Don't fly away   作:o-fan

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Don't fly away

 『真実』と題されたミラーハウスにジータが足を踏み入れたのは、人ごみの中にポツンと空いた空間のような魅力を感じたからだった。

 双子の兄のグランやルリアは色とりどりのヴィラ・デ・シェロカルテを子供のようにはしゃいで満喫していたが、ジータは日々加速し続ける毎日に対し、こんな場でも一人呼吸を置きたい事がままあった。

 カタリナやオイゲン等の年長組はジータのそんな心境を察してくれていたし、今回もそれとなくグランとルリアを諭してジータに一人の時間を設けてくれた。

(綺麗なとこ……)

 『真実』の内部は最低減の蝋燭が視界を照らし、規則正しく置かれた鏡がジータの姿を均等に映し出す。合わせ鏡で映像が無限になることはなく、少しずつ角度をずらされた自身の姿が視界に広がる。

 大量の火薬も装飾も属性力も用いない、どちらかといえば冷えた空間のアトラクションをジータは気に入っていた。極めて静寂だったが、十分にファンタジーだった。

「ふーん……」

 今だけは未知に期待する兄のような微笑みを浮かべながら、目の前の鏡のドアを開く。現れたのは、壁に立てかけられた金枠の姿見だった。

 鏡の配置と反射で楽しませてくれたここまでとは趣が違う、一つのそれだけでなにか役割を持っているのか。ジータは期待しながら姿見の目の前に立つ。

「……あれ?」

 姿見に立っても、ジータの姿は映し出されなかった。鏡は確かにこの部屋の映像を反射していたが、ジータは存在しないものとして扱われ、ジータを通り抜けて背後のドアを映し出す。

「へえ……どういう原理なんだろ」

 ジータは興味深げに姿見に近づき、その表面に手で触れた。

「ひっ!?」

 瞬間、ジータは驚嘆してその場から飛び退いた。姿見には、驚きの顔を浮かべながら体を縮こませるグランがいた。

「えっあっ!?」

 ジータはその場で振り向き、すぐに姿見を見直した。背後にグランはいないが、鏡には変わらずグランがいる。

「えっどうして……って、あ」

 鏡の中のグランはまるで少女のような仕草で鏡を見ていたが、ジータは自身の口の動きと、もう一度姿見に触れようとした自身の手が、鏡の中のグランと全く同じ挙動をしていることに気付いた。

「……」

 確認のため無言で手をヒラヒラと何度か振り、スーパースターの時に培ったターンをその場でこなす。グランは一部の狂いもなくジータに同期していた。

 ジータは呆然とグランを眺めていたが、落ち着くと姿見の脇の壁に添えられた張り紙に気付いた。

「軽度の魅力効果を付与した鏡です。あなたの想い人が写るかも。どうぞ一度お試しあれ……」

 ジータはしばらく氷のような無表情を浮かべたあと、苦虫を噛み潰したように目と口を歪めた。

(いちいち指摘しないでよ)

「趣味悪いなあ……」

 ジータはここに一人で来たことに安心していた。姿見にゆっくりと手を這わせると、鏡の中のグランも手を這わせる。見る限りでは二人手合わせしていたが、手のひらに感じるのはひんやりとした鏡の感触だった。

(手を繋がなくなったの、いつからだっけ)

 いつも見ているはずのグランの顔が、やけに近くに見えたのは気のせいではなかった。空の旅を続け仲間が増える度に、ジータとグランの二人で過ごす時間は緩やかに消滅した。

 ジータは手をグランの頬へと伸ばす。鏡越しに手をグランの頬に添えているように見せかけ、少しずつ顔を鏡に近づけていく。

(好きだよ)

 口元だけで声に出さず、記憶の中の声を合成させると、それは酷く現実味を帯びてジータの脳内に焼き付いた。

 ジータはここがどこかも忘れ、鏡に唇を徐々に近づけながら瞳を閉じた。

 

 木漏れ日の中、昼のサンドイッチが入ったバスケットを持って、ジータは小道を進んでいた。

 木こり達によって切り開かれた道は歩きやすく、林の中でも視界が広い。目的地もそう遠くないため、ジータが身に着けているのは好みにしている桃色の軽装だった。

 しばし歩くと、ブンッとしたなにかを振り回すような風切り音と、少年の掛け声が聞こえてくる。

「えい! やあっ!」

「あと二つだぜ! 相棒!」

 少年、グランは落ち葉を標的に木剣を振り、傍らで滞空している自称赤い竜、ビィは腕を振り上げて気を吐いていた。

(あと少ししたら声をかけよう)

 ジータは木を背もたれにして目を瞑り、風を感じた。暖かな日差しの中でも一縷の涼しさがあり、いつまでもこのままでいたいとさえ思えるように過ごしやすい。

 春だった。

「昼飯何?」

 ジータが目を開けると、グランが袖で汗を拭いながら近づいてくる。朝早くから昼まで木剣を振っていたのだろう、男子特有の汗臭さが匂ったが、ジータにとっては既に慣れたものだった。

「サンドイッチ。トマトとレタスたっぷりのね」

「げ」

「いらないなら帰るけど」

「待って、食べるよ」

「おいらの分は!?」

「はい」

 ジータがバスケットからリンゴを取り出して放り投げる。ビィがかぶりつくのを尻目に、ジータは敷物を広げ、グランと共に腰を下ろした。 

「ジータも食べたらやる?」

「うーん」

 座った傍らの木には木剣が複数立てかけてある。

「やろっ、かな。久しぶりに」

「よっしゃ。頼むぜ副団長」

(誰が)

 と、ジータは内心乾いた笑いを出す思いだった。声に出さなかったのは、ジータもついてきて当然と考えている兄の思考が少々嬉しかったからだ。

 グランは父親の手紙にほだされ、空の旅を夢見ている。

「やっぱ魔物を倒せるぐらいの腕はないとな!」

 とグランは意気込んで剣を振り、そのたゆまぬ努力で体はみるみるうちにたくましくなったが、反面ジータからすればグランの行動は夢に向かって計画性があるとはどうも思えず、感情の赴くままに大雑把に行動しているようにしか見えなかった。

 空の旅に出るには船だっているし、路銀だっている。仲間だって必要だろう。しかしグランは日々見たこともない世界の想像図を夜な夜なジータに披露し、日中は村の力仕事を請け負いながら暇があれば剣を振っていた。

(グラン一人だと、絶対まずいことになる)

 ジータは心配でたまらなかったが、村で生まれ育ち一生を村の中で終えることを享受している他の子どもたちに比べると、双子の兄が輝いて見えるのも事実だった。

(私にできること……)

 グランが村の仕事を手伝い、たまに来る行商から剣や地図、魔物図解を買う傍ら、ジータは飛空船や一般的な旅行者のハウツー本を買い、グランより早く起きては隠れて読みふけ、役に立ちそうなことをノートにまとめていた。

「えっと構えは……」

「こうだぜ」

 ジータが木剣を中段に構えると、グランは後ろから覆いかぶさるようにしてジータの型を訂正した。グランは以外にも教本の基本に忠実であったことを、ジータは後から知った。

「うーん。振り方はいい」

「剣が地面に突き刺さってなけりゃあな……」

「私女の子だからね!?」

 グランとビィの苦笑いに、ジータは焦りながら返答した。

「もっと軽いのにすっか」

「むしろジータは弓とかの方がいいんじゃねえか」

「あー」

(やっぱり私が空の旅に同行するの、確定事項なんだなー……)

 諦めと嬉しさが同居する形容しがたい感情。裏表のない笑みを浮かべながら夢の地図を描く兄に対し、自分が現実的な肉付けをしていくのも悪くないと、もう思ってしまっていた。

 

「水浴び終わったぜー」

「うん、服着た? そっち向いていい?」

「おう」

 夕暮れになる前に鍛錬を切り上げ、二人は森の小川に軽く汗を流しに来ていた。

 村にほど近く魔物もほとんどでない安全な場所。ビィは腹がいっぱいになって満足したのか木の枝に身を投げ出し寝息を立てている。

 グランは先に汗を流すと、木の裏に隠れているジータを呼びつけた。

「それじゃあ……」

「ああ」

 グランとジータが入れ替わり、ジータは胸のリボンを解く。脱いだ外衣を綺麗に畳み、次いでブラとパンツを脱いで完全に素肌となった。

「……」

 一応胸と股を手で隠し、グランがいるはずの木に視線を向ける。グランが座って伸ばした足がかすかに見えるだけで、覗く様子は全くなかった。

(ま、妹の裸を見たいとは思わないか)

 ジータは両手で自身の胸のふくらみを包み、気持ち少し持ち上げた。小さいころはお互い裸で川遊びしたものだが、ジータ自身が胸が膨らんできたことを認識するころには、グランから水浴びや着替えを別にしようと言い出した。

 それが普通であることをジータは知っている。近所の良識あるおばさんが性知識についてちゃんと教えてくれたし、グランも似たようなものだろう。

(冷たっ)

 春先に川の水の温度は中々応えた。だが汗をかいた体は気持ち悪かったし、念入りに汚れを落としておかねばいけない理由があった。

『ジータは温かいな……』

『ん……そう……?』

 村の同年代には言えない秘密。グランとジータは寒くなると一緒のベッドに入って眠っていた。両親がいない子供にとって人肌の温もりは心身ともに癒され、互いの体の特徴に男女があらわれはじめた今でも、これだけはグランは別にしようと言い出さなかった。

 無論、ジータも。しかし一つ問題があった。最近ジータはその事を思い出すと、途端体の温度が上がったような気がして、心臓の音が少し早くなる。

 体を洗い、冷えた体を抱きしめてもらって、今晩も温めてもらおう。

 そう思うと、ジータは頬を染めながら口の両端が少し吊り上がる。体の隅々に汚れをそぐようにして手を滑らせる。

「きゃっ!?」

 ジータは突如片足を取られ、胸元の近くまで川に水を沈めてしまう。

「大丈夫か!?」

「大丈夫ー! 滑っただけー!」

 グランが木の陰から身を乗り出そうとしたので、あわててジータは返答した。こういうことがあると迷いのない兄を見て、また少し安心する。

(気をつけなきゃ……あれ?)

 足を立て直そうとすると、今度は取られた右足がなにかに固定されていることに気付いた。

(え、ウソ。底にはまっちゃった!? 呼ばな……!?)

 よく見ると底ではなかった。触手。白い軟体の触手がジータの右足に巻き付いている。

 触手の先には、一見少女のような外見をした魔物がいた。帽子のような貝殻を被り、下半身を軟体とした水棲の魔物。

(クラ―、ケン!?)

「きゃあああああああっ!?」

「うわっなんだなんだ!?」

「ジータ!!」

 ビィが跳ね起き、グランは剣をもってジータの元へ飛び出した。ジータの顔には恐怖が浮かんでいたが、必死で状況を叫ぶ。

「魔物がっ! 川の中にいるの! 足が取られて……!」

「待ってろすぐいく! ビィは応援を呼んで!」

「わかったぜ!」

 村の近くだったため大人たちがすぐに駆け付けるだろう。ビィが飛んでいく間、グランは剣を抜き放ち服を脱いでパンツ一丁になり、川の浅瀬を水を蹴飛ばしながら駆ける。

「触手に気をつけ……!?」

「ジータ!」

 グランの目の前でジータが完全に沈んだ。

(くそっ!)

 クラーケンどころか、人に害をなす魔物がこの小川に出る等聞いたことがなかった。グランは自身の油断を恥じながら一気に水中へ身を沈める。

(いたっ!)

 既にクラーケンの触手はジータの全身を這いまわり、ジータは口を閉じながらもがいているどうにも外れそうにない。

 川の底には横穴があり、クラーケンの本体はそこに引き込もうとしているようだった。グランが泳いで近づくと、クラーケンの瞳がグランを捕らえ2本の触手を向かわせる。

(斬れるかっ……!?)

 グランは水中で剣を振るのは初めてだった。水圧のかかる中剣を振るうと、向かってきた触手を浅く斬った。ちぎれはしなかったが、剣を嫌ったのか触手がグランの元から離れる。

(よし)

 そのまま泳ぐと、触手にからまれてもがくジータへ取りつく。ジータの肩を軽くたたくと、泣きそうな顔だったジータの表情が少し和らいだ。

 グランはジータを縛る触手を切ろうと剣をのこぎりのように動かすが、勢いよく振ったさっきとは違い触手が斬れない。クラーケンもせっかく捕った獲物を逃がさんと力を込める。

「がはっ!?」

(ジータ!?)

 触手が締まったのか、ジータの口が大きく空いて泡が漏れ出す。

(息がっ……)

 ジータの意識が苦しさで混濁していく。死の恐怖を認識したとき、救いを求めたのは目の前の男だった。

(おにい……ちゃ……っ……)

 ジータが意識を手放そうとしたとき、口の中の水が吸いだされ、瞬時に肺に空気が送り込まれた。

(!?)

 ジータが瞬発的に現実に引き戻されると、目の前にグランの顔があった。唇がぴったりと張り合わされ、空気が送り込まれる。

(おにいちゃん……!)

 いやしさも恥ずかしさもなく、ただ命を救おうとしてくれる、兄の存在に安心する。

 グランが口を離すと、グランはジータから離れた。向かうのはクラーケン本体、グランは向かってくる触手を剣ではらうと、クラーケンの人間型の本体に取りついた。

(水中じゃこいつを完全に斬ることはできない! それなら)

 グランはクラーケンの背後に回り、足をクラーケンの胴体に回し、剣を手放して人型の首に腕を回して力を込めた。

(人の形をしているならば構造も似通ってるはずだ! 血流を止めれば!)

 クラーケンは暴れグランを引きはがそうとしたが、脳への血流が止まったのか、徐々に触手の動きが鈍くなっていく。

(!)

 ジータも自身に巻き付く触手の力が抜けていくのを感じた。力を振り絞って暴れると、触手は簡単に体から離れた。

(早く、上がらなきゃ……!!)

 ジータに余裕はなかった。がむしゃらに足をばたつかせ、水面から飛沫をあげながら顔を出す。

「ぶはぁ!? はぁっ! はぁあ! がはっ! げほっ!」

(やった! 生きてる! 生きてる!!)

 ジータはせき込みながら涙を流し、生の喜びを感じた。だが、

「あ、あれ!? グラン!? お兄ちゃん!?」

 周りを見渡してもグランの姿はない。ジータの頭から血が引くと同時に思い出されたのは、視界の端でクラーケンを絞めながら黒い水底に沈んでいくグランの姿だった。

「うそっいやっ!」

 言うやいないやジータは潜り直すが、体力の消耗と恐怖が重なってうまく潜れない。

(お兄ちゃん!! お兄ちゃん……!!)

「ぷはっ! くぅう!」

 潜れず頭が水面に出てしまったが、何度も繰り返し潜り目を凝らした。だがグランの姿はどこにもない。

(どこっ!? どこっ!? どこっ!!)

「おーい! ジーター!」

(どこっ!? どこにいるの!? いやっ駄目だよっ! お兄ちゃん!)

「おーい! おいってば! ジータ!」

(一緒に! 一緒に行くっていったのに! 一人にしな……!? えっ!?)

 幻聴かと思った。水面に出る度に、グランの声が聞こえる。

「ジータ!」

 ジータが振り返ると、ずぶ濡れの兄が川岸に立っていた。走ってきたのだろう、下流からその足跡が見える。

「ジータ」

 呆然とグランを見つめるジータに対し、グランはジータに駆け寄っていく。

「大分流されちゃってな。あいつは下流の方に逃げていったよ。仲間がいるかもしれないから早くあがろう、な!」

 グランはジータを落ち着かせようと思い、ジータの肩を掴んで至近距離で語りかけた。

「あっ……」

 肩を掴むグランの手、目の前の瞳、いつもより張った声。

「もう大丈夫だから。あがろうジータ。な?」

 あやすようにグランの声のトーンが落ち、ジータの肩をゆっくりと撫でる。

「……ひ……ふえ……」

 ジータの呆然とした表情が熱を取り戻す。瞳が涙の雫をため、唇が波打つ。

「ほら、行こうジー」

「ふえぇぇぇ……!! ひぐっううっうぁあああ……」

「おっおい……」

 ジータは裸であることも忘れグランにすがりつき、胸の中で泣いた。グランも焦ったようにしていたが、一度息をついてジータを抱きしめ、背中を撫でる。

「もう大丈夫だから。よく頑張ったな」

「ひぐっ、ううぅ……」

 ほどなく、ビィが村人達を引きつれて到着し、二人は無事に川を出た。ジータは陸に上がった直後に緊張が解けたのか腰を抜かしてしまい、拭き布や着替えをグランに介護されるように世話され、その間頬を茹蛸のようにしながら顔を上げることができなかった。

 

「ふいい。二人とも大した怪我がなくてよかったぜ……」

「はは、ビィも今日はありがとな」

「……」

 夕暮れ、グランはまだ力が入らないジータをおんぶしながら帰路についていた。ビィはバスケットを持ち、ジータはグランの首に顔をうずめている。

 ジータの心中には嵐が起きている。

(うう……! 恥ずかしすぎる……! あんな、あんな子供みたいに泣いて、グランに、体の隅々まで……!)

「でもよう。よく水中でそんな戦い方ができたな。相棒も初めてだったんだろう?」

「水中での徒手空拳について書いてる教本があったんだよ。確か……」

『古今無双流において、水中の魔物など恐れるに足らず! 自らの拳圧によって海河諸共を吹き飛ばし』

「おいおいおい! それ聞いた話と全然違うし、どこも参考にならねえじゃねえか!」

「いや、その下に『それができない初心者は……』って小さく書いてあった。泳ぎ方とか絞め技とか」

「伝えたい事の主張が激しい本だな……」

(うう……)

 ジータが耐え難いことはもう一つあった。グランがあれだけ自分の裸体を見て触れたくせに、本人はまったくといって気にしたそぶりを見せないのだ。胸を背中に押し付けている今ですら。

(私はこんなに恥ずかしがってるのに……!)

「むうう……がぶ」

「うおっ!? なんだよジータ? なんで噛むんだよっ」

 ジータが鈍い声を出しながらグランの首を甘噛みする。

 ビィはジータの心中を察すると、こらえきれずに破顔した。

「ジータの奴、悔しがってんだよ! グランがまったくいやらしい目で見ないからさ!」

「はあ? 誰を? いだだだ!!」

「……ふんっ。ビィしばらくリンゴ抜き」

「ええ!? そりゃないぜジータぁ!」

 家に着くと、いつもの日常が帰ってきた。今夜はグランが夕飯を作り、3人とも気を張っていたせいか食事をとるとすぐに蝋燭の火を消した。

「んじゃおやすみグラン、ジータ」

「おう、おやすみ」

「おやすみ……」

 寝つきのいいビィの寝息が聞こえてくる。まだ寒い夜だったため、グランとジータは同じ布団に入り体を寄せて温め合った。

 グランも疲れていたのだろう。すぐに規則正しい吐息が聞こえる。ジータはその様子を、眠気に抗って見つめていた。

(そろそろかな)

 グランは寒さを感じると、無意識に暖を求めてジータを抱きしめる。幼い頃からジータだけが知ってる習慣。

 抱きしめる強さはそれほど強くなく、むしろ程よい体温が感じられて暖かい。

 ジータは間近に迫った、グランの顔を見つめた。

(人の気も知らないで……)

 頼りになることは重々知っている。だが、いざ自分が命の危機に瀕したとき、グランが命がけで自分を救い、安心するまでずっとついていてくれた情景は、暖かい記憶として何度もジータの脳内に映し出されていた。

(……お兄ちゃん)

「ジータ……」

「!」

 ジータは一瞬びくついたが、すぐにグランがむにゃむにゃと口を動かたため、寝言だと気付いた。ジータはくすりと笑う。

「なあに?」

「ジータは……」

 グランが瞳をとじたまま、声をまごつかせて続ける。

「俺の……命より……大事……だから…………んにゃ……」

「――――!!」

 ジータにとって、今日一番の心の波が立った。混乱し、受け止め方がわからない。

(………………おにい)

 感情が着地したのは、一般的に禁忌とされているものだった。ジータはわかっていたが、水中で感じた唇の感触と、間近に迫ったグランの顔を思い出し、体の芯から湧き上がる熱に身を任せた。

「……グラン……ん……んん……ん…………」

 

 ジータしか知らない夜を過ごしても、二人とビィの生活に大きな変化はなかった。

 大きな軍艦が村の上空に来た時も、ジータは森に鍛錬にいったグランとビィをそのままに、洗濯物を片手に空を見上げていた。

「え、な、なにあれ……!?」

 多くの村の人達と同じ反応をしてる中、軍艦から小さな光が起きたと思うと、爆音と炎が遅れて村を襲った。

 のどかな村は混乱と悲鳴に支配され、村人が逃げ惑う中でジータは、村の祠のあたりで火柱が立ち上がったのを見た。

(……ビィ! グラン!!)

 あそこは、グランがいつも鍛錬している場所に近い。ジータは洗濯物を放り出し一目散に駆けた。

 赤い竜が見える。青い髪の少女が立っている。騎士らしい男と女が一人ずつ。ビィが叫んでいる。

 倒れているのは誰だ。誰だ。

「……」

 絶望が心から全身に浸透する前に、青い髪の少女が輝き、その輝きはグランへと繋がって全身を包んでいく。

 そこからは、よく覚えていない。

「おい、ジータもこっちへ!」

 手を引くグランとビィに連れられて、甲冑をきた戦士たちから逃げる。小さい騎空艇にぎゅうぎゅう詰めで乗り込み、違う島へ。

 混乱が止まらないのを皆が心配してくれたおかげで、ジータは動揺を内心にとどめることができた。

 意図せずして始まった空への旅路、望んでいた非日常に飛び込み笑みを浮かべるグランを見て、まあいいかと思考を停止していた感は否めない。

 そのつけが、時にジータに原因不明の心労として襲い掛かってくる。

 いや、原因はわかっているのだ。時が過ぎ、旅に慣れ、仲間が増え、強大なモンスターを倒すグラン達。

 大きな依頼を終え、空行く船の甲板の上で、ルリアとグランは夕焼けをバックに寄り添っている。

 グランはきっと、ルリアを妹のように思っているのだろう。そのはずだ。

「今日の魔物、危なかったですね。うまくいってよかったです!」 

「ああ、ルリアもお疲れさま。召喚獣のタイミングばっちりだった。疲れてない?」

「はい! グランも無理しないでくださいね。グランになにかあったら、私……」

「命を投げ出すようなことなんてしないよ」

「グラン……」

 

「だって」

 

「俺の命は、ルリアの物だから」

 

『ジータは、俺の命より大事だから』

 

 

「グラン、ちょっといい?」

「ジータか? どうぞ」

 夜の団長室、就寝を前にしてベッドに腰掛けるグランを前に、ジータは寝間着をもって尋ねた。

 ビィはルリアの部屋のようだ。都合がいい。

 ジータは少しうつむき、何度か迷ったように口をパクパクした後、消え入りそうな声で切り出す。

「あ、あのさっ……。今日、なん、だけど……」

「?」

 グランが首を傾げる。ジータは無理やり笑みを作る。

「一緒の、ベッドで寝て、いいかな?」

「え、なんで?」

 グランは驚いた。騎空艇で夜を明かすようになって部屋を分けようと言い出したのはジータだったし、兄妹とはいえ男女別の部屋にする常識をグランも理解している。

「え、あ、あはは、なんだろう。不安に、なっちゃってさ……」

「なにに?」

「なんとなく、自分でも、よくわかってないんだけど、色々……」

「……??」

 ジータのしどろもどろな言葉に、グランの脳内に疑問符が飛び交う。

(ジータ……)

 だがジータの不安そうな表情はわかるし、自分でもよくわかっていないというのも本当だろうと信じた。

「いいよ。じゃあ着替えるから、向こうむいててな」

「う、うん! ありがとう……」

 お互い背をむき、布の擦れる音が聞こえる。ジータは後ろに裸のグランがいると思うと心臓が早鐘を打ったが、グランの「終わったぞー」という気のない声で現実に戻され、すぐに着替えを終えた。

「んじゃ、おやすみ」

「うん、おやすみー……」

 グランがランプを消し、あたりが闇に包まれる。ジータの世界はグランがいつも使っているベッドの匂いと、傍らに感じる暖かさに支配された。

 間をおかずグランの寝息が聞こえてくる。

(寝ちゃった……?)

 グランが寝ているのを確認するため、ジータはグランの手を軽く握った。指の間に自身の指を差し込み軽く力を入れても、グランは握り返してこなかった。

「……」

 ジータは手を離し、二人にかかった毛布が落ちないように体を動かし、グランに体重を駆けぬように膝と腕を曲げて空間を作りながらグランに覆いかぶさる。

 目を瞑り規則正しく呼吸するグランを見下ろし、ジータはほくそ笑んだ。この顔を知ってるのは私だけだ。

(こんなこと、できるのも)

 ジータはグランに自身の髪がかからぬよう軽くかき上げて、唇を落下させた。

「ん……ふふ……ちゅる」

 久々に堪能した味に酔いしれ、次はグランの唇に舌を這わす。何度も往復し、舐めとった湿度を口内に引き戻して飲み込むと、ジータは恍惚で身を震わせた。

「ん……美味し……♪」

 もう一度唇を落とし、体も落とし、局部をグランに擦り付ける。押し付けた唇から舌を這わし、グランの薄く空いた口へ――。

「!?!?!?」

 ジータはなにが起こったのかわからなかった。突如ジータの体が跳ね上がり、グランの上体が起こり、ジータの肩を手で押さえて距離を保っている。

 俯いたグランの顔。ゆっくりと上げたグランの顔には、今まで見たことのない悲しみが張り付いていた。

「やめよう、こんな、兄妹で」

 その夜を最後に、ジータとグランが同衾することはなかった。

 

 ジータは唇が触れる前に、張り付かせていた手に力を込めて姿見を押し割った。

 オーガのジョブをマスターしている力はたやすく姿見を粉砕し、割れた破片が飛び散ってジータの体に向かう。

 ジータはその場に立ったまま、破片のすべてを無表情で、最小限の動きでかわした。

(後で、シェロちゃんに弁償しなきゃ)

 冷え切った思考の中、即座に大体のルピを算出する。元来浪費することを知らないジータの蓄えは十全だった。

 だが、この後シェロカルテの元へ報告すると意外なことになった。件の鏡は使われている魅了の薬の危険性を考慮し、一般公開はせずに処分するはずだったという。

 それが手違いで施設に残っていたため、弁償どころか感謝される事態だった。ジータはごく自然に問いただした。

「シェロちゃん。それってどんな薬だったのかな。もし危ないものだったら……」

「お薬自体は、手に入りやすい一般的なものですよ~。一部の地域では嗜好品として扱われています~。ただ調合によって効能が変わりやすいので、用いるには厳しい審査や取締りがありますね~」

「ふーん……」

 ジャスミンを当たるか。最近兄に色目を使い始めた彼女なら、思考は読みやすい。

「ありがとう、シェロちゃん。お薬のこと詳しくありがと。私たちも気をつけるね」

「いえいえ~」

 

「どうしたのジータ? 話って」

 夜にジータの自室に呼び出しても、グランはなんの警戒心も持っている様子はなかった。

 少し話がしたいと、二人きりでと強調すると、グランはなにか悟ったようにしてビィをカタリナに献上した。

「このまえの、夜の事なんだけどね……」

「ああー……」

 正面に座るグランは居心地が悪そうに頭の裏をかいた。ジータは勢いよく頭を下げる。

「ごめんなさい。この前は、私、どうかしてた。本当に、ごめんなさい」

 グランは困ったように笑みをこぼした。

「……いいよ、気にしてないから。あの夜の事は、もう忘れよう」

 ジータは下げた頭の下で歯ぎしりした。感情を抑え次手を出す。

「これ、今日ルリアとイオに手伝ってもらって作ったクッキーなの。よかったら……」

「え、そんな、いいのか……?」

 全てを言わずに真実を織り交ぜ、清廉潔白なルリアとイオとの共同と言われれば、受け取れない手はない。

「この前のお詫び。もしよかったら、その、食べて感想聞かせてくれる……?」

「ああ。ありがとう。じゃあ早速」

 ジータは、グランが菓子袋をあけてクッキーを一個取り出し、口に運び、口の中で噛み砕いて飲み込む一連の動作を、食い入るように見つめていた。

「美味しいよ。ありがとう」

「よかったあ! 嬉しい……!」

 ジータは喜色満面だった。今まで生きてきた中で一番嬉しかった。

 ここまでジータが嬉しがると、グランもつられて明るい気持ちになる。事実美味しかったため、もう一個口に入れる。

「やっぱ美味しいな。ありがとう。残りは後で食べるよ」

「ありがとうグラン……本当に、あの時はごめんね」

「いいさ。こちらこそクッキーありがとう。お休みジータ」

「うん。お休み……」

 グランは自室に戻る。いつもならビィの寝息が聞こえる時間だったが、今日はカタリナの抱き枕と化しているだろう。

 寝間着に着替え、鍵をかけ、ランプを消した。

 ベッドの上で目を閉じる。瞼の裏に浮かんだのは、先ほどの喜色満面のジータだった。

(本当、嬉しそうな顔だったな……)

 思考がぼやけ始める。きっと寝る寸前なのだろう。

(ずっと、見ていたいなあ……近くで、ずっと……)

 想像上のジータの姿、瞳、唇、徐々に熟れ始めている体。グランは自身の体温が上昇していることに気が付かない。

(ジータ……俺の、妹……)

 ドアの隙間に、音もなく白刃が煌く。チンッと納刀した音のあと、扉が開く。

(俺の、俺のジータ……俺の……)

 足音が聞こえる。布の擦れた音が聞こえ、ベッドが軋んだ。

 意識が混濁し、現実と夢の境がなくなっていく。

 グランは瞳を閉じていることも忘れ、呟いた。

「ジータ……」

「なあに」

 体が直に外気に触れ、女の肌ざわりと温度を直に感じても、グランは夢の中だった。

「んちゅ……ちゅる……」

 舌が重なりあい、唾液を交換し、脳を埋め尽くす女の体に埋もれていく。

「きて……グラン……」

 夢の皮が剥がれ落ちない夜に、グランは心を想われ人に浸食されながら、体を何度も何度も墜落させた。

 

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