レンズ越しのセイレーン【完】   作:あんだるしあ(活動終了)

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 好きになった人が負った傷は あたしには治せませんでした


Ready4-1 ペイト/ブレイクアウト

 ルドガー・ウィル・クルスニクが死んだ。

 

 その報せを受けたノヴァは、仕事を早退して真っ先にマンションフルーレに走った。

 指名手配中のユリウスが、のうのうと自宅にいるわけもないはずなのに。何故か足がそこへ向かった。

 

 開錠しっぱなしのドアから302号室に入り、ノヴァは、見つけた。

 リビングのテーブルの椅子に座り、項垂れている、憧れの人の背中を。

 

「ユリウスさん」

 

 声をかけると、意外にも、ユリウスはふり返った。

 

 ノヴァは悲鳴を上げかけて、呑み込んだ。

 ユリウスの服は血まみれだった。頬にも血の跡がある。

 

「ケガ、したんです、か」

「――ああ。俺じゃない。返り血だ」

「誰の」

「……弟の」

 

 ユリウスの一言はすとんと胸に落ちた。そしてノヴァは、ルドガーの死を初めて実感した。あの、仲の良かった兄弟を見ることは、二度と叶わないのだ。

 

 萎えた足を叱咤し、ゆっくりと、ユリウスに歩み寄った。ユリウスのすぐ傍らに立っても、ユリウスは何も言わなかった。

 

 抱き締めてあげたい。慰めてあげたい。

 

 だが、それは弱みに付け込む行為だと分かっていたから、動けなかった。代わりに口を開いた。

 

「何が、あったんですか」

 

 ユリウスは語った。相手がノヴァでなくとも、そうしただろうことはノヴァにも理解できた。

 

 

 ――クルスニクの宿業。骸殻。2000年に渡って続いた「審判」。クランスピア社の秘密。時歪の因子化。クロノス。オリジン。

 

 

「俺が生き残ったって、どうしようもないのに」

 

 ユリウスは左手を見下ろした。手袋をしているから黒いのだと思っていたが、違った。左手は素手だ。素手が、木炭のように真っ黒に染まっていたのだ。

 

 ノヴァはとっさにその左手を両手で掴んでいた。

 

 救った命は散り、救われた命も風前の灯火。あんまりな結末ではないか。

 

「欲しいもの、ありますか? 私にして欲しいこと、ありますか?」

 

 ユリウスは何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 以来、ノヴァは頻繁にマンションフルーレに通った。ユリウスのために料理を作り、共に食べる日も増えた。

 

 この関係が始まったのは、ごく最近。放っておくとユリウスは食事をしないと知ってからだった。

 

「ルドガーの料理でないと、食欲が湧かないんだ」

 

 最初は自宅で作って差し入れの形で持っていったが、ある日、それらが全てゴミに出されているのに気づいた。

 それからは部屋のキッチンを借りて料理し、暖かいトマト料理をずらりと食卓に並べた。

 それでもほとんど食べないユリウスは痩せていく一方で。

 

「どうして君は俺にここまでするんだ?」

 

 好きだから、と答えようとしたのに、口から出たのは全く違う言葉だった。

 

「ルドガーが死んででも守りたかったお兄さんだからです」

 

 その言葉が効いたかは分からない。だが、ユリウスはようやく、ノヴァの料理を完食してくれるようになった。食べる代わりに、トマト料理はこれっきりにしてくれ、と言われたが、構わなかった。

 

 

 

 

 

 ある日のことだった。いつも通りマンションフレールの302号室に来て、ユリウスと一緒に夕飯を食べた。

 

 食事を終えて、ノヴァは食器を片づけにキッチンに入り、使い終わった皿やコップをシンクの中に置いた。

 

「ノヴァ」

 

 落ち着いた低い声がした直後、ノヴァは後ろから男の両腕で抱きすくめられていた。

 

「ひゃっ!? ユ、ユリウスさん」

 

 一時は憧れた相手と密着しているという状況はノヴァの女心を大いに混乱させた。

 だが、頭は冷静。ユリウスがノヴァに向けるのが「弟の同級生」への親愛で、彼が男女的にこんな行為に及ぶはずがないとの解を弾き出していた。

 

「もーっ、ビックリしたじゃないですかぁ。大丈夫ですよ。片付け終わったらすぐ戻りますから。あ、食後のコーヒーとか出しますか?」

 

 ユリウスは答えず、ただノヴァに回した両腕に力を込めた。さすがのノヴァも少し苦しくなってきた。

 

「ユリウス、さん。ちょ、ちょっとキツイかなーなんて」

「――子供が欲しい」

 

 それを聞いた瞬間、がらがらと崩れていった。ノヴァの中で、今日までのモラトリアムが。

 

「ルドガーのため、ですか」

「ああ。分史のルドガーとエルのように、分史から正史に進入できる力を持った子が俺にもいれば、その子が正史でルドガーを救う可能性は高い。産まれてからそう教育していけば」

 

 産まれてくる我が子を、最初から道具扱いする気しかない発言。

 軽く吐き気が込み上げた。

 

「産まれてくる子の意思はどうなるんですか。心は。大人になっていけばやりたいことも好きな人も別にできるんですよ。一人の人間なんですから」

「与えない。俺が考える目的と計画に不必要な知識と体験は全て除く。子供には独りで生き延びる術と、戦い方と、過去の変え方だけを教える」

 

 胸の上にあった両腕の内、片方がするりとノヴァの腹を撫でた。おかしな声を上げそうになった。

 

「前に君は俺に、欲しいものはないか、と聞いたな。今、できたんだ。欲しいもの」

 

 むきだしの首筋にかかる息が生暖かい。どくどくと巡る血流の音がうるさい。

 

「俺は俺の意思を継ぐ子が欲しい。頼めるのは君だけだ、ノヴァ。俺に、最後のチャンスをくれ」

「……もし産まれてきた子が、ユリウスさんの望み通りにならなかったら?」

「それも充分ありうる。いくら母親が『鍵』だったといっても、産まれてくる子まで『鍵』とは限らない。骸殻能力者になる見込みも薄い。――そうなったら、俺はすっぱり過去の改変を諦める。その先の人生は、全て君と君との子のために使う」

 

 その言い方は卑怯だ。どんな子が生まれるかによって、ユリウスとノヴァの関係は大きく変わってしまう。

 もしユリウスの望み通りの特別な力の持ち主が生まれたら、ノヴァは我が子を公平に育てられる自信がない。

 

「ノヴァ。君だけが頼みの綱なんだ。ルドガーにも俺にも等しく愛情を向けてくれた君だからこそ。俺は君に俺の子を――ルドガーを救う子を産んでほしい」

 

 それでも、やっとユリウスは、何かを求めるという心を取り戻してくれたのだ。

 ノヴァには応えるという選択以外になかった。




 番外分史においてユリウスと、オリ主の母親となる人物に何があったのかのお話。

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