とある科学の無能力者【完結】   作:ふゆい

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 二話連続投稿です。最後の方に少々ヤンデレ要素があるかも。まぁ、気にならないレベルだとは思いますが。



第二十三話 闇

 研究所でのデータ収集及び駆動鎧の調整を終えると、すでに時刻は日付を跨いでいた。

 街灯すらほとんど点いていない第七学区を一人自転車で学生寮へと向かう。月明かりにぼんやりと浮かぶ物憂げな表情は果たして孤独によるものなのか。誰一人として知り合いに会わないまま学生寮の駐輪場に自転車を止めると、何かから逃げるようにして自室へと飛び込んだ。騒音で隣と二個隣の馬鹿二人を起こしてしまうかもしれなかったが、別に彼らが怒鳴り込んできたところで今の彼にはどうでもいいことであった。

 電気を点けることもせず、ボストンバッグを下ろすと暗闇の中でベッドに仰向けに倒れ込んだ。最近夜間での活動が多かったせいか目がすぐに闇に慣れ、のっぺりとした天井と蛍光灯が薄らと浮かび上がってくる。

 天井の染みをぼーっと眺めていると、錯覚だろうか、次第にそれが人の顔を模っているように見えてきた。

 

 ――――嫌、だッ。死にたく、ないィ!

 

 脳裏に響くのは誰の声だろうか。鼻水と涎に塗れた人間の顔が次々と浮かんでは消えていく。耳にはいつまでも怨嗟の声が残った。死を前にして絶望に染まった人間の、醜いまでの慟哭が。

 鬱陶しそうに寝返りを打って天井から視線を逸らす。目を瞑って苦しそうに顔を歪めるが、声から逃げることはできない。佐倉を責めるような声、助けを求める声、断末魔の声が休む間もなく佐倉の精神を蝕んでいく。誰もいない暗闇の中、佐倉は助けを求めるように携帯電話を開いた。

 待ち受け画面に現れたのは、佐倉と一人の少女が写っているプリクラだ。白い半袖シャツと灰色デニムというシンプルな服装をした佐倉の腕に抱きつくような体勢でこちらを見ている茶髪の少女。ベージュのサマーセーターに、紺色のプリーツスカートを着た明るい笑顔が魅力的な中学生。彼女は、佐倉が唯一心の拠り所にしている存在と言っても過言ではなかった。かつて彼を絶望から救い出し、新たな人生を与えてくれた超能力者。

 彼女の、名前は――――

 

「……み、こと。御坂、美琴」

 

 擦れた声で絞り出される彼女の名前。まるで熟考の末にようやく思い出したかのように、苦し紛れに口を動かしていた。――――その事に自分で気づき、歯を食い縛りながら拳でベッドを殴りつける。

 佐倉は苦悶の表情を浮かべていた。

 

「何やってんだ、俺はッ……! アイツの名前も思い出せなくなるほど疲れているってか。根性見せろよスキルアウト!」

 

 悲鳴のような叫びが部屋に響き渡るが、言葉を返す者は誰もいない。叫びは虚空に空しく吸い込まれ、後にはどうしようもない静寂だけが残ってしまう。襲ってきた沈黙が、自分を責めたてているように感じた。

 何かで気を逸らさないと狂ってしまう。ここ最近毎晩同様の症状に苛まれている佐倉は、携帯電話を操作するとメール受信ボックスを開いた。現れたのは十件の受信メール。ちなみに、そのどれにも佐倉は返信していない。

 

『9/7 18:06

 From 御坂美琴

 Sub (non title)

 九月に入ってから全然返信くれないけど、大丈夫?

 疲れているのなら、無理せずゆっくり休みなさいよね。

 アンタが倒れたりしちゃうのが、一番困るんだから』

 

「…………」

 

 無言のまま、黙々とメールを流し読みしていく佐倉。その顔に笑顔は浮かばない。以前ならば飛び上がって喜んだはずの美琴からのメールを読んでも、今の彼はほとんど喜ぶことができないでいた。心に、彼女の言葉が全く入ってこないのだ。病んでるな、と自嘲気味に呟いてしまうほどに。

 何度も返信メールを打とうとはした。だが、いくら頭を捻っても思いが言葉にならない。一度必死に拙いながらもなんとか文章にしたことはあるが、とても見られるものではなかったため即座に消去した覚えがある。

 佐倉望が暗部堕ちしたのは、御坂美琴を守れるだけの力を手に入れるためだ。超能力者である彼女を自分のような無能力者が守れるようになるには、並大抵の方法では不可能。それに、時間もかかりすぎる。そんな中提示された垣根による勧誘に、佐倉は藁にもすがる思いで首を縦に振った。自分で選んだ道だから後悔はない。八月三十一日に美琴に言ったその言葉に、嘘はない。

 ……だが、佐倉は今凄まじい後悔と戦っている。手にかけた、命を奪った人間達の怨念に精神を擦り減らされている。少しでも気を抜くと、授業中であっても絶望に染まる顔と悲鳴が鮮明に思い出されるほどだ。

 力が欲しい。それが佐倉の願いだった。だが、そのために他人の命を奪うのは果たして正しいことなのか。

 

「一方通行の事を責める資格ねぇよな……」

 

 今の彼は実験中の一方通行そのものだった。強大な力を手に入れるために他者を殺し、殺し、殺していく。最初は感情があったのかもしれない。しかし、あまりにも長い道のりは次第に自分から感情の機微を奪っていく。機械的に、事務的に、人を殺すようになる。さすがにそこまで狂気染みたことにはなっていないが、猶予は後どれくらいか考えたくもなかった。

 少しずつ壊れていく自分自身を嘲笑いながら携帯電話の画面を見つめていると、表示が『着信中』の文字に変わった。こんな夜中に誰だろう。そんなことを考えながらも宛名に視線を移す。

 

『御坂美琴』

 

「っ!?」

 

 心臓が止まるかと思った。それはさすがに言い過ぎだとしても、驚きに両目は見開かれ、一瞬呼吸は確実に止まっていた。暗闇と静寂の中で、心臓だけがけたたましく鼓動を鳴らしている。変な緊張感に、掌に汗が滲むのを感じた。

 この十日間一度も顔を合わせることのなかった相手。そもそも九月六日まで彼女は友人達と共にアメリカの学芸都市に社会科見学に行っていたので、機会自体が少なかったのだが。それにしても返信すらせず、意図的に関係を断っていた後ろめたさがある。普通に通話を始めるには躊躇う動機が多すぎた。

 しかし、非情にも着信音は鳴り続ける。このままでは隣の金髪サングラスが怒鳴り込んでしまう可能性大だ。アロハシャツが乗り込んできたところで佐倉的に支障はないのだが、今の精神状況で土御門の相手をするのは少々キツイ。ここは大人しく腹を括って通話ボタンを押した方がいいだろう。

 何度か深呼吸すると、震える指先で通話ボタンを押した。

 

「もしもし――――」

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

《もしもし、佐倉だけど……》

(やっと繋がった!)

 

 ゲコ太系携帯電話から聞こえてきた懐かしい声に、美琴はベッドの上で思わずガッツポーズを決める。隣のベッドでは同居人の白井黒子が穏やかな笑みを浮かべて美琴に微笑ましい視線を送っていたが、美琴は彼女を華麗にスルーした後に最小限な大声という意味不明な声量で佐倉へと言葉を返す。

 

「アンタ、今まで何してたのよ! メールも返してこないし、放課後も全然会えないし……私がどれだけ心配したか、本当に分かって……」

《……ごめん》

「……え? いや、そんなに殊勝に謝られるとこっちも対応に困るんだけど……」

 

 いつものような軽い返しが来るかと身構えていたのに、いざ返ってきたのは力ない謝罪の言葉。美琴の知っている佐倉望らしくない疲弊しきった声色に、一瞬美琴の思考は完全にフリーズしていた。空元気と自嘲癖で成り立っているはずの想い人の声からは、彼らしい明るさがまったく感じられない。

 背中に嫌な汗が浮かび始める中、美琴はなんとか普段の佐倉を引き出そうと奮闘する。

 

「あ、ほら。ちょっと前に広域社会見学があったじゃない? アメリカの学芸都市に行ったのはメールでも言った通りなんだけど、そこでまた奇天烈な事件に巻き込まれちゃってさぁ。なんか非科学的なモノと戦って……まぁ私が勝ったんだけどね? でも、せっかくアメリカにまで行ったのにロクに観光もできずにすごすご強制送還だなんて最低だと思わない? 初春さんなんか『春上さんと枝先さんにお土産買っていくんですー!』って言って聞かなくて……隣で困ったように初春さんを宥めている佐天さんがそりゃあもう健気だったわ。今思い出しても笑いが……」

 

 言葉をひたすら捲し立て、少しでも佐倉との通話を長引かせようとする美琴。しかし、いくら言葉を並べても、佐倉からマトモな反応が返ってくる様子はない。《……あぁ》とか《そっか》とか、素っ気ない疲れたような返事が聞こえてくるだけだ。期待していた軽口が返ってくる気配はない。八月三十一日に美琴が見たあの佐倉を電話口から感じ取ることはできなかった。

 思わず、胡坐をかいた膝の上で拳を握り込んでしまう。強くした唇を噛み、必死に何かを堪えようとしているようだ。よく見ると、瞳が徐々に潤み始めているのが分かる。……彼女は、溢れる涙をなんとか流すまいとしていた。

 佐倉望がここまで疲弊している理由。それは十中八九、暗部とやらに起因するのだろう。

 力だけが全て。下手を打てば一瞬で命を奪われるそんな世界。以前美琴もその一端を目にし、その身で実感したが、精神崩壊寸前にまで追い詰められてしまったことを覚えている。誰にも頼れない。ひたすらに襲ってくる絶望を一人で耐え抜くには、ソイツはあまりにも重すぎた。今でも、思い出すだけで気持ちが暗くなる。

 そして、佐倉は美琴が見た以上の闇の中で生きている。当事者とも言うべき垣根帝督直々にスカウトされた彼はおそらく最前線で戦っているのだろう。元々精神的に丈夫な人間でもないくせに、『美琴を守りたい』というその願いだけを胸に暗闇を駆け抜けているのだろう。出口の見えないトンネルを、電池が切れかけた懐中電灯を一つだけ持ったような状況で。

 正直に言って、美琴の知る佐倉望は非常に弱い人間だ。無能力者だとか超能力者だとか、そういうどうしようもない能力格差を抜きにしても佐倉は弱い。精神的に、彼は打たれ弱い。とても学園都市の闇に耐えられるような性格をしていない。……それほどまでに佐倉望は弱く、そして優しい。

 そんな彼が、自嘲癖の激しいだけの優しい彼が、どうしてあれだけの闇の中で平気でいられるだろうか。

 

「……もう、やめてよ」

 

 先程までの空元気が嘘のように衰弱した声を上げる美琴。もはや涙を我慢する気力さえなかった。ポタポタと握った拳に生温い液体が落下していく。一度流れ始めた涙は止まることなく溢れ、嗚咽を誘発させた。

 子供のように泣きじゃくりながら、美琴は必死に懇願する。

 

「もう、無理しないでよ! なんでアンタが傷つかなくちゃいけないの。なんでアンタがそこまで追い詰められなくちゃいけないの!? アンタが何か悪いことをした? ちょっと素行不良でしょっちゅう警備員に追い回されているかもしれないけど、そこまで壊れちゃうような目に遭うことなんてしてないじゃない!」

《美琴……》

「やめてよ、アンタのそんな弱りきった声なんて聞きたくない! 私の知っている望は、もっと馬鹿で一直線で、どうしようもなく元気なヤツだったわ! 確かに思い込みが激しくて落ち込む時もあったけど、それでも私には笑顔を向けてくれた! ねぇ、夏休みの最後に私が告白した佐倉望は、いったいどこに行っちゃったの? あんなに綺麗な笑顔で私を抱きしめてくれた望は、どこに行っちゃったのよ!」

 

 今が夜間で、近所迷惑になるかもしれないという心配すら頭には欠片も残っていないらしく、美琴は感情のままに溜まった想いを吐き出し続ける。ここまでの大声を出しているのに、何故か寮監が乗り込んでくることは無かった。

 御坂美琴は楽天家ではない。佐倉が置かれている境遇も理解しているし、それが普通の精神状況で乗り越えられるような場所ではないことも知っている。だが、それでも今だけは。美琴と話している時だけは、いつもの彼でいて欲しかった。照れ隠しに減らず口を叩くような、捻くれ者の佐倉望でいて欲しかった。

 しきりに叫び続けて疲れたのか、荒い息遣いのまま美琴はようやく口を止めた。荒々しく肩を上下させ、なんとか怒りを押し留めようと努力している。握った拳は、充血して色を失っていた。

 佐倉からの返事はない。何を言おうか困惑しているのだろう。美琴至上主義の彼の事だ、言われた通りに空元気でも見せようとしているのかもしれない。……だが、今の彼にそんな無理ができるとは到底思えなかった。

 しばらくの沈黙が場を支配する。白井は未だに心配そうに美琴を見つめている。先輩思いな可愛い後輩に「大丈夫」と泣き腫らした目で語りかけると、少しづつ落ち着きを取り戻してきた様子で再び口を開いた。

 

「……望。私は、アンタのことが好き」

 

 突然の告白に、電話口の向こうで彼が狼狽する様子が感じ取れた。予想外の言葉にテンパっている映像が目に浮かぶ。……ようやく、少しだけ口元に笑みが浮かんだ。

 満足そうに頷くと、言葉を続ける。

 

「好きだから心配するし、好きだからアンタには元気でいて欲しい。たとえアンタを苦しめているのが私自身であったとしても、好きだから私は自分の願いをアンタにぶつけ続けるわ。身勝手だとか、我儘だってことは分かってる。矛盾しているかもしれないし、もしかしたら不条理なことを言っているかもしれない。……でも、だから私は胸を張ってこう言い続ける」

 

 愛する彼の顔を思い浮かべながら、柔らかな笑みを浮かべる。

 この十日間、彼とマトモに連絡を取り合うことができなかった。元来寂しがり屋で精神的に弱い彼は、誰かに頼ることもできずに苦悩に苛まれていたのだろう。人を殺した、殺されかけた。そんな非日常的な毎日に慣れかけている自分が嫌になっていたのだろう。それでも、誰にも頼れなかった。だから、ひたすらに闇を進み続けた。

 美琴の言葉で今の佐倉が救われるなんて自意識過剰なことは思わない。人の命を奪う苦しみはそう簡単に消えるものではないし、これからも佐倉を悩ませ続けるだろう。暗部で生きる以上、それは避けられない運命だ。彼女とて、そんなことは分かっている。

 だが、少しでも彼を励ますことができれば。絶望に心を食われかけている彼を少しでも取り戻すことができれば。佐倉望を、ほんの少しでも理解してあげることができれば……多少は、精神的に楽になるのではないか。

 これは美琴の勝手な憶測だ。彼が立ち直る確証なんてないし、仮に立ち直ったとしてもすぐに壊れてしまうかもしれない。

 だが、それでも。

 御坂美琴は、根拠のない自信と共に胸を張って高らかに宣言する。

 

「頑張って、望。私は、アンタを信じているから」

《……――――――――》

 

 気が付くと、通話は切れていた。ピーという無機質な電子音が電話口から聞こえるだけ。

 

「お姉様……?」

 

 携帯電話を握ったままなかなか動こうとしない美琴を不審に思った白井が声をかける。美琴は虚空を見つめたまま、微動だにする様子がない。……だが、その顔にはわずかながらの微笑が浮かんでいた。

 僅かな口元の綻びは次第に顔全体へと広がっていく。頬には淡い朱が差し、口元はにへらとだらしなく開かれている。普段の彼女からはまったく想像できない緩みきった表情の下で、彼女は何故か身体全体をもじもじと物欲しそうにくねらせていた。携帯電話を持っていない左手が彼女の腰の辺りで不審な動きを繰り返していたが、左手が動くたびに美琴は全身を痙攣させるように軽く跳ね上げていた。

 潤んだ瞳でうっとりと壁を見つめたまま、美琴はゆっくりと震える唇を動かしていく。

 

「……『ありがとう。愛しているよ、美琴』だなんて……えへへぇ。望に、愛してるって……アはッ。もう、私がいないと、望は本当に何もできないんだからァ……」

 

 ぞわ、と白井の背筋に悪寒が走る。何だあれは。少なくとも、彼女が知っている御坂美琴の姿ではない。

 あまりにも変貌してしまった美琴の姿に、白井は隠すことなく狼狽する。……そして、彼女をそこまで『壊した』最有力人物を即座に導き出すと、怒りの炎を瞳に宿して拳を強く握り込んだ。

 

 ――――許すまじ、佐倉望ッ!

 

 常盤台中学学生寮の一室で、それぞれの想いを抱えた少女達の夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 

 




 ちなみにサブタイトルの『闇』は、『病み』と読み替えることが可能です。

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