STEAM Phantasm   作:ジンネマン

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夢歩き 後編

「ちょっとあんた!! 何やってんのよ!!」

 

 誰かの怒鳴り声が廃屋に響き渡る。隙間だらけ廃屋なのにあちこちに乱反射する、なんならかの術式が込められているのか、耳から入った音が脳どころか全身に反響してピリピリする。

 あたしはさっきまで火照って(あたしは断じて認めない)いた体は、吹き消された蝋燭のように冷えていた。

 ――白いネコビト? 猫耳と尻尾があるけど、肉球が無い分ルシャよりも人に近い。そして、その目が、機械仕掛けの神様みたいに目が紅い(・・・)

 

 ネコビトは地鳴りを響かせるように、鼻息を荒くして近づいてくる。その目は紅い以上に充血している。

 

「ちょっと七夜! 人が魔力集めに精を出しているって時に、人がいない間に知らない女を連れ込むなんて良い度胸ね七夜。いえ、そんなのはどうでも良いわ、その女はなに!? なんで私を差し置いてイチャイチャしてるのよ!」

 

 ネコビトは七夜と呼ばれた男の腕の中に抱かれてるあたしを指差して迫る。

 ――人に指差すなんて失礼なネコビト。ん? いまあたしのこと女って言った?

 

「何って、わざわざ、こんな、人気(ひとけ)の無い場所に初めて来られたお客様だ。なら丁重にもてなすのが筋だろ?」

 

「? 七夜、今、こちらに来た(・・・・・・)って言った? ならその女は私の結界をすり抜けてきたって言うの?」

 

「ああ、その通り。俺はご主人様の結界を弄ってもいなし、弄れない。つまり、この仔猫は――」

 

 ネコビトがあたしの顔を凝視してくる。さっきまでの仇を見るような目つきではなく、あたしの総てを見透かし、測るように見つめてくる。

 

「私の結界を壊さず、弄らず、感知もされずに自分から入ってきた。

 ふーーん。この仔がね………ん。

 ふふふ。なるほど、なるほどね。あなた――そうなのね。本当に珍しいお客様ね。ええ、これは歓迎しなくてはいけないわね。ここで帰しては失礼になるものね」

 

 ネコビトは何か納得したのか、あたしを歓迎すると言っている。が、その目は少しも、これっぽちも、歓迎しようとしている目ではない。

 そして、あたしを抱き上げ、顎に手を静かに添えて、なまめかしく口を開く。

 

「さあ、お客様。精一杯歓迎しましょう。ええ、精一杯歓迎しますよ(・・・・・・・・・)。それはそれは永遠に夢から覚めない、覚めたくないくらいの歓迎。淫乱なあなたにピッタリの、とびっきりの淫夢という歓迎をね」

 

 ざわざわ、ネコビトの言葉の意味は深く理解は出来なかったが、それでも全身の毛が逆立った。これは危険信号、これを受け入れては大変なことになる。それはAとした時以上に(・・・・・・)大変なことに。

 だから、あたしはジタバタと暴れ、偶然にもネコビトの手を引っ掻いた。

 

「っ」

 

 ネコビトはあたしが予想外に暴れたのと、爪を立ててまで抵抗して引っ掻かれたことにより一瞬ひるんだ。次の瞬間にあたしはネコビトの手から離れ、一目散に廃屋の外へ駆け出す。

 背後でネコビトが何やら喚き散らしているが聞こえない。聞きたくない。戻る気もない。兎に角逃げたかった。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 それからあたしはどれくらい走っただろうか、一時間か二時間か、もしかしたらもっと短いかもしれないがわからない。少なくともあの廃屋にいた時間と逃げている時間を合わせて随分経ったと思う。なぜならもう空は暗く、星が見えず、月も見えない。昼間は晴れていたのにいつの間にか空はどんよりした曇に覆われ、太陽がない分昼間よりもずっと寒くなっていた。

 ――うう、寒い。これならあの廃屋にいたほうが……いや、それはダメだ。絶対ダメだ。

 ――ん?

 

 あたしの目の前を白いフワフワしたものが降りてきた。それは一つ、二つ、どんどん増えていく。あたしは空を見上げるとたくさんのフワフワしたものが降りてくるのを眺める。

 ――きれい。すごくきれい。

 あたしはしばらく白いフワフワに見惚れる。それぐらいきれいで、とてもきれいで寒さを一瞬忘れてしまうくらいだ。でも、その白いフワフワが鼻先に触れた途端、

 

「ニャ!」

 

 ――冷たい! 冷たい!

 気づくと白いフワフワ体のあちこち触れて、体温で溶けて、濡らし、あたしの体温を下げてくる。そこに風まで出てきた。濡れた体に冷たい風が容赦なく打ち付ける。あたしは何処か避難できないか辺りを見渡し歩き出す。そうする間に白いフワフワと風はどんどん強くなり地面を白く染める。

 ――足が冷たい。他にもいろいろ冷たい。

 ――寒いよ――

 

 あたしはもう走る体力も気力もなく、それでもどこかで暖を取ろうと歩く。もしも、ここで凍え死んだら、一生あちらで目覚めないかもしれない、そんな気がして、そんな風に思えて、怖くって、Aまた会えないと思うと本当に怖くって。

 ――うう、どこかに、どこかで体を暖めないと……

 

 あたしは歩く、歩く、あてもなく、頼りもなく、Aもいないこの街を歩く。

 

 すると、突然あたしは宙に浮いていた。いや、正確には誰かに抱きかかえられた。あたしの体のあちこちに付いて少し固まった雪を払ってくれる誰かを、あたしは体を捩り、首を捻って。あたしを抱く人の顔を見た。

 

「こんな雪の夜に大丈夫かい? かわいい仔猫ちゃん。ってこんな寒い夜に大丈夫なわけないか、もしよければ今晩はうちに来るかい? 暖かい寝床と食事もついてくるよ」

 

 あたしは驚きのあまり声を上げれなかった。あたしを抱き上げたのは、あの廃屋にいた妖しい男だった。

 ――逃げなきゃ…………ん? あの男ではない――? いや、顔はよく似ているが…………しかし、あの男とは雰囲気がだいぶ違う、もしかして兄弟?

 あたしを抱き上げる男を凝視して思案する、このままこの男についていくべきかどうかを。

 

 そう思案している時、冷たい風が体を撫でる。次いでと言わんばかりに空腹も感じる。

 ――寒い、お腹減った……取り敢えずこの男について行こう。そしていつでも逃げれるように注意しないと。

 伝わるかどうかわからないが、あたしは男の提案に乗るという意思を込めて頷いた。

 

「了解。じゃあ行こうか」

 

 男にあたしの意志が伝わったようで、笑顔で答えてくれた。そしてあたしを厚手のコートの胸元に引っ掛けるように入れ、その上からマフラーを軽くかぶせて歩き出した。

 

 

 

 それから数分歩くと高い壁と、広い庭、大きな門のある大きな屋敷の前に着いた。男は門の前にあるボタンを押した。すると門の鉄格子が重苦しい音と共に横にスライドし始めた。鉄格子が開き切る前に男はそくさと屋敷に入っていった。背後ではまた重苦しい音と共に鉄格子が閉まり、最後に鉄格子同士がぶつかり合う音がして静かになった。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさいませ志貴様」

 

 男が帰りの挨拶をすると刹那もなく一人の使用人が男を出迎えた。

 ――ふーん。この男シキって言うだ。

 使用人は初めて見るから少々興味はあるものの、なんかAみたいな雰囲気でどういった反応すればいいか悩む。

 

「うん。ただいま翡翠。あ、あのさ翡翠、今日は連れがいるんだけど」

 

 シキはヒスイと言われる使用人に近寄り、小声でなにか話すようだ。

 ――誰か連れなんていたっけ?

 

「はい、お客様ですね。それで、その方はどちらにいらっしゃるのですか?」

 

「ここだよ」

 

 シキはマフラーをとり、その下に隠していた(今気づいた)あたしを使用人に見せる。ヒスイがあたしをじ~~っと見つめてくる。今日は色んな人に見られてばかだ。

 

「かしこまいりました。では姉さんにレンさんと一緒の食事の用意、秋葉様に内密にすればよろしいですね」

 

「そうしてもらうと助かるよ翡翠。じゃあお願いね」

 

 シキはヒスイとのやり取りを終えると屋敷の奥に歩いて行った。屋敷の廊下は少々冷えるが外ほどではなく、我慢できないほど辛いわけでもない。

 ――ただ、この屋敷は――なにか、普通には思えない。

 

「さあついたよ。いま炬燵に電源付けるから待っててね――ってもうついてる。ん。レン、君がつけておいてくれたのかい。ありがとう。じゃあお邪魔するね」

 

 あたしが思案している内に目的の部屋に着いてたみたいで、シキは部屋のなかでなにかの準備をしているのか、忙しそうに動き回っている。やれ、オチャッパはどこだ、ミカンとお菓子はどこだなの落ち着きがない。

 しばらくして用意が整ったのか部屋の中央にある見たことのない机に、ベットカバーと机が一緒くたになった奇妙な机に腰を落ち着けた。

 

「ふう。さあ君もこっちおいで、この中は暖かいから」

 

 シキはあたしを奇妙な机に入れる。なか妙に暖かく、不思議とリラックスしてしまう。新手のメスメルと言われても納得してしまうくらい心地がいい。

 ――なんだろこれ、すんごく気持ちいい。ずっとこうしていたいくらいだ。ん?

 ふと、あたしは隣に赤い瞳と大きなリボンを首に巻いた猫に気づいた。

 

「・・・・・・・」

 

 ――なんだろ、なんでこの猫もあたしを見つめてくるんだろう。

 

「レンはこの猫が気になるのか? この仔は外で凍えていたから連れてきたんだ。仲良くしてやってくれ」

 

「・・・・・・・」

 

「ニャア (よろしく)」

 

「・・・・・・・」

 

 ――どうしよう。なんの反応もない。

 あたしたちが二人(二匹)で見つめ合っていると扉が静かに開かれる。大きなお盆を持って現れたのは使用人のヒスイだ。

 

「失礼します。お客様のお食事と志貴様のお夜食の鍋焼きうどんです」

 

「ありがとう翡翠……それで、その鍋焼きうどんは、誰が作ったんですか?」

 

「どちらも姉さんが作りました。では、少ししたら取に来ますので」

 

 ヒスイは恭しく頭を下げて部屋から出て行った。残ったあたしたち静かに食事を始める。始めたはいいが、未だにレンはあたしを見続けている。少々食べづらい。

 

 

 

 それから食べ終えた食器をヒスイが片付けて、しばらくしてシキが机の上で寝た。あたしも眠くなり始めた頃、レンがあたしの正面に座った。

 

「・・・・・・・あなたは早く帰ったほうがいい」

 

 いきなりレンが喋りだしたかと思うと、その姿はいつの間にか人の姿に――違う、この姿は廃屋で出会った白いネコビトと同じだ。唯一違うのは服や髪の色くらいだ。

 そんな黒いネコビトになったレンはあたしの頭の上に手を当る。

 

「またね」

 

 その言葉聴いた瞬間あたしの意識は暗転した。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

「リ……ィ」

 

 ――ううん。まだ眠いよ。

 誰かが寝ているあたしを揺する。

 

「リリ……ィ」

 

 ――まだ寝かせてよ。

 しつこくあたしを揺らされる。

 

「リリィ」

 

 ――もうしつこいよA――A!

 あたしを起こそうとしているのがAだと気付くと勢いよく上体を起こす。そして、起こした直後、ごつん、っという鈍い音と共に額と鼻に激痛が走った。

 

「いたい――」

 

「大丈夫かいリリィ?」

 

 激痛の余り額に手を当てて、激痛の余り涙目になり、激痛の余りうずくまるあたしを見つめるA。いつもあたしをどこかしらからみつめているA。今、彼がいることに一抹の安心を得る。

 ――でも、あたしがこんなに痛がっているのに、Aは平気そうなのが、なんか、ムカつく。

 

「――平気」

 

 あたしはこんな小さいことでAに患ってほしくなかったから意地を張った。もちろん大丈夫じゃない、凄く痛いし、額と鼻が痛みで熱い。

 

「そうには見えないが、君がそう言うならそういうことにしておくよリリィ。しかし、もしも我慢できなくなったらいつでも声をかけてくれ」

 

 そう言うとAはあたしから離れる。

 ――あれ? いつもなら無理矢理にでも治療しようとしそうなのに、こう、強引にベットに押し倒して、片手であたしの両手を拘束して、器用に片手で治療しそうなのにどうしたんだろう。

 あたしはAからいつもと違う雰囲気を感じてなにかあったのか不安になる、もしかしたらあたしが寝ている間にまた白い瞳の彼みたいなのが現れたんじゃないかと。

 

「A。もしかして何かあったの?」

 

「――いや、何もないよ。問題ない」

 

 Aが少し間を作った。いつもなら間も置かず返答するのに、これはおかしいと思い追及する。

 

「ねえA。本当に何もなかったの?」

 

「ああ、何もなかったよ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「本当?」

 

「ああ」

 

「あたし、嘘や隠し事は嫌だよ」

 

「何もないよ」

 

 あたしは言葉で言っても進展はないと判断した。次なる手段は視線で攻めることにする。

 本当は言葉でもいいけど、でも、思いつく言葉が以前、Aを少し傷つけたように思えたから言えない。

 そう言うわけであたしはじっとAを見つめる。目を皿のようにしてAを見続ける。

 

「(じーーーー)――――――――――――」

「………………………………」

「(じーーーー)――――――――――――」

「………………………………」

「(じーーーー)――――――――――――」

 

「僕はあまり君のことを見ていなかったかもしれないと思った」

 

「え?」

 

 唐突にAが喋りだしたかと思うと変な事を言い出した。

 ――いつものアレ(・・)で見ていないって、だったら今後はどうなるのよ。――あたしだって……そりゃ前に比べればAに見られるのも嫌じゃなくなったけど……でも、今まで以上に見られるっていうのもちょっと。

 

「A――」

 

「――君が発情(・・)しているのに気づかなかった」

 

「は?」

 

 ――いきなり何言っているのこいつは?

 

「何言っているのA?」

 

 とにかく、いま、この状況を確認、そして対処方法を検討しないといけない。

 

「――リリィ、君は寝ている最中に股をモジモジさせていた。尿意を感じていたようには見えず、なによりも、その呼吸方法が発情した女性そのものであった。つまり、僕は君が性的欲求をため込んでいることを気付かず、その対処さえしていなかった。それは許すまじき失態だ」

 

 ――え? ハツジョウ? その言葉さっき夢の中で聞いた。あの妖しい男が言っていた。

 

「そして、いま、ある結論に行きついた」

 

 ――なんだろう、凄く嫌な予感がする。

 あたしは背中に嫌な汗をかく、ベットの残り少ない距離を後退していく、逃げ場を探す、見つからない。

 

「リリィ――」

 

 いつの間にか、そう、いつの間にかAがあたしの目の前にいた。目の前、鼻先と鼻先がくっつくくらい近い。っとさにあたしは身を捩って頭を後ろに下げようとした。が、その頭の後ろにAの手が添えてあった。これでは後退できない。

 上手く身動きできないあたしにAは一段、また一段と顔を近づけ、そして、

 

 首にキスしてきた。

 

「――はぁぁ」

 

 変な声出た。そのキスは優しくって、機械的で、Aの冷たい体温が伝わる。でも、でも、前よりも強いキス。

 そして、いま、あたしは汗をたくさんかいてたのに気づく。

 ――あたしいま汗臭くないかな、Aにキスされて、さっきよりも書いている気がする。

 

「――A、ちょっと、まっ」

 

 今度は口にキスされた。さっきよりも強くAの体温を感じる。Aの息遣いを感じる。

 ――熱い、熱い、なんだろ、前にされた時よりもすんなり受け止められて、前よりも熱く感じる。

 ――胸がドキドキする。体中の血管がドクドクと脈打ち、顔だけじゃない、耳も、唇も、ほかの色んな所が熱くなる。さっきまで感じていた鼻と額の痛みの熱さなんか目じゃないくらい熱い。体中熱いせいか、また、目から涙が出てきて、Aがそれを拭ってくれて、唇を離したと思ったらその涙と涙の痕にキスしてくる。

 あたしは少しでも休みたくって、少しでも落ち着きたくってAに提案する。しようとする。

 

「ねえ―A、少しやす」

 

「問題ない。すべて僕に任せてくれればいい」

 

「え――ぁ」

 

 Aがまたあたしの首にキスをしてきたかと思うと次は鎖骨にキスをしてくる。

 

「ぅぅん。A――ひゃ」

 

 次は胸に…………むね!?

 

「A待って!」

 

 あたしは急いでÀを制止させようとする。しかし、

 

「大丈夫。問題ない」

 

 そう言うとAは胸の次は谷間、みぞおち、おへそ。どんどん下に移っていく。そこまでいってあたしは気付いた。このまま下に行ったら、下に行っちゃったら、大変なことになる。

 

「ダメーーーーー」

 

 あたしはあるはず(・・・・)の下の寝間着を掴もうとする。そう、あるはず(・・・・)の下の寝間着を……

 ――あれ? ない(・・)

 あるはずの寝間着を掴めないではなく、そもそも寝間着そのものがない。あたしの腰にあるはずの布地の感覚はなく、すーすーした感覚しかない。それどころか上にも布地の感覚がない。つまり、あたしは、いま、なにも、身に付けていない。

 

「Àーーー」

 

「大丈夫。問題ない」

 

「---------------------------」

 

「リリィ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――暗い場所。

 うす暗い――

 ジャズ音楽の流れるバーだった。

 

 場に漂う気配の類から、ある種の神殿を想起する者もいるだろう。

 

 ジェームズ・フレイザー卿が記した金糸篇なる著作に数多記述さた、世界各地の呪術や魔法、魔術の源、根源の渦、全ての始まりであり、全ての終わりであり、全てがあるとされる場所。宇宙の外に存在こそこれだ、と。

 そういう思い違いをする者もいる。それとは異なる体系の秘儀を信じ込み、狂い果てて死ぬ者もいる。

 不気味な薄暗さに、深淵の狂気こそ思う者もいるだろう。

 

 ただ、暗がりの、この酒場にいるものはそれらの一切を想起しない。感じない。思うこともない。

 

 たとえば、今、この場に脆く儚い小さきものが迷い込んだとして。

 恐怖の重みをまともに受け止めて儚く精神を圧壊させられたとしても。愚かなモノよ、と思うだけだ。

 

 そこに――

 今は、一人の客がいる。

 

 そのものは白く、桜の花びらが散りばめられた着物を青い帯で締めた少女。

 この場の薄暗さの中にあって、その暗闇を切り裂く白。

 

 それは森羅万象、この世のありとあらゆる三千世界全てのモノに死を与え、全てであり、全てでありえない「 」の器を思う者もいるだろう。

 白い着物。

 黒い髪。

 

 そして、なによりも目を引くのは彼女の侍らせる刀。

 もしも、彼女がその刀を抜き、切り裂けば、このバーの世界を切り裂くだろう。

 

 少女が店を見渡し、店主へと視線を向け、口を開く。

 

『ねえ、ここに時計人間は来ていない?』

 

 それは少女の声だ。全て、世界全てから響くような声だった。

 

 それに、首を横に振り応えるのは店主。

 片目だけの店主。

 白色の、虚ろな瞳。

 胡蝶の仮面を纏う店主。

 

『そう。だったら、時計人間が来たら伝えといて』

 

『あなたの、本来のあなたの一割どころか、一%にも満たない。型にはめられて、貶められて、矮小化したあなたが私の世界で色々やっているけど、その事には何も言うつもりはないの』

 

『でもね、もしも、あなたの劣化品にもなりえない粗悪品が、もしも、私のあの人を、あの人たちに手を出したら』

 

『容赦しないからね。ってね』

 

 白色の瞳の店主が問う。

 ここは酒場だ。注文は何か。

 

『じゃあ観布子(みふね)

 

 薄暗いバー。もしくはバール。

 アラヤ識の境界、意識と無意識の狭間にて。

 

 夢幻の胡蝶の仮面を纏う何者かは、表情を変化させることもなく、少女を見ることなく、ただ、機械的にカクテルを作り、少女に差し出す。




うん。この話、本当はエイプリルフールに間に合わそうと思ったのに間に合わなかった。そんな話です。

あと、たぶん、内容は大丈夫だよね? と思うシーンがあります。うん。たぶん大丈夫だと思う。




では親愛なるハーメルン読者の皆様良き青空を。
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