罫線上の絆   作:yoruha

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3、ガラスの靴を求めて

 

 

 

 

 

 新聞部の活動にも慣れてきた。真美がそんな思いを強めていたころのことだ。

 朝に部室に詰めていると、気になるニュースが飛び込んできた。部員の姿は真美の他に数人がいるだけだった。ドアから入ってきた人物に道をあけると、彼女は真美へと一直線に向かってきて、饒舌にしゃべり倒してくれた。

 途切れることもなく、長々とした話が終わるまで真美は動けなかった。聞き流すわけにも行かず、どうにか内容を聞き取ることを努力する。

 終わった。

 真美が息を吸い込む。気が付くと彼女の顔も近づいていた。

「――聞いてる? 真美ちゃん」

 情報を持ってきたのは三奈子のお姉さまにして先代の部長、八河梢だった。眼鏡をかけたその顔には、幸せそうな笑顔が浮かんでいた。梢のウェーブがかった髪の毛の先が、真美の鼻先にかかっている。だが逃げるわけにも行かず、真美はなんとか頷く。

「はい。小笠原祥子さまが、とうとう妹をお選びになったという噂のことですね」

「違う違う。妹を選ぼうとして、また、逃げられたらしいのよね」

「えっと」

 それは初耳である。

「ちょっと前、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンとロサ・ギガンティアが志摩子さんを取り合って、祥子さんの方が振られてしまったでしょう?」

「それでお姉さまが無理やり取材を敢行しようとして、祥子さまの冷たい視線を受けてすごすご帰ってきた事件でしたっけ」

「……ああ、三奈子でも無理だったの」

「仕方ないので、分かっている事実だけを紙面には載せましたが、結果としてご本人たちのインタビューはひとつもいただけませんでした」

 肩をすくめる。なぜか、ふたり同時に。

「でしょうね。もしかしなくても、真美ちゃんはその結果を予測してたんじゃなくて?」

「多少は」

「多少かしら。うぅん、そんな三奈子に気を遣わなくてもいいのに」

「いえ、運が良ければ、志摩子さんやロサ・ギガンティアにはお話を伺えるかもしれないって思ってましたから。結局無理でしたけど」

「なるほどね」

「……それで今回の情報は出所はどこなのでしょうか。山百合会内部の、それも薔薇の館で起こったという出来事なのに、こんなに早く噂が広まっているのはおかしいです」

「おかしくないのよ。噂広めてる本人に聞いてきましたからね」

「それは、どなたでしょう」

 はて、と首を傾げる。

「ロサ・ギガンティアと、ロサ・キネンシスのおふたり。ロサ・フェティダには出会えなかったから直接聞いたわけではなけれど、どうやら薔薇さま方が率先して噂をばらまいてらっしゃるようね。三年生のあいだでは、その一年生とやらが話題を独占してるのよ」

「なるほど。たしか、名前は福沢祐巳さんでしたっけ」

「ええ。そんなお名前だったわ」

「梢さま、情報の裏、本人にとってきます」

 真美が腰を浮かせようとした瞬間、背後でがたがたと椅子が動く音がした。

「私も」

「では私も」

 二年生の先輩たちも気になっていたのだ。ここぞとばかり着いてくる気満々である。新聞部に在籍している人間の九割は、まずもって好奇心の塊ばかりであるから致し方ない。

「今から行ってもダメでしょうから、お昼休みにしたらいかがかしら?」

 梢が引き留める。すでにスカートはかぼちゃ状態で、ダッシュの用意までしていた部員が盛大に転んだ。校舎は走ってはいけません、と梢が笑った。

「梢さまがそう仰るのなら」

 他の二年生に手を貸してもらって、床から起きあがりながら知香が頷く。

「ところで真美さんは、その福沢祐巳さんのことを知ってらっしゃらない?」

 と、佳也子が問いかけてくる。真美はすでに椅子に座り直していた。

「はい。同じクラスではありませんし、接点もないので」

 横から知香が補足する。

「部長もそのお名前を聞いたとき、狐につままれたようなお顔になっておられましたし」

「狸に化かされたような顔だったんじゃ」

 これは佳也子。

「どっちも同じようなものですわね。まったく、これだから」

「な、なんですって。あなた、狸に化かされたこともないくせにっ」

「知香さんこそ狐につままれたこともないでしょう?」

「あります」

「あるんですかっ」

 知香と佳也子が言い争う体勢になる。それ以外の部員は、興味津々の格好で耳を澄ませている。

「ええ。あれは私が四歳の頃でしたわ。空から不思議な柱状の光が降りてきて――」

 梢が止めた。

「そこまで。思い出話はいいから、知香さん、ちょっとお黙りなさい」

「うー……はい」

 真美としては続きが知りたかったのだが、梢が止めてしまった以上、そこを曲げてまで聞くわけにもいかなかった。柱状の光が降りてきて知香がどうなったのか。ものすごく気になるではないか。そこからどう狐につままれた話に繋がるのか、考えを巡らせていた。

 しばらく考えたが全く想像がつかなかった。

 後輩の葛藤を知ってか知らずか、佳也子が話に割り込んで先に進めてしまった。

「では、お昼休みに一年桃組で待ち合わせましょう」

 新聞部に桃組の一年生はいなかった。考えるのを諦めて、待ち合わせに了承する真美。

「分かりました。では行くのは誰にします?」

「一年生なら真美さんがいるとやりやすいと思いますわ」

「私はともかく……あまり大人数では先方に迷惑になりません?」

「それもそうですわね」

「そうでしょうか」

「当たり前です。あなたたち、何人で行くつもりなの?」

 元部長の問いかけで、顔を見合わせる新聞部員一同。よく見回してみると、いつの間にか部長以外の全員が揃っていた。その全員がお互いの顔をまじまじと見ていたことから、みな同行したがっているのが分かった。

 記者としては当然の、好奇心に突き動かされているのだ。真美以外の一年生の三人までもが目を輝かせている。

 真美を除いて、すでに皆が立ち上がっている。ため息を小さく漏らす梢。

「まったく……いくら気になるからといっても、少し落ち着きなさいな」

 がちゃり。ドアが開いて、三奈子が入ってきた。

 注目が一身に集まった。三奈子自身も注目を集めようと大声で叫ぼうとしていた。

「……みんな聞いてちょうだい! スクープよ! あのロサ・キネ――」

「はいはい、分かったから三奈子も落ち着きなさい」

 ぎょっとした顔になる三奈子。いきなり現れた自分のお姉さまの顔と、発せられた言葉に反射的に声を飲み込んだ。梢の後ろから部員たちが、一糸乱れず三奈子を凝視する。

 不気味な光景であることは間違いない。

 妙にシュールな動きで、カクカクと顔を上げた。

「お、お姉さま?」

「そ。三奈子の大好きなお姉さまです。福沢祐巳さんを探しに行きたいなら、お昼休みになさい。あと、あまり相手に迷惑が掛からない程度に、ちゃんと取材の交渉を先にすること」

 梢が三奈子に近寄った。

「で、でも」

「でもじゃありません。私のいうことが聞けないの? 三奈子」

「分かりましたっ。分かりましたから脇は、脇はや、やめ――」

 真美たちは見ないことにした。誰もが無言だったが、心は一つだった。部室から足取りをそろえて、三奈子を残して部員は全員退出した。

 クラブハウスを背にして、解散。

 外に出るとバラバラと別れていく。授業開始にはまだ時間があるとはいえ、立ち話を十分もしていたら確実に遅れる。用事が無ければさっさと教室に戻るべきだった。

「では、後ほど」

「はい。たぶん、私とお姉さまともうひとりくらいが限界でしょうから、……七恵さんによろしくお願いするということで」

「わ、私?」

 指名したのは真美の同級生、七恵であった。

「一年生の方が良いかと」

「よろしいのでしょうか」

「みなさまには我慢していただく、ということで」

 ちらり、と横目で見ると、泣き真似をしている二年生の方々が文句をつけてきた。

「ひどいっ、真美さんのけちんぼっ」

「鬼ですわ。鬼ですわ。鬼ですわーっ」

 楽しげな口調で、口々に非難する。顔が笑っていた。

「私たちだって楽しみにしていましたのに」

「まったく横暴です。誰に似たのか」

「あら知香さん、それはもちろん三奈子さんに決まっているじゃありませんか」

「それもそうでした」

「なら仕方ありませんわね」

「仕方ありません」

「仕方ありません?」

 なぜか疑問系だった。

「はっ、気づいてしまったのですが……ど、どうしましょう」

「真美さんが」

 祈るように。

「すごい目で」

 伏し目がちに。

「私たちを見てらっしゃるのですが、――たすけて七恵さん」

「え、えっ?」

 完全に呆気にとられていた一年生へと矛先が向かった。

 真美がため息をこぼす。一年生をからかっていた二名に、面倒そうに口を開いた。

「……佳也子さまも、知香さまも、あまり遊び過ぎないことをお勧めしますが。できれば、その……可及的速やかに」

「それもそうですわね」

「ということで七恵さん、ごめんなさいね。おふざけが過ぎました」

「ごめんなさい」

「あ、いえ」

「それはそうとして、どうなさったの真美さん。そんな強ばったお顔で。それに、可及的速やか、って何か理由でもおありになったの?」

「知香さま、……後ろをご覧になってください」

「はぁ、うしろ、ですか」

 後ろを見て、いる人物を確認して。

 合計、二動作のあと。

「……ひぃっ!」

「ひとの顔を見て悲鳴をあげるなんて、はしたないですわね」

 梢がにこにこ笑っていた。笑っていたから佳也子は逃げることにした。

「……あら、もうこんなお時間。早く教室に向かわなければなりませんわ。ええ、もう一秒たりとも猶予などありませんので失礼しますわね。ではごきげんよう、みなさま」

「そうね、もうこんなお時間ね。でも佳也子さん」

「な、なんでしょう?」

 笑っているだけで、答えない梢にあたふたとする佳也子。それを見て、横から知香も言い訳を始める。

「ぶ、部長……いえこれは、一年生と心を通わすためのコミュニケーションでありまして」

「知香さん、私はもう部長ではありませんよ。それに、コミュニケーションに一番手っ取り早い方法がありますから、実践してあげましょうか。ほら、さきほど私が三奈子にやっていたやつ」

 そういえば、と真美は気づいた。梢がすでにここにいるのに、三奈子が部室から出てこない。そろそろ動かないと朝のホームルームの時間に遅れてしまうはずなのだが。

「あの、お姉さまは」

 少々怖かったが、問いかけてみる。

「三奈子なら今、部室でぐったりと」

「……」

「ではなくて、ぐっすりと寝ているから安心して」

 ああ、それなら安心――

 できるわけがなかった。

「……いえ、寝てたらマズイのでは」

「冗談だから安心なさい。そろそろ出てくるわよ。ああ、佳也子さんも知香さんも、花寺の生徒会長についての特集組んでおきなさい」

「は、はいっ」

「分かりました……です」

「そろそろ行くわ。ああ、私がいなくてもしっかりやるのよ?」

「それはもう」

「必死でやりますから、ご安心くださいませ」

 言われるまでもなく、表情が必死だった。

「まあ、これからもちょくちょく顔は出しますから。みんな、がんばって活動してちょうだいね。では、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 挨拶を交わし、梢は去った。二年生たちの肩からは、ほっとしたのか力が抜ける。

「……あー、吃驚しましたわね」

「本当です。……心臓に悪いったら」

「梢さまってそんなに怖いのでしょうか」

「というか、あの方は怒らないから」

「ええ、だから怖いわ。真美さんも想像してごらんなさい。昔、微笑みながら『これは没ですから、全部書き直してちょうだいね』と私は言われたし。いつも通りの顔と口調であれは怖いですわよ。しかもマジなんですから、そのあと三回修正させられましたし」

「私なんて、昼休みに『印刷が間に合わない? では、職員室にあるコピー機をたった今から借りましょう。全部使えばあっという間でしょう? 大丈夫。今なら先生方は一人残らず出払っていますから安心ですよ。ふぁいとっ』と笑顔でしたもの」

「鬼部長ですわね」

「ええ、まさしく鬼部長です」

 うんうん、と頷く二名。同じ恐怖を分かち合った者同士で、何か通じ合うものがあるのだろう。真美は背後に迫っている人物に気づいたが、自分たちだけの世界を作っている先輩を慮って沈黙を守った。

 意訳すると、真美が放置したため、声を掛けられるまで二年生ふたりは後ろにいた彼女に気づかなかった。

 地獄の底から聞こえてくるような声が予鈴に重なって響いた。もう時間がない。

「だぁれが鬼部長ですって?」

「ひっ」

「まったく、佳也子さんも知香さんも口が軽いわね」

 慌てて振り返る。梢ではなかったことに、佳也子は神に感謝した。丁度、傍にはマリア像があったので手を合わせておく。

「って、三奈子さんでしたのね。良かったわ。梢さまだったらどうしようかと」

 知香の言葉に、三奈子は渋面を作って悶えた。梢、という名前に反応したのだ。ついさっきまで脇をくすぐられていたことが原因だった。

「……」

「あら、三奈子さん、どうしたのそんな切なげな思い出し笑いをして――ああっ、いったいどこへっ」

「真美さん、ほら」

 三奈子を指して、知香が言った。

「こんな三奈子さんを見れば、梢さまがどれだけ怖い方か、分かるでしょう?」

 顔を真っ赤にして、しかも思い出し笑いを必死にこらえている三奈子を真美はじっと見た。しばらく見ていた。穴が空くほどしつこく見つめた。

 が、

「……いえ、全然分かりませんが」

「そう。それは幸せかも知れないわね……」

「そんな遠い目をして語られましても」

「はっ、もうホームルームの時間ですわね」

「え」

「ということで私たちはもう行きます。真美さんは、がんばって、というか積極的に、というか、死ぬ気で福沢祐巳さんからお話を伺ってきてくださいね。ではごきげんようっ」

「あ、はい。ごきげんよう」

 二年生たちは、そのまま去っていった。

 結局、梢がどう怖いのかは、真美にはさっぱり分からなかった。足早に教室に向かう真美の隣では、同じ一年生の七恵が震えていた。

「どうなさったの」

「さ、さきほどの梢さまのお話が怖くて!」

 泣きそうな顔だった。口元を手で押さえてうっすらと涙を浮かべながら、自分の教室に向かって、無音で走り去っていった。

 止める間もなかった。残像のような涙の軌跡が宙に溶けて、跡形もなく消えた。

「いや、だからどうして」

 真美にはどうしても分からない。しかも、ホームルームに遅刻して怒られのだ。納得行かない。未だ、柱状の光と狐の謎すら答えが出ていないというのに。

「だからなんで……っ」

 答える声はなかった。

 

 

 お昼休みになり、一年桃組の前に集合した真美たちだったのだが、行く手を阻むように人混みの壁が存在していた。

 予想外の事態に、顔を見合わせる一年生。部長の三奈子は一瞬だけ怯んだが、野次馬に負けるわけにはいかないとばかりに、混雑へと大きく足を踏み入れる。

 まず先陣を切ってかき分けていった三奈子の後を、真美が着実に追いかける。七恵がぴったりと背中から着いてきた。

 ようやくたどり着いた教室の扉の前には、真美たちもよく見知った顔が出てきたところだった。

 一年生にしてすでに写真部のエース、武嶋蔦子であった。扱いづらいという理由から三奈子は彼女を苦手としていたが、真美にとっては、わりと気の合う人物であった。むしろ仲がいいといっていいくらいだ。被写体の追い方と、取材の取り付け方が似ているのだろう。

 もっと単純に言ってしまえば、趣味が合う。そういうことだった。

 蔦子の隣りには、居場所が無さそうにしている小柄な一年生の姿があった。三奈子たちを不安そうに見つめている。困ったなあ、といった表情が張り付いていた。あまり目立たない感じがあったため、三奈子の目には留まらなかったようだ。

 こっちに気づいて、蔦子がかるく微笑んできた。

「あら、ごきげんよう。あなたもこちらのクラスだったの?」

 と、三奈子。むろん、くだんの人物の情報を仕入れようという腹だ。好意的な笑顔を浮かべてはいるが、精神状態は狩人のそれに近い。油断させて獲物を手にする気分なのだろう。

 ここで問題なのは、手ぐすね引いて待ちかまえている自然の罠のような存在の可能性を、三奈子は全く考慮していない、ということだった。ジャングルの蔦は、一度絡まると簡単には抜け出せないという。

 果たして、油断していたのはどっちだったのか。

「ごきげんよう、新聞部の皆さま。今日はいかがなさいまして?」

「福沢祐巳さんのインタビューに参りましたの。ちょうどよかったわ、呼んでくださる?」

 三奈子の問いに返ってきたのは、蔦子の友好的な笑みだった。

 真美は黙っていた。目の前のふたり、何やら考えてることは同じのようだ。ここで口を挟むのは無粋、というものだろう。

 蔦子が教室に顔を向けた。視線が上へ下へ右へ左へ彷徨った。

 しかし、いくらなんでも、祐巳は天井にはいないのではないでしょうか。三奈子は気づいていないから、真美は言葉を飲んで無言を保った。

「えっーと。祐巳さん、祐巳さんは……っと」

 教室内はどこも同じように、日頃から見慣れた風景が広がっている。お昼の準備をしている姿ばかりだった。取り立てて特異なものは無い。

「あ、あそこにいるの、祐巳さんかしら?」

 眼鏡がきらり、と光った。指さした場所は一番奥の何人かが話し込んでいる席だった。三奈子の視線もその方向へと釣られて動く。

 ふたりのやりとりを聞いていた真美は、口を出しかけて、またやめた。

「呼んでまいりますわ。どうぞお待ちになって」

 ええ、と三奈子がじっと同じ方向を見たまま頷く。他の席には目もくれない。インタビューの内容を組み直しているのかもしれなかった。

 真美は、やっぱり黙っていた。

「そうそう――ナツメさんはお急ぎでしたわね? どうぞお先にいらっしゃって」

 蔦子が隣の一年生に振り返って、そう言った。三奈子は早く案内なさい、といった目の色になっている。

「は? ……あ、はい」

 目をぱちくりさせて、それから首肯。

「では、お先に」

 蔦子と、真美や七恵にまで会釈すると、そそくさと遠ざかっていった。

 三奈子が教室内に目を向けているあいだ、真美はいまの同級生をじっと見ていた。蔦子が教室内へと入っていく。三奈子がその帰りを今か今かと待つ。

 その様子がなんだかおかしくて、でも笑ってしまうことを必死に押さえる真美。

 七恵が聞いた。

「あの、真美さん、なんで笑っていらっしゃるの」

「いえ、ちょっとね」

「でも、福沢祐巳さんってどんな方なんでしょうか。楽しみじゃありません?」

「どうやら礼儀正しい方のようです」

「え、真美さんはその祐巳さんのことをもう知って」

「それより、部長が」

 話しているうちに、蔦子が戻ってきたようだ。何やら三奈子と言い争っている。

「――ごめんなさいね。人違いだったようですわ。もう教室にはいらっしゃらないみたい」

 蔦子さんたら演技派ですね、と真美は内心で感心する。ナツメさんの意味も分かった。おそらく取材の交渉をしても、積極的に了解してくれなさそうな相手だったから、あえて沈黙を守っていることにしたのだ。

 相手が確認できたから、真美としては満足だった。この際、三奈子の満足は考えない。七恵の満足は度外視の方向である。

「そう。邪魔したわね。……いまどこにいるか分からない? いえ、彼女がいきそうな場所で構わないのだけど」

「……えーと」

 蔦子は考え込むような素振りをして、

「分かりません。お役に立てなくて申し訳ありませんでした」

「いえ、それなら仕方ないわ」

 仕方なくなさそうに未練たっぷりの声。それで帰りかけた三奈子の気を引くように、背を向けたところで、蔦子はまた口を開いた。

「あ、でも」

「どこか知ってるの?」

「ああ、いえ。探すのなら薔薇の館なんていかがでしょう?」

「そう。武嶋蔦子さんありがとう。考えてみましょう」

 わざわざフルネームで言ったのは、おそらく嫌味のつもりだ。

 薔薇の館の内部に勝手に立ち入るわけにはいかない。そこでインタビューをさせてもらおうなどは、さすがの三奈子でも考えの外である。無断で侵入できるなら、最初からそうしているのだ。許可をもらえるとも思えない。

 蔦子もそれを分かった上で言ったことだと、三奈子は気づいたのである。

 ぞろぞろと歩き出す三人。教室にいないのは間違いなかった。祐巳の居場所は結局分からなかったと、三奈子は不機嫌を顔に出した。

「……さて、蔦子さんは協力してくださらないようですし。今から手あたり次第探しだしたとなると、私たちはお昼ご飯を食べ損ないます。それを考慮していただいたうえで、どうしましょうか、お姉さま」

「あのね、真美、そんな回りくどい言い方しなくてもいいから、おなか空いたって素直に言いなさいっ」

「いいえ。部長が草の根分けてでも祐巳さんを捜したいのであれば、私は協力する所存で」

「嘘ね?」

「半分ほどですけどね」

「……まあ、いいわよ。ここで解散でも。七恵さんもそれで良ければ。インタビューできないのに、ここに留まっている理由なんてないんだし」

「あ、じゃあお言葉に甘えさせていただきます」

「では、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 足早に去っていく七恵。楽しげな足取りと、普段の態度などから向かう先を考慮すると、どうやら彼女にも、三奈子の知らないうちに姉ができたらしい。

 微笑ましいことである。祐巳が見つからなかった苛立ちは、考えているうちにあっさりと収まった。

 横に目を向ける。真美の顔があった。

 ため息一つ。

「……真美、どこかで一緒に食べましょうか?」

「私はかまいませんけど」

「どこにする?」

「では、私の教室で」

「一年生の教室ねえ。まあいいけど」

 会話しながら移動した。教室に入ると、適当な席に座る三奈子。

 ふたりとも昼食はパンではなく、弁当だ。三奈子が自分の包みを開くと、簡素な弁当箱が現れた。中身は見なくとも分かる。ノリ弁。

 一方、真美といえば、それなりに豪華。夕飯の残りも入っているようだが、ノリ弁よりもおかずは多かった。

「ふうん、真美もお弁当なのね」

「はい。お姉さまこそ」

 会話が途切れて。

 しばらく、黙々と箸を動かす。

 半分ほど食べ終えたところで三奈子が窓に目をやった。空に広がる青と、ゆっくりと流れる雲だけがあった。穏やかで、澄んだ空だった。

「いい天気ね」

「はい」

 不思議に思って真美が様子を見守っていると、不意に三奈子が口を開いた。とりたてて普段と変わりない口調だった。

「ねえ、真美はどうしてロザリオを受け取ったの?」

「姉妹になりたいと思わなければ、受け取っていません」

 即答する。

「……質問を変えるわね。断ろうとか思わなかったかしら」

「どうしてですか」

「祥子さんが妹にと選ばれたという彼女が、どうして断ったんだろう、って思って」

「それは……」

 どうしてなのだろう?

「志摩子さんの場合には、まだ分かるのよね。あのロサ・ギガンティアらしいと言えば、らしいし。それで妹に選んで、選ばれて、そんな感じなんだもの」

「祐巳さんの場合には違うと?」

「だって、断る理由がないじゃない」

「まあ、確かにそうですけど」

「普通の生徒なら、素晴らしいお姉さまに選ばれたことを喜びこそすれ、そのロザリオを拒否などしないでしょう?」

「するかもしれませんよ」

「そうかしら」

「はい」

「どうして?」

「合わないと思ったなら、たとえそれが誰であろうと、断ることも必要だと思います。たぶん彼女の場合は、何か断る理由があったんじゃないでしょうか」

「そういうものかしらね」

 真美は、話を逸らすことにした。

 どうしてなのだろう? 三奈子が不安がっているように見えてしまったのは。いまさらのように、あの出逢いを後悔でもしているのだろうか。

 こういう姉妹だから、繋がりが不安定に思えるのかもしれない。絆など無いようなものに感じるのかもしれない。

 真美にできることは、こうして話すことだけだった。

「お姉さまはどうでした? 梢さまからロザリオを受けとったときのご様子は」

「……あまり思い出したくないわね」

「聞きたいです」

「真美、こういうときだけ猫なで声しないっ」

「聞きたいですぅ」

「……コワイからもうやめて。お願いだから」

「聞きたいですぅっ」

「性格悪いってよく言われない?」

「はい。なぜか言われます。言うのはお姉さまお一人ですけど」

「そ」

 またしばらく静かに箸を動かす。冷めたご飯が固くなっていた。真美が先に食べ終えた。立ち上がって自分の席に向かい、魔法瓶とコップをふたつ持ってくる。

 お茶を入れた。自分の分はプラスチックのコップ、紙コップは三奈子の前に。三奈子も食べ終えたところだった。ごちそうさまでした、と手を合わせる。

「ありがとう」

「いえ」

「ふぅ……お姉さまにロザリオを受け取った記憶ねえ。あんまり思い出したくないんだけれど、それでも聞きたい?」

「はい。とても」

「たいしたことじゃないわよ。私が記事書こうとして、それを部長だったお姉さまに止められて、そのときにお姉さまから頂いたの」

「なぜ思い出したくないのでしょうか」

「叱られてた直後だったから泣いてたし……って、真美、今聞いたことは即刻忘れなさい」

「分かりました。そういうことにしておきますから」

 忘れるわけがなかった。

「頬が引きつってるわよ。……とにかく、忘れなさいよ」

「善処はしますけど」

「善処じゃなくて、絶対に忘れなさい」

「まあ、それは脇に置いておきまして。それより……お姉さまはそのとき、嬉しかったんですよね?」

「まあ、そうね」

「断ろうとか思いました?」

「……」

「いいえ。まったく」

「なら、きっとそのときのお姉さまと同じです。私が受け取った理由は」

 呆気にとられたような顔で、妹を見る三奈子。

 姉の表情に向かって、微笑みもせず真美は続けた。

 照れ隠しも幾分あった。

「安心してください、お姉さま。ロザリオを受け取ったのは私の意思ですから。姉妹になったことを後悔などしていませんから」

「……そう」

 ん、と三奈子は伸びをして、教室の窓からまた空を見上げた。

 青空が、まぶしかった。

「さて、そろそろ私も教室に帰るわね」

「はい」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 そうして真美と別れた。三奈子は小さく息を吐き出して、自分の教室へと歩き出す。

 その放課後、掃除を大急ぎで終わらせた三奈子だったが、祐巳はすでに劇の練習に出ていたため、インタビューすることができなかった。

 残念無念であった。

 

 

 次の日になって、祥子が新聞部を訪ねてきた。

 用件は、祐巳に対する取材を止めて欲しい、という内容だった。三奈子は当然ながら反論した。しかし提示されたのは魅力的な条件だった。

 美味しい内容だったため、欲と目論見が拮抗して迷った。

「……だから、祐巳の代わりに私が取材を受ける、と言っているのよ」

「ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンが自ら?」

「ええ。おととい、薔薇の館で何があったかを全て教えてあげましょう」

「本当にっ?」

 三奈子、当然ながら喜色満面であった。

 祥子は長い黒髪をなびかせながら、静かに語ったのであった。

「ただし、それについてひとつ、条件をつけさせてもらいますわ――」

 

 

「――それで? 条件を飲まされてしまったのですか、お姉さま」

 後から聞いた真美が、冷たい視線を投げかける。受け止めた側の三奈子は、うろたえながら反論しようとした。

「し、仕方ないじゃない」

「で、条件はいったい」

「祐巳さんと祥子さんの賭けのことがあるから、劇が終わるまでは記事にしないこと、よ」

 深々と嘆息されてしまった。

「……つまり全貌がつかめたのに、今すぐに公表はできないわけですか」

「そうだけど……できるだけのことはやったわ」

「できることしかやらなかった、の間違いでは」

「……真美」

「全く、お姉さまらしくもない」

「でも、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンにあんなふうに迫られたら、どんな要求も呑まざるを得ないじゃない……真美は知らないでしょうけど、祥子さんって怖いのよ」

 げっそりした様子を見せる三奈子に、真美は肩をすくめた。

「いいんじゃないでしょうか、取材させてくれたのでしたら。推測混じりの情報よりも、正確な記事を書けるのなら私はいっこうに構いませんから」

 その言葉を皮切りに、周囲がにわかに騒がしくなった。

 二年生の部員たち。プラス遊びに来た元部長の会話が背後から聞こえる。

 ひそひそ話のフリをしていた。

「……ばしっ、と言われましたわね」

「言われてますねー」

 フリだけだった。

 あからさまに聞こえよがしにしゃべっているのが、三奈子にだって分かるほどだ。しかし、怒鳴りつけたくとも梢が混じっているためにそれもできない。あまりにも状況は不利だった。

「ああ、部長が叱られてますわ」

「叱られてますわね」

「叱られているのでしょう」

「叱られているのです」

「真美さんはしっかりしてらっしゃるから」

「ええ、部長は良い妹をお持ちになられました」

「本当に」

「素晴らしいことですわ」

 褒め称える部員たち。ここで声を張り上げる元部長、梢。

「三奈子が、こんなにも素敵な妹を持ってくれて私は嬉しいわ」

 からかい半分の言葉だが、梢の本音でもあった。

「まあ、そういうわけだから」

 真美が言葉の先を続ける。

「結果以外は先に書いておけばいいわけですね」

「そ。というわけだから――あなたたちも作業に戻りなさい」

 二年生たちを威嚇する梢。蜘蛛の子を散らすように逃げていった。梢は立ち上がって、真美に向かって話しかける。

「それじゃあ、私も帰るわね」

「もうお帰りになられるんですか」

 真美も腰を上げた。

「いつまでも元部長がいてもしょうがないでしょ。それより真美ちゃん、頑張ってね」

「はい。出来る範囲で」

「よしよし」

 梢はドアを開けて、自然に出ていった。真美が見送っていると、いつの間にか真後ろに突っ立っていた三奈子が背後霊のような声を出した。

「真美、シンデレラの練習の様子、見てきてちょうだい」

「いいんでしょうか」

「良いに決まってるじゃない。福沢祐巳に関しての取材はともかく、山百合会主催の演劇のほうは祥子さんとは約束してないわよ? だから大丈夫に決まってるわ。ええ、大丈夫だから信じなさい。彼女、今ごろはダンス部と一緒にいるころかしらね。さ、早く行ってきなさい」

「本当に大丈夫なのか、不安ですけど」

「とにかく、写真のひとつも撮ってくるのよ。練習風景とか、その他いろいろと。ああ、特に薔薇さまたちを中心にね」

「分かりました」

「あ、真美」

「はい? なんでしょうか、お姉さま」

「カメラは持った?」

「はい」

「取材メモは?」

「一応」

「どこの部か聞かれたら、ちゃんと――」

「ちゃんと?」

「……写真部って答えるのよ?」

 自信満々でそんなことを告げられた。真美は声を低くして質問する。

「お姉さま、やっぱり大丈夫じゃないと思ってません?」

「気のせいよ」

「まあ、いいですけど」

「気にする必要はないわよ。大丈夫。自分の力を信じなさい」

「むしろこの場合、お姉さまを信じたいのですが」

「真美、スクープが逃げるわよ!」

「必至に目をそらしながら言わないでください」

 ようやく諦めたのか、真美と目を合わせた。

「くっ。この私が汗水垂らして祥子さんの前に立ちふさがったというのに!」

「冷や汗の間違いでは?」

「そうとも言うわね。ま、なんでもいいからネタ集めしてきなさい。編集長命令よ」

「分かりました……から、こっち見ていってください」

「さっきもいったけど、何かあったら写真部のフリするのよ?」

「そんなに念を押さなくとも、別にお姉さまの名前なんか出しませんから」

「そ、そう?」

「はい。じゃあ、行って来ます」

 なんだか妙なことになったような気がしないでもないが、山百合会主催の劇が終わるまでに、三奈子が記事を書けばいいのだ。真美は、材料集めだけに専念することにした。

 たまにはこういう余裕のある状態というのも、良いものだ。

 今頃は帰り支度をしているであろう出演者たちを探して、真美は暗くなり始めた空を見上げながら、ぼんやりとそんなことを思った。

 

 数日の後、行われた山百合会主催の劇、シンデレラは大成功に終わった。

 さらに後日、祥子と祐巳が姉妹の契りを交わしたことについても、リリアンかわら版で大きな特集を組むこととなった。

 これらの特集は好評を博し、新聞部は名声と満足を得た。

 その後、突如、黄薔薇革命が発生することになる。

 騒動が収束するまでのあいだ、寝る間を惜しんでという比喩が真実に変わるほど、激務に部員たちが追われ続けたのは仕方あるまい。

 新聞部にとっては、仕事があるときこそが華なのだと、真美はこの状況を歓迎していた。

 

 

 

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