分史世界。
あらゆる可能性を現実にしたパラレルワールド。無数の人々の選択によって分岐したIFの歴史。
よって、人が想像しうるどのような事柄であれ成立していても不思議はない。
最初にこの分史世界に入って感じたのは、通行人の視線の奇妙さだった。
「ここのアナタは指名手配犯なのかしら」
「だとしたら遠巻きに見てないで、悲鳴を上げるか警察を呼ぶかくらいはされてるはずだ」
「確かに、そうね」
通行人の視線は、確かに畏怖の対象を見た時のそれだが、犯罪者に向けてというよりは、いるはずのない存在を糾弾するような。
(分史世界の人間が
後ろを付いて行く。コンパスの長いユリウスに付いて行くとなるとユティは速く歩かねばならない。その差がもどかしかった。
ふと、ユリウスが立ち止まった。ユティも倣う。ユリウスたちのマンションがある団地の広場前だった。
「反応が近づいてくる」
「動く物体で街中にいる。人間、決定」
ユリウスは舌打ちしてGHSの筐体を乱暴に畳み、ポケットに突っ込んだ。
「どこか」
ユティはポケットから抜かれた直後のユリウスの手を掴んだ。
「人気のない場所、見繕わなきゃね」
「――、ああ」
――そんな男と少女に近づく、青年、一人。
「兄さん!」
全く不意打ちに声をかけられて、ユリウスは何秒か呼吸の仕方を忘れた。
エラール街道方面から歩いてくるのはルドガー――この世界の「ルドガー・ウィル・クルスニク」だ。姿かたち、声、笑い方、何一つ本物のルドガーと変わらないのに。
――その後は正直、どう話したか記憶は曖昧だ。
「ルドガー」がマクスバードに用があると言い、よかったら一緒に来ないかと誘ってきたので同意し、トリグラフ中央駅から列車でマクスバード中央駅まで一直線。
マクスバードに着く頃には日が陰り、駅を出ると、埠頭の露店は全て店じまいされていた。
「ルドガー」は駅舎を出るや、ユリウスたちに背を向けて階段を下りていく。ユリウスは自然の流れで「ルドガー」を追う。
「人に会う約束があると言ったな。こんなギリギリの時間……下手すると帰りの便がなくなるぞ」
「大丈夫だよ。そうなったら宿に泊まればいいんだから。それにこの時間帯じゃないと」
じわじわと海へとろけて沈んでゆくのまんまるオレンジ。
斜陽は一時。じきに夜の帳が下りるだろう。
「――人払い、めんどくさいんだよね」
転身、「ルドガー」が剣をユリウスの鼻先に突きつけた。
その剣はクランスピア社の支給品ではなく、ユリウスが愛用してきたそれだった。向けられた翠眼はどこまでも凍てついている。
ユティがショートスピアを出し、間に割り込もうとするのが視界の端に入った。
「やめろ!」
駆け下りかけた少女の足がぴたりと停まる。
「手を出すな。頼む」
ユティは自分とルドガーを見比べた。
そして、スピアを力いっぱい地面に突いて刃を収納すると、じりじりと階段を下りて、ユリウスの後ろに駆けて来た。
「穏やかじゃないな。兄貴に剣を向けるなんて」
「……誰が?」
「は?」
「俺の目の前にいるのが俺の兄さんなら、俺は幽霊と話してることになるな」
「! お前、まさか」
「クランスピア社、分史対策室エージェントとして訊くよ。
――痛みを伴って理解した。
「俺の兄さんは去年、任務中に死んだ。遺体は俺が引き取った。だから俺は誰より知ってるんだ。兄さんがどこにもいないこと」
ここはユリウス・ウィル・クルスニクが弟を遺して死に、ルドガーが兄の代わりに分史対策エージェントになった分史世界だ。
――どうあっても自分は、弟を巻き込まずにはいられないんだな、と突きつけられた気がした。
「……俺はユリウスだよ。15の時から『お前』と兄弟してきた。正真正銘、ルドガー・ウィル・クルスニクの兄貴だ。正史世界の人間、と自分では思ってるが、これは不確定だ。分史対策エージェントとしてでなく、私情でだが、この分史世界を壊しに来た」
「…………変装にしちゃ似すぎてるとは思ったけど、やっぱそーか……あーあ」
「ルドガー」は刀を鞘に戻し、夜天を仰いだ。夜風が「ルドガー」の黒白の短髪をなぶって吹き抜ける。かける言葉が見つからなかった。
(俺だって今いる世界が分史世界だと言われたら、平静でいられる自信はない。考えたことがないわけじゃない。分史を破壊するたびに、本当は自分の世界も分史で、いつか本当の正史の誰かが壊しに来るんじゃないか。そんな、気が狂いそうな仮定を、何度も)
すると、背中と右腕に小さな感触。――ユティが後ろからユリウスに寄り添っている。
ユリウスは密かに驚き、そして自嘲した。彼女はいつも、相手の一歩先に的確な慰みをくれる。
やがて「ルドガー」はこちらに向けて力ない笑みを浮かべた。
「ありがとう。変にごまかさずに教えてくれて。俺の兄さんは訊いても訊いても答えてくれなかったから」
――“兄さんの何を信じろって言うんだ。肝心なことはずっと隠してたくせに”――
(俺がお前に秘密を持つことは、お前の人生を狂わせるほどに大きなことなのか?)
「お礼に」
「ルドガー」は両ポケットから懐中時計を出して構えた。真鍮と、ボロボロになった銀。
内、片方、銀時計のほうから
目を見開いて「ルドガー」は右手の銀時計を見やる。瞼をきつく瞑り、唇を噛みしめ。
彼は泣きそうな顔で笑った。
「殺す。全力で、手加減なしに。俺の手で殺してあげるよ、どこかの世界の兄さん」
骸殻が発動する。山吹寄りの黒とイエローラインの呪いの殻。レベルはスリークオーター。ユリウスと同じ、他人の時計で力を水増ししている。
「ルドガー」が槍を鋭く突き出した。ユリウスはとっさに後ろのユティの頭を乱暴に下げさせ、双刀の片方で槍の軌道を逸らした。
「ユリウスっ」
「そこにいろ! 俺がやる!」
心はすでに固まっている。他でもない「ルドガー」だからこそ、自分以外に殺されるのは許せない。
マクスバードは一瞬にして兄弟の戦場に変わった。
兄弟の闘争を見守り始めてどれほどの時間が過ぎただろう。何分? 何十分? 何時間?
日は完全に沈みきり、辺りは闇一色。
聞こえる音は彼らが刃を鳴らす音だけで、戦う姿は影法師。
ユティは埠頭に立ち、アーチの上で激戦をくり広げるユリウスと「ルドガー」を見上げていた。
手を出すな、とユリウスが言った以上、ユティにできることは何もない。ただ胸の前で両手を握り合わせた。
アーチの上で、槍と双刀がぶつかり合い、火花を散らしている。骨肉の喰らい合いは留まる所を知らない。
(きっとあの人は、ルドガーに自分以外の干渉があるのが許せなくて、いつだって分史世界のルドガーだけは自分の手で殺してきたんだ。独占欲と変わらない、深い深い愛情で)
――やがて、ぼんやりと捉えていられた影法師の片方が、アーチから砂袋か土嚢のようにタイルに落ちた。ユティは急いで駆け寄る。ずっと上を向いていたからめまいがしたが、無視して走った。
転がっていたのは「ルドガー」だった。開ききった瞳孔、上下しない胸板。頬に幾筋も残った、涙の跡。
(ユリウスでなくてよかった)
間を置いて、ユティは「ルドガー」の脈が完全にないことを確認した。次に、死体の瞼を閉じさせ、口元の血を袖で拭い、両腕を胸板の上で交差させた。
作業を終え、ユティは死体の近くに転がった二つの時計の内、銀時計のほうを拾った。
横に2度目の落下音。今度は軽やかで、足音が続いた。ユリウスが骸殻を解きながら歩いて来ていた。
「お疲れ様。無事でよかった」
「ああ」
そっけない返事。ユリウスはユティの手にある
「ルドガーは、アナタに何て?」
「言いはしたが、あれは『俺』への言葉じゃなかった」
その言葉をよすがに、ユティは目を細めて頭に描いた。
「ルドガー」はユリウスではなく、彼にとっての「ユリウス」へ末期の息を捧げたのだ。
自らを刀で貫くユリウスには一瞥もくれずに。
ユリウスは「ルドガー」の死体の前で、存分にセンチメンタルに浸ってから、立ち上がった。
斜め後ろに立っていたユティの手には、
しかし、妙だ。いつもの彼女なら呼ばれずとも
「どうしたんだ」
ユティは眉根を寄せ、ためらいがちに口にした。
「アナタにどんな言葉をかければいいのか、分からない、の」
ぽかんとした。突拍子もなくて奇抜な少女が、ユリウスと同じ悩みで行動をためらっていた。
「
あえて平坦に告げる。ユティは一瞬ためらいを浮かべたが、両手で銀時計を突き出した。ユリウスは銀時計を受け取り、負荷の少ないクオーター骸殻に変身した。そして、
こうしてまた、一つの天地が砕けて落ちた。
景色が戻る。夜のマクスバードには人がおらず、暗い海の波音だけが海停に谺していた。
GHSで時刻を確認する。行動しなければいけないのに、何故か思考は上滑りする。
(いい加減切り替えろ、ユリウス・ウィル・クルスニク。分史世界のルドガーを殺したのは初めてじゃないだろう。アレよりもっと幼い『ルドガー』を殺した時だってあるだろうが。100以上の分史世界を壊してきて、こんなありふれた任務で揺らぐなんてあるわけないんだ)
深呼吸ひとつ。行くぞ、とユティに声をかけて歩き出す。だが、ユティは付いて来ない。
もう一度呼びかけても、彼女は動かない。軽く苛立つ。
ユリウスは戻って、強引にでもユティを引っ張って行こうと手を伸ばし――
「もし、次の分史世界、アナタが
初めて、震える声を聴いた。
「次だけじゃない。その次も。次の次も。ずうっと」
初めて、震える拳を見た。
「アナタが『ルドガー』の死をぜんぶ自分のせいにするなら、『ユリウス』が死ぬ時は、ぜんぶワタシのせいにする。だから――」
続く言葉はない。ユティ自身、どう言っていいか分からず困り果てている。頬を赤らめ、くちびるを握りしめた手で隠し、外したかと思えば深く俯き。
ようやくユリウスを見上げた
そのまなざしだけで、続きを聞く必要はなかった。
ユリウスは大きく一歩踏み出してユティとの距離を詰め、細すぎる腰を両腕で抱き寄せた。
「もういい。それ以上話さなくていい。君の優しさは充分伝わったから」
二の腕に掴まる両手。ほとんど反るような恰好でユティはユリウスを見上げてきた。
「……ほんと、に? むりして言ってるんじゃ、ない?」
「してないよ。もう大丈夫だ」
安心させるつもりで頬から髪を軽く撫でてやる。
「よかったぁ」
――極上の笑顔。ニ・アケリアで彼女が寝ぼけて自分を父親と間違えた時に浮かべた。
そのまま胸板にすり寄る少女を抱きながら、ユリウスは一つの可能性に思い至る。
(まさかこの子は、俺の――)
分史世界。
あらゆる可能性を現実にしたパラレルワールド。無数の人々の選択によって分岐したIFの歴史。
よって、人が想像しうるどのような事柄であれ成立していても不思議はない。
想像しうる、どのような事柄であれ。
[公開 2013年05月21日(火) 14:42]
あ「あんだあでーす(≧▽≦)」
る「るしあでーす(・д・。)」
あ・る「「二人合わせてあんだるしあでーす(≧▽≦)(・д・。)」」
る「して
あ「いいのいいの。番外編とは銘打ってるけど、内実オリ主が原作キャラと友好を深めるためのSS集がReportだから。実際、このくらいまで真実に迫ってくれないとユリウスがオリ主を可愛がる展開なんてこの先無理(T_T)」
る「ルドエルに勝らずとも劣らぬ絆を両者には構築してもらわねばならんからのう。舞台裏は密に書かねばならんのが今作の難点か」
あ「舞台裏チガウ。舞台の隙間」
る「どうちがう」
あ「んー。もうぶっちゃけちゃうけど、作者、この連載以外にTOX2連載を構想中なのは知っとるべ?」
る「ああ。本人はTOX2二次は4部作のつもりで書いておるからの。あわよくば『レンズ越しのセイレーン』終了後にあと3本書こうと目論んで、地味に地道に今作にも次作要素をちまちま盛り込んでおるくらいじゃ」
あ「4部作にはそれぞれ位置づけがあるのよ。これは『舞台の隙間』。2部が『共演舞台』、3部が『舞台裏』、4部が『狂言舞台』って感じにね」
る「ふむ。確かにオリ主は原作ストーリーそのものにも参加するが、前日譚や後日談的な場面で描かれることがメインではある。隙を見て仕掛けることでの運命の変更を促しているわけか。原作=任務中だと、一歩間違えればメンバーの生き死にに関わる。あえて『何もない』時間に仕掛けるのがオリ主のスタンスで限界なのだな」
あ「そゆこと。ま、兄弟愛憎模様はあえて触れない。だってやり尽くされてるし。ユリウスがオリ主の関係が作られていくのがReportの胆だと心得てくれい」