でも、悠斗君の出番はまだないです。……すんません。じ、次回は出します!
で、では、本編をどうぞ。
咎神の騎士Ⅰ
「──っくし!」
山奥の神社。朝霧に煙る境内に響き渡ったのは、男のくしゃみだった。
日焼けした肌に、前髪はナイフで無造作に切ったように不揃いで、顎には無精髭が目立っている。 本職は考古学者のはずだが、どちらかといえば時代遅れのマフィアの一員か私立探偵。──男の名は、暁牙城。
「うー……寒ィ。 やっぱ本土の朝は冷えるな、畜生」
腕立て伏せを中断した牙城が、汗塗れの身体をタオルで拭う。
牙城がいる場所は、古い土蔵の中だった。 樹木の茂る鎮守の森の奥。 神社の本殿から半ば隔離されたような場所に建てられた、土壁造りの建物である。
床は畳張りで快適ではあるが、窓の位置は高く、外の様子は殆んど解らない。 建物の出入口には頑丈な鉄格子が設置され、複雑な錠前で何重にも施錠され、足首には鎖付きの足枷が嵌められている。 所謂、座敷牢というやつだ。 要するに牙城は、軟禁されているのだ。
神緒多神社を訪れてからの約一週間。 牙城はこの座敷牢から一歩も外に出ていない。 だが、牙城の表情には余裕があった。
畳の上に胡坐をかき、外にいる見張り役の少女に親しげな口調で呼びかける。
「おーい、唯里ちゃん、朝飯まだー?」
「そ、そんなふうに、馴れ馴れしく呼ばないでください!」
頰を真っ赤に染めながら土蔵に入ってきたのは、高校生とおぼしき制服姿の少女だった。 身長は百六十センチ程度。 髪型は清楚な雰囲気のミディアムボブで、斜めに流した前髪をリボン型のヘアピンで纏めている。
彼女が背に背負っているのは、金属製の銀色の長剣だ。 名を――
唯里と呼ばれた少女は、土蔵の鉄格子越しに牙城を見て、ひっ、と怯えたように息を吞んだ。
「な、なんで裸なんですかっ!?」
「あー、これか。 日課なんだよ、トレーニング」
上半身裸の牙城が、全身に白い湯気を纏いながら答えてくる。
「ほら、オレもいい歳だろ。 油断してると腹回りに肉がついちゃって困るんだよな。 ただでさえ、狭い場所に閉じ込められて運動不足だってのによ」
「だ、だからって、そんな恰好で……!」
唯里が目元を覆いながら必死に反論した。 幼い頃から全寮制女子校で育った彼女にとって、男性の上半身裸を見るのは物心ついて以来ほぼ初めてだ。 彫刻ばりの筋肉に覆われた牙城の肉体は、唯里の恐怖を誘うのに十分だった。
しかし牙城は、唯里の心情などお構いなしに畳の上に寝転がって、
「唯里ちゃんも一緒にどうだ? ストレッチを手伝ってもらえるとありがたいんだが」
「ス、ストレッチ……!?」
「そうそう。 おじさんと一緒に気持ちいいことしようぜ」
手招きしてくる牙城から、唯里は表情を引き攣らせて後ずさる。
唯里もストレッチの重要性は理解していた。 トレーニングの後に柔軟体操をするのは理に適っているし、二人組でしか行えないストレッチがある事も知っている。
しかし、牙城のストレッチを手伝うという事は、当然、彼の上半身に触れなければならない。 場合によっては互いの体を密着させることもあり得る。 男の筋肉に触った上に、肌と肌を密着する。 これが、大人への階段を上るということなのか。 男性の相手は初めてなのだが、痛くされたりしないだろうか──などと、唯里が軽く困惑する。
「──って、ぬお!?」
寝そべる牙城の耳元近くに、ズドッ、と金属製の矢が突き刺さった。 狙いが数センチ外れていたら、牙城の左耳は根元から千切れていただろう。
「唯里を誘惑するな、ケダモノめ!」
「し、志緒ちゃん……!?」
唯里が驚愕の表情で、自らの背後を振り返る。
牙城に憎悪の目を向けていたのは、銀色の洋弓を構えた黒髪の少女だ。 また、洋弓の名は――
背格好は唯里とほぼ同じ。 両サイドだけを長めに残したショートヘアのせいか、気の強そうな印象を受ける。
彼女が着ているのは唯里と同じ制服だ。 その制服のスカートの下から新たな矢を取り出して、彼女は再び牙城に狙いをつけようとする。
しかし牙城は、志緒の足元に置かれた食事のトレイを見つけて、
「おっ、飯だ飯だ」
「ふ、服を着ろ! 馬鹿っ!」
上半身裸のまま距離を詰めてくる牙城を見て、焦った志緒が矢を取り落とした。
牙城は鉄格子に身体を預けて、志緒の方へと身を乗り出し、
「ところで、志緒ちゃんさ」
「あ、あなたにちゃん付けで呼ばれる筋合いはない」
「んじゃ、志緒。 いつまでオレを、こんなに入れとく気だ? お前ら、政府の
「市民を保護するための緊急措置だ。 問題ない。というか、呼び捨てもやめろ!」
「緊急措置……ね」
志緒から食事のトレイを受け取りつつ、ふむ、と牙城は唇を斜めにした。
トレイに載っているのは、缶入りの五目飯に沢庵漬け、牛肉の野菜煮という組み合わせ。 メニューとしては豪華だが、明らかに保存食だと解る組み合わせだ。
ともあれ、箸を取り、食事を摂る牙城。
「それに牙城さんの拘束は、緋沙乃様の指示なんです」
「信じられないが、あなたはあの方の息子なのだろう?」
「ちっ……あの婆か」
唯里と志緒の弁明を聞いて、牙城は舌打ちした。
一週間前。 神緒多神社を訪れた牙城を不意討ちで気絶させ、座敷牢に放りこんだのが、牙城の母親、緋沙乃だった。
以来、緋沙乃は姿を見せず、牙城は事情を知らされていない。 凪沙を連れて帰省した息子への仕打ちとしては、最悪といっていいだろう。
「いい歳こいて実の息子を虐待しやがって。 あれはロクな死に方しねェな。 で、その婆さんは今なにをしてるんだ?」
「あなたがそれを知る必要はない。というか、食べるか喋るかどちらかにしろ!」
口に食べ物を含んだまま質問してくる牙城を睨んで、志緒が不機嫌そうに目を細める。
しかし牙城は、出された料理を食べ終えると、
「ふーん。 自衛隊が動き出したのか。 いよいよだな」
何気ない口調でそう言い切った。 それを聞いた志緒たちの顔が青ざめる。
「獅子王機関と連携してるってことは、習志野の特殊攻魔連隊あたりだな。 指揮してるのは獅子王機関の三聖クラス……目的は神縄湖底の〝
「暁牙城、あなた……なぜそれを……!?」
志緒が運んできた料理は、神社で調理されたものではなく、戦闘糧食の一種だった。 簡単な調理だけで食事が摂れるように、予め加工された自衛隊の装備品だ。
戦闘糧食が配給されたということは、志緒たち獅子王機関の関係者から、調理に手間をかける余裕が失われたことを意味している。 本格的な作戦行動が始まったという事だ。
牙城は、食事内容の変化、彼女たちの言質で、正確に当ててみせた。
獅子王機関と自衛隊の連携は、機密度の高い極秘作戦だ。 作戦開始の正確な日時は、唯里たちにも知らされていない。 そんな重要な情報を部外者に洩らしてしまったことに気づいて、唯里と志緒は動揺する。
「少しは鎌をかけたんだけどな。 引っかかってくれて何よりだ。 つか、〝
「相変わらず小賢しいことですね、牙城。 誰に似たのでしょうか……」
立ち尽くす唯里と志緒の背後に現れたのは、合気道風の道着を身に着けた老女だった。
背筋がすらりと伸びている為か、実際の身長以上に背が高く見える。 長い白髪は背中で無造作に結われていた。 頰には年齢相応の深い皺が刻まれているが、凜とした彼女の佇まいは美貌の面影を色濃く残している。
牙城はそんな老女を見上げて頰杖を突く。
「ようやくお出ましかよ、妖怪蛇骨婆」
「誰が妖怪ですか、失敬な」
苛立ちを圧し殺したような口振りで、緋沙乃は言った。
異様な親子のやり取りを、唯里たちは息を殺して見守っている。
緋沙乃の表向きの役職は、神緒多神社の巫女たちを纏める巫司だ。 なので、唯里たちの直接の上司というわけではない。
しかし緋沙乃は、過去、多くの魔導災害鎮圧に攻魔師として協力しており、獅子王機関を含む多くの組織で呪術教官を務めていた。 彼女の教え子の多くは、今でも現役の国家攻魔官として活躍している。 つまり、唯里や志緒にとっては、師匠に近い立場の人物だ。
「凪沙は?」
牙城が、攻撃的な視線を緋沙乃に向けて聞く。
この座敷牢に囚われた後、牙城は、凪沙と一度も顔を合わせていない。 凪沙が体調を崩したという情報を、唯里たち経由で与えられただけだ。
「もちろん無事ですよ。身体の方も回復しました」
表情を変えずに緋沙乃が告げる。
牙城は、空になった戦闘糧食の缶を眺めて、そうか、と静かに呟いた。
「……凪沙の安全は絶対だ。 凪沙に何かあったら、奴が黙ってない……」
緋沙乃が眉を顰める。
「……『奴』。とは誰の事ですか? 牙城」
「……紅蓮の小僧だよ。――――紅蓮の織天使」
牙城の言葉に、三者は目を丸くする。
すると志緒が、
「……ぐ、紅蓮の織天使だと。 噂話じゃなかったのか!?」
「……志緒。 紅蓮の織天使はちゃんと存在するんだよ。 つーか、紅蓮の小僧は化け者だぞ。 例外になる奴らは兎も角、あいつにはつけ入る隙がない」
それもそのはず、悠斗には朱雀の守護。 玄武の気配感知。 青龍の稲妻。 白虎の牙。 そこに、自身の超直感だ。 悠斗は例外を除き、隙が全くない。
「紅蓮の小僧にとって凪沙は、世界の全てと言っていい。 何かあったら飛んで来るぞ、あの小僧は。――もしもがあったら、最悪、殺されるぞ……」
『何かあったらオレも小僧の対処じゃね。』と心の中で牙城は思い冷汗を額に一筋流した。
牙城は悠斗に、凪沙の安全を保障した。 だが、それを破るとなると、排除の対象となるかも知れない。
緋沙乃は嘆息した。
「大丈夫です。 此方の用意は万全、儀式も成功するでしょう」
「儀式……だと!?」
牙城は鉄格子に指をかけ、緋沙乃に詰め寄ろうとする。
「お前ら、凪沙に何をする気だ……!? つか、オレの話を聞いてなかったのか!? 儀式なんかして失敗して見ろ、オレたちは全員共犯者で、小僧の排除の対処になるんだぞ!」
「心配いりません。 儀式は成功させ――」
凪いだ湖のように平坦な声音で、彼女は告げた。
「アヴローラ・フロレスティーナを殺します。 今度こそ、完全に」
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
暁凪沙は、浴槽の縁に頭を載せて、のんびりと溜息をついていた。
神緒多神社の巫女たちが暮らす社寮の大浴場。 岩風呂風の天然温泉だ。 浴場内には他の人影はない。 広々とした浴槽を独占して、凪沙は温泉を満喫していた。
「ふー……気持ちいー……」
澄んだ水面を漂いながら、凪沙が満足げな呟きを洩らす。
浴槽のお湯は、熱すぎず心地好い温度だ。 噂によればこのお湯の効能は、筋肉痛や関節痛の治癒、病後回復や美肌効果など。 何よりも重要なのは、消耗した霊力を癒す優れた霊泉という事だった。
一週間前、凪沙は何故か意識を失い倒れてしまった。 しかも、凪沙の血に宿る眷獣の反応もない。 何故、眷獣たちの存在が感じられないか不思議でしょうがなかった。 もしもの対策がされていた?と勘繰るが、いやいやそれない。と首を振った。
そして、凪沙に対して祖母の緋沙乃が命じたのが、この温泉を使っての入浴だった。
要は、時間が許す限り温泉に入って、体力を回復させろ、という事らしい。 凪沙が温泉に浸かっているのは、それが理由だ。
水が合うという言葉があるが、実際、凪沙の肉体は神緒多の霊泉に良く馴染んだ。 絃神島という巨大な龍脈から離れた事で、無自覚に体力を消耗していたのだろう。 なので祖母は温泉を勧めてくれた。 凪沙はそう結論付けた。
「やっぱり温泉はいいよねえ。 雪菜ちゃんたちも一緒に来られたらよかったなー。 ここ混浴らしいしなぁ。 悠君と一緒に入りたかったかも……」
凪沙は誰に言うともなく呟いた。 独りぼっちの入院生活が長かった反動か、口数が多いのは凪沙の悪癖だ。
寝込んでしまった上に、神社の所在地がスマートフォンの圏外という事もあり、古城とは一週間、まったく連絡が取れていなかった。 凪沙に対して過保護な彼だから、今頃は大騒ぎしているに違いない。
「悠君が、安全を知られてたと思うんだけどなぁ。……古城君は、心配してるよねぇ。まったくもう、過保護すぎだよ」
古城のスマートフォンの留守番電話サービスには事情を吹き込んでおいたのだが、古城がそれに気づいたかは定かではなかった。 焦りの余り、古城が無茶な行動に出ていなければいいのだが、と凪沙は余計な心配をしてしまう。
その時──ガラガラガッシャンッ、と派手な騒音が浴場に鳴り響いた。
少し遅れて、ひゃあっ、と頼りない悲鳴も聞こえてくる。
「だ、誰!?」
凪沙は慌てて水面から頭を出して振り返った。
積み上げてあった湯桶の山が崩れ落ち、その隣に尻餅をついている人影が見える。
凪沙と同い年くらいの小柄な少女だ。 濡れた岩で足を滑らせて、裸のまま仰向けに転倒してしまったらしい。
「ご、ごめんなさい。すみません、ごめんなさい」
あうう、と弱々しい声を洩らしながら、少女はもたもたと起き上がり、散らばった湯桶を片付け始める。 見るからに大人しく、気弱そうな雰囲気の
泣き出しそうな不安げな表情をしているが、もともとそういう顔立ちらしい。
生まれつきの体質なのか、彼女の髪の色は白かった。 神々しいまでの純白だ。
しかし、凪沙の目を奪ったのは少女の髪ではなく、彼女の胸元だった。
「で、でかい……」
少女の裸を凝視しながら、凪沙はごくりと唾を吞む。 小柄な体つきからは想像もつかないほどの巨大な二つの膨らみが、少女の動きに合わせて弾んでいた。 形といい大きさといい張りといい、凪沙の理想を体現したような胸である。
そんな凪沙の視線に気づいたのか、白髪の少女はおどおどした態度で顔を上げ、
「あう……お、お見苦しい姿をお目にかけてしまいまして」
「いえいえ、そんな」
結構な
湯桶の整理を終えた少女が、身体を流して遠慮がちに湯船に入ってくる。 神社の職員にしてはずいぶん若い。 間違いなく、凪沙とは初対面のはずだ。
「あのっ、ここの神社の方ですか?」
少女は、少し慌てた様子で首を振り、
「ち、違います違います。ちょっとした事情があって、今だけお世話になってるんです」
「だったら、私と同じですね」
少女に共感を覚えて、凪沙はにこやかに微笑んだ。 祈りや憑きもの落としの為に、神緒多神社を訪ねてくる客は多い。 彼女も訪問者の一人なのだろう。
「わ、私、白奈といいます。 闇白奈」
ぎこちない口調で名乗りながら、少女が頭を下げた。 凪沙もつられてお辞儀しながら、
「よろしくお願いします。 えっと、私は──」
「し……知ってます。 暁凪沙さん、ですよね」
凪沙が自己紹介をする前に、白奈が凪沙の名前を言い当てる。 凪沙はぱちぱちと目を瞬いて、
「そうだけど……どうして……?」
「緋沙乃様のお孫さんが来てると聞いていたので」
「そっか。 お祖母ちゃんの事を知ってるんだ」
「はい」
白奈はおずおずと頷いて、自分の胸元に目を落とした。 彼女の胸の膨らみが、ほんのりと桜色に染まりながら、透明な水面に浮かんでいる。 深い胸の谷間が作り出す絶景は、氷河に彩られた美しさを連想させた。
凪沙が一瞬我を忘れて、食い入るようにその光景を見つめていると、
「あの……もしよかったら、触ってみますか?」
もじもじと頰を赤らめながら、白奈が自分の胸を凪沙に向けた。
「え? いいの!?」
「す、すみません……なんだか、気にしてるみたいだったので……」
「う、うん。 実は……でも、本当にいいの?」
「はい。 こんなもので喜んでいただけるなら」
「じゃ、じゃあ遠慮なく!」
白奈の気が変わらない内に、と彼女の胸に触れる凪沙。 包み込むように丸めた凪沙の両手の掌から、白奈の胸が零れ落ちる。
「おお、こ、これは……!」
経験したことのない手触りに、凪沙の気持ちが一気に上がる。 密着した掌に伝わってくるのは、ずっしりと心地好い重量感だ。
「柔い……それでいて、このしっとりとした弾力。 吸いつくような肌触り……絶品だよ!」
「う……う……」
白奈は唇を嚙みながら、凪沙の蹂躙に耐えている。 恥じらいに満ちたその表情が、凪沙の気分を更に盛り上げた。
「ふわあああ……危なかった……意識が遠のくところだったよ……」
白奈の胸を堪能して、凪沙は名残惜しそうに手を離した。
白奈は顔を真っ赤にして俯いたまま、
「ま、満足していただけましたか……?」
「うん。 いやー……気持ちよかったよ。 ありがとね」
「そう……ですか」
涙で潤んだような眼差しで、白奈が凪沙を見返してくる。 そして白奈は、口元に妖しげな笑みを浮かべた。 伸びてきた彼女の右手が、凪沙の二の腕をそっと握る。
「では、次は私の番ですね」
「へ……!?」
白奈に引き寄せられて、凪沙は間の抜けた声を洩らした。 反射的に逃げ出そうとした凪沙を背後から抱き寄せて、白奈が肌を密着させてくる。
「ふふ……凪沙さんの背中、綺麗です」
「ちょ、ちょっと、白奈さん……!」
「だめ。 自分だけ他人のことを触るのはなしですよ」
耳元に息を吹きかけられて、ひっ、と凪沙は全身を硬直させた。 電気が流れたような感覚が背筋を這い上り、手足に力が入らない。
「で、でも、ほら、凪沙なんて幼児体型だし、白奈さんみたいに立派じゃないし、朝ご飯食べすぎちゃってお腹ぽっこりで……」
「いやいや。 膨らみきらぬ蕾には蕾の風情があるというものよ。 己に自信を持つがいい」
必死の説得を続ける凪沙を嘲るように、白奈がクッと喉を鳴らして笑った。
先ほどまでの気弱げな彼女とは別人のように力強い口調だ。 声色も心なしか変わっていた。 老人臭い口調のせいか、年齢不詳な印象を受ける。
「し、白奈さん……そ、そこはちょっと……ひゃっ!?」
脇腹あたりの敏感な部分を白奈に触れられて、凪沙はたまらず悲鳴を上げた。 白奈の人格は、さっきまでの彼女とは明らかに別物だ。 多重人格、或いは憑依──詳しい原理は不明だが、なんらかの理由で性格が激変している。 もしくは今の白奈こそが、彼女本来の人格なのかもしれない。 白奈の急激な変化に、凪沙は為す術もなく翻弄される。
ぐったりと脱力した凪沙は、半ば朦朧とした状態で水面に仰向けに浮かんでいた。 そんな凪沙の首筋に、白奈が舌を這わせてくる。 白奈の白い髪が自ら意思を持つように動いて、凪沙の肌にそっと巻きついた。
「白奈さん、あなたは──!」
凪沙が大きく目を開いて白奈を見た。 弛緩していたはずの凪沙の全身が、恐怖で再び強張った。 凪沙が見ているのは白奈本人ではなく、彼女の内側に潜む異質の魂だ。
「さすが緋沙乃の孫じゃな。 儂の本性を、こうも簡単に見透かしてくれるか」
白奈が感心したような口調で告げてくる。 彼女の束縛から逃れようと、凪沙は必死に抗うが──、
「怯えずともよい。 我は魔族に似て真なる魔族に非ず。 寧ろ其方に近しい存在よ──十二番目のアヴローラ」
「い、いやっ……! だめ!
抵抗を続ける凪沙の瞳を、白奈が至近距離から覗き込んでくる。 その瞬間、凪沙の意識が弾け飛んだ。 流れ近んできた膨大な情報で、頭の中が真っ白に染まる。
凪沙は力尽きたように動きを止めて眠りに落ち、彼女を見下ろして白奈は自らの唇を舐めた。
意識をなくした凪沙の身体を、白奈は片手で抱き上げ浴槽を出た。 彼女が左手を一閃すると、虚空から真新しい白装束が現れる。 それを横たえた凪沙の上にかけ、白奈は自らも新たな白装束を羽織った。
それが合図になったように、金色に輝いていた白奈の瞳から光が消えた。
元の気弱げな表情に戻った白奈は、目の前で倒れている凪沙に気づいて息を吞む。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
凪沙の寝顔にそっと囁きかけて、白奈は静かに目を閉じた。
白奈には二つの意思がある。 何世代にもわたって引き継がれてきた闇の意思。 そしてもう一つは、闇の力の器としての彼女だ。
力を使うかを決めるのは闇の意思だが、実際に力を操るのは彼女──。
彼女もまた、闇の原罪から逃れる事はできないのだ。
『ごめんなさい。』と白奈はもう一度呟き、彼女の頰を涙が流れ落ちていく。
自分が誰に赦しを請うているのか、それすら理解できないままに――。
これは、大晦日に起こった話ですね。リンクが切れたのは大晦日の夜です。牙城たちのやり取りから、大分時間が立ってますね。
ではでは、次回もよろしくです!!
追記。
牙城は、〝