路地裏の先に広がっていた衝撃的な光景。数を数えるのも億劫になる死体の山の中に御坂妹の姿を発見した佐倉は、息をするのも忘れてその場に呆然と立ち尽くす。
「……な、んだ……」
そんな気の抜けた言葉が漏れ出してしまうが、脳内では頭がパンクしてしまうほどに思考が繰り返されていた。今までの記憶と現在の状況、そして目の前の惨状に脳をフル回転させる。
(さっきまで普通に喋っていた御坂妹が、なんでこんな路地裏で死体になってんだよ! 意味が分からねぇ。何があった。ここで、今まで何が行われていたんだ!)
冷や汗が止まらない。臓物が剥き出しになっている死体を前にして、吐き気も襲ってきている。体調的に言えば、最悪だ。
だが、嘔吐するわけにはいかない。今目の前で転がっている死体はあの御坂妹なのだから。普通に自分や上条と会話をしていた、紛れもない彼女なのだから。
込み上げてくる胃酸をどうにか飲み下すと、佐倉は死体へと足を進めた。
「……酷ぇな」
都市伝説などで耳にする猟奇殺人犯でももう少しは手加減するのではないかというほどにボロボロにされている。腹の辺りから飛び出している筒状のぷるぷるした物体は腸の一部だろうか。その他にも、粉砕した骨や剥がれた肉などが周囲に飛び散っている。
そして何より気になったのは、御坂妹以外の死体だ。彼らもまた、普通の喧嘩などではあり得ない殺され方をしている。腕が不自然な方向にひしゃげ、顔面は重力がまとめて圧し掛かってきたかのように陥没している。
状況把握に思考を向けると、徐々に気分も回復し始めてきた。深呼吸で息を整えながら、死体の周りを探っていく。今は何よりも情報が欲しかった。
すると、
「貴方は一体何をしているのですか、とミサカは背後から失礼だとは思いつつも自分の疑問をぶつけてみます」
聞き覚えのある声が耳に届いた。そして同時に、絶対に聞こえるはずのない声だと気付いて思考が止まる。
指先が緊張で強張るのを感じつつも、佐倉は表情を硬くしたまま振り向く。
茶色の短髪に軍用ゴーグル。ベージュ色のサマーセーターを着こなすその少女は、彼が数時間前に邂逅した彼女と
……そう、奇妙にも、今佐倉が遭遇した死体の少女と瓜二つな外見をした少女が目の前に立っていた。
「みさ、か……いもう、と……?」
「より正確には一〇〇三五号です、とミサカは検体番号を明かすことで個体の識別を図ります」
「シリアル、ナンバー……?」
「二万人いるミサカ達を特定するための型式番号のようなものです、とミサカは理解の悪い貴方の為に懇切丁寧に説明を行います」
どこまでも無表情に、無感情に淡々と『ミサカ』は言った。あまりにも常識から外れた内容の台詞を、彼女はなんでもないようにその口から発していく。
言葉を漏らす余裕さえない。驚きが脳を覆い尽くして、疑問を口にすることさえできない。
(二万人いるミサカ? 検体番号? なんだ、コイツは今何を言っているんだ!? ていうか、なんで御坂妹がここにもいるんだよ! 今死体になっていたアイツは、何なんだ!?)
状況を把握できず、新たな情報だけがぐるぐると脳内を回っていく。目を丸くして立ち尽くす佐倉にミサカが怪訝な表情を向けていたが、今の彼にそんな些細なことに気が付く余裕も精神状況も存在しない。
黙り込んだまま行動を停止した佐倉を待つのをやめると、ミサカ一〇〇三五号はまったく物怖じすることなく『ミサカ』の回収作業を始める。
「何、やって……」
「『実験』の後始末ですが、とミサカはいつまでもそこに突っ立っている貴方にあえて冷たい言い方をすることで、暗にどけという気持ちを示してみます」
「ぁ……悪ぃ……」
反論する余裕さえない佐倉は言われた通りにその場からどくと、少し離れた場所でぼんやりとミサカの作業を眺める。
彼女の『後始末』はいたってスムーズだった。
凝固剤で血液を固めて拭い取り、飛び散った骨や肉をゴミ袋にぶち込み、死体を寝袋の中に入れる。
今まで何度同じことをしてきたのか疑問に思ってしまうほどの手際の良さだった。
他の死体には目もくれず『ミサカ』の回収作業を終えたミサカは、寝袋とゴミ袋を一旦纏めるとその場に立ち止まる。
「……? どうしたんだよ」
「この量を一人で運べるとでも思っていやがるのですかこのウスラトンカチは、とミサカは常識のない貴方に少しだけ怒りを露わにします」
「……悪かったな」
「一人ではとても運べやしないので応援を呼んでいるのです、とミサカは不服そうにしている貴方が状況を理解できるように自分の行動を明らかにします」
「応援?」
「はい、とミサカは頷きます。他の『
「お待たせしました、とミサカ一〇七三四号は自分の到着を伝えます」
「っ!」
再び声が響いた。先ほどミサカが現れた方向から、
……いや、一つどころではない。想像を絶する数の『声』が佐倉の耳を打つ。
「実験時には毎回ミサカ達が回収作業を行っているのですよ、とミサカ一九六七八号はささやかな胸を張ってみます」
「その反応から察するに貴方は実験関係者ではないのですね、とミサカ一〇〇五四号は自分の推察を述べてみます」
「心拍数、脈拍数の増加を感知しました、とミサカ一五七六三号は貴方が極度のストレス状態にあることを伝えます」
「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」
「ぅ……ぁ……!」
抑揚のない彼女らしい声。御坂妹らしい十数人の声に囲まれて気が動転しそうになる佐倉。混乱と戸惑いが臨界点を突破し、思考を妨げる。この状況を打破する一言を模索するのだが、うまく纏まらない。
それでも、彼は一つだけ彼女達に尋ねる。『妹達』と名乗ったミサカ達に、決定的な疑問のみをぶつける。
「……お前達は、何者、なんだ……?」
「学園都市に七人しかいない超能力者、御坂美琴の量産軍用モデルとして製造された体細胞クローンです」
その言葉を最後に、『妹達』はその場から立ち去っていく。
一人残された佐倉は、湧き出る汗を拭うこともせず呆けたように立ち尽くしていた。
☆
『超電磁砲の体細胞クローンについてだぁ?』
「はい。半蔵先輩なら何か知っているんじゃないかと思いまして」
寮に帰宅した佐倉は、晩飯の用意よりも先に半蔵へと電話をかけていた。『妹達』についての情報を、今は少しでも手に入れようと思ったからだ。
裏世界に通じている彼は、普通のスキルアウトに比べてその手の情報に聡い。「忍者は情報戦が命だからな」と以前自慢げに語っていたのを、佐倉は忘れていなかった。
佐倉の質問に素っ頓狂な声を上げた半蔵は、電話の向こう側で盛大に溜息をつく。
『あのなぁ。どこでそういう情報掴んできたのかは知らねえが、お前みたいな普通の高校生が関わってちゃいけねえ世界っていうもんが存在するんだ。興味本位とか、ちょっとした人助け程度の覚悟で聞くような代物じゃないんだぞ? ソレは』
「分かってます。クローンなんて国際法無視したブツ作るようなアレなんですから、相当ヤベぇ内容だってことも承知してます」
『だったら……』
「でも、それでも俺は知りてぇんです。今、アイツに何が起こっているのかを。妹達が、いったいどういう存在なのかを」
『…………』
佐倉の迷いのない言葉に、半蔵は思わずと言った様子で言葉を失っていた。顔は見えないが、おそらくそれなりに虚を突かれた表情をしているはずだ。
表の世界。闇とはかかわることのない光の世界で暮らしている佐倉にとって、今回の事件は縁もゆかりもないものなのだろう。半蔵が止めるように、今の彼が関わるべき事じゃないのかもしれない。もしかしたら、もう二度と光の世界には戻れないほどの深い闇なのかもしれない。
だが、佐倉はそれでも前に進むことを選ぶ。あの時尊敬する少女と誓った約束を守るために、彼は闇の世界に足を踏み入れる。
「お願いします、先輩。俺、アイツを助けてぇんです」
それは心からの言葉だった。無能力者が超能力者を助けるなんていう荒唐無稽な夢物語だったが、それでも佐倉望の本心から出る言葉だった。
そんな彼の真剣な様子に、半蔵は無言のまま考え込む。健気で不器用な可愛い後輩を、裏世界に触れさせるべきかどうかを思案する。
そして、
『……わぁったよ。コッチでも調べといてやる。情報が掴めたらまた電話するぞ』
「ぁ……ありがとうございます!」
『可愛い後輩の頼みだ、無下にもできねぇだろ?』
ニヤリと得意気に口元を吊り上げる半蔵の顔が脳裏に浮かぶようだ。なんだかんだ言って協力してくれる先輩に、電話越しにもかかわらず頭を下げてしまう佐倉。いい先輩を持ったと心の底から感謝した。
何度も礼を述べる佐倉に苦笑しつつも、彼はそれでも先輩らしく忠告を行う。
『いいか佐倉。お前が今から触れようとするその世界は、気を抜くと一瞬で命を奪われるようなそんな世界だ。学生同士のおままごとみたいな喧嘩とは違う。ガチで命のやり取りをするレベルの世界だ。もしかしたらもう生きて帰ってこれないかもしれない』
「……はい」
『それでもお前がコッチに足を踏み入れるっていうのなら、覚悟を決めろ。生半可な気持ちで入ってくると、抵抗する間もなく消されるぞ』
「……大丈夫、覚悟はできています。御坂のためなら、俺はどんなことでもやってみせる」
『よし、それでいい。決めたら迷うな。一瞬の迷いが命取りになると思え。自分の目的のためなら、いかなる手段も躊躇うな。それがこの世界で生きる最低限の心構えだ』
「……ありがとうございます、先輩」
『礼を言うなら、ちゃんと帰ってこい。祝杯くらいはあげてやるからよ』
そう言って、半蔵は電話を切った。無機質な電子音が流れる携帯電話を畳むと、佐倉はパソコンを立ち上げる。
半蔵だけに任せておけるほどの余裕はない。少しでも自分で情報を掻き集める必要があった。
「……お前に何が起こっているのかしらねぇけど」
いくつもウィンドウを開き、ネットの奥深くまで潜りながら彼は呟く。
「それがどんな闇だろうが、
何も持たない無力な無能力者は、新たな決意を胸に刻み込む。