「兄、さん? 何で……」
何故ここにいる。何故そんなに苦しそうにしている。何故ジュードたちと敵対している――尋ねたいことは山ほど浮かんで、どれも声にならなかった。
「ユリウスから持ちかけて来たんだよ」
説明を買って出たのはアルヴィンだった。
「もしおたくが決断できない時は、おたくに知らせず、俺たちのために『魂の橋』になる――ってな」
「……黙ってて、ごめん」
ゴメンですむ話ではない。ルドガーはジュードをきつく睨み据えた。
「浅はかね。そも『審判』に挑む資格はワタシやルドガー、ユリウスみたいなクルスニクの血族にしか、ない。アナタたちの中にはそれに該当する人間は、いない。ユリウスを殺して
誰もが気まずげに目を逸らす様子を見て、ユティが溜息をついた。
「言われた時刻より早めに連れてきといて、よかった。知らないとこで兄さんが死んでたかも、しれなかったね、ルドガー」
仲間だと、友達だと信じていた。だがそれ以前に、彼らは「
今や「オリジンの審判」は、エレンピオスとリーゼ・マクシア両方の問題。問題を新たに持ち込んだ彼らに、失敗は許されない。許されないと、彼らは心に課している。
そんな人間たちが、仲間の家族の命で世界を救えると知ったら、実行しないと言い切れるか。
兄の死を悲壮に飾り立てて自分を囃し立てないと言えるか。
答えは、この状況だ。
「――ミラ、お前もか?」
思ったより怒ったような声になった。
輪の最後尾にいたミラはびくんと跳ね上がり、みるみるバラ色の瞳を潤ませた。
「だ、だって、あなたがいなくなったら…あなたが『橋』にされて、死んじゃったら…! 私、どこにも居場所なんてないのに! ルドガーだけが私の居場所なのに! 私、どこにも行けなくなっちゃう…!」
ミュゼが痛ましげにミラの後ろに漂い、そっと肩を撫でた。
ミラが居場所がないと感じないように努力した。ミラの世界を壊したのは他ならぬルドガーだから。ミラが喜ぶことは何だってしてきた。
それらの努力は全て、ミラのルドガーへの依存を無責任に加速させただけだった。
(俺たちの関係って全部ハリボテだったんだな)
ジュードたちは敵ではない。だが、たった今、ルドガーの味方でもなくなった。
彼らはあくまで「世界の味方」なのだ。たまたまルドガーの仕事が世界を守ることに繋がったから合一していられただけで、それが剥げれば、彼らとの間には本当の絆などなかった。
「……兄さん。本当にこれ以外の方法はないのか」
「ない」
ユリウスの即答は呵責がなかった。
「『カナンの地』に入るには、ハーフ以上の能力者――この場では俺かお前、どちらかの命が要る。それがクルスニク一族の宿命なんだ」
ビズリーが宿命を「呪い」と表現した意味を、ルドガーはようやく理解した。
こんなのあんまりだ。理不尽すぎる。哀しすぎる。分史世界の命をさんざん取捨選択させられて、今度は正史でさえ命の選別をしろというのか。
「そんなに悩むことはないさ」
ユリウスは左手の手袋を外して捨てた。手袋の下にあったのは、手袋の革よりなお黒い――呪いの刻印。クロノスが言っていた「成れの果て」。これが。
「どうせもうじき俺は死ぬ。俺には時間が残されてない。どうせならこの命を意味のあることに使いたい。俺の命で、『魂の橋』をかけさせてくれ」
死にたくない、と昨夜叫んだ。今とてありったけの想いで、偽らざる本心だ。
だが、ルドガーが生き残るためにユリウスを殺さなければならない? そんな選択肢は端から頭になかった。見通しが甘いと責められればそれまでだが、ルドガーはユリウスが死ぬ未来をこれっぽっちも想定していなかった。
「! ぐ…っ!」
「兄さん!」
倒れた兄に慌てて駆け寄り、上体を支える。左手の黒が面積を増している。ユリウスの体が無機物へと変えられていく。ルドガーは思わずユリウスに縋った。
「……うちに帰れ、ルドガー。
優しいはずの兄の言葉は、一瞬でルドガーの心を黒く塗り潰した。さながら「カナンの地」出現の時の白金の歯車が、月を泥で冒したように。
「――ない」
「ルドガー?」
「できない…! 俺にはできない! 俺は兄さんを殺せないッ!」