Code Geass ~Lost Colors~ 永遠の〇 作:阿寶
王とは――
天下を天命を持って治めるモノ。
善悪の倫理に囚われず、全の為に躊躇いなく個を殺せるモノ。
故にそのモノは英雄であり、暴君である。決して凡夫暗愚であってはならぬ。
つまりそれは、決してヒトであってはならない。
――では、神とは?
・・・神聖ブリタニア帝国という国がある。
現在では世界の3分の1をその領土として治める超巨大国家であるが、もともとはブリタニア公リカルド・ヴァン・ブリタニアが興したフィラデルフィア公国という小国がその礎であった。
ブリタニア大陸へと亡命を果たしたエリザベス3世の崩御後、リカルドはブリタニアの始祖アルウィンを皇祖とし、自らを第79代ブリタニア皇帝として国名を神聖ブリタニア帝国と改め帝政を敷いた。
勿論のことだが、当時のブリタニア大陸には神聖ブリタニア帝国の他に、スペイン、フランス、ポルトガルといった欧州の有力な国家が多くの植民地を持っていた。
それらの国々に対して圧倒的に国力で劣っていた当時のブリタニアが、僅か10余年の間に北ブリタニア大陸の全てを併吞するほどの巨大国家へと変貌を遂げたのには訳がある。
ある一人の王の存在があったためだ。
皇位を手に入れるために、実の兄弟姉妹を謀殺した王がいた。
数多の列強諸国を蹴散らし、会心の進撃を成し遂げた王がいた。
反逆を起こした有力貴族達その全てを、一夜にして粛清した王がいた。
悪逆無道の限りを尽くし、人民を恐怖と怨嗟の坩堝に叩き落とした王がいた。
その王の名は、神聖ブリタニア帝国第81代皇帝、シヴァ・イクス・ブリタニア。
リカルド・ヴァン・ブリタニアの第四子。
その数多の偉業悪行により、彼には幾つもの異名が後世に伝えられている。
曰く、軍神。曰く、征服帝。曰く、暴君。曰く、魔王。
だが、最も彼を上手く描写し、最も後世に広く知られている二つ名は――“狂王”であろう。
即ち、狂った“王”である。
◆
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薄暗い謁見の間の玉座に、一人の男が悠然と座していた。
虚無を想わせる冥界の如き深い闇と、陰鬱な死を宿す翳った蒼い瞳。血を求める妖刀のように鈍く輝く、腰まで届くほどに長い銀色の髪に、絶対零度の魔性の美貌。
その風貌はまるで、魔界を統べる王のように妖艶な残虐さを秘めており、この世の全ての悪意を全身に収束しているかのようだった。
もう日はとうに落ち、空は夜の闇が支配している。
呪われた女神リリスがその男を祝福しているかのように、絢爛なステンドグラスから差し込む妖しき月の薄明かりが、彼を優しく包み込んでいた。
静寂に包まれた謁見の間の外から幾つかの重々しい足音が響き渡った。何者かが彼の座する玉座に向かって歩を進めている。
甲冑の擦れあう音が次第に大きくなっていき、謁見の間への扉が厳かに開かれた。
壁に灯された幾多もの蝋燭の弱々しい光と月明かりにより、入来してきた男達の出で立ちが淡く照らされる。
その者らは豪奢な甲冑を纏った騎士達。
彼等は玉座まで一直線に敷かれた赤絨毯の上を歩き、男へと続く階段の手前で立ち止まった。
そして速やかに膝を着き、深くその頭を垂れて臣下の礼を取る。
銀髪の男の怜悧な顔が僅かに苛立ちで歪む。
だが、それは一瞬のこと。そのほんの僅かな表情の変化を見抜けた者はその場にはいなかった。
男は玉座から無感動に騎士達を見渡した後、先頭でひれ伏す老年の騎士へと視線を向けた。
「陛下、このような時分での謁見、どうかご容赦賜わりたく。しかし、このザムディン。どうしても陛下に申し上げたき儀がございますれば」
赤い外套を見に纏った精悍な容貌を携えた老年の騎士ザムディンは、そう告げると僅かに顔を上げ、玉座に座した男を見上げた。
何かを強く訴えかけるような騎士の視線に対して、男は感情を感じさせないような冷めた瞳で見据え返した。
「・・・その言、今ここで
男がそう告げると、ザムディンは彼を睨みつけるように見据えた。
しかし、睨む老年の騎士の瞳に宿っていたものは、怒りではなく強くも悲しい悲愴の覚悟だった。
「・・・陛下、何卒、こたびの遠征は御再考下され。ルイジアナのフランス軍を掃討なされてからの絶え間なく続く南大陸への外征で、我々は多くの将兵を失い、民は飢え、国は疲弊しきっております! 今は国外にその御目をお向けになる時ではなく、戦乱により衰退したこの国を内政にて立て直すことこそ、為政者たる王の御取りになられる道かと! 陛下! 何卒!」
懇願するザムディンを凍りつくような冷たい眼で見つめ続ける男。
彼は
本来ならば、皇族の中でも卑しき血筋を引くこの男が、皇位を継承するなどということはなかったはずだが、彼はそれを力で奪い取った。
立国当初、欧州から遠く離れた大陸にできた小国の一つにしか過ぎなかったブリタニアを、敵対する欧州列強諸国の植民地を併呑し、大陸全土を平定するまでの巨大帝国に創り上げたのも、この男の力によるものだった。
「兵も、民も、この国も、全ては余のものだ。それをどう扱おうが全ては余の裁量の内。兵を失ったのならばまた増やせばよい。民が飢えるというのならば屠った敵の血肉を喰らわばよい。今、国がいくら疲弊しようが余さえ居れば良い。弱きものどもは支配という庇護を乞い、余の元へと集う。その有象無象が余の新しい力となる。御旗さえ健在であるならば、いずれの時にも国の再生は成る」
冷たく言い放つ王。ザムディンは血が滲むほど強く歯を食いしばらせた。
「…人心は、すでに陛下のもとを離れておりまする」
それは不敬と取られても可笑しくない諌言であったが、この時ザムディンは既に己の死を覚悟していた。
今日ここを訪れたのは決して王の説得のためではなかったが、彼は万に一つの望みに賭け、己が主にそれを試みたのだ。
「――笑止。徳で世を治めるつもりなど、もうとうの昔にない」
王はザムディンの言に気分を害することもなく、相も変わらず無感動に彼を玉座から見下ろしていた。
逆に心を乱されたのはザムディンの方であった。彼は王の返答に驚き、落胆し、悲しみ、そして憤った。
そんな彼の心情の変化に若干の興味を示したのか、王はニヤリと口元を僅かに歪め、一人ごちるように語り始めた。
「国を治めるために絶対的に必要なもの。それは圧倒的な力により与えられる恐怖と絶大なる力を持つ支配者への信仰。そして、その恐怖と狂信的信仰により形成される不可侵の秩序。蜂起を繰り返してきた民も、叛旗を翻した貴族どもも、余の無慈悲な粛清を目の当たりにし、己の、人としての生を諦め、与えられた運命のみを受けいける家畜と化した。今では、余の力を畏れ神と崇め奉るものすら居る」
「――あの者達が崇めているのは、陛下の御徳ではなく、その“狂器”でございます」
ザムディンが重々しく、口を開いた。
その言葉を聞き、王は冷たい笑みを再び口元に浮かべた。
「フフッ、構わん。徳であろうと狂器であろうと、神であることに変わりはない」
その笑みを見やり、ザムディンは静かに訊ねた。
「陛下は―― 神に御成りになるおつもりですか」
王の双眸が狂喜の色を宿した。
「そうだ。王とは言え所詮は人。どれほど優れていようといずれは老いさらばえて朽ちていく。余が朽ちれば、今まで築き上げてきた律が乱れ混沌が生じよう。だが、神は不滅だ。余は“約束の地”へと還り“唯一の神”となる。そして永久にこの世の悉くを統べて魅せよう」
冷徹の仮面が崩れ落ち、我執我欲に塗れた狂喜の笑みが王の満面に現れる。
だが、王はすぐにその笑みを消し、今度は焦燥と怒りを感じてギシリと歯を鳴らした。
「しかし、口惜しきかな、神の名を戴く高みには、聖地への帰還には、まだ足りぬのだ、届かぬのだ! この世界の生きとし生けるもの全てに余の絶対的威光を、圧倒的恐怖を、知らしめるまでは!」
恍惚とした笑みとともに狂った思想に酔い痴れる王に、ザムディンは一瞬絶望で顔を曇らせた。
だが、再び覚悟に満ちた光をその眼に宿して彼を睨みつけた。
「――最早あの御優しかった陛下はここには御座されない。ここにいるのは一人の狂った鬼でありまする。・・・このザムディンも、お慕いする陛下を救うため鬼となりましょう!」
ザムディンがそう言い放つと同時に、彼の部下であろう男達が抜剣し、怒声をあげた。
「狂王シヴァ! 今こそ討つべし!!」
王は、猛々しい号令をあげ殺気立つ兵士達を前に慌てる様子も見せず、ただ狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
玉座から嘲笑と共に愚物共を見下ろし続ける王。そして、彼は凍てつくように残酷な言葉を発した。
「――死ね――」
王の両目に不死鳥を模したような真紅の紋様が浮かび上がった。
彼の眼の中に映し出された不死鳥は、その赤き羽根を羽ばたかせながら雄々しく飛び立ち、その場にいた全ての者を覆い尽くし、そして彼らの五感全てを浸食していくようにその魂へと溶け込んでいった。
「イエス! ユア マジェスティ!!」
信じられない出来ごとが起こった。先ほどまで王を誅殺せんといきり立っていた兵士達が、手にした剣で自らの喉元を一斉に掻っ切っていったのだ。
動脈から鮮血を吹き出しながら絶命していく兵士達。ザムディンはその尋常ではない光景を、唯々唖然とした表情で眺めていることしかできなかった。
彼らは皆、ザムディンの忠臣であった。
ザムディンは今日この場所に、己の命と引き換えに一人で訪れるつもりだった。
しかし、彼の覚悟を知った臣下達は再三の諌めを受け入れず、最期まで彼と共に逝く道を選んだ。
その様の中、王は何かを思い出したようにザムディンに語りかけた。
「そう言えば、貴様には“一度”使ったことがあったな」
ザムディンは暫く自分の部下に何が起こったのかが全く分からなかったが、王の言葉により何かを悟り、尊い命を失った部下を想って深く目を閉じた。
「・・・信じてはおりませんでしたが、これで確信が持てた気がいたします。“彼奴等”が陛下を神と崇めるもう一つの理由が。・・・しかし、どういう事情があったのかは知りませぬが、私には効かなかったようですな。その神の威を借る力は・・・」
ザムディンは目を見開き、王を鋭く睨みつけた。
対する王は静かに玉座から立ち上がり、傍らに立て掛けられていた厳かな意匠が施された大太刀とも言える程に長い刀を徐に掴み取った。
そして、左手に持たれた刀の柄にそっと右手を添え、眼下のザムディンを睥睨した。
「主君に剣を向けたとは言え、貴様はよく余に仕えてくれた。よって、せめてもの手向けとして余の剣によって葬ってやろう」
王の言葉に、ザムディンは悲愴の表情に少し喜びを混じらせた。
この男との剣を交えた決闘に、武人としての血が騒いだこともあるが、幼少のころから見守り続けてきた彼がどれほど剣の腕をあげたのか、彼の師の一人として身を持ってそれを感じることのできる喜びが、ザムディンの悲痛をいくらか慰めた。
「陛下、私は卑しくも陛下の御身を守るために選ばれた最強の騎士団、ナイトオブラウンズの一人、ナイトオブツーのザムディン・ゴッドバルトでございます。いかに老いたとは言え、まだまだ陛下には負けませぬ。我が剣を持って陛下を、その御心に巣食う鬼から御救いいたしましょう」
抜剣し、その巨剣を中段に構え、全身から凄まじい闘気を放つザムディン。
対する王は刀の柄に手をかけたままで微動だにしない。
「――余を討ちとった後、貴様はどうするつもりだ。この国は?」
王は静かにザムディンに訊ねた。
「・・・サティア様とアルティマ様が居られますれば。あの御二人ならば、陛下が身罷られた後、この国を立派に引き継がれていかれるでしょう。・・・私めは、陛下とともに地獄へと参る所存。そこでまた、陛下の御身のためにこの剣を奮いたくございます」
ザムディンは力強い笑みを口元に浮かべ、巨剣を握る両の手に更に力を籠めた。
「・・・余の後を継ぐものか。貴様にそのような儚い望みを与える前に、サティアはやはり始末しておくべきだったやもしれぬ。アルティマは、余が神となれば塵と消えゆく存在故・・・」
目の前のザムディンを無視するかのように構えを解き、口元に薄く掌を当て、少し考え込む素振りを見せる王。
ザムディンは、彼のその心ない独白にみるみる顔を青ざめさせていった。
「あれほど・・・! あれほど御寵愛なされていた妹君のサティア皇女を・・・ 何たることだ」
ザムディンは唇をかみしめ、その瞳から大粒の涙を落した。
「もはや、貴方様の中の鬼が、そこまで御心を蝕んでいたとは・・・!」
その瞳に、王の心の中に巣食う悪魔に対し、激しい憎悪の念を宿すザムディン。
「このザムディン・ゴッドバルト! これより討つものは神聖ブリタニア帝国第81代皇帝、シヴァ・イクス・ブリタニア、その人に非ず!! その御身心に巣食いし悪鬼羅刹なり!!」
老体とは思えぬ速さで一気に玉座へと続く階段を駆け上がり、瞬時に必殺の間合いへと入り込むザムディン。
握りしめた巨剣を振り上げ、怒号とともに王に斬りかかる。
だが、確殺の一撃が振り下ろされるまでの刹那、ザムディンの脳裏に、幼き日の王の笑顔が浮かぶ。
その尊き想い出が、ザムディンの“仮初め”の殺意を霞め、彼の剣速を鈍らせた。
王はその刹那で鞘から刀を抜き放ち、電光石火の如くザムディンの胴体をその甲冑ごと切り裂いた。
「ぐはぁぁあ!」
ザムディンが苦悶に喘いだ声をあげた。
飛び散る鮮血が二人を赤く染め上げていく・・・
・・・王の刀は、ザムディンの体を完全に両断する半ばで止まっていた。
彼の膂力をもってすれば、ザムディンの体を真っ二つにすることは容易ったはずだが、彼はそれをしなかった。
王は、自分自身の意思で、ザムディンを切り裂く刃を止めたのだ。しかし、それは返って彼に耐え難い苦痛を与えることとなった。
「・・・御・・・事です・・・ 陛下・・・ そこまで・・・お強く、られたとは・・・」
ザムディンはその時、確かに見た。
刹那ではあったが、己を切り裂く王の表情に動揺と困惑が確かに見て取れたのだ。
握りしめていた巨剣を掌から毀れ落とすザムディン。
そして、痛みと失血で震えるその両手で、ゆっくりと王を慈しむように包み込んだ。
「・・・下に、まだ、人の・・・心が・・・」
ザムディンは涙を流しながら、その胸の中に王をしっかりと抱きしめた。
王はその表情を変えることなく、彼の体に刀を突き立てたまま、まるで人形のようにぴくりとも動かなかった。
「・・・どうか、方・・・様の・・・御・・・心に・・・食う・・・悪鬼に・・・打ち勝・・・下され・・・」
ザムディンは体を震わせながら、血と涙にぬれた顔で王を見つめた。
次第に黒くぼやけていく視界の中で、彼が永久の忠義を誓った人の顔を、実の子供と変わらぬ程に愛情を注いだ人の顔を。
「・・・ライ様・・・」
――ライ
それは王が心を失う前の本当の名前。
父親からではなく、母親が彼に与えたもう一つの名前だった。
体をのたうつ激痛に耐え、まるで父親のような慈しみを籠めて王の真名を呼ぶザムディン。
その口からは大量の血が吐き出され、切り裂かれた腹からは夥しいまでの黒々とした血と醜い臓物が飛び出ていた。
王は、ザムディンの腹に刺さった刀を引き抜き、抜き去った刀で彼の胸を深々と貫いた。
今度は、その心の臓を正確に。
冷たい躯と化した老年の騎士は、崩れ落ちて床に伏した。
その開いた瞳を閉じるため、王は騎士の顔にそっと掌をあてる。
彼の脳裏に一瞬、遠き日の想い出が過ぎる。
幼い自分と大好きな妹と母親、そしてそんなシヴァとサティアを一生懸命にあやすザムディン。
なれないことに困惑し悪戦苦闘するザムディンに、まるで大好きな父親に甘えるように、容赦なくじゃれつくシヴァとサティア。
そして、そんな幸せな光景を、優しく見守る母親。
そんな暖かい日々は、彼の人生の中でほんの僅かに起きた奇跡のような時間だったが、あの時、確かに彼は幸せに満ち溢れていたのだろう。
――ただ、守りたいだけだった
王の、この世の悪意の全てを映しだしたような瞳に、暖かで儚げな光が差し込んだ。
しかし、それはほんの一瞬のこと。すぐに幼き日の想い出は、シヴァの心の中の鬼に喰い殺され、彼は"もとの"狂王へと還る。
王は謁見の間を抜け、ふらついた足取りでテラスへと赴いた。
その体はザムディンの返り血を浴びて、赤黒く染まりきっていた。
頭上の月が妖しく彼を照らしあげる。
鈍く輝く赤く染まった銀色の髪は、まるで鮮血を啜り恍惚とした笑みを浮かべる生きた魔剣のような、禍々しい気配を漂わせていた。
「ふ・・・ ふ、ふふ・・・ ふはは、ふははっははっははっはっはっはははぁぁ!!!」
王は月に向かい、狂王の名にふさわしいような狂った笑い声を高らかにあげた。
その瞳から一粒の滴が、頬をつたい、綺麗な弧を描いて流れ落ちたことを、彼は知る由もなかった。