鋼色の挽歌   作:yoruha

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Felix Culpa (3)

 

 

 

 

 

 

 丸一日歩いてホーライに着くと、早速彼女のラボに向かった。道中で収入はあまり使わなかった。そもそも路銀は大して使う意味が無いのだ。食事は楽しいが、しなくても二週間くらいは生きられる。水が無いのは辛いが、それでも動かなければ一ヶ月は保つだろう。エネルギーの消費の仕方が生身の人間とは違うのだ。

 利点なのか、副作用なのか、それに関しては主観の問題だった。

「ちーっす」

「キミか。なんだ、また来たのか」

「ああ、メンテよろしく」

「また無茶な使い方をしたんだろうな。実費はもらうぞ」

 ほいよ、と背中に提げていたナップザックから革袋を抜いて、かるく投げる。何十枚のびっしりと文字の黒が敷き詰められた書類の上に上手く着地する。とすんと間の抜けた音。

「金はそこ。十万G近くまるまる残ってるからさ、足りるだろ?」

「そうだな」

 ぞんざいに袋の中身をぶちまけて、テーブルの上に広げると、その半分くらいを適当にとりわけ、もう半分を革袋に入れて投げ返してきた。

「あとは好きに使え」

「ん?」

「こんなにあっても困るだけだからな。必要以上にもらっても意味がない」

「そうかなぁ」

「分を超えたものは何であれ、あまり幸福な結果には繋がらないものだ。ほどほどが一番だよ。そうは思わないかね?」

「ま、いいや。いつもの頼むよ」

「分かっている。そこに横になって寝てろ」

「アタシにゃ睡眠は……」

「あのな。この数年間でキミが来たのはこれが何回目だ。まったく……視覚情報を切って、意識レベルもなるべく落としていればいい。擬似的に睡眠状態にすることはできるだろう? 仮死状態とも言うがね。ああ、但し自動状態にはするなよ。キミの意識が中枢の支配権を離すと、取り戻すまでに数秒のラグが出来るからな。こっちからのアクセスも受け付けなくなる」

「じゃ、任せた」

 そしてアタシは眠りにつく。

 夢など見ないのだろうと思いながら、穏やかな闇の中へと溶けてゆく。

 

 

 古い記憶。

 そんなものは無い。新しい情報に塗り替えられることなく集積する知識と経験は常に最新のものでしかない。記憶は古くはならない。ただ留まるだけだ。

 暗闇のなかで思考は、無限と有限の狭間を行ったり来たりを繰り返す。それを歪めようとするノイズもまた揺り返している。まるでゆりかごのようにやわらかに軋む音色と、流れ去ってゆく景色を彩る様々な色。濁った暗色と、澄んだ明色の組み合わせだ。ひとつのことを考えるうち何十にも重なった意識が収斂され、何らかの答えを出そうとする。その行為を遮るものなどない。ない、はずだ。

 見えないもの。

 手で触れられるもの。

 形のないもの。

 心。

 ナニカが止めろと叫んで、思考が揺り戻される。別のベクトルを受けて、遠ざかる。

 鉄の味は血に似ているとよく言われる。噛みちぎった口内からは血ににた溶液が流れてくる。血の味だと感じるのはそう感じたいからだ。機械になりきれない思考が無駄を消し去ろうと躍起になって騒いでいる。行為そのものがすでに無機物としての矜恃からはかけ離れている。自分で気づいてる。沈黙。血は鉄を含んでいるから似た味になる。すなわち混ざったものは別個ではありえない。

 静寂の音。ビープ音。古くなるのは存在だけだ。そこに確かに在ったからこそ、時間の影響を受け続ける。

 アタシの、アタシだけの意思。

 風化した遺物の錆色。合金の鉄とは異なった感触に違和感を憶える。背中が触れているのは金属と何か別のものを化合して作られたベッドだ。器具は人間の手ではどうにもならないほど小さな存在を扱うために、応じて微細な造りを持っている。明確なプロセスを経て行われるチューニングは人間では不可能な領域までもを弄り尽くした。人工皮膚を張り替えるときに鳴る肌の破れる音や、細い針を打ち込んで設定する機器の硬質な響き。耳はそれらを余さず捉え、必要とする情報だけにより分けようとする。リアルがそぎ落とされる前に、無理矢理すべての情報をゴミ箱の直前から横取りする。違う。奪還する。ナニカがそれを無用と見なした。しかし、アタシは得るものと失うものを自ら決める。

 ぼやける視界。視覚の部分にはまだ充分な水分が補充されていないようだ。人工の躰。機械の躰というと彼女は怒るだろうか。それとも散々説明されたことだから、呆れるだろうか。

 生体と似て否なるパーツは随意筋の区別無く自由に動かせるらしい。躰を構成しているやわらかな機械。元々持っていなかった機能を備えた不安定にも完全な四肢は、アタシの意思無くしては身勝手に動かない。けれど脳以外の部分はすべてアタシのものではない。

 感覚は擬似的になら再現することは可能だった。触覚も味覚も聴覚も視覚も、基本的には人間よりも鋭敏で、大量の情報を受け入れるだけのレセプターの役割を存分に果たしてくれる。本来、人間が無意識に切り捨てる過多な情報をアタシは自らの思考が追いつく限り、自分の手で排除しているに過ぎない。あらゆるものを聞き分けることも、どんなに小さい違いを見分けることも容易い。

 人間にはそれだけの力が備わっているはずだ。しかし、常時そんなことをしていたら情報の海に溺れて発狂する。アタシは狂わないでそれを自覚的にやっている。あるいは狂っているからそんなことをやりたがるのかもしれない。

 そうする理由はある。なるべく感覚を信じたいからだ。

 心の存在。

 だがそれを証明することは誰にも不可能だ。だけどもし、心さえ自分のものでないとしたら。

 

 ――アタシはいったいなんなんだ?

 

 同じ疑問に行き着いてから、ナニカが悲しそうに震えた。そのナニカの正体は分からなくて、それがもし心だとしたら、分かりやすい矛盾を抱えているようだった。

 悲しみながら喜んでいるのだから。

 

「目が覚めたか。今、検査が終わったところだ。何か不調な部分はあるか?」

「無いよ。ありがと」

「そうか。ならいいが……。まあ、時々は顔を見せにきたまえよ」

「ん?」

「前にも言ったが、物理的には永遠など存在しないんだ。キミも、いつかは壊れる。無茶をすればするほど早くそのときが訪れるだろう。それを死と呼ぶかどうかは当人の定義に任せるがね」

「平穏無事に生きたとしたら?」

「上手くやれば百年以上保つかもしれない。但し、清潔な場所で身じろぎひとつせず健康的に過ごし、なおかつ私がそれだけの長さを生きているか、私並の技術者を新しく見つけられたらの話だ」

「つまり、このまま行けば?」

「十年保てば御の字だろうな。このペースで消耗させるのは寿命を削っているに等しい。代えの部品などそうそう見つかるものじゃない。ついでに言ってしまえばだな、キミの躰はエネルギーを常時大量に消費し続けるくせに、補給することが難しいんだ。これから先、使いすぎで一度枯渇したら回復は困難だぞ」

「不可能とは言わないんだ?」

「不明だが、どちらとも言えない。確定していないものについて自ら可能性を否定することは、すなわち科学の敗北だからな」

「了解。これからはなるべく気をつけることにする」

「嘘をつけ」

「あはは。はいはい、ご心配どーも」

「……神経がバラバラになるような痛みを憶えたら、アリス・ワンのレオンのところへ行ってみるといい。旧世界の遺物を見つけるのが生涯の趣味だという変人だ。何か役立つモノがあるかもしれない。とは言え、シロモノがあったとして、素直に渡してくれるかは運次第だがね」

 

 

 

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