――――挫折と屈辱の多い人生を送ってきた。
昔から何をやっても上手くいかず、凡庸と評される人間だった。成績は中の下。特段運動が得意なわけでもなく、何か特技があるワケでもない。大人達からは期待もされず、優秀な奴らの踏み台扱いされてきた。いつしかその扱いに違和感を覚えなくなっていたし、平凡な自分がこのように扱われるのは当然だとさえ思っていた。
何かが変わるかもしれない、と学園都市に入学したのだが、その願いも夢となって消え。手に入ったものは傷を舐め合うご同輩と、無情にも突きつけられる「0」の数字。能力に目覚めた優等生達から馬鹿にされるだけの日々。この関係は永遠に崩れることがないのだと、半ば諦めかけていた。
だが、そんな時。
絶望に打ちひしがれていた彼を救ってくれたヒーローが、確かにそこには存在していた。
『私が受け入れるっ!』
とある夏の昼下がり。佐倉の自室で怒鳴り散らし、まるで自分の事のように涙を流す超能力者がいた。今まで誰にも認めてもらえなかった彼を、彼自身を、真正面から見てくれる一人の少女がいた。「諦めたふりをして自嘲するのは許せない」と心の支えになることを宣言してくれた彼女がいた。
それはかつて、【幻想御手】なんてものに手を出してしまった佐倉を地獄の底から這い上がらせてくれた声で。
それはやがて、【暗部】という闇の中に飛び込むきっかけを作ってしまう声で。
結果はさておき、今になって思う。
彼女は、何を思って自分に声をかけてくれたのか。何を考えて、佐倉の理解者になると言ってくれたのか。そして、何を願って関係を絶つことになった例の台詞を吐いたのか。
彼女はただ本当に、佐倉を罵倒する為だけにあんなことを言ったのだろうか――――
☆
「思い出してください。貴方は……佐倉望は、お姉様と一緒にいた時間を、本当に無駄なものだと切り捨てることができますか? と、ミサカは貴方を抱きすくめたまま問いかけます」
ミサカの柔らかな感触に包まれながら、佐倉は彼女の質問について考える。暗部として活動していた時とは違い、やけに脳内がすっきりしていた。今までかかっていた靄のようなものが取り払われたような感覚。心理定規がいた以上、何か精神操作をされていてもおかしくはなかったが……もしかしたら、あの忌々しい金髪超能力者が手を出したのかもしれない。
御坂美琴といた時間を切り捨てることができるのか。その答えを考える。
意識を失っている間に変な夢を見ていた気がした。詳細まではぼんやりとしか覚えていないものの、何か重要な会話を行った気がする。最愛の人に似た誰かから、何か、心を動かすようなことを――――
――――思い出して、佐倉望/return。周囲と手を取り合って目標に向かっていた頃のアンタと、孤独のまま力を求めた頃のアンタは、どちらが本当に『佐倉望』らしかったかを/return
「……なぁ、ミサカ」
「なんでしょうか、とミサカは首を傾げます」
「美琴はさ、何も考えずに相手を罵倒するような人間だと思うか? たとえば、『無能力者のくせに超能力者を守るなんて大それたことを言うな』なんてことを、何の憶測もなしにただぶつけるような奴だと思うか?」
「……なるほど。そういうことですね、とミサカは貴方とお姉様の間に何があったのかを聡く理解します」
そこでミサカは一度佐倉から離れると、改めて居住いを正す。いつものような無表情。しかし、圧迫感というよりは黙々と語りかけるような顔つきで、彼女は。
「それはおそらく、貴方自身が一番よく分かっているのではないでしょうか、とミサカは
……そうだ。わざわざ確認するまでもない。佐倉望は最初から分かっていた。
大覇星祭の終わり。病室で交わした会話を思い出す。既に忘れ去っていた内容。だが、その中で、彼女は確かこう言っていた。
『アンタ自身を蔑ろにしてまで守ってほしいなんて、いつ誰が言ったっていうのよ!』
文脈全体が佐倉を責める台詞だったので頭には入っていなかったが、美琴は激昂しながらこう叫んでいた。
彼女の真意は、おそらくこうだ。
『独り善がりな行動を続けるのは止めて欲しい。少しは私にも弱い所を見せて、助けさせてくれ』、と。
大覇星祭での一件を経て、彼女は焦燥したのだろう。美琴の為に自らを省みることなく突っ走る佐倉が、いつかぶっ壊れてしまうのではないだろうかと。元々精神的に強いわけではない彼がすべてを一身に背負いこむ姿を見ていられなかったのだろう。だから、言いすぎだとも捉えられる台詞を吐いた。これくらいしないと、佐倉は止まってくれないと思ったから。
救出から時間が経っていなかったこともあり、彼女も疲弊していたのだと思う。ロクに頭も回らない中で、それでも彼女なりに佐倉を気遣って言ってくれたはずだ。超能力者ゆえのプライドに溢れた彼女ではあるが、自尊心のみで他人を傷つけるような馬鹿な性格はしていない。ただ、少し他人に比べて不器用なだけだ。
要領は良いくせに、大事なところで不器用な女の子。超能力者のくせに、人一倍照れ屋な中学生。年齢に似合わずゲコ太なんてものが大好きで、後輩からよく弄られている可愛らしい普通の少女。
御坂美琴は、そういう子だ。
そして、そういう女性だからこそ、佐倉望は好きになったのだ。
確かに一度は愛想を尽かした。好意なんて消え果てたし、殺意しか湧かなかった時期もある。
でも、だけど。
こうして一人の理解者によって話を聞いてもらって。会話をしてもらって。冷静になった頭で考えて、答えは出た。
腕に貼り付いた点滴を引き剥がし、いつの間にか壁にかかっていた学ランを羽織る。大方、あのカエル顔の医者が自宅から持ってきたのだろう。履き慣れたスニーカーを身に着けると、ベッドから降りる。
「答えは出ましたか? と、ミサカは今更聞くまでもない質問をぶつけます」
「あぁ。今まで馬鹿みてぇに迷惑かけて、悲しませた俺がいう事じゃねぇかもしれねぇが、やることは一つだ」
「結構面倒くさい状況で、たぶん命一つ捨てる覚悟でいかないといけない程に荒れ果てていますよ、とお姉様の現状を簡単に説明します」
「荒れ果ててる? どういう意味だ?」
「……【スクール】との戦闘で精神的にやられちゃったんだゾ。誰かさんのせいでねぇ」
ミサカとの会話に入り込むようにして挟まれた台詞。ぶりっ子染みたその声は、佐倉の交友関係の中でもトップレベルで面倒くさい部類に属する女のものだ。視界の端にちらちら光る金髪に溜息をつきつつも、顔を向ける。
「……よぉ、食蜂」
「あら、わざわざ助けてもらった恩人に対する反応力とは思えないわねぇ」
「ぐ……」
「ぐっちゃぐちゃにかき回されていた脳内をクリーンアップしてあげたのはどこの誰だと思っているのかしらぁ?」
「……そこは感謝してるよ。すまなかった」
「……貴方が素直に謝るなんて、間違えて洗脳でもしちゃったかしらぁ?」
「ぶっ飛ばすぞ」
「冗談よぉ」
ひらひらと軽い調子で受け流す食蜂。元から言動が読めない少女ではあったが、今になってもイマイチ掴めない。相変わらず悪趣味なキンピカシリーズを身に纏い、中学生とは思えない巨乳を揺らしながら佐倉の元へ歩み寄ってくる。
「御坂さんがいるのは第十七学区。人がほとんど居住していない、無人力溢れる工業区よぉ。彼女、すっかり参っちゃったみたいでぇ。工業施設やら警備用の駆動鎧を掌握して籠城しているみたいなのぉ。先陣切った警備員は全滅しちゃってもうてんてこまい☆ さすがは腐っても超能力者ってところねぇ」
「美琴が籠城……?」
「原因は貴方と……あの変なゴーグルくん。なんでも、佐倉クンのことでちょっといけない責められ方をしたみたいでねぇ。ただでさえ不安定だったのに決壊しちゃってもう大変。今やだれの話も聞こうとしない引き篭もりってワケ」
「…………」
「それでぇ……貴方は、どうする?」
美琴の現状を知り、わずかに黙り込む佐倉。根っからのヒーロー気質である彼女だが、精神的に弱い面は否定できない。以前行われていた【絶対能力者進化実験】の際に、破壊衝動に走ってしまった例もある。今回も彼女にとってのウィークポイントである『佐倉への罪悪感』を突かれてしまったのだろう。ゴーグルの少年は飄々としているが、話術に置いては非情に長けていた。彼女の弱点を的確に狙撃し、憔悴させてしまったとしても不思議ではない。
そして、いくら無人学区だとはいえ、彼女が本気で籠城戦を決め込んでいるとしたら相当厄介だ。電気系能力者の頂点に立つ彼女が学区全体の機械科指揮系統を握った場合は、その規模は軍隊に匹敵する。それこそ、警備員の一大隊程度では太刀打ちできない程。並大抵の軍備では彼女の本丸に辿り着くことは叶わないだろう。
それを踏まえて、佐倉は決心する。総合的に判断して不可能だと断じられながらも。佐倉は覚悟する。
すべては、自分の為にすべてを懸けてくれた彼女を救う為。
へらへらとした笑みを浮かべている食蜂に向き直ると、
「俺が行く。俺はアイツに謝らねぇといけねぇ。腕が捥げようが足が吹き飛ぼうが、地面に額擦り付けて土下座しねぇといけねぇんだ」
「そうは言うけど、また一人で飛び込むワケ? 何の力もない、それこそ駆動鎧すら失った貴方が? そんなのただの自殺でしかないわぁ」
「分かってる。だから……」
そこで一度言葉を切る。確かに一人では土台無理な蛮行だ。無駄に一つ命を散らすだけにしかならない。今までの佐倉ならば、勝率がゼロに近くても意地を張って飛び出していただろう。そして、無様に負け戻ってきていたはずだ。何の実力もない無能力者がたった一人で向かったところでできることなんてタカが知れている。
そう、
食蜂とミサカ。それぞれの顔を見やると、その場に膝をつく。額を病室の床に擦り付け、病院内であることなんてまったくお構いなしの声量で、恥も外聞もなく彼は叫んだ。
「手伝ってくれ、二人共! 力も知恵もねぇ無能力者な俺だけど、美琴のことを助けてぇんだ! お礼なら何だってする。それこそ、命を張ったってかまわねぇ! だけど、今この瞬間だけ! アイツに謝るまでは、俺に力を貸してくれねぇか!」
「ちょっ、佐倉望……!」
「あらぁ、いい恰好ねぇ」
「頼む……!」
佐倉らしからぬ行動に狼狽えるミサカと、心底楽しそうに肩を震わせる食蜂。元来プライドが高く、自分から頭を下げることなんて絶対にしない彼が懇願、それも土下座をしている事実。彼をよく知る人間ならば確実に驚くであろう光景がそこには広がっていた。だが、彼の顔に屈辱や後悔は見受けられない。美琴を助ける為に必要な行動であると判断したからだ。
――――佐倉に必要なのは、他者を蹂躙する力でも、すべてを見抜く知恵でもない。
彼に足りなかったのは、仲間を頼る心だ。誰かの力を借り、集団で目標を達成するという選択肢が佐倉には存在しなかった。それ故に孤軍奮闘し、それ故に敗北してきた。だからこそ、いつまでも誰も頼ろうとしない彼の姿に、美琴は激怒したのだろう。
「そんなに自分は頼りないのか」と。
もう間違えない。もう誤らない。これ以上独り善がりな事をして、道を踏み外すのはたくさんだ。
……決して顔を上げない佐倉に対し、食蜂は表情を引き締めると彼に近づく。一歩の距離。彼が顔を上げれば、スカートの中に眠る財宝ががっつり見えてしまう程まで歩み寄ると――――
「70点。まぁ、及第点ね」
ポスン、と。
彼の頭を優しく撫でた。
突然の事に理解が追い付かない佐倉はそのまま硬直してしまう。様子を見ていたミサカも何が起こっているのか分からないようで、無表情を崩さないながらも目を見開いていた。「女王」とまで称される彼女らしからぬ行動。彼女が他人を、それも無能力者を褒めるなんていうことは到底考えられない。何を企んでいるんだ、と一瞬疑ってしまった佐倉を誰が責められよう。
しかし、彼女はそれ以上何をするでもなく立ち上がると、そのまま病室を出て行こうとする。
「食蜂……?」
「なぁに呆然力丸出しな顔しているのぉ? 五日も寝込んでいたから、神経系がイカレちゃったのかしらぁ?」
「馬鹿にしてんじゃ……って、五日!? 俺、そんなに寝ていたのか!?」
「洗脳やら精神疲労やら、廃人レベルに追い込まれていたんだゾ☆ まったく、私がいなかったらどうなっていたか……」
「うぐ……」
「そ、れ、よ、り! さっさと現場に向かうわよぉ。ぼさっと突っ立っている時間はないんだからぁ」
「だ、だけど、さすがに三人ってのは……」
「その点については心配いらないわぁ」
どこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていたスマートフォンを佐倉とミサカに突きつける。ビデオ通話になっているらしいそこには――――
「貴方の人生も、大概捨てたもんじゃないみたいよぉ?」
――――見覚えのある顔が、それこそ数十人単位で映っていた。
今回も読了ありがとうございます。
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