『今すぐ第七学区柵川中学前のファミレスに来い』
突然かかってきた着信で垣根が命じた内容は、あまりにも拍子抜けかつ理不尽なものだった。第六学区に差し掛かる辺りにいた佐倉は命令を受けた瞬間に慌てたようにその場から脱兎のごとく走り出す。待たせたら何をされるか分からない。人類史上最も低い沸点をお持ちの我らがリーダーを思い返すと、冷や汗をかきつつも件のファミレスに向かって全力疾走した佐倉。道行く人々からの奇異の視線を完全にシャットアウトしながらも第七学区を風になって突っ切った結果、
「遅ぇ。罰としてドリンクバー注いで来い。コーラ氷無しでな」
「げほっ、ぅえ……理不尽だろ、この野郎ォ……!」
にやにやと腹立たしい笑顔を貼り付けた第二位の無茶な要求を受ける羽目となっていた。
本来ならば三十分はかかるはずの道程を約半分程の時間に短縮して見せたというのに、賞賛はおろか気遣いすら受けられず、あまつさえ雑用を命じられる始末である。相手が学園都市第二位の超能力者でなければおそらくぶん殴っていた。相変わらず覆らない能力強度の壁に愚痴を零しながらもコーラを持って席に戻る。
言われた通りにドリンクバー往復を成し遂げた佐倉は、ここでようやく垣根の向かい側に二人の人物が座っていることに気付いた。さっきはあまりの嘔吐感と疲労感に周囲に気を配る余裕がなかったため、まったく気付かなかったのだ。少し体調に余裕ができた佐倉はコーラを荒々しく垣根の前に置くと二人の観察を開始。
一人は三十歳ほどの外国人男性だ。くすんだ金髪をオールバックにした、目鼻立ちの整ったダンディな風貌の外国人。糊の効いたスーツを着込んでいるせいか、どこかそっち方面の業界の方のように見える。垣根が関与している以上マトモな職業にはついていないのだろうが。マフィア、と言われても納得してしまいそうな男性だった。
そしてその隣に座っているのは、異常な光沢を湛えた金色長髪の美少女。瞳には何故か星模様が浮かんでいて、どことなく漫画のキャラクターを彷彿とさせる容貌だ。スタイルはもはや殺人的と言っても過言ではなく、赤ラインの入ったランニング系の体操服を色っぽく歪ませる巨大な胸部に思わず視線が吸い込まれてしまう。
……と、ここで佐倉は一つの違和感に気が付いた。
金髪少女が着ている体操服。胸部の膨らみがあまりにも違いすぎるので一瞬気が付かなかったが、これは美琴が着ているのと同じタイプのものではなかったか。
「もしかして、常盤台の……?」
「はぁい。初めてお目にかかりますけどぉ、私は食蜂操祈って言いまぁす。よろしくねぇ♪」
「食蜂操祈って……第五位の、【心理掌握】……?」
「御明察ぅ。ま、私程の有名力にかかれば納得できる知名度なんだけどサ!」
自慢げに「えへん☆」と胸を張って踏ん反り返る食蜂操祈。胸を強調するような体勢をとったことで胸部の突き上げ具合が大変なことになっているが、いつの間にかソレを凝視してしまっていることに気付くと慌てて目を逸らした。赤面して狼狽する佐倉に悪戯っぽい笑みを浮かべる食蜂が
ピースサインの指の間から片目を見せてアイドルのようなポーズを決める食蜂。隣に座っていた外人男性はそんな彼女に肩を竦めながらも事務的に自己紹介を開始した。名前はカイツというらしく、職業は警備専門の
双方落ち着いたのを見計らい、垣根が口を開く。
「今回テメェを呼んだのは、【スクール】とは関係ない依頼が入ったからだ。端的に言やぁ、そこの白々しいクソ女が直々にテメェをご指名したってわけだが」
「俺を? なんでまた……」
思わぬ事実に目を丸くしてしまう。
ありえない話ではない。暗部は基本的に組織単位で動くが、構成員個人に依頼が寄せられることもある。組織単位の人員を必要としない場合や、その構成員個人の力が必要な場合などがそういった例だ。暗部とはいっても傭兵集団みたいなものである以上、依頼が個人に向けられることも多々ある。しかし、それはあくまでもその構成員自身に何かしらの長所がある場合のみの話だ。
例えば、垣根帝督ならば【未元物質】での殺戮以来。心理定規ならば能力を使っての交渉や洗脳以来。ゴーグルは大能力を有しているが、特にこれといった長所は無いためあまりそういった依頼に抜擢されることはない。垣根を雇う程の資金力がない依頼者から代役を頼まれるくらいのものである(本人は死ぬほど嫌がっていたが)。佐倉に至っては、言わずもがなだろう。高位の能力を有しているわけでもなければ突出した技能を持っているわけでもない無能力者な佐倉が個人的な依頼を受けたことは今までほとんど言っていいくらいなかった。あえて挙げるとするならば駆動鎧のテストユーザーくらいのものだろうか。とにかく、彼個人の力を必要とする依頼が寄せられたことはかつてないのだ。
そんな中、今回の依頼である。佐倉が思わず訝しんでしまうのも無理はないだろう。戦闘力はそこらの高校生レベルでしかない自分に何かを頼むなんてことがそもそも考えられないのだから。
信じられないとばかりに食蜂達に視線を移すと、彼女はあくまでも嫌らしい笑みを浮かべていた。
アイスコーヒーを煽ると、食蜂は何気ない世間話をするような軽い調子で横髪を弄りながら、
「【妹達】関連って言ったら、少しは信じてくれるかしらぁ?」
「っ……!? てめぇ、もしかしてミサカ達に何か……!」
「もぉ、早とちりはカッコ悪いゾ? もうちょっと最後まで人の話は聞かなくちゃねぇ」
「だそうだ。ちょっとは落ち着けクソ佐倉。最近のすぐキレる子供じゃねぇんだからよ」
お前が言うな、と心の底から絶叫したい佐倉だったが、そんなことをしても会話が発展しないどころか最悪の場合病院送りにされる可能性があるので大人しく口を噤んだ。ちら、となんとなくカイツに視線をやると何故か同情染みた表情を向けられていたので若干焦る。彼は彼でなかなか苦労しているようだ。
「んで、その【妹達】ってのがどうかしたのか?」
「どうかした、っていうよりもぉ、なぁんか変な組織に狙われちゃってるみたいなのよねぇ。詳しいことは分からないけどぉ……このまま放っておくと、あの子達は大変な目に遭わされちゃうと思う訳なのよぉ」
「……今、ミサカ達は無事なんだろうな」
「一〇〇三二号ちゃん以外の安全は保障しかねるけどねぇ」
「ミサカ以外? アイツは今第七学区を観光している最中だと思うんだが……」
「あらぁ? もしかして知らないのぉ?」
人を小馬鹿にしたように口の端を吊り上げる食蜂は頬杖をつきながら、マドラーを右手で回しつつ冷静に言った。
「ミサカちゃん、ソイツらにナノデバイス撃ち込まれて昏睡中なのよぉ」
「っ!」
バンッとテーブルに両手を打ち付けて勢いよく立ち上がる佐倉。意識的にではなく、あくまで反射的に立ち上がってしまった。そのままの勢いで食蜂に叫びをぶつけようとするが、周囲の困惑した雰囲気と食蜂の冷たい視線に気づいて沸騰していた頭が少しづつ冷えていく。気まずい気持ちで着席すると、いい加減腹が立ったらしい垣根に思いっきり拳を落とされてしまった。幸い能力は使われていなかったものの、鉄塊でぶん殴られたような鈍痛に襲われ思わず頭を抱えて悶絶してしまう。痛いどころの騒ぎではなかった。
痛みに呻く佐倉が回復するのも待たず、食蜂は言葉を続ける。
「心配しなくても、ミサカちゃんは私達の本拠地に匿っているわぁ。
「この話が終わったら早く戻った方がいいっていうのは確かなんですけどネ。まぁ、今回はその一〇〇三二号についての依頼なんですヨ」
「ミサカについての、依頼?」
「ハイ。我々が貴方に頼みたいのは、ミサカ一〇〇三二号の護衛でス」
カイツはコーヒーを一度煽ると、
「我々は先程言った組織……詳しく言うならば、その主犯格を探していまス。しかし、一〇〇三二号を庇った状態では身動きを取りづらイ。できることなら、彼女についての心配事を軽減したうえで行動したいというのが本音なのでス」
「護衛は基本的にカイツさんにお願いしてるんだけどぉ、彼はあくまでアドバイザーだからねぇ。戦力になる護衛は一人でも多いに越したことはないのよぉ」
「そのご自慢の精神操作で傭兵を洗脳しちまった方が楽じゃねぇのか? ウチの無能力者よりかはプロの集団を使った方が上手くいくと思うんだがねぇ」
「勿論人形は準備するわよぉ? でもぉ……やっぱり、普通に行動してくれる仲間っていうのも重要だと思うのよねぇ。あんまり木偶の坊に囲まれちゃうと、ミサカちゃんもかえって落ち着かないと思うしぃ」
「佐倉さんは彼女とも知り合いですし、オリジナルである御坂美琴とも懇意にしていると聞きましタ。ともなれば裏切られる可能性も低イ。利点を鑑みた結果、貴方に依頼するのが一番効率的だと思ったわけなのですヨ」
「……だそうだ。ガキンチョ佐倉君は、今の話を最後まで聞いたうえでよーく考えてみろよ。自分の力量と信念を計った上でな。……あ、ウエイトレスさん。ストロベリーパフェ追加で」
空気を読まない追加注文を行う垣根の言葉を受け、佐倉はしばらく熟考する。
彼らが自分を選んだ理由は分かった。交際関係、信用度の観点から考察するに佐倉が最も適しているというのも理解した。だが、分かっていても自分の無力さがどうしても引っかかってしまう。
その組織とやらがどんな相手なのかは知らないが、学園都市内の傭兵部隊への依頼で済まさない以上外の奴らではないのだろう。暗部にまで協力を要請するということは、おそらく相手も暗部かそれに準ずる組織なのかもしれない。そんな敵を相手に、暗部では新人で未熟者と言っても過言ではない佐倉がマトモにミサカを守ることができるのか。駆動鎧がなければ強能力者にすら勝てない自分なんかが、ミサカを……、
――――だから、ミサカにも生きるという事の意味を見いだせるよう、これからも一緒に探すのを付き合ってください。
不意に、ミサカが手紙に書いて寄越した言葉が脳裏に蘇る。一方通行を相手に無残な敗北を喫し、マトモに守り通すことすらできなかった佐倉に、彼女は自分の願いを聞かせてくれた。彼女の未来の一端を、佐倉に担わせてくれたのだ。混じりっ気のない純粋な気持ちで、こんな役立たずのスキルアウトに接してくれたのだ。
――――迷う理由なんて、最初から無かったじゃねぇか。
考えてみれば、簡単な事だった。
ミサカが傷つけば、当然美琴も傷つく。ミサカが攫われれば、美琴は自分が犠牲になっても彼女を救い出そうとするだろう。かつて【絶対能力進化実験】を止めるために単身暗部と戦った経験を持つ美琴である。どんな行動に出るかなんて、火を見るよりも明らかだ。
佐倉の願いは御坂美琴を守ること。彼女との日常を守り、笑顔を守り通すことだ。美琴の世界にはミサカが必要不可欠。……そして、美琴を守ると同様に、佐倉はミサカの日常も守りたいと思った。何故か、は分からない。もしかしたら美琴と同じ遺伝子を持っているからなんていう最低な理由からかもしれない。しかし、それでも佐倉はミサカを守ろうと思った。ミサカの為に、自分の為に。……そして、何より美琴の為に。
佐倉は顔を上げると、食蜂達の方を見据える。
「その依頼、受けさせてくれねぇか?」
「……あらぁ? さっきまでは渋面作っていたのに、結構あっさり決めちゃうのねぇ」
「うるせぇよ第五位。俺はただ、美琴の世界を守りたいだけだ。誰一人欠けちゃいけねぇ。美琴が笑って暮らせる世界には、
「バカねぇ。結局は下心丸出しじゃない。あのお子様体型のどこがそんなにいいんだか」
「年齢詐称疑惑の女には一生かかってもわかんねぇよ」
呆れたように溜息をつく食蜂に悪態をつきながら、佐倉は気持ちいい笑顔を浮かべる。
(あぁ、美琴を守るために動けるなんて、こんなに嬉しいことはない)
暗部に入って早二週間。血と硝煙に塗れた闇を生きてきた佐倉は、ようやく彼女を守る実感を得られた。これだ。このために自分は暗部に入ったのだ。御坂美琴を守るため、その為だけに彼は何人も殺してきたのだ。
佐倉は一人快活に笑う。隣でパフェを頬張る第二位が冷たい視線を向けていることにも気づかず、延々と湧いてくる喜びに打ち震えながら。
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