帝都の休日 短編連作群保管庫   作:休日

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最初に投稿したこのお話が駄目男シリーズの第四弾です。シリーズのコンセプトは、もしもあの調子の良い彼が平和な日本で夢を諦めきれてなかったら? そんな彼を徹底的に甘やかす味方が近くに居たら?


駄目男と物好きな少女

 

 

 

 

 ちゃんと見てくれてる奴ってのはいるもんだなと、最近思うことがある。

 

 昔から、多少の見返りを望みながらも良かれと思ってやったことが何故か悪いように受け取られ、結果嫌われることが多かった俺。

 

 それなりに人との付き合いはあった方だが、本当の俺を誰も見てくれていない気がして、よく落ち込んだ。

 

 小学校の頃はおかしなあだ名を付けられて。

 

 枕投げでは必ず俺だけが標的にされて。

 

 好きな子には誤解されて。

 

 何をやっても上手く行かない。

 

 誰も俺を見てくれない。

 

 散々だった人生の中でそいつは現れた。

 

 当時2011年の春、そいつはまだ小学生のガキだった。

 

『ねえ、なにしてるの?』

 

 ブリタニアから引っ越してきたばかりで友達が居ないというそいつとは、気分転換によく訪れる公園で出会った。

 

 落ち込んでいる処に益々気分が悪くなる特有の“色”を持っていたそいつは、やたら積極的に話し掛けてきては此方のペースを乱していく。

 

『こんなにあったかくて良いお天気なのにそんな顔してるから気になっちゃうんだよね』

 

 追い払おうとしても追い払えず、いつまでも絡んできたそいつと俺は、流れのままに友達となっていた。

 

 親しくなった切っ掛けはやはりというか、俺の夢。俺の描く理想の夢語り、野望ってやつ? 

 

 そいつはとにかく無邪気で慇懃無礼。口達者で大人を舐め腐った態度を取る小生意気な奴だが、俺の夢の話だけは真面目に聞いてくれたんだ。

 

 親以外でまともに話を聞いてくれたのが小さな子供だったところが笑えなくて、本当におかしくて。

 

『また意見変わっちゃったの? よくもまあそんなにコロコロ主張が変わるものだよまったく』

 

 親しくなればなるほどに、俺のことを信用できない人間と決めつけてかかるようになっていった腹の立つ奴。

 

 直ぐに意見を変える、人の言葉に流されやすい。マイナス点をずけずけと指摘するような容赦の無さに、何度も喧嘩となった。

 

 何度も何度も喧嘩して、喧嘩する度仲直り。

 

 そうして不思議と今日まで関係が切れることなく来た自称『俺の味方』は、今でも夢に向いながら挫折を繰り返すだけで前に進めないこの俺を、変わらず励ましてくれていた。

 

 高校時代からもう何年もの間追い続けていた自身の夢。

 

 頭の中で考えるだけに終わらない。適当な思い付きなんかじゃない。

 

 自分なりの計画を立て終点までの過程を組み上げている壮大な夢だ。

 

『お前には無理』

 

 誰もが否定するこの夢の事始めとして、俺は人生最大難度の試練へと臨んだ。

 

 今となっては耳にするだけでも気が滅入る“受験”という名の神の試練へ。

 

 夢のためには大学に入って政治経済学を学ぶ必要があったからだ。

 

 大学なんて行かなくてもなれる奴はなれるらしいが、自分の場合いまの地点から先に進まないと必ず行き詰まることはわかっていた。

 

 だから高校卒業と同時に大学へ進むという道を選んだのだ。

 

『目指せ東大ッ』

 

 大日本帝国の学の頂点に位置する大学の一つへの挑戦。

 

 当然その道の先に現れた最初の門はとてつもなく重厚で、俺は終始圧倒されっぱなしだった。

 

 ならばランクを落とせばこの分厚い門のイメージも払拭できたろうに、と思われるだろう。

 

 なにも自分からハードルを上げて跳べなくしてしまうよりも、バーを下げて確実に跳べばいいだけだと。

 

 だが、それでも俺は敢えて突き進んだ。

 

 最高クラスの大学へ進まなければ叶わない夢でもないが、そこはそれ。

 

 男が挑戦してやるからには頂点を目指さないでどうする? 

 

 萎縮して縮こまるよりも、全力でぶつかって後先考えずに突っ走る方がモチベーションも上がるってものだ。

 

 そしてこの最初の関門をクリアする為に取り組んだこと。

 

 それは、今までの我が人生には不必要と考えていた意味不明且つ大嫌いな──―勉強という名の苦行だった。

 

 大学へ行こうというのだから仕方ない。学校は勉強するところで、夢のためには勉強が必要で、受験を合格するにもまず勉強しなければスタートラインにさえ立てない。

 

 解けない方程式に悩んだ数学。

 

 クソ面白くもない歴史。

 

 小難しい経済の話。

 

 三日寝れば忘れてしまう程に低容量な2ビットの頭脳を駆使してありったけの知識を詰め込むだけの毎日だ。

 

 高校時代といえば、普通友達を作って、彼女を作って。

 

 充実したリアルを満喫する期間のはずだが、俺は悉くそれを我慢した。

 

 生まれつき物事に取り組み耐えることが苦手なのか小学校、中学という義務教育の間、これからの人生を生きて行く上で必要なことを学ぶ為の環境に身を置きながらも最後までやり遂げたことは皆無だった俺が、狂ったように勉強一筋。教科書や参考書を片手に机と向かい合う。

 

 はっきり言ってつまらないの一言だった。「もういいや」そう何度投げ出しそうになったことか。

 

 だがこれも夢の為だ。一時の欲を捨てて、より大きな物をこの手に掴む為には、何も考えずに楽しく過ごすという青春の方をこそ諦めるしかなかった。

 

 苦痛だったのは、真面目に取り組むそんな俺の姿を見て馬鹿にする奴等の、欲しくもない応援の数々だ。

 

 “頑張れよ”──という言葉に嘲笑を感じたのは一度や二度では済まないほど多く、殴り合いになったこともある。

 

 成績や頭が悪いのは自覚していた。小中共にビリケツだったし、頑張っても無駄とか思われるのは当然で、そんな俺が『夢の為に大学を目指す』といえば笑いのネタにされるだろうなんてこと、誰かに指摘されなくとも自分が一番よくわかっていた。

 

 しかし、それならそれで、下手に応援の言葉なんぞかけて欲しくない。

 

 図工などで作り上げた自分の自信作についた感想が心の籠もってない「上手だね」の一言であったり、腫れ物に触って気遣うような世辞だったりするくらいならば、駄目だったところを痛烈に批判してくれたほうがまだましだ。

 

 批判も批判で心に突き刺さり傷付くから別に嬉かないが、自分の姿勢の何処が悪いのかを客観的に見られることは大変有り難い。

 

 つまり何をやっても裏目裏目で、馬鹿扱いされることにはもう慣れていた俺でも、欠片ほども役に立ちそうにない嘲笑いの『頑張れ』だけには本当に我慢ならなかったわけだ。

 

 そして初挑戦に敗れた後に出会ったのがそいつだった。

 

 遠慮の欠片もなく『馬鹿』『駄目男』『信用できない』と平気で罵っても、そいつはちゃんと俺を見てくれていた。

 

『頑張ったね』

 

 その一言をくれるそいつは、そいつだけは。

 

 俺の夢をずっと聞き続けてくれたんだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「ア~ツ~イ~」

 

 六畳間一つしかない俺の部屋に遊びに来ていた少女は、抑揚のない間延びした声で喚き散らす。

 

 続いて激昂するように。

 

「まるでサウナじゃんっ!」

 

 喚びもしないのに自分から訪ねてきておいて何だその失礼な言いぐさは──と思わないでもなかった。

 

 使い古してよれよれにくたびれた参考書を開きながら昔を思い出していた俺に、少女は本のくたびれ具合に負けず劣らずのくたびれた声で再び叫んだ。

 

「なんとかしてよぉ~~っ」

 

 両肩を掴まれてゆっさゆっさと揺さぶられる。

 

 視界が揺れて気持ち悪い。

 

「暑いんだよ~~ッ」

 

「ああ~、ンなこと言われたってよお」

 

 なんともならない。

 

 俺だってこの部屋を涼しくできるものならば涼しくしたいし、手段があるならとっくに手を尽くしている。

 

 問題はその解決策がなにひとつ無いということだ。

 

「アレ……もう死んでるんだぜ?」

 

 指差す先にあるのは壁へと張り付く細長い機械。

 

 真夏のこの時期にフル稼働させていた中ボロエアコンがぶっ壊れてしまったのだ。

 

「天に召されちまいやがったわけなんですよ~ウチのエアコンくん」

 

 予期せぬトラブルに見舞われたことで我が家の熱波に牙を剥かれた被害者なのは俺も同じだった。

 

 その俺にあーだこーだと文句を言われても困るってものだ。

 

「修理に出せば?」

 

「布団の下には綺麗さっぱりと中身を吐いてしまったお財布が一個……、燃料切れの財布なんざクソの役にも立たねーぜ」

 

 修理に出すも買い換えも、そもそも金に余裕のない俺には縁のない話だったのだ。

 

「扇風機があるじゃん扇風機ぃ~ッ」

 

「ああダメダメ扇風機もオダブツさんなんだよ。後ろのモーターから煙り噴いて停まっちゃってやがんの。笑っちまうぜこの状況にゃあな」

 

 この八方塞がりな状況でどうしろというのかと問いたいのは此方のほうだ。

 

「つまり、もはや打つ手ナッシングよ。お前が幾ら俺を揺さぶってもなーんも解決せんわけ」

 

「なんで壊れちゃったのよ~っ」

 

「知るか!」

 

 機械にでも聞いてくれ。

 

「修理代も無いとかなにやってんだか。先週お給料もらったばかりなんでしょ?」

 

「いやな~、そうなんだけどよぉ、そっちに関しちゃ俺別に悪くないんだぜ? 信頼して金託した奴等が裏切りやがったんだよ。かぁ~っ、思い出しただけでも腹が立つぜクソッタレが!」

 

「いつもお金に困ってるお兄ちゃんがお給料を託したぁ? ……うん、一応聞くけれどそれって誰」

 

「お馬さんと玉入れ」

 

 この俺様が貢いでやったのに応えやがらない駄馬と糞台だった。

 

「やっぱり賭け事じゃん」

 

「ああそうだよっ! だったらなんだ文句あんのか?!」

 

 居心地悪い視線を向けられて少し声を荒げてしまった。

 

 この程度気にもしないのが彼女だったりするから、まあ険悪にならないで済むが。

 

「別にぃ。お兄ちゃんのお金だから何に使おうと文句はないけどさぁ、毎度毎度よくやるなーって」

 

「へっ当然よ! 期待値追ってればいつか絶対に勝てるもんなんだからな」

 

「その開き直り様と無根拠で無意味な自信が凄いかも」

 

「自信もへったくれも期待値+を追ってれば絶対なんだって。所詮高校生のお前にゃあ大人の世界の話なんかわかんねーんだよ」

 

「分かりたくもないしちっとも威張れることじゃないんだけれどねそういうのって。どうせ直ぐ負けてお金がないって騒ぐクセに勝てない博打の繰り返しじゃね~。つまり、お兄ちゃんの期待値+はギャンブルを止めることです。自制心も無いクセに博打に手を出す事がそもそも間違ってるってわけだ」

 

「けっ、言ってろよ。そのうち一発逆転して一気に巻き返してやっから」

 

「へぇー、それいつの話? 現実には逆転どころか空振り三振スリーアウトでサヨナラ負けしちゃってるクセしてさぁーっ!」

 

「うっせーんだよその内ったらその内だ!」

 

「そのうちなんて来るわけ無いよ。大体胴元が誰か知ってるの? 国だよ国。世界に冠たる超大国大日本帝国が元締めなんだよ? 国の管理下だから不正はほぼ無いと見て良いけれど、ギャンブルは娯楽であって勝たせる事が目的じゃないんだし、お馬鹿なお兄ちゃんじゃ一億万年たっても勝てっこない相手に決まってるでしょ」

 

「知っとるわそんなもん! けどよぉ勝ってるやつだって居るじゃねえか。ほら、例えば英雄山本五十六。知ってるか? 山本ってのはギャンブルには滅法強くて最近じゃシーランドのカジノに出禁喰らってるんだぜ? それって山本が博打一本で喰ってけるほど稼いでる証拠みたいなものだろ?」

 

 うるさい彼女に明瞭な勝ち組。この場合はギャンブルによる勝ち組だが、それを提示してやったが。

 

「ハア、やれやれまったく。誰を引き合いに出してくるかと思えば……バッカじゃない」

 

 どうしようもない奴と呆れられてしまった。

 

「山本卿は日本海軍で采配採ってオセアニア軍を一方的に叩きのめした戦略家だよ? 戦いの場を政界に移してからも立憲政友会の重鎮の一人として公民党相手に舌鋒鋭く論戦を交わしねじ伏せてきた人じゃん。お兄ちゃんが賭け事をしてその戦略家と同じ結果を望めると本気で考えてるなら今すぐ考えを改めるべきだよ。お兄ちゃんには無理だから」

 

「そうか? 俺は違うと思うぜ」

 

「どうしてそう思うの」

 

「博打って結局は期待値+に多少の運が全てだろ。山本五十六はスゲー強運持ちって舞朝新聞のコラムに書いてあったぜ? 政友会が万年与党なのも山本の豪運が関係してるってよ。山本が引退した今は総理執務室に山本の肖像画を飾って御利益を得てるんだとよ。要するに山本には運があって俺には無い、それだけじゃねえか」

 

「……えッ? あ、あのさ、それ……本気?」

 

「本気もなにも、事実だろ」

 

「う、うそ、信じられない……、あんなお馬鹿な新聞の記事を鵜呑みにしてるなんて……。ああもう馬鹿でアホでダメダメなのは昔からだけれどここまで最悪になっちゃうなんて! この部屋の暑さはきっとお兄ちゃんの馬鹿が原因なんだよッ!」

 

「うっせーッ馬鹿で悪かったな!! 黙って聞いてりゃあぎゃあぎゃあと好き勝手なことをがなり立てやがって!」

 

 蝉が鳴けば暑く感じるのと同じで、女のキンキンした喚き声という物もこれまた格別に暑苦しくて適わない。

 

(すっからかんにやられちまって唯でさえ苛ついてんのに)

 

 博打批判するのが自分自身ならまだ負け惜しみで済むことも、人から言われると気分悪い。

 

 もしこれで彼女が男だったのなら、今頃やかましいとワンパンかましているところだった。

 

「俺相手に喚き散らしてなにがしたいんじゃオメーは。それで涼しくでもなんのかぁ? あァ? 言ってみろやァ」

 

「ならないよ? なるわけないじゃんなに凄んでるの?」

 

「んなら黙ってろもう、説教はお前以外の人間だけで間に合ってんだからこれ以上俺様をイラつかせんじゃねぇよ」

 

「そんなこといったって暑いんだもん。お兄ちゃんはパンツ一丁で涼しいかも知れないけれどこっちはそうもいかないんだからね」

 

「コラチミィー、その変態さんを彷彿とさせちまうような言い方やめい」

 

 断じて下着だけで過ごしているわけではないのだ。

 

「お前さあ、俺の趣味にケチ付けてまでそんなぶーぶー文句垂れるくらいならせめてそのブレザーくらい脱いどきゃあいいじゃんか。そんなもん着てっから暑いんだろ」

 

「え、上着?」

 

 俺の肩を掴んでいた彼女の両腕がぐっと前に伸ばされたことで開く距離。

 

 額に張り付く前髪の下ではソメイヨシノの花の色を濃くしたような桜色の瞳が動く。

 

 丸い桜色はまず此方を見て、次に自分の腕を見た。

 

「長袖?」

 

「そうだよ、その長袖だよ長袖ブレザー。お前自分から暑くなるようなカッコしてんじゃねぇか」

 

 既にサウナと化した我が部屋ではパンツと白シャツ一枚という薄着も薄着な俺でも暑いのに、輪を掛けて暑苦しそうな暖色系長袖ブレザーの制服を着たまま暑いとほざいてりゃ世話はない。

 

「学校帰りの直行だもん」

 

「なんで家帰って着替えてから来ないんだ? 俺今日バイトもなーんもねぇからここ動かねぇって言ってたし、急いで来る必要なかったろ」

 

「急いでてもパパには連絡してあるから大丈夫だよ。お兄ちゃんとこで遊んでくるって」

 

「いや、そういう話じゃねんだ。ウチに来る前にその見てるだけでも汗かきそうな制服をどうにかしてから来いつってんの」

 

「そんなこと言われたってもう来ちゃってるし」

 

「今からでも遅くねーよ。行って着替えて戻ってくればいいじゃんか」

 

「う~ん、でも外暑いしなぁ……。う~ん……………………あっ、いいこと思い付いちゃった♪」

 

「ゼッテー嫌だ」

 

「まだなにも言ってないんだけど……」

 

「言わなくても分かるんだよ。どうせまたろくでもないことなんだろ」

 

「ろくでなしが服着て歩いてるみたいな人にだけは言われたくありません」

 

「うっせーわ! 勝手に合鍵作っていつの間にか部屋に上がり込んでるストーカー擬きのクセしやがってよっ」

 

「むぅ、ストーカーじゃなくてお兄ちゃんウォッチング──スニーキングしてるだけだよ」

 

「どっちも同じなんだよ!」

 

「えっへん!」

 

「威張るなよ褒めてねぇんだから! で、それじゃあ何なんだそのいいことってのは」

 

「おんぶ」

 

「はぁ?」

 

「私をおんぶして家まで連れてって♪」

 

「あぁ? 誰が誰をおんぶして連れてくだって?」

 

「お兄ちゃんがぁ、私を♪」

 

「…………なあ、お前舐めてんのか? なんでこんなクソ暑い日にこの俺様がお前を負ぶって外出せにゃならんのだ」

 

「やっぱりそう思う?」

 

「ったりめーだ。それ以外なんていや良いんだよ」

 

「あはははっ、だよねぇ~っ、まあそう言うとは思ったんだぁー。逆にこっちがお兄ちゃんをおんぶする立場なら絶対ノーだからさぁ」

 

「心配せんでもこっちからお断りだっつーの。五体満足のいい歳した大人、それも男が女子高生に背負ってもらうとか、そりゃただの罰ゲームだぜ。いい笑い者じゃんかよ」

 

 少しばかり話が脱線気味になってしまったが、彼女の暑い原因など論えば他に幾らでも出てくる。

 

「首もだよ」

 

「首?」

 

 例えばネクタイ。

 

「そんなへーこら頭下げまくってるくたびれたリーマンみてーにきっつきつに締めてねぇで、もうちょっとこう、よれっとなるくらいに緩めちゃったりなんかしてな」

 

 制服のタイなんて物は緩めて過ごす物と決まってる。俺が高校の時はまともに締めたことすらなかった。

 

 なのに彼女と来たら指の入る隙間もないくらいきっちりと締めているのだ。ピシッと締められた首元を見てると気持ち悪さを感じる。

 

「よくもまあそこまでお行儀良くバチっと決めてられるもんだぜ、マジで感心するわ。俺くんだと絶対真似できないね」

 

「それはだって、ネクタイ緩めるなんてだらしないもん。服装の乱れはぁ~心の乱れ~っていうでしょ?」

 

「なんだそりゃ。委員長キャラでもねぇクセして真面目ちゃんぶってやがんのか?」

 

 名門校だけに校則が厳しいのか。それともただ彼女が真面目なだけなのか。

 

 こっちとしては一人我慢大会を見させられている気分なので何とかしろと逆提案するより他ない。

 

「これでも余所行きは丁寧なんだよねー。こほん、お忘れですか? 私の学舎は、日ブ問わず皇族・貴族の方々や、上流階級の御子弟の皆様方が多数在籍なされているブリタニアきっての名門校です。彼のブリタニア帝立コルチェスターと並び称されるアッシュフォード学園なのですよ? 礼儀作法、武芸一般、一通りのことは習得済みです」

 

「うわっキメェ~。お前ほど丁寧語が似合わん奴もいねーよなぁ」

 

「お行儀の宜しくないお兄様にだけは御指摘されたくありません」

 

「やかましいっ!」

 

 指摘ついでに付け加えるのなら後は。

 

「そのど派手なピンクヘッド」

 

「頭……髪の毛のことを御指摘なされておいでなのでしょうか?」

 

 まだ続く優等生モード。

 

「他に何があるんだよピンクちゃん」

 

「むっ、ピンクなのは生まれつきだもん」

 

 しかし直ぐにメッキが剥がれた。

 

「まさか髪の毛がピンク色だから暑いとでも言いたいわけなのかなぁ?」

 

 それこそまさかだ。

 

「ノンノン。ピンクで暑いってなら、お前目の色もピンクなんだから今頃目ン玉しおしおのパーで干からびちまってるだろーぜ」

 

「ふむ、お兄ちゃんのクセに的確な返しとは……。中々やりおるな」

 

「俺のクセには余計だぞコラ」

 

「だったらなぁに?」

 

「いやほら、髪ばさーっと背中に広がってるじゃんか。暑くね?」

 

 単純に毛先が太股の裏側にまで届いてしまうくらいにクソ長いので、服の上から更に背中を覆い尽くす分だけ暑さは増すと思われるのだ。

 

 暑い暑いと言ってるときはまとめているのだが、今は下ろしたまま。

 

 長袖ブレザーに、きつきつに締められたネクタイに、背中に広がる下ろし髪。暑さ増し増し三拍子だった。

 

 これら彼女の装いの中で涼しさを感じられるところを一つ挙げるのなら膝上までしかない学校指定のミニスカートだけだ。

 

「ああ~言われてみればそうかも。学校行ってるときは大体が下ろしたままだからさー」

 

「わかってんなら髪まとめろ、そんで服脱げ、首元緩めろ、敗戦してしょぼくれてる俺様に文句付けんな」

 

 ともあれ、少しでも涼しくなるようアドバイスしてやったというのに、俺の両肩を掴んでいた手を離した彼女は、何故かその手を胸の前でクロスさせながら、自分の両肩を抱いて不審の目を向けてきた。

 

「エッチ」

 

「はあ?」

 

「油断させて襲う気なんでしょ」

 

 半眼で不審人物を見る様にこっちを睨み付けている。実に意味不明だ。

 

「なにィ~? この紳士な俺様がお前を襲うってかァ?」

 

「うん」

 

「肯定すんなっ!」

 

「だってさっきまではブレザーだったのに今度はストレートに服脱げとか言うし。それってさあ裸になれってことでしょう?」

 

「誰がいつんなこと言ったんだよ!?」

 

「女の子に服脱げっていうのがもうセクハラなんだよ~。口にしちゃいけない言葉だよね」

 

 そういうのを言葉の揚げ足取りというのだが、実に反論しにくい責め方でもある。

 

「それにさっきからずーっと脚を凝視してるじゃない。お兄ちゃんは元から女に色目を使うエロ紳士なんだし、いーやらしいー」

 

 酷い言い掛かりだった。

 

「ああーないないないわ~ありえねーわ。そりゃあれだ、自意識過剰すぎってやつだぜェ」

 

 俺だって欲情する相手くらい選ぶ。

 

「毎度毎度同じ様なことばっか言ってっけど」

 

 10回、20回、もっとか? とにかく昔から同じ様な問答を繰り返してるせいでもう何度目になるかすら覚えてもなかった。

 

「この俺様は年下のおチビちゃんなんぞにゃあ興味ねぇわけよ。な? 分かるだろ?」

 

 好みの女を挙げてみろというのなら彼女の従姉が真っ先に思い浮かぶ。

 

 俺はネリーと呼んでいたが、出て、引っ込んで、出て、もう堪らないほどのいい女だ。

 

 この少女と同じでその従姉にも勉強を教えてもらったりすることが有る手前、間近で拝む完熟ボディに青い性を刺激されること数えきれず。

 

 もし誘われたら二つ返事で了承しているだろう絶対の自信があった。

 

 しかしながら現実は厳しく、俺は少女の従姉から全く相手にされてない様で、あくまで『従妹の友達』としか見られていなかった。

 

 世の中上手く行かない物である。

 

 だが、そんな俺の好みを知っているのにこの少女はというと、お構いなしに突っ掛かってくる。

 

「はいはーい! この身はもうお兄ちゃんが見向きもしない小さなショーガクセーではなく、大人の一歩手前たるコーコーセーにして立派なレディなのです。年下とかそういう定義からそろそろ外れる年齢でもありま~す」

 

 小柄な身体で背伸びして両手を大きく広げながら精一杯の自己アピール。

 

 涙ぐましい努力もその体躯の所為で無駄に感じる。

 

「いやいや高校生にしてそのタッパ(身長)じゃ立派なおチビちゃん過ぎるだろ」

 

 意地を張ったところで俺より頭一つ分くらい背が低いから所詮はおチビちゃんだ。

 

「辛うじて年下のナナちゃんに勝ってるぐらいで、そのナナちゃんともどんぐりの背比べじゃねーかよ」

 

 “ナナちゃん”というのは彼女の従妹でネリーの腹違いの妹。

 

「ナナちゃんにはちょっとだけ勝ってるもん」

 

「数センチ程度の微々たる差だろ。誤差だぜそんなもん」

 

 ナナちゃんは中等部から高等部に上がったばかりなのだが、そのついこの間まで中学生だった少女と彼女は成長具合が殆ど変わらないくらいで、彼女が大人ぶるのは少し無理があった。

 

「それを言うに事欠いてレディだぁ~? 笑わせんじゃねーよ。悔しかったら俺ちゃんを誘惑できちまうような大人の女子力を身に付けてみやがれってんだ。ええ~身長以外で具体的には~? 乳、尻、太股でござ~い。全部ないじゃんお前」

 

「人が気にしてることをこれでもかと突き付けるなんてサイテー……」

 

「へっ、サイテーでもなんでも現実に伸ばすべき処がいっぱいなんだからしょーがねえ。お前の貧弱ボディ見てるとお兄さん哀しくなっちまうぜ」

 

 胸に関してだけ若干クリアに近付いてきているが、それでもまだ貧弱だ。普通なんてのは巨乳好きの俺から言わせりゃ論外。

 

 コレの従姉様方の無敵艦隊上等なオムネサマには逆立ちしても勝てっこない。

 

「ま、簡単にまとめるとだ。オメーにゃ成長度合いと女性フェロモンが圧倒的に足りてねーの。わかるかなぁ?」

 

「むぅぅ……、悪口混じりに女を否定されたみたいでな~んか引っ掛かる言い方ぁ」

 

「否定はしとらんぞ、足りてねぇと言っとるだけだ。──っと悪い、よく見りゃ小坊の頃よりかはずっと伸びてるわ──身長」

 

 俺から見て目下になる桜色の頭を。

 

「ほれ」

 

「きゃふ」

 

 ぽんぽん叩いてやった。

 

「よかったな~、このくらい手を伸ばしたらオメーの頭を触れるくらいにゃ背が高くなってんぞ~?」

 

 ぽふぽふ叩いては汗に濡れた彼女の桜色の髪の毛を掻き回す。

 

「うう~やめてよもうっ、髪の毛くしゃくしゃになっちゃうじゃないっ!」

 

「どうせ汗でびーっちょびちょなんだから気にすんなってぇ。おらおら~ぐ~りぐり~」

 

「や~め~て~っ」

 

 まあ彼女も随分と背が伸びた。下げ気味に合わせながらもかなり近くなった彼女との目線に、時が経つのは早い物だと感じる。

 

「いや~正直よくここまで頑張って背を伸ばしたもんだよ」

 

「なにそのチョー上から目線」

 

「実際上から見下ろされる立場じゃねえかチビ助。俺はな、未だにお前がユフィの一個下だなんて信じらんねーんだぜ?」

 

 ユフィとはネリーの妹で同じくこの少女の従姉に当たるが、その一つ年上の従姉とこの少女とは洒落にならないスペック差が有り過ぎて、てんで勝負になってない。

 

「まあな、お前もお前なりに成長はしてるんだけどな。うんうん大っきくなったぜ色々と。比較対象を絞ればだけどよ」

 

「うう~っ」

 

 それでも昔は大平原だった胸部にも二つの丘が盛り上がってきていて、引っ付かれたりしたとき等は無駄に動揺してしまうのは男の性なのでなんともしがたい敗北感に打ち拉がれざるを得なかったりして。

 

 最近になり少し……ほんの少しだけ。

 

 彼女に“女”を感じることもあるにはあったのだ。

 

「俺様も驚きだぜえ。あのちっこい幼女からおチビレディに大変身だ。かっかっかっ立派立派」

 

「……ひょっとして喧嘩売ってるの?」

 

「そう機嫌悪くすんなって。なんつーのほら。美人とかいうより“かわいい系”ってやつ? かわいいかわいい~」

 

 かわいいかわいいと、更に頭をグリグリ撫で回してやったらまた彼女に睨まれてしまった。

 

「いい加減にしてってば! そういうのが一番ムカツクんだからっ!」

 

 一応正当に褒めたつもりだがどうも彼女は気に入らないらしい。

 

「ワリィワリィ。丁度撫でやすい位置に見事なまでのピンクヘッドがあるもんだからついな」

 

 しかしそれも一瞬のことだ。

 

「……もういいよ」

 

 睨みを利かせて細まっていた目は次の瞬間には大きく見開かれて、いつもの明るい笑顔に立ち戻っていた。

 

「どうせいつものお兄ちゃん流照れ隠しなんだろーし」

 

「照れてねえ隠れてねえ。自分に都合良くばっか考えてんなよ?」

 

 彼女という人間は毎度のことながら捕らえ所のない性格をしていると思う。

 

「でもさぁ、そうやって興味ないって妹扱いされている年下の幼馴染みはアニメじゃよくヒロインしてるよね~。お互いに近すぎて気持ちが分からないとか何とか? だけど最後はハッピーエンドみたいな」

 

「だからどうしたってんだ」

 

「ここにも居るよ年下の幼馴染みが」

 

「で?」

 

「フラグ立たない?」

 

「…………いや、いやいやいや立たないだろ普通」

 

「ええ~っ」

 

「ええ~っじゃねェよアニメじゃねぇんだし。幼馴染みったって俺とお前と幾つ歳が離れてると思ってやがんだ? 一回り近いんだぜ一回り。アニメだとしても殆どの場合は対象外でフラグの立ち様がねぇから。それとも、そんな突っ掛かってくるってことはお前は俺に襲って貰いたいわけか? 彼女無し歴=年齢で日々欲求不満な俺様を慰めてくれるってんならご希望通り襲ってやってもいいんだぜお嬢ちゃんよぉ?」

 

 もちろん本気ではなく話の流れ的な軽い冗談なのだが。

 

「やだ」

 

 思いっきり拒否されてしまった。

 

(冗談を真に受けられても困るっつーの)

 

 俺も彼女に童貞を卒業させてもらおうとは思ってない。仮定の話だが、もし本気でそんなことをすれば彼女の父親からどんな目に遭わされるか。

 

(あの無表情なチビ親父が鬼の形相で切れてる処なんてのはちょっと想像できねぇけど)

 

 彼女の父親は沸点があるのかも疑わしいくらいに怒りの感情を見せたことがない60代半ばの温厚なブリタニア人男性だ。

 

 老人といって差し障りない年齢だというのに、その外見は10歳くらいの少年といった信じられない姿をしている不思議な父親は、一見温厚そうな性格に見えても身内のことについてはかなり危ない台詞を口にしたことがあった。

 

『子供達の身に何かあれば、ボクは日に影に子供達を傷付けた相手を追い詰めるかもね。キミも含め皆ボクのことを温厚な性格であると考えているようだけれどもこれでも子を持つ人の親さ。愛する家族を傷付けられて黙っていられるほどに大人しい人間じゃないよ』

 

 大日本帝国と神聖ブリタニア帝国を中核とする環太平洋経済圏内でグループ企業を率いている創業者一族らしく、何も持ってない一個人とでは力の大きさが違うのだ。

 

 もしも、なにかの間違いで彼女を傷付けたりしたら? 

 

 物事をあまり深く考えない主義で、なんでも楽観視する悪癖を持った自分でさえ、その話をした時の彼女の父親には寒気がした。

 

(うん、あのジジイだけはマジギレさせたらヤベー)

 

 彼女の父が、付き合いこそ長い相手で娘と親しい友人関係にある男とはいえ、大切な娘を傷物にされて黙っているか? 

 

(そっちの方がねーぜ……、俺が同じ立場ならそいつの家に殴り込みを掛けるに決まってるもんな……。まあ、コイツがどうとか、そんなもん抜きにしたリアルな話で考えても、あのおっさん切れさせると俺マジヤバなんだけどよ)

 

 自分の持つ人生観や考え方について何度も叱られたことはあったが、切れさせたことはない。

 

 飲み友達といった気楽な間柄でもあるが、同時に常日頃から生活面でお世話になっている身の上というのもあり、基本的には逆らえないのだ。

 

 金持ちだとか権力者だとか、その前にもう生活生命線に直結してくる話で本気で怒らせてはいけない相手と俺の中では位置付けられていた。

 

 だからこそこれは所詮いつもの冗談話であり枠内から逸脱することではない。

 

 そう考えていたら。

 

「気持ちが籠もってないんだもん」

 

 OKなのか拒否しているのか判別しがたい返答を彼女がしてきたので、これはこれで困りものだった。

 

「籠もってたらいいのかよ……」

 

 こうして彼女がしつこく絡んでくるのは昔からのことだ。何年も続く心許せる友達関係というやつ。

 

 昨日今日に始まった事じゃない。

 

「そんなことばっか抜かしてやがるとマジで襲っちまうぞこら」

 

「うわっ強姦魔ぁ! 怖いよパパぁ! 犯されるぅ!」

 

「うっせ黙れ! 隣近所に聞こえて通報されたらどうしてくれるんだよ俺の社会的信用が消滅もんになっちまうじゃねーか! お前の親父からもヒデー目に遭わされるだろうし俺くん超破滅よッ?!」

 

「エエ~っお兄ちゃんに社会的信用ー? なんてどあつかましい」

 

「うぉい! そこは心配するとこだろ?!」

 

「本当に無い物だから気にするだけ無駄なんだよ無駄無駄。いっその事とことんパパに怒られちゃえばそのいい加減な生き方も少しは矯正できるんじゃない?」

 

「ヒデー……この冷血女め……」

 

「だって本当のことなんだもん。信用無くすようなこといっぱいしてきた癖に今更そんなこと言ったって説得力がないっての」

 

「ああァ? おうコラクソチビ。真面目で誠実に生きてるこの俺様のどこ見てンなこと抜かしてやがんだよ?」

 

「生き方に決まってるじゃない」

 

「だから夢に向って頑張りながら清く正しく誠実に生きてるだろ」

 

「寝言ば~っか。まったくもう、へそで茶が沸いちゃうよ」

 

 やれやれと頭を振る彼女のその仕草が堂に入ってる。

 

 こういうときの彼女は必ず逃げ道を塞いでくるから話を切り替えて誤魔化してやろうと思ったが、どうやら一足遅かったようだ。

 

「いいよ、だったら信用できない事例の数々を列挙したげるからその腐った耳かっぽじってよーく聞きなさい。まず家賃滞納でしょ」

 

「うっ」

 

「家賃払わない癖に家主の娘に借金するし」

 

「くッ……!」

 

「家主の家に上がり込んでは毎夜の如くタダ飯食べてく図々しさ」

 

「ぐッ」

 

「昨日と今日で言ってることがコロコロ変わる芯の無さ」

 

「うぐッ」

 

「極めつけにお金もないのに勝てないギャンブルを繰り返す駄目人間っぷり」

 

「ぐあッ……!」

 

「とまあ適当に挙げてみただけでもこんなに沢山出てくるわけだ。そんないい加減で図々しくて計画性皆無な人に“社会的信用”なんてものが微塵でもあると思ってましたかぁー?」

 

 小さな手を伸ばしてぺしぺしと頬を叩いてくる彼女の言う事がなまじっか事実なだけに反論が出来なかった。

 

「いい歳してどれだけ自分に都合良く物事を考えるかなあこのダメ夫くんはぁ。私のキャラじゃないのに思わずパパの真似して説教しちゃったじゃない」

 

 なんという憎たらしい。

 

「な、なあ、ちょっとくらいオブラートに包んでやろうとか思わんのかキミ」

 

 声が震えてしまう。まだ社会の厳しさを知りもしないような高校生のガキに説教されるほど苛つくこともないのだ。

 

 もちろん此方の心境を知る由もない彼女が遠慮してくれることはなかった。

 

「思うわけないじゃん事実なんだし」

 

 いや、彼女の事だ。心境を知っていても遠慮なんてしないだろう。

 

 こういう容赦のないところは父親そっくりだった。

 

「んーでもまぁ、痛いと感じてるだけまだ多少の見所はあるかも?」

 

(こんのガキィ~、簀巻きにして窓から捨てたろか)

 

「それにま、もし万が一にもご近所さんに通報されちゃった時は、ちゃんとこっちで手を回したげるから大丈夫だよ~お兄ちゃん♪」

 

「はあ? なに言ってんだよ、オメーみたいな唯の女子高生が何処の何に手ェ回せるってんだ?」

 

「おまわりさんに決まってるじゃん。こう見えても公安とか特高に知り合い多いんだから」

 

 胸を張る彼女の時折出てくる法螺話の類を出されて力が抜けてしまった。

 

「あ~あ、ま~た始まった。始まっちゃったよ妄想少女の法螺話。それ聞かされるとあんまりにもアホらし過ぎてお兄さん怒る気も失せちまうんだよなァ」

 

 なにがそうさせるのか、とにかく彼女は昔から在りもしない突飛な話を口走ることがある。

 

 特高警察や公安には知り合いが居る。偉い軍人さんや政治家の顔をテレビで観ている時に、『この人ってマスコミでは悪いように書かれてるけれど本当は違うのに』等と、まるで会った事があるかのように語るのだ。

 

『口にしても問題無い範囲内でしか話さない』以前そんな意味不明な事を話していたが、勿論全部ウソか冗談なのだろう。

 

 8年程の付き合いの中で、一度でもそんな危なそうな奴や、偉そうな人間と出会した事がないので、自然に分かるというものだ。

 

 彼女の父親にも『本当に問題は無いんだけれど、あまり冗談を真に受け過ぎないように』そう注意されたことがあった。

 

「相変わらず治らんなぁその虚言癖」

 

「嘘じゃないんだけど」

 

「はいはいわーったわーった」

 

 こういう変なところだけは昔から治らないし治す気もないようだ。

 

「天下のブリタニア帝国の自称“やみにいきるひみつこうさくいん”“しーくれっとえーじぇんとサマ”になら日本の特高警察に知り合いくらいおいでになさいますでしょうよ」

 

「もーっ、自称じゃなくてホントなんだってばーっ」

 

「そういう話は俺との間だけにしとけよ?」

 

「うんっ。私とお兄ちゃんだけのヒ・ミ・ツ、だね♪」

 

「いーや。単に変な子扱いされるからだぜ。お前だけなら未だしも、お前の話に付き合う俺まで変に視られちまうじゃんかよ」

 

「ふぅん、結局信じないんだ? ダメダメだねお兄ちゃん……。あ、でも本当に内緒の話だから信じてくれない方が実はいいのかも?」

 

「そら内緒の話だろ。茶店の隅っこで真面目な顔してそんな法螺話をしてたら危ない奴だぜ? 高校の時の連れが居る処でそんな話されたら俺全力で逃げんぞ」

 

「そして私とお兄ちゃんの逃避行が始まると」

 

「逃避行だとまだロマンあっていいけどよォ、小柄なお前を連れて逃げたら俺世間から誘拐犯にされちまうんじゃねーか?」

 

「あははっ、ありそうかも。それじゃ逃避行は3年後までお預けだね」

 

「3年後ってなんで……、ああ……! そういやあと3年でお前成人か」

 

「yes、きっとお兄ちゃんが涎垂らしながら飛び付くほどの“いい女”になってるから期待しててね♪」

 

「中学生みたいなのが成人式に参加してる姿しか想像できん」

 

「もうっ、そんなこと言ってもしコウお姉ちゃん並の身体になったらどぉ落とし前付けてくれるの?」

 

「お前にゃ無理。ネリー並とか頭が高ぇんだよ」

 

「そんなことわからないじゃん。3年あれば女は変わるものなんだから」

 

「8年かけてもこれだけのお前が言うか」

 

「今までは本気じゃなかっただけ!」

 

「おおっ、いいねぇ~なんか新鮮だ。自分でよく口にする台詞をお前の口から聞けると妙な優越感に浸れるぜっ」

 

「うっ、しまった! まさかお兄ちゃんの専売特許な台詞を使っちゃうなんて……! 一生の不覚っ」

 

 軽口をたたき合えるほど気心の知れた仲。最早ツーカーといっても過言ではない彼女との付き合いは長い物で、歳の離れた幼馴染みと、彼女から見れば俺という人間はそう映るのだろう。

 

 よく遊び、よく出掛け、子供にしか見えない彼女の父親同伴で小旅行に行ったことすらある。(ちなみに旅費は全部彼女の親持ち)

 

 自分の小学生時代を写し取ったアルバムを見れば俺も似たような経験をしていたので、彼女の俺に対する距離感が幼馴染みと言えるほどの近さなのはなんとなく分かっていた。

 

 こういう馬鹿な話を平然と出来る関係ってのは、やっぱり有り難いものだ。

 

「馬~鹿なことばっか言ってねーでさっさとそのクソカラフルなピンクっ毛くらいまとめとけ。ちっとは暑さもましになんだろ」

 

「ふーんだ。人の話をホントか嘘かも見抜けない様なお馬鹿サマに馬鹿って言われたくありませ~ん」

 

「そんなら馬鹿と分かりきってる上で馬鹿に対して態々馬鹿っていいやがるオメーはもっと馬鹿でいいんだよな? お・ば・か・さ~ん」

 

「うざっ! 死んじゃえ!」

 

「イヤだブー」

 

 そして俺から見た彼女もまた親友だ。さすがに俺視点で彼女を幼馴染みと言うには無理があったが、彼女が俺をそう見てることもあって俺も彼女に対し幼馴染み的な感じで忌憚なく接してはいる。

 

 実際問題、垣根という物がない間柄、親友・幼馴染み、なんにでも取れる親しみを彼女に対しては感じていた。

 

 そんな歳の離れた親友は俺のことを平気で「馬鹿」だと宣う。記憶している限りの範囲では最も多くの「馬鹿」を俺に投げ付けてくれた酷い奴だ。

 

 確かにアッシュフォード学園という世界的な名門校に通う彼女からすれば、三流の公立校出な俺など本気で単なる馬鹿にしか見えないだろう。

 

 学校抜きの頭の良さだけで論ずるのならもう完全にお手上げ状態。どこにでもいそうな今時の女子高生に見えても、この少女は小学生時代にはもう超高校級の問題さえ解いてしまえていたほどの成績優秀者で、俺なんかとは土台頭の出来が違いすぎる。

 

 それだけに毎年恒例と成ってしまった大学受験に向けての勉強を教えて貰うことも多く、俺が問題を間違える度に「馬鹿」をお見舞いされる機会も増えてしまうという有り様だった。

 

 腹が立つかどうかと言えば、正直に言って腹が立つこともあった。

 

 一回り近く歳の離れたガキに「馬鹿」と罵られるのだからカチンと来もするだろう。しかしながら、言い換えればそれだけだ。

 

 馬鹿を連呼してきても、それは彼女の本音と一致した嘘偽りのないもので、一度興奮を通り抜ければその飾らない言葉には寧ろ清々しい気分にさせられる。

 

 ただ馬鹿にするだけが目的の奴や、俺のことを見もしない奴と違い、彼女は俺を見続け馬鹿と言う。そして最後に必ずこう付け加えてくれた。

 

 “頑張ったね”

 

 嘲笑の意味を持たない心からの言葉にはいつも励まされた。腹の立つ「頑張れ」との違いは、普段の彼女と接していればよく分かる。

 

 自称「俺の味方」は伊達ではない。誰もが現実を見ろと苦言を呈してくる中でも、彼女だけは俺を支持してくれるのだから。

 

 俺にだって中高から付き合いの続く友達は居るが、心置きなく悩みを話せる親友と呼ぶべき相手となると、彼女を置いて他にいないだろう。

 

 女の親友とか、高校までの間は考えた事もなかった。

 

 これが遅咲きの青春……とならないのは、一回り近くも離れた俺と彼女の歳の差にあるのだろうと思う。

 

 初めて出会った当時はまだ小学生だったこの少女を、どうにも俺は“女”として見れない。

 

 見ていたら見ていたで問題大ありだ。自分がロリコンだったと認めたような物だから。

 

 だが美少女……と、そう断言しても言い過ぎでない彼女が、もしも俺と同年代だったのなら或いは。

 

 もし、彼女が大人になってもまだ俺に引っ付きまわっていたとしたら。

 

 年齢差が形骸化する数年後の未来。そのとき俺は、大人と成った彼女を女として視るようになってしまうのではないか? 

 

 俺の有り様を全肯定する唯一の友人を、俺は妹分として見続けることができるのだろうか? 

 

 最近になって時々考えるようになったこれは、きっと2ビットの脳みそが起こした誤作動であると信じたい。

 

(馬鹿馬鹿しいぜ、そんな難しく考える事じゃねえのによ……。大体俺の好みに掠りもしてねえじゃんかコイツは。成長の遅いチビで高等部になってもガキっぽい性格のまんま変わらない。そんなコイツを相手に俺がどうこうなるわけねーだろ)

 

「ん」

 

 悶々とする俺に、柔らかそうなすべすべの手が差し出されてきた。

 

 それはもちろん彼女の手だ。

 

「あ? んだよこの手は? 小遣いくれとか言われたって金ねーぞ。逆に馬に蹴られてピンチとなってしまった俺くんに恵んでくれよ」

 

「それはダメ。もうお兄ちゃんには現金を与えるなってパパに怒られちゃったから」

 

「餌与えるなみてーな言い方だな……。おっさんの中で俺って人間はどんな位置付けされてんだ?」

 

「下手に施しを与えると甘えきってどこまでも堕落していく駄目ニートだって」

 

「なこと言ってんのかよ!? 見た目小坊の貧弱坊やなクセにざけやがってあのクソジジイ!」

 

「酷いよねっ! あんまりだよねっ!」

 

「そーだそーだっ! お前のいうとーり!」

 

 突然怒り出す彼女にさすがは俺様の味方だと思ったのも束の間。

 

「お兄ちゃんだって一人前のフリーターでギャンブル狂で女の子にお金借りてるクセしてエラソーな講釈ばっかり垂れて調子に乗ってる計画性ゼロの立派な大人なのに! ニートだなんて失礼しちゃうよねっ!!」

 

 単にボロクソ言われただけだった。

 

「お前の方が失礼だよ!」

 

 じゃあこの手はなにかと思いきや。

 

 1本の黒い紐が握り込まれている。

 

「紐……?」

 

「うん紐。さっきまとめろって言ってたじゃない。だからお願い」

 

「なぜに紐よ? ヘアゴムかリボンだろ普通」

 

「一応髪留めの一種だから問題無いよ? それにヘアゴムだと髪の毛ぐちゃぐちゃにされて失敗しそうだから」

 

「そりゃまあ失敗するぜ。そんなもん使ったことねぇんだから」

 

「だから紐なんだよ」

 

 意味するところは髪をまとめてくれということらしいが、どうやら彼女は言い出しっぺの俺にやらせようという腹積もりのようだ。

 

 付き合いが長い分、彼女の髪を弄くることはそれなりにあった。

 

 彼女がまだ小さな頃の話だが、リボンで結ぶくらいなら何度も経験有り。

 

 無造作に結ぶ程度だがな。

 

「オメーもうチビっ子の中のチビっ子だった頃みたいな小坊じゃねんだからこーゆーのは自分でやれよなぁ」

 

「だって、まとめようにもこの部屋姿見ないんだもん」

 

「あるわけねーだろ。一人暮らしの男がそんなもん持ってたらキモイっつーの」

 

「お兄ちゃんは持ってなくてもキモイから、ってかウザイから」

 

「締めんぞこのガキャア!」

 

「あっ、今の心無い一言にか弱い女の子の繊細な心が傷付きました」

 

 取って付けたような言い方をして手の平の中身を押し付けてくる彼女は、今も昔も変わらずの口数を誇っているので口では到底勝てそうもない。

 

 ああ言えばこう言うの攻勢に終わりが見えないのだ。思い返せば彼女との口喧嘩に勝利したことは一度もなかった。

 

「とゆーわけで、お兄ちゃんが傷付けた傷心のか弱い女の子へのお詫びも込めてはいヨロシク~」

 

「な~にがか弱いだよチョーシくれやがって、俺はお前ほど図太い神経してる奴にはお前以外で会ったことねぇよ」

 

「それほどでもあるかな? なにせ私のお仕事は壊れてるか図太くないとやってけないしねー」

 

「なんなんだよホントに、お前の仕事ってのは。壊れてるか神経図太くなきゃやってけないとかマジでわからねーんだけど」

 

「だからさー、前から言ってるじゃん。一種のsecret,agentみたいなものだって」

 

「その法螺はもう飽きた……。もういいからその紐よこせ。髪結んでほしいんだろ?」

 

「やったぁ~さすが愛しのお兄ちゃん! なんだかんだ文句言いながらも優しいお兄ちゃんがだ~い好き♪」

 

「調子いいんだよコラ」

 

「えへへ♪」

 

 憎まれ口を叩きつつも飾り気のない黒い紐を受け取る俺は、そのまま彼女の背中側へと回って、桜色が鮮やかに映える髪を首の後ろ辺りでまとめに入る。

 

「このぐらい自分で出来ンだろ、手ェ伸ばしてテキトーに結んどきゃそれでいいのになんで態々俺くんの手を患わせてやろうとか余計なことばっか考えるかねェ」

 

「なにその迷惑がり様。まったくもうっ。こんな美少女の髪を触れるのに喜ばないなんて失礼しちゃうなあ」

 

「おっ? どこ、どこよ美少女? どこにいるんだ?」

 

「目の前にいるじゃん」

 

「だからどこだって聞いてんだろ? ちなみに視界に入る妖怪カラフルピンクヘッドはナシ」

 

「うう~っいじわる! 馬鹿でアホでうざいモテナイくんの癖になんでいつもそんな上から目線なのお兄ちゃんはっ!」

 

 憤慨する自称美少女……、いや、間違いなく美少女なのだがこの場で認めるのは何か納得いかないので自称美少女で押し通す。

 

「っと動くなって、変な縛り方になっちまうだろ」

 

「あ……、うん、ごめんなさい……」

 

「ったくよぉ、頼むぜ?」

 

「は~い、じっとしてま~す」

 

 集めた髪に紐を巻き付けてきつく縛り、解けないように結ぶ。

 

 上手くは結べないが髪を傷付けないように優しくだ。そこらを注意しておけば問題無いだろう。

 

(あ~、なんか俺コイツに誘導されてね?)

 

 お世辞での「頑張れ」を決して口にしない彼女だからか、俺もついつい甘くなってしまうわけだ。

 

 ずっと味方で在り続けてくれる親友の存在は、それだけ俺の中でも大切ってことなんだろうなと、そう思う。

 

「ほらよ、これでいいんだろ」

 

「きちんと結んでくれた?」

 

「きちんとかどうかは知らね。一応解けないようにはしてやったから自分の手で触ってみろよ」

 

 俺が促してやると早速小さな手が首の後ろで髪を束ねている結び目に伸ばされた。

 

「う~ん……」

 

 結び目を触り縛り具合を確認している。

 

 それを見ていると自分で結べるだろうという思いが一層強くなったが、まあダチのよしみで不問にしてやろう。

 

 それに髪を結ばされた程度で文句言うほどこの俺様は心の狭い人間ではないのだ。

 

「うん……よろしい褒めて遣わす。ご褒美に頭をナデナデしてあげよっか?」

 

「いらん鬱陶しい」

 

 からかう彼女をあしらいながら俺は紐で縛って一本にまとめてやった髪をひと撫でしてみる。

 

「にしてもなァ」

 

 まとめてるときから気になっていたがサラッとしたいつもの柔らかさがない。

 

「このやたらと目に眩しいピンクっ毛はどんだけ汗を吸い込んでいやがんだ?」

 

 少し持ち上げてやると水分を含んで重くなっていることがわかる。

 

 この水分のすべてが汗だとすれば、この部屋でじっとしているだけでも終いには脱水症状で倒れてしまうのではないだろうか? 

 

 もしそうなったらこの炎天下を俺が彼女を背負って病院へ? 

 

 幼女だった頃の彼女ならまだしも、今の彼女を背負って歩き回るのは身体に堪えるだろうから止めて欲しい。

 

「仕方ないじゃない。外暑いしこの部屋も暑いしで別に掻きたくもないのに汗いっぱい出ちゃうんだから」

 

「まあそうなんだけどよぉ、このまんま放っといたら髪の毛カピカピになっちまうぜ」

 

 タオルで拭いてもこう暑いとキリがない。そもそもその我が家のタオルが全部俺の汗で臭くなっていて彼女に貸し出せる状態になかった。

 

「うん、わかってるならシャワー貸して」

 

「ねぇよそんなハイソサエチィなもんは」

 

 あったら自分が浴びている。

 

「家賃3万のオンボロアパートになにを求めてるんだお前」

 

「へぇー、家主さまを前にしてそ~んなケチ付けるんだぁ~。ならどうぞ出て行ってくれてもいいんだよ? まともに家賃払わないような住人はこっちから願い下げだしねー」

 

 まるでこのアパートが私の物だと言わんばかりの生意気な態度。

 

 自信ありげなその様は本当に彼女が家主であると勘違いしそうな程に堂々とした物だが、もちろん彼女は此処の家主と違う。

 

「お前のじゃなくてお前の“親父の”だろうが」

 

「そうともいう」

 

「そうとしか言わねーよ」

 

 地上400~600mという強化耐震設計の超高層ビル群と、耐震ブロック構造の建築物が関東平野全体に広がる大日本帝国帝都東京。

 

 北は北極圏千琴から、南は太平洋ポリネシアまでという、広い領域を持つ日本の中心地点。

 

 同盟国ブリタニアの帝都ペンドラゴンと共に、世界で1,2を争うその超巨大都市の都心の一角に、ひっそりと佇む我が愛すべきボロアパート。

 

 高校を出てからずっと此処で生活しているわけだが、初めから破格の家賃3万というわけじゃなかった。元は6万だったところを、このアパートの権利事土地を買い取った彼女の父が半額に下げてくれたのだ。もちろん俺だけじゃない住人全員分一律に。

 

 家主である彼女の父曰く別に親切心からこうしたわけではないらしいが、バイト代も安く塾費用も掛かる俺としては非常に助かっている。

 

「ごちゃごちゃ言ってねーでおとなしく銭湯行って汗流してこいよ。女のクセして髪の毛かっぴかぴじゃみっともねーぞ」

 

「もう仕方ないなぁ、じゃあお兄ちゃんも一緒に行こ」

 

「あん? 俺は行かねぇよ」

 

「なんで?」

 

「金が勿体ねぇだろが。大人420円もするんだぜ?」

 

 毎日通えば420×30で締めて12600円。

 

 月の家賃3万と合計して42600円。これに電気と水道代合わせて1万に携帯料金7千で約6万円だ。

 

 年金と健康保険だって差っ引かれ、更には食費や塾代やらでギリギリの生活を送る俺には銭湯の敷居は高すぎる。

 

「420円ならまだ安い方だよ。800円するところもあるんだから」

 

「あのなぁ、余裕のない生活してる俺と、お前みたいな金持ちのお嬢とを一緒にしてんじゃねえよ。420円の銭湯でも一ヶ月まるっと通えば万札とんじまうってのに、そんな高いとこ行けるかよ……。銭湯なんざもう二週間は行ってねーなぁ」

 

「に、二週間~?」

 

 何故其処で引く? 

 

「本当に行ってないの……? お風呂屋さん」

 

「おうよ。先月は6300円も浮かしてるんだぜ? その気になりゃ一ヶ月でも二ヶ月でも浮かし続けられるってもんよ。どうだ驚いたか」

 

 これぞ俺流節約術。

 

 人間風呂なんか入らなくても死にはしないのだ。

 

「うわぁ~お兄ちゃん不潔。絶対シラミ沸いてるよ……。頭腐って脳みそ腐敗してもっと馬鹿になっちゃう」

 

「頭くらいちゃんと洗っとるわい!」

 

 風呂に入らなくても頭を洗う手段などある。

 

「つーかお前ただ俺の悪口言いたかっただけだろ」

 

「うんそう。だって不潔なんだもん」

 

「だから頭洗ってるって言ってんだろ!」

 

 身体だって拭いている。

 

「どこで?」

 

「台所の水道」

 

「……」

 

「今日みてーな暑い日は気持ちいいんだぜ? 外から帰ってきたときに蛇口捻って流れ落ちる冷たい清流の中に頭を突っ込んだらそらもう地獄から天国よ」

 

 水道の水浴びが誇る気持ち良さを力説してやったわけだが。

 

「…………」

 

 背中側に立つ俺へ身体をゆっくり回転させた彼女は、静かに立ち上がると物悲しい表情を向けてきた。

 

 昔、捨て犬を拾って『心優しい男』な感じにいいかっこしようとしたら好きだった子に批難されて、その子が俺から引ったくった犬に向けていた時の、あの目を彷彿とさせる哀れみの視線だ。

 

 すっと伸ばされてきた手が肩に乗る。ポンッと叩かれたように感じたのは気のせいじゃない。

 

「ねえお兄ちゃん……。もうクララがお金出したげるからお風呂屋さん行こうよ……」

 

「なんだおいクララ。なんでオメーそんな哀れみの目で俺のこと見てやがるんだ」

 

「うん、もう何も言わなくていいからさぁ。ほら洗面器と石鹸と用意して、タオル持って銭湯行くよシンお兄ちゃん」

 

 俺みたいな人間のことでもきっちりと見てくれてる奴──そいつの名はクララ・ランフランク。

 

 ブリタニアの秘密工作員を自称する訳の分からん女子高生で、俺が住むアパートの大家の娘。

 

 高校卒業からこの方、ずっと一緒に遊んでる親友にして腐れ縁の少女だった。

 

「あ、ちょい待て」

 

「なにかな。お風呂のお代は出してあげるけどお金は貸せないよ? パパに怒られちゃう」

 

「ちげぇよ、その話じゃねえ」

 

「じゃあな~に?」

 

「ブラシ持ってねえ?」

 

「ん、持ってるよ」

 

「貸してみ」

 

「かけてくれるの?」

 

「まあついでだからな。髪まとめてからで悪いけどいいか?」

 

「うんうんっ、もちろんいいに決まってるよっ! さ、遠慮無くかけてかけて~♪」

 

「よっしゃまかせろ」

 

 受け取ったブラシを髪に通してやる。

 

「一旦解くか?」

 

「ううん、このままでいい。でも綺麗に梳かしてね」

 

「女の髪なんかそうそう触る機会のない寂しい独り身男の俺に無茶言うな」

 

「そういってもクララの髪は昔から触らせてあげてるでしょ」

 

「お前のだけだろ」

 

「充分じゃない。クララ以外の誰の髪に触れる必要があるの?」

 

「ネリーとか……。あとは中学生の時にいいなって思ってた子とかかねぇ……。ああ~アイツ今どうしてるんだろなぁ」

 

「…………初恋の人?」

 

「まあ、似たようなもん。恋になる前に終わっちまった感があるけどよ……。あの時はちょっとショックが大きくてな、避けられる原因になっちまった犬って動物を嫌いになりかけたんだぜ?」

 

「ふ~ん……」

 

「って、ことでさ。俺のことわかってくれる女ってお前だけなんだよクララ」

 

「うえっ!? う、うん……」

 

「これからもずっと友達で居てくれな?」

 

「く、クララは友達よりも先に進んだ方がいいかも……」

 

「おおっ、そういや俺とお前は幼馴染みの親友だったぜ!」

 

「もうっ、そうじゃなくて!」

 

 鮮やかな桜の色がブラシの黒い毛の間を流れていく。

 

 桜には初受験で落ちたときを皮切りに、毎年苦汁を舐めさせられるときの思いしかないが、彼女──クララを象徴する色でもある。

 

 だから桜色は俺の敵だが同じくらい俺の味方でもあった。

 

「あ~あ、この髪の色みてぇに来年こそは桜が咲いてるといいのになぁ」

 

 指を差し入れほつれていないか確かめる。指の隙間を流れていく汗を含み湿った桜色の髪に思い浮かべるのは来年の俺の姿。

 

 灰色の受験生活なんてもう終わりにしたい。

 

 俺の味方の桜色と同じ桜を咲かせてやりたい。

 

 強く願っても未だ適わぬ遠い未来。

 

 本当に遠い……。

 

「ウン、サクトイイネ、クララハズットオウエンシテルカラガンバッテネ?」

 

「なんだその片言で棒読みな日本語……」

 

「ダイジョウブ。キットゴウカクスル……カモ?」

 

「お前、絶対落ちると思ってるだろ!」

 

「ソンナコトナイヨ」

 

「チキショーめっ! 来年は絶対合格してやっからな!」

 

 

 

 今日も俺は、俺を見てくれている俺の味方──クララと、こうして適当に過ごしていた。

 

 毎年桜の咲く季節を迎える度にこの小柄な友人から贈られる『頑張ったね』を『頑張ってきて良かったね』に変えてやることを夢見ながら。

 

 そんな俺の夢とは、政治家になること。

 

「あとさ、無理って言ってたけど、やっぱ──────―金貸してくれっ!」

 

「ダメっ絶対!」

 

「頼むッ、頼みますッ、クララ様だけが頼りなんですッ! 貴女様は日々金銭の悩みを抱えている俺くんの唯一の生命線なんでごぜーますッ!」

 

「う~、でもパパから“シンイチロウにお金を貸しちゃ駄目だよ? ”って言いつけられちゃったし」

 

「そこをっ、そこをなんとかおねげーしますよ……!」

 

 大学に入り、卒業後は官僚になって、そして政治家へ。

 

 最後はウハウハな天下り生活を手に入れて圧倒的勝ち組になる予定の偉大な男。

 

 俺の名は玉城真一郎。

 

 

 

 現在浪人────9回生。

 

 




以上となります。
なぜ玉城の物語を描いてみたくなったのかを申し上げますと、PS2ソフト【コードギアス反逆のルルーシュ LOST COLORS】内における彼の主人公に対する接し方に好感を覚えたからです。もちろん彼にはすぐ調子に乗る、コロコロと主張を変える、粗暴、叶わない夢を抱く無謀な人、等々のマイナスの面も多々見受けられるのですが、記憶喪失の主人公の為に歓迎会の音頭を採るなど、優しい面もありました。
右も左も分からない不安な主人公の心に、調子の良すぎる彼のうざく笑える行動は、少しばかり『楽しい』と思えるなにかをもたらしたような、そんな印象を受けたのですね。
ですので平和な世界では『官僚から政治家へ』の夢を追い続ける彼の姿を、生暖かく想像してみようと考えられました。
無論、現実は厳しく、彼の思うようには行きません。しかし彼を支えてくれる者が現れたなら? きっと彼は原作とは異なり夢を諦めないとなるでしょう。まあ、そうはいっても彼の輝かしい成功の未来はとてつもなく難しい話でありほぼ実現不可能なのでしょうけれど。
原作と同じような場所へ落ち着くことが彼にとって一番幸せなのかも知れませんね。

それでは、お読みくださった皆様、真にありがとうございました。

どのカップリングの恋愛が見たいですか?(いずれもそれぞれに書いております・また書いていきます。新しいカップリングも増える可能性あり。

  • 嶋田繁太郎×モニカ・クルシェフスキー
  • 嶋田繁太郎×ユーフェミア・リ・ブリタニア
  • 山本五十六×リーライナ・ヴェルガモン
  • 南雲忠一×ドロテア・エルンスト
  • 玉城真一郎×クララ・ランフランク
  • 玉城真一郎×マリーベル・メル・ブリタニア
  • 澤崎敦×井上直美
  • レオンハルト×マリーカ・ソレイシィ
  • 原作ルルーシュ×シャーリー・フェネット
  • ルルーシュ(休日)×ミレイ
  • オデュッセウス×皇神楽耶
  • ジェレミア×ヴィレッタ・ヌゥ
  • 枢木スザク×ナナリー・ランペルージ
  • コーネリア・ランペルージ×ギルフォード
  • 高麗大佐×奥様(書けたら(-_-;)
  • 鳩川雪夫×ストーカー女(書けたら(-_-
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