何気無くそれをした男は

自分が世界を滅ぼす引き金を

知らずに引いていた事をしる

誰も知らないうちに滅ぶ世界

一人の男だけが終焉の時を見る




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熱病のかお

おそろしい

その時男は、夜の海に沈むようにして世界の終わる様をしっかりと幻視し、暗い恐怖と低い低い絶望が己の鳩尾の辺りに、飲み込損ねた石のようにとどまるのをたしかに感じた。

足の力が抜け、思わず膝立ちになった男は、そのままジャージの裾を引きずって転げる様にして急な階段を降りると、何も知らない母親が夕飯の支度をしているのに出くわした。

「どうしたの!?何があったの!?」

母親は突然転がり落ちて来た息子に何事かと金切り声を上げて詰め寄った。

当然、それは息子である男を心配しての事であったが、男は自分以外にこの事を知る人がいないとは分かっていても自分の犯した、おそろしい間違いを責められている様に思えた。

たまらず家を飛び出した男は、真っ赤になった空を夜の闇とは違う、おそろしい透き通る黒が降りて来るのを見た。

 

十三人にその事を伝えた頃になると、男はもはや完全に諦めていた。

どんなに、どんな風にあの黒がどれほど恐ろしくこの世の全てを飲み込むのかと男が説明しても、道行く人は誰一人としてその事を理解も信じもしなかった。

あんなに違うのに何故誰も分からないのか

人々は波に攫われる幼児の様に、あのおそろしい黒にのまれた事に気づく事も無く、一人絶望する男を残して終焉を迎えるのだろう。

それが世界を滅ぼした大罪人への罰なのか、あの黒の恐怖も終焉へ向かう事への絶望もたった一人の男のものだった。

男はいつも通りの日常を送る人々を酷く妬み、自分の迂闊さを憎んだがどうする事も出来ずにブロック塀を背もたれに汚いアスファルトに座りこんだ。

男の頭の中をくだらない想像が流れていく。

 

ハッと我に返った男は、もう既にあのおそろしい黒が電柱の頭の辺りまで降りている事に気づいた。

相変わらず人々は世界の終わりにも異変にも気付く様子はない。

それを見た男はまたたまらなくなって奇妙な叫び声をあげながら何処へともなくドタバタと狂った様に走り出した。

上から迫る黒はそんな男に構う事無く目に見える早さで降りて来る。

 

男は訳も分からず走り回るうちにいつの間にか自分が大きなシャベルを持っている事に気づいた。

そして男はあのおそろしい黒が、並び立つ家の屋根辺りまで降りて来ているのを見ると慌ててその場の地面をガシガシと掘り始めた。

地面の下に行ったからといって生き残れる筈も無い。

そんな事は男自身も分かっていたが、男はこの迫り来る恐怖と絶望から逃れられるのなら何でもよかった。

慣れない作業を行うせいか、男の手には沢山のマメが出来、筋肉は壊れ、腕を引き裂かれたかの様な酷い痛みが伝えられたが、男がその事に気づく事は無かった。

今の男は、ただ恐怖の振るうムチに急かされるままに穴を掘る動物でしかなく、幸か不幸かそのムチの音が男から痛みを取り上げていた。

男の掘った穴をは、既に男の体をスッポリ覆い隠す程に深くなっていた。

シャベルを握る手のマメは破れ、汗と泥と血の混ざった物が手を覆い、鉄っぽい臭いが穴の中に充満する。

男は既にあのおそろしい黒が自分の掘った穴のすぐ上まで迫っている様を幻視した。

「うわぁうわぁああ」

男は口からメラメラと燃える恐怖を吐き出してシャベルを振るう手を更に早めた。

黒が穴の口にまで迫る。

穴の外の人々はもう黒に飲まれてしまっただろう。

叫ぶ声は男の耳には聞こえなかった。

もしかすると本当に何も気付かず、何も感じないうちに死んで行ったのかもしれない。

男は自分の腕が上手く動いていない事にも気付かずにシャベルを振るう。

 

そして遂に男のシャベルが全く地面に刺さらなくなった。

「あああああ」

低い低い絶望が男の鳩尾からずるりと生み出され、燃え盛る恐怖は更にその勢いを増す。

頭の上にまで迫った黒に、原始人の様に怯えた男のはぼたぼたと汚い涙を流して蹲り、それから胎児の様に丸まった。

「ううううううう」

おそろしい透き通る黒が男の視界の端に映る。

無慈悲に何の意図も意識も無くただただ沈み込む様にゆっくりと。

男の恐怖も絶望も足掻きも、黒に何一つ影響を与えなかった。

男の耳の辺りに冷たい黒の感触が触れる。

「うわあああああああああいやだああああ、ああああああああああ」

冷たい液状の苦しみに蝕まれた男の、おそろしい断末魔の叫びが穴の中に響き渡る。

「ぎゃあああああああやめろおおおおおおおお」

左の目にまで迫った黒を感じながら、身動き一つ取れない男の残った右目からは大量の涙がとめどなく流れ続ける。

「ああああああああああああああああああああああああああああああ 」

口まで飲み込まれた男は最早叫ぶ事すら出来ずただただ残った右の目だけが苦しみを垂れ流しながら黒だけをその充血し、怯えきった瞳で見続ける。

男の残った右耳はもう聞こえない筈の自分の叫び声を未だに拾い続けていた。

黒が右目を飲み込むと、何も無い空間に誰かの叫ぶ声だけが響き、それから直ぐに収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この短編はインフルエンザで凄い熱が出てる時の夢をイメージして作りました。

高熱にうなされている時の悪夢
覚えのある人もいるのではないでしょうか

男の何気無い行動が世界を滅亡へと導く
一人だけ滅亡に怯える男の罪悪感や恐怖や絶望といったものが上手く表現出来ていたらいいと思います

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