────ざまあみろ
冬の冷たい空気を漂う、古臭いレールの錆び付いた匂いに顔をしかめながら、それでも少年は口角が吊り上がるのを抑えられない。今日は彼にとって最高の日だ。カンカンカンカンと五月蝿く鳴り響く音も少年の耳には、彼の決断を祝福する荘厳なオーケストラの一部分に聞こえていた。
「は、ははっ、はははははははっ!」
甲高く不快な交響曲に混ざる荒れ狂って枯れてしまった嗄れのテノール。手を広げ、膝が崩れるのも厭わずに彼は嗤う。喉から込み上げてくるものに咳き込もうが彼は止めない。止められない。
こんなに愉快なことが果たして今まであっただろうか。自由という有り触れていて、それでいて誰の手にも入らないものを少年はついに手に入れたのだ。泣きわめいている方がおかしい。嬉しい時には泣くのではなく笑うこと。足し算を知らない子供でも分かることだ。
夜の星は主役を光らせるスポットライトとして瞬き、月は一際大きな照明として彼を照らす。彼にとっては初めてでそして最期であろう演劇として、この静かな舞台は最高の場所だ。彼は不満など何一つ無い。しいて惜しむなら観客の居ないことか。せっかくの大芝居だというのに観客が誰一人として居ないのは風流に欠けるというものだ。しかし、感性の合わないお客様ほど面倒な相手も居ない。舞台をよじ登られて邪魔をされるくらいなら観客など居なくていい。少年は本気でそう考えている。舞台の監督は自分、脚本も自分。キャストは自分一人だし観客も自分以外存在しない。紛うことなき一人芝居。
だから良いではないか。誰にでもなく少年は呟く。失敗など絶対にしないのだから。例え台詞を忘れたところで誰も気にしなどしない。誰も間違いに気が付けない。それならば失敗なんて無いようなものだ。今日の日のためにわざわざ準備してきた甲斐があった。
「ざまあみろ」
先ほど心に浮かんだ言葉を、今度はしっかりと口に出した。寒さのせいか舌がうまく回らないが、それを注意するような相手は居ない。自分の手でそんな厄介なクレーマーは消してしまった。
力が入らない足を崩して地面に臀部を下ろすと、尖った部分が容赦無く彼に襲いかかってくるが、そんなことは彼の悦楽を妨げる理由になりはしない。むしろ失いかけた気を奮い立たせてくれる。こんなにも気分が良いのに、寝てしまっては寝覚めが悪い。演目が終わるまではちゃんと起きていなければ。彼は気つけ替わりに自らの頬をパンッと両手で叩く。掌の嫌悪感をレールを撫でることで紛らわせて、彼は座ったまま演目の終わりを待つ。
澄んだ空気が彼の心を癒してくれるから、待つこと自体は苦にならない。それよりも自由になった嬉しさの方が彼の頭の中を埋め尽くしてしまっているのだから、苦痛だと感じることすら無いだろう。
────さあ、演目の終幕だ
突然に浴びせられるスポットライト。彼は眩しさに目を閉じながら、自分が舞台から降りるその瞬間を想像した。背筋を越えて全身に行き渡るほどにゾクゾクする。というのがその感想だ。かつて今までここまで興奮したことは無い。自慰もしていないのに達してしまいそうだ。身も心も麻薬に溶かされて消えてしまいそうな解放感。それを怖い、と感じる人間が何処に居る。ああ、気が付かなかったのはなんて不幸なことなんだろう。自分はこんなにも恵まれた幸福な人間であったのだ。だって他人からの束縛から逃れられたのだから。
その思いを最後に、彼は舞台から姿を消した。
*
電気が消され、カーテンも閉められたせいで、昼だというのに夜のように暗い部屋。誰も居ないその部屋にはテレビだけが延々と流れ続けている。
「続いてのニュースです。昨晩C県H市の踏切で高校生が踏切に入り込み、電車に撥ねられる事故が発生しました。被害者には腹部に大きな切り傷があり、また被害者の父親が頭を鈍器のようなもので殴られて死亡しているのが発見されたため、警察は無理心中も視野に入れて捜査しています」
そのニュースを聞いた者は、居ない。