Code Geass ~Lost Colors~ 永遠の〇   作:阿寶

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Scene2: Heading for There①

a.t.b 2017.5

 

 

 

――東京租界 神聖ブリタニア帝国エリア11総督府

 

バルコニーから見える租界の街並みは、日々の喧騒を忘れて静かに寝静まっているかのようだった。

少女はその静謐な夜の帳の中、何処か憂いを帯びた儚げな瞳で、遠望に見える街並みを眺め続けていた。

 

少女の名はユーフェミア・リ・ブリタニア。

 

神聖ブリタニア帝国第3皇女にして、このエリア11の副総督という立場にある。

その容姿は可憐で、淡い藍色の大きな瞳と柔らかな毛並みをした長い桃色の髪は幼さを感じさせるが、その目鼻立ちは秀麗で高貴な気品を漂わせている。

そしてその心は、ブリタニアの皇族であるにも関わらず、傲慢なところなどは微塵もなく、誰に対しても分け隔てなく愛情をもって接することが出来る程に寛大。

いつも、他の皇族達とは違う形での“無垢な平和”を夢見ていた。

 

天高く聳えた総督府のバルコニーから夜の租界を見下ろしながら、彼女が憂いていたものは、ブリタニアという国が掲げる国是そのものに対して。

征服した国々の人々をナンバーズと称して、ブリタニア臣民と区別し、勝者と敗者、または強者と弱者の立場を明確にするといった政策こそが、いつまでも続くこの怨嗟の螺旋を引き起こしているのではないのか、と。

 

彼女は凡そ1カ月前、確かにその目で見たのだ。

ブリタニア軍の空爆によって破壊され尽くした街並みを。

テロリストを匿っていたとされ、慈悲もなく銃殺されていった数多の日本人達の墓を。

その日、ユーフェミアは、生まれて初めて身近に死を感じた。

 

戦争の爪痕は、7年も経った今でさえ、このエリア11のあちこちに深く残っている。

その歳月の間、どれ程の無辜命がブリタニア軍によって、或いはテロリスト達によって、散らされてきたのだろうか。

 

(・・・クロヴィス兄様は、間違っていたの?)

 

彼女がこのエリア11に赴任してくる前に、総督という地位を任されていたクロヴィス・ラ・ブリタニアは、彼女にとっては誰よりも優しい兄であった。

絵画や音楽をこよなく愛し、情に厚く、どんな時でも温厚で、それでいて何処か間の抜けた・・・

だからこそ、今でも彼女は信じることが出来なかった。

あの新宿事変という非道なまでの日本人に対する粛清をクロヴィスが命じたなどと。

 

(だから、お兄様は殺されてしまった。あの人に・・・)

 

クロヴィスを殺害した真犯人――ゼロ。

どれほどに優しかった兄であろうと、もし彼が本当にあの虐殺を命じたのであれば、クロヴィスは確かに裁かれるべきだったのかもしれない。

ユーフェミア自身は、ブリタニア人が他の国の人間よりも優れているなどと、微塵も思ってはいないが、もし仮にそうだったとしても、何の罪もない人を殺す権利など誰にもあろう筈がない。

 

だが、ゼロには果たして兄を裁く権利が有ったのだろうか。

確かに、彼は1カ月前のあの事件の後、イレヴン達の間で救世主のように崇められるようになっていた。

しかしブリタニア人は、クロヴィスを殺害したゼロに憎しみを抱き、躍起になって彼の足跡を追っている。

ユーフェミアでさえも、兄の死を偲び悲しむ自らの心の中に、僅かに黒く燻ぶる炎が宿っているのを感じるのだ。

 

――そうやって廻り続ける、憎しみの連鎖

 

結局は、人が人を裁くなどという傲慢を続ける限り、何も変わりはしないのだ。

粛清を受けた日本人はクロヴィスとブリタニア人を憎み、クロヴィスを殺害されたブリタニア人はゼロとそれを支持する日本人を憎む・・・

 

ユーフェミアには、ブリタニアの在り方も、そしてテロを繰り返す日本の反ブリタニア組織にも、心から賛同することなど出来なかった。

立場としては対局している双方であるが、結局の処、本質的に頼っているものは同じなのではないかと思うのだ。

 

そう思っているからこそ、彼女はその鎖を断ち切るために、もう一つの平和へと続く道を“彼”と共に模索することをあの時に選んだのだろう。

 

 

 

「よい月だな。しかし、あまり長い間夜風に当たっているのも感心しないな。明日も早いし、何より風邪でも引いてしまっては大ごとだ」

 

ふと、後ろから声が掛かった。

ユーフェミアは振り返り、その声を発した人物を確認した。

というよりも、彼女にそのような言葉遣いで話しかけられる者など、一人しかいないのだが。

 

「お姉さま――」

 

と、言いかけてユーフェミアは言葉を正す。

 

「――総督閣下、ご機嫌麗しゅう」

 

自分の姉に対して、慇懃な挨拶をするユーフェミア。

対する姉は、少しばかり苦笑を浮かべて、バルコニーへと出てユーフェミアの隣に並んだ。

 

「流石にこの時間はプライベートだ。他人行儀はよしてくれ、ユフィ」

 

この女性の名はコーネリア。神聖ブリタニア帝国第2皇女コーネリア・リ・ブリタニア。

その麗しい顔立ちは貴人としての威厳に満ち溢れており、佇まいも何処か厳粛なものを感じさせる。

だが、ユーフェミアを見つめるその顔には、柔和な笑顔を灯らせていた。

ミドルネームからも解るとおり、彼女はユーフェミアと父も母も同じくする姉妹であった。

 

コーネリアは、ユーフェミアの少し憂いを秘めた横顔に優しく触れた。

長い間外にいたせいか、彼女の頬は少し冷たかった。

 

「少し、顔色が悪いな。此処最近の疲れが大分溜っているのだろう。・・・明日の会議への出席も、もし体調が優れぬようなら今からでも辞退して構わぬのだぞ?」

 

「いえ、私自身がお姉さまのお役に立ちたいが為に志願した公務ですから」

 

笑顔を作り、気丈に振舞ってみせるユーフェミア。

 

「頑固者だな。困ったやつだ」

 

「お姉さまの妹ですから」

 

ユーフェミアの冗談に、思わずコーネリアも苦笑を零した。

だが、実際彼女は良くやっているとコーネリアは思う。

帝政を敷くブリタニアでは、皇族が軍事や政治の舞台に出ることが多い。

ユーフェミアは若干16歳ではあるが、そのくらいの若さで副総督という重要な役職を任されることも、ブリタニアであればそれほど珍しい人事ではないのだ。

とはいえ、臣民達が彼女に求めていることは軍事的、政治的手腕の如何などでは決してなく、あくまでも名目、神輿であってくれればそれでよいのであった。

それでも、ユーフェミアは自ら積極的に公務――主に民間の福祉事業や文化事業――に参加し、テロリズムが続き困憊している民衆の慰安に励んでくれている。

 

「だが、正直ユフィには助けられているよ。私は軍事など荒事を始めとすることは得意だが、臣民の慰撫などはどうも不得手のようだからな。このエリア11がもう少し落ち着けば、今よりもっとお前が必要とされるようになるだろう」

 

ユーフェミアは少し自信なさげに「そうだとよいのですが」と呟き、僅かに視線を下ろした。

 

「明日はお前にとって初めての外務となるが、なに、それ程気を揉む必要はない。一つ学ぶ覚悟で挑めばいいさ」

 

「・・・」

 

聞いて、ユーフェミアは更に気落ちしてしまう。

結局、自分に求められていることなどその程度のことなのだ。

明日の会議、コンベンションセンターホテルで開かれるサクラダイト配分会議は、世界各国から外交官が集まり、今後一年のサクラダイトの各国への分配レートを決定するとても重要な会議だ。

其処にエリア11の副総督として出席することはとても大きな責任を伴うことのように思えるが、実際のところ、もうシナリオは出来あがっているのだ。

彼女が何もしなくても、優秀な官僚達が全てをブリタニア有利へと導いてくれる。

つまりユーフェミアは、その場の飾りに過ぎぬのだ。

 

まぁ、そんなこと彼女はとうの昔に理解していた。

そして彼女は気持ちを切り替える。

例え、今は唯のお飾りの副総督であろうと、自分に出来ることを日々コツコツと積み上げて、いつか本当の意味で皆の役に立てる時まで頑張ろうと。

 

彼とも、約束したのだから。

 

 

――いつか、みんなが大切な人を失わないで済むような優しい世界を創ろう、と

 

 

――だから、私も歩みを止めることなく進み続けます

 

 

――スザク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼロによる枢木スザク救出事件から1カ月ほどの月日が流れた。

あれから、ゼロの逃亡幇助の責任により失脚したジェレミア代理執政官の代わりに、このエリア11に新しい総督が赴任してきた。

 

神聖ブリタニア帝国第2皇女、コーネリア・リ・ブリタニア。

 

女性であり、しかも皇族でありながら、戦場においては自らが先陣を切って敵を悉く駆逐していくその姿から、ブリタニア軍からは“戦女神”と崇拝され、敵であるものからは畏怖の念を込めて“鬼のコーネリア”と呼ばれた。

 

「コーネリア・リ・ブリタニア、すごい女性(ヒト)だ」

 

ライはラップトップの画面に映し出された時事情報を前に、コーネリアに対して小さな感嘆の声をあげた。

彼女は、今だ激烈な反ブリタニア闘争が後を絶たないエリア11に、ブリタニアが送り込んだ切り札ともいえる存在だった。

着任早々、彼女は電光石火の如くいくつかのテロ組織を壊滅させた。

おそらく、赴任する前から敵に対する綿密な内偵を進め、組織の本拠地を特定していたのだろう。

その手腕はまさに迅速かつ鮮烈であった。

彼女のお陰で前総督クロヴィスを失い、一時は混乱の極みに達していたエリア11も、多少なりとも落ち着きを取り戻しつつあった。

 

ライが彼女に興味を示した点はそれだけではない。

 

彼女は先の戦であのゼロを後一歩というところまで追いつめていたのだ。

ライが調べてみたところ、その時にコーネリアが布いた布陣は前総督クロヴィスがゼロに暗殺されたときとほぼ同じものだった。

あれは明らかにゼロを誘いだすための罠だったのだろう。

 

そして、ゼロもそのことには気づいていたと推測される。

だからこそ、わざと罠にかかることでコーネリアの油断を誘い、あわよくば彼女をクロヴィスと同じように暗殺するつもりだったのだろう。

だが、此処でゼロは一つの誤算を経験する。

 

相手は指揮経験の乏しいクロヴィス率いる統率力の欠けた弱兵ではなく、数多の戦を生き抜いてきた百戦錬磨のコーネリアとその親衛隊。

比べてゼロが率いた者たちは、統制のとれぬ、ろくに訓練も受けていないようなテロリスト達。更に言えば、相互の信頼も皆無。

 

勝敗など始める前から目に見えていたはずだ。

 

(僕はゼロを少し買い被っていたのかもしれないな)

 

ふと、ライはそう思ったがすぐに考えを改めた。

それでもゼロはまだ生きている。

 

ゼロが、ライの思い描いた通りの人物であったならば、あの敗戦を教訓として新たに次の手を考えてくるはずだ。

今の彼に足りないもの、それは先の敗戦で明らかだった。

 

 

――軍隊

 

 

新宿事変の時といい、コーネリアとの戦闘の時といい、ゼロはまず間違いなく一人で戦っている。

計画こそ綿密であるが、その計画を実行する駒が明らかに少なく、加えて質が悪い。

 

ライは、ゼロが次に取る行動を予測する。

 

彼がギアスユーザーなら、間違いなくギアスを使って自分の思い通りに動く駒を揃えてくるだろう。

しかし、ライはゼロがギアスユーザーである可能性を敢えて考慮に入れず、推論を組み立てた。

その理由は、彼がギアスを保有しているという憶測が的中している可能性の低さであることはいうまでもない。

本来なら考慮にすら値しないものであるからだ。

 

もう一つの理由としては、これはライの完全な主観(経験)によるものだが、ゼロはおそらくプライドの高い男であるという推察からだ。

コーネリアの挑戦的な誘いにわざと乗ったことといい、枢木スザクを救出するときに見せた劇場型の演出といい、あの手の男は怏々としてプライドが高い。

もし仮にゼロがギアスユーザーであったとしても、彼はギアスによって意思を歪められた軍隊を形成することを良しとしないだろう。

可能である限りは、自分に賛同するもの達を、その者達自身の意志により自らの支配下に募らせる道をとるはずだ。

 

枢木スザクがゼロに救出された後、彼自身の意思で軍事法廷に赴いたことも、その考えを少なからず裏付けた。

ゼロは枢木スザク救出後、彼を同志として迎え入れるために説得を敢行したはずだ。

しかし、スザクはゼロの誘いを蹴り、自らの逃走により窮地に立たされることになるであろう同胞のために、その足で法廷へと出向いた。

 

彼は枢木スザクに対してギアスを使用していない。

それは、ゼロがギアスユーザーではないという可能性と、ゼロという男の気質により枢木スザクにギアスを使うことを良しとしなかったという2つの可能性がある。

 

確率としては前者の方が圧倒的に高い。

だからこそ、ライはゼロがギアスユーザーであるという考えを一旦切り離していた。

 

話をコーネリアに戻そう。

この辣腕な皇女は、テロや反政府運動とは別の戦いにも目を向けていた。

それはつまり、エリア11に蔓延るブリタニア軍内部の腐敗との戦いである。

 

前総督であったクロヴィスは、はっきりいって司令官としては無能だった。

そのため、エリア11では各軍区において、汚職や不正人事などが数多く横行していた。

賄賂や親のコネなどで高い地位を得てきた無能な人間達に加えて、そのようなもの達に軍管区管理を丸投げにしていたクロヴィス。

結果として、軍管区同士の連携は崩れ、そこを度々テロリスト達に付け込まれた。

 

コーネリアは、まず各軍管区長達が保持する権限を制限し、綿密な調査によって発覚した不正人事に関与した人間達に、次々と降格処分を下していった。

ライがコーネリアを称賛する点は、この降格処分の後に彼女が行った処置に対するものだった。

彼女は一度、全ての不正人事の対象者に処罰を下したが、その後、彼らの実績を鑑みた上で、確かな功績を残したもの達に対しては、新たに辞令を交付して元の地位に留めたのだった。

こうすることで、道義的な処分の公平性を保ち、才能あるものを軍内部に留め、更に現総督府の権威を知らしめる結果を得ることができたのである。

正に一石三鳥だった。

 

「やり方は詐欺みたいだけど、清濁併せ飲む器量も為政者には必要、か」

 

一人ごとのようにパソコンを見つめながら、ライは呟いた。

 

(僕がゼロなら、そろそろ行動を起こす。コーネリアは早急にこのエリア11を彼女の色に染め上げようとするだろう。文官中心の軍管区委任主義だったクロヴィスの政権を、中央集権的な強力な軍事政権へとシフトさせていく。彼女の手腕なら、それが完全に成されるのもそう時間はかからないだろう。だからこそ、その前に魅せつける必要がある)

 

 

――力とともに、ゼロという存在とその意義を

 

 

(その時は、僕も聞かせてもらうよ。もしもお前が――)

 

口元を掌で抑え、鋭い視線でパソコンの画面を睨みつけるライ。

 

「おぃ~っす!! 兄貴、起きてるか!!」

 

突如、ライの部屋の襖が全力で開かれた。

襖が戸木にぶつかって、「バン」とけたたましい音を上げる。

そのあまりの音の大きさに、ライはビクリと身体を痙攣させてしまう。

肘かけていた腕もズコッと滑らせてしまった。

 

姿を現したのはダンだった。

間抜けな様で固まりながら、じっと闖入者を見つめ続けるライ。

だが、ようやく我に返り、

 

「ちょ、お前、ダン! 部屋に入る前はちゃんとノックしろよ!」

 

「襖にノックなんてするかよ。・・・つーか、そんなに慌てて何やってた訳? もしかしてネットでやらしいサイトでも覗いてたのかよ」

 

嫌らしい笑みを浮かべながら、下衆な勘ぐりをいれるダン。

ライは少し怒ったようにむすっとした顔を浮かべた。

 

「阿呆。 僕のような、まるで全ての女性(レディ)の理想を具現化したような存在が、乙女淑女の夢を汚すようなことをするわけないだろ」

 

スッと前髪を掻きあげて、気障な流し目を送るライ。

彼のあまりに自己陶酔した発言にも、ダンはすっかり慣れきっていて、追撃を加えるように詰りを入れた。

 

「どうかなぁ。兄貴みたいなのをむっつりすけべって言うんじゃね?」

 

ライは呆れかえった顔を浮かべ、パソコンの電源を切って折り畳んだ。

 

「誰がむっつりすけべだ。お前が今、人生で最も痛い年頃なのはわかるが、僕を相手に下世話な話をするのは止めてくれ。・・・それに僕はどちらかというとオープンな方だ」

 

「そんなこと言ってぇ。ん、じゃあ何? 姉貴の前でもオープンなのかよ? なぁなぁ」

 

先ほどの自らの発言に、激しい後悔を抱くライ。

 

「お前、ユキはそんなんじゃないって。妹みたいなもんだって前にも言ったろう」

 

「またまたお兄さんそんなこと言っちゃってぇ。ライ兄とユキ姉は俺から見ても恋人みたいでっせぇ。もう付き合っちまったらどうでっかぁ。そしたら、あのボインボインは兄さんのモンでっせぇ」

 

如何わしい店のキャッチのようにゴマをすりながらダンはライに擦り寄った。

男に身体を擦り寄られても気色悪いだけである。

ライは露骨に嫌そうな顔をして、強引に身体を寄せてくるダンを鬱陶しがるように引き剥がした。

 

「ちょっ・・・ お前、マジでキモいって。つーか、今のをユキに聞かれたら殺されるぞ」

 

ライの嫌がる様が余程面白かったのか、ダンはすっかり悪乗りして、いつの間にか目を瞑り、口元を「チュー」と尖らせながらライの顔に近づけてくる。

流石のライも貞操の危機を感じて、ダンを全力で突き飛ばした。ちょうど敷きっぱなしにされた布団の上に突き飛ばされた彼は、その上に座り込んで「いやん強引ね」と投げキッスを送り股を開いてみせた。

ライはそんな彼に向かって静かに親指を下に向けた。

 

「って、そもそもお前、何しに来たわけよ。今日はお前のお陰で虫の居所がこの上ないほど悪くなったから遊ばないぞ」

 

ライは「シッシッ」と執拗なまでに手を振り、ダンに部屋から出ていくように促したが、逆に今度はダンが呆れかえったような顔をライにむけた。

 

「はぁ~。兄貴、また忘れたのかよ。昨日、母ちゃんにコンベンションセンターホテルまで、観光案内を兼ねてお客さんを迎えにいけって言われてたろ。もう昼過ぎだぜ。そろそろ出発しないと約束の時間に間に合わないぞ」

 

忘れていた訳ではなかった。

ただ、ゼロとコーネリアの行動を思索していたことで、時間を忘れていた。

つまりは、やはりすっかり忘れていた。

 

「やべ。急いで着替えるわ」

 

そう言って、僅かに舌を覗かせてから、ライは椅子からそそくさと立ち上がり、洋服箪笥を開けて着ていく服を選別しだした。

 

「早くしてね♥ あたい、ここで待ってるから♥」

 

相変わらずな様子で布団の上に座り込み、ウィンクを飛ばすダン。

ライは胸糞が悪くなったが、ふとダンの発言を思い返して頭の上に疑問符を浮かび上がらせた。

 

「は? 何? お前もついてくるの? お客さんはともかくとして、ブリタニア人がたくさんいるホテルにお前が行ったらまた揉め事起こすだろ?」

 

ライが、柄にもなく黒いスーツなんぞを身に纏ったダンの顔を覗きこんだ。

よく見れば、軽く化粧をして肌がいつもよりも数段白くなっている。

加えて、カラーコンタクトまでして、黒い瞳はライと同じ蒼い目をしていた。

 

「やっと気付いた? どう? 俺もブリタニア人に見えるっしょ?」

 

ダンは立ち上がり、親指を立てて豪快に笑ってみせた。

もともとダンの顔立ちは、純血のブリタニア人のように筋の通った鼻と、少し尖りのある輪郭をしている。

父親の祖父がブリタニア人だったこともあるのだろう。

目と肌の色を少し変えれば、ブリタニア人に見えないこともなかった。

 

「まぁ見えてハーフだな。ていうか、何でそこまでして僕についてくる?」

 

「母ちゃんと姉貴に頼まれた」

 

ライはますます訳が分からなくなってしまった。

 

「ヤエさんとユキがどうしてお前に僕と一緒に行くように頼むんだ?」

 

腕を頭の後ろに組み、ダンはにやにやしながら怪しく微笑んだ。

 

「今日のお客さん。ブリタニアの学生さんらしいんだ。しかも、全員女の子」

 

ライは、ダンのその一言を聞き、全てを理解して軽く頭を抱えた。

“その手”のことには、ライはヤエとユキにまったく信用されていなかった。

 

「また兄貴の“悪い病気”が出るかもしれねぇからよ。俺はその監視役ってわけ」

 

別にライに悪気があるわけではない。

いつも向こうが勝手に彼に気を持つのだ。

 

しかし、ライの容姿以外に原因が無いわけでもなかった。

彼は親しい人間の前では、彼らしい、少しおっちょこちょいで間抜けな一面を見せたり、ナルシストな性格を隠さずに素のままでいるのだが、そうでない人間に対しては、そんな本来の性格を表に出すことはなく、完全な紳士を演じる。

彼のそんな外面仕様の態度に、あらぬ幻想を抱いて心を奪われてしまう女性が多かった。

 

「本当に信用ないのね、僕って。ヤエさんもよりにもよってダンに僕のお守を任せるなんて。・・・はぁ」

 

「まぁそういうなよ、兄貴。けどよ、母ちゃんも姉貴もわかってねぇよな。兄貴に加えて俺まで行っちまったら完全に逆効果だぜ。そう思わない?」

 

ダンがライの横腹あたりを肘で軽く突き、彼に同意を求めてきた。

 

「何? それって“俺”も僕と並ぶほどのハンサムだってことを言いたいの? お前も結構自信過剰だね。まぁ、どうでもいいけど」

 

ライはネクタイを締めながら、ダンの問いかけに興味なさげに答えた。

 

「ひでぇなぁ。俺ちょっと傷ついたかも。けど昔、藤堂先生にも「君は将来、立派な侍になる」って太鼓判押されたことがあるんだぜ! 後一年もしたらよぉ、きっと背だって伸びて兄貴より男前になってモテモテになっちまうかもよ」

 

「立派な侍ねぇ。僕はまだお前からその片鱗すら見いだせないけどな」

 

「それは兄貴に見る眼がないから。俺にそう言ったのは、あの“奇跡の藤堂”だぜ」

 

奇跡の藤堂。

厳島の戦いで、ブリタニアの本土上陸以降、日本軍で唯一ブリタニアに土を着けた男。

彼はその輝かしい戦歴から、その名に奇跡を冠するようになった。

今でも、反ブリタニア勢力のテロリスト達からは、神のように崇拝されている。

故人であるダンの父親とは、階級を越えた友情で結ばれていたようで、ダンにも彼が幼いころによく武芸の稽古をつけてくれたらしい。

 

しかし、それはもう8年程前のことだ。

8年も前といったらダンはまだ、6歳か7歳ごろだ。

ダンはそんな年齢から藤堂を師事していたのか。

恐らくは、稽古と称した遊びだったのだろう、とライは推測した。

 

「お前さぁ、藤堂さんに最後に会ったのってもう大分前の話だろ。それもお前が言葉もろくに喋れなかったころくらいの。夢でも見てたんじゃないの?」

 

そうライがおちょくると、ふざけていたダンの瞳に怒りが宿った。

 

「違う! あれは絶対に夢なんかじゃねぇよ! 先生は俺にそう言った! 父ちゃんみたいな立派な侍になれるって!」

 

大声で怒鳴るダン。

ライは彼のその変化に少しの間呆気に取られて言葉を失う。

数秒、二人の間に沈黙が流れるが、やがてライがペコリと頭を下げた。

 

「・・・ごめん。ちょっとからかい過ぎたかな」

 

ダンも、突然切れてしまったことを恥ずかしがるように頬を掻いて「俺もごめん」とライに謝った。

すると、ライはにっこりと微笑んで、ダンの肩をポンと叩いた。

 

「けどダン。彼の言葉がそれほどお前に強く残っているのなら、わかってるとは思うが、彼が言った“侍”ってのは外見がハンサムに見えるってこととは全く違うぞ」

 

ライは真っすぐにダンの瞳を見つめた。

その視線があまりにも真っすぐだったので、思わずダンは顔を赤らめてしまう。

 

「本当の侍っていうのはきっと、自分に宿る力を正しいことに使える人間だ。己の力を奮うは、守るべき大切な者の為。そういう面では、僕から見てもお前には十分その素質がある。そのためにはまず、体だけでなく心も鍛えないとな。“力なき心は虚ろ、心なき力もまた虚ろなり”ってな」

 

ライはダンの頭をがっしりと強く撫でた。

その掌から、ライの温もりが伝わって行く。

ダンは何故か、心が温まっていくのを感じた。

 

「なぁ兄貴。心を鍛えるって、具体的にはどうすればいい?」

 

そして、ダンも今度はしっかりとライを見つめ返す。

その眼差しはかつて、自分が藤堂や父に向けたものと同じだった。

 

「そうだな。一つずつ段階を踏んで行こうか。まず、自分のために喧嘩をしないこと。どれだけ自分の名誉や尊厳を傷つけられたとしても、それが自分自身だけのことならば暴力に訴えてはいけない。それと、自分の大切な家族、ヤエさんやユキのそれらが傷つけられたとしても、すぐに力に走っちゃダメだ。まずは耐えろ、そして考えろ。本当にお前の大切な人達が、お前に暴力を奮うことを求めているのかどうかを。もし、彼らがそんなことを望んでいないのであれば、それはやはりお前自身のエゴに過ぎない。だけど、それでも耐えられないのであれば、そうだな、滅多にあることじゃないが、例えばお前が心から護りたいと思える人達に身の危険が迫るようなことがあれば、そんな時だけはお前は刀を抜いてもいい。その刀には必ず、正義が宿るはずだ」

 

ライも真っすぐにダンの瞳を見据え、語り続けた。

 

(だけど、忘れるな。どんな理由があるにしろ、一度抜いた刀は、血を見るまでその鞘に戻ることはないことを。そして、流された血が悪にしろ、正義にしろ、必ずそこには新たな悲しみが生まれることを)

 

ライはそう言いかけたが、そのことについては次の機会に語ることにした。

 

真剣な眼差しでライの話を聞くダン。

こういう時、本当にライは、ダンが心から尊敬する兄となる。

 

すると急に、ライの厳しい眼差しが、いつもの明るく、調子のよいものへと変わった。

 

「まぁ、そうなる前に僕が助けてやるけどな!」

 

ふいを突かれて、ダンもいつもの調子へと返る。

 

「ちっ! なんだよ、結局!」

 

「まぁ、もうしょうもないケンカはするなってことだ。自分達が特別だと勘違いしてる阿呆のブリタニアの連中なんかほっとけ。イレヴンなんて罵られても、お前の心が、自分自身を日本人だ、侍だと思い続けていられるのなら、周りの糞なんて関係ないだろ。それに僕の話を聞いているときのお前の顔、格好良かったぜ」

 

ライにそう言われて、ダンは目を輝かせた。

 

「本当かよ!? 兄貴くらい格好良かったか?」

 

「まぁ、僕にはまだまだ遠く及ばないが、なかなか、どうして。けれど、そうやって心を鍛えていくことで、不思議とそれは外見に現われてくるんだ。いずれそれは風格を伴って、確固たる自分自身を形成していくことになる。僕みたいな真の男前(パーフェクトジェントルマン)になれる日もそう遠くないかもしれないぞ」

 

ライは親指を力強く立て、ダンにウィンクを飛ばした。

 

「おっしゃあ! 俺、頑張ってみるわ! もうしょうもないケンカはしない。そんで、心も体も鍛えまくって、モテモテになるぜ!」

 

「おうよ! その意気だ! ダン! 僕も今よりもっと研鑽を積んで、更なるジェントルマンの極みを目指す! 一緒にモテモテ街道を突き進もうぜ!」

 

二人はすっかり意気投合し、傍から見ると、モテモテなどとは程遠い、思春期の阿呆の男子達にしか見えない痛いやり取りを続けた。

 

――ハハハ

 

――ハハハ、こやつめ!

 

妄想を抱きあい、子供のようにはしゃぎ合う二人。

その時、確かに彼等は幸福に満ち溢れていたのだろう。

だが、そんな刹那の幸せは唐突に終焉を迎えることになる。

ふと、二人は背後に小さな戦慄を感じ、その元凶の方へと恐る恐る目を向けた。

 

ユキだった。

 

ダンの顔がみるみる内に蒼白なものへと変わり、ライはもの凄く気まずそうに俯いた。

 

「・・・いつから、そちらに?」

 

ライは頭を掻きながら、少し顔を上げてユキに問いかけた。

ダンはゆっくりとライの後ろにその姿を隠そうとする。

 

「モテモテがどうとか、ジェントルマンがどうとか、そんな当たりの会話から」

 

紺色のセーラー服を身に纏ったユキが、晴れやかな微笑みを浮かべながら、そう応えた。

彼女は確かに笑っていたが、その表情の裏には明らかに怒気が宿っていた。

 

「今日のお客さん、ブリタニアの女子学生さん達みたいだね。良かったね。二人でナンパでもするの?」

 

ライは慌てて手を振り、ユキの誤解を解こうとした。

 

「違いますって! これはですね! そもそもダンに、真の侍とは何かということを説法していた過程の一部にしか過ぎないわけでしてね! なぁ、ダン!?」

 

すっかりライの後ろで小さくなっていたダンが、恐る恐るユキの顔を覗きこんだ。

 

「お、おう。そうだぜ、姉貴。俺達、冗談であぁ言い合ってただけで、話の本質はもっと真面目なものだったんだぜ・・・」

 

ユキは恐怖の笑顔とともにゆっくりと二人に向かって歩み寄る。

 

ライはおもわず後ずさりしようとするが、後ろに道はない。

その上、ダンがライの背中にしがみ付いているので身動きが取れない。

 

彼女は距離を詰め切った後、ライの後ろに隠れたダンの首を瞬時に鷲掴んで右腕一本で持ちあげ、もう片方の腕でライの胸倉を力強く掴み、その顔を彼女の顔のすぐ前まで引き寄せた。

子供とはいえ、50キロ以上あるダンを軽々と片手で持ちあげるユキに、ライは溜らず驚愕した。

 

「二人とも、ナンパするのは勝手だけど、お客さんに手を出したら――」

 

二人に戦慄が走る。

 

「――殺すよ」

 

ごくん、と唾を飲みこみ、ライは何度も力強く頷いた。

加えてダンはもう窒息寸前で、チアノーゼを引き起こして紫色に変色していた。

ユキはぱっと二人から手を放し、何事もなかったかのように軽く手を叩きながら二人を見据えた。

 

「うげえぇ! げほぉ! げほぉ! ・・・はぁはぁ! 冗談じゃない! 冗談じゃない!」

 

激しい嗚咽とともに、ダンは狂ったように何度もそう唱えた。

どうやら、一命は取り留めたようだ。

 

「まぁ、冗談はともかくとして、ダン! あんた本当に頼むわよ。ライはこの手のことに関しては本当に見境ないんだから。あんたが止めないと!」

 

あれが冗談なのか? ダンではないが、ライも心の中で「冗談ではない」と反芻した。

ダンは涙を流しながら、怯えきった様子で何度も首を縦に振り続けた。

 

「わ、わかりました・・・」

 

「私はどうしても今日学校に行かなくちゃいけないから。お母さんも、他の人達も仕事から手を離せないし」

 

ユキは心配そうに二人を眺めたが、ふと嘲笑のような微笑みを浮かべた。

 

「けど、ダンとライが二人でいたら、いくら外見が良く見えても馬鹿にしか見えないから、今日は大丈夫かもね」

 

その言葉を聞いてライは、何故ヤエとユキがダンに彼との同行を命じたのかをやっと理解した。

そして、ユキに媚を売るかのようにうやうやしげに頭を下げた。

 

「そのような深慮遠謀がございましたとは・・・ 恐れ入ります」

 

「そんなことより、二人とももうさっさと行ってきなさいよ! 急がないと本当に間に合わないわよ」

 

ユキは調子のいいライを横目に呆れたようにそう言った。

 

「げっ、い、行ってきまーーす!!」

 

そして、二人は慌てふためいて部屋を飛び出し、ホテルへと向かって行った。

 

 

 

―――――

 

 

 

ホテルへと向かう道すがら――

ライは先ほどのユキのことを考えていた。

 

「ユキは本当に凄いな。なぁダン。前から思っていたんだが、お前さ、僕に剣術なんか習うよりも、ユキに格闘技かなんか教わった方が強くなれるんじゃないか」

 

ダンは慌てて首を振った。

 

「はぁ!? 冗談だろ!? 姉貴のアレは天然だよ! 型なんてないし! あんなのに師事したら、何も学べねぇどころか稽古の途中で殺されちまうよ!」

 

「・・・そうだよな。それにしても、やっぱり凄まじいなユキは。鍛えてもいないのにお前を軽々と片手で持ちあげるなんて。人間技じゃないぞ」

 

「人間じゃねぇんだって!」

 

ライがユキのもう一つの顔を見たのは、何も今回が初めてのことではない。

時折ダンとの悪乗りが過ぎて、ライ自身も殺されかけたことが多々あった。

ホテルまでの道のりを急ぎ足で歩きながら、二人は途中までずっと、そんな感じの会話を続けていた。

 

ふと、ライは思う。

 

一年前、別に自分が彼らを助けなくても、この家族なら何とかなったんじゃないかと。

そして、もし、あり得ない話だが、ユキと真剣に闘り合って、自分は勝てるかどうかということを。

 

 

――僕は、殺されるかもしれない

 

 

「・・・ライ兄」

 

早足で歩きながら、ダンが何かを思いついたようにライに話しかけた。

 

「何?」

 

ぼんやりと間抜けなことを考えていたライが、ふと我に返る。

 

「このままだと、どう考えても間に合わないぜ」

 

ライ達の旅館からコンベンションセンターホテルまでは、徒歩でおよそ40分はかかる。

二人がいくら早足で歩いたところで10分の短縮が関の山だろう。

それでは、約束の時間にどうしても間に合いそうにはなかった。

 

「確かに間に合いそうもないな。どうしよう?」

 

タクシーを使うにも、宿泊客をエスコートするための片道分の交通費しか持ち合わせていない。

思案するライに向かって、ダンは不敵な笑みを見せ、ホテルまでの舗装された道とは全く違う方向の森の茂みを指さした。

 

「なるほど、近道か・・・」

 

ダンが力強く頷いた。

 

「でも却下。スーツが汚れる」

 

「えぇ!? 普通にこの道を行っても絶対に間に合わねぇって! 格好なんてこの際気にしてる場合かよ!? 遅れたことがばれたらマジで二人とも殺されちまうぞ!」

 

「汚れた格好でお客さんの前に立てるか。いくら時間に間にあっても引かれてしまうだろ」

 

譲らぬライ。

ダンは少しの間項垂れたが、すぐにまた何かを思いついた。

 

「・・・じゃあ、競争な! この道を全力で駆け抜けてホテルまで!」

 

ライは再び首を横に振った。

 

「嫌だ。汗をかいてしまうだろ。汗くさい格好でお客さんの前に立てるか」

 

あくまで見た目の体裁に気を使うライに、ダンは激しくイラついたが、暫くしてからニヤリと口元を歪ませた。

 

「何、兄貴? こんな距離全力で走ったくらいで汗だくになっちまうわけ? だせぇなぁ。俺なら汗一つ見せずに完走して見せるぜ」

 

挑発を受けてライも少しむっとしたような表情を見せた。

 

「言ったな、いいだろう。受けて立ってやる」

 

ライは間抜けな程、あっさりとダンの安い挑発に乗った。

いくら、驚異的な身体能力を誇るダンであっても、まだ14歳の子供にそのように言われたままで引くことは、ライのちんけなプライドが許さなかった。

ダンはしてやったりと掌をぐっと握りこんだ。

 

「で、何を賭ける?」

 

競争というからには、彼らにとって何かを賭けることが必ず前提となった。

しかし、ダンはもちろんライも養われの身であり、金を賭けることはなかった。

 

結果、必ず何かしらの罰ゲームとなる。

 

「・・・負けた方が――」

 

言いかけて、ダンはごくりと喉を鳴らした。

その横顔はまるで、死と隣り合わせのスリルを楽しむ狂人のようだった。

ライも彼のその表情を見やり、背中に冷たいものを感じた。

 

「姉貴に、パイタッチ・・・!」

 

唖然。数秒言葉を失ってしまうライ。

先ほど殺されかけたことを、この餓鬼はもう忘れてしまったのか。

 

「お前、他殺志願者か何かか?」

 

ライは少し軽蔑にも似たような眼差しをダンに向けたが、ダンはそれに気づくこともなく、震えながら笑っていた。

 

「くくく、絶対に負けられねぇ! 負けたら死ぬ!」

 

(こいつ、狂ってやがる)

 

ダンの狂気に満ちた笑いを前に、ライの胸にも薄暗い闘志が燃え上がった。

 

「いいだろう。お前のその覚悟! 受け止めてやろう!」

 

ライとダンが互いを鋭い眼光で睨みあう。

 

「・・・行くぜ! 兄貴!」

 

「あぁ! いつでも来い!」

 

火花を散らしていた互いの視線が逸れた瞬間、二人は人とは思えぬ膂力で駆けだした。

黒いスーツを身に纏い駆ける二人は、宛ら森林を駆け抜ける二頭の黒豹である。

その時二人とすれ違った者は、それが人だとはとても思えなかっただろう。

一人は対向する車を避けながら舗装された道路を信じられないスピードで駆け抜け、もう一人は崖のような急斜面の山肌を、重力に反するような体制で緩やかな弧を描きながら駆けあがっていく。

 

Japanese Ninja!

 

二人を目撃したブリタニア人達は、後に彼らが見た光景をそう言い現わした。

 

 

 

―――――

 

 

 

「・・・はぁはぁ・・・ へへ! 俺の勝ちだな! 兄貴」

 

激しく肩で息を切らせながら、ダンは勝ち誇った笑みをライに向けた。

汗をかいたため、かなりメイクが取れかかっている。

 

「はぁはぁ・・・ お、お前、勝負は無効だぞ! 汗なんかかかないとか言っときながら汗だくじゃないか!」

 

「兄貴こそ! 汗だくじゃねぇか! それに俺、汗かいたらいけないなんて一言も言ってないぜ!」

 

ダンは、勝敗の無効を訴えるライに「何を男らしくないことを」と言い放った。

反論する言葉が見つからず、ライは「ぐぬぬ」と変な唸り声をあげた。

 

彼は途中で、汗をかくこととスーツが汚れてしまうことを必要以上に気にしてしまい、勝負の途中で少し手を抜いた。

そこをダンに付け込まれてしまった。

しかし、理由はどうあれ負けは負けだ。

 

「なぁ。マジでさせるつもりか? 冗談だろう?」

 

僅かな希望に縋るように、ダンに訊ねかけるライ。

ダンは乱れ切った呼吸を整えた後、そんな彼の肩を軽く叩いた。

 

「・・・今日、黒いスーツを着てきて正解だったな。心配すんなよ、兄貴。・・・葬式だけじゃなく、四十九日もきっちり済ませてやるからさ」

 

サディスティックな笑みを浮かべるダン。

ライは全身を支配していく得も知れぬ恐怖にわなわなと震えながら涙を流した。

 

 

「おおおぉおぉぉぉ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

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