1983年 2月12日
東ドイツ
隼人がこの世界にやってきてひと月が経った。
相変わらずなぜこの世界にやってきたのか。BETAとは何なのか。といった疑問が解決されることはなかった。
だが変化が何もないわけではなかった。
隼人に対して、テオドールやカティアが話をしに訪ねてくることが増えた。
両者が一緒に訪ねてくることはなかったが、テオドールはカティアやアイリスディーナやグレーテルの愚痴が多く、カティアの方はテオドールのすること全般が話のネタだった。
整備班にも変化があった。
隼人は整備班長のオットー技術中尉に各機の整備をする順番や工程等を提案した。
それが採用され整備班は新体制となり、軍務が円滑に進むようになっていた。
1月15日のBETAの侵攻からBETAの大規模な侵攻が無かったことも大きかった。
あの日以来姿を見せない人民軍の兵士が「東ドイツの白き守護神」と称する謎の機動兵器の安否についての噂がひっきりなしで基地内で話されていた。
そういうこともあり、中隊機9機共完全に整備が為されていた。
ところがその日、中隊のハンガーにもう1機バラライカが搬入されたのだった。
隼人の整備を手伝うカティアが中隊のメンバーが一人増えたことを隼人に伝えた。
「リィズ・ホーエンシュタイン?」
聞き覚えのある言葉に隼人は繰り返す。
「そいつはまさか?」
隼人に一つの疑念が生じた。
「はい……テオドールさんの妹です。」
(そいつは不味いな)
テオドールは死んだと思っていたが、実際は生きていたらしい。
それがこのタイミングで中隊に編入された。
「ジン、どう思う?」
ところ変わって、雪原でアイリスディーナが珍しく隼人に声を掛けた。
「十中八九、スパイだろうな」
隼人は即答した。
「そもそも、シュタージの奴がテオドールを生かしていることが腑に落ちなかった。」
テオドールは亡命計画者の首謀者の親類だったのだ。
生かす価値が無い。
シュタージの恐怖に怯え、服従したとはいえ家族を奪われたテオドールがシュタージに復讐することも考えられる。
ではなぜ、テオドールを生かしたのか。
それは……。
「テオドールはあの娘の首輪ということか」
アイリスディーナは合点がいったように顎に手を当て頷いた。
利用価値のある手駒。
リィズ・ホーエンシュタインという裏切ることのない女スパイを作り出すため。
そしてその枷を第666中隊に送り込み、万が一の時の保険としておく。
「だが名目上は派遣部隊からの転用という形になっている。」
「その手の情報操作がやっこさんの得意分野だろう。」
「中隊はそいつをどうする気だ?」
「シュタージのスパイだということがはっきりわかるまで手は出せない。」
隼人の問いに対して、アイリスディーナはグレーテルやヴァルターと話し合った結果を言った。
「だろうな。」
白黒かはっきりするまでにもしリィズ・ホーエンシュタインに手をだせば、テオドールは今度こそ心を完全に閉ざし、誰も信頼しなくなるだろう。
それはテオドールにとって家族を奪ったシュタージと全く同じだ。
それにリィズがいても中隊は10人で、正規人数に足りないのだ。
「……もしはっきりすれば」
アイリスディーナは息を呑んだ。
「俺がやる。」
隼人は断言した。
「その時は俺がやる」
隼人は繰り返した。
「中隊の誰かがやれば、テオドールはそいつを信用できなくなるだろう。」
リィズ・ホーエンシュタインを粛正しなければならないこととなれば、一番テオドールにとって影響のないのは隼人だろうと二人は判断した。
「そうか、お前がそういうなら任せよう。」
「……できれば只の偶然であることを祈ろう。」
隼人は雪原に煙草の灰を落とした。
アイリスディーナが立ち去り、隼人は再び煙草に火を付けた。
あくまでも仮定の話だ。
まだ何の確証もない。
隼人の元へ誰かが走ってきた。
「ハヤト!」
テオドールだった。
テオドールは隼人の肩に手をかけ話しかけた。
興奮を隠しきれない様子だった。
「聞いてくれ リィズが生きていた。」
それからテオドールは隼人に対してリィズの様子が本当にシュタージを憎んでいて情報提供者ではないことを力説した。
「どいつもこいつもあいつを……俺の妹をスパイ扱いしやがるんだ。」
テオドールはリィズがシュタージの息がかかっていないと信じたいようだった。
希望が1%でもあればそれを信じてしまう。
そうであってほしい、きっとそうだ等と自分の希望的観測を根拠づけるための証拠集めしかしない。
隼人がそうだったようにテオドールまたそうだった。
テオドールにとっては死んだ存在が甦ったことに等しいのだ。
失わないためなら何でもやるだろう。
「ハヤト。頼みがある。」
「なんだ?」
隼人は真剣な顔で頼み込むテオドールの顔を見据えた。
「俺にもしものことがあったら、カティアとリィズを頼む。」
隼人はカティアが何者でどんな理由で東ドイツに来たのかは知らないが、中隊が、アイリスディーナが東ドイツを守ろうとしているのはわかっていた。
中隊がその目的のために闘い続けるかぎり、そして、テオドールがその目的のために中隊と共に闘い続けるかぎり協力しようと決めていた。
「わかった。」
テオドールは少し安心した様子をみせると基地へ戻っていった。
もしかしたら破棄することになる約束をなぜしたのか、隼人にはわからなかった。
基地に戻ろうとする隼人に微かな足音が近づいた。
隼人はテオドールが何か言い忘れたことがあるのかとでも思っていたが、ただならぬ気配を感じとりすぐに振り向いた。
「最近、お兄ちゃんがよく相談事をする、整備のお兄さんって貴方ですか?」
リィズ・ホーエンシュタインだった。
金髪に水色と白のストライプのリボンを二つ結びにしている普通の少女。
リィズは隼人に近づき、隼人に問いかけた。
「お兄ちゃんが誰を狙っているか教えてください!」
一瞬、隼人の目が点になる。
「お兄ちゃんが狙っている女の子を教えてください!やはり金髪ナイスバディのベルンハルト大尉?それともエキゾチックで母性溢れるファム中尉?黒髪眼鏡でガード堅そうで実は緩そうなイェッケルン中尉? 元気いっぱいのアネットさん?同年代ならお嬢様タイプのイングヒルトさん?小動物系妹タイプのカティアちゃん?私が本当の妹なのに義理だけど!」
とんでもない早口で中隊メンバーの女性陣の特徴と名前を言い連ねるリィズに隼人は少し圧倒されていた。
「まさか暴力系姉タイプのクシャシンスカ少尉じゃないよね!?」
「落ち着け」
リィズはテオドールがよく隼人に会いに行くという話を聞いて、恋愛相談をしてもらっているものだと勘違いしたらしい。
ほとんどカティアの愚痴で、浮ついた話ではないことを言うと、リィズは落ち着いた。
「でも、珍しいですね。お兄ちゃんが人に懐くなんて」
「3年も経てば変わるだろう」
リィズは兄共々よろしくと言い、去っていった。
隼人はリィズとのやり取りに不信感を感じなかった。
(あれが本当にスパイなら大したものだ)
会話のやり取りだけなら隼人もスパイじゃないと思っていたかもしれない。
だが、最初に感じた違和感は間違いなく「殺気」だった。
あの少女は殺気を隠して、隼人と会話をしていたのだ。
隼人は一刻もはやく白か黒かはっきりさせる必要があると感じたのだった。
隼人は知っていたはずだった。
家族を失った父親と妹がどれだけの心の傷を負ったか。
そしてテオドールにとって自分の存在を過少評価しすぎていた。
彼がトラウマを打ち明ける人物など数限られているというのに。
「今度こそ仲間を守る。」
その誓いが隼人の目を曇らせ、かつての仲間にしたのと同じ行動に歩ませていた。
隼人編 8話終
基本的に原作と全く同じ所は省こうと思います。