とある科学の無能力者【完結】   作:ふゆい

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第六十話 真実

 呼吸が、止まった。

 心臓を鷲掴みにされたような、そんな気分に襲われる。目を背けてきた現実を唐突に突きつけられ、反応が遅れてしまう。ミサカから提示された真実から、脳が無意識に目を逸らそうと反抗する。

 

「駄目/return。これ以上逃げるのは、妹達全員(ミサカ達)が許さない/return」

「っ……」

 

 顔を伏せようとした佐倉の頬を両手で挟むと、がっちり固定したまま真正面から見据えるミサカ。ほとんど表情筋を動かすことのないミサカからは想像もできない程に怒りの籠った形相。有無を言わせぬ迫力に、佐倉は言葉を失う。

 

「自分でも分かっているはずだよ?/escape しょうもないプライドに縛られて、努力の方向性を間違っているって/return。自分の傲慢さにかまけて、御坂美琴や上条当麻の努力を踏み躙っているんだって/return」

「そんな、こと……」

「そんなこと、あるよ/return。御坂美琴は元々低能力者で、上条当麻は右手以外は一般人となんら変わらない上に、他人に比べて遥かに不幸体質/return。この二人が主人公(ヒーロー)になれているのは、それだけ血を吐く思いで頑張ってきたからなんだって/return。だったら、アンタが少し努力したところで彼らに勝てるわけないことは、分かっているじゃない/return」

「……でも、だからって何もしねぇ訳にはいかねぇ。時間がねぇなら、命を削ってでも、暗部の世界に飛び込んででも強くなる方法を探すっていうのは、そんなに間違っていることなのかよ……!」

 

 彼女の両手を振り解くと、自らの想いをぶちまける。

 能力開発に見捨てられたあの日。一方通行に敗れたあの日。そして、垣根帝督にあしらわれたあの日。自分の大切な人一人すら守れない自分自身に絶望した。地べたを這うしかない己の弱さに辟易した。だから、それがたとえ世間的に褒められない方法であったとしても、垣根帝督が差し出した光が、どうしようもなく輝いて見えた。すべてを諦めていた佐倉に提示された、唯一無二の解決策に思えたから。

 だが、ミサカは。最後の最後にようやく掴んだ諸刃の希望を、

 

「間違っているに、決まっているよ/return」

 

 いとも容易く、否定した。

 

「なに、をっ……!」

 

 耐えられなかった。気がつくと、彼女の胸倉を掴み上げていた。あくまでも中学二年生の身体は軽々と引き寄せられる。しかしながら、激昂した佐倉に詰め寄られながらも、ミサカの表情は変わらない。佐倉の虚勢を吸い込むような真っ直ぐとした眼差しに、優位に立っているはずの佐倉の方がたじろいでしまう。

 蛇に睨まれたよう、というのはこういう時に使うのかもしれない。ぶわっと全身に冷たいものを感じ、汗腺が開くのを感じた。

 精神的に追い詰められつつも、表面的にはあくまで優位に立った状態を維持。それでも、目の前のクローンは瞬き一つせずこちらを見つめ続けている。かつて愛した人と同じ顔で、同じ強さを持った瞳で。

 ふっくらとした唇が上下に割れると、ミサカにしては感情的な言葉が並べ立てられる。

 

「誰かを傷つけて得る力になんて価値はない/return。蹴落とすって意味じゃないよ/return。今までアンタがやってきたような、誰かの命を奪って、殺して、食らいつくして力を手に入れるなんて、絶対に認められない/return。そして、そういう馬鹿みたいな方法を、佐倉望が容認することだけは、絶対に許さない!/return」

「何を今更……俺がどうしようと、お前らには……」

総体()には関係ないかもしれない/return。でも、アンタが命を懸けて守り抜いた10032号(この子)が認めない/return。10032号は、佐倉望に未来を貰った/return。誰が何と言おうと……たとえアンタが否定しようと、この事実だけは絶対に覆らない!/escape」

「10032号、が……?」

「誰も守れない?/escape 力がないと認めてもらえない?/escape ふざけたこと言わないで/return。アンタがどれだけ自己否定しようが知ったこっちゃないけれど、佐倉望に救われた人達を貶めることだけは言わないで!/escape」

「俺に、救われた……? 違う、そんなわけねぇ。だって俺は何もできなかった。一方通行の時も、垣根の時も! 俺は途中でリタイアしただけで、決定的なことは何一つできちゃいねぇ!」

 

 信じられない、とばかりに首を横に振り続ける。それは、彼にとって最後の砦。自らの行いを正当化するためには、認めるわけにはいかない真実。「自分は何もできなかった。だからすべてを捨ててでも力を求めた」という状況を黙認する為に、目を逸らし続けてきた事実。

 佐倉望は無能力者だ。上条当麻のように不思議な右手を有しているわけでも、初春飾利のように情報処理能力に長けているわけでもない。どこにでもいるような平々凡々な高校生で、その中でも落ちこぼれと呼ばれる部類だ。不満を垂れ流すことはできても、誰かの為に立ち上がる事なんて到底できやしない。そんなありふれた一般人だ。

 今まで誰にも認められなかった。それこそ、最愛の少女にまで否定された。無能力者の価値を、真正面から突きつけられた。

 

 ――――だけどそれは、本当に『佐倉望』を貶めたのか? 『佐倉望そのもの』を否定したのか?

 

「思い出して、佐倉望/return。周囲と手を取り合って目標に向かっていた頃のアンタと、孤独のまま力を求めた頃のアンタは、どちらが本当に『佐倉望』らしかったかを/return」

「俺、は……」

「答えはもう、出ているはず/return。足りないのは、近しい人からの一押しでしょ?/escape 佐倉望が本当に望んだものは、他を圧倒する力でも、他者からの賞賛でもない/return。もっと単純で、愚かしくて……それでいて、どうしようもなく尊い想い/return。本当は手に入れていたのに、あまりに近すぎて気づけなかった宝物/return」

「なんだよ……それはいったい、何だってんだよ……!」

「私から言えることは、ここまで/return。後は()()()でなんとかしなさい/return」

「向こう……? ――――っ」

 

 分からない。分かろうとしない。分かるわけがない。

 答えを得ようと手を伸ばすが、最悪のタイミングで意識が遠くなる。いや、この場合は意識が浮上すると言った方が正しいかもしれない。夢の奥底に囚われていた意識が、現実世界に引き戻されようとしているのだから。ここはあくまで虚構の世界。佐倉の無意識が生み出したのか、ミサカネットワークによって形成されたのかは分からな。ただ一つ判っているのは、おそらくはもう二度とここには戻ってこないだろうことだ。

 視界が揺らぐ。疲労困憊の中布団に入った時のような感覚。意識が明滅し、身体が急激に重くなる。もはやミサカを視認することすらできない。残っているのは、うすぼんやりと音を拾う聴覚と、地面を掴む触覚のみ。

 そんな中、佐倉の手を握る《何者か》の感触。うっすらと鼓膜を打つ、《何者か》の言葉。

 

「大丈夫だよ、佐倉望/return。アンタが思っている以上に、この世界は優しさで溢れているから/return」

 

 その声は、まるで我が子をあやす母親のように。無償の愛に溢れた優しい響きを伴っていて。

 夢の中で意識を落とし、佐倉望は夢の中から引き戻されていく。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 目が覚める。視界の先に広がるのは、もう馬鹿みたいに見慣れた病室の天井。どれくらい意識を失っていたのだろうか。頭の中を滅茶苦茶にかき回されたみたいに気持ちが悪い。

 

「目が覚めましたか? とミサカは満身創痍の貴方を気遣います」

 

 不意に聞こえた少女の声に慌てて視線を向ける。茶色の髪に、ベージュのブレザー。額に無骨な電子ゴーグルをつけたその少女は、最愛の彼女にそっくりだ。しかしながら、佐倉には分かる。のっぺりとした無表情は、彼女の軍用クローンが持つ特徴だから。その中でも佐倉と関係があるとなれば、それは一人に絞られる。

 

「ミサカ、か……?」

「はい。ミサカ10032号ですよ、とミサカは識別番号を言うことによって自己の証明を行います」

 

 抑揚のない単調な言葉を並べるミサカ。一見すると無感情だが、彼女とそれなりに交際してきた佐倉には分かる。どこかほっとしたような、安堵の感情がそこには込められていた。

 確認を終えたところで、佐倉は顔を俯かせてしまう。ミサカと顔を合わせるのは大覇星祭以来だろうか。木原幻生によって狙われた彼女を守る為に奮闘した佐倉であったが、結果は惨敗。それどころか、木原に洗脳され、手駒として操られてしまう始末。今更どのツラを見せればよいのだろうか。自分は彼女に、何もしてやれなかったというのに。

 顔を伏せて黙り込んだ佐倉の表情を窺うように覗き込むミサカ。

 

「いったいどうしたのですか、とミサカはやけに落ち込んでいるらしい貴方を励まそうと観察を始めます」

「……お前は、俺を軽蔑しねぇのかよ」

「はい? 軽蔑、ですか? とミサカは質問の意図を読み取れず首を傾げます」

「俺はお前を守れなかった。一方通行の時も、木原幻生の時も。無能力者のくせに無駄な意地張って、結果も残せなくて。その末に暗部なんて道を選んだ情けねぇ俺を、ミサカは軽蔑しねぇのかよ」

 

 昔から、軽蔑されるのには慣れていた。能力開発に挫折し、武装無能力者集団なんてものに加入して。社会から汚物扱いされるのなんて日常茶飯事ではあったし、それが当然だと思っていた。唯一自分を受け入れてくれた少女からも否定され、居場所なんてどこにもないと我武者羅に走り続けた。だけど、その先で自分は何を手に入れたのだろうか。何かを、手に入れることができたのだろうか。

 佐倉の言葉に何度か頭を捻るミサカだったが、熟考の末にこう口にした。

 

「軽蔑なんてしませんよ、とミサカは当然の結論を伝えます。だって佐倉望は、ミサカにとってのヒーローなのですから」

「……ひー、ろー?」

「はい、とミサカは即答します。貴方は命の恩人で、紛れもなくミサカのヒーローです」

「……何を」

 

 言っているんだ、という言葉は続かなかった。彼女の言っていることを理解するのに数十秒を要した。ヒーロー? 誰が? 自分が? 誰一人守れなかった、弱いだけの無能力者が?

 困惑する佐倉を他所に、ミサカは淡々と言葉を続ける。

 

「確かに、貴方は途中でリタイアしてしまったかもしれません。一方通行戦の時は力尽き、木原幻生戦の時は洗脳され。ただの一回として、最後まで戦い抜いたことはないかもしれません、とミサカは今までの戦績を思い返しながら事実を伝えます」

「……そうだ。俺は誰も守れなかった。力のない、弱いだけの無能力者だから――――」

「ですが、貴方がミサカやお姉様の為に危険を顧みず真っ先に立ち上がってくれたということも、紛れもない事実なのです、とミサカは変えようのない真実を貴方に伝えます」

「――――は?」

 

 予想だにしなかった言葉に虚を突かれる佐倉。それでも、ミサカの台詞は途切れない。

 

「最後まで立っていたとか、誰が決定打を決めたとか、そういうことではないのです、とミサカは貴方の手を握りながら答えます。結果はどうあれ、貴方はミサカ達を守ろうとしてくれた。誰よりも先立って、ミサカやお姉様を助ける為に勇気を振り絞ってくれた。ただの軍用クローンであるミサカの日常を守る為に、ミサカが貴方の隣に立つために。それだけでもう、ミサカにとってはヒーローなのです、とミサカは貴方への感謝を伝えるべく、優しく貴方を抱き締めます」

 

 ふわり、と。

 抱き締められると同時に鼻孔を擽るミサカの香り。何か月かぶりに感じる他者の温もり。殊更特別でもないただの抱擁にも関わらず、佐倉を覆っていた殻が少しずつ割れていく。既に忘れかけていた、『かつての佐倉望』が取り戻されていく。

 価値がある、と彼女は言ってくれた。たとえ力がなくたって、行動したという事実に敬意を表してくれた。守れなかったと思っていた張本人が、直接言葉で伝えてくれた。その事実に、佐倉は胸の奥が熱くなるのを感じる。

 

「貴方とお姉様の間に何があったのか、ミサカはよく知りません。そして、それはミサカにはどうしようもないことなのでしょう。ですが、そんなミサカにも一つだけ確かに言えることがあります」

 

 抱きしめていた腕を離し、佐倉の瞳を射抜くミサカ。その時彼女が浮かべた表情に、佐倉は思わず言葉を失った。

 わずかに目を細め、口角を上げ。その顔は、彼女の表情は、世間一般で言う――――

 

 

「お姉様と一緒にいるときの貴方は、間違いなく幸せな顔をしていましたよ、とミサカは正直な感想を貴方に述べます」

 

 

 ――――紛れもない、笑顔だった。

 

 

 

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。
 クライマックスまで、もう少し。

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