとか一命を取り留めることに成功していた。
「爆発を受ける寸前に盾を作ったってか。雑魚でも一応は超能力者らしい。その機転と行動力に称賛の拍手を」
パチパチと戦場に相応しくない効果音を発しながら、一歩ずつ彼らへと近づいてくる垣根。廃工場を震撼させる規模の爆発だったにもかかわらず、本人は煤すら被っている様子がない。大方、例の翼を鎧のように展開して引き籠っていたのだろう。
ムカつくが、流石だ。荒い息をつく佐倉を傍らに寝かせながら、内心臍を噛む美琴。
歩みを進める度に、彼らの死が近づく。強大な武力を抱えた死神は、笑顔を浮かべて獲物の首を刈り取りに来る。
……しかし、垣根が放った言葉はあまりにも衝撃的なものだった。
「俺様に盾突いた以上、テメェの行く末は死一択と相場が決まっているんだが……」
ちら、と佐倉に視線をやると、一度満足そうに頷いてから、
「取引をしよう。テメェらの命を助ける代わりに、そこの無能力者を俺に引き渡せ」
「なっ……で、できるわけないでしょうそんなこと!」
あまりにも理不尽な提案に、気付けば怒鳴り声をあげていた。佐倉を庇うように、膝立ちのまま彼を背後に移動させる。
承諾できるわけがなかった。垣根に佐倉を引き渡すということは、闇の世界に彼を放り出すということだ。
美琴は一度だけ、闇に生きる能力者達と戦闘を行ったことがある。
『アイテム』と名乗ったその少女達は、自分と変わらないような年端もいかない子供であった。普通ならば学校に行ったり買い物をしたりして人生を楽しむような、十代の少女達。……しかし、学園都市の闇に住まう彼女達は、何一つ疑問に思うことなく美琴を殺そうと襲い掛かってきたのだ。
殺すことに対して一切の躊躇を見せなかった彼女達。戦闘の際は逃げることに必死で思考を割く余裕は無かったが、どんなことがあればあそこまで闇に堕ちることができるのだろうか。平気で殺し、殺されるような世界に。
「安心しろ。別にもうソイツを殺そうなんて思っちゃいねぇよ。その馬鹿は無能力者にしては見所があるからな。変な悪運もあるし、良い戦力になると期待している」
「そういう問題じゃない! そもそも、コイツをアンタ達に引き渡す理由と必要性を感じないのよ! 何が嬉しくて、友人を闇に突き落さないといけないの!」
「はぁ。分かってねぇなぁ、お嬢ちゃん」
へらへらと緩ませていた顔を引き締め、美琴を睨みつけると、
「これは提案じゃない、命令だ」
「ッ!」
睨まれただけで、全身から冷や汗が吹きだす。猛獣に狙われた草食動物が抱くような恐怖心が、美琴の思考を支配する。動いたら死ぬ、と本能が警鐘をかき鳴らしていた。
全身の筋肉が硬直し、口内が凄まじい速度で水分を失う。『死』が目の前にある錯覚に苛まれ、膝がガクガクと震えていた。
「ぅ……ぁ……」
「……いいね、黙るってのは利口な選択だ。余計なこと言って俺の神経逆撫でするのは得策じゃないからな」
虚空を見据えて息を漏らす美琴を一瞥すると、垣根は地面に横たわる佐倉の眼前で立ち止まった。即席盾のおかげで爆発のダメージはそこまで受けていないものの、垣根との戦闘で蓄積した疲労がピークに達しているらしい。か細い呼吸をつきながら、弱々しい様子で顔を上げる。
垣根は喉を鳴らした。
「強くなりてぇか、佐倉望」
「――――――――」
しばしの沈黙。突然図星を突かれ言葉を失うが、ゆっくりと首を縦に振る。
「力が欲しいか」
「……あぁ」
「それは何の為だ? 虐殺、崇拝、勝利、殲滅、破壊……」
「守り、たい……」
消え入りそうな声で呟いたのは、ちっぽけな希望。無力な弱者が望み続けた、たった一つの生きる目的。
「大切な人を……御坂を、この手で守りたい。一方通行だろうが、垣根帝督だろうが、どんなに強い敵を前にしても、無様に逃げなくて済むような力が欲しい……」
「俺や第一位を相手にできるくらい、か。これまた大きく出たな」
だが面白い。自分達の名を出すとは、この無能力者は実は相当の大物かもしれない。聞きようによっては自分への罵倒にも受け取れる台詞を耳にしても、垣根は腹を立てはしなかった。それどころか、どこか満ち足りた表情で佐倉を見下ろしていた。
片膝をつくようにして屈むと、右手を差し出す。まるで王子様がお姫様をダンスに誘うように、垣根は闇への招待状を佐倉に掲示する。
「だったら俺と来い、佐倉。一方的な暴力に抗う『力』が欲しいのなら、俺の手を掴め。お前が大切だと思う女を守りたいのなら、それだけの力を闇の中で掴んでみせろ」
それは、ある意味では魅力的な提案で、ある意味では絶望への誘いだ。力なき自分を変えたいのなら、絶望の中に飛び込んでみろ。不良程度では掴めない『力』を手に入れるために、悪党になれ。
つまりはそういうことだった。
「だ、め……そんな誘いに乗っちゃ……佐倉っ……!」
美琴が擦れるように叫んでいるが、佐倉の耳には届かない。彼女を守るためには、力が必要不可欠なのだ。悪だろうが正義だろうが、何者にも屈することのない絶対的な力が。
答えは、決まっていた。
震える右手をゆっくりと上げる。目の前に佇む青年を希望の光と見ているかのように、救いを求める弱者のように手を伸ばし――――
――――しっかりと、垣根の手を握った。
「……九月一日だ」
笑みが零れる顔を必死に隠しながら、垣根は言い放つ。
「下部組織の奴を迎えに寄越す。放課後になったら寮で待ってろ」
希望を求める哀れな子羊を手に入れた救世主は、血と泥にまみれた慈悲の心で笑い続ける。なるほど、救うとはこういうことか。弱者を育て上げるサクセスストーリーをプレイしているような快感が、垣根の全身を駆け巡っていた。
「あと四日。最後の平和を楽しむには十分すぎる時間を与えてやろう。ま、こっちに来たからと言って表の生活をすべて捨てるわけじゃないが……せいぜい楽しむことをお勧めするぜ」
「じゃあな」軽く右手を上げると、垣根は工場の出口へと足を進め始める。散乱した瓦礫を蹴飛ばしながら、これから先の人生に歪んだ楽しみを覚えて。
「おもしろくなりそうだ」
新たな歯車を巻き込んだ運命は、もう止まらない。