とある科学の無能力者【完結】   作:ふゆい

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第六十三話 前へ

 第十七学区の工場群、その最奥。

 周囲を学園都市と外部の壁に囲まれている為、正面突破しか侵入方法がない難攻不落の砦の中で、ベージュ色のブレザーを纏った茶髪の少女が膝を抱えて座り込んでいた。俯かせるその顔には普段のような輝きは微塵も存在せず、油断すると奥底に吸い込まれてしまいそうな程に虚ろになった表情が貼り付くだけ。彼女を知る人達が見ても、一瞬同一人物か疑ってしまう程に、変わり果てた姿の超能力者がそこにはいた。

 あるきっかけから学園都市中を駆け回り、邪魔するものをぶっ飛ばして、ついにはこの辺境に辿り着いた。機械と建物に支配されたこの一角で、御坂美琴を邪魔するものは誰一人いない。規則的にパトロールを続ける警備ロボットや監視カメラ達が無限に集めてくる情報を垂れ流しつつ、彼女は何日も機械化された楽園で置物と化していた。

 もう何も、誰もいらない。他人を傷つける化物が、何かを欲するわけにはいかない。ただ、誰とも分かり合えないのなら、いっそのことすべてをぶち壊してしまえばどれだけ楽であるだろう。

 

「……望」

 

 ぽつり、と名前を呟いた。それはおそらく、世界の中で最も愛しい彼の名前で。ひょっとしなくても、二度と戻ってこないであろう人の名称で。

 ――――美琴の心を無に帰した、最大の原因でもあった。

 

「望……」

 

 再び、彼の名を口にする。たったそれだけなのに、内側から大切なものがぽろぽろと剥がれ落ちていくような感覚に襲われた。今まで積み重ねてきたものが少しずつ消失してしまうような、取り返しのつかない空虚感のようなものに包まれる。

 心が死んでいく、とはこういうことを言うのだろう。

 もう、何もかもがどうでもよかった。誰にも見つからず、このまま一人で朽ち果てていたい。言い知れぬ破滅願望だけが心の中に募っていく。自殺癖とも破壊衝動とも違う、生物として決して抱えてはならない消滅願望が徐々に彼女を覆っていく。

 黒い靄のようなものに包まれる幻覚を見るようになった。同時に、謎の声が直接脳内に響くようにもなった。

 それはまるで男性のような、それでいて女性のような、それどころか聖人であるような、はたまた罪人であるような。だけれども、確かに『人間』であると疑いようのない声が、美琴の認識外から聞こえてくる。

 

『人間とは不思議なものだ。どれだけ深い関係を持っていたとしても、些細なきっかけ一つで赤の他人に戻ってしまう。嫉妬や羨望、怨嗟に悲観。理由なんて何でもない、それこそ取るに足らないような出来事だけで、人間は平気で他者を突き放す生き物だ』

「……何が言いたいのよ」

『別に、それといって伝えたいことはないよ。というか、言葉だけで伝えられる事柄なんてたかが知れている。それはキミも実感しただろう? 音なんていう偏った媒体のみで発される言葉に説得力なんてものは存在しないし、人間がそう考えているものは、得てして聞き手が勝手に解釈しているに相違ない。ようは伝言ゲームみたいなものなのさ。思い込みであたかも会話が通じ合っているように見えるだけ。本当は、お互いに何も通じてはいないのに。外国人とコミュニケーションを取るときに、ボディランゲージと拙い呻き声で会話が成り立っているように錯覚することがあるだろう? あれと同じなのだよ』

「…………」

『まぁ現時点でキミが、私の言葉をどう捉えるか。それも思い込みによるものでしかないけどね』

 

 無言のまま、身体を横たえる。もうこれ以上無駄なことを話すな、という美琴なりのアピールだ。幻聴が聞こえ始めて数日が経つが、こうすることで『人間』の声はそれ以上聞こえなくなる。胡散臭い上に遠まわしな事しか言わない『人間』の言葉は、割かし、いや間違いなく耳触りなものだった。……それでも時折耳を傾けてしまうのは、彼/彼女の言葉に何か思うところがあるからか。ただ、それも美琴の思い込みによるものかもしれない。

 ――――だが、今回だけは例に外れた。

 

『狸寝入りをしているところに悪いが、今は少々そんなことをしている場合ではないようだよ』

「は……?」

『お客様だ。それもとびっきりのね』

 

 怪訝そうに身体を起こす美琴を他所に、どうやって操作しているのか、眼前の監視モニターが起動する。第十七学区全体をカメラごとに画面分けして映し出している画面の一つ――――おそらくは、学区の入り口付近に設置されたカメラが捉えた映像に、彼女は思わず目を見張った。

 武装した数十人のスキルアウトめいた集団に、自分によく似た少女達。ツインテールの後輩や、金色に染まったいけ好かない超能力者。

 そして、その中心にいる、見覚えのある無能力者の少年。

 見間違う訳がない。それは、ここ数週間にかけて美琴が探し求めていた、愛する彼の姿だった。

 

「望……なんで……?」

 

 佐倉の姿に、口をつくのは疑問の言葉。自分だけでは手を掴むことすらできなかった彼が、どうして今あの場所に立っているのか。美琴では為し得なかった偉業を、美琴以外の誰かが成し遂げたとでも言うのか。

 困惑する美琴に、『人間』が囁く。

 

『彼が立ち直るのに、キミは必ずしも必要じゃなかったということだろう? 現に、佐倉望はこうして舞台に上がっている。キミとは顔すら合わせていないのに、彼は日常を取り戻した。これが意味することは、たった一つしかない。キミも気が付いているはずだよ?』

「私は……望には、私なんて必要なかった……?」

『人間とは得てして薄情な生き物さ。口では存分に甘い言葉を吐いておきながら、いざとなると相手を見限る。実に合理的で残酷な生命体だ。そういった物語を好む物好きも世間には存在するらしいが、さながらキミは当事者だね。まさに悲劇のヒロインといったところか』

「そんな……嘘……それじゃあ私は、いったい何のために……?」

『そんなの、分かり切っているじゃあないか』

 

 頭を抱え、絶望の二文字に支配された感情に顔を染める美琴。そんな彼女の様子を見て、心底愉快そうにくつくつと笑う『人間』。声しか聞こえないはずなのに、引き裂くような笑みを浮かべた彼/彼女が幻視された。

 バヂィッ、と空気が爆ぜる。それが混乱した美琴が放った火花であることを指摘するものは誰もいない。

 

 バヂッ、バヅヅッ、バヂヂヂヅヅヅヂヂヂッヅヅヂィィィィィィッ!!

 

 徐々にけたたましく空間を焼き尽くす雷撃の中心で、電撃姫は絶望に直面する。銀髪の『人間』に耳元で、あるいは脳内で囁かれながら、確実に闇への階段を駆け足で降りていく。

 最後に覚えていた言葉は、確かこんな感じだった。

 

『キミの頑張りは、決意は、ただの自己満足に過ぎなかったという事さ』

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 プツン、と。

 何かが焼き切れる音を、『人間』だけが耳にした。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「――――なんだよ、アレ」

 

 誰が言ったか、恐怖を帯びた声が漏れる。数十人のスキルアウトに、数人の能力者。超能力者を相手取るには少々心もとない集団の中で、ぽつりぽつりとざわつきが広がり始める。

 無数の警備ロボットや無人駆動鎧を薙ぎ払い、数人がかりで抑え込みつつ進んでいた佐倉達。そんな彼らが思わず足を止めてしまう程の現象が今目の前で起きていた。

 ――雷電。

 まさにそう表現するしかない程の音と光が学区の最奥から放たれる。誰かを狙ったと言うよりは、手当たり次第に放出しているような……まるで、普段の第3位が苛立った時に行う放電。ただあの雷は、佐倉が知ってる彼女の電力をゆうに超えていた。もはや自然の猛威とも遜色つかないくらいの災害。機械集団の一部がショートしていることがどうでもよくなってしまう。

 

「……美琴」

 

 ぽつり、と呟くのは愛する超能力者の名前。佐倉の我儘、弱さによってすれ違い、対立することになってしまった恋人の名前。彼女が今どういう気持ちで彼らと相対しているのか。

 そもそも、今の彼女に自分の声が届くのか――

 

「大丈夫です、とミサカは貴方の不安を拭います」

「ミサカ……」

「貴方は無能力者で、馬鹿で不器用なスキルアウトですが、誰よりもお姉様のことを考えています。胸の内を正直に、それこそバカ正直に伝えれば、きっと分かってもらえるはずです、とミサカはあくまで客観的な感想を述べます」

「……そうだな。ぐだぐだ考えても仕方ねぇ。今の俺にできるのは、とやかく考えるよりも――!」

 

 ミサカの背後に忍び寄っていた駆動鎧に銃口を向け、演算銃器で右腕を吹き飛ばす。それだけで破壊することは難しいが、それだけあれば充分。咄嗟に振り向いたミサカの放電が駆動鎧の回路を焼き飛ばす。

 背中合わせにそれぞれ武器を取り、目指すは電撃姫の城。

 

「さっさと身体を動かして、アイツへの気持ちを伝えるだけだな!」

「……ふふ。それでこそ、ミサカが好む佐倉望です」

「俺もだよ、ミサカ。……ここは任せたぜ」

「お任せを。無事に戻ったら、デート1回で手を打ちましょう」

「考えとく!」

 

 背後の処理をミサカに任せ、警備ロボットを蹴飛ばしつつ奥へ。迫り来る機械の数々はスキルアウトの仲間達が抑え込んでくれている。

 ――だが、如何せん数が多い。人間の足で踏破するには、距離と時間と突破口が足りない。演算銃器のおかげで少しずつ道を開いてはいるものの、それもいつまで持つか……。

 だが、そんな窮地を打破するように、慇懃無礼な声が響いた。

 

「あら、そんなところで諦めるなんて。お姉様の認めた類人猿としては落第点ですわね」

 

 ズゥン、と膝をつく駆動鎧。発砲音は無く、破砕音もない。まったくの無音。よく見れば、関節部のコードを抉りとるように突き刺さる鉄矢。

 まるで最初からそこにあったかのように、白銀に煌めく裁きの矢。

 タンッと軽快に降り立ったのは、栗色のツインテールを華麗に揺らす年下の少女。右肩の腕章を見せつけると、可憐なウインクを佐倉に向ける。

 

「風紀委員ですの。果てしない距離を物理的に埋めるのは、私の専売特許ですわよ」

「――ハッ、遅ぇんだよ白井」

「口が減らない類人猿ですわね。ほら、さっさと手を取りなさい。少しでも距離を稼いであげますわ。そこからは、御自分で」

「でもこの人混みだ。人間一人背負っての空間転移座標計算も簡単じゃ――」

「だったら、荷物だけ転移させれば問題ないでしょう?」

「は?」

 

 ニヤ、とさっきとは違う白井の笑顔。悪巧みしていますと顔に書いてるような彼女は佐倉の手を取ると、ジャイアントスイングの要領で思いっきり振り回し――

 

「吹っ飛びなさい佐倉望! 少しは痛い目見せないと私がすっきりしませんわ!」

「てめ白井、この期に及んで――」

「助っ人も呼んでますから安心しなさいな。それと、お姉様のこと、頼みましたわよ」

「白井……」

「ほら、さっさと飛んでけ――!」

「やっぱりテメェ嫌いだわぁぁ――ってぇ!!」

 

 一瞬の浮遊感。存在が曖昧になった感覚が終わると、そこは最奥の建物の前。背後からは激しい戦場の音が聞こえてくる。本当に、入口まで飛ばしてくれたらしい。

 この先に、美琴がいる。

 喉が干上がるような緊張感を胸を叩いて吹き飛ばすと、あらかじめの計画通り、最強のオペレーターに連絡を開始。

 

「――リリアン、出番だ」

『任せろ佐倉。我の魔眼で貴様の未来を華麗にナビゲートしてみせよう』

「頼む、今はテメェの未来予知が頼もしい」

『素直な感謝は大事だぞ。褒美として我の豊満な胸で包み込んで――痛い痛い静! 分かったから! 手は出さないからやめてくれ!』

「本当に大丈夫かよ……」

『応援、してる……から……。きっと、美琴を……助けて、あげて……』

「……分かってるよ、桐霧。迷惑かけたな」

 

 か細く笑う声を最後に彼女の声が途切れる。能力があるとはいえ、生きているのも不思議な重傷を負っているのだ。こうして声を発しているだけでも奇跡に近い。それも、佐倉を助けるために半身を犠牲にした結果だ。彼女の誠意に、愛に応えるためにも、今はとにかく前へ。

 

「待ってろよ、美琴……!」

 

 前へ、前へ。ひたすらに前へ。

 クソみたいな人生を彩ってくれた皆。佐倉望を支えてくれた馬鹿野郎共が彼の背中を押してくれている。それならば、たとえ両足を失ったとしても、前へ――!

 

 

 

 


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