Code Geass ~Lost Colors~ 永遠の〇   作:阿寶

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第一章 出会いと旅立ち
Scene1: Hallo, My name is “Lie”①


 

深い闇の中をただ一人歩いていた。

いつ覚めるかもわからない悪夢の中を、少年は毎夜彷徨い続けていた。

闇に包まれたその空間は、その静けさに似つかぬほどの憤怒と悲痛と絶望が混沌として混ざり合っている。

どれだけ歩こうと、どれだけ走ろうと、その暗黒は常に少年を中心に在り続けた。

 

明けない夜はない。

その闇も例外ではなく、やがて少年は一筋の柔らかな光へとたどり着く。

すがるように、その光へと手を伸ばす少年。

光に触れ、少年は安らぎに満ちた暖かさを全身に感じた。

 

 

――そして、朝は訪れた

 

 

 

 

 

a.t.b 2017.4

 

 

カーテン越しから差し込む眩しい朝日に照らされて、少年はゆっくりと重い瞼を開く。

布団からゆっくりと上体を起き上がらせて、彼は「またか」と溜息を零すように小さく呟いた。

毛布は、いつの間にか蹴り飛ばしてしまったのだろうか、彼が寝ていた布団から大分と離れた場所に捨て置かれていた。

体を纏う何とも言えないじんわりとした不快感に、少年はげんなりし、そっと顔を手で覆う。

それで、頬が乾ききっていない涙と汗で、軽くべたついていることに気付いた。

 

少年は毎夜必ず悪夢に魘される。

しかしそれがどんな夢だったのかは、いつも目覚めた時には綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

サッと起き上がってから、棚にあったタオルで不快な汗を拭い、淡々と纏っていた寝巻を脱いで仕事着に着替える少年。

それから部屋を出てバスルームに向かい、間抜けな顔で歯を磨き、顔を洗って、鏡の前で寝ぐせのついた髪を霧吹きで湿らせて、櫛で梳きながら軽くドライヤーを当てる。

寝ぐせ直しが終わると、暫くの間、鏡をじっと覗きこむ少年。

自身の顔ではなく、丁寧に梳いた髪を睨みつけている。

曇天の空のように鈍い輝きを放つ少年の銀色の髪は、陽の光の当たり具合で白にも黒にも似た色合いを見せた。

 

「・・・むっ」

 

不機嫌そうな小さな唸り声をあげ、少年の顔が少し強張った。

先ほど解したはずの寝ぐせが、梳いた場所から順番に規則正しく跳ねあがっていったためだ。

これはつまり、寝ぐせではなく彼の髪質の問題なのだろう。

いくら梳いたところで髪は元気よく、目覚めたときの形へと戻っていく。

少年は自分の髪と少しのあいだ奮闘したが、やがて白旗をあげ、溜息を軽くついてバスルームを後にした。

 

バスルームを離れた少年は、離れの渡り廊下を渡り、木造の古き風情を感じさせる建物の中へと入っていった。

その建物の廊下を歩き、突き当りを右へと進むと、そこには引き戸によって仕切られた一つの部屋があった。彼は一瞬、気まずそうな顔を浮かべ、その戸を開けた。

そこは調理場だった。そして、少年と同じような白いかっぽう着を着けた人々が、忙しそうに朝食の準備をしていた。

彼はキョロキョロと人々を見渡しながら、少しばかり隠れるような様子で身を僅かに屈めて、厨房の中を歩いた。

 

「おせぇぞ! オメェいつまで寝てんだ!?」

 

一人の男が、そんな少年に気づき怒鳴り声をあげた。

「ばれたか」と心の中で舌を出す少年。

 

「ははは、すいません。朝が苦手なもんで」

 

少年は軽く頭を掻きながら悪怯ったはにかみ笑顔を見せた。

彼の遅刻は毎度のことなので、注意した男は大きな溜息をついて大げさに呆れてみせた。

 

「はぁ~、これだから最近の若いのは! 普段から弛みきってる証拠だ。どんな仕事でも時間を守るってのは最低限のルールだぞ!」

 

「ほんと、すいません。赤城さん」

 

相変わらずの笑顔を浮かべながら、何度も頭をぺこぺこと下げる少年。

赤城と呼ばれた男も「これ以上は何を言っても無駄だろう」と悟り、非難を止めて少年に指示を飛ばした。

すると少年は、さっきまでのどこか人を食ったような態度をすっかり潜ませて、彼の指示通りにテキパキと仕事をこなしていった。

慣れた手つきで包丁を扱い、見事なまでの腕前で魚を捌いていく。

 

(いつもながら見事なもんだ)

 

赤城は思わず少年の手捌きに見惚れてしまう。

少年は此処で働きだした時から、捌き方を始めとする調理方法を誰かに教わった訳でもないのに、完璧にそれらをこなしてみせた。

遅刻の常習犯ではあるが、仕事としては即戦力となってくれたし、勤務態度も真面目で面倒見も良いし、人好きする性格をしている。

時間にルーズな人間を基本的に信用しない赤城だが、少年に限っては(彼が朝起きられない理由を知っていることもあり)仕方のないことだと半ば諦めてもいた。

 

 

 

「おはよう、ライ。また重役出勤ね」

 

誰かに後ろから声を掛けられて、少年は魚を捌く手を止めて振り返った。

そこには、質素だが気品に満ち溢れた着物に身を包んだ、一人の女性が立っていた。

凛とした立ち姿は正に麗人といった処だろうか。背が高く、白皙のように白い肌に小さく整った顔立ち。

やや目じりの下がった切れ長の両瞳の下には、何処か妖艶さを醸し出す泣き黒子がそれぞれ一つずつある。

髪型は、長く艶やかな黒髪を綺麗に後ろで結いとめていた。

 

「あ、おはようございます。ヤエさん」

 

「こらオメェ! ヤエさんじゃねぇだろ! 女将さんと呼べっていつもいってんだろぉが」

 

少年――ライのぶしつけがましい挨拶に腹を立て、軽くその頭に拳骨を喰らわす赤城。

ライは「いてっ」と殴られた頭を庇うように右手で摩り、そして彼から顔を背けた状態で女性――ヤエに悪戯っぽく舌を出してはにかんでみせた。

彼女はそんな二人のやり取りを見て、思わず優しげな笑みをこぼすが、すぐに呆れた素振りを見せて手をポンポンと軽く叩いた。

 

「二人共じゃれ合ってないで、急いで準備しないと間に合わないわよ。もう7時半なんだから。お客様方の朝食の時間は8時よ」

 

「へ、へい。女将さん。ちゃんと時間には間に合わせますよ」

 

「そうですよ。大丈夫です。僕はいつもちゃんと間に合うように計算して、このくらいの時間に起きてきているんですから」

 

「嘘つけ! この」

 

調子のいいやり取りを続ける二人。だが、ふとライは殺気を感じ取った。

その殺気の源がヤエだったことは言うまでもない。

彼女はその顔に穏やかな笑みを浮かべてはいたが、それが逆にライにとっては恐怖だった。

 

「ライ・・・ それじゃあ貴方、今までずっと故意だったってこと?」

 

「っげ」

 

 

 

ライという少年は、1年ほど前からこのような平穏な暮らしを送っている。

それ以前、彼がどこで何をしていたのか。それは当の本人にさえわからないことだった。彼は自分自身に関する一切のことを忘れてしまっているのだ。

ようやく思い出せたのは、自分が“ライ”と誰かから呼ばれていたということだけ。

しかし、それすらも自分の本名であるかはわからない。

唯、誰かが自分をそう呼んでいたような気がする。あくまでそれだけなのだ。

 

 

此処はエリア11。

皇歴2010年、神聖ブリタニア帝国との戦争に敗れ、日本という名を奪われた国。

そして名前の代わりに国とその国民には番号が与えられた。

ブリタニア人と他の劣等種族を区別するための番号。

彼ら、日本人に与えられた番号は11――イレヴンだった。

 

神聖ブリタニア帝国は世界に対し戦いを挑み、その圧倒的軍事力により、数多の国を瞬く間に併吞していった。

その後、ブリタニアは制圧した国々の人々と、本国のブリタニア臣民とを明確に区別するための国是として、このナンバーズ政策を強き、属領出身者に対して非人道的な弾圧を行い、服従を強制した。

多くの国々がブリタニアによって制圧され、その名を奪われていった。

もちろん、ブリタニアの支配に反発するテロ活動も多くの敗戦国で勃発したが、ブリタニアの武力の前になすすべもなく鎮圧されていった。

やがて、人々は自分達の国名、国籍、名誉、尊厳の奪還を諦め、ブリタニアの支配により限られた自由の中で生きることに順応していった。

 

エリア11は、そんな敗戦国の中では例外的なエリアであると言える。敗戦後から今日に至るまで、いまだに各地で多くのテロ活動が起こり続けているからだ。

なぜエリア11――日本では、ブリタニアによる苛烈な武力弾圧にもかかわらず、小規模な戦闘や紛争が後を絶たないのか。

その理由としては、日本という国本来の特質と、神聖ブリタニア帝国のエリア11に対する政策など、いくつかの要因が重なりあっているためであるのだが、ここでは詳しい説明は割愛する。

 

そんな状況下のエリア11で、どうして記憶もない少年――ライがこのような安穏とした生活を続けられているのか・・・

 

彼が今、日々の住居としているところは、名誉ブリタニア人と呼ばれる人々によって営まれている山梨県川口湖畔近辺に位置する日本旅館である。

記憶をなくして当てもなくさまよっていたところ、ひょんなことから此処の旅館の女将ヤエとその家族を助け、その恩もあってか、彼女が経営する旅館で住み込みで働いているのだった。

 

ナンバーズでありながら、ブリタニア帝国臣民として一定の権利を与えられた人々の総称、それが名誉ブリタニア人だ。

基本的に、ナンバーズと呼ばれる属領出身者が、ブリタニアの管轄する各区役所にて登録申請を行い、その後、認定されるための適正試験をパスすることで、名誉ブリタニア人になることができる。

しかし、戦前からブリタニアに恭順的だった家系のものや、一定以上の財力を持った家系などの所謂“裕福層”は自己申請する必要はなく、ブリタニアによって特例的に名誉ブリタニア人となる権利を与えられる。

この旅館の女将――西園寺ヤエは後者の名誉ブリタニア人に当たる。

だが、前者にしろ後者にしろ、属領出身者のナンバーズの出であることには変わらず、本国出身のブリタニア人からはイレブンと区別される人々同様、差別の対象となる。

付け加えて、同胞である日本人からも、命欲しさにブリタニアに魂を売った売国奴として嫌悪と侮蔑の対象となる。

 

 

「きっちり間に合いましたよ。赤城さん」

 

ライは、丁寧に盛り付けられたお造りを赤城に見せつけ、得意げに笑った。

 

「ばっきゃろう。仕事をこなすコトと決められた規則を守るコトってのは別次元の話だ」

 

「まぁ、その通りですよね」

 

最もなことを言われて、少し反省したように軽く溜息をつくライ。

先ほど、ヤエから冷たい非難の眼差しを浴びたことが、実のところ相当堪えていた。

そんな具合に朝食が出来上がると、控えていた仲居達が大急ぎで御膳を客間へと運んでいった。

 

ライは朝の仕事をひとしきり終わらせて朝食を取った後、軽く休憩を取るために厨房を抜け出し中庭へと出た。

中庭には大きな桜の木が一本、美しい花を満開に咲かせながら、悠然と聳えていた。

風が運んでくる桜の淡く甘い匂いと僅かに湿った古木の匂いが鼻を掠める。

中庭に差し込む穏やかな陽の光は、ライを淡い春眠へと誘おうとする。

そんな風に呆けた様子で、風に舞い散る花弁を眺めながら縁側に腰掛け一人佇むライ。

 

「おはよう、ライ」

 

声をかけてきたのは綺麗な長い黒髪を靡かせた可憐な少女だった。

乳白色のファーニットを羽織り、少し扇情的なデニムのホットパンツを穿いている。

モデルのような長身に、美しく整った輪郭とくっきりとした目鼻立ち。そして、あどけなさは残るが何処か妖艶な切れ長の瞳。

彼女の長い睫毛は、その雅な顔立ちに一層のアクセントを付けている。

瞳の色は黒いが、その容姿はオリエンタルというよりも、どちらかと言えばオクシデンタルだ。

背丈はあるが、ほっそりとした線の細い体と、ホットパンツからすらりと伸びた長い脚はまるで雪のように白く美しい。

そのスレンダーな体格とは対照的な、ふくよかな胸部のライン。

幼くもなお優艶なその笑顔は、彼女とすれ違うもの全てが心を奪われてしまうと思える程の神々しささえあった。

 

・・・唯一気になるところがあるとすれば、その少女の2本の長い前髪の癖毛が、触覚のようにピョコンと跳ねているところだろうか。

 

「おはよう、ユキ。今日学校休みだったっけ?」

 

ユキと呼ばれた少女は、この旅館の女将、ヤエの娘で、ついこの間16歳の誕生日を迎えたばかりだ。

彼女は少しおバカな質問をしたライに呆れた素振りを見せて、彼の隣に腰掛けてきた。

風に散らされたいくつかの桜の花が、ユキの綺麗な長い髪にひらひらと舞い落ちる。

艶やかな黒髪に落ちた花の淡い桃色が、彼女の端麗な容姿に、儚い程の美しさを添えた。

 

「今日は建国記念日だよ。ライ、ちゃんとカレンダー見てる? この前も日曜日におんなじこと聞いた」

 

ライは間の抜けた笑顔を浮かべ「そうだっけ」と首をかしげて舌を出した。

 

ユキのいう建国記念日とは、もちろんエリア11のそれではない。

神聖ブリタニア帝国第79代皇帝リカルド・ヴァン・ブリタニアが、エリザベス3世から皇位を禅譲されたことを記念しての建国記念日だ。

ユキが通っている学校は名誉ブリタニア人専用の学校で、ブリタニア人が通う学校ではない。

学生の人数も学校と呼べるほどの規模ではなく、ほとんど寺子屋や塾といった感じだった。

 

「じゃあ今日はヤエさんのお手伝い? ユキは偉いよね。どこかの弾丸小僧とは大違いだ」

 

「ライはダンのことを悪く言えないよ。今日も朝遅刻して赤城さんに怒られたんでしょ?」

 

「あはは、そうでござった」

 

ダンというのは、ユキの(暦年で見ると年子になる)2つ下の弟で、本当に手の負えない悪ガキだった。

思い起こせば1年前のライとユキ達との出会いも、きっかけはダンがブリタニア貴族といざこざを起こしたことが原因だった。(しかし、そのときは、どちらかと言えば貴族の側に非があったのだが)

そんなわけで、今もそこらへんを弾丸のように駆けまわっているのだろう。

 

不意にユキが少し心配そうに、ライの顔を覗きこんだ。

 

「やっぱり、“あの夢”のせい?」

 

問いかけられてライは、苦笑を交えたような表情を浮かべた。

 

「うん。もう一年も経つのに、あれだけは本当に毎晩のように見る。起きた時にはあいかわらず全部忘れてるみたいだけど」

 

ライは少し自嘲的ともとれる笑顔を浮かべて、彼女に対しておどけて見せた。

だが、彼女は変わらず、少し悲しげで憂いを帯びた瞳でライを見つめ続けていた。

整った美しい顔をじっと自分の方に向けてくる彼女に、ライは思わず照れてしまい顔をほんのり赤らめた。

 

「・・・やっぱり、その夢ってライの失くした記憶が関係しているのかな。思い出すことが出来れば、夢の原因がわかるかも」

 

「そうかもしれない・・・ けど、あんな悲しくて辛い感じの夢を見せるような記憶なら、ひょっとしたら忘れたままの方がいいのかもしれないな」

 

「あ・・・ ごめんなさい」

 

ユキは慌てて、ライから視線を外し、少し顔を俯けてしまう。

ライは気遣わせてしまったことを悟り、「気にしないで」と笑顔を作って彼女に促した。

朝、ライがあまり時間通りに起きられないことには彼が見る悪夢が関係しているため、ヤエやユキはそのことに関して彼を強く非難することはしなかった。

彼女達は、ライが毎夜尋常ではない魘され方をしているのを知っていた。

 

「ユキ、それでも僕は自分の記憶を取り戻したいとおもっているよ。自分自身が何者なのか、何かするべきことがあったのか、家族や友人と呼べるような存在が僕にもいたのかどうか」

 

「そうだよね。記憶が戻れば、ライの本当の居場所が見つかるかもしれない。私もライが誰なのか昔からすごく興味あるし。ひょっとしたら、皆の言うとおり何処かの国の王子様なのかもしれないね」

 

ユキは笑顔を作り、ライの横顔を見つめたが、彼女の瞳の奥にはどこか憂いのようなものがあった。

 

――記憶が戻ればいい

 

それは決してユキの本心からの言葉ではなかった。

もし、ライが失った記憶を取り戻せば、きっと彼は自分達のもとから去っていくことになるだろう。

彼女にはそれがわかっていた。

 

初めて出会ったあの日、彼は白い拘束具を身にまとい、その虚ろな瞳は深い悲しみを宿しているようだった。

彼のあり様は、彼が何処かに長い間囚われていたことを想像させるに容易かった。

関われば、自分達にも危害が及ぶかもしれない。だが――

 

――自分は犯罪者であり、恐ろしい力を持った悪魔だ

――自分に関わるとあなた達はきっと不幸に苛まれることになる

 

そう言って、ユキ達の前を去ろうとした彼を、ヤエは呼びとめた。

彼女達には、ライが罪を犯した人間だとはどうしても思えなかった。

出会った彼と話をするうちに、彼女達は彼の人となりを知った。

他愛のない話を重ねる内に、その虚ろだった瞳は綺麗で優しげな色を取り戻し、零れる屈託のない微笑みはまるで汚れを知らぬ無邪気な子供のようだった。

ユキ達の前から去ろうとしたのは、自分達のことを気遣っていたためだということを、その時二人は悟っていた。

だからこそ、ヤエは去りゆこうとするライを強く抱きしめ、彼女の元に留めた。

 

――あなたが自分の本当の家族を思い出すまで、私達があなたの家族になる

 

母親の胸に抱きしめられたライは、その時、咽ぶように激しく泣いていた。

後にも先にも、彼があれほどの涙を見せたのはその時だけだった。

ユキは今でも、その時にライが流した涙を覚えている。

とても長い年月引き裂かれていた母親との再会に泣き崩れる幼い子供のように、ユキの眼には彼がとても儚く、愛おしく映った。

 

ライの記憶が、明るいものなどでは決してなく、悲しみと苦しみに彩られたものであり、間違いなく何かしらの危険を内包しているであろうことはユキにもわかっていた。

そんな記憶が彼に戻れば、きっと彼をまた苦しめることになるし、なにより彼は出会った当初のように自分達の前から姿を消そうとするだろう。

そして今度はきっと、誰にも彼の決意を止めることができないことも。

 

それだけは、今のユキには耐えられないことだった。

 

「王子様なんて僕のガラじゃないよ。大体そういう人ってのは、身の回りのことは何でも他の人がやってくれるから生活力がないでしょ。その点、僕は何でも自分でこなすことができる」

 

「不思議だよね。記憶を失くしてるのにそういう生活知識はちゃんとあるんだもの」

 

「万能人間だろ?」

 

「ふふ、器用貧乏っていうんじゃない?」

 

ユキの冗談に「それは言わないで」と軽く落胆するライ。

ユキはくすくすと小さく可愛げのある笑い声をあげて、落ち込むライの頭を優しく撫でた。

 

「髪、また延びたね」

 

ユキは鈍色のライの髪を優しく愛でるように梳いた。

ふんわりと、彼女が付けていた甘い香水の匂いがライの鼻を優しく擽った。

ちょっぴり幸せな気分になってしまうライ。

それから、照れを隠すように子供じみた感じで、鬱陶しげに呟いてみせる。

 

「うん、だいぶ目にかかるようになってきた。まぁ、長い方が癖が目立たなくていいってのもあるんだけど」

 

「今日は朝食の片付けが終わったら、お昼まで特にやることないんでしょ。後でまた切ってあげるよ」

 

ユキは髪を切るのが非常に上手い。というか、全般的に手先の器用さが求められることは何でも得意だった。

多才さで言えば、彼女もライの“器用貧乏”に匹敵するものを持っている。

一年の付き合いの中でライもそのことを熟知していたので、安心して彼女に髪を預けることができた。

(余談だが、出会った当初ライの髪はユキよりも長く、よく女性と間違えられるほどだった。その髪を切ったのもユキだった)

 

「じゃあお願いしよっかな。けど、あんまり短くし過ぎないでね」

 

「どうして? ダンくらい短くすれば男の子っぽくて格好いいと思うよ」

 

「う~ん。僕は今より少し短いくらいが一番格好いいと思うんだ。どこかクールでミステリアスな感じがするでしょ?」

 

「ほんと、ライってナルシストね」

 

「自信に満ち溢れていると言ってくれ」

 

ライのナルっぷりに呆れて溜息をつくユキに、冗談めかした微笑みを浮かべて舌を覗かせるライ。

正直な処、ユキもライの今の髪型が彼にはとてもよく似合うと思っていた。

ライは、無口でいるとその表情はとても怜悧で美しく、長めの銀色の髪がその顔に何とも言えない高雅な気配を漂わせる。

 

・・・だからこそ、ユキはライの髪を短くしたいと思っていた。

たまにユキの家に遊びにくる同級生や、旅館に訪れるブリタニアの女性観光客でさえ、彼の容姿に心を奪われるものは少なくない。

言い寄ってくる女性に対し、ライはいつも(外面(ソトヅラ)用に取り繕った)天使の笑顔で優しく対応するので一層タチが悪い。今では彼に会うためにこの旅館に訪れる観光客さえいる始末だ。

最悪だったケースでは、彼を使用人として引き取りたいと申し出たブリタニアの貴婦人もいた。

もちろん丁重にお断りしたのだが。

そんな事件もあり、ライには接客ではなく主に厨房での仕事が任されるようになり、なるべく客と顔を合わせないような配慮が取られるようになった。

 

ライとユキがそんなやり取りを続けていると、中庭の勝手口が外側から開かれ、一人の少年が姿を現した。

彼は縁側に座っていた二人を確認すると、何処か悪戯っぽい笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「うぃっす! ライ兄、それとユキ姉」

 

「チョリッス、ダン。なんだ、今日はお前家にいたのか」

 

その少年はユキの弟のダンだった。

顔立ちは流石姉弟ということもあり、ユキに似て眉目秀麗。

長めの睫毛とくっきりとした輪郭、あどけなさは残しているが、はっきりとした目鼻立ち。

だが、目つきは正直あまり宜しくない。切れ長の眼光は狼のように鋭く、何処か危うさのようなものを宿している。

もう一つ残念なことに、身長の方も姉に負けていた。

後、ユキは彼の髪が短いと言ったが、実際はそれほどでもなかった。唯、彼の髪はライ以上に癖の強い逆毛で、髪質も針がねのように硬く、どれほど髪が長くなろうがその重さに屈することなくほとんどの髪が水平以上の角度を保っていた。

 

そんな具合にひょこっと登場した弟君を、ユキは少しムッとした様子で睨みつけた。

 

「ダン、ライはこれから朝食の片付けがあるからあんたとは遊べないよ。だから部屋に戻って勉強でもしてな」

 

「まだ俺なんにも言ってねぇじゃん。まぁ当たってるけどよ」

 

水を差してきた姉に気付かれないように舌を打つダン。

ライは、そんな子供っぽい悪態をつくダンに苦笑いを浮かべた。

 

「・・・まぁそういうことなんで、悪いなダン。僕はそろそろ戻らないと。また赤城さんに怒られる」

 

ライは腕時計を見やり、腰をあげてその場から離れようとした。

 

「朝食の片付けが終わったら、昼までやることないんだろ? だったら俺とどっか遊びにいこうや! それかこの前みたいに剣術教えてくれよ! あの飛○御剣流みたいなヤツ!」

 

諦めずに執拗に迫ってくるダン。どうやらよっぽど暇を持て余しているようだ。

ライは「やれやれ」といった様子で腕を振り、ダンに言った。

 

「悪いけど今日はマジで無理なんだって。片付けが終わったら、ユキに髪を切ってもらう約束もしてるしさ」

 

「別に髪なんていつでも切れるじゃねぇか。ユキ姉に切ってもらわなくても自分で適当にやればいいし。・・・あ、何なら俺が切ってやろうか!?」

 

それだけは御免こうむる、とライは首を全力で横に振った。

こいつに髪なんてものを切らせたら、耳まで切られることは必定だった。

 

「今日は諦めろよ。昼から僕は夕食の仕込みやら色々とやることがあるからな。完全にフリーになるのは9時ぐらいになる」

 

「そうよ、ダン。そんなに遊びたいんならライじゃなくても友達のところにいけばいいでしょ」

 

ユキが提案するとダンは鬱陶しげな様で俯き、足もとの石を蹴り飛ばした。

 

「・・・しょうもねぇんだよ。あいつ等とつるんだってよ」

 

ダンには、同年代で心から親友と呼べる人間はいなかった。

彼が幼いときに起こった戦争により、友達と呼べるもののほとんどがブリタニア軍によって殺されてしまったし、彼のように名誉ブリタニア人となった人間も僅かだった。

それでも遊び相手となる年の近い少年たちが数人いたが、彼らはどこかでダンのことを怖れていた。

ダンと遊ぶときも、どこか彼に怯えながら従っているような印象を受けた。

意外に感受性の強いダンは、その反応を読み取り、彼らに対して気を使うようになっていくが、14歳の少年が相手を思いやることはそれなりに難しいことで、彼らとの関係を希薄にすることでしか、その気づかいを現すことができなかった。

その上、ダンの“遊び”は同年代の少年たちには苛烈を極めた。

彼は生まれつき、驚異的な運動神経の持ち主で、子供、いや人間には不可能と思えるようなことを平然とやってのけることができた。

そのため、彼と対等に張り合える子供はどこにもいなかった。

戦後直後はユキがよくダンの遊び相手となったが、彼女が年頃になっていくに連れて、その回数も減っていった。

父を幼いころに失ったダンは、ずっと兄が欲しいと思っていた。

自分の全力を受け止めてくれる相手、そんな人がいればどれだけ楽しいか。誰とも打ち解けられなくなった彼は、いつの間にかそんな非現実的なことを夢想するようになった。

だが、1年前、彼の願いは現実のものとなった。

今、自分の目の前にいる銀髪の少年は、自分の全力を軽々と受け止めた。

ダンは生まれて“2度目”の、全力で遊べる相手を見つけたのだった。それからライと過ごした一年間は、彼の人生で一番輝いていたものかもしれない。

ダンにとって、ライは尊敬する父の面影を重ねた兄のような存在であり、心からの想いを打ち明けることの出来た親友でもあった。

 

「明後日の日曜まで我慢しろよ、ダン。そしたら久しぶりに二人で釣りにでも行こうよ」

 

そういうと、ダンは目を輝かせてライに握り拳を近づけた。

 

「おっしゃ! 約束だぜ! ライ兄」

 

ライは彼が差し出した拳の上を軽く自らの拳で打ちつけた。そして、二人は拳を解き互いの掌をしっかりと握りしめた。

その様子を見ていたユキが、目を細めてダンを軽く睨み、彼の頬を人差し指で突いた。

 

「おい、来週は試験でしょ。勉強しないとまた母さんに拳骨喰らうよ」

 

ヘヴントゥヘル。

ダンの血の気が一瞬にして引いていった。

針がねのように逆立っていたダンの髪も力なく萎れていく。

 

「あぁそうなんだ。残念だったな、ダン。でもまぁ心配するな。付き合ってやるから、試験勉強」

 

「・・・やべぇや、すっかり忘れてたわ。兄貴マジで頼むよ。俺、今度赤点取ったらマジで母ちゃんに殺されちまうよ」

 

縋るようにライに懇願するダン。

そんな弟の様子を見て、ユキも遠慮深げにライに横目でチラチラと視線を送る。

 

「ライ、私もちょっと教えて欲しいところがあるんだけど・・・ 一緒に見てもらっていいかな?」

 

少し照れたような表情を浮かべるユキに、ライは軽く小首を傾げてみせた。

 

「構わないけど、ユキなら大丈夫でしょ。それにユキが解らないほど難しい問題なんて、ひょっとしたら僕にも解んないかもよ」

 

頬を少し赤らめて俯いている姉を見て、ダンはニヤリと笑みを浮かべた。

 

「違うよ、ライ兄。ユキ姉はただ兄貴と・・・ ぶほっ!」

 

言いかけたダンの頬に、ユキの容赦のない拳が撃ち込まれた。

 

「ごめん、ダン。あんたの頬っぺたに蚊が止まってたから」

 

「それなら普通は平手でしょおが! 何でグーなのよ!? それにこんな時期に蚊なんているかよ!」

 

ユキに殴られた頬を涙目でさすりながら、彼女に激しく抗議するダン。

ライはそんな二人のやり取りを、苦笑を浮かべながら眺めていた。

 

 

 

 

 

 

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