タイチに腕を絡めたままのくーちゃんに案内された、今では酒場と宿屋になっているという戦前の体育館は、俺の予想をはるかに上回る場所だった。
「すっごいっすねえ」
「ハンパじゃねえな、こりゃあ」
「ラッキー。時間が時間だから、カウンター近くの席が空いてる。さ、早く座ろっ」
「ちょ、くーちゃん。まずは腕を離すっす」
「やーだもーんっ♪」
真実を伝えたからには、その後でタイチのケツがどうなろうと俺の知った事じゃない。
梁山泊という宿屋を観察しながら、カウンターの近くにあるテーブル席に向かう。
それにしても壮観だ。
体育館のメインスペース、バレーボールやバスケットボールなんかをするスペースには、屋台村のようなテーブル席がズラリ。
そこかしこに積み上げられている戦前のビールケースは、テーブル席のベンチに座り切れない客のための簡易テーブルや椅子の代わりか。
そして凄いのはステージ以外の壁のほとんどに寄せる形で、数えるのもバカらしくなる数の、キャンプで使う戦前のテントが立ち並んでいる光景。
どうやらそれが、梁山泊の客室であるらしい。
横に長いカウンター席のすぐ後ろにあるステージは調理場のようで、テーブル席を行き交う従業員と同じく5人ほどがバーベキューセットのような設備の前で忙しく立ち働いていた。
しかもそれだけではなく、2階の通路というか、試合なんかを観戦する狭い場所、横になるのがやっとの場所にもかなりの人間が寝ている。
おそらく料金の安い雑魚寝スペースだろう。
設備にも驚かされるが、なにより感心するのはその客の多さと、それらがひしめいていてもまだ余裕のある収容人数だ。
さすが、この遠州で一番の都会。
そしてその街で一番の宿という事か。
「すっげえなあ」
「アキラっち、注文はどうする? すべて前金だけど」
「6人で贅沢をしようと思ったら、どんくれえかかる?」
「んー。20円もあれば充分かなあ」
小舟の里でなら20人以上で宴会をして約30円。
浜松の街の物価が高いのかどうかは、出てきた酒やツマミを見なければ判断はできないか。
「んじゃ30円を渡しとくから、適当に注文してくれ」
「りょーかい。って、アキラっちもカウンターに行くの?」
「ああ。店主っぽいオッサンに挨拶して、今夜の部屋を取っておく」
「なるほどねー」
酒場スペースには山師と思われる武装した連中も多いが、そうでない人間達もそれなりに交じっている。
いつかの小舟の里の市場のように酷い体臭を放つ連中の近くで酒なんて飲みたくはないが、そんな事を言っていたら敵地に潜入しての偵察なんてできやしない。
腹にぐっと力を込め、臭いなんて気にするなと自分に言い聞かせながらカウンターまで歩く。
「ピカピカの拳銃2丁に電脳少年。とんでもねえ山師を連れてきやがったなあ、9式」
髭面の大男が、カウンターの中で呆れたように言う。
これが商人ギルドの議員でもある、ここ梁山泊の主か。
スワコさんと同じくらいガタイがいいので、酒場のマスターではなく用心棒か山師の方が似合っているような気がする。
「へへーんっ。しかも今日はこのアキラっちと、あっちにいるタイチっちのオゴリで豪遊だもんねー。お酒とゴハンとツマミを6人分。予算は30円。ヤマト達は食べ盛りだから量を多めにして、帰りにはお弁当も持たせてやって。まずは15円だけ渡しとくねー」
「あいよ。やっぱ電脳少年持ちの山師ともなると気前がいいねえ」
「それと部屋を取っておきたいんですが。スワコさんの紹介で、部屋は一等室にしろって言われてます。それを2部屋」
「後家のスワコの紹介だぁ? あの男嫌いの?」
「大口の商談があるんで、おそらく気を使ってくれたんでしょう」
「なるほどね。一等室はちょうど2部屋あって、どっちも1泊20円になるが」
「ではこれで」
しわくちゃの10円札を4枚出し、マスターの前に置く。
「あいよ。これがカギな」
チャラリ
そんな音を立て、紐で木札と結んだ金属製のカギがカウンターに置かれた。
木札には下手な文字で『一等室01』、『一等室02』と書いてある。
「01と02?」
「ステージ脇のドアを抜けると、地下に下りる階段がある。昼でもランプの明かりは切らしてねえから、金属製のドアに01と02って書いてある部屋を見つければそれでいい。言っとくが、宿泊中の安全なんて保障できねえからな。部屋に入ったら、今度はその南京錠を中からかけてくれ。カギは明日の、遅くとも昼までには部屋を出て返してくれればいい」
「わかりました」
俺の用事は済んだので、マスターと立ち話を始めたクニオを置いてタイチ達が待つテーブル席に向かう。
それにしても、臭いが酷い。
ステージの上では火を使って調理をしているから大きな入り口の扉と、2階の窓もかなり開け放たれているというのに、料理と酒とそれを愉しむ連中の体臭に、煙管を使って吸っているらしいタバコの煙までが混ざって、とんでもない悪臭だ。
ただ歩いているだけの俺を警戒するように窺っている他の山師達と世間話なんかができないようなら、俺は一等室というところで明日からの計画を練りながら飲んだ方がいいだろう。
「部屋は空いてたっすか、アキラ?」
「ああ。一等室を2部屋借りた。片方はくーちゃんとオマエが使うといい。ヤマト達は俺と一緒だ」
「ええっ!?」
「言っとくけど、オイラはアキラと同じ部屋っすからね?」
「んだよ。掘って掘られて、新しいドアを開けるんじゃねえのか」
「さすがにないっす」
「そりゃあ残念。でも、口だけで抜いてやるって言われたら?」
「……し、しないっすよ?」
「どうだか」
なんでぼく達がと慌てているヤマトに、これはデビュー戦を無事に終えた祝いだから気にするなと伝え、タバコを咥えて箱とライターをテーブルの中央に置く。
ここにあれば、吸いたいヤツは勝手に吸うだろう。
「おまたせしましたー。焼酎の水割り6つでーす」
「おお、来た来た。ありがとな、美人ウェイトレスさん」
「お世辞がうまいですねえ、お兄さんったら。どうぞごゆっくりー」
「サンキュ」
とりあえず乾杯するかと、衛生面がかなり不安な戦前のジョッキを持ち上げる。
するとカウンターでマスターと立ち話をしていたクニオが小走りで戻ってテーブル席に着き、6人でジョッキを合わせてからそれを口へと運んだ。
「あれっ。意外と美味しいっすね」
「へえ。普通に飲めるな、これなら」
「ツマミにも期待できそうっすねえ」
「どうだろうなあ」
何がどう調理されて出されるのかはわからないが、味付けが少量の塩だけならば、俺はほとんど手を付けず酒ばかりを口に運ぶ事になるだろう。
オゴリのお礼にと浜松の街の地理と様子や、そこを拠点とする山師達の狩り場なんかを語り出したクニオの話を聞きながら飲んでいると、思った通り味も素っ気もなさそうなメシやツマミが次々に運ばれてくる。
「す、凄い。お肉がこんなに。それにパンまで……」
「3人共、遠慮なんかしねえで腹一杯食えよ?」
「はいっ!」
「ありがとうございます!」
「すいません、アキラさん。助けてもらった上に、こんな上等なお酒とゴハンまで」
「だから祝いだからいいんだっての。いいから飲んで食え」
「……はい。いただきます」
クニオの話を聞きながら氷の入っていない焼酎の水割りを飲み、明らかに虫系ではないツマミを選んでほんの少しだけ食う。
そんな風にして時間を潰していると、不意に尿意を覚えてどうしたものかと途方に暮れた。
「なあ、くーちゃんよ」
「だーかーらーぁ。くーちゃんは、ふたなりの女の子として愛されたいの。わかるぅ? だったら相手は男でも女でもいい訳じゃん。そうでしょ?」
「おーい」
「えっと、どうしたんですかアキラさん? この話になるとくーちゃんさんは止まらないんで」
「いや、便所に行きてえんだがよ」
「ああ。なら、ぼくが案内しますよ。こっちです」
「サンキュ」
立ち上がったヤマトが向かったのは、ずっと開け放ったままであるらしい大きな鉄製のドアだ。
そこをまた抜けて、体育館の裏手へと案内される。
「ここが公衆トイレです」
「ちなみに中はどんなだ?」
「どんなって。普通に浅く穴が掘ってあって、そこに用を足すだけですけど」
「やっぱしか……」
しかも、浅い穴が掘ってあるだけとは。
それじゃ小舟の里のトイレより酷い。
あちらも似たようなものではあるが、深さはかなりあって頻繁に汲み取り作業もされているのでまだマシだ。
鼻で息をせず、周りもあまり見ないようにして用を足す。
一応は個室もあるのでそこのドアを開ける事も考えたが、手洗い場すらないトイレなのでノブに触れる気にもならなかった。
「おかえりなさい、アキラさん」
「待たせてわりいな」
「いえいえ」
「なあ、ヤマト」
「はい」
「こんな街で暮らすの、キツイなって思ったりしねえのか?」
言ってから体育館に向かって歩き出す。
ヤマトは、年に似合わぬ苦笑を見せながら俺に続いた。
「まあ、しんどくないって言ったらウソになりますね」
「だろうなあ」
もし俺がこんな街で生まれ育っていたら、どんな男になっていたのだろう。
早死にして20まで生き残れていないか、ヘタレで人の顔色を窺ってどうにか生き長らえているだけの男になるか。
答えが出る前に体育館のテーブル席に戻ったのだが、そこではクニオがテーブルに突っ伏して寝息を立て、タイチがヤマトの仲間であるノゾとミライと顔を突き合わせるようにして何事かを話し合っていた。
「くーちゃんはダウンか」
「そうっすね。飲むといつもこうらしいっすけど、1時間もすれば起きてまた飲み出すそうっす」
「なるほど。んで、タイチ達はなにを話してたんだ? そんな真剣な表情で」
「いや、それがっすね。このノゾは商人に、ミライは料理人になるのが目標なんだそうっす。んでその下働きとして雇ってもらえる店を見つけるまでって、ああやって山師の真似事をしてたそうなんっすよ」
商人と料理人か。
「ならタイチが紹介してやりゃいいじゃねえか。どうしても浜松の街で修行をしてえってんじゃねえなら、どっちも口を利いてやれるだろ」
「……それはそうっすけど、いいんっすかねえ」
「いいさ。なんなら俺も一緒に頭を下げて頼み込むし。ヤマトはねえのか? やりたい仕事とか」
俺と同じように長椅子に座ってジョッキを持ち上げたヤマトが、照れたように微笑む。
やっぱりあるのか。
もしそうならば、山師の真似事なんて明日にでもやめてしまった方がいい。
小舟の里、磐田の街、天竜の集落。
森町には店や食堂なんてなさそうだが、その3つの街だけでも就職先を見つけるには充分だ。
あとはこの3人が、懸命に働いてゆけばそれでいい。
「夢なら、ありますね」
「ほう。夢と来たか」
「はい。ぼくなんかが言うなと笑われそうですけどね」
「誰が笑うかよ。んで、夢ってのは?」
焼酎の水割りを口に含み、ゆっくりと飲み下したヤマトの瞳に真剣な光が浮かぶ。
「……誰かから奪うのではなく、自分達で作り出す。たとえどんな苦労をしてでもです。そうやって豊かになっていこうと考えている人を見つけて、その人の元で働きたいんですよ。仕事はなんでもいいけど、できれば戦う役目がいいかな」
「なんでわざわざ戦うんだ?」
「ぼくにできるのは、死ぬ事くらいですから」
「けっ。成人前にしか見えねえガキが、何を言ってやがんだか」
「そうっすよ、ヤマト。14歳でそんな事を言ってちゃダメっす。それにそういう夢みがちな男を1人知ってるっすけど、自分より若い子が死ぬなんて絶対に許してくれない大馬鹿野郎っすからね」
誰が夢みがちな大馬鹿野郎だと頭でもひっぱたいてやりたいが、それができるはずもない。
黙って俺も焼酎の水割りを呷る。
「すまん、ちょっといいか?」
そう声をかけてきた男の接近には気が付いていたし、少し前にその一団が梁山泊に入ってきてから何度か視線をやっていた。
当然だろう。
強面の男はそのがっしりとした肩に、負い紐で見た事がない型のアサルトライフルをかけているのだ。
「へ、碧血のカナヤマさん。お、お疲れ様です」
「おう。そっちもお疲れさんな。この様子じゃ、筆おろしは大成功みたいじゃないか。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「それで兄さん、少し話を聞かせてもらってもいいか?」
「ええ。空いてる席にどうぞ。タイチ、これでカナヤマさんって先輩の酒を頼んできてくれ」
「了解っす」