第五話 八月二十日
八月二十日。
夏休みも終盤に突入し、学生達がこぞって宿題を友人に見せてもらい始める時期。優等生はともかく、不登校や成績不振者はほとんど例外なく同じ行動を取るこの時期。
しかしそんな世の中の流れに逆らって、何故か学校に呼び出されている間抜けな二人がいた。
「いいですか? そもそも【自分だけの現実】っていうのは能力を使う際に最も大切とも言われている機能であって……」
「……なぁ上条、今日って確か二十日だったよな」
「あぁ、後十日で休みが終わる貴重な期間だ」
「それなのに、なんで俺達学校になんか来てんだよ。しかも俺は補習終わったはずなのに……」
「俺は補習。お前は補導代わりのペナルティだからだろ?」
「黄泉川ァ……」
上条と呼ばれたツンツン頭の青年が気力なさげに返すと、佐倉は普段の無気力っぷりに三割増しした調子でがくりと項垂れた。彼らは既に授業に対する気力を失っているらしく、黒板に板書されている内容とノートに書かれている内容が釣り合っていない。真面目に授業を行っている小萌先生が可愛そうに思えてくる光景である。
能力やらAIM拡散力場やらの話を熱烈に語る先生に気怠い視線を送りつつも、馬鹿二人は午後からの予定について小声で相談を始める。
「自販機でジュース奢ってやっから、午後からちょっくら遊ぼうぜ上条」
「上条さん的にも賛成です。こんなクソ暑い中補習受けさせられて、気晴らししない方がおかしいっての」
「よし、じゃあさっさとこんな授業終わらせて――――」
「こらー! 私語しているとコロンブスの卵ですよー!」
『げぇっ!』
二人の補習はまだまだ終わらない。
☆
「やっと終わった……」
「ま、まさか三十分延長してくるとは……鬼かよあのロリ……」
ロクに冷房も効いていない教室で午前中一杯苦行とも言える授業を受けさせられた佐倉と上条は、かねてからの約束通り帰り道の公園で自動販売機に立ち寄っていた。ジュースを買って、それから憂さ晴らしでもしてやろうといういかにも男子高校生らしい考えの結果である。
財布を取り出すと、どこか偉大さに溢れる女性の載った紙幣を投入する。
「なっ……お前、それもしかしてあの五千円札様じゃっ……!」
「はっはぁ! てめぇみたいな貧乏野郎とは財布の重みが違ぇんだよ重みがな! 年がら年中二千円前後しか入ってねぇ、それも二千円札なんてレアな紙幣持ち合わせている奴と一緒にすんじゃねぇ!」
「くっ……こ、これがへそくり大魔王佐倉望の力だとでも言うのかッ……」
「まぁ居候シスターの食費代を考えればお前はよくやっている方だとは思うよ」
以前上条家を訪れた際に邂逅した銀髪の修道女。ほわほわとした明るい印象の少女はインデックスというらしく、色々あって上条家に居候しているようだ。
銀髪シスターとお近づきになれるシチュエーションがどういったものなのか切実に知りたくはなったが、本人達があまり乗り気じゃなかった以上無理矢理聞き出すというのも憚られた。誰しも秘密にしたい過去の一つや二つあるものだ。……彼女と知り合ったせいで、ときどき飯をたかられてしまう事実には涙するしかない。
適当にサイダー系のジュースを二本セレクトし、現物が出てきたところで御釣りボタンを押す。
自動販売機は音を発さない。
「……あれ?」
「どうしたんだよ佐倉。早く行こうぜ」
「いや、ちょっと待ってくれ。つり銭が出てこねぇんだが……」
ガチャガチャガチャ! と何度もレバーを下げては釣銭を催促するが、彼の呼びかけに自動販売機が応じる様子はない。「貴様の金は俺様が貰ったぜ! 絶対に返さねぇよバァーカ!」と言わんばかりに無言で佇んでいる。
(これは……間違いねぇ……)
嫌な予感に冷や汗が流れる。だが、この状況を客観的に捉えるとそうとしか考えられない。たまに噂程度になら聞いたことがある状況だが、自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。
不思議そうに背中越しから覗いてくる上条に絶望しきった顔を向けると、佐倉は地獄の底から這い上がってきたような恨みがましい声でじっとりと呻く。
「飲み、込まれた……」
「……は?」
「俺の五千円札……自動販売機に飲み込まれた……」
「……わ、わはははは! なんだよ馬鹿じゃねぇのお前! あんだけ五千円自慢したくせしていっぺんに紛失するとかマジ不幸じゃん!」
「うっせぇ生きる不幸の権化! お前の不幸が感染ったんだろうが!」
「はぁ? それは佐倉の自業自得ですぅー。俺は関係ないですぅー」
「こいつマジうぜぇ!」
「ひぃひぃマジダセェー!」と腹抱えて爆笑する上条に拳を握り込みながらも、実は大金を失ったショックから抜け出せない哀れな子羊一名。前述の通りへそくりを貯めているので生活費がなくなったなどということはありえないが、それでも一般高校生にとって五千円という額は非常に大きいものがある。具体的には今日の晩御飯がハンバーグからコンビニのおにぎりになってしまうくらい。
「くそー、戻ってきてくれ俺の五千え~ん!」
「あはははは! 無理だって諦めろよー」
「……何やってんのよアンタ達」
二者二様の反応で自動販売機に向かっていた男達に、ふと声がかけられた。どこか呆れたような調子のソレに振り向くと、ベージュ色のサマーセーターを身に纏った茶髪の女の子が。
忘れたくても忘れられない、およそ二週間前ほどに自分の事を受け入れてくれた神のごとき少女、御坂美琴その人である。
一番見られたくない人間に痴態を晒してしまった佐倉は、どこから見ても不幸な雰囲気を身に纏ってその場に膝をついてしまう。やっちまったと自己嫌悪に陥ることも忘れない。
そして、上条はというと。
「……なんだコイツ?」
「…………(ぷちっ)」
しっかり死亡フラグを建てる徹底っぷり☆
「私には御坂美琴って名前があるって何度言えばわかるのよこのウニ頭ァ――――――――ッ!!」
「ひぃっ!」
「あばばばばばばば!」
「って、うわぁっ! ご、ごめん! そっちに当たるとは思わなくて……」
「……右手が勝手に反応した?」
何やら呆然と右手を見つめている上条はさておき、流れ電撃で真っ黒焦げになった脇役バンザイな佐倉に慌てて駆け寄る美琴。最近彼の生傷が増えているのは間違いなく彼女のせいであろうと断言できる。どこぞのウニ頭と違って能力を打ち消す右手すら持っていない彼は、そのまま能力を受けるしかないのだから。
なんだか急に息も絶え絶えな佐倉は、美琴の腕の中でか細い声を上げる。
「み、御坂……」
「し、喋っちゃダメ! もうそんなにボロボロになって……」
誰のせいだとツッコみたくなった上条はいたって正常である。
「俺……お前に言い残したことがあるんだ……」
「な、何よ……」
「この自販機……金を、呑み込む、みてぇだ、ぞ……」
「さ、佐倉ぁあああああああああああああ!!」
「……おーい、茶番は終わったかお前らー」
『はーい』
むくりと何事もなかったかのように起き上がる佐倉と、笑顔で応答する美琴。なんだこの気持ちが悪いほどのコンビネーションはとか思ってしまったのは上条だけの秘密だ。決して友情が壊れそうだったからとかいう理由ではない。
「ここの自販機は金食いだから、ジュース買う時はお金入れるんじゃなくて……」
立ち上がった美琴は自販機に近づき、何やら弾むようにステップを始めると――――
「こうするのよ……ちぇいさーっ!」
回転回し蹴りの要領で、自動販売機にドギツイ一発をお見舞いした。
『えぇ――――――――ッ!?』
「ん? なによそんなに変な顔して」
常盤台の制服を着ているお嬢様がまさかこのような暴挙に出るとは思わなかったのか、二人揃って若干引き気味の姿勢を見せる。彼らの中のお嬢様イメージが音を立てて崩壊しているが、当の美琴はそんなものどこ吹く風と言った様子で出てきたジュースのプルタブを開けていた。
一口飲んで満足げな顔をする美琴だったが、佐倉の様子を見て何かに思い当たったのか、意地悪そうな笑みを浮かべるとぐいと顔を近づける。
「アンタ……もしかして飲まれたの?」
「ぐぅっ!? そ、そんなはずねぇじゃん馬鹿じゃねぇのお前!」
「で、どうなのよそこのツンツン頭」
「五千円札を呑まれた憐れな子羊状態ですはい」
「上条ォオオオオオオ!!」
「ご、五千円……自販機使うのに五千円って……しかも呑み込まれるって……ぷっ、くくっ。あーはっはっはっ!」
「そりゃ自販機もバグるわよー!」と上条よろしく大爆笑する美琴に心底殺意が湧く佐倉。とりあえず一発ぶん殴ってもバチは当たるまいと鞄から特殊警棒を取り出そうとしたが、そこは生ける英雄上条当麻の必死の訴えに応じてやめておいた。命拾いしたな、と呟く彼の顔はいつになく悪人だったと後に上条は語る。
苦笑いする上条に慰められながらも金を補充しに寮へ向かおうとした佐倉達だったが、美琴に呼び止められて立ち止まる。
「笑って悪かったわよ佐倉。お詫びに金額分取り返してあげるからさーっ」
「取り返すってお前、どうやって……」
「え? もちろんこうするに決まってるじゃない」
そう言うや否や、自動販売機に手をついて放電を始める。バチバチバチッ! と嫌な音が辺りに響き渡り、販売機から数十本の缶ジュースが強制的に放出される。
つまるところ、強盗まがいにジュースを取り出しやがった。
「あっれおかしいなー、手加減したはずなのに……。まぁいいわ。ほら、これアンタ達の取り分……」
「逃げるぞ上条! 今の具合じゃ警備員が来るのも時間の問題だ!」
「了解! 巻き添えだけはごめんだぜ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよー!」
犯罪行為に手を染めている佐倉でさえもビビるレベルの堂々っぷりに二人は脱兎のごとくその場から逃走を図る。その後を、大量のジュースを抱えながら追いかける美琴。
八月二十日の昼下がり。佐倉達は絶賛絶体絶命中だった。
☆
その後白井黒子と再会したり、美琴と同じ顔をした妹らしき少女と邂逅を果たした佐倉は、既に時間も時間なので上条達と別れ一人いつもの路地裏へと向かっていた。今日は特に【仕事】は入っていないが、とてつもなく暇なので浜面でもからかって楽しもうという魂胆の元である。半蔵がいればなお楽しかろうといつも鞄に忍ばせている浜面お気に入りのバニーちゃん特集を頭に浮かべてグフフと笑う。とても先輩に対する態度とは思えない。
そして毎度の通りに差し掛かったところで、佐倉はふとこんなことを思いついた。
「どうせなら違う道から入って先輩達おどかしてやるか」
それはただの気まぐれだった。何のことはない、単なる彼なりのお茶目だった。人間なら誰しも経験する、「ちょっとだけ今日はいつもと違うことをしてみよう」とかいう思いつきにすぎなかった。
鼻歌交じりに歩き回って手頃な路地裏を選択すると、のんびりと足を進める、
だが、今日は何かが違った。いつも暗い喧騒に包まれている路地裏が、不気味なほどに静まり返っている。
「……? 駒場さん達のアジトじゃねぇから静かなのはわかるけど、普通ここまで音がしねぇもんかね」
不思議に思ってあちこちを見回すが、人の姿は見受けられない。誰かが生活していた痕跡は見つかるのに、そこに必要な人間達が存在しない。そして、路地裏のあちこちが不自然に荒れている。
まるで、ここの人間が何かから逃げ去ったように。
「……アレ、は……?」
しばらく歩き進めていると、視界の奥に何やら複数の人形のようなものが倒れ伏している光景が入り込んできた。辺りには赤黒い液体……確信はないが、血のような液溜まりが広がっている。
まさか。嫌な予感を全身に覚えながらも、彼は人形達へと近づいていく。
「…………」
予感が確信へと変わり、佐倉は思わず言葉を失う。
結論から言って、倒れているのは人形ではなく人間だった。それも血だらけになった、幾多もの死体。
だが、彼が驚いたのはそんなことではない。クズ共の生きるこの場所で、死体が転がっていることなど日常茶飯事なのだ。法律さえも届かない路地裏で、死体を見たからといって今更取り乱す佐倉ではない。
彼が絶句したのは、その死体の中にある少女の姿を見つけたから。
サマーセーターを身に纏い、茶色の髪を短めにして、軍用ゴーグルを被った少女。
彼の良く知る第三位に非常にそっくりな容貌ながらも、邂逅したのはつい先程の事である少女。
傍目で見れば違いは分からないかもしれない。だが、この少女の付けている軍用ゴーグルからこの死体がどちらのものであるのかは容易に推察することができる。
いきなり震えだした身体を気遣う余裕もない様子で、佐倉は顔を強張らせたまま呆然と少女の名を漏らした。
「御坂……妹……?」
佐倉望はまだ知らない。これはまだ、悲劇のほんの序章にしか過ぎないということを。