ふと目が覚めた。
何とはなしに、あの銀狼が言っていた時が近づいているのを感じる。
何かが起きる時はいつもこうだった。
頭はまだ霞がかっているというのに、体はまるで何かに突き動かされるかのように布団から抜け出て身支度を整えていく。
普段は寝ている時間といっても、十分に仮眠を取った後という事もあって体は軽い。
着慣れた巫女服を身にまとい、退魔用の札や針を袖や懐へと納める。
最後にお払い棒と陰陽玉を手に取り、雨戸を開け放った縁側へどっかりと座り込んだ。
あぁ、今日は気持ちの悪いくらいに大きな大きなまんまるい満月だ。
深夜だというのに怖いほど辺りを照らし出す月を見上げながら、これからの行動に考えを巡らせる。
相手は妖怪。
それも間違いなく大妖に分類されるレベルの存在だろう。
昼間に使いに来た銀狼でさえ、そこらの木っ端妖怪とは比べ物にならないモノだった。
……気配というか、威圧感というか……その辺りが備わっていればあの狼自身も大妖の中に分類されるだろうけど、欠片もそう思えない辺りがある意味凄い。
何にせよそんな存在に使い走りをさせている時点で、相手が楽観的に見て同等、普通に考えるならそれ以上なのは確定。
今回は結果的に食料に乗せられる形で話を終えたけど、全くもって面倒くさいの一言に尽きる状況だ。
ついでに、手紙に書かれていた内容が真実である保障など何処にもありはしない。
まぁ元々やらなければならない事だったわけだし、色がついたと考えるとしよう。
はてさて、どうなる事やら。
そんな風にしばし考えを巡らせたものの、まぁなるようにしかならないという結論と呼ぶには少々無理のある結論を出して、ゆるりと月を見上げる。
辺りを漂う赤い霧のせいで、月まで赤く見えはじめた気がする。
…………ォン
しばらく何を考えるでもなく月を見上げていた私の耳へ、小さな遠吠えが届いた。
かなり距離があるようで、途切れ途切れのものだったのに、ただ何となく、あの銀狼のモノだろうと感じる。
……――ォン
そっと目を閉じて耳を澄ませば、立て続けに二度三度と聞こえてくる。
どんどん近くなってくる楽しげな鳴き声。
あちらからすれば、待ちわびた遊びの日なのだろうか?
ォ――――ォン!
遠吠えの音が僅かに腹に響き始めた。
うん、来たわね。
閉じていた目をゆっくりと開いて神社の脇に茂る森へついと視線を投げると、鬱蒼と生い茂る木々の間をまるで風のように駆け抜けてくる銀狼が見えた。
あれだけの速さでそこを潜り抜けてくるかぁ。
中々どうして、やるもんじゃないの。
森を抜けて、縁側に座り込む私の目の前まで一直線。
馬鹿みたいな速度を出していたくせに、ほとんど音も立てずに急停止。
おや、起きていましたか。
「あんな素敵な遠吠えが聞こえたんだもの、それは起きるわ」
それは失礼。
でもこんなに綺麗な月夜なんですから、遠吠えをあげるのは狼として当然の事じゃあないですか。
それに何よりも、楽しい楽しい遊びが始まるんですから……楽しまなければ損をするだけですよ?
遠吠えで起きたのでは無いことくらい判っているだろうに、にやりと口の端を持ち上げながら答えを返してくる。
こちらもその雰囲気に当てられたのか、気分が高揚してくるのを感じた。
あちらさんは『お遊び』と言っているのだから、まぁ間違っていないと言えば間違っていないか。
さあ妖怪退治、異変解決の始まりだ。
「行くわ。案内なさい」
ようこそお嬢さん、楽しい夜へ!
まるで開幕を告げるかのように、私の目の前で狼が吼えた。
誇らしげに胸を逸らして、まるで月を飲み込まんばかりに大口を開けて楽しげに。
…………ちょっとは加減しなさいよ、馬鹿。
み、耳が……!
「よーこそ、紅魔館へ!」
「いらっしゃい!」
メイリンさんとフランさんの歓迎っぷりに、私と一緒にやってきたレイムさんが呆れているのをひしひしと感じてしまいます。
何せレイムさんの目が見事に半月ですもの。
先ほどまで何だかんだ言いながら張っていた緊張の糸が、この歓迎でぷっつり切れてしまったようです。
然もありなん。
「……あれ?」
「外しちゃいましたかね?」
精一杯の歓迎を披露した二人は、両手に持った小さな旗をぱたりぱたりと揺らしながら首を傾げ合い。
旗に書かれているのは『ようこそ紅魔館へ』『博麗の巫女さん歓迎』『今夜は寝かせない』『お触り有料』等々。
あれ半分は間違いなく小悪魔さん作ですよね。
本人曰く『一応サキュバスですから、私』との事で、唐突にピンクな方向へ爆走しますし。
普段あれだけ、あれだけ落ち着いた人……いや、悪魔なのに。
少々白けた空気の漂う中、とりあえずフランさんの下へ歩を進めて寝そべっておきます。
最近のフランさんは私の背中の上がベストプレイスらしいですから、乗りやすいように。
そうした途端に感じる軽い軽い重みが嬉しかったり。
「やっぱりここが一番落ち着くなぁ」
それは何より。
私も最近はフランさんが乗っていないと背中が寂しく感じるようになってしまいましたよ。
「相思相愛?」
ある意味間違っていません!
そんな風に私とフランさんが笑い合うと、正面と横から呆れたような視線を頂きました。
レイムさん、メイリンさん、その視線の意図は何でしょうか。
「ごちそうさま」
「異変の空気じゃないですよね、これ……」
ひらひらと手を振りながらおざなりに口を開くレイムさんと、腕を組んで深い溜め息を吐くメイリンさん。
でもメイリンさんは自分もその空気をぶち壊した一人でしょうに。
「……紅魔館の門番、紅美鈴です」
私の抗議の視線を受けてから数瞬、目を逸らしてあからさまに話題を変えたメイリンさん。
そんな風に自己紹介に入ったものだから、レイムさんがまた呆れた顔をしているじゃないですか。
「博麗の巫女、博麗霊夢」
あーあーもう好きにしなさい、と言わんばかりに投げやりな名乗りを返して、あんたらは?と言わんばかりの視線を向けてきて……あれ?
えーと………………あ、あれ?
「主の妹、フランドール・スカーレット!」
あぁ……フランさんも自己紹介を済ませてしまいましたか。
いや……でも、私……あれ?
「………どうしたの?」
私の上から不思議そうに聞いてくるフランさんには悪いのですが、返事を返そうにも、その……。
今になって思えば、紅魔館での私の位置づけって一体何ぞや?
最初にレミリアさんから言われた『しばらく好きにするといい』以降、特に身の振り方について言われた事はありませんし。
「もしかして自己紹介の肩書きが無いから、とか?」
悩む私に向かって、ずばりと飛んできたメイリンさんからの指摘が私の胸にくりてぃかるひっと。
あっさりと図星を突かれたせいで、返す言葉が何ら頭に浮かんできません。
ああ困った、いやはや困った、どうしよう困った!
「……えーと、飼い狼?」
「自宅警備員?」
メイリンさん、フランさん……お二人とも、そんな私を見かねて助け舟を出してくれたのは嬉しいのですけれども、船の形は嬉しくありません。
まるで何もやっていないかのような肩書きは流石に……さ、さすが……に?
しーんと静まり返った、綺麗な月夜。
静かさがいたたまれない。
……い、居候のスコール、です。
無い頭を絞って何とかひねり出した肩書き。
ええ、ええ、自分でもわかっていますとも、現実逃避だって。
だからレイムさん、そんな私の苦悩へ生暖かい視線を送らないでください。
「スコール……居候なんかじゃなくて家族だよ?」
どうしようもない状況な私の頭を、小さな腕でぎゅっと抱きしめてくれるフランさん。
ああ、こんなに良い月夜だからか、涙が零れちゃいそうです。
「……今度一緒にお伺いを立てに行きましょうか」
そしてぽふりと鼻先を撫でてくれるメイリンさん。
でも今は優しさが痛いんですよ。
わかってください。
ろくな返事も返せずに、足取り重くのそのそと紅魔館を囲む高い塀へ向かって一直線。
そのまま塀へ向かってだらりと地面に転がります。
ああ、何かもうやだ。
自己嫌悪ひゃほーい。
「……拗ねちゃったわよ、スコールとやらが」
「あ、あはは、は」
「…………」
「…………」
「始めましょうか」
「あ、それじゃ今回のルールを説明しておきますね」
一人勝つ毎にカードを進呈、全部集めれば賞品ゲット!
そんな胡散臭い雰囲気の漂う文句を聞き流しながら、自暴自棄の海へすこーるインしたお状態。
あは、あはっは……はぁ。
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「スコォ―――ゥル!」
はいっ!?
いきなり耳元に響いたフランさんの叫びに、思わず直立不動の姿勢を取ってしまいました。
……あれ?
「寝てましたね?」
後ろから不満げなメイリンさんの声も響いてきます。
…………あれ?
「しばらくそっとしておこうと思っていましたけど……」
「途中から気持ちよさそうに寝てたよ」
「へぇ、そうなんですか?」
「うん、だって頭を撫でたらふすーふすー言いながらゴロゴロ喉鳴らしてたもん」
壁を向いたまま、どうしようと悩んでいる私を追い詰める事実が突きつけられました。
こうなってしまっては仕方がありません。
むかーし小さな眼鏡をかけながら本を片手に小悪魔さんが教えてくれた、こういう時の対処法そのいちの出番ですね、これは!
……てへ♪
困った時は笑ってごまかせ!
えーと、とりあえず笑ってごまかせ!
そしてそのままフェードアウトすべし!
「……その毛皮、刈り取って私のマフラーにしてもいいですか?
冬に外で門番やってるのって結構寒いんですよねぇ」
その言葉を受けて、じわりじわりと逃げるために立ち上がろうとしていた体が反射的に動きました。
その場で180度ターンをかましてから、これまたむかーし小悪魔さんから教えてもらったスライディング土下座とやらを敢行。
私がやっても伏せにしか見えないと評判だったこの技を以ってしても許してもらえないなら、本当にもう逃げるしか手は残っていません。
いやでも、きっと後から暖かい物の差し入れでもすれば許してくれるはず!
その状態からそーーっと上目遣いにメイリンさんの様子を伺うと、冷ややかな視線を頂きました。
許して下さい後生です、という思いをじーっと目で訴えかけても、相変わらず冷ややかなままでした。
無意識のうちにじりじりと後ずさる私の体でしたが、そもそもの場所が塀の前。
すぐにぽすんとお尻が塀にぶつかって、もう後ろには下がれません。
「……スコール、私に何か言う事は?」
ご、ごめんなさい。
謝罪への反応も無しに、じーーーーっと目を見つめられるだけっていうのはつらいです、メイリンさん。
何か、何か言ってくださいよ、ねぇ?
「これから一ヶ月、私の所に来てもオヤツはあげません」
!?
「小籠包も餃子も焼売もあげません」
なん、ですって……!?
「貴女が好きだったキンキンに冷やした緑茶も出してあげません」
そ、そんな!?
「人が人外巫女を相手に奮戦してる横で、なに呑気に居眠りをしているんですか!」
「でも美鈴、終始押されっぱなしで良い所は全く無かったよね?」
メイリンさんの怒りの咆哮に対するフランさんの突っ込みで、沈黙が訪れました。
それまでの勢いはどこへやら、ぴたりと止まったメイリンさん。
……あれ?
いい所が、なかった?
「うん、だって巫女さんはスペルカードを一枚も使ってないもの」
「うぐ!?」
……め、メイリンさんだって仕事できてないじゃないですかっ!
あんなに私に怒ってたくせに!
「私はちゃんと頑張りましたよ!?」
パチュリーさんがいつも言ってるじゃないですか!
『結果の伴わない努力なんて時間の無駄よ』って!
「何言ってるんですか!
結果なら伴ってますよ」
何処にですか?
「巫女の札と針を消耗させました」
胸を張って自慢できなさそうな事を堂々と言い放つメイリンさん。
ある意味潔いですけど……えー……?
「悪いけど、さっき使ったのは古いヤツだからあってもなくても大して関係ないわよ?」
そんなメイリンさんに現実を突きつけたのはレイムさん。
「……全然?」
「邪魔になりかけてたやつだから、処分としては丁度良かったけど」
そんな言葉を受けて、腕組みをしながら天を仰ぐメイリンさん。
様になっているんですけれども、ちょっと違った意味で物悲しい雰囲気が漂ってますよ。
いや、気持ちはすごいわかりますけど。
だって、サクヤさんが……ねぇ?
こうして言い争っても、結局二人仲良くナイフの餌食になる事はうけあい……現実は非情です。
「……うん、この問題は終わりにしましょう。私は何も見なかったし、何も言わなかった」
……そうですね、私もメイリンさんの奮戦をこの目で見ていました。
「そう、それでいいの、それがいいの」
今この瞬間、メイリンさんと心が通じ合った。
サクヤさんのナイフ怖い。
下手な妖怪なんかより、よっぽど怖い。
「いえ、見ているんですけどね?」
「……見逃してあげなさい」
「……かしこまりました、お嬢様」
館の窓辺での一コマ。
やたらとにこやかに『門番』と書かれたカードを巫女に手渡す門番や、それをじっと見守る狼や、苦笑いをしている可愛い可愛いフランなんて見ていない。
それに対して心底呆れた顔をしている紅白巫女なんて見ていない。
そう、決して見ていない!
「レミィ」
「……何よ?」
「ここ読んでみて」
私と同じテーブルについて本を読んでいた魔女が、テーブルの上に積み上げられていた本の中の一冊を私の目の前に開いた。
ここ、と白く細い指先が示した一文は……
「ふむ……『戦わなきゃ、現実と』?」
「こういう時は逃げちゃ駄目だってひたすら唱えるものらしいわよ」
抑揚をつけずに淡々と紡がれたその言葉を受けて、夜空に浮かぶまんまるな月を眺めながら一つ頷く。
「……咲夜、紅茶をお願い」
「お砂糖とミルクは?」
「アリアリで」
「かしこまりました」
うん、忘れよう。