とある約束の終着地点   作:ゆきひな

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前日譚

「...朝ごはんはパンがいい」

 朝食にそれは起きた。テーブルの上には白飯、味噌汁、焼き鮭に高菜の漬物という純和風な食事を前に少女、聖望琉は不機嫌な顔を隠すことなく男に言った。時刻は午前7:00、テレビからはお天気お姉さんが今日の天気をお知らせしている。今日の天気は晴れ、降水確率は0%と柔らかな陽光が窓辺から部屋に差し込んでおり、気持ちのいい朝になるはずだった。

 

「は? それが居候のセリフかよ。つうか望琉、自分の置かれてる状況分かってるのか?」

 少女の対面に座る男、学園都市のレベル5の一角に座る天江空也は白飯を口に含み、焼き鮭を頬張って言う。少し固めに炊き上げたご飯はやはり上手いと味わいながら、半眼で少女を睨んでいたが、少女はその視線をものともせず、食事に手をつけることなく反論した。

 

「...お金無い。...貧乏。...でも朝はパン...特に菓子パンを希望」

 要求が若干上がっている気がする抗議運動を行っている少女の熱弁に耳を傾けるふりをしながらも天江は湯呑に注いだ緑茶を口にする。先日の一件以来、天江の家にあるお茶は麦茶から緑茶へと変わっていた。やはり彼としては麦茶の方が良いなと思うが、そんなことを言うと目の前の少女が駄々をこねるので妥協することにしている。

 

「じゃあ、食わないでいいぞ。空腹なまま学校に行け」

 天江は聖の分の焼き鮭が乗った皿に手をかけるが、その手に箸が突き刺さる。彼は顔を上げると焦った表情をしている少女と目が合った。

 

「...食べない...とは言っていない」

 ムシャムシャと慌てて口に放り込んでいく。その後は目を合わせることなく黙々と食べていく様子を傍目に天江はテレビ画面を見ていた。世界中で起こっている学園都市へのデモ活動は激化の一途を辿っているらしい。しかも裏の情報網から手に入れた噂では『一方通行』を投入するとかなんとか。これなら暴動の鎮圧は近いうちに済むだろうと味噌汁を飲み干す。

 

 今日は学校のある日のようで、少女は新しく用意された柵川中学の制服に身を包んでいる。新品のセーラー服は皺一つ無い。赤いリボンに白の布地が少女の黒髪に相まって、少女の魅力をより引き立てている。足はふと食事を終えた聖はいそいそと小走り気味に食べ終えた食器類をキッチンに持っていく。立ち上がった時にシャンプーの香りがしたが、朝からシャワーを浴びたのだろう。最近の中学生は知らないが彼女は起きたらすぐにバスルームに行き、シャワーを浴びるのが朝の日課となっている。

 

 続いて食べ終わった天江が食事を運び、そのまま後片付けの食器洗いに取り掛かる。学園都市製の『綺麗スッキリ』が売り言葉の食器用洗剤をスポンジに染み込ませ泡立てていく。焼き鮭が乗っていた皿をスポンジでこすると売り言葉に恥じぬ効果を発揮していた。

 

「...学校行く」

 学生用のカバンを片手に食器洗いを行っている天江の後ろから、聖は声を掛ける。行ってこい、と背中越しに天江は言い返し、次いで遅れて、既に玄関の向こうへ消えた少女に弁当を持って行けという声がマンションに響き渡った。朝の学園都市は国外と違って嵐のまえの静けさのように平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう。聖さん」

「おっはよーう。ひじりん」

 聖望琉は学校が好きだ。どのくらい好きかというと朝から食べる菓子パンより好きだ。朝、教室に入ると挨拶を交わしてくれるお友達は少女の胸に暖かなものを流れ込ませる。

 

 まだ、朝のホームルームまで時間があるようで教室の中には数人の生徒がそれぞれのグループに分かれて朝の談笑に花を咲かせていた。昨日のテレビ番組が、とか他愛もない話を嬉しそうに共有することができるのはある種、学生の特権だろう。黒板にはお世辞にも綺麗とは言い難い少し傾いた字で、今日の日付が白のチョークで書かれている。

 

「...おはよう」

 聖も挨拶を返す。彼女のクラスは一年D組。彼女の席は窓際の前から3番目。その後ろに先程挨拶してくれた初春飾利の席がある。初春は頭にお花が乗っており、その甘ったるい声色が特徴の少女だ。更に初春の席の隣、聖の斜め後ろに位置する席に座って、笑顔を向けているのは佐天涙子。聖とは対極に位置するように元気一杯の彼女はある意味、聖にとって憧れの存在でもあった。

 

「今日は何か機嫌がいいね、ひじりん。良い事でもあった?」

 ひじりん、というのは佐天が聖を呼ぶときの愛称のようなものだ。この世でその名前で呼ぶのは彼女ただ一人である。最もそのことに対して聖は不快に思うことなく、それだけ仲がいいことの現れなのでむしろ気に入っていた。自分の机にカバンを降ろし、聖は口を開ける。

 

「...うん。...家族が...増えた」

 聖の話に耳を傾けていた二人の認識は、親戚のお兄さんの家に同棲しているというものに落ち着いた。このあまり他人とかかわらない少女が親戚以外の人間の家で寝泊りするという発送に至らなかったからだ。聖の口から語られる愚痴も含めた天江の話を聞きながら、二人は笑顔を浮かべる。そんな談笑はホームルームに担任の教師が訪れるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 天江は一通りの家事を済ませ、部屋を出た。外は真昼間ということもあり、通行人の姿はほとんど見られない。学園都市の全人口の8割は学生を占めていることからほとんどの学生は学校へと出払っている。かくいう天江も年齢的には高校二年生なのだが、彼には学籍というものが存在しない。物心ついた時から能力判定でレベル5と超能力者認定されており、あらゆる研究施設を渡り歩くことになる。一般的な研究施設から学園都市の闇を体現した特力研、さらには忌まわしい実験である『自分だけの現実』は脳のどこに宿るのかを調べる『プロデュース』のきっかけを生み出してしまった経歴を持つ。

 

 その結果、彼は絶対に絶対能力者レベル6になれないという烙印を押されることとなる。

 

 彼は人と会うために第7学区にある喫茶店『七花』に来ていた。店内はこじんまりとした印象を受ける静かな雰囲気のお店である。ベルッベット張りのイスやタイルのカウンターは、昭和の懐かしさを感じさせる。ファミレスなどの進出により、喫茶店の数は最近減ってきているように感じている彼にとっては無くなって欲しくない店の一つであった。

 

 待ち合わせの相手の姿は見当たらない。時計を見た天江はまだ待ち合わせには時間があるかと入口に置かれている男性向けファッション雑誌を一冊手に取り入口から一番遠い奥の席を陣取る。机上には角砂糖の入った銀のカップのみが置かれており、その余ったスペースは大きく感じられた。雑誌を開く前にちょうどいいタイミングで女性店員が注文を聴きに来た。茶髪混じりの黒髪をポニーテールで纏めた大学生ぐらいの女性だ。今時の可愛い制服ではなく、昔ながらの地味な制服はこの店とあっていて心に落ち着きを与えてくれる。

 

「ブラックコーヒ1つ」

 天江はいつもどおりメニューには創業当時から変わらぬ自家焙煎オリジナル珈琲豆、と書かれているコーヒを注文する。柔らかい照明に照らされた店内で落ち着く雰囲気の中、ファッション誌を開く。特に中身が気になるわけではないのでパラパラと目を通すといった程度だ。雑誌には長身のイケメン男性が笑顔片手にポーズを決めているが心惹かれるものではない。

 

「お待たせしました」

 雑誌のページも中程に差し掛かった頃、先ほどの女性店員がコーヒーを持ってきた。白いお皿の上に白いカップと銀のスプーンが乗っている。白いコップには店名である「七花」というネームが入っていた。男は傍らにあった角砂糖を一つ液体に投下する。傍にはコーヒーとともに持ってこられたミルクが置かれているが、生憎天江にとってそれは必要のないものであった。コーヒーに息を吹きかけ冷ましつつ、口に含む。口の中で香りが広がり、自然と笑みが漏れた。

 

「何笑ってんの。気持ち悪いんですけどぉ」

 その声に彼は視線を上に向ける。平たい壁が見えた。それはそれは水平線のようなペッタンコな壁だった。

 

「...あぁ、胸なしか」

 ぼそりと呟いた天江の顔面にビンタが直撃した。コーヒーはテーブルに置いたから被害はまぬがれたものの、雑誌を驚いた衝撃で手を離してしまい、宙を待ったそれは隣のテーブルに着地した。突然の衝撃音に店員たちの視線が痛いが、内心の苛立ちを顔色に表さず、目の前の『女』を見る。

 

 金髪に染めた髪をボブカットにしている女は悪びれる様子もなく男の対面の席に座った。肩から胸のみが隠された上着と呼べるかは疑問に思うものに、ショートパンツといった肌の露出度が極めて高い服装をしている。天江はおかげでそのペッタンコな壁(72)を堂々と表していることに何故に気がつかないと残念な目で彼女を見た。とはいってもやはり彼女にとってそれは最大のコンプレックスであるようで、かつて胸が無いせいで男と勘違いしたナンパ集団たちをボコボコの再起不能にしていたことは記憶に新しい。

 

「次、それ言ったら殺すわよぉ」

 へいへい、とどうでもいいように天江は流し、コーヒーを再び口に含む。その間に目の前の女、斉藤(さいとう)莉奈(りな)は店員にオレンジジュースを注文していた。

 

「それでもう一人は?まだ来てないみたいだけどぉ」

 彼女は白の折りたたみ式携帯電話を取り出し、片手でいじりながら男に尋ねた。携帯画面には今流行りのソーシャルゲームが映っている。

 

「あぁ、そういえばあと一人いたな。噂をすれば...」

 チャランっとドアを開けた時になる鈴の音が店内に響いた。先ほどの店員たちの視線とは別の意味での視線が入口に集まる。秋のまだ暖かい時期なのにその男はコートにマフラー、手袋を身につけた冬仕様の格好で現れたのだ。背は高めだが痩せていてヒョロッっとしている。わずかに覗く目の下のクマが印象的な男である。彼は一直線で天江たちが座っている席まで来ると、斉藤の隣の席に座った。店員たちの視線が激しく突き刺さるがいつものことなので彼らは気にしない。

 

「全員揃ったようだな。あぁ、望琉がいないのは気にすんな。あいつは学校だ」

 新たに現れた男、那須(なす)亮太(りょうた)を加え、学園都市の闇である暗部組織『デリート』の集会が始まる。

 

「とりあえず、だ。お前ら、朝は米派か? パン派か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、美味しそうですね」

「いいなぁ、ひじりん。そのお弁当」

 昼休み。教室の一角で初春飾利と佐天涙子は感嘆の声を漏らした。彼女たちの見つめる先には、一般的な小振りのお弁当が二段分置かれていた。一つには白ご飯の上に黄色のたまごとそぼろが乗っている。もうひとつのお弁当にはタコさんウインナーに、唐揚げ、ポテトサラダにレタスとプチトマトが入った彩り鮮やかなものとなっていた。対して二人も可愛らしいお弁当だが、やはり隣の芝生は青く見えるのだろう。

 

「...空也が...作ってくれた」

 照れくさそうに聖望琉は答える。彼女のわずかに赤みがかかった頬に二人の少女たちは顔を見合わせた。外からは既に昼ごはんを食べ終わったのであろう男子生徒たちの騒がしい声が聞こえている。

 

 いただきます、という聖の声に我に返った二人も習うように手を合わせた。箸で掴んだタコさんウインナーを聖は小さな口に入れる。猫のように目を細めて味わう姿は一部の男子生徒に絶大な人気があるらしい。

 

「そういえばですね、佐天さん、聖さん。春上さんもう通院しなくていいみたいですよ。今日が最後みたいです。なので、お祝いに何かプレゼントしませんか?」

 春上衿衣。柵川中学に転校してきた彼女はレベル2相当の『精神感応』を持つ少女だ。聖や初春達と同じクラスであり、今までは時々通院で学校を休んでいたが、これからは自分たちと同じように学校生活が送れるようになると知って、二人は笑顔になる。

 

「いいね。初春。なら明日なんてどうよ。学園都市の独立記念日で学校休みだし、御坂さんや白井さんも呼んでみんなでえりぃのプレゼントを選んじゃおう」

 佐天の提案に初春も聖もコクりと頷く。予定も決まったので、佐天は常盤台中学の御坂美琴と白井黒子にも今流行りのiPhoneでメールを送っていた。

 

「送信完了っと。でさ、どこに行く?私は第15学区の雑貨屋さんとかいいと思うんだけど」

 昼休みはまだ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天江空也はスーパーにいた。夕方ということもあり、学校帰りの学生たちの姿が多い。そんな喧騒に包まれた空間において、頭を悩ませていたのだ。彼の目の前には菓子パンや惣菜パンといった様々な種類のパンが並べられている。値引きされているためお手頃価格となっているそれらを見て、彼は昼間のやり取りを思い出していた。

 

「パン派よ」

「パン派だな」

 二人のまさかの回答を前に絶句した天江だったが、それが世間一般の回答であるなら受け入れるしかあるまいとこうしてパン売り場まで来ていた。だが、いざ来てみたら何とも言えない心のモヤモヤが襲ってきたのだ。

 

 パンを取ろうとしては引っ込めるを繰り返していた彼を訝しげな眼差しで従業員が見ていたが気づく様子はない。天江の周りには数名の学生たちがパンを手にするため来ており、彼が邪魔になっている。それに気づいた天江は気まずそうに手近にあったパンを数個、今夜の夕食の食品が入ったかごの中に放り込みレジへと立ち去る。

 

 支払いを済ませ、スーパーから出たときには日は沈みかけていた。おそらく学校を終え帰ってきているであろう聖のために夕食を準備しなければと急ぎ足で帰る。その道中、天江は妙な威圧感を感じた。不吉な予感というものだろうか。その正体は前から歩いてくる4人の女性たちだ。

 

 楽しそうに話をしている金髪碧眼の女子高生。見た目12歳ぐらいの少女でやけに丈の短いニットのワンピースを着用した少女。ピンクのジャージを着ている眠たそうな女。

 

 そして、最後の一人。天江空也はその女には見覚えがあった。にこやかな笑みを浮かべているが彼女から出ている気持ちの悪い気配は些か彼にとって好ましいものではなかった。彼女と目が合う。にこっと微笑まれたような気がしたがきっと気のせいだと自分を納得させる。

 

 天江空也は学園都市の7人のレベル5のうち第6位だ。学籍もなければ書庫にも能力と嘘の名前と合成された顔写真しか載っていない。おそらく真実を知っているのは、『デリート』のメンバーと電話口の女、アレイスターを始めとした統括理事会の一部と、彼に関わった研究者ぐらいだろう。

 

 例え、さっきの女が第4位のレベル5、学園都市の闇である暗部組織『アイテム』のリーダーである麦野沈利であったとしてもその事実は変わらないだろう。学園都市から完全に秘匿された第六位として天江空也は存在している。

 

 二人はすれ違う。どちらも振り返ることなく、過ぎていく。交じり合うことのない二つの影は離れていく。それは数秒のことだったか、数時間のことだったか区別がつかないほど濃密な『今』を味わった気がした。

 

「...あ、空也」

 マンションのエントランスの前には、既に帰っていたであろう聖が立っていた。制服姿ではなく白のワンピースに着替えていることから、学校帰りというわけではなさそうだ。

 

「...お腹空いた。...夜ご飯何?」

 聖は天江の手に持ったースーパの袋の中身を覗き込む。人参やじゃがいも、豚肉といったモノの中にパンが入っていることに気付き目を輝かせた。

 

「夜はカレーだ。ちょっと待ってろ、直ぐに作る。あとそのパンは朝な、いま食う分じゃねぇぞ」

 天江は袋を上にあげて、聖には届かないようにしながら笑ってマンションに入っていく。後ろから追いかける少女はワンピースの裾をはためかせながら楽しげな表情を浮かべる。

 

 10月8日、彼らの運命が大きく変わる前日のいつもどおりの日常だった。

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