死せざる少女の人形歌劇《グランギニョル》   作:ナナヒカリ

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冥き家族計画の円舞曲《ワルツ》

 

 シルクのような赤い花弁が幾層にも重なって一つの花を型どっている。花は庭園という全体の部分でありながら、それ自体完結した一個の自己を持っている。

「如何ですかな? 当家の薔薇園は?」

 ベルンハルトの横に立つボリスが訊いた。

「ええ、とても素晴らしいものですね」

 御世辞ではなく本心からベルンハルトはそう答えた。

「血のように赤い薔薇でしょう? 人間の血を吸わせて育てるとこのような色に育つのですよ」

「それは、本当ですか?」

「……まさか。冗談です。実際に人間の死体を埋めたら、土中の養分の比率が崩れて色艶が悪くなってしまうでしょうよ」

 自分で始めた話にも関わらず、汚らわしいというふうにボリスは手を払った。

 

「本当にご覧に入れたい薔薇はこちらです」

 ボリスはベルンハルトの先頭に立って歩き出した。ほどなくしてレンガで覆われた空間の前で止まる。

「ここです」

 

 ベルンハルトは目を見張った。

「これは……黒薔薇ですか!?」

 漆黒の花弁がベルンハルトの目前で渦を成していた。黒い薔薇がこの世にあるというのは話には聞いていたが、それを直に見るのは初めてだ。

「いや、これは実は黒薔薇ではないのでして。赤薔薇なのです。赤い薔薇の赤い色が限りなく濃くなるように造った品種でして、本当の黒薔薇はアラビィの一部地域でしか育たないという風に聞いております」

「それをよくここまで再現なさりましたね。わたしなぞにはとても想像もつかないほどの努力をなさったのでしょうな」

 ベルンハルトは感嘆して言った。言われてみれば、確かに花弁の端に仄かに赤黒い部位があるが指摘されなければとても気づかなかっただろう。

 

「……時間だけはありますからな。お気づきになられましたか?この薔薇園には赤薔薇しかないのです。わたしは緋薔園(ひそうえん)と呼んでおりますが。数少ない道楽でして」

 確かに周囲にあるのはいかにもという赤いもの、紅色のもの、ピンクに近い赤のもの、赤紫のもの、花弁の多いもの、少ないもの、広がっているもの、閉じているもの、ありとあらゆる赤薔薇が咲き誇っている。今二人のいる通路の頭上にもアーチ状の蔓薔薇が咲いているため暗雲のせい以上に周囲は暗くなっている。

「しかしこれ程まで育たせるのは大変だったでしょう。優秀な園丁がいるのですか?」

「ええまあ。極めて忠実な召使いがいることはいますが、薔薇の細かい世話はわたしが自分で行っています。何しろ経験がものをいいますからな」

 ベルンハルトはまたも感嘆のため息を洩らした。なんと見上げた人物だろう。タラブヘイムの怠惰な貴族達にも見習わせたいほどだ。

 

「しかし、やはりこの黒薔薇は素晴らしいですね。つい惚れ惚れしてしまいます」

 ベルンハルトは目の前の薔薇を誉め称えた。

「ええ。いや…エムシェレ──娘が是非にと頼むものですから」

 

 ベルンハルトは驚きで目を丸くした。

「では、これ程の薔薇をたった数年で造りあげたのですか!?」

 

 その時一瞬、ボリスは何のことか分からないという顔つきをした。次に瞳孔が小さくなり驚きの表情へと変わる。だが彼がしまった!という顔をしたのは一瞬だけだった。

「いや、娘がわたしに頼んだときには八割方完成しておりましてな。彼女はわたしにどうか黒薔薇を作り上げて欲しいと頼んだのです」

「なるほど。そうだったのですね。すみません、早合点してしまって」

「いえいえ。買い被られるのも嬉しいものですよ。こんな辺鄙な土地に住んでいると中々賛嘆の声も聞けませんからな」

 

 その時薔薇のアーチの向こうに二組の影が見えた。片方は小さい少女。おそらくエムシェレだろう。もう一人はフードを目深に被っている。ひどく猫背でゆっくりと歩いている。エムシェレが手を引いているようだ。

 こちらに気づいたエムシェレがフードの人物の手を離し、トコトコと駆けてきた。

「お兄さま! お父さま! 一体なにをなさってるの?」

「ああ……。彼に緋薔園を案内していたんだよ」

 ボリスが答えた。

「そう。楽しかった? お兄さま」

「ああ。とても興味深かったよ」

 ベルンハルトは微笑んで言った。

「あちらの方はどなたですか?」

 フードを被った人物を手で示しながらボリスに尋ねた。

「この子の──エムシェレの叔父です」

「イーノク叔父さまよ。あたしにはとっても親切なの。少し気難しいけど」

 ボリスが苦々しげに言うのと、エムシェレが嬉しそうに言うのが重なった。イーノクか。帝国のライクシュピール語圏では珍しい名だ。ベルンハルトがそう思っているとボリスは突然横を向いた。

「もう、お父さまったら。あたしの邪魔しないでよぅ」

「あ、ああ……。すまなかったね」

 エムシェレがふざけて言うのに対し、ボリスは不自然に固くなって返答した。ベルンハルトはボリスを見つめた。彼の目に紛れもない『恐怖』の感情を見出だしたからである。

 

 

 

 ベルンハルトがシュヴァルツトーア邸に初めて訪れた日から三日が経った。依然として天気は回復しない。

 初めの内こそ、ボリスに連れられて広大な邸内や庭を見て回ったものだったが、慣れないなりに勝手も分かってきて自分なりに屋敷の中を散策できるようにもなった。ボリスら屋敷の居住者もそれを咎めるでもなく、第一家族の主要なメンバーが揃う食事時とボリスやエムシェレが率先して案内してくれる時を除いて、ベルンハルトには家族の誰一人としてどこにいるのか分からないのだが。

 それをいいことに、今日も今日とて飽きもせずベルンハルトは薄暗い屋敷の中を歩き回っていた。そこかしこにある古びた絵画や美術品がとても興味深い。美術に疎いベルンハルトにさえ価値が高いと分かるほどの品が無造作にゴロゴロ転がっているのだから。余程主人のボリスの審美眼と財布が豊かと見える。

 これほど広い屋敷なのに、住人だけでなく召使いの一人にすら会わないのは不思議であったが、それを言うならこの屋敷や謎めいた家族の存在そのものが不思議かもしれないとよく分からない理屈でベルンハルトは納得していた。屋敷の中はその豪勢さにも関わらず、常に薄暗くまるで一日中夜であるかのようだった。

 

 ある部屋の壁一面を覆うタペストリーを眺めていたとき(その古びた緋色のタペストリーは遥か古の合戦を描いているようだった。片方の軍勢は帝国の軍装をしていたが、もう一方の軍勢は見たことのない鎧甲冑を身に纏っていた。唯一、その軍勢の旗印が蝙蝠を模していることは判別できたのだが)、そのタペストリーの向こうからほんの微かだが金属音、それも剣戟の音が響いてくるのが聞こえた。

 タペストリーをめくると、その向こうにもう一つの奥へと続く潜り戸が隠れているのを見つけた。蝋燭が続く部屋からこちらの入口を照らしていた。蝋燭の弱々しく頼りない灯りは、暗闇よりも一層(くら)さを強調しているようにベルンハルトには思えた。

 不思議なことに恐怖心も感じず、ベルンハルトは腰を屈めてタペストリーを潜ると蝋燭の灯りへと近づいていった。

 

 狭い戸を潜ると、そこは細い廻廊になっていた。剣戟の音が更にハッキリと聞こえる。両側の壁は漆喰が所々剥がれ落ち、一応補修されてあるもののその塗り方も荒く、床には絨毯のように厚くホコリが積もっていた。縦横無尽に懸かる蜘蛛の巣を払いのけながら、ベルンハルトは徐々に音のする方へと歩んだ。

 歩みを進める間も、彼の脳裡には疑問符が浮かんでいた。こんな有り様になるまでには並み一通りではない時間が経っている筈だ。余りにも屋敷の他の場所と違うその裏側に、彼の頭脳は思考を停止し、ただ状況の整理のみを行っていた。

 廻廊の壁に等しく間を開けて掛かっている燭台の弱い灯りに導かれ、足元に気をつけながらベルンハルトが進んでいると、やがて左手に折れる道が見えた。金属音はその左手から聞こえてきていた。

 彼はゆっくり壁に身を潜めると、暗闇の向こうを覗き見た。

 

 その部屋はある程度の広さを持ったホールらしかった。"らしかった"、というのはその部屋に全く灯りが無かったからである。

 次第に暗闇に目が馴れてくると、廊下のか細い灯りでなんとか具合が分かるようになった。

 初めに剣戟の音の響き具合から部屋をある程度広いホールと考えたのは間違いではないようだった。蝋燭の灯りは奥へは全く届かず、部屋の大部分は暗闇に閉ざされていた。かろうじて照らされている手近の床から判断するに、廻廊とは違い小綺麗に手入れされている部屋のようだ。造りも簡素ながら丁寧さが窺える。

 そして、ホールの中では銀の閃光が走っていた。

 中心に置かれているのは、一式のプレート鎧。使い込まれた品らしく所々がひどく傷ついていた。蝋燭の灯を反射して、闇の中で鈍く光を放っていた。その周囲を飛び回る剣光。細身の長剣が目にも止まらぬ速度で鎧へと打ちかかっていた。

 ベルンハルトは旅には護身用に剣を携えてきたものの、さほど剣の腕前に自信が有るわけではない。所詮貴族のたしなみ程度の腕前だ。その彼の目は眼前の剣筋を追うことすら出来なかった。剣を振るっているであろう人物の影は闇に溶け込んで見えない。ただ剣のみが暗い背景の前で飛び、踊り、戯れているのみであった。剣は中身の入っていない鎧と切り結び、その存在しない腱を断ち、架空の敵の首を掻き斬るという一連の動きを正確に繰り返していた。

 ベルンハルトは目の前の演武に見とれるあまり、つい知らず知らずの内に一歩を踏み出していた。ジャッという音とともに靴が床に擦れる。

 

「誰だッ!?」

 反応は迅速だった。今しも目の前で振るわれていた剣のように鋭く冷たい声がベルンハルトを誰何する。

「ベ、ベルンハルト=グリュンヴァルトです。お邪魔をして申し訳ございません」

 しばしの沈黙。

「……そうか。いや、すまなかったな。普段剣の練習を人に見られたりしないものだから、つい焦ってしまった」

 聞き覚えのある声だ。確か、エムシェレの兄だったか。白面の美男子の顔が思い浮かぶ。もっとも喋るのを聞いたのは紹介された時の一度だけだが。

「あ、あの」

 ベルンハルトはおずおずと声をかけた。

「エムシェレのお兄さんでいらっしゃいましたよね。宜しければ名前をお訊きしたいのですが」

「ジルベールだ。そう、彼女の兄ということになっている」

 暗闇の男は手短に返答した。またも帝国の発音ではない名前。エムシェレといい彼女の家族はどこの家系なのだろうか。父親がボリスという帝国風の名だから妻が外国の出なのだろうか。

 そしてベルンハルトにはもう一つ気がかりな発言があった。今ジルベールは『兄ということになっている』と言った。『なっている』……?どういうことだ?聞き間違えではないと思うが。

 

 考え事はジルベールの発言で遮られた。

「……頼みがある。ここにはエムシェレは連れて来ないでくれないか」

「……どういうことです?」

 ベルンハルトは言った。

「そのままの意味だ。俺は彼女が苦手なんだ。ここを見つけたのなら、彼女には秘密にしておいてくれ」

「あなたは彼女の兄なのでしょう? 何故彼女を避けるのですか?」

「彼女が俺の『妹』だからこそだ。説明は面倒だが、これだけを伝えておこう。俺と彼女の血は繋がっていない。この家を見たならある程度分かると思うが。今はそういうことで納得してくれ」

 納得は出来なかったが、ある程度の理解はできた。おそらくジルベールはボリスの養子なのだろう。イーノクというエムシェレの叔父に関係があるかないかは分からないが。ジルベールがエムシェレを避けるのは血が繋がっていない故の不和か。芝居ではありがちな話だ。

 

「分かりました。あなたの意思は尊重しましょう。ジルベールさんでしたね。どこのご出身なのですか?」

「ブレトニアだ。頼みを聞き入れてくれて感謝する」

 ジルベールは帝国の南西の騎士道で有名な国家の名を挙げた。なるほど。武芸に達者なわけだ。ブレトニアの貴族は幼い頃から剣術を叩き込まれるというからな。

 

「では、出来れば訓練を続けたいのだが。出口は分かるか?」

 ジルベールに促され、廻廊を戻る。ベルンハルトには一つ気になったことがあった。ジルベールの口調だ。彼は義理の妹と不和になるほどなのだから、ずっと昔からこの家の養子であったわけではないだろう。ならば、母語はブレトン語である筈の若い彼は、どのようにしてあれほど達者にライクシュピールを操れるようになったのだろう?

 

 

 

 

 その夜。ベルンハルトがあてがわれた自室の椅子に座っていた時。

「お兄さま~ッ!」

 トタトタという足音を響かせてエムシェレがドアを押し開けて突進してきた。勢いよく飛び込んできた彼女を両腕で抱き止める。

「やあやあ。どうしたの、妹君は?」

「お兄さまこそ。夕方はどこにいたの?探したんですのよ」

 エムシェレは可愛らしく口を尖らせて言った。夕方といえば、丁度ジルベールと会っていた頃だ。『秘密にしておいてくれ』。ジルベールの言葉が頭に響く。

「いや、少し君の兄上と会っていてね」

 どこで会ったかさえ言わなければ平気だろう。ベルンハルトはそう思った。

「へえ。ジルベールお兄さまと……」

「ああ。彼は少し君に苦手意識があるみたいだね。でも良い人そうじゃないか。君は彼が苦手?」

「いいえ?そうなの。彼はとっても良い人なのよ。でもあたしは彼に嫌われている」

 喋る内容とは裏腹にエムシェレはとても楽しそうに語った。

「そうかな。彼も若いからまだ不器用なだけだと思うけれど」

「フフフッ。彼は『若い』。フフフフ。そう彼は若いわね、確かに」

 エムシェレはひどく陽気に笑った。つられてベルンハルトも笑みを浮かべた。

「まあ、そりゃあ君の方が若いけれど」

 

 笑い止まないエムシェレにベルンハルトは問いかけた。

「君の家族は両親に君たち三人兄妹に叔父さんだけかい?」

「いいえ。あと『お爺さま』がいるわ。籠りっきりで滅多に外には出てこないけれど。お爺さまは研究をなさっているのよ」

「『研究』? なんの?」

 ベルンハルトは興味を駆られて尋ねた。

「さあ? あたしには分からないわ」

 

 

 

 

 持ち前の好奇心が刺激されたベルンハルトは次の日から積極的に邸内を探索し、エムシェレの『お爺さま』の研究室を探し始めた。人文系の研究をしているのだろうか? 年老いた歴史学者? それとも神秘的な錬金術師だろうか? 是非とも一度後学の為に会いたいものだ。

 しかし、その研究室は一向に見つからず、ボリスに尋ねてもはぐらかされるばかり。エムシェレに至ってはそこに興味はないようで、しきりに別の話題をせがまれてしまう。

 ベルンハルトは考え方を変えた。これだけ探して見つからないのだから、恐らく研究室というのは地下にあるのだろう。あのジルベールが演武を行っていた部屋のような隠し部屋が他にもあると思われた。この屋敷の設計者の趣味だろうか。後は地下への出入口さえ見つければ。

 意外にもそれは呆気ない程簡単だった。

 ()()()()()()()()()にあったのだから。まさしく灯台もと暗しだった。

 暖炉の奥と外の壁との間がやけに広いという疑惑が生じたのが発端だった。調べてみれば、暖炉の中の奥の壁と横の壁と間に人が一人入れるほどの隙間を見つけたのだ。そのままではその奥の暗闇から、行き止まりと思われてしまう隙間だが、実際にはずっと先まで続いている通路となっていた。

 蝋燭を手に暗い隙間をゆっくりと進んでいく。15ヤードほど進んだところで、通路は下へと下れる急な階段に変わった。足音を立てないように抜き足差し足で階段を降りる。30段目を数えたところで階段は終わった。

 

 空気はどんよりと湿り、半ば腐敗していた。換気もされていないのだろう。ホコリが凄まじい。ジルベールの時の通路以上の汚さと蜘蛛の巣に悩まされながら、ベルンハルトは先へと進んだ。体の芯から冷やす冷気に堪えながらもう10ヤードほど歩いたところで、ドアにたどり着いた。

 開けるとドアは軋み、甲高い叫び声を上げた。慌てて息を潜めるが、他に物音もしない。安心して室内に滑り込んだ。

 暗い室内もほぼ外の通路と変わりは無かった。むせて咳き込みながら、ベルンハルトは手探りで壁を探した。手がガラスに触れる。巨大なガラスの容器のようだ。

 ベルンハルトは何も考えず、その容器を蝋燭で照らした。

 

 ベルンハルトに自身の叫び声は聞こえなかった。

 

 

 その縦5フィートほどのガラスの容器の中では干からびた少女が直立したまま、浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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