死せざる少女の人形歌劇《グランギニョル》   作:ナナヒカリ

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死せざる王女のための夜想曲《ノクターン》

「家族が……欲しいだって?」

 ベルンハルトはジルベールが言ったことを繰り返した。

「本当にただ家族が欲しいだけなら、なにも無理矢理に捕まえてくることはないだろ」

 

「だから言っただろう。あの女はもう半分螺子(ねじ)がトんでる。あの女が欲してるのはもう、ただの家族でも生活共同体でもない。『永遠』に続く『家族』という名の『箱庭(牢獄)』だ。変化も争いもない俺達(ヴァンパイア)だけが享受できる『永遠』だ」

 

 ベルンハルトは呻いた。

「そんなの……狂ってる」

 

 ジルベールは高らかに笑った。笑い声が階段に響き、まるで無数の人物が笑っているかのようだった。

「ハハハ! そうだとも!! 俺達皆どこか螺子が外れてるのさ。吸血鬼(ヴァンパイア)なんてそんなものだ! 人間を超越し、人間になり損ねた、憐れな出来損ない(アンデッド)さ。人を殺せる爪と牙を持ち、肉眼では捉えられぬ速さを手に入れ、永遠を生き、それでも! それでも! 人間にはなれないのだよ。……覚えておきたまえ、吸血鬼(ヴァンパイア)に最も羨望を抱かせる種族、それは1000年生きるエルフでも、頑強なドワーフでも、ましてや吸血鬼(ヴァンパイア)すら(たお)す混沌の大悪魔(グレーターディーモン)でもない。それは高々80年しか生きられず、か弱い肌と肉でできた、我らには決して敵わぬ人間なのだよ!」

 ジルベールの口調は段々と大仰な、時代がかったものになっていった。

「皮肉なものだと思わんか!? 戦えば勝てる筈のない人間が堂々と日の光を浴び、流れる水を渡り、パンと葡萄酒を食らう。それに反し我らといえば、昼は暗き棺中で息を潜め、小川も歩いて渡れず、奴らの血を飲まねば生きてすらいられない。これほどの羨望を、嫉妬を、憎悪を掻き立てるものが他にあるだろうか! 我らは人間を嘲り、馬鹿にし、利用している。しかし、人間がいなくては我らは生きてはいられないということもまた嫌と言うほど承知しているのだ。だからだ! だからこそ我らは人間に対し何度となく戦を挑んできた。骨と腐肉の兵団をもちて、定命の者との戦場に赴くのは其れが為よ! (すべ)ては羨望の(ゆえ)だ。叶わぬ願いと知りながら、求めて止まないのだ。日の光の下を大手を振って歩く権利を彼奴(きゃつ)ら人間から奪い取る日をな!!」

 叫びは反響し、聞き取りづらい呻きや戦慄(わななき)となってベルンハルトの耳を襲った。思わずベルンハルトは耳を覆った。

 

 長い階段は終わり、一気に空気が澱んだように感じた。どうやら底に着いたらしい。フランキスクスの研究室と同じように、床には厚い埃が積もっている。ベルンハルトは立て続けにくしゃみをした。ジルベールは先に立って暗い道を歩き出した。埃が足音を吸い取るので、ベルンハルトは迷子になる前にと急いでジルベールの気配を追った。

 

 ジルベールは話す口調を変えた。

「一つ、長いが短い話をしようか。あの女──エムシェレの話だ。あの女の名前がライクシュピールの発音じゃないのは気づいてると思うが、どこの名か分かるか? ……クェムリだよ。熱砂に埋もれた古の都市群、あの女はそこの生まれだ。知らない土地か。無理もない。アラビィの東、最果て山脈に接したおよそあらゆる生命の根絶した土地だからな。エムシェレとはネフェキーラ語で"子猫"の意味だそうだ。似つかわしくない名だろう? 化けの皮を被ってるのさ。子猫の中に潜んでいるのは獅子だよ。

あの女の生まれはどうも都市を巡る行商人らしい。豪奢なピラミッドやオベリスクで飾られた灼熱の都市を廻り、絢爛たる数々の財宝を商っていたわけだ。しかし、都市の繁栄は永くは続かなかった。滅びの都と化したラーミアから脱出した女王とその側近六人の吸血鬼(ヴァンパイア)。その一人が砂漠の途上で彼女を含む商人の一団とぶつかった。何の気紛れかその吸血鬼は、ようやく八歳になったばかりの一人の少女を吸血鬼(ラーミア・ヴァンパイア)へと変えた。やがてその少女の家族は年老い、最後には少女を残して全員が死んだ。そして、少女は独りになった。

ここから少女──エムシェレの足取りは少し分からなくなる。次にあの女が歴史の表舞台に出るのは500年後、表舞台と言っても宮廷の小姓として、だが。かの混乱の三皇帝時代にあの女はタラベックランドのオッティリア大公の側近に仕え、その実側近を自由自在に操っていたんだ。その時はまだあの女も"同族"の為に動いていた。人間達をいいように対立させ、その力を削ぐ。かの、ズィルヴァニアが選帝侯領として独立した1681年の『蠢く死体の夜』事件の裏には、あの女が多分に関わっているとも言われている。それから400年、あの女は名前を変え、身分を変え、主人を変え、人間の中を歩き続けた。凡てはヴァンパイアの為に。ヴァンパイアが闊歩できる地を手に入れる為に。しかし2010年から始まる吸血鬼戦争はヴラド、コンラッド、マンフレッドという不世出の吸血鬼伯、稀代のフォン=カーシュタイン・ヴァンパイア三人をもってしても、ヴァンパイアが勝利を納めることはできなかった。何度も首都に肉薄し、何度もその手に栄光を掴みかけるも、最終的に2145年、マンフレッドの完全消滅で幕を下ろしたその戦争からエムシェレは変わったらしい。同族全体のための"大きな世界"を手に入れることから、自らのための"小さな世界"を手に入れることへとな。慎重に候補地を選び、1000年間つくらなかった"娘"をつくり、そしてあの女は"家族"を手に入れた。誰にも邪魔されることのない"家族"を。

さぁ、これで俺の話、俺が知る全ての物語は終わりだ。もう出口も近い。ここを抜ければ屋敷の離れに出られる。さあ、行け! ここから逃げてみせてくれ。人間と俺達(ヴァンパイア)の違いを証明してみせてくれ!」

 

 目の前に上方へと続く長い階段が現れた。上部から微かに白い光が墜ちていた。ベルンハルトはジルベールへと向き直った。

「お前自身の話はどうなった? お前はどうして吸血鬼(ヴァンパイア)になったんだ?」

 暗闇の中でも、ジルベールが苦笑するのが分かった。

「力を求め、力に溺れるあまり、吸血鬼(ヴラッドドラゴン・ヴァンパイア)の誘惑に抵抗できなかった愚かで哀れな、ありふれた聖杯騎士の話など聞いてもつまらんよ。さあ、行け。エムシェレが気づかないとも限らん…………どうしてかな。聖杯探索という使命が最上のものだった筈なのにな」

 ジルベールは最後に自分に尋ねるかのように呟いた。ベルンハルトは段に足をかけ────最後にジルベールの方を向くと、「ありがとう。こういう形になったのは残念だったけれど、僕は君には感謝してる。さよなら」

「お前は、礼儀を知る者のようだな。お前の前途に幸あらんことを────」

 

 そしてジルベールの気配は消え去り、ベルンハルトは一人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昇る。

 昇る。

 昇る。

 昇る。一歩一歩着実に。

 昇る。

 昇る。

 昇る。積った埃で足を滑らせないように。

 昇る。

 昇る。

 昇る。

 昇る。

 昇る。

 昇る。疲労の溜まった膝が軋んだ。

 昇る。

 昇る。

 

 昇る。

 

 昇る。

 

 昇る。

 

 

 

 昇る。

 

 

 

 

 

 

 

 長い階段は、終わりに近づき、次第に空気が澄んでいくのが分かった。しかし拭い切れない湿気が肌に纏わりつく。冷気が脚に絡みつき、徐々に体表を這い上がってきた。ベルンハルトは勇気を振り絞って、最後の数段を一気に駆け上った。

 

 彼は月の光の中に出────

 

 

 

「あはっ。ようやく到ぉ着ぅ」

 

「な……んで……」

 

「ずうぅぅぅぅぅぅぅっと待ってたんだよぉ。『お兄さま』は自分が関わればわたしが手を引くと思ってたみたいだけど、先回りされるとは思ってなかったのかな?まさかまだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()思ってたのかな?」

 

 彼が上りきった階段の目の前には、褐色の肌を持つ美しき吸血鬼(ヴァンパイア)が立っていた。背後には大きなガラス窓があり、月の光が差し込んでいる。逆光でエムシェレの表情は窺えない。豊かな金色の巻き毛がきらきらと輝き額にかかっていた。彼女の横にはローブを羽織った酷く猫背の人物が寄り添っていた。やはり顔はフードで影になって見えない。

 ベルンハルトは狼狽えて、「……俺をどうする気だ?」

 金髪の少女は答えずに隣のローブの人物を引き寄せた。

「知っている? 今は亡き王国のことを」

 何のことか分からずに、答えかねているベルンハルトを余所に、エムシェレは彼の方を見もせずに続けた。

「聞いたんでしょう? 『お兄さま』から私の出自のことを。隠さなくてもいいのよ。彼が誰かに話したくてうずうずしてたのは知っているから」

 エムシェレはローブの人物の身体に指を這わせた。

「わたしの故郷も今は砂塵の彼方。もう1000年も見ていないのに、ありありと想起できる。でも、現実は違う。とっくの昔に砂に埋もれて荒廃したわたしの故郷──。『このコ』の故郷も今は亡い。栄華を誇った"ウショーランの王国"の末裔は遂に屍肉を喰らい、冷えた血を啜る、同族にすら蔑まれる化物(ストリゴイ・ヴァンパイア)にまで零落(おちぶ)れた。でも、わたしはそんな『このコ』が大好き。醜い醜い家鴨の子が」

 細い指でローブを掴むと、少女はそれを勢いよく剥いだ。バサリと音を立てて布が地面に落ちた。

 

 そこに立っていたのは人のカタチをした(ケダモノ)だった。月の光が青白い肌に輝いている。不自然に隆起した上半身の筋肉と、床に引き摺る鋭い爪が、この獣が純粋な暴力の結晶であることを感じさせる。おそらくさっきの謂いだと、この生物も吸血鬼(ヴァンパイア)らしいが、ボリスやジルベールといったほとんど人間と区別のつかない連中とは雲泥の差だ。瞳は焦点を失って徘徊き、滴る涎が絨毯に溜まっている。醜悪と不快を煮詰めたその姿にベルンハルトは言葉を失い、冷や汗がドッと顔から吹き出すのを感じた。

 エムシェレは上機嫌に「怖い? 恐ろしい? 気色悪い? 排除したい? 殺したい? 『このコ』はわたしたち(ヴァンパイア)の悪いところをぜーーーんぶ集めているの。醜さも憎しみもみんなその一身に引き受けて、いつ果てるとも知れない永劫の地獄を生きているの。知性も無くし、肉欲の求めるままに動くから、とーーっても嫌われてる。でもわたしが『このコ』を好きなのは、恐怖に敏感だから。()()()()()には盲目的に()()()()()()()から」

 獣は(うずくま)り、四体を地面に投げ、打ち震えた。その様はまるで、怯えているかのように。

「肥大した自尊心(プライド)が邪魔をして強者に付き従えない他の同族とは『このコ』は違う。愚かったらありはしない。碌な使い方が出来ないのなら、最初から永遠なんて持たなければいいのに。強さも、知識も、美しさも、手に入れてみれば儚いものなのに。ましてや終わりの無い政治遊戯にかかずらうなど以ての外。帝国(エンパイア)自分たち(ヴァンパイア)が居なくては運営していけない? 何を言うのか。その帝国(エンパイア)に寄生せねば生きてもいられない癖に。統べ、導く者とともに歩めぬのなら、いっその事塵に帰してしまえばいい。必要もないトコロばかりを肥え太らせて、出来上がるのは人間の醜い戯画(カリカチュア)か。美徳も、良識も、賢さも要らない。ただ()()()()()()()()というのに」

 

 エムシェレには既にベルンハルトは見えなくなっているらしかった。

 獣は次第に身を縮こまらせて、文字通り()()()()()()()()。肉が別の肉の下へと折り畳まれる。皮が捻じれ、()れ、捲れ、赤黒い筋肉を露わにしながら、自己の内側へと潜っていく。獣は最終的に奇怪な肉の塊へと化した。

 どうなるかと注視していると、肉の塊は不意に皮の膜を二方向へと広げた。肉の塊から、骨や筋肉が膜の先端へと送られる。膜は広げた翼となった。一声鳴くと、塊の残りに口ができ、目が覗き、耳が飛び出した。そこに現れたのは、翼を休めた一羽の大きな蝙蝠だった。

 ベルンハルトには直感的に分かった。その蝙蝠が自分をこの屋敷へと導いた蝙蝠と全く同一なのだ、ということが。

 エムシェレは蝙蝠に眼をやり、感じ入った表情を見せた。

「『このコ』はわたしが怒っていると自然にこの姿をとるの。きっと分かっているんだわ。わたしの怒りを逸らすのにこの姿が役に立つって。とっても賢いわたしの『叔父さま』、そして可愛い可愛いわたしの『ペット』。わたしの『家族』、その一員。あなたをここへと導いたのも『このコ』。わたし好みの『お兄さま』を見つけてきてくれるなんて、ほんとうに気のきくコね。そして、わたしに引き寄せられたあなたは、わたし以外の誰のところへ行くというの?」

 蝙蝠は翼を広げると、力強く羽撃(はばた)き、ベルンハルトの目の前を横切ると、廊下の角を曲がり見えなくなった。ベルンハルトはその影が消えたのを見届けると、口を開いた。

「……人は人の場所へと帰る。それが道理だ」

「あなたにはここ以外の場所なんて、既に存在しないのに。人の場所ですって? 人が人の場所だと思ってるのはみんな、人がかつて誰かから奪った土地じゃない。身勝手で浅はか。あなたもそんな人間の一員なの? ……それにあなたは直ぐに『人』じゃなくなる。人の道理に縛られる必要なんてないわ。そうじゃなくて?」

 

 ベルンハルトは左右を見回した。どちらも同じような廊下が続いている。正面には窓の前に立つエムシェレ。出口はどこだか見当もつかない。ジルベールの口調からすればすぐ分かる場所にあるようだが。

「無駄よ。逃げようなんて考えては駄目。わたしたちは『家族』なのよ。逃げられない関係の鎖がわたしたちを縛り付けているわ」

「……それはお前が勝手に決めた関係だろう?納得ずくで集めたとも思えないが」

 エムシェレは急いで首を振り、「違う! 違うわ!」

「わたしの意図した関係だからじゃない! 『家族』だからよ! わたしが縛るんじゃない。築き上げた関係が縛るんだわ! どうして分からないの! 何も考えず、ただ永遠をその関係の為に捧げればいいというのに! ……そうすれば幸せになれるのに」

 エムシェレは両手に顔を埋めて嗚咽した。その光景は彼に憐憫より、むしろ恐怖の感情を抱かせた。

「……本当にそう思っているのか? ただお前の言う『家族』に奉仕するだけで幸せになれると、そう、本当に?」

 

 エムシェレは手を顔から離すとニッコリと笑った。

「ええ。当然だわ。だってわたしは、あの吸血鬼(ヴァンパイア)と出会うまでずっと幸せだったもの。今でも思うわ。あの瞬間がいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも続けばどんなに幸せだったろうって」

 

 ベルンハルトは戦慄した。そうだ、この少女はあくまでも無垢な『少女』のままなのだ。

 『少女』のまま吸血鬼(ヴァンパイア)となり、『少女』のまま『永遠』を生きている。歪んだ、歪んだ、『少女』の戯画(カリカチュア)。それが、このエムシェレ(子猫)という名の怪物の正体なのだ。

「ずーーーっと、ずーーーーっと、ずーーーーーっと後悔してることがあるわ。わたしたちの隊商(キャラバン)に出会った、あの吸血鬼(ラーミア・ヴァンパイア)、あの女にその一言さえ言わなければ、わたしもこんなことにはならなかったのにね。……どうしても言わずにはおれなかったんでしょうね。あの女が『永遠を生きる、世界が終わるまでずっと』と言ったときにあの一言を。────『かわいそう』って。あの女がわたしを見る怒りの眼、今でも覚えてる。あの女の気持ちが分かるようになったのは、わたしがあの女の腹いせで人間でなくなってから500年は経ってから。それまで、わたしは何も分からず、誰にも助けて貰えず、家族も仲間も友人も死に絶えた世界を一人歩き続けていた。500年、ひたすら影の中で身を潜めた。……辛かったなぁ。酷い目にも何度も会ったし、売り飛ばされたり、殺されかけたり。誰もこの世界のことを教えてくれなかった。同族の吸血鬼(ヴァンパイア)にも会えずに、一人さ迷っていた。漸く、自分の性を理解し、故郷を離れてから分かった。わたしは人間ではないんだって。自分を憐憫の目で見るのは人間の価値観。吸血鬼(ヴァンパイア)はそんなこと思わない。思ってはならない。……でも、それでも苦しかった。心に棘は刺さったまま。……だけど、もう違う。今のわたしには『家族』がいる。『かわいそう』!? 『辛い』!? そんな訳ない! わたしは幸せだ! 幸せだ! 幸せだ! 幸せだ! 『家族』がいるんだから! 歳をとらないからって、実の娘に刃を向ける母親(あんな女)なんて知るもんか! あんな女『家族』なんかであるもんか! 本当の『家族』は別にいるんだ! 『家族』のいる今のわたしなら『永遠』を生きられる! もう1000年でも2000年でも! それこそ『永遠』だって!!」

 

 エムシェレは肺の空気を全て吐き出し絶叫した。またもベルンハルトの姿は既にその目には映っていなかった。髪を振り乱し、声を限りに叫ぶその姿はとても正気には見えなかった。

 エムシェレはふと動きを止めると、ベルンハルトを向いて不気味に笑った。

「本当は『家族』は閉鎖的であるべきなんだけど、あなたは別よ。最初はほんの気紛れだったけど、後で──あの『お話』を聞いたときに──思った。『この人を家族にいれてあげましょう』って。登場人物は多い方が面白いわ。ねぇ。何でそれほど躊躇するの? どうして? 人間の社会になんの執着があるというの?」

「そんなものは特にないさ。強いて言えば、少女の『おままごと』より多少は現実味があって、健全だという程度だけどね」

 

 エムシェレの表情が固まった。口に髪が挟まっているにも関わらず、掻き上げようともしない。大きな目がグルリと動きベルンハルトを凝視した。

「『おままごと』?」

 ベルンハルトは息を吸った。分かっている。危険な手段なのは分かっている。しかし、単純に受け答えしていただけでは道は開けない。強引に突破口を押し開けねば。そのための挑発だった。

「……違うのか? 人間はそう言う。全員が理解した上で家族の役割を演じる猿芝居のことを『おままごと』ってな」

 

「口を慎めよ、人間。(わし)の『家族』を『ままごと』呼ばわりだと? 何様のつもりだ?」

 

 エムシェレの口調が変わった。おそらくはこちらが地というわけか。自分の胸ほどの背丈もない少女。しかし、その声には例えようもないほどの力と威厳が籠っていた。ベルンハルトは手の平の汗をズボンで拭いた。

「言い方が悪かったかな? ならば『茶番』と言おうか? 無意味な子供の遊びという点から言えば、同じことさ。付き合う方は堪ったもんじゃない」

「高々2、30年生きただけの人間に何が分かる? 『政治』やら『学問』やら『戦争』やら、それらの無意味さを知らない者に何が語れる?」

 語気は刃のように鋭く、喋る言葉はベルンハルトを突き差し、心をえぐる。返答は命懸けだ。

 

「……じゃあ、お前はここで何をしているんだ。この冥い館で吸血鬼(人形)を相手に、茶番を演じ、永遠を浪費する。お前の嫌う帝国の『寄生者』そのものじゃないのか」

 エムシェレは苦しげな表情を見せた。

「お前に、何が分かる。何も分かる筈はない。分かろうともしない。(わし)だって理解など求めてはいないさ。……ただ人間に『永遠』という言葉の持つ苦しみぐらいは教えてやりたいがな。人間は軽々しく『永遠』だなどと言う。その意味すら知らずにな。弱い、儚い人間が『永遠』だなどと笑わせる!」

 

 この少女は、始めから対話を求めてきている訳ではない。要求するのは、ただ一つ。従属のみ。

 切り抜けるのは容易ではない。肉体的には相手の優位は明らかだ。あの剣技を持つジルベールが勝てないと断言することからも、それは分かる。俺がこの屋敷から無傷で抜け出すには、この吸血鬼の半ば崩れた精神を完全に破壊するしか、ない。

 こちらは対話を、理解を示しているように見せるのだ。この吸血鬼はその間は手出しをすまい。

 

「……さっき、母親のことを言っていたな。生みの母親のことだ。その母親は人間だったのだろう? お前の言う通りだ。高々100年の時間軸しか持たない人間に『永遠』は荷が勝ちすぎる。その苦しみも分かる。今まで、どのくらいの人間に恐れられてきた? その人間達を全員殺してきたのか?」

 エムシェレは呻いた。

(わし)が、(わし)が悪いんじゃない! 全てお前らの、恐れる側のせいではないか! (わし)だって、寛容にふるまってきたわ! なのに、お前らときたら、自分達の理解の及ばぬ存在には全て火を以て狩りたてる! この1000年、どれほどの苦痛を同胞が味わったと思っている! (わし)らは、自分の国すら持てずにいるというのに!!」

 

「……この屋敷がお前の同胞に対する扱いなんだろう。その苦痛を味わった同胞を、人形として思うまま使役しているというわけだ。いい身分じゃないか」

 エムシェレの瞳に狂気の火が灯った。

「いい度胸じゃあないか。大層な口を聞いても、(わし)に殺されない自信でもあるというのか。人間風情が。……あの女もそうだ。なにが『あなたが恐ろしい』だ。……『日に日に人でなくなっていくよう』だと? 『そうなる前に一思いに』だと? ……ふざけるなよ。お前ごときに(わし)が殺せるものか。人間の、それも女風情が。……つけあがりやがって。……柔らかい肌と肉しかない人間の癖に……」

 エムシェレはブツブツと一人で暗闇に向かって呟き始めた。それはおそらく彼女の過去、彼女の故郷で彼女とその母親の間で交わされたであろう争い。彼女に太い楔を打ち込んだ出来事。それが1000年間ずっと彼女の中にあったのか、それとも彼女の中で眠っていたのか、それはベルンハルトには知ったことではない。大事なのは、これが逃げ出す絶好の機会ということだ。

 

 そろり、そろりとベルンハルトは落ち着いてその場を立ち去ろうとした。

 

 

「……でも、私の『獲物』は逃がさない」

 

 不意に聞こえたエムシェレの声。

 

 なぜそこで、振り向いてしまったのか。急いで駆け出さなかったのか。

 

 彼が見れば、エムシェレの紅い目は爛々と光り、顔一杯に広がった笑みの中で犬歯が銀のように輝いていた。

「あなたは逃げられない」

 

 その言葉がベルンハルトの頭の中で、やけに大きく響くのと同時に、ベルンハルトの自我は吹き飛んだ。

 

「始めっからこうすれば良かったんだけど、年を取りすぎると『楽しみ』を先に伸ばす癖がついてダメね。単に横着とも言うけど」

 人形のように棒立ちで佇むベルンハルトに近づきながら、エムシェレは誰ともなしに言った。

「わたしの言うことは聞こえてるわよね? もっとも、もう口どころか指一本動かせないだろうけれど。始めっからこうしてれば、本当に良かった。わたしの為にも、あなたの為にも。でも全部『台無し』にしたのはあなたのせいよ。『王子様』にもなれたのに、『悪い魔法使い』の役がいいって言うんだから仕方ないけれど。人間の持つ恐怖心を軽視していたのは、わたしの落ち度だけれど、ね」

 

 エムシェレはベルンハルトの前に立つと、背伸びをして、ベルンハルトの服を脱がせだした。最初は彼の羽織るマント、続いて襞の多くついた上着、シャツ。

 上半身裸になった肌を首筋から下に向けてなぞりながら、彼女は囁いた。

「『永遠』を生きるなんて、『肉の歓び』だけでいいのよ。結局ね。人間特有の『精神』の賛美なんて馬鹿らしいわ。もしあなたが吸血鬼(ヴァンパイア)になっていたら、その事もきっと分かったでしょうに」

 

 

「でも、もうお仕舞い」

 

 

「あなたは凄く上手に振る舞ったわ。他の誰にやらせても、もっと早くにお手上げの状態になったでしょうね。右往左往するあなたを見ているのは本当に楽しかった。最後だって、偶然もあったけれど、この屋敷を出る一歩手前まで辿り着けたんですもの。……むしろあのまま逃がしてあげてもよかった」

 

 エムシェレの指は腹の上で止まり、グルグルと腹全体にかけてなで回し始めた。

 

「でも、一つだけ、いけなかったわ。それが気になって気になって、結局、こうなってしまったんですもの。わたしを『帝国の寄生者』呼ばわりするなんて」

 

 エムシェレの指は音もなく、ベルンハルトの腹部に差し込まれた。ズプズプという小さな、肉を掻き分ける音を伴って、エムシェレは続けた。

「現体制が成立する遥か以前からこの国にいるわたしを、『寄生者』だなんて。わたしにしてみれば、今の皇帝こそ『帝位の簒奪者』にして『帝国の寄生者』よ。ごめんね。小さなことで怒って。でも、それだけは許せない」

 

「だから、あなたの人生はここで閉幕」

 

 エムシェレは素手で腹を横に裂いた。ブチブチという皮が千切れる音、ビュルビュルという血管から血の噴水が涌き出る音、グチュグチュという内臓が掻き乱される音、全てが一体となった音。その音たちが、月の光に照らされた、室内で響き、白い床には赤い血飛沫と、青い血管の這い回る腸がぶちまけられた。

 

「痛いでしょ。痛いよね。想像を絶する痛みでしょう。でも気絶も、発狂も、悶絶もできない。あなたはわたしの『人形』だから。あなたはもう暫く死ねない。その『永遠』ともいえる間、せいぜい苦しんで貰うわ。わたしの苦しみの1000分の1でも味わってもらうために、ね」

 立ち尽くすベルンハルトの腹部に大きく開いた裂け目に屈み込むと、エムシェレは傷口に両手を当て、上下に押し開けた。捲れ上がる皮の隙間から、大量の血液とともに腸がエムシェレの顔に溢れ出た。エムシェレは怯みもせずに、ぽっかりと開いた穴に顔を当てると、ゆっくりと穴の中に顔を差し込んだ。初めは口から鼻、次いで顔面、更には頭部全体。ベルンハルトの腹部はエムシェレの頭部の形に膨らんだ。しかし、まだエムシェレは止めない。

 暫しベルンハルトの腹の中からしていた咀嚼音や液体を啜る音が止むと、エムシェレは穴の中に頭を入れたまま、ゆっくりと立ち上がった。同時に穴の中に右腕を差し込む。右肩までいくと、腹部の皮はミチミチと音をたてるも、意外な強靭さを見せ、未だ裂けない。続いてエムシェレは左腕、そして左肩をも穴の中に入れる。両腕を男の肉を掻き分けながら背に回すと、男の身体を優しく優しく、骨が軋むくらい弱く抱き締めた。体を密着させたまま徐々に、そして完全に立ち上がった。

 出来上がったのは奇怪な彫像。男の腹部から少女の腰が生えている。男の胸から腹にかけては少女のシルエットに膨らんでおり、まさしく淫らな一個の生命体であるかのようだった。

 

 暫くして、ミチミチという音がすると、男の体の前部の皮が弾けとんだ。エムシェレは全身を血で赤黒く染めながら、血溜まりの中に立った。男は反動で後ろに勢いよく倒れると、血の水面に一度だけ跳ね、動かなくなった。少女は目の前の肉の塊を見つめた。

 

 

 

「ご馳走さま」

 

 

 

 顔を上げたエムシェレは暗闇に向き直った。

「ゾフィーア! フロレンティーナ!」

 

「はい」

 暗闇から歩み出た女たち──黒髪と金髪という差異こそあれど、共通した白い陶磁器のような肌と紅く光る瞳はまるで分身かのようだ──は声を揃えて答えた。

「久し振りの上物だ。貴重に喰え」

「有り難く戴きます」

 

 エムシェレは背後の肉から目を背け、窓に歩み寄った。今夜は満月だ。

「モール神の庭園にいる──他の場所かしら──お母さま。見ていますか。エムシェレはこんなに幸せです。こんなに。こんなに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真円に満ちたモールスリーブの月は、血に染まったエムシェレの眼には、黒く、黒く、見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












以下余談



>死亡エンド
最初のプロット時からベルンハルトを生かす気は毛頭なかったです。

>エムシェレ
名前は古代エジプトの名前で「子猫」の意味だそうです。ネットって偉大。書き始めてから語感悪くね?と気づいたのは別の話。能力値はただのラーミア・ヴァンパイア以上ではあるはずだが、作者が「Night's Dark Masters」(吸血鬼本・本邦未訳)持ってないので詳細未定。

>ボリス=フォン=シュバルツトーア
出番の少なかったフォン=カーシュタイン・ヴァンパイア。通常イメージされうる最も普遍的なヴァンパイアの血族。ゆえにあまり面白味はない。

>ジルベール
ブラッドドラゴン・ヴァンパイア。騎士道を重んじるが、その実その行為は生前そうであった誇り高き騎士の歪んだパロディであるという、面白いが描写しにくい設定の血族。今作では普通にいい人化した。

>フランキスクス
学究肌のネクリアーク・ヴァンパイア。もう少し死霊術(ネクロマンシー)については掘り下げてもよかった。

>イーノク
ストリゴイ・ヴァンパイアの血族。ヴァンパイアの癖に知能を無くした獣という面白いが扱いづらい吸血鬼。同族にすら嫌悪されるので、通常は単独行動、あるいは同じくらい醜悪な屍肉喰らい/グールともにいる。

>ゾフィーア、フロレンティーナ
ラーミア・ヴァンパイアのモブ1、モブ2。人間を誘惑できる能力は面白いが、使うと実質ワンサイドゲームなので、抑制。ゆえに終盤までラーミア・ヴァンパイアっぽくはない。

>血族
ヴァンパイアの系統。今作では大盤振る舞い的な意味で全部出してみた。それぞれに特殊能力がある。

>ネクロマンシー
ゾンビ召喚したり、そういうの。ヴァンパイアはほとんど使える。今作では使う機会がなかった。

>ズィルヴァニア・ファミリーへようこそ
どこかのサイトでその存在を知ったネタ。やがて「ズィルヴァニア・ファミリーへようこそ」→「ヴァンパイアの家族」→「幼女が家族を支配」→「幼女の人形遊び」→「シル○ニア・ファミリー」→「ズィルヴァニア・ファミリー」という思考を経て、この短編が出来上がった。

>不満点
もっと描写したかった、という点。取り敢えず、まだまだ病んだ雰囲気を出したかった。説明ゼリフに任せてしまったのが惜しい。



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