唐突に、ふっと意識が途切れる瞬間がある。
自分が自分でなくなるような、そんな感覚だ。気づいたときには周囲のすべてを破壊し尽くした後だった、なんてことも珍しくない。
躰を明け渡しているのだ、と言われればそうかなと思う。その相手は正体の分からない、内側で蠢くナニカだった。誰が名付けたのか、それには赤い悪魔だなんて名前がついている。正直、多少羨ましくもある。名前とは本来自ら名付けるものではなく、他人から――親が勝手につけるものだ。この世界によって再び産み出されたことを考えれば、一般的なプロセスを通って形作られたのは赤い悪魔の方だった。
そのくせ、アタシは恐れていた。自分がどういう風に動き、どういう風に殺したのかを知らない状態などあってはならない。
二律背反。
破壊しようとしているのは自分だということを否定しない。それに自分がやるべきことを、躰はあまりに知り尽くしているのだ。そしてその通りに、寸分の狂い無く動いているに違いない。完璧に。だが、意思と離れて行われている。結果が同じなら過程などどうでもいい、とはどうしても思えない。
我に返る。
銃を突きつけていた。
手は自分の意思のままに動いている。僅かな電気信号。筋肉の役割を果たす擬似神経とナノマシンの巣である肉体は脳からの発信を直接受けている。決して遠隔操作によって操られることも、誤作動することもありえない。だとすれば内側からの命令だ。自身の意思に他ならない。
震えている顔からは鼻水と涙がこぼれている。どこかで見た賞金首のポスターと同じ顔だった。周りにはとうに人影の無い。しかし男の仲間であろう人間の残骸が、これでもかと言わんばかりに打ち棄てられている。男は何事かを泣き喚きながら、失禁した。
「――」
よく聞こえない。
「――――」
だから、聞こえないんだってば。苛立った。
「――ッ!」
聴力が失われたわけではない。その声が耳に入る刹那、言葉としての意味が分からなくなるだけだ。人間の喉からほとばしる、何かの音の羅列が続く。何の感慨も抱くことなくその様子を見つめている。
まるで審判だ。意思だけがルールだった。殺すか、生かすかはアタシの手によってどうとでもなる。
銃口はぶれることなくその男の頭に狙いを定めており、決して外すことのない距離にあって指は引き金にかかっている。ソフトタッチだから軽く触れるだけでも弾丸は一直線に男の頭蓋骨を砕き、真後ろの茶色い壁へと突き刺さるに違いない。唇が何かを囁く。
赤茶けたレンガが地面に二、三個落ちている。その方向に、男は必死になって手を伸ばす。その動きに気づかないフリをしてゆっくりと指に力を込めようとする。声は何も聞こえない。それが声だと分かるのだから、たぶん躰はその言葉の意味を理解しているのだろう。
順繰りに蠢く指。吐息。
空高くから張り付くような逆光が、視界一面を白く染め上げた。
音。
男の口の動きはこう読み取れた。
たすけてくれ
「あっちゃあ、悪い」
もう遅かった。気づいた瞬間にはすでに撃ってしまった後だった。反射的に、というわけではないはずだ。何も音がしなかったわけじゃない。ただ聞こえなかっただけだ。その証拠に、遅れてきた別のハンターの足音が騒がしくこの場所に向かっている。
到着して開口一番にその男は叫んだ。顔に刻まれた皺の造りが、悲しむより笑っていた時間のが長いことを想像させた。
「なんで……なんで殺した!」
「なんで、って?」
「その男はさっきから叫んでただろうが! 投降する。頼む、助けてくれ。殺さないでくれ。助けてくれ、って」
「そっか、そんなことを言ってたんだ」
「それをお前……」
ハンターは周囲に目を遣った。破壊の爪痕も新しく、ひん曲がったアサルトライフルを見て動きが止まる。二つ折りになって逆に折りたたまれた人間の体や、四肢がひしゃげて見るに堪えない肉塊と化した物体。弾け飛んで赤黒く染まった頭の無い死体。ちょうど体の中心部だけが吹き飛ばされたかのように穴の空いた、襤褸と似た何か。
そして煙の漂う黒い穴から、衝撃で脳髄の飛び出た賞金首の顔。
「なんて残酷な真似を」
「そうかい? こいつらだって似たようなことをやってたんだろう?」
「だからって同じことをやる必要はないじゃないか!」
「あはは、アンタの手は汚れてないっていうんだったら、お説教も聞いてあげてもいいんだけどね」
むせ返るほどの血の匂いが充満している。まともな人間なら入り込まない暗い路地の奥だとはいえ、狭いなかでこれだけの破壊された人体が無造作に転がっているのを見たのだ。ハンターは吐き気を催したらしい。
「アタシのやり方が気にくわないなら、戦おうか?」
「なんだと」
「アタシは強い。強いヤツは正しいのさ。ハンターになるとき習わなかったかい? 強くなきゃ、何を言っても無駄だってことをさ」
「……レッドフォックス、まさかお前……赤い悪魔か!」
「だとしたら?」
「酒場で見たときはえらく良い女だと思ったが……俺のカンは当たりすぎたらしいな。後をつけろってカンが強く叫んでたんだよ」
「ああ、自分ならやらせてくれるとでも勘違いしてたんだ? はははは、そりゃ悪かったねえ。でも、アタシを相手にするには……アンタみたいな雑魚じゃ分不相応もいいところ。身の程を弁えなよ」
「言いたいことを言ってくれる。だが、なぜ、黙っていたんだ? 赤い悪魔は血に飢えてるって評判じゃないか。手当たり次第に勝負を挑んでいるわけじゃないのか」
「あっはっはっは。なに言ってるんだい。賞金首がはいどうぞごらんあれ、なんて首を晒すわけがないだろ?」
「違うな。お前は、そんなことを気にする人間じゃない」
「まあ、ね」
「俺も良い女相手に手荒な真似はしたくない。大人しくハンターオフィスに……」
「デッドオアアライブかぁ。でもね、結末は変わりゃしないんだよ。赤い悪魔のやったことを全部知ってるのかい? 生きて連れて行ったら、まず縛り首は確実さ。そうでなけりゃ銃殺。よくて獄死か安楽死。ハンターにしちゃあんたは甘いね。ああそうそう、あいにくひとつ訂正しておかなきゃいけなくなった」
「なんだと」
「気にしないのは、実際そうなんだけどさ。そもそも、アタシは、もう人間じゃないんでね――」
男の顔色が変わる。
それなりに修羅場もくぐってきた猛者ではあるのだろう。だが、悲しいかな役者不足にもほどがある。アタシを相手どって生き延びられるレベルには到底届いていない。実力差が見て分からないようじゃ、どっちにしろ先は長くなかっただろうけれども。
「アンタ、正義の味方のつもりなんだ?」
「だとしたらなんだ」
「聞いてみただけ。さぁて、アタシに殺されないよう精々気をつけな!」
撃ち合いにすらならない。ハンターは、町中の狭い道だからと戦車も持ってこなかったのが災いしたようだ。結局、何分も保たなかった。あまり気分が良くないのは、気のせいではないようだ。ひどく、気落ちした。
こんなくだらない戦いをする羽目になったことに対して。
体についた血を落とすために宿屋に向かう途中、賞金首と一緒くたになってハンターオフィスに引きずられていく死体を見たからかもしれない。つまらない。弱いくせにどうしてやり合おうとするんだろう。真剣に疑問だった。馬鹿じゃないのか?
死んだ後の肉体はタンパク質の塊だと誰かが言っていた。
ならばもし生き返ったとして、その物体には再び魂が宿るのだろうか。それとも心が連続していない限り、蘇生は無意味なのだろうか。今のハンターにしたって、もし可能でも生き返らせるだけの意味があるとは、到底思えない。
死んだらそれまでなのだ。
なのに、彼らが死に急ぐのはどうしてなのだろう。自ら危険に飛び込んでおいて、後になって死にたくないと泣き喚くのはまったくもって馬鹿馬鹿しい。
物思いにふけりながら、思考の片隅でほんの少し同情する。
戦う素振りを見せず、みっともなく逃げ出していたのなら、見逃してやってもよかったのに。
風呂に入って血を洗っている最中、さっきと同じに意識が急に飛んだ。
カタカタと映写機の廻る音がする。イメージの問題だろう。記憶が映像と音を鮮明に保存しておく術となっているからだ。アタシという個体から見た世界をそっくりそのまま映し出すことが、ムービーの形を取るというのはなかなかに洒落ている。
音声は虫の音の混じったみたいに雑音だらけだ。
場所はすぐに分かった。いつだったか、目的もなく彷徨っていたときに辿り着いたトリカミという町での出来事だ。大破壊を生き延びたというじいさんの一人と会った。酒の入った濁った瞳でアタシを見て語った。そして、その次の日に死んだ。
あの町ではもう、大破壊後の生き残りは居酒屋の飲んだくれ一人だけだ。
アタシを見て、血の匂いでも感じたのだろう。
睨み付けるようにしてこちらの全身を凝視し、じいさんは口を動かした。強い酒の匂いが鼻につく。酔っているせいで赤らんだ顔は泣いているようにも見えた。
「世の中ってのはさ、色んなもんが不思議な具合に繋がってやがるんだ。ひとはそれを絆と呼ぶし、おれはそれを鎖と呼んでる。なあ、あんた。他人を殺すやつがいつか他人に殺されるのは運命だと思うか? 他人を守るやつが他人に殺されないなんてこと、ねえのによ。誰もが自分の未来のことなんかしらねえで、必死に生きてやがるんだ。精一杯にな。違うかよ、違わねえだろ? なら生きることが……それだけが正義じゃねえのか」
大破壊。それを生き延びたという記憶は、精神をひどく疲弊させるものなのだろう。生きるために他の人間をその手で殺したのか、それとも見殺しにしただけなのか、あるいは救える人間を救いきれなかったことへの後悔なのか。
所詮は後世からの想像に過ぎない。その実際のところを知る者は彼らしかいないのだ。だが、アタシと何が違うのだろうか。
他の人間とどこが違うと言うのだろうか。
何も変わりはしない。人間が何かを犠牲にしながら生きていくように。それは命だけでなく他人の幸福をも奪い取って、自分の人生を豊かにしているのと同じことだからだ。荒くれ者は望みを叶えるために他人を省みない。自分のためだ。ハンター達は他人を助けるために自分を顧みない。畢竟、これも自分のため。ならばどちらも同じものだ。それが他者に対してどういった結果を残すのかの違いは、過程に左右されはしない。
生きた証を探し求めるくらいなら、生き続ける方がよほど誇らしい。
赤ら顔のまま、じいさんが目を剥いて呆気なく死んだ。誇りも輝きもなかった。苦しそうに天井に向かって手を伸ばし、何事か大仰に呟こうとして、それすら出来ずに血を吐きながら。
始まったときと同様、ぷつんと途切れて映像は消滅する。これがアタシの識閾下にいるナニカ。悪魔とでも呼ぶべき何かの趣向だとすれば、やはり趣味が良い。褒めてやりたいくらいには。
それから、吐き気を及ぼす程度には。