Fallout:SAR   作:ふくふくろう

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葉桜

 

 

 

「こ、これほどの数。我等全員分の除染薬など……」

「いくらになるかなど考えずともよいのですぞ、長老殿。このアキラは罪なき人々が、特に老人や子供が理不尽な苦しみに晒されておるのが何よりも嫌いでしての。対価を寄越せなどとは申さぬ。さあ、早く住民達に配ってやってくだされ」

 

 そのような事が。

 

 長老はそう呟いて買い物かごから視線を上げると、束の間だけそこにあったジンさんの顔を見て頷く。

 それから長老は俺に向かって深々と頭を下げた。

 

「そんなのはよしてください。余るほど持ってるから提供するだけなんで」

「それでも、ありがとうございますじゃ。ゴン、除染薬をまずヒカリに。それから全員に配るのじゃ」

「お、おう。俺からも礼を言うぞ、お客人。本当に、本当にありがとうっ!」

「だから気にしないでくださいって。ならその子に早くこれを」

「おうっ!」

 

 買い物かごを持ったゴンという男が走り去ると、老人はこちらが心配になるほど長く息を吐いてからまた深々と頭を下げる。

 

「こちらへ」

「おじゃまします」

「こんな朝早くに申し訳ありませんのう」

「なんのなんの」

 

 やはりというべきか、集落の小屋や屋外にいくつかあるテーブルや椅子は見ていて悲しくなるほどに粗末なものだ。

 これならばたとえ築300年以上の年季が入っていてもあの船外機工場で暮らした方がずっといい。少なくとも、雨風はこんな小屋よりずっと凌げる。

 

「このテーブルに。朝とはいえ窓のない小屋では暗すぎますからの」

「ありがたい」

「失礼します。それと、よかったらコーヒーとタバコをどうぞ。住民の方々の分は後で出すんで配ってください」

「こ、このような高級品」

 

 急に慌てた長老さんをジンさんが宥めるのを見ながらタバコに火を点けて紫煙を燻らす。

 もちろん考えるのは、この豊橋まで来た時の道やその途中にある廃墟なんかだ。

 あのベルチバードやそれに乗って現れた連中の事は、この集落の全員を安全な場所に運び終えてから考えればいい。

 

 老人と子供は奥に乗せるとはいえ、大正義団も含めれば60人以上にもなる集団をあんなオンボロトラックで運べるのだろうか。

 なら屋根に落ちて怪我をしてもいい大正義団を乗せればいいかとも考えたが、あのトラックを見る限りじゃ少しばかり無謀だろう。戦後の引き揚げ船や発展途上国の電車じゃあるまいし。

 

「……あー、やっぱ特殊部隊のバスとウルフギャングに出張ってもらうしかねえかなあ」

「せめてどちらか片方には手伝ってもらいたいのう」

「ならジンさん、ここは任せてもいいですか?」

「うむ。じゃが長老殿が頷いてくれるかはまだわからぬぞ?」

「それはもちろん。それにあのネボスケ、ミサキが起き出すのはもうちょっと遅い時間ですからね。こんな朝早くに起きてる奇跡がねえか試してみるだけです」

「了解じゃ」

 

 さっきピップボーイから出した灰皿でタバコを消して立ち上がる。

 向かうのは大正義団の連中がいるはずの駐車場だ。

 

「問題は、シズクとセイちゃんをどうすっかだよなあ」

 

 だいぶ前に最悪の形で故郷を出奔したとはいえ、2人にとってあのマナミさんは母親と叔母。

 すぐにでも会わせてやりたいが、特にシズクなら裏切り者の大正義団の連中を片っ端から斬りかねない。

 

「どうしたもんかねえ……」

 

 呟きながら橋を渡り、大正義団とは反対側の駐車場の隅へ。

 そこでなるべく正方形になるように意識して、同じ場所をぐるぐると歩く。

 

「アキラっ!」

 

 声に振り返る。

 ミサキだ。

 

「たった3周かよ。よくこんな時間に起きてたなあ、ミサキ。って、げえっ!」

 

 思わず、そんな声が出た。

 

「失礼な旦那様もいるものだなあ、アキラ。愛する妻の顔を見た途端に『げえっ』とはなんだ」

 

 言いながらシズクの視線が大正義団の連中に向く。

 たった13人。

 それが遺体を囲んでいるだけなので、その瞳にはきっと映ってしまっただろう。

 ……実の母親の、変わり果てた姿が。

 

「すまん。だいぶ遅かったらしい」

「だろうな」

「連中はすぐに退かす。挨拶をしてから身を清めてやってくれ」

「必要ない」

「なんだと?」

 

 シズクが微笑む。

 まるで言葉と視線がきつくなった俺をなだめるように。

 そしてシズクの微笑みは、そのまま苦笑いに変わった。

 

「勘違いはするな。母親の遺体の口に水を含ませ、身を清めてやるのは娘であるアタシがやる」

「なら今すぐに」

「ダメだ」

「なんでだよ?」

「死者のために動くのは、すべてが終わった後でいい。生きている者達のためにすべき事が終わった後でな。幼い頃から、アタシは爺様にそう教わってきた」

「……頑固っつーか、融通が利かねえっつーか」

「なんとでも言え。ほら、行くぞ。爺様はあの小島のような場所にいるんだろう?」

「ああ。こっちだ」

「シズク……」

 

 ミサキの啜り泣きとそれを慰めるシズクの声を背中で聞きながらジンさんと長老のいるテーブルに戻る。

 大正義団の連中には、一瞥もくれなかった。

 そうしてしまえば俺はこの優しい嫁さんを哀しませている13人だけでなく、すでにこの世を去った、死んでいった連中にまで酷い言葉を浴びせてしまいそうだったからだ。

 

「おお、朝早くに悪いのう」

 

 足音でも耳で拾ったのか、葉巻に火を点けようとしていたらしいジンさんが振り返りながら言う。

 理由はわからないが長老さんは席を外しているようだ。

 

「平気です、ぐすっ。昨日の夜は全員でこのピップボーイ見てたし。交代で仮眠取りながら」

「そうかそうか」

 

 ジンさんとシズクの視線が合う。

 俺にはわからないが、この2人の間では言葉以上に重要な何かが交わされているんだろう。

 

「好きにするがよい」

「もちろんだ」

「……やれやれじゃ。気の強すぎる嫁を押し付けてすまぬのう、アキラ」

「いいえ。俺は、シズクのこういうところも好きですよ」

「ほっ。朝っぱらから惚気おる」

「まだまだ新婚ですからねえ。それで説明は、ジンさん?」

「済んでおる。小舟の里の法や税、これからの住居や仕事や予想される暮らしぶりまでもの」

「その答えは?」

 

 ジンさんが顎で粗末な小屋の立ち並んでいる方を示す。

 そこでは長老さんが何人かと立ち話をしている姿の外に、小屋の中から何かを運び出している人間の姿があった。

 

「了承してくれたんですね」

「うむ。全員で移住してくるそうじゃ」

「荷物も思ってたよりありそうだから、やっぱバスだけじゃなくウルフギャングにも頼まなきゃいけませんね」

「そうなるのう。なのでアキラには、ここまでの先導まで頼みたい。道中にさしたる危険はなさそうじゃったが、万が一のためにの」

「了解。遅くとも昼までには戻ってこれると思います」

「頼む」

「それとウォーターポンプをいくつか設置してメシや服なんかも置いときますんで、そっちはお願いしますね」

「心得た」

 

 できるだけ急ぎはしたが、ウォーターポンプをいくつかの場所に設置して住民全員分の服やら靴なんかを用意するのにたっぷり1時間はかかってしまった。

 それだってミサキとシズクが手伝ってくれなかったら、倍以上の時間を取られていただろう。

 

「ようやく終わり、アキラ?」

「だな。帰るぞ、小舟の里に。おふくろさんを連れてな」

「うん。お葬式の準備は任せて」

「シズク、墓はどうする?」

「路傍の石でいい。小舟の里は昔からそうだ」

「にしたってよ。……ああ、あれをいくつかいただいてくか」

「あれ、とは何だ?」

「こっちだ」

 

 2人を連れて小島のような住居スペースを出た俺が立ったのは、結構な本数が並んでいる木々の前だ。

 

「アキラ、これって」

「ああ。桜の木のはずだ。詳しい種類はわからんがな」

「桜、か……」

「義理じゃあるが、あの人は俺にとっても母親だからな。これくらいはいいだろ?」

「……好きにしろ」

「言われなくてもそうさせてもらうさ」

 

 もしピップボーイに収納できなかったら枝を何本か貰っていくつもりだったが、桜の木は何の問題もなく姿を消した。

 リストにもその名があるのを確認して、大きく深呼吸をする。

 

 深く、長く。

 

 そうして何度も深呼吸を繰り返し、ようやく足を動かす。

 途中からはミサキが吐く息の音も聞こえていたので、気持ちは俺と同じなのだろう。

 

 歩く。

 もちろん行先は、大正義団の連中がいる場所だ。

 

「アキラ君……」

「どけ、メガネ。それと誰にも口を開かせず、ジンさんのトコに行け。今すぐにだ」

 

 マコトが哀しげに目を伏せる。

 だが、何も言わせるつもりもなかった。

 もし「謝らせてもくれないのか」の一言でも漏らしたなら、俺はコイツだけでなくここにいる13人全員をぶん殴っていただろう。

 それを察した訳でもないだろうが、マコトは全員を連れて住居スペースに向かう。

 唯一何か言いかけたガイ、俺の嫁さんであるシズクの従弟も、歯軋りの音以外は口から漏らさなかった。

 

「この着物は……」

「ああ。おまえの髪に飾ってあるそれと出処は同じだ」

「いらぬ気遣いを。こんな上等な着物はミサキかカナタか、成長したセイに晴れ着としてくれてやればいいのに」

「それはまた別の機会にな。ミサキ、家に戻ったらすぐにマアサさんを呼んでくれな」

「う、うん。わかってる、ぐすっ」

「悪いが俺はトンボ返りだ」

「気にするな。セイの事は任せてくれていい」

「俺からすりゃ、セイちゃんと同じくらいシズクも気がかりなんだがな。ほら、抱き上げてやれ。この人は、おふくろさんはシズクが連れて帰るんだ」

「……わかった」

 

 シズクが母親の遺骸に歩み寄り、そっと膝を折る。

 手を合わせる事も、祈りの言葉を紡ぐ事もなく、シズクは母親の体を持ち上げた。

 

「…………軽いなあ。どうして、こんなに軽いんだ」

 

 


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