《頑張って、望。私は、アンタを信じているから》
電話口から届いた凛とした声が、佐倉の荒んだ心に染み渡っていく。血と肉の臭いに塗れた身体を癒し、絶望に苛まれていた精神を和らげていく。
彼女の言葉に喜びを覚えないのではなかった。単に、機械的なものでしかないメールの文面だったから心が動かされないだけだったのだ。自分は今、こんなにも美琴の言葉に感動している。願望と倫理観の狭間で揺れ動いていた自分の指針を、この一言だけで彼女は決定してくれた。不思議と、佐倉の口元にわずかな笑みが浮かぶ。
先程よりかは随分楽そうな面持ちで、佐倉は静かに思いの丈を伝えた。
「ありがとう。……愛しているよ、美琴」
そう言うと、返事も待たずに通話を切った。別に特殊な事情があったわけではない。単に、恥ずかしかった。ガラにもなく甘い言葉を囁いてしまったことが、今更ながらに佐倉の羞恥心を刺激していた。
ふぅ、と安堵の溜息をつくと、おもむろに立ち上がってベランダへと出る。外には、街灯すらほとんど点灯していない漆黒の暗闇が広がっている。この時間帯だと、自分以外の暗部組織が暗躍している可能性も否定はできない。こうしている間にも、何人もの命が奪われているのだろう。どれだけ泣き叫んでも聞いてはくれない。どれだけ許しを請うても絶望は止まらない。学園都市の闇で生きる以上、そんな現実には慣れるしかない。
手すりに手をかけて暗闇を見つめる。美琴の言葉を何度も反芻しながら、これからの指針を再確認する。
(……そうだ。決めたんじゃねぇか)
思い出すのは夏休み。垣根からの問いかけに、自分は何と答えたか。『力が欲しいか?』と聞かれ、佐倉望はどう答えたか。
「美琴を守れるぐれぇ、強くなりてぇ」
――――その為なら、どんなことだってやってみせる。
殺しは怖い。毎晩魘されるし、慣れるものではない。戦場ではいつだって恐怖と隣り合わせで、死はいつもすぐ傍にある。一瞬たりとも気は抜けず、時間と共に精神は摩耗していく。正気も徐々に失われ、最後に待っているのはおそらく『狂』。……だが、それがどうした。
美琴を守れるようになるために。彼女の隣で胸を張って歩けるために。
そのためなら――――
「俺は、何人だって殺してやるッ……!」
そうだ。これは、美琴の為だ。彼女を守るための、尊い犠牲なのだ。一方通行とは違う。自分の為ではなく、他人を守るための力。求める力の種類は、自分の方がより『正義』に近い。
「俺は諦めねぇ。だって約束したもんな? 『どんなことが起こっても絶対に逃げるな』って。そいつぁ、たとえ《殺し》でも有効なんだよな? 自分の願いの為に……お前の為に、俺は戦っても良いんだよな?」
言葉は返って来ない。無理に自分を正当化しているような彼の呟きは、絶望溢れる暗闇へと吸い込まれていく。彼の決意を嘲笑うかのように、漆黒の闇は緩やかな風で佐倉の頬を撫でた。クセのない前髪が風に揺られ、その下にある佐倉の表情を月明かりの下に晒す。
「やってやるさ。何人でも何十人でも何百人でも、お前の為ならな」
口元が弓状に歪む。希望に輝いている瞳。だが、そこからは何か大切なものが抜け落ちていた。
終わりの見えない絶望的な闇は、無力な少年を徐々に引きずり込んでいく。
☆
九月十二日。
週末に入り、学生である佐倉は本来ならば友人達とどこかに遊びにでも行っているようなその日。垣根帝督はいつものアジトに【スクール】の構成員を呼び出した。
「集まったな」
目の前にいる三人の構成員達を見やると、どこか演技がかった言葉を口にする垣根。普段からいけ好かないメルヘン野郎ではあるが、今日はいつにも増して胡散臭いなと佐倉は心中毒を吐く。言葉には出さないが、その表情はどうみても嫌悪感を露わにしていた。半目で口の端をヒクつかせるとか完全に気持ちが顔に出ている。そのことに気付いた心理定規が、人知れず呆れた溜息をついていた。
だが、自分に酔っている垣根は佐倉の様子に気が付くことはない。ただ暗部組織のリーダーとして、必要な情報をできるだけカッコよく与えていく。
「【カレッジ】っていう暗部組織があるんだが、今晩そいつらがとある施設を襲撃するらしい。第一学区……統括理事会の御膝元にある、能力者データバンク。【書庫】の維持を担っている、管理施設みてぇなもんだな。コンピュータ制御だけじゃ心もとないから、補助的な役割をしているらしい。当然、そこには【書庫】のスペアデータも保管されている。ヤツらは、そのスペアデータを手に入れる為に施設を襲うってこった」
「うへぇ……そんなことの為に学園都市に喧嘩売るとか、頭湧いてんじゃないかって心配になるっスね……」
ゴーグルがわざとらしく肩を竦めているが、今回の襲撃は確かに命知らずと言ってもいい犯行だ。
第一学区。学園都市の司法・行政を司る中枢部。統括理事長が住まうとされている【窓のないビル】が存在するのは第七学区だが、統括理事会や裁判所などの主要機関がそろい踏みしている重要な学区だ。当然、他学区に比べて警備は厳しい。警備用ロボットだけでなく、おそらくは多数の駆動鎧が巡回している。そんな学区に存在するデータバンクを襲撃するというのは、いくらなんでも自殺行為だ。
垣根の説明を補うように、心理定規はどこからか取り出した資料を片手に口を開いた。
「私も上からの指示を受けてちょっと【カレッジ】について調べてみたんだけどね。そいつら、全員が全員大能力者なんだ。しかも【置き去り】。よくよく調べてみれば、学園都市の闇に触れていそうな過去がうじゃうじゃと……学園都市に復讐する動機は、これでもかってほど持っているみたいね」
「学園都市での能力開発には、必ず犠牲が必要になる……身寄りのない【置き去り】は、
「あぁ。大方、昔に脳味噌弄られた復讐って所だろ。もしかしたら研究所で仲間を殺されたのかもしれねぇな。
学園都市の科学力は、『外』よりも二、三十年進んでいると言われる。しかし、それだけの発展の裏には、【置き去り】のような弱者の犠牲が付き物だ。何かの犠牲なしに何かを得ることはできない。医療薬を作るための実験用マウスと同じだ。ただ、それが偶然人間だっただけ。科学者達にしてみれば、その間に大した差は無い。
【カレッジ】とやらの構成員達は、その科学者達によって人間としての尊厳を奪われでもしたのだろう。脳味噌を弄られ、薬物を何種類も投与されて。人権なんて与えられない。ただ実験動物としての扱いを何年も受けてきたのだろう。……普通に考えて、非人道的で残酷な話だとは思う。
――――しかし、『今の』佐倉望にとって、そんなことはどうでもいい話だ。
「変な同情めいた茶番はいらねぇからさ。単刀直入に命令してくれよ、リーダー」
突然口を開いた佐倉に三人の視線が集中する。以前ならば良心と現実の板挟みで葛藤するような弱い精神の持ち主だったはずの彼から飛び出した彼らしくない台詞に、三人は怪訝な表情を浮かべる。かつての無力な佐倉望ではない……どこか変貌してしまったような『彼』が、垣根からの命令を待っている。
その瞳に浮かぶのは、『狂気』。
垣根達からの視線を受けながら、佐倉はどこまでも歪んだ、醜い、それでいて純粋な笑顔を湛えて、興奮気味に
「俺達は、そいつらを殺すために
☆
第七学区のどこかで、逆さまの人間が笑う。
彼の『計画』通りに壊れていく無能力者を思い、悲しみ、賞賛しながら。
☆
能力者データバンク第一通路。
「ヒャッハァァアアアア!! オレサマの歌声に魅了されちまってるってかァアアア!? よぉおおおし! 今日は心行くまで、オレサマの美声に酔いしれちまえやゲスト共ォオオオオオオオ!!」
スピーカーを通したようなノイズのかかった爆音が研究所を揺るがす。だが、それだけではない。彼の前方にいた多数の駆動鎧達が、彼の声を受けて
「盛り上がってますかァアアアアアアアアア!!」
口を大きく開くと、彼の口元から駆動鎧までの空間が一気に歪んだ。衝撃波によって光が屈折しているのだ。陽炎のような現象は、彼の攻撃軌跡を露わにする。……一直線に、駆動鎧達に向かっていた。ゴシャァッ! と圧力によって押し潰される駆動鎧達。空き缶もかくやと言った潰れ方を目の前にして、彼はライオンのように逆立たせた赤髪にニッコリ笑顔で手櫛を入れる。その下で、特徴的な八重歯が照明の光を受けてキラリと光った。ダメージジーンズにジャンパー。髑髏マークの趣味の悪いシャツ。一昔前のパンクロッカーのような出で立ちの少年は、大声を上げながら進軍していく。
第一通路を進み続け、ようやく出口が見えてきた。次のフロアに続いているのだろう。首から提げた鎖状のネックレスに手をやりながら足を進める。
だが、そこでもう一つの声が彼を阻んだ。
「困るんスよね。あんまり大暴れされちまうと」
黒いインナーに橙色の長袖シャツ。深緑のカーゴパンツを穿いた荒い髪質の少年。頭には土星の輪のような巨大なゴーグル……もはやヘッドギアとも言うべき機械を付けていて、そこから何本ものコードが腰の機械へと伸びている。
少年は面倒くさそうに髪を掻いていた。そんな余裕な態度のゴーグルを見ると、赤髪の少年は舌を出して中指を立てながら濁った声を張り上げる。
「本日のメインゲスト! 最ッ高に盛り上がったこのステージでッ、このオレサマ、
「五月蠅いんスよ。その喉潰してやろうかライオン頭」
☆
能力者データバンク、第二通路。
「ふん……我が邪眼の力を以てすれば、貴様らの攻撃なぞ蝿が動くようだわ」
頭上から振り下ろされるスパナによる一撃を、駆動鎧の腕が動くと同時に右脚を一歩引くことで回避するゴスロリの少女。身を翻すたびに、艶やかな銀髪が照明の光を浴びて闇夜に一際輝く。駆動鎧を見据える両目は金と紅。どこか現実離れした雰囲気の少女は、豊かな胸部の下で腕を組んだまま踏込だけで駆動鎧の攻撃を回避していく。どれだけスパナを振るっても掠りもしない。まるで最初から攻撃が分かっているかのように、発生と同時に美しい肢体が華麗に流れていく。柳に風、暖簾に腕押し。連続してぶつけられる攻撃は何一つ効果を発揮しない。
「見える、見えるぞ……貴様らは、
そう言うや否や、少女がいきなり走り出した。唖然とする駆動鎧の間を掻い潜るようにして通路の奥へと向かう。突破されたことにようやく気付いた駆動鎧達が迎撃に向かうべく反転するが、
突如、彼らの足元から火花が散った。金属を焼き切る特徴的な音が響いたかと思うと、吹き抜けを通るようにして架かっていた通路が一気に分解される。……本来ならば扉を焼き切るのに使われるツールによって、駆動鎧達の足場が消失する。
「他愛もない……やはり選ばれし闇の血族には敵わんということだ」
「ちょっと……こんなのが相手なワケ?」
「そろそろ現れる頃かと思っていたぞ、新たな客人よ」
声が放たれた背後を振り返ることもせず、背を向けたまま妖しく微笑む少女。そんな幻想的な少女に嘆息しながらも、金髪赤ドレスはレディース用の拳銃を取り出しながら口元を吊り上げた。
「報酬は弾みなさいよね、帝督」
「面白い。そのような玩具でこのリリアン=レッドサイズを倒せると思うのならば、試してみるがいい」
☆
能力者データバンク、第三通路。
「もう嫌だ……怖いよ怖いよぉ……」
耳を塞ぎ、目を瞑ったまま恐る恐る足を進める少年。周囲の様子を確認する方法を自ら阻害しながらも、少年の身体は少しもふらつくことなく真っすぐ進んでいく。その背後には、腕の部分がへし折れたいくつもの駆動鎧が転がっていた。
その中の一体。まだ動けたのだろう一体が、怯えた様子の少年に向けてショットガンを放った。鉄板すら破るほどの威力を持った銃弾が少年へと飛来する。
だが、少年の肌に触れた瞬間に銃弾は向きを変えた。飛んできた方向へと、綺麗な軌跡を描いて戻っていく。……駆動鎧の構えたショットガンの銃口に。
けたたましい爆音が響くと、少年はいっそう身を屈ませる。
「他のみんなは大丈夫かなぁ……僕はもう全力でここから帰りたくなってきたよ……」
両目の端に涙を滲ませ、子供のような弱音を吐く。線の細さと肩まで伸ばされた黒髪のせいか、下手をすると少女と勘違いされてしまいそうな外見だった。ビクビクと肩を激しく振るわせながら一歩一歩進んでいく。
そんな少年の前に、新たな人影が姿を現した。
長身に整った顔立ち。くすんだ茶髪が彼のガラの悪さを際立たせている。着崩した茶色のスーツが彼の印象をよりチンピラめいた方向に向かわせているが、本人の挙動からしてそもそもがそういう系の人間らしい。ヤクザ予備群の高校生といった感じか。
少年――――垣根帝督が右手を振ると、彼の背中から六枚の白い翼が顕現した。【未元物質】。学園都市の第二位に位置付けられている、天界の力。天界の力の片鱗を振るうもの。
垣根が臨戦態勢を取ったことで、少年の震えが一際激しくなった。
薄暗い空間で、少年――――
「一方通行の劣化版か……あのクソ野郎と戦う前に、テメェで腕鳴らしとしゃれこもうかね」
「嫌だ、怖い……でも、やるしかないんだよね……!」
☆
能力者データバンク、第四通路。
そこだけは他の通路と違い、警備ロボットや駆動鎧が出現していなかった。監視カメラはいくつも設置してあるが、かといって彼女を止めるために何かが派遣される様子もない。亜麻色の長髪をポニーテールにしている少女は、背負った日本刀をカチャカチャと鳴らしながら鼻歌交じりに通路を駆け抜けていた。周囲の風景が目まぐるしく後ろへと流れていく。少女は、音速の半分ほどの速度で移動していた。あまりのスピードに白いセーラー服と紺色のスカートがバタバタとはためいて下着が露わになっているが、彼女は気にする用もない。そういったことに無頓着な性格のようだった。
背は高く、すらりと伸びた白磁のような肌をした手足。胸部には若干の心残りがあるが、もし女優であればすぐさま人気沸騰してしまうだろうことが想像される外見だ。全体的に鋭い印象を抱かせる。
スニーカーが金属の床を鳴らす度に少女の身体は弾丸のように進んでいく。彼女を止められるものなんて何もない。ただ力強く、凛として通路を駆け抜けていく。
――――刹那、少女の顔面を凄まじい衝撃が襲った。
予想外の衝撃に後方へと吹っ飛んでいく。背中から盛大に床へと落下したが、日本刀の鞘によるダメージを気にする様子はない。というか、悲鳴一つ上げることは無かった。
音速の半分という異常な速度で移動していた少女。そんな彼女を止め、あまつさえ攻撃を命中させた奴は誰だ。 鈍い痛みを訴え続ける身体を無視し、少女はさっと立ち上がると視線を前方に飛ばす。
そこには『黒』がいた。全身を固い装甲に覆われた、特撮ライダーのような出で立ちの人間が。肩や膝などの要所要所にはさらに深い漆黒のプロテクターが装着されている。
「…………」
駆動鎧は言葉を発さない。ただ拳を構え、腰を落とすだけだ。会話よりも戦闘を望んでいるのか、フルフェイスメットのせいで表情は窺えないが、纏う雰囲気は狂戦士のソレだった。殺しをいとわない、血で血を洗う戦闘を所望する狂人のオーラ。とても、普通の人間だとは思えない。
「…………」
対する少女も口を開かない。背中の鞘から日本刀を抜くと、鋼色に輝く刀身の刃先を駆動鎧へと向ける。動作の一つ一つがあまりにも整っていて、思わず見惚れてしまうほどに綺麗だ。様々な所作を最大にまで極めるとこうなるのではないか、という想像を形にしたような動き。セーラー服と亜麻色のポニーテールが彼女の動きとあまりにも不釣り合いなのだが、この場にそれを指摘する者はいない。
少女は表情を変えない。
狂戦士と狂剣士が、お互いの武器を向けあう。
『…………ッ!!』
同時に地を蹴ると、金属製の床が轟音と共に陥没した。