とある科学の無能力者【完結】   作:ふゆい

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第五十七話 栄誉を望め、万能なる化物よ。

 夢を見た。

 

『貴方が新しい被検体の子? ふふっ、これはまた、随分と無愛想な子が配属されたものね?』

 

 そんな事を言いながら一人で笑う二十歳ほどの女性。対して、笑われているのは十五歳くらいだろうか、どことなく幼さが抜けていない髪質の荒い少年だ。ナイフのように鋭い目つきで女性を睨む少年だが、当の彼女は気にする様子を全く見せない。それどころか、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、『子供ねー』と笑う始末。あまりにも失礼な態度に少年は眉を顰めるものの、それでも女が気にする様子はない。

 しばらく女性を睨みつけていた少年だったが、不意に驚いたように目を見張った。目の前に差し出された右手。見れば、先程まで笑っていた彼女が、どことなく優しい笑顔を浮かべて少年の方に手を差し伸べていた。

 意図を掴めない少年に、彼女は言う。

 

『今日から貴方の担当になる、木原定理よ? 是非ともよろしくお願いするわね?』

『…………』

『もー。挨拶くらいはしっかり返さないと駄目よ?』

 

 戸惑いからか言葉も返さず手を握りもしない少年を嗜めながら、優しく彼の手を握る女性。いきなり触れられ一瞬びくっと反応するものの、敵意がないことを察したのかされるがままにされている。殺意と敵意に塗れていた顔は、いつの間にか戸惑いと驚愕に染められていた。今まで出会ったことがない種類の人間に、うまく対応できないのだろう。

 研究者にロクな奴はいない、というのはここ学園都市の常識だ。

 自分の目的の為なら被験者を傷つけることを厭わない。脳をケーキのように切り分けようが、四肢をプレス機で圧縮しようが顔色一つ変えない。そんな頭のおかしい集団が、研究者というやつだ。

 それなのに、この女性は何故か友好的な態度で少年に接してくる。彼女の思惑が予測できず、狼狽えるしかない。実験対象を甘やかす、とまではいかなくとも、しっかり一人の人間として接してくれる。あまりにも研究者らしからぬ木原定理とやらの異常性に、思考が追い付かない。

 目を白黒させながら困惑の表情を浮かべるこちらに対し、木原定理が取った行動は至極単純だった。

 

『今日から一緒に頑張りましょう? 落ちこぼれの私をサポートしてくれると助かるかしらね?』

 

 シンプルな笑顔を浮かべ、平凡に微笑みかけ、ありきたりな挨拶を与え。

 学園都市内において畏怖と恐怖の対象として知られる『木原』の中でも、突き抜けて平々凡々とした木原定理。そんなどこまでも極々普通な研究者との出会いは、こんな感じだ。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 彼が知っている実験と言えば、脳味噌をケーキのように切り分けられたりやら、頭蓋骨にドリルで穴を開けたりやらする残虐非道なラインナップだ。生死の境とかどうでもよくなるほどに、生きていることが馬鹿らしくなるほどに非人道的な実験の数々を、少年は今までに目の当たりにしてきた。そして、これから行われる実験も、その例に漏れない極悪非道なものだろうと予想していた。それはもはや確信の域に至っていたと言っても過言ではない。

 どんな悪行が自らの身に降り注ぐのか。半ば無理矢理覚悟を決めながら研究室へと足を運んだ少年。こんな地獄に足を踏み入れた時点で死ぬ覚悟はできている。やってみろよクソ野郎共。そんな事を頭の中で反芻しながら目の前の女研究者にメンチを切る。

 あまりにも敵対心丸出しで睨みつけてくる少年に対し、木原定理は隠すことなく苦笑いを浮かべ、こんなことを言った。

 

『ねぇ、キミはどんな形状の兵器が欲しい?』

『……は?』

 

 馬鹿にするとか呆れたとか、そんな感情が少しでも浮かんでくるとかいう以前に、まったくの無意識から反射的に声が漏れた。もしかしたら、自分が気づかない内に相当な間抜け面を浮かべていたかもしれない。研究者を調子に乗らせないように普段から表情を出さないように心がけてはいるのだが、まだまだ未熟な面が残る少年はボロを出してしまっていた。

 どれだけ悲惨に身体を弄られるか、そのことだけに意識を置いていた少年にとって定理の言葉はあまりにも突拍子もない内容だ。当然、向こうも呆気にとられることは把握していたのだろう。クスッと大人びた笑みで表情を綻ばせると、

 

『いきなりでビックリしたわよね? えっと、つまりはどういうことかというとね? 能力強化の為に実験をするのは極々自然の事だけれど、それ以外の方法もあるんじゃないかっていうのが私の考えなのね?』

『それ以外の、方法……?』

『被検体を酷使して壊してはまた新しいのを用意するなんて、コストパフォーマンスが悪すぎるじゃない? だから私は考えたのよね? 体内からではなく、身体の外から能力を補助するような……増幅器(ブースト)変換機(マルチタスク)でより高い能力を目指すっていうのが、私の専攻する内容ってわけね?』

『……オレは他の奴らみたいに、脳味噌をバラバラにされたりはしないのか?』

『しないわよ? だって勿体ないじゃない? せっかく貴方みたいな汎用性の高い能力者の担当になれたのに、ここで手放すなんて馬鹿のする事よね?』

 

 そう言って少年の頭を優しく撫でる定理。不思議な、それでいて奇妙な感覚が彼の中に芽生えていく。あまりにも研究者らしくない彼女の考えは、おそらくは間違いなく異端だ。能力者をモルモットとしか考えていないこの街の中でも極めて異例。どちらかというと愛玩動物的に考えているであろう彼女は、それでも他の研究者に比べると少年の目には眩しく見えた。このくそったれなアンダーグラウンドで、唯一光る眩い太陽に見えた。この人となら、もっと強く……苦しい思いなんてせず、素直な気持ちで実験に臨めるのではないだろうか。そんな似つかわしくないことまで考えてしまう。 

 だからだろうか。

 少年は頭に置かれた手を無造作に除けると、定理の顔を見上げてぽつりと呟いた。

 

『……名前』

『うん?』

『名前で呼んでよ。キミとかいう他人行儀な呼び方じゃなくてさ。そっちの方が、やる気が出る』

『あらら? こりゃまた可愛らしいツンデレっぷりね? おねーさんドキドキしちゃうなぁ?』

『う、うるさい! いいから名前で呼べよ!』

 

 羞恥心からか顔を真っ赤に染めて怒鳴る少年だったが、その表情はどこか明るい。胸の中に生まれつつある温かい何か、それがどんなものかを把握、理解する頃には、既に少年は大人になっているだろう。

 あまりにも素直で子供らしい、それでもおそらくは久しぶりに出したであろう年相応の表情に定理は驚いたような、それでいて母親のような慈愛に満ちた笑顔で、再び少年の頭を撫でた。

 

『それじゃあ、よろしくね? 私の大事な……』

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「ゴーグルさん!」

 

 鼓膜を破りかねない程の大声と、大袈裟に揺らされる全身の感覚で目が覚めた。混濁した意識の中で、どうにか力を振り絞って瞼を上げると、声の主に焦点を定める。

 

「佐天、ちゃん……?」

「っ……! ゴーグルさん! 大丈夫ですか!?」

 

 視界に飛び込んできたのは黒髪の少女。花弁のヘアピンを付けた快活そうな雰囲気の女の子が、顔をくしゃくしゃに歪めながらこちらを覗き込んでいた。痛む身体に鞭を売って状況を把握すると、今現在自分は彼女に抱きかかえられているようだ。闇からは程遠い光の世界の住人である彼女の顔を見ていると、不思議と心が安らいでくる。

 だが、何故自分はここにいて、佐天に抱かれているのか。意識の覚醒と共に、気を失う直前までの記憶が蘇ってくる。場所は動いていない。素粒子工学センターの裏口。確か自分は【超電磁砲】の少女と戦闘を行った後、後始末に来た警策看取に襲撃されて……。

 

(あの女……腹の立つ真似しやがったっスね……)

 

 見逃された、というのは正解なのだろう。というか、最初から自分を始末する気などなかったのではないだろうか。【クイーンズ】という名前からして指揮官はあの忌々しい第五位だ。どちらかというと光の世界の住人である彼女の指示ならば、自分が見逃されたのも分からないでもない。前線に出ていなかった佐天が何故ここにいるのかは理解に苦しむが……大方また第五位が暗躍したのだろう。余計な事をしやがって、と思わず悪態をついてしまう。

 とにかく今は状況を確認しなければ。痛みに呻き声を漏らしつつも上体を起こす。

 

「佐天ちゃん……【スクール】の状況は……?」

「……作戦開始から半日が経過。安否確認が取れたのは心理定規さんだけです。垣根さんと佐倉さんの生死は不明。作戦は……失敗です……」

「そっスか……まぁ、薄々分かってはいたっスけどね……」

 

 聞かされた内容に驚くことはなかった。そもそもが分の悪い賭けのような任務であったのもあるが、学園都市を敵に回す今回の作戦がうまくいくはずがなかったのだ。いくら上位能力者、それも学園都市の第二位が統率する組織であったとしても、敵は学園都市理事長と無敵の第一位。勝てるはずがなかったのだ。

 失望感や落胆はない。むしろこんな作戦に加担して生きていることに対する安堵感の方が強い。作戦失敗の報は残念ではあるが、結果として生存したのだから個人的には勝利だ。生きていれば、またやり直せる。

 そんなことをぼんやりと考えていると、手の甲に何やら生暖かい液体のようなものが落ちてくる感触を覚えた。雨でも降ってきたのか、と空を見上げるものの、雨雲らしき物体は見えない。それでは、何が降ってきたのか。

 答えはすぐに分かった。

 視界の端。ゴーグルを支えている少女が小刻みに震えていた。肩を震わせながら、顔を俯かせながら。表情が窺えないその顔から、無数の液体が降り注いでいた。

 佐天涙子が、泣いていた。

 

「ちょっ、おいおいどうしちまったんスか佐天ちゃん。人のボロボロな惨状を前に泣くほど笑うとか失礼っスよ~?」

「ふぐ……ぇぐ……」

「待て待て待て待て。なんで? なんで泣いてんスか佐天ちゃん!? 分からない、ゴーグルさん分からないよ!?」

 

 最初は冗談めかして反応してみたものの、基本的に女性の涙に抵抗がないゴーグルは普段の飄々っぷりが嘘の様に取り乱してしまう。しかも泣いている理由が分からないとかいう理不尽っぷり。だから女は苦手なんだ、と心の中で愚痴りながら頭を掻く。

 そんな中、佐天が漏らした一言が、彼の思考を停止させた。

 

「よかった……」

「……はい?」

「無事で、よかった……! 生きててよかった……!」

「っ……!」

 

 今度こそ、隠しきれない動揺が表情に表れる。受け慣れていない優しさに戸惑いが隠せない。同時に、かつて自分に向けられた、()()()()()()()()()()()()()を思い出してしまい、平常心を保つことができなくなる。

 気がつくと、佐天の胸倉を掴み上げていた。

 

「やめろよ……」

「ゴーグル、さん……?」

「そんな優しさを向けるなよ……! なんで、どうしてお前も()()()もオレに優しくするんだよ! おかしいだろ! 実験体だぞ、暗部の構成員だぞ!? もっと突き放せよ、見捨てろよ! 普通の奴らにするように優しくするんじゃねぇよ!」

「…………」

「揺らぐんだよ……オレの全部が、覚悟がさ……。中途半端に救いの手を差し伸べられると、変な希望を持っちまうんだよ……」

 

 普段のゴーグルらしくない怒声。それでも、今の姿こそが彼そのものだった。我儘で、幼稚で……そんな自分を隠して頑張ってきたのに、それさえも優しさで包まれてしまって。何のために暗部に堕ちたのか分からなくなってしまうのだ。()()()の復讐を遂げられる力を手に入れたくて闇の世界に足を踏み入れたのに、その覚悟さえ揺らいでしまいそうになる。

 

「定理を殺したこの街を、定理を殺した科学者どもをぶち殺すために頑張ってきたのに……そのために何人も何十人も殺してきたのに、なんでそんなオレに優しくするんだよ……。なんでお前も定理も、俺を人間として扱うんだよ……」

 

 どうせなら、いっそ死刑囚を見るように突き放して欲しかった。そうした環境に置いてほしかった。そうすれば一片の後悔もなく復讐に力を注げただろうから。変な希望を持つこともなく、自分を擦り減らせただろうから。

 そうすれば、こんな中途半端な覚悟を持つこともなかったはずだから。

 情けなかった。好きな女一人守れない自分が惨めだった。彼女の復讐すら遂げられない自分が、その為の覚悟さえできない自分が、嫌いだった。

 ……だが、それでも。

 それでも()()は、

 

「そんなに誰かの為に怒れる貴方が、人間じゃないわけないじゃないですか」

 

 ふわっとした、女性特有の甘い香りがゴーグルを包み込む。柔らかい感触が、彼の全身を抱き締める。

 

「覚悟が揺らぐとか、希望を持ってしまうとか……それは、ゴーグルさんが優しい何よりの証拠じゃないですか。優しい貴方は、誰よりも人間らしい」

 

 彼女の言葉が徐々に染みこんでいく。なんでもない、絵に描いたような綺麗事。聖書にでも書いてありそうなテンプレートな台詞。それでも、何故か聞き流すことができない。

 ――――そして、

 

「そんな優しい貴方だったから、定理さんは優しくしてくれたんじゃないですか?」

 

 瞬間。まさに一瞬。

 佐天が浮かべたその笑顔が。涙交じりの優しい表情が。

 記憶の中の、木原定理と重なった。

 

「あ……」

 

 思い出すのは、運命のあの日。

 定理の研究結果だけを奪いに来た学園都市暗部との戦い。ゴーグルは善戦したものの、隙を突かれて定理を殺された。長い時間を共に過ごした女性が……儚い想いを向けていた大切な女性が、目の前で殺された。全身から血を流しながら、見るも無残な姿で。

 でも、だけど。

 彼女は最期に、確かに笑っていた。もう少しも動かせないはずの右手で彼の頭を撫でながら、目から血の涙を流しながら……血まみれの顔に笑顔を浮かべ、木原定理は今際の際にこう言ってくれたのだ。

 

 

 ――――ありがとう、と。

 

 

 自分が彼女に何をできたのか、それは今でもわからない。最期の謝辞が本当に自分に向けられたものなのか、それさえも真実は闇の中だ。本当は実験に対する感謝だったかもしれないし、自分の事を実験動物としか思っていなかったのかもしれない。

 それでも、彼女との日々は本物で、自分の中ではかけがえのないものだ。真偽なんてどうでもいい。彼女と彼の想い出は、確かに優しさに満ち溢れた幸せなものだったのだから。

 佐天に抱き締められたまま、ゴーグルは小さく口を動かす。

 

「……名前」

「はい?」

「……名前で呼んでくれよ。そっちの方が、いい」

「ふふっ。ツンデレですか?」

「うるせぇよ。仲間に対する最低限の礼儀だ、黙ってろ」

「はいはい。でもあたし、貴方の名前知りません」

 

 ニコニコと腹の立つ笑顔を向けてくる佐天にイラッとするものの、不思議と怒りは湧いてこない。それどころか、いつか昔に忘れたはずの()()()が胸の中に再燃するのを、わずかながらに感じる。それは過去においてきたはずの日常。かつて好きだった女性と共に忘却したはずの感情。

 

 ――――感謝するのはこっちの方だよ、定理。

 

 

「……誉望だよ。誉望万化(よぼうばんか)

「はい。よろしくお願いしますね? あたしの大事な仲間の、万化さん……」

 

 木原定理はもういない。彼女との日々も返っては来ない。

 それでも、まだ自分は生きている。彼女との想い出と共に生きている。それを忘れない限り、定理は自分の中で生き続ける。

 まったく似ていないようでどこか彼女を彷彿とさせる小生意気な中学生に抱き締められながらも、ゴーグル……誉望万化は今まで見せたことがない幸福に満ちた表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 




 まずは謝罪を。更新が滞っており申し訳ございません。ようやく身の回りが落ち着いたので、書けるものから更新しております。
 忙しかったとか大会が期間でテニスに時間を割いていたとか理由は多々ありますが、二か月ほど時間ができたので書けるうちに書いて更新したいと思います。後は禁書原作でモチベーション保ちたい……。
 お待たせしてしまい申し訳ございません。完結まで後少しですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。

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