エレベータは二十四階へと辿りついた。
電子音の音が審判の時を表しているかのような心地になりながら、左右に開く自動ドアから浜面仕上は予想通りの光景を目にした。
「何だ。戻ってきたのか」
あっさりとした声で言ったのは学園都市のレベル5、垣根帝督。彼の足元には滝壺理后がぐったりと転がっており、うつ伏せである彼女の表情は窺えない。生きているのか死んでいるのかさえ分からないほどピクリとも動かなかった。
垣根帝督はしゃがみ、倒れ伏している滝壺の頭を小突きながら言う。
「折角こいつがお前のために時間稼いだってのに、全部無駄になったんじゃねぇか。直接的な戦闘力のない割には、なかなか面白かったし。順当に行けば八人目のレベル5になったかも知んねぇのによ」
言葉の中には明らかに馬鹿にしたような悪意が含まれているのを浜面仕上は感じながら、拳銃を構えた。その銃口は震えながらもしっかりと垣根帝督を照準に収めていた。
「あぁ、なんだ? そりゃ」
銃口を向けられても垣根帝督は顔色一つ変える事は無かった。むしろ、興醒めしたように次の言葉を続ける。
「これじゃ、俺が悪者みたいじゃねぇか。この女は俺がどうこうするまでもなく、死んじまうのによ」
その言葉に浜面仕上の肩がびくんと震える。死ぬのか、滝壺理后は。そんな彼に垣根帝督は透明なケースを投げた。足元に転がったそのケースからは白い粉末が飛び散っている。
「『体晶』ってやつだ。簡単に言えば意図的に拒絶反応を起こさせ、能力を暴走させる。普通はデメリットしか起きないが、この女は相性が良かったらしい。だが、こんなもんを何度も使った結果、こいつの体はボロボロだ。あと、一回か二回の使用でこの女は『崩壊』する」
崩壊、という物騒な単語に浜面仕上の表情は強張っていく。そんな彼を無視して垣根帝督は告げる。
「さて、殺すか、見逃すか。どっちにしろこの女は渡せねぇが」
垣根帝督の無慈悲な宣告に浜面は拳銃のハンマーを親指で押し上げる。震えるその手を奮い立たせるように浜面仕上が自分に喝を入れようとした時だった。
「おーい、優しいお兄さん。拳銃は収めたほうがいいと思うよぉ」
「浜面、私がいない間、超良くやってくれました。あとは私達に任せてください」
不意にエレベーターの電子音が鳴り響いて、そのドアから二人の人影が現れた。片方は『デリート』の構成員の斉藤莉奈。露出度の多い服を着た彼女は肩で気絶している『スクール』のドレスの女を担いでいた。そしてもう一人、
「絹旗...!!」
「何安心してるんですか。とっとと滝壺さんを回収して超消えちゃってください」
浜面に名を呼ばれた少女、『アイテム』の構成員、絹旗最愛は彼と目を合わせることなく、口元に笑みを浮かべて言った。
「そうだよぉ。そこの最愛ちゃんの言うことを聞いて君は素直にここから逃げるといい。あそこの女の子は私らが責任もって取り返すちゃうよぉ」
斉藤莉奈と初めて会う浜面仕上は、彼女からもまた暗部特有の殺しの匂いがするのを感じ取っていた。そんな彼女は肩に担いでいた少女を壁際に寝かせる。
「殴り合ってたら互いの目的が一緒ってことに気づいて仲良くなちゃった記念として、このお姉さまが助けてあげるのぉ」
「そういう訳で、浜面。後は超任せましたよ」
そう言って、二人の女は圧倒的なレベル5、垣根帝督へと拳を振るう。片方はダイヤと化した拳を、もう片方は窒素を纏った拳を。
「へー、かっけぇじゃん。ただよ...相手が悪かったな」
二人の拳は、垣根帝督の背中から生えた真っ白の翼により、彼の体に届く前に薙ぎ払われる。その衝撃をまともに受けた二人は、勢い良く壁に激突した。そのままズルズルと力なく崩れ落ちていく。
「レベル4といっても所詮はこの程度か」
垣根帝督の背中から生えた天使のような六枚の翼がゆったりと羽ばたく。『未元物質』、この世に存在しない素粒子を生み出し、操作する能力。第2位の圧倒的な力の差を前に、浜面仕上は手に持った銃を構えるだけが精一杯だった。そこから先の動作が全くできない。もしも、指一本でも動かせばその瞬間、終わるんじゃないかと言う最悪の結末しか思い浮かばない。
「そして、ムカついた。お前ら全員、あの世行き決定だ」
「あの世に行くのはテメェだ。クソ野郎」
垣根帝督と浜面仕上の間の天井が崩れ落ちてきた。聞き覚えのあるその声に垣根帝督は眉をひそめる。落ちてきた瓦礫の上に佇む灰色の髪の男と長い黒髪の少女という光景に浜面仕上はデジャヴを感じた。
「お前は...素粒子工学研究所の」
「おっ、覚えてんのか。『デリート』のリーダーやってる天江空也だ。仕返しに来てやったぞ、コラ」
挑発的な笑みを浮かべた天江空也に対し、垣根帝督はその宣告もろとも鼻で笑った。
「くだらねぇな。俺に成すすべもなく散った奴が、何言ってやがんだ。お前程度じゃ俺には勝てねぇよ」
垣根帝督は六枚の翼で威嚇するように、バサっと広げた。その際にフロア内に収まりきれなかった翼が壁を砕いていく。パラパラと粉が散り、それが陽光に当てられ、反射し幻想的な光景を生み出していた。
「あ、ビビってんのか。メルヘン野郎」
天江空也はそう言って、彼より正面にある天井を全て『終着地点』で分解して、砂煙を生み出す。フロア一帯が砂煙で埋め尽くされ、視界が遮られた。
「目くらましのつもりか」
垣根帝督を中心として正体不明の爆風が吹き荒れ、砂煙を一瞬でなぎ払う。払われた砂に浜面仕上は反射的に顔を腕で庇った。あまりに突然、始まったその戦いに彼は一人ついて行けずにいた。天江空也がここに居るということは学園都市第4位の麦野沈利を倒したということだろうか。彼は一体何者なんだという思考に至ろうとする浜面仕上は唐突に何かをぶつけられた衝撃に尻餅をついてしまう。
「...滝壺!?」
浜面仕上は自分の胸元を見ると、そこには気を失ってぐったりとした滝壺理后の姿が有り、思わず彼は抱きとめた。やっと守りたかった少女に触れられたことに浜面仕上は喜んだが、それと同時に理解できずにいた。
「...感謝するなら...空也にして。...助けてあげた」
浜面仕上の前方、『デリート』の構成員の聖望琉は爆風で舞い上がる黒髪を押さえつけながら彼らに背を向けて言う。彼女の手には一本の注射器が握られており、中の液体は褐色であった。
「...『能力追跡』...もう用はない。...能力使えないから」
ちらりと浜面仕上に顔を向けた少女は、目を細めて言う。その視線の先には滝壺理后が映されており、僅かにその目が揺れ動いた。
「望琉!!早く能力を使え。こっちの身が保たねぇ」
フロアの奥、垣根帝督の真っ白な翼を躱しながら、圧倒的に押されている天江空也は聖望琉に叫ぶ。天江空也は先程から『終着地点』を垣根帝督に放っているのだが、そのこの世に存在しない素粒子で出来た翼の前に無力化されてしまっていた。この世に存在しない未知の物の最後の姿など、そもそも天江空也は知っていないので演算のしようがないため、活路を見いだせずにいる。
「...分かった。...あ、あと逃げる時に...第4位に注意して。...逃げた彼女...相当精神的に来てるから」
急かされた聖望琉は、まだ呆然と動けないでいた浜面仕上に追加で情報を伝える。天江空也は後一歩のところで重傷を負わせた麦野沈利を逃がしてしまっていた。ただ、相当深手を負わせているので、そう遠くにはいっていないから、垣根帝督を倒したあとに回収する予定でいる。
「ありがとう。恩に着る」
注射器を腕に打ち込んでいた聖望琉に浜面仕上は感謝の言葉を述べると、滝壺理后を抱え、エレベータに乗り込んだ。そして、地下へのボタンを押し、金属のドアを閉める。閉まっていくドアの間から覗けた聖望琉の雰囲気は滝壺理后が『体晶』を使った時のような既視感を抱かせた。だが、それは一瞬のことで、降下を開始したエレベータと共に、霧散していく。
「...空也。...準備できた」
感情のこもってない声で、聖望琉は言う。
「...対象は垣根帝督。...対象のAIM拡散力場に侵入。...調整開始する」
その言葉を聞き、天江空也の口元に笑みが浮かんだ。
垣根帝督は突然自分に襲ってきた違和感に困惑した。彼の制御下に置かれていた六枚の翼がプツンとハサミで切り離されたかのように、その姿を消したのだ。宙を舞っていた垣根帝督はどうすることもできず重力に従って落下し、フロアの床に激突する。かろうじて受身はとったものの、何が起こったのか未だに困惑していた。
「翼をもがれた気分はどんな感じだ? 垣根帝督よぉ」
垣根帝督を見下ろす天江空也はニヤリと意地汚い笑みを浮かべていた。その顔で垣根帝督は全てを察する。この男が何かしやがった、と。
「てめぇ...」
垣根帝督は再び翼を出そうとするが、能力が発動しない。それどころか『未元物質』自体が使えなくなっていた。垣根帝督はこの異常な事態に思考を張り巡らせる。AIMジャマーなどの能力を阻害するものはない。また滝壺理后のように特殊な薬品を摂取していたわけでもない。目の前で対峙している天江空也は普通に能力を使用している。
そして、ここから導き出される答えは、一つだった。別の能力者がいて、かつそいつは何かしらの方法で他人の能力を封じている、と垣根帝督は考えた。では、一体誰が。その時、不意に垣根帝督は原因を見つけた。
天江空也の背中の向こう。エレベーターの付近にいる少女、聖望琉の存在にだ。一見、無害そうに見えるが、この状況下で何かしらのアクションを起こせるのはあの少女ぐらいだ。
「うん? なんか気づいたっぽいけどもう遅いんだよな」
パンっと乾いた発砲音が垣根帝督の耳を貫いた。硝煙の匂いがあたりに漂い、その正体が天江空也の手に握られている一丁の拳銃によるものだ。垣根帝督の足元に放たれた弾丸によって抉られた銃痕の後に、普段なら感じられなかった恐怖が冷や汗とともに彼を襲う。
「ただの拳銃に怯えんなよ。第2位の名が泣くぜ。と言っても、能力が使えないお前にとったら脅威以外の何物でもないよな」
二発目の銃弾が垣根帝督に襲い掛かるが、彼はそれを間一髪横に飛ぶことで回避する。同時、彼は飛び跳ねた勢いそのままに聖望琉へと駆け出す。何が起こったのか判断に苦しむが、この状況を脱するにはとりあえず聖望琉を気絶、もしくは殺害するのが最善と判断した垣根帝督の行動だった。彼は『未元物質』があるため常に拳銃などの武器を持たないため、近くにまで接近し格闘術の類で活路を見出す以外に方法はなかったのだ。
だが、そんな彼の体がバランスを失うように崩れ落ちる。天江空也の放った銃弾が彼の右足の太ももを貫き、その衝撃で力を失った足が垣根帝督の体を支えきれなかったのだ。傷口から辺りに鮮血を撒き散らしていく。
「ぐ、うァァァァァ...」
漏らしたことのない絶叫が垣根帝督の口から溢れ出す。顔を苦痛に歪め、撃たれた右足を両手で抑えるその姿はとてもじゃないがレベル5の姿とは思えなかった。無様に地に這い蹲るその姿に天江空也は蔑んだ眼差しを向け、それを背中越しに感じる垣根帝督は屈辱に身を震わせ、溢れだそうとする絶叫を押さえ込もうとした。
「...痛い痛い痛い痛い...うぅぅぅぅ」
ただし、別の場所からも絶叫が響き渡った。目尻に涙を浮かべ、玉のような汗を額から流している聖望琉は長い黒髪がフロアにつくことも気にしていられないというように地べたに崩れ落ちている。垣根帝督が抑えている右足と同じ場所を彼女は傷口がないのに抑えていた。
「望琉、意識は失うんじゃねぇぞ」
「...空也、分かってる。...私は空也の道具、...道具だから乱暴に...していい」
天江空也は感情の篭らない声で、聖望琉には目を向けず垣根帝督に銃口を突きつけ、一挙一動も見逃さないようにして言った。それを受けて、聖望琉は笑う。それはもう嬉しそうに苦痛に顔を歪めながらも心を蕩けさせながら彼女は、自分は道具であると言った。聖望琉の能力『能力調整』の副作用として、対象の痛覚を共有してしまうため、垣根帝督の受ける痛みは彼女も受けることになる。それはこれから拷問を受ける地獄を味わえと言われているようなものだが、それでも聖望琉にとっては天江空也の役に立っている、というたった一つの結果だけで他はどうでもよかった。例え、それで自分の何かが壊れようとも、今この瞬間に天江空也が喜ぶのなら、それが存在意義である聖望琉が拒絶の意を示すはずがなかった。
「...なんだよ、それ。狂ってんじゃねぇのか。お前ら?」
地に這い蹲りながらも天江空也と聖望琉の二人の会話を聞いていた垣根帝督は気持ちの悪いものを見る目で二人を見た。長いこと暗部にいた垣根帝督ですらここまで仲間を道具と割り切って行動する人間を見たことはない。ましてや、片方は相手に信頼以上の感情を抱いているのにだ。それは、同じように暗部に堕ちた麦野沈利や一方通行ですらしていないことだ。
「お前には関係ねぇよ」
バンとまた乾いた音が響き、垣根帝督の腕に銃弾が突き刺さる。今度は弾は貫通せず肉の中に留まってしまい、再び垣根帝督と聖望琉の絶叫が響き渡った。
「これで、逃げられないよな。んじゃ、後は脳を腐らせて、廃人にしてやる。まだ、てめぇにはアレイスターとの交渉材料として生きててもらわねぇと困るからな」
どこをどう腐らせれば『自分だけの現実』に影響を出さずに、廃人にするかぐらいは天江空也は心得ていた。仮にも『プロデュース』に全面的に関わっていた彼だからこそ、脳のどの部分にそれが宿っているのかを知っている。
天江空也は垣根帝督の頭に手を伸ばす。その手が彼に触れようとしたとき、ピクリと垣根帝督の指が動いた。
刹那、垣根帝督を中心に謎の爆風が吹き荒れ、天江空也は吹き飛ばされて壁に激突する。突然のことに受け身を取れなかったため、肺から空気が吐き出され、ゴホゴホとむせてしまう。
「一体、何が...」
天江空也は軋む体に鞭を打ち、視線を垣根帝督へ向ける。そこには六枚の真っ白な翼を生やした彼の姿があった。その翼は間違いなく『未元物質』によって作られた天使のような翼だ。だが、垣根帝督の能力は聖望琉が封じているはずである。さらに『擬似強度増加薬品』の効果が切れる時間までもう少しあるはずだ。
「目が覚めたらピンチって、あなたらしくないんじゃないの?」
新たな声の方向に、天江空也は顔を向けた。
「あぁ、ちょっとしくじってな」
垣根帝督はにやりとした笑みで、エレベータのドアの付近にいた女、『スクール』の構成員のドレスの女に向けて言う。翼で羽ばたく彼は撃たれた両足を地面に付けることはなく宙に浮き続けて全体を眺めている。
「...空也。...ごめんなさい」
か細く、悔しげな聖望琉の謝罪の声が天江空也の耳を打つ。地面に倒れている彼女は涙を流し、嗚咽をこらえていた。その手には拳銃が握られ、ドレスの女に向けられているが、その指が引き金を引くことはない。聖望琉はまるで、ドレスの女に対して撃ちたくても撃てないという意識が膨らんでいくのを感じていた。
「彼女を責めないであげてね。私の能力『心理定規』は、人の心を自在に調節できるの。最もそこに倒れてる『アイテム』の娘達みたいに複数で来られると困るけど、今の状況なら問題はないわ」
ドレスの女は口元を綻ばせて言う。
(精神系の能力者か)
食蜂操祈みたいな能力者の出現に天江空也は内心、焦っていた。天江空也は精神系の能力に対抗する方法を持っていない。第3位は電磁バリアとかいうもので防げると食蜂操祈が言っていたが、そんな芸当、彼は有していない。
「今の私は距離単位十...つまりは『聖望琉-天江空也』と同じ心の距離を維持してる。つまり私の命令は天江空也の命令と同等ということ。彼女、相当あなたのこと好きみたいだし、仕方のないことじゃない」
ふふっと笑うドレスの少女に、天江空也は頭から血の気が引いていくのを感じた。聖望琉の『能力調整』が解かされた以上、垣根帝督に対抗する術はない。更に、聖望琉はドレスの女に拘束されているので使い物にならないだろう。
「さて、殺すか」
垣根帝督は簡単に言う。先程まで自分を追い詰めていた男の影は無く、諦めに似た感情に支配されている天江空也を見て興醒めしていた。
「別に放っておいても問題ないんじゃない。それにこの子の能力であなたは能力を封じられてたんでしょ。AIM拡散力場に干渉するものだったら不具合が起きてもおかしくないし、チェックしなくていいの? あなたの暴走で私、巻き込まれて死ぬなんてゴメンだわ」
ドレスの女は肩をすくめて言う。その指摘に垣根帝督はくだらなそうに首を鳴らすが、自分の能力が暴走して死ぬなど滑稽だな、と思い、
「しょうがねぇな。帰るか。機材がここにはないし、今日中にやっておかないといけないこともあるしな」
垣根帝督は翼を消し、痛む足を引き釣りながらエレベータへと向かう。
試合終了を告げるゴングのようにチン、とエレベーターの到着する音が鳴り響き、彼らは階下へと降りていく。
残された天江空也は聖望琉へと歩いていく。未だに己の失態を許せずに嗚咽を漏らし続けている彼女を抱きしめた。
「悪いな。負けちまった」
悔しさを滲ませたその声に、聖望琉もより一層感情を抑えることが出来ず、彼の胸に頭をこすりつけた。フロアには気絶している『デリート』の斉藤莉奈と『アイテム』の絹旗最愛が転がっている。
「...まだ...まだだよ。...第1位。...あれで...逆転出来る」
彼の胸の中で少女は呟く。その声は小さいが確固たる意思が感じられるものだった。
「...『ゲート』...知るため」
「あぁ、分かってる、『約束』だもんな」
天江空也は答える。まだ、彼の瞳は色を失っていなかった。