――どれほどの月日が流れたろうか。流れ去るだけで、アタシの元には何も残らない時間の風。あるいは大した時間は経っていないのかもしれない。ひどく長い日々に思えたけれど、時間は公平であり、それゆえに優しくも残酷だった。
取り残されるという感覚。
腐敗する意思。
いつからか、赤い悪魔は殺戮を繰り返した。
どちらが表でどちらかが裏だなんてことではない。手段が目的と化したのだ。殺すために殺す。以前より苛烈に、遮る者すべてを滅ぼす存在としてここにいる。何よりも戦うことを激しく求めた。何も考えないほどに楽しい戦いを欲した。やがてそれにも飽きが来た。
アタシを殺せる力を持ったやつは、そうはいない。
アタシが殺したいと思う人間は、さらに少なかった。
だから赤い悪魔に任せるようになった。それはアタシ自身ではあるけれど、断絶した意思のひとつだ。
廃墟にひとり、膝を抱えてまぶたを閉じていた。寒くもないくせに砂漠越えに使ったマントにくるまっていた。外では雨が降っているようだ。雨粒の砕けるたび、染みて黒ずんだ土はやわらかくなる。瓦礫に埋もれて水音に聴覚を集中する。水たまりに落ちる雫、波紋の広がるゆらぎの音色すら逃さない。音の交わり。
空気。
もう少し歩けば鬱蒼とした森の中、トレーダーキャンプのひとつもあるだろう。しばらくは動く気になれなかったから、ここに留まることにした。
打ち棄てられた建物だ。壁には鏡がかかっていた。鏡はひび割れていて、覗き込んだ場所の奥深くにまで亀裂が走っている。アタシの姿を二つに割っていた。
昔のアタシを模倣して描かれた顔と、アタシのものではない赤い躰が立っている。映った姿はひどく歪な笑みを浮かべている。在り続けることの悲しみを胸の奥の空虚さが喰らう。
アタシの名はレッドフォックス。自ら名付けた。
他人は憎悪と殺意を込めて赤い悪魔の名を呼ぶ。
どちらもアタシだった。
建物の周りにぶちまけられた夥しい量の赤い血は洗い流されただろうか。外に転がっている死体の数は笑いたくなるほど増えていた。誰もアタシに傷ひとつつけることなく死に絶えた。
目に映る光景はひどく陰惨なのに、オブジェじみて原形を留めぬ死骸のせいで滑稽だ。死者を弔うこともなく、ただ朽ちるまで放置されているのは痛ましく、辛い。そう感じながら、こみ上げてくる笑いを抑えるのに必死になっている。
フラッシュバック。
いつかどこかで見た景色。巻き戻し。
赤。
アタシは赤。
血と炎に彩られた悪魔。
赤い悪魔と呼ばれだしてから、アタシは段々とそれに近づいていった。いつしか自分が戦うことで安心できることに気づいたのだ。それからは戦っていないと不安でしかたがなくなった。
誰にも理解されないという恐怖は、とても狂おしい衝動だ。
誰のことも理解できない。アタシは人間の感覚を忘れてしまったから。アタシのいる場所はひどく寂しく、冷たい世界だった。
他人と共にいることができないことを知ってしまった。
戦っている最中だけは、その世界に他人が存在している。アタシは殺すことでそいつらを認識しようとしている。理解しようとしているのだ。
それに気づいたとき、あまりのばかばかしさに笑った。アタシはアタシのために他人を殺す。怪物を殺し、戦車を砕き、すべてを葬ろうとする。理解できるとか、認識したいだとか、そういうのは理屈でしかない。感情はすべてに勝って、易々とその理屈よりも楽しいものを探し出す。
そうすることしかできない。どうすることもできない。
無力と最強の狭間で、望みも持たぬ悪魔が蠢いている。殺し合っている時間が心地いいことをせめて肯定しようとする。アタシがいま、この世界に生きているのだと実感するために。
赤い悪魔は、そうやって作られたのだ。アタシと同じものを求め続けていたがために。壊しても壊しても足りないと感じながら。これはアタシの意思ではない。だが、アタシを操っているのはアタシでしかない。
壊すことで愛しさを重ね合わせ、ゆるやかに狂い、間違えながら。
雨は止まない。
冷たくはない。寒いのは気のせいだった。
涙が出ない機械仕掛けの躰は、うっすらと笑みを浮かべ続けている。
無理な使い方をしているせいだろう。壊れてゆく躰。思い通りにならないことが増えてきた。それに合わせるかのように、戻ってくる記憶があった。
今更戻れやしないさ。
時間は、決して逆には流れないのだから。
それは赤い記憶の正体だった。
肉塊が蹴られ、転がってゆく。焼け爛れた肌は誰のものだろうか。肌色であるべきそれは赤く肉を覗かせていて、そうでなければ黒く焦げて臭った。
火傷の痛みは内側から刺すかのごとくだった。
白。
吹き上がった火炎の奔流が白く塗られた家の壁を舐めていった。
悲鳴が聞こえてくる。わたしは呆然と頭上に目を遣っていた少女を守ろうとして身を投げ出す。
少女はこのバカと叫び、見下すように笑いながらわたしを突き飛ばして遠ざけた。それでも少女の元へと近寄ってゆこうとすると、少女の笑っていた顔が一転して、凶相になる。何かを叫んだ。怒号。その恐ろしい剣幕に足が止まる。
体に炎が巻き付くのが分かった。泣き顔が炎に炙られているのが見えた。わたしは走り寄ろうとした。足が変な方向に折れ曲がっていた。立ち上がった格好で横に転んだ。
炎は異常なまでの早さでわたしたちを取り囲む。手が届かないのをわたしは悔やみながら、少女に謝ろうとする。声が出ない。喉が焼けている。少女の顔が歪む。狂気に冒されてしまったのか、歓喜の笑みを浮かべている。くすくすと漏れる声。
あれは妹だったろうか。
少女の後方から母が現れる。服は破り捨てられ痛めつけられた体はぼろぼろだ。それでも必死になって追いすがる。わたしを通り越した。視線が探していたのは彼女だ。守ろうとしたのか、覆い被さった母親の腕がだらんと垂れ下がった。わたしのことなど見向きもせず。
一人っきりで炎の中に取り残されることになった。足は勝手に後ろへと、二人から遠ざかる。
赤。
ちろちろと舌を出す蛇の姿をした炎は、わたしから離れない。動くことも出来なかった。わたしは逃げ出せないで、狂ったように笑う妹とそれをかばっている母の姿を見続けていた。
燃え尽きた柱が倒れてくる。ふたりはその下敷きになる。声は出ない。断末魔の声すら上がらない。目に焼き付いたのは満足そうに笑う母。その瞳にわたしの姿は無い。
見棄てられたんだろうか。
とにかく二人は助からない。気づいて、わたしは後ずさりながら崩れかけた壁に近寄る。壁は手を触れただけで壊れた。指先の感覚が無くなっていた。左手は真っ黒になって使い物にならなくなっていた。他人事だった。わたしは動く右手で探った。視界はほとんど効かなかった。
誰かの影だけが見えていた。
父だ。父は銃を手にその男へと立ち向かっていた。男は幾分面白がっているようで、しかし笑っていることには変わらない。狂っている。炎。規則正しい音がして父は倒れた。強烈な勢いで放射された炎が父の体を喰らい尽くした跡が目に入る。もう生きていない。わたしはそれ以上近寄らずに逃げ続ける。男が気づいた。笑っていた。炎の中で男はどうしようもなく恐ろしい存在に見えた。
やがて灰と化す世界。騒がしいのは周りも同じだった。誰も助けてくれる人間はいない。家は崩れ落ちる。周囲では爆発が起こっているのか、時折その衝撃が届いてくる。水がない。
必死になって逃げまどう。母はもう死んでいるだろう。柱の影になっていた妹の顔が覗けた。白く溶けていた。赤。赤黒い血が背中から噴き出している。わたしじゃない。肉の塊。あれは母。父の体は良く焼けて二つに折れた。鮮紅色。生暖かい血。再び刺すような痛み。人間の焦げていく匂い。耐えられないほどの熱が襲う。笑い声。焦燥。
後悔。
視界が真っ白になってとても冷たいものを感じている。
慌ただしい足音がする。
声。
焦燥にまみれた物音、必死になって灼熱を発し続ける瓦礫をかき分けていた。
――遅かったか。いや、生きている? この娘はまだ息があるぞ。
――だが、助からないだろう。これだけの死体の山では、目覚めたら発狂している可能性も高い。
――しかし。
――待て。あの女医ならどうだ。
――この娘は喜ばないだろうが……しかし、生きながらえれば、幸せになることができるかもしれない。
――そして不幸になるかもしれない。失ったものは戻らないんだ。
――こんな光景を見たら、誰だって悲観的になるさ。それでも、進むべき道を探し当てることはできるかもしれないだろう?
――この閉ざされた世界でか? 腕がもげて、足はひしゃげ、目も潰れている。顔も元の形なんかわかりそうにない。
――だが、彼女の心臓は動いていた。頭は……脳だけは無事そうだ。
――うん? これは何だ。
――日記だな。この娘のものだろう。それだけしか持ち出せなかったんだ。
これはたぶんハンターの声だ。
とすると、あの男は賞金首だったのか。
日記。アタシが彼女のラボを出て、袋の中に入っているのを見つけたあれだ。読んではみたが、いかに妹のことを大切にしていたかしか書いていなかった。自分がどんな人間だったのかを知るには役立たなかったから、野宿するときに燃やして使った。
わたしは家族を見棄てて、それ故に見棄てられたのだ。逆だろうか。いいや、同じことだ。
やはり思い出さない方が良かったのだろう。苦い記憶だ。どうせ時は戻らないのだ。なら、要らない記憶は失われたままでも問題はなかったんじゃないか。
……どうして思い出したのだろう? わたしでなくなってしまった今になって、アタシが、それに囚われることなど無いというのに。
カラン、と氷が音を立てた。グラスを握りしめたまま眠っていたようだ。真っ白になっているときの意識は眠りと似ている。睡眠という欲求から解き離れてもなお思考からの解放は快楽に一種であることを否めない。
今、どこにいるんだっけ?
分からなくなる。
思い出す。
目の前のマスターの顔には見覚えがある。目の色が違う。
敵意。
そいつのことを知っていた。酒場でうらぶれているような人物ではないはずだ。周りの人間に聞こえない程度の声でアタシは告げる。
「アンタ、ジャックだね。そうさ、アタシはあんたのことを知ってる」
「……」
その反応で、相手が知っていることも理解できた。素知らぬふりをしなかったのは自信の表れか、諦めのためか。
「あはははは。大丈夫。何もこんなところでおっぱじめようなんて思っちゃいない。それに知ってるよ、アンタ、もう引退したんだろ。娘もいるんだってな。ああ、さっき店の前にいた……へぇ、可愛いコじゃないか。大事にしなよ」
「客として来たのか」
「そうさ。なぁに、飲んだら帰るよ。いやね、ここらで有名なエクスプローラーにでも会ってみようかと思ってたんだけどね」
「キョウジなら留守だぞ」
「聞いたよ。帰ってくるほうが珍しいんじゃあねえ。待つのもかったるい」
ほっとした顔になる。顔に刻まれた皺は、長い間の緊張からついたものだろう。
「だから、ここではやらないことにした。まあ、折角生きてんだし、アンタも幸せになりたいなら精々長生きしなよ」
「……一杯、おごろう」
敵意が消えた。ちぇっ。つまんないね。
本当にやる気がなくなっていた。仕方ないから話を続ける。カウンターに肘をたてながら、ぼんやりとその男の顔を見つめた。
ジャック・ザ・デリンジャー。遠くではめっきり聞かなくなった名前。このあたりでは誰も知らない賞金稼ぎの名前。その名の通りだ。デリンジャーを手放さない強い男のひとり。でも、牙を抜かれたんじゃあ、しょうがない。
「はは。気持ちだけ受けとっとく。やめときなよ。アタシなんかに居着かれても懐かれても困るだろ?」
「二度と来るな、とは言わん。だが」
「大丈夫さ。もうすぐこの地方から出て行くつもりだから。もう、アタシにゃ遊び相手もいないみたいだしね。ああ、オフィスに通報なんかはしないでおくれよ? 弱いのとやるのは飽きてるんだ。楽しめないことは面倒でさ、あんまりしたくないんだ」
飽いている。
誰かアタシを満足させておくれよ。そう、言外に匂わせた。挑発に乗らないでジャックはにこりともせず口にする。
「――悪魔、お前は幸せか?」
「さぁね、知らない」
席を離れようとした。だけれど、ジャックの視線が逸れたのが気になった。その方向に目を向ける。
「ん? 何だい少年」
こっちを見ていた少年に声を掛ける。格好から入ったのだろう。すぐに分かったが、唸ったり頭をひねったりしてみる。
「察するにキミはハンター、しかも、なりたてホヤホヤ、ってところだ。そうだろ?」
ジャックは苦笑い。半分嫌がらせも兼ねて問いかける。
「あれ、どしたのマスター? むつかしい顔しちゃって」
「そんな顔してたか。気のせいだろ」
調子を合わせるのを見て、続けた。
「まあ、いいけどさ。で、アタシはレッドフォックス。アンタとおんなじハンターさ。よろしくな」
ガキだった。目を覗き込むと、逸らさなかった。他人を真っ直ぐ見るんだ、と僅かながら驚いた。カンは悪く無さそうだのに、アタシのことが怖くないのだろうか。
「あはは、何だかいいね。初々しくてさ。でも、いい目をしてるよ、アンタ。きっと強くなる。そんな目だ」
少年は照れたように帽子を目深に被った。
「なーんて、ね。 ん? どうしたのかな少年。こんなトコで油売ってないで、稼いでこなくっちゃ。ホラホラ」
「悪かったな、こんなトコで」
疲れた目じゃない。この町に来る前、狩ったばかりの賞金首みたいに追いつめられた目でもない。ただ輝いてる。
いいねえ。
ジャックに目配せをした。嫌そうな顔をしたが、アタシがやる相手に飢えていることを知っていても、子供までは相手にしないと思ったのか、それほど心配そうにはしていない。ハハハハハ。違いないさ。子供は好きだからね。
「おーい、少年!」
去ろうとしたところで呼びかけると立ち止まった。
「よかったら、アタシがハンター稼業の基本ってヤツを教えてやるよ」
素直に頷く。後ろでジャックがグラスを磨く音が強くなるのを耳にした。
「よしよし、素直なコは好きだよ。それじゃ、BSコンのアドレスに後で色々とメールしてあげるから、読んで参考にしなよ」
礼を言われるのにはあまり慣れていない。アタシは頭をかいて少年を置いて、町を出て行くことにした。
「じゃ、アタシはそろそろ行くか。またね、少年」
それじゃあ少年。キミに教えてあげよう。血と硝煙の匂いにまみれた世界の掟を。荒野に咲く一輪の花を守るため、命すら掛けて戦う無為の傭兵の姿を。
いつかまた出逢うために。だからそれまで生きてるように。叶うなら、生き延びられるように。殺しても、殺されたりしないように。どれほど殺しても、その手の赤さに怯えることのないように。
そして、アタシに殺されるために。
しばらくして、いつかのハンター見習いの少年を見つけた。まだ再会するつもりはなかったんだけれど、この場合はイレギュラーだ。
気にしないことにしよう。
ついつい新しく手に入れた銃の使い勝手を試してみたくなって遊んでいる最中のことだった。対戦車ライフルを使いこなせる人間が見つからず、手元まで流れ着いてきたわけだ。
お誂え向きに雑魚が咆えていた。
相対している少年は良いところを突いてる。だが、流石にバギーで装甲車を相手にするのは辛そうだ。腕の差もあるだろう。
長距離からだとつまらないからそこそこ近づいて狙撃することにした。エンジン部分を打ち抜いた。いい音がした。
上手い具合に装甲車が爆発する。中身は無事らしかった。
微妙な結果だ。やっぱり狙い通りの威力にはちょっと足りない気がする。自分で改造してみることにしよう。
ああ、獲物は少年のものみたいだし、手は出さないでおいてあげよう。
翌日になって、隣の町の酒場で飲んでいると、少年がわざわざ来た。
アタシは生き延びていた少年に素直に賞賛の声を掛ける。
「やぁ少年。がんばったみたいだね」
少年は丁寧に礼を言ってきた。
「え……?」
わざわざ酒場を回っていたらしい。つい、吹き出してしまいそうになる。
「……面白いなぁ、少年」
グラスを傾け、そこの中に少年の姿を映し込む。
眩しそうに見上げている顔に、あっさりと言う。
「アタシは、別にキミを助けたって思ってなんかいないけど? あのキャンプの話だろ? アレはさぁ……血と暴力の匂いがしたから、覗きに行っただけさ。キミが助かったのは結果的にそうなったってだけだ。お楽しみの最中に他人を構ってるほど、ヒマじゃあないよ」
それでも頭を下げてくる。肩をすくめる。
遊んだだけ。お礼なんていらないのに。
アタシのやることは何一つとして、他人のためなんかじゃないんだ。
それから行く先々で、少年の噂を聞いた。
偶然とも思えない。なら、どこへ行っても活躍してるってことだ。
助けられたという少女の話。倒したという賞金首の話。洞窟に巣くったモンスターを掃討したという逸話。戦闘の痕跡が残った場所へ赴いて、周囲を一望すると、成長のあとが窺えた。
順調に賞金首を狩っているらしい。この地方だけでは、お尋ね者の数はそれほど多くはない。なら、アタシのところへ辿り着くのも時間の問題だろう。
期待を胸に抱いているのを自分でも感じる。
そして、赤い悪魔の期待とはすなわち、殺意のことだった。
本格的に躰にガタが来た。どこかが暴走しているようで、血に染まった手が不調を示している。昨晩、闇に紛れてアタシを狙ってきたハンターの五人組を皆殺しにした。
赤い悪魔は殺すことでしか楽しめなくなっている。
いい加減、限界かも知れない。
相談がてら、レオンの家を訪ねることにした。
「ちっーっす。ここにレオンとやらがいるって聞いて来たんだけど……」
「なんだ、キサマ」
ドアを開けると、中にいたのは黒服の男だけだった。振り返った直後に銃を向けてくる。見た感じ、レオンという男はいない。一応聞いてみる。
「あんたがレオン……じゃなさそうだね」
「……」
沈黙のせいか、分かりやすく殺気が出てくる。
「じゃ、また日を改めるとするよ。邪魔したね」
「……殺せ」
奥から現れた他の黒服も一斉に銃を構えた。アタシは困ったように笑って、もう一度だけ聞いた。
「ホンキかい?」
「ああ、運が悪かったな。ここで死んで貰おう」
「同感だよ」
使うことも無いだろうと思って銃は置いてきた。手持ちの武器は剣だけだった。黒服が撃ち込んでくる銃弾の音を聞いた瞬間、躰は最適な殺し方を求めて、自動的に剣を振るうようになった。
黒服の動きは訓練されたものだった。避けられないタイミングで同時に銃を撃ち放つのだ。常人ならばひるむだろうが、躰はためらいなく一直線に前に飛び込んで、二人ほどまとめて切り裂いた。顔色ひとつ変えずに攻撃を続けてくる。
剣が黒服の体に突き刺さる。息絶える寸前にも銃をこちらに向けた。銃口を逸らしてアタシはもう一回縦に斬りつけた。
「キサマ、何者だ」
「そっちこそ」
部屋の隅に逃げ込んだ黒服が反撃してくるのを避けず、首をはねる。ごろりと落ちた首の断面を見る限り、人間のようだった。まともな、と形容する気にはなれなかったが。
「やれやれ、なんだってんだ」
そしてドアが開いた。
攻撃態勢のままだったから、何も考えずに腕が動く。
「――ッ!」
斬りつけてから気づいたのは、見知った顔だった。
少年じゃないか。だが、躰は急に止まってくれない。高速で肩から腕を一本切り飛ばしたあと、首を狙う直前で止めた。いや、止めざるを得なかった。
ひどく呆然とした顔をしながらも、しっかりと銃に手が伸びていた。少年は自分で気づいてすらいない。ひたすらに反射的な行為だった。お仲間らしきのが二人ほど、こっちに敵意を向けている。そりゃそうだ。
「右腕損傷……危険です、マスター」
長い髪の女の子が気遣わしげに告げる。
「あー……。やっちゃったぁ……。ご、ごめーん……。黒服の連中の仲間か何かだと思って、つい、その……斬っちゃった」
もう一人、こっちはショートの子だ。目をつり上げて怒っている。ごく普通に。
「ひどいですよ! 間違えないでください!」
「ご、ごめんってば……。……ま、謝っても少年の腕が治るわけじゃないけどね」
「そんな言い方って!」
「マスター、命令を。標的を排除します」
こっちはアタシの同類かと思ったけど、もっとそのままだ。不純物が混ざっていない感じがする。
「うわお、物騒だねこのコ。壊すのは得意みたいだけど、少年の腕を治すとか、そういう機能はないの?」
「……。ありません」
「あ、そ……」
断面からは骨が見えていた。一応、レオンの家にあった包帯を勝手に使わせて貰って処置はしたものの、放置できるほど軽い怪我でもない。
「……とりあえず応急処置はしたよ。医者に知り合いはいないけど……。心当たりがあるなら行った方がいいだろうね。なんだったら、ホーライにいるグレイって人に頼むといいよ。見てくれはともかく、不自由はしないようにしてくれると思うよ」
攻撃してこなかったのが不思議なくらい、二人は本心から怒っていた。少年ひとりがそれほど怒っていないようだった。もう一度謝っておく。流石に悪いと思ったのだ。
「じゃ。すまなかったね、ホント」
また、少年を遠くから見かけた。キャノンエッジでのことだ。
精悍な顔つきは、旅を始めたころとは比べものにならない。血と汗にまみれ、オイルで黒ずんだ帽子にひび割れたゴーグル。
だが彼の瞳のなんと綺麗なことか。悪意と傲慢の暗闇に落ちていく姿を見たいと願っていたよ。死に怯えてしくじってどこかで犬死にしたら笑ってやろうとも思っていた。なのに、坊やはまだまっすぐに前を見据えてる。
言葉に従ってグレイのところに行ったのだろう。切断された部分には鋼の腕が取り付けられている。
あれは、わざとじゃなかった。だけど望んでいなかったというわけじゃないのかもしれない。現に今、同じような境遇になった少年のことを喜んでいる。同じになって欲しかった。もし一緒の場所まで落ちてきてくれたなら、とても幸せな気分に慣れただろうから。
黒い感情がわき上がる。これは嫉妬だった。
少年に聞いてみたかった。
ねえ、アタシが憎いかい? って。
だけど少年は少し迷ってから、首を横に振るだろう。彼はそういう人間だった。あのときには悪意は一切なかった。それを見抜き、当たり前のように許すに違いない。賞金首を倒し続けているのは、それが彼にとって為すべきコトだからだ。
折れない意思。
それこそがこの世界でただひとつ確かなものだ。どれほどのことを成し遂げたかも、どれほどのものを得たかも大した問題ではないのだ。
失っても失っても前に進もうとするその意思こそが人間を人間たらしめる。遙か広き世界を渡り、荒野の果てを歩むとき、それだけが生き延びるための武器だ。
仲間と笑っている。いつか見た二人だ。メガネの少女はメカニックだろう。もう一人は笑いもせず付き従っていて、坊やは困ったようにその娘を笑わせようとしている。お気楽な旅をしているみたいに見えるけど、ここに来て、それだけの余裕が出来ているってことでもある。
キミはこの世界に価値を見いだしたんだろう?
自分が生きるに値するだけの意味をさ。なあ、そうじゃないか。痛い思いをして苦しみながら、こんな場所で生きようとしてるんだ。戦い続けているんだ。
その強さこそがアタシの求めていたものだった。
あんたはそれを持っているんだろう?
羨ましさに似たその嫉妬をなんとか別の感情とすり替えて、町を出た。背中に届いた笑い声はアタシの発するものとは大分違ったものだった。
狙われていた。不意打ちされることが多くなったのは、いただけない。
反撃して鉄くずにした戦車だ。蓋を開けてみる気はしない。中は血で溢れているだろう。中身が使い物にならなくなって外側も沈黙しただけだ。
息をつく。なんだか疲れて、その鋼鉄の塊に背中から寄りかかって、頭上を見上げた。ヘブンズブルーの空。澄んだ青は破壊の爪痕を未だ色濃く残した大地とは異なり、とても美しかった。
あたりには赤茶けた土しかない。遠くには林が広がっているが、生態系は崩れきってしまってとうに蜂だの猿だのの群れに蹂躙されている。まっとうな生き物はひっそりと暮らしているだろうが、小動物が隠れ住むので精一杯ってところだ。猛禽類だの大型獣は姿を消してしまった。
人間が生き延びられたのは、どうしてなのだろう。不思議ではある。
ぼんやりと考える。照りつける太陽の光は遮られることなく地表に届く。土に吸収されてそれほど暑くないようだ。熱はあまり感じない。ただ、明るい世界は気分が良い。
また、不意に記憶が蘇る。
血と炎に彩られた、地獄に似た赤い景色。
誰かを捜してわたしは駆ける。足も動かないから、転んで、這って前に進む。止まることが出来ない。妹も死んでいるのに。母も死んでいるのに。父も死んでいるのに。隣家もとうに焼け落ちて、町は赤く染まっていた。自分の居場所が見つからなくって涙も出ないっていうのに泣き叫ぼうとして、その行為に虚しさと白々しさを感じて黙り込んで、そもそも喉が壊れて声なんかでなかったくせに。
見つけたのは記憶の欠片。
日記。
同じもの。同じ表紙。
開けば、そこに記された文字はわたしの書いたものじゃなくて。
姉のもので。
母が見棄てたのは姉ではない。母が助けたのは妹ではない。そう、わたしではなかった。それでも、母が助けたのは姉だった。気づく。自分の日記じゃなかった。だけど、抱きしめた。
炎がわたしを絡め取る。痛みなど感じない。熱くなど無い。ただその日記が燃えてしまうのは悲しかった。床に伏して丸くなる。床板も燃え落ちてむき出しになった地面は熱されていて、ついた肌を再び灼いた。背中は布が溶けてくっついていた。わたしはもう動く力もなかった。それでもその日記だけは守ろうと思った。
諦めることだけが怖かった。
記憶が途切れる。誰かの会話が聞こえてきて、その先は存在しない。
夢を見ていた気分になって、空に目を遣った。昔のアタシが守ろうとした日記は目覚めたその日の晩に焼き捨ててしまった。
大事なものを、守ろうと決めたものを自分の手で失ったのは、何度目だろう。
あのとき母は姉を守ろうとしたんじゃないんだ。一緒に死のうとしたんだ。なら、姉はわたしを守ろうとしたということになる。不器用な守り方。理解されなくともかまわない、自己満足にも似た救い。それに対し感謝すべきかどうか、よく分からない。
日記の内容を思い出した。妹のコトを大切にしている、って。そんなことも知らないで、アタシはわたしを消してしまった。
また、罪が増えたのだと思った。
理由が欲しかった。逃げるための理由が。
たとえばアタシがこんなにも殺し続けたのはあのときの妹と母と父の仇を討とうとしていたから。戦いを求め続けたのは殺されることを恐れて殺し続けなければ安心できなかったから。向けられる殺意を潰し続ければアタシを殺そうとする者は誰一人として存在しなくなるから。……なんて風に。
嘘だった。自分すら騙せない嘘に過ぎない。
だってそうじゃないか。
見棄てたのも、殺したのも、アタシだ。
だとすれば、誰よりも殺したかったのはアタシ自身だ。
そして赤い悪魔とはアタシのことなのだ。
今になって理解する。ゆっくりと『ナニカ』に躰を蝕まれていたような気になって、アタシは自分の奥底で育ち続けた悪魔を自由にさせた。それはアタシの意思だった。アタシが赤い悪魔なんじゃない。赤い悪魔が、アタシだった。
ナニカ。
鏡に映った自分。
アタシの心。
それは、赤い悪魔そのものだ。
なんてことだろう。くだらない。くだらない。何もかもくだらなすぎて涙が出そうだ。はははは、はははははは、あははははははははははははははははは。
なあ、誰か教えてくれよ。
――アタシがアタシである意味って、なんだ?
もうすぐ死ぬのだ。制御が効かなくなって、アタシはアタシでなくなる。そんな気がする。
躰の制御が効かなくなったのは、コントロールしようとする支配の意思が分離しているからだ。求めることと奪うことは違う。まるで違うのだ。死を求めながら生を奪う。躰は矛盾を綺麗に読み取っている。
半身が各々異なる意思を持ったとき、躰が崩壊するのは時間の問題だ。
たとえすぐに死ななくとも、アタシはやがて壊れるだろうことは分かり切っていた。
赤い悪魔はアタシをも巻き込んで死にゆくだろうから。
少年と初めて逢ったあのとき、こうなるのを予想していたわけではなかった。メールアドレスを控えておいたのは正解だった。呼び寄せる場所はジャンクヤードでいいだろう。がらくたの躰には相応しい名前の町だ。
今やこのあたりで最強の名を欲しいままにしているのはあの少年だった。いや、もう少年と呼ぶべきではないのだろう。分かっている。
だけれども、そう呼びたかった。
ジャンクヤードに着いた。少年もそれほど遠くにはいないだろう。酒場に行こうとして思い直した。待ち合わせの時間まではまだあることに気づいたからだ。
酒場の前でうろうろしていると、背後を巨大な人影が通り過ぎていった。振り返るとその男はいささか大きすぎる体を抱えて立ち止まる。アタシを見て目を細めた。
「ウーン?」
「なんだい、あんた」
「……やっぱりそうじゃ。お嬢さん、ちょっと時間はあるかね」
「ナンパなら他を当たってくれる? これから待ち合わせがあるんだ」
「フム。ワガハイはしたいのはナンパではないんじゃが……お嬢さん、昔、ここから北の方――山を越えた先の……エーット、なんといったかのぅ。町長が鉄仮面を着けていた山奥の町に住んでいなかったかのう」
「……え」
「いやなに、旅をしていたころ……十年ほど前にその町に立ち寄った際にな、お嬢さんから水をもらった憶えがあるんじゃよ。人違いなら失礼したがの」
「ちょ、ちょっと待った。どこだって?」
「町の名前は失念しまったんじゃが……ああ、そうじゃ。ワガハイ、持っていたカメラで家族みんなの写真を撮ってあげた記憶があるぞい。あれは良い出来だったという自負があったんじゃな。だから憶えていた。……お嬢さん?」
「えっと、なに」
「若い娘さんがこんなところまで来るとは、長旅ではなかったかのぅ」
「まあ、……うん」
「カメラは壊れてしまったから、もう一度写真を撮ってあげることはできないんじゃが……いやはや、あのときのお礼を改めてと思っていたんじゃが、急ぎの用事では仕方ない。何か困ったことがあったら来たらいい。ワガハイに出来ることなら力を貸すぞ」
「ううん、いいんだ。それよりさ、そのコの名前、まだ憶えてるかな」
「もちろんじゃとも。名前は――」
大男はニカッっと笑ってその名前を口にした。そうだ、姉の名前だ。
「そうじゃろ?」
頷いた。久々に嬉しくて笑った気がした。
「アタシは妹の方なんだ。でも」
目を丸くした男に向かって、深く頭を下げた。
「ありがとう」
そして酒場へと急ぐ。少年はまだ来ていなかった。
「ジャック・D。悪いね。待たせてもらうよ、あの少年をさ」
「何故だ。あいつはまだ……」
「……目の色が変わったね。まあ、色んな理由があるさ。でもそんなことは問題じゃないんだ。やるか、やられるか。それがこの世界の掟だよ」
「もし逃げたなら?」
「逃げないさ。まっすぐな少年だ。きっと、アタシの望みを叶えてくれる」
険しい顔をしているジャックに笑いかける。
「水でももらおうか」
「一杯、1Gだ」
「水で金とるんだ?」
「こう言うと、大抵の客は二度と来ないのさ」
「あはは。いいね……お、来たみたいだ」
からん、とドアのベルが鳴る。
入ってきたのは少年だけだった。他の二人は外で待っているらしい。
「よしよし、来たね」
少年は口を閉じて、耐えるようにアタシを見ていた。
ジャックは口を挟まない。その娘は何か言いたそうにしていたが、少年の様子を見て口を閉ざした。長い付き合いで、このタイミングで声を掛けられないことを悟ったのだろう。周囲に恵まれているのだ。
他の客達は無言でことの成り行きを見守っている。
先に外に出る。少しの時間、迷っていたのだろう。少年は歩みも遅く外に出てきた。
「黙ってないでさ。わかるだろ? これからアタシたちが、いったい何をするか」
少年は、わかると答えた。
「ふふっ。物わかりのいいコは、好きだよ」
店の前で対峙する。ギャラリーには少年の仲間が二人、手を出す様子はない。ジャックは外に出てこない。その娘も店の中で耐えて――待つことに決めたようだった。
「それじゃあ、始めようか! 最強のハンターと最強の賞金首の戦いを!」
躊躇ったなら、戦車に乗るだけの猶予も与えてあげるつもりだった。逃げ出したなら、そのまま見逃してやるつもりだった。真実、迷いながらも真っ直ぐに立ち向かってきたのなら、全力を持って叩きつぶしてあげようと誓った。
色んな選択肢が目の前には浮かんでいて、いつもひとつしか選べない。アタシにも、少年にも。未来について知ることは出来ない。けれど今は、選ぶことが出来るという幸福を享受しよう。
選んだ結果がこれだ。これが最善の結末への道なのだと、どちらもが信じていた。言葉は交わさずともそれが分かった。
最強のハンターと最強の賞金首の殺し合いだ。血で血を洗い、その匂いさえも硝煙に埋もれ、骸は荒野に、記憶は誰の胸にも残ることはなく、ただ朽ちるだけの人間同士の戦いだ。
さあ、アタシという間違いをその手で乗り越えてみせろ。
少年が持ち出してきたのはフリーズガンだった。狙いは正確だが、殺傷用に向いているとは言えない。衝撃によって破壊する能力に欠けているからだ。
アタシは改造したPzb39を振り回す。四連続で撃ち放った瞬間、手応えの無さに訝しんで手を休めた。少年は無言でドラム缶の後ろに身を隠していた。
外したらしい。驚いて少し距離を詰める。
射程の外から踏み込んだ瞬間、フリーズガンのレーザーが照射された。足を掠めただけ。被害は僅少だ。すぐさま剣に持ち替えて駆け寄った。
大降りで振り下ろす。
余裕を持って避けられる。横に薙ぐ。かわしきれずに少年の服の布が横一文字に切り裂かれた。内側に着込んでいたプロテクターが黒く鈍い輝きを見せていた。
また、銃を撃って距離を取る。少年の目が何か危険な狙いがあることを告げていたからだ。様子を窺っているうちにしびれを切らしたのか、幅を取って射撃に切り替えてくる。少年の得物は致命的なダメージを与えるには不向きだ。それは彼も知悉しているはずだった。だから、これは罠。
さらに離れた。そこに投げ込まれる数発の音響手榴弾。聴覚が振動によって麻痺する。ついでに動きが鈍ったのを彼は見逃さなかった。波長を合わせたハウンドボムが炸裂し、一帯に凶悪な衝撃波が襲いかかる。音の速さからは逃げ切れない。
苦し紛れに放った一発は銃によるものだ。カキン、と何か固い響きに弾かれた。実質的なダメージは無い。少年も今の攻防ごときで何とかなると楽観するとも思えなかった。
内側からは黒い衝動がわき上がってくる。
NONAME NONAME NONAME ERROR ERROR ERROR NOERROR
――NO DAMAGE
殺意。
戦うことから、殺すことに意識がシフトした。
赤い悪魔が現れた。
そしてレッドフォックスは裏側に消え失せている。
こちらの様子が変わったのを見て取って、少年は攻撃手段を変更してきた。アタシが無造作に剣を片手に近寄ると、逆に走り込んでくる。
ざん、と空間ごと切り裂くような音がした。少年の髪が散った。肌を薄く切り裂かれても少年の勢いは止まらず、懐に入り込んで近距離から鉛の銃弾を撃ち込む。そこに電気手榴弾を引っかけるように押しつけ、離れる。
どこに隠し持っていたのか、デリンジャーによる一撃だった。手元に隠せるという利点が大きい武器だ。見抜けなかったのは油断でしかない。
筋力を限界まで開放する。少年の方を向いた。危険を感じて一気に遠ざかろうと走り出した背中に、お返しと言わんばかりに衝撃波を発生させた。体内の運動機関を全力で働かせて発生させた波動によって、展開方向一面を打ち抜く攻撃手段だ。つまりはこの躰を中心に擬似的な爆発を起こしているのである。爆風で心臓が圧迫されれば容易く破裂する程度の威力はある。
真後ろから当たった突然の衝撃に吹き飛ばされた少年は転がりながら受け身を取る。一転し、白い塊を上空高くに放り投げた。手に残ったのはフリーズガン。基本的に遠距離からでも届くのが銃器の利点だ。そして、この程度ならPzb39も同程度の命中精度を誇る。撃ち合いになった。
少年の肩から血が出ている。避け損なったらしい。
こっちも腹のあたりがダメージを受けたのを感じている。さきほどの電気攻撃はサイバーウェアの機能を狂わせる目的だったようだ。少年もしっかり考えて用意してきた、ということのようだ。
だが。
その正しき狡猾さ。その真っ直ぐな崇高さ。その揺るぎなき信念よ。
ああ、甘すぎる。撃つたびに苦しそうな顔なんてしないでおくれよ。アタシの攻撃を避けることが可能なら、当てることもそうは難しくないだろうにね?
迷いがあるのが分かる。
そしてそれは戦場において生死を分けうる要因で、最も大きいものだった。何度も戦って来たハンターにそれが分からないハズがないのだ。甘さとしか言いようがない。
少年の甘さにつけいることが出来る。
そろそろ少年が投げたモノの正体が見えてくるころだろう。ちらりと視線を上に向けると、極端に火薬の量を増やしたらしく、周囲を揺るがすほどの規模の爆発が起きた。フライハイボムか。
だけど――当たりもしない爆発をさせる意味はない。軽く失望した。
もう、いいかな。そろそろ殺さないでいるのも飽きてきた。楽しませてくれると思ったのに。この程度じゃあ、まるで届かないってこと、分からないでもないだろうに。
最強のハンターでもこのレベルじゃ、赤い悪魔はいつまで経っても殺せない。
剣の機能をフルに発動させる。衝撃波を出すために使った振動を利用し、剣の内側から発生させる。プロテクターごと叩ききるために思いついた使い方。鋼鉄も人間も一緒くたに切り裂いてしまう。
まだ上空に目を向けている少年が目に入る。
斬りつけようとして、悪寒を感じて真横に飛び退った。刹那、上空どころかその更に高々度の世界から振り下ろされるプラズマの鎚。ばばばっ、とさっきまでアタシがいた地面で電光が跳ねる。
フライハイボムによってもたらされたのは急激な気圧の変化と爆風によって吹き飛ばされた雲の集積。頭上を覆い始めた暗雲を通り抜けて、極大のレーザーが降り注ぐ。拡散されたそれは逃げ場を減らし、直撃しないようにすればするほど狭い足場に追い込まれる。
少年はフリーズガンの引き金を引く。アタシに当たらなくとも、避ければ周囲が凍り付く。光線と電撃はその氷結した地面を伝ってここまで届いた。威力は殺されている。
それでも足止めにはなった。なんとか身をよじってかわすと、いつの間に仕掛けたのか機雷が転がっている。踏むような愚は冒さないが、デリンジャーによる射撃は正確で、近距離で連鎖する爆発にアタシの躰はダメージを受け続ける。
油断したのはこっちだった。
再び上空からレーザーが振り下ろされた。
それはさっきのように拡散されたものではなく、すべてのエネルギーを束ねた一撃だった。焼き尽くされる躰は痛みを感じることはなかったが、動きが鈍くなったのは間違いなかった。銃を撃ち鳴らす。剣で切り跳ばす。その行為は時には当たり、時には外れた。少年もまた手持ちの道具を使い切ったか、必死にデリンジャーで応戦してくる。フリーズガンもエネルギー切れを起こしたらしい。
頭から血だらけになった少年は息を荒げてアタシに立ち向かってくる。ほとんど自分を巻き込む覚悟で爆発させたグレネードの威力が思いの外大きかったのだ。いい加減、アタシの攻撃を避けきれなくなっているころだろう。
だが、アタシも戦闘中に回復しながら耐えているのが精一杯だった。銃弾は少年の足を貫いたはずだった。腕を動かなくさせたはずだった。流れすぎた血で倒れていなければおかしかった。足を引きずりながら、だらりと垂れ下がった腕を持ち上げ、もう一本の鋼の腕で支えながら、銃弾を撃ち込んでくる。
アタシは衝撃波を放つ。知らぬ間に剣は折れていた。銃弾もあと数発しか残っていなかった。真正面からの攻撃に頭からごろごろと真後ろに吹き飛ばされてゆく体。少年は生きているのが不思議なほどの姿だった。
それでも少年は立ってきた。
殺したい。殺したくない。
行き着くところまで行かなきゃならない。その先を見なければならない。アタシがアタシであった意味を見いだすために、最後までやらなきゃならない。本当は何一つだって失いたくなかった。どれほど大きな矛盾を抱えても、何かをひとつだけ選ばなければならないときが必ず来る。その選択に後悔しないためにこそ、意思が必要だった。
殺すための銃弾を、再度、撃ち込む。
少年は頭をかすかに動かし、かすめた威力で弾けたように倒れ込む。
また、殺せなかった。
なんだ、アタシだって迷ってるんじゃないか。
いいんだ。殺すとか、殺さないとか、そういうことは本当はどうだって良かった。戦っていたかったんだ。アタシがアタシであるために、全力を出して、あんたを叩きのめしてやりたいと思ったんだ。
心を映す鏡があるとすれば、ひとにも見える形を持つのだと思う。
たとえば、少年。キミのことさ。そして他にもいるんだろう。他人を受け止め、全力で答えを返してこようとするヤツのことを言うんだ。
やっと分かった。甘いんじゃなくて、優しいだけ、か。あははっ。あはははっ。なんだか惚れちゃいそうだよ。もう、たいして時間はないけど……。
血の赤。流れているのは誰のものか。
炎の赤。アタシたちを取り囲む世界。
アタシは見た。それはひどく優しい瞳の色だ。夥しい量の血は流れ続け、えぐり取られた肉の赤さが痛々しい。顔を背けずに立ったままこちらを見上げる姿は凛々しく、またえらく格好良かった。
いいねえ。
そうだ。最後を見届けるのはあんただ。そうでなくちゃならなかったんだ。
ああ、いつか聞いた。絆と鎖の話を思い出した。アタシとあんたは鉄の絆で結ばれている。繋ぐものは意思で、それが絆なのか、鎖なのかを決めるのは心なんだ。
あんたのことを信じられるよ。だから、その意思の正しさを証明して見せろ。あんたが勝ったなら、何もかもが無駄だったわけじゃないって……信じられるからさ。
アタシがアタシとしてここで戦う意味があるんだ。
もう、レッドフォックスは存在しない。
ここにいるのは一匹のお尋ね者だ。
失われた名は赤い花の娘を意味した。捨てた名は赤を背負って生き永らえた女の姿だった。今や、正義に打ち倒されるべき赤い悪魔の名しか持たない。
それが、アタシだ。
さあ、殺そうか。
やけに重い躰を意思の力で動かし、最後の一発を込めた銃を少年の頭に突きつける。少年は真っ直ぐにアタシの顔を見つめ、悲しそうに、手にした銃を心臓も無いこの胸に向ける。
熟した果実のような瑞々しい赤は少年の血。ぽたりぽたりとアタシの目から流れ落ちる雫も赤く染まっている。澄んではいるけれど、血とは異なる熱い液体。
指先に力を込める。
どん、と衝撃が真後ろに突き抜けてゆく。
仰向けに倒れ込んだ。楽な体勢だった。夕暮れがひどく眩しかった。
それだってひとつの赤には違いない。燃えるような空の色。やがて夜に飲み込まれてゆく、血でも炎でもない、ひとときの輝ける赤の世界だ。
「あれ、再生が効かないな……。この身体も限界ってトコ、かな。強くなったね。――強い男は、嫌いじゃない、よ」
あはは。
楽しかったなぁ……
わるかったねえ、わがままに突き合わせちゃってさ。
死ななくて、良かったねぇ……
少年は歯を食いしばって、アタシの顔をじっと見ていた。大地に膝を突く。ぽたぽたと落ちてくるのは水滴だ。たぶん、赤くは無い。泣いているのかな。
ああ、もうなーんにも見えないや。
まあいっか。
じゃあね少年、ありがと……
少年は立ち上がった。いつもそうしてきたように、再びどこかへと歩き出すために。
逡巡し、懐に入れてあった写真を、そっと取り出す。
写真の中には家族が幸せそうに寄り添っている光景がある。中でも、二人の赤毛の娘は悲しみなど知らないかのように、お互いの手を握りしめていた。
突然、風が吹いた。
一葉の写真は空を舞った。どこへ運ばれてゆくのかも分からぬままに。目で追うと、夕空に紛れ、あっという間に見えなくなった。傷だらけの少年は寂しげに振り返って、赤い女の気持ちよさそうな寝顔を覗き込む。
二度と目覚めることのないその顔は、どうしてか微笑んでいるように見えた。