「ええっと?」
「すまんすまん。別に知り合いでもない老いぼれや、ロクに話した事もない里の商人に気を使う若造がおかしくての。賢者と同じく、育ちがいいんじゃろうなあ」
「はあ」
「それで若造の懸念じゃがな、明らかにいらぬ心配じゃ」
「そうなんですか?」
「うむ。この里の者は、なべて貧しい。そして行商を生業とする者と違うて大きな街の商人は利の大きい物しか扱わぬから、里の店とは商品がかぶらぬよ」
「じゃあ、ご老人がこれで商売を始めればいいのでは?」
「あの世まで札束を持って行けるならそうするがな」
「……欲のない人ですねえ」
「こっちのセリフじゃな。さっきまでそこで茶を飲んでおったジンが、シズクとセイを嫁に出すと言っておった。つまらぬ男なら杖で頭をカチ割ってやるつもりじゃったが、お主ならよかろう。この盤と駒を製造して売り捌くのは、この老いぼれに任せるがいい。それなりに儲けさせてやるでの」
「おお。なら売り上げは、マアサさんとジンさんに渡して里の経費に。少しは小舟の里を大きくする足しになるでしょうから」
「じ、自分では使わぬのか?」
「ええ。使い道もありませんからねえ」
ゲームもマンガもないこの世界、趣味なんて見つけられそうにないので金なんてそんなには必要がない。ジャンクになった武器の部品を集めて改造に使ったりするにしても、レベル上げをしながら自分で集めた方が効率がいいだろう。
性病の危険がないなら風俗には行ってみたいが、市場の噎せ返るほどの体臭を一度でも嗅いでしまえばそんな気も失せる。
「……セイ。とんでもない男を捕まえたのう」
「ん。アキラは変態だけど、それ以上に凄い人」
「変態なのかの?」
「第一夫人。このミサキにお漏らしさせて、そのパンツをチューチューするくらいには変態」
「ちょ、ちょっとセイ」
「ほっほ。スティムパックとやらがあるなら、性病も腹下しも怖くないからのう。英雄は色を好むと言う。元気で良いではないか」
その発想はなかったっ!
「うおっ」
「ヤル気は充分」
「えっと、アキラ。その、また声に出てたわよ?」
「……それでご老人、私達は恥ずかしながら一文無しでして。とりあえず、こんなのを買い取っていただけませんか? 動く物だけでも」
腐るほどある懐中時計やライターをカウンターに出し、ねじを巻いたりやすりを擦ったりして使えそうな物だけをその場に残す。
「いい根性をしておるのう。あんなに嬉しそうに叫んだその手があったかを、こんな話題の変え方でなかった事にするつもりとは」
「じいじの店のトイレ借りて味見、する?」
「こら、セイっ。変態を気軽に煽ったらダメでしょっ! もっと凄い事をさせられたらどうするつもりよ」
「アキラならいい」
俺は変態じゃない。
変態じゃないが、もっと凄い事もOKなのか。
「……そっかぁ」
「アキラ、声。声が出てるって! 無表情でボソッと呟くのやめて、怖いからっ!」
「……どうですか、ご老人?」
「その分厚い面の皮に免じて、全部で100円で買い取ってやろうかの」
「セイちゃん、それでみんなの晩メシと酒は買える? 足りなそうなら、もっと出すけど」
「余裕。ごはん10円、お酒20円くらいあれば余る」
「おおっ。良かった。ありがとうございます、ご老人」
「うむ。ちなみに他の街から流れて来た商売女は、30分の砂時計で10円が相場じゃ」
安いな。
18人のメシが10円で、酒が20円。
なら10円が、日本で言う1万円くらいか?
あれ、でも30分1万円って高い?
いやいや。ゴムなんかない事を考えたら安いよな。
今日はタイチと朝まで飲むって言って、俺は宿舎に泊まる事にしようか。うん、それがいい。
「この、だだ漏れの思考はなんなんじゃろうなあ……」
「なぜかやましい事以外は漏らさないんで、もう逆に都合がいいと考える事にしようかなって。おじいちゃん、お金はあたしにちょうだいね? アキラには5円以上持たせないって、たった今決めたから」
「それは気の毒にのう。金を出して来るで待っとれ」
「え、あの……」
「なによ。なんか文句あんの?」
ジト目で正拳突きの素振りはやめていただきたい。
ミサキに本気で殴られたら、俺のHPバーなんて砂の城よりも脆そうだ。
「……ねえっす」
「よろしい」
俺の金なんだとゴネてもいいが、実際に女を買いに行く度胸なんて20になっても童貞の俺にあろうはずがない。
だからまあ別にいいかと思っていると、老人がミサキにしわくちゃの紙幣を何枚も手渡した。硬貨もあるところを見ると、買い物のために細かいのも用意してくれたのだろう。
「すいません、何から何まで」
「よいよい。お主のような男なら、用事がなくともたまに顔を出すがいい。月明けの1日を過ぎれば仕入れた分はすべて売れるじゃろうし、10円20円分ならいつでも買い取ってやれるでの」
「ありがとうございます。では、おじゃましました」
「うむ」
商人の持ち金と相談しての買い取りは、フォールアウトシリーズで慣れたものだ。
3人と1匹でまたプールの横を歩き、さっきは素通りした市場を目指す。
食いしん坊のミサキは人混みなど気にもせずセイちゃんおすすめのツマミをこれでもかと買いまくり、ぐったりした俺とドッグミートに気づいて少ししてから、ようやく酒屋へと向かってくれた。
「おばちゃん」
「あら、セイちゃん。もしかして後ろの色男が、アンタ達姉妹のコレかい?」
「ん。焼酎をビンに詰めて。10本」
「あいよ、20円ね。色男、おばちゃんの聖水もビンに詰めて持ってくかい?」
「ぶはっ」
「セイ達のあげるからいい。ね、ミサキ」
「すすす、する訳ないでしょーがっ!」
基地に帰った俺がまずやらされたのは、カップル達の家を用意する事だった。
しかも、数は3つ。
俺達が買い物に出ているうちにタイチがカヨちゃんを散歩へと誘い出し、見事に口説き落としてカップル成立となったのだそうだ。
タイチのニヤケ具合からして、キスの1つどころかあの巨乳を揉むくらいはしたに違いない。
アタマに来たので2つ並べた枕の下に、交番で見つけたエロ本をそっと忍ばせておいた。セインツシリーズやあまり熱中はしなかったゾンビゲーのアイテムも持ち込めていたならもっと凄い物も置いておくのだが、ない物は仕方がない。
「このベッドでダチがあんな美少女と、ねえ……」
糸ノコでベッドの足に切れ目を入れておこうか。
「ここにいたか、アキラ」
「どした、シズク?」
「ジン爺様が来てる。アキラと話したいそうだ」
「あいよー」
「夕陽を眺めながら飲むと言って酒やツマミを持って階段を上がっていったんだが、いいか?」
「もちろんだ。ここに絵を飾って、風車と配線を繋いだら行くよ」
「頼む。なにやら、思い詰めた様子なんでな。少しばかり心配なんだ」
「……了解」
手早く残っていた作業を終わらせ、見張りや迎撃にも使える足場に上がる。
足元に小舟の里の市場で売っている買い物カゴを置いたジンさんは、壁に肘を置いて背を丸めながらウイスキーの小瓶をゆっくりと傾けていた。
白髪をオールバックにしてタキシードを着た老人が夕暮れに染まった西の空を眺めながらそうしている姿は、絵にはなるのだがどこか物悲しくて、俺は何も言わず壁に寄せてバーカウンターとスツールを出した。
バーボンとショットグラスも出し、それを満たす。
「ウイスキーか?」
「バーボン。まあ、同じような物です。どうぞ」
「ありがたい。惜しみ惜しみ飲んでおったウイスキーは、これが最後での」
「俺が来たからには、嫌ってほど飲めますよ」
「それは楽しみじゃのう」
「それと、これも。舶来物の葉巻です。肺にまで煙は入れないでくださいね。吸わずにいればすぐ火が消えるので、ずいぶんと長保ちするはずですよ」
「ほう。……悪くない香りじゃ。洋酒に合いそうじゃのう」
「それはなにより。俺は紙巻ばかりなので、なくなったら言ってください」
会話がないまま、お互いにバーボンを口にして時間だけが過ぎていった。
若さに任せて酒を飲む俺とは違い、惜しみながら飲むのが癖になっているのか、ジンさんのショットグラスは舐めるような速度でしか中身が減らない。
夕陽がその姿を西の大地に沈めようかという時間になって、ようやくジンさんは口を開いた。
「銃を譲ってもらいたいのじゃ」
「小舟の里を守るためにしか使わないなら、お好きなのを差し上げましょう」
「約束すると言ったら?」
「シズクとセイちゃんを監視につけた上で、普通にお渡ししますよ」
「……舅に厳しい婿もおったものじゃのう」
「婿じゃありませんし、獲物を横取りされるのは好きではないので」
「ほう。獲物、とな?」
「101のアイツ。賢者と親しくしていたなら、経験値やレベルという言葉に聞き覚えは?」
「あるのう。……そうか。あの子は婿殿が殺して、経験値の足しにしてくれるつもりか」
「大正義団の本拠地を偵察しろってクエストも出てますしね」
「嫌な言葉じゃ。クエスト。そう言って歳の離れた友が西へ向かい、息子は自分にも力があればそのクエストが出ているはずなのにと悔しそうに言って里の命綱を持ち逃げした」
101のアイツは、クエストが発生したので西を目指したのか。
なぜそれをジンさんとマアサさんの息子が追って里を出奔したのか正確なところは知らないが、わずか数駅を進んだだけで志が折れたなら、どんなに惨めな思いをしても里に戻って土下座なりなんなりして許しを乞うべきだろう。
そんな事、たかだか20年しか生きていない俺にでもわかるってのに。
「息子さん、いくつなんです?」
「婿殿と同じよ」
「小舟の里で、シズクとタイチというダチが出来ました。俺はここに来る前は、あまり親しい友人がいませんでね。それがもう1人増えるなら、10や20の経験値は諦めてもいいかな」
「腕が良く、頭が切れて思慮深い。少し見ていただけじゃがわかる、婿殿はそんな男じゃ。あれとは出来が違う」
「女の子はまた違うんでしょうが、男の子は間違ったらぶん殴ってやればいいんですよ」
「殴りに行くのなら止めぬのか?」
「2人でのんびり線路を歩いて、豊橋まで。途中に街でもあれば浴びるほど酒を飲んで、酔った勢いで女でも買いますか」
「それは、楽しそうじゃのう」
「でしょう」
ようやく空になったジンさんのショットグラスをバーボンで満たす。
尊敬できる男になど、あっちの日本では出会った覚えがない。
だがそう心から思えそうな男が涙を見せずに泣きながら酒を飲む姿は、正直これ以上見ていたくはなかった。
それを続けるくらいなら、いっそ2人でエネルギー武器とパワーアーマーで武装した連中をぶん殴りに行った方が気が楽だと思える。
「ワシは、北の生まれでの」
「へえ」
「冬は雪で閉ざされるで人は皆、春から秋までを冬越しのために生きるのじゃ。男達は朝から晩まで狩りに出て、女達は集落の仕事をすべてこなし、夜は夜でそのカラダを使って男達の滾った血を冷ます」
「……それが人の暮らしの、根源とでも言うべき姿でしょう。少し羨ましいなって気もします」
「賢者殿が舞い降りた福島を通ってあの悪名高き魔都・新宿などを巡り、ようやくこの地に辿り着いたのじゃ」
「並大抵の旅路じゃなかったんでしょうね。ジンさんも、101のアイツも」
「うむ」
ジンさんがショットグラスを呷る。そんな飲み方を見るのは、ここに上がってから初めてだ。
今の今まで自らに禁じていたらしいそんな飲み方をした横顔には、老人にはふさわしくない稚気が滲んでいるように見えた。
「2人で線路を歩く件、忘れるでないぞ? 女は、ワシが奢る」
「了解です。これ、とりあえず今夜飲む分の酒です」
「バーボンは気に入ったでありがたいが」
「ラッパ飲みでもしながらマアサさんを抱けばいいんですよ。泣けないから、涙が出ないから酒を呷って女を抱く。童貞なんで俺にはわかりませんが、男はきっとそんな生き物なんでしょう」
「ふふっ。言いおる」
「口だけは達者なもので」
「それだけではなかろうて。ではの」
「ええ。おやすみなさい」
「……おやすみ、友よ」
101のアイツの友人であるジンさんが、俺を友と呼ぶか。
微笑みながらショットグラスの底で天を仰ぐと、俺が生まれ育った日本で見るよりずっと美しい月が目に入った。
「桜の木はもう葉桜だった。花は来年までおあずけかな。……おい、101。月見酒もいいが、日本人なら桜の下で飲もうぜ。ダチと酌み交わす酒の旨さを、俺はこのウェイストランドで初めて知ったらしい」