暖かいようで冷たい、そんな矛盾した何かが私の中に入ってくるのを感じる。
得体の知れない何かだというのに嫌な気分にならないのは不思議だった。
じわりじわりと私の中に広がっていくそれにしばらく意識を向け続けていて、ふと気がついた。
どうやら私は死ななかったらしい。
相変わらず動きはしないものの、体をしっかり感じる事ができる。
悪くないと笑いながら消失を受け入れたあの時のような、あたかも体を喪失したかのような感覚がない。
そんな驚きを感じているうちにも体は回復していく。
少しずつ自分の耳に音が戻ってきて、近くで何かを言い争っている者がいるらしい事に気づいた。
最初は声がするとわかる程度、次に断片的な言葉、やがては会話へと。
回復の早さに舌を巻く思いと共に、何を言っているのかが気になって仕方が無かった。
私が居ることで争っているというなら出てゆこう。
幸いな事にまた歩ける体にしてもらえるようだから問題はない。
そんな諦めの感情を自覚しながら会話に聞き耳を立てていると、私が想像していた内容とは違うことにまた驚かされた。
聞こえる声は二つ、からかう声とからかわれる声。
どちらも悪意を感じない、じゃれあうような掛け合いだった。
そんな喧騒の中、私が意識を取り戻した事に気がついたのか、声を上げていた者たちとは別の誰かがそっと私の体に触れた。
何も言わず、触れたまま私を探るような気配だったけれど、それに対して何を思うわけでもなかった。
異物に警戒心を持つのは当然の事であって、警戒心を持たない者の方が逆に怖くて仕方が無い。
別段危害を加えられそうな雰囲気でもなかったのでそのままじっとしていると、さらりと頭を撫でてくれた。
くすりと、かすかに笑われたような気もする。
……でも、これまで私をこんな風に撫でてくれたのは優しいカミサマたちだけだった。
私はカミサマに拾われたのだろうか。
そんな誰かの行動によって、私が起きた事に皆気づいたらしい。
一斉に視線が向けられたのを感じる。
暢気な視線、警戒した視線、期待の視線、無機質な視線。
ここまで雑多でわかりやすい視線というのも珍しい。
だからこそ、これほど様々な視線を私に向ける者たちの顔が見たいと強く願った。
耳が回復しているのだから、もしかしたら目も少しは見えるかもしれない。
おそるおそる、相手を刺激しないようにゆっくりと目を開ければ、ぼやけてはいるが人の形をした者たちが見えた。
小さいのが二つ、中ぐらいのが一つ、大きいのが二つ。
小さい赤いのが何かを言っている。
声は感じられるのだが、先ほどの喧騒ほど大きな声ではないこともあって、何を言っているのかはっきりと聞き取れない。
ただ、私に何かを問いかけているということは何となくわかった。
それに答えを返せないのがもどかしい。
どうしたものかとしばらく考えて、ふと敵意がない事くらいは示しておかねばと思い立った。
横たわったままほとんど動かない体へ必死に鞭打って腹ばいになろうとしたが、失敗。
足がほんの少しばかり空をかくだけに留まる。
もう一度とばかりに力を込めていると優しくぺしりと頭を叩かれた。
そのまま優しく優しく、まるで小さな子に大丈夫だと言い聞かせるように撫でてくれるのを感じて安堵する。
せめて、と何とか動かせる目をそちらへ向ければ、緑色の大きめな影が見えた。
ふわふわと頭を撫でられる感覚に身を任せていると、先ほどの無理が祟ったのか、私の意識は再びゆるゆると落ちていった。
もしこれが夢であろうとも、願わくばまた見ることができますように。
-----------------------------------------------------
「また眠っちゃいましたねぇ」
先ほどまでの優しく撫でる手つきとは打って変わって、もしゃもしゃと毛並みを楽しみながら女性が笑う。
狼が眠った途端に遠慮が無くなった。
最初に触れた時の気配からとりあえず害はないと判断し、さらりと必要最低限の警戒を残して楽しむことに専念しはじめる。
暢気な彼女にとって今の最優先事項は、多少荒れてはいるものの立派にもふもふとした毛皮を楽しむこと。
仮にこの狼が突然覚醒して自分に何か危害を加えようとしても、それに対応する程度の事はできる。
だから、とりあえず今は毛並み、そう毛並みを楽しむのだ。
もふもふですよ、もふもふ!
久しく感じることの無かったもふもふが、今私のこの手の内に!
いいなぁいいなぁやっぱりわんこはいいなぁ……
……ぐぅ。
毛並みを楽しんでいた女性が驚きの速さで毛並みを枕にして眠りについたそんな横で、残された者たちは一同に呆れをにじませた。
色々早すぎるでしょう、と。
でもちょっとだけ羨ましいかもしれない、とも思った。
仮にも女性が遠慮なしに抱きついて眠りにつける程度には綺麗なもふもふなのだから。
しかしながらそのもふもふ具合に関連する言い争いが起こった事もあって、他の者は一歩を踏み出しにくい状況。
吸血鬼が狼を館に持ち込んだ後、魔女が真っ先に使った魔法は身体浄化で、その後に最低限の生き延びるための治癒魔法をかけ、周囲に漂う治癒に必要な要素を少しずつ取り込ませる魔法陣の中へ放り込んだ。
土や草の臭いに始まり、獣独特の臭いが酷かったからと、浄化を優先した時の事はつい先ほどまで揉めていた。
その間に死んだらどうする!
そんな簡単に死にはしないから大丈夫でしょう?
普段はカリスマだとか貴族の嗜みだとか口にするくせに姦しく騒ぐ吸血鬼と、それをあしらいながら、更には本を読みながらも狼に対する警戒を緩めない器用な魔女の言い争い。
傍に控えていたメイドが音も無く紅茶の満たされたカップを二つ用意して、二人に挟まれていたテーブルへと置いた事でしばらくは沈静化したものの、時間と共に再燃。
あの狼が一瞬目を覚ましたのはこれが原因なのではないだろうかという考えがメイドの頭をよぎった。
そんな二人を視界に収めながらも、メイド自身はこの狼に対しては特に何を思うわけでもなかった。
元々自分も拾われたようなものだし、この狼を拾ってきたお嬢様の様子からすると館に置くことになりそうだけれど、拾われてくる程度の狼一匹でどうにかなるほどヤワな館でもない。
暇だからと歯ごたえのある敵を持ち帰ったわけでもなく、純粋に興味からのようで好戦的な色は感じられなかったから尚更。
それに、まだ意思の疎通すらできていない状態で今以上を望むことはない。
何よりも、多少矛盾した表現ではあるが、何かあっても何もならないのだ、この館では。
夜の支配者とまで謳われる吸血鬼を筆頭に、多種多様な魔法を修めた魔女、普段は暢気な隠し事だらけの門番、少々特殊なメイドの自分。
数こそ少ないものの、戦力という意味ではこの幻想郷というバケモノだらけの土地でも指折りだという自信がある。
この館に住むことになる狼も、いずれそれを思い知るだろう。
……この館に住むことになる狼?
訂正、何を思うわけでもなかった狼に対して少しだけ思うところができた。
狼はイヌ科だ。
イヌ……私が自称したわけではないけれど、悪魔の犬の座を取られるのは少々癪だ。
お嬢様に付き従う者として割と気に入っている肩書きなのだから。
いや、まだ私にはまたまた誰が言ったか、パーフェクトメイドの肩書きが残っている。
普段と何ら変わることの無い微笑を意識して浮かべながらそんな考えが渦巻き続けた。
そんなどこか混沌とした場が終わりを迎えたのはその次の日の夜のこと。
人間の基準で考えれば長いものであっても、そこは悪魔の館。
その程度の時間でどうにかなるほどやわな存在はこの場に居なかった。
流石に眠っている狼の様子を見るだけというのには飽きたのか、図書館から持ってきた様々な本を片手に紅茶を嗜みながら、時折一言二言の言葉を交わすのみ。
ゆるりと時間が流れるそんな場所で、ようやく眠っていた狼が目を覚ました。
耳がぴくりと動いた。
続いてかすかに鼻をすんすん。
そうしてようやくうっすらと目を開けた。
その場に居た皆の視線が狼に集まる。
狼は再びゆっくりと目を閉じて鼻から息をふすー。
…………?
「寝るな!!」
「!?」
つい瀟洒ではない突っ込みを入れてしまった自分は悪くないと思う。
寝ている狼を見ているだけというのも飽きていたのだから。
狼はお腹の辺りにしがみついて眠っていた美鈴もなんのそのと言わんばかりに雄雄しく立ち上がって固まった。
しぶとく毛並みにしがみついて眠りをむさぼる者の姿もあって、非常に絵にならない。
しかし立ち上がったはいいものの、どう行動していいのか悩んでいるような気配がする。
まるで置物のように微動だにせず、そのくせ目線だけはこの場に居る者たちの間を激しく行き来していた。
その視線が私に向けられた瞬間ぴたりと止まる。
何やら怯えているような視線を向けられている。
失礼な。
「咲夜、そんなに睨まないであげなさい。怯えてるじゃない」
お嬢様に窘められて、ようやく今の自分の目つきを自覚する。
どうやら思っていた以上に苛立っていたらしい。
「嫉妬でもしているんじゃないの?大方『私のお嬢様がとられてしまう』といったあたりで」
パチュリー様にまでからかわれた。
これではパーフェクトメイドの名折れ!!
時を止めた上でむにむにと顔をほぐし、さらりといつもの微笑を浮かべて動きのある世界へと戻る。
傍目には過程をすっとばした変化に見えるだろう。
そのせいか狼からの怯えた視線の強さが増した。
失礼な!
……しかし、相変わらず美鈴は起きない。
そろそろあのいい音を響かせそうな眉間にナイフでも投げてやるべきだろうか。
そんな事を考え始めた私をお嬢様とパチュリー様が揃ってにやにや笑っている現実が、更にその衝動を加速させてくれる。
「さて、あなたはどこのどなた?」
そんな私の観察に満足がいったのか、お嬢様は興味津々といった目を、私に怯えた視線を向けたまま微動だにしない狼へと向ける。
この狼への都合二度目の質問。
一度目は答える事無く眠りに落ちてしまった。
……この問いかけに困ったような雰囲気を滲ませて、私を見ないで欲しい。
きゅんきゅん鳴かれても私には狼の言葉はわからない。
「あら、喋れないのかしら?」
そんな狼の様子に驚いたようなお嬢様へ、狼はわが意を得たりとばかりにぶんぶんと首を縦に振っている。
喋れはしないものの、言葉は理解できているらしい。
色んな意味で都合のいいことだ。
お嬢様がその事について考えをめぐらせている姿をどうとったのか、おろおろとしている狼の姿は面白い。
あ、お腹を見せた。
いまだに美鈴がしがみついているせいで、間抜けな格好以外のなにものでもない。
まぁ……とりあえず言葉はわからないまでも、敵対する気がないのはわかった。
だから怯えたような視線を私に向けるのはやめて欲しい。
私が一体何をしたというのか。
「……咲夜、だからそんなに睨まないであげなさい。
ほら、あんなに怯えているじゃないの」
またやってしまったらしい。
再び先ほどの作業に移る。
むにむに、さらり。
……また怯えた視線を向けられた。
イラっとする。
「顔は笑っているのに黒いわね」
「困ったものだわ」
ひどい言い様ですね、お嬢様がた。
……今度ストリキニーネでも混ぜた紅茶をお出しして差し上げようかしら。
『咲夜特製☆少々特殊なお茶シリーズ』とでも銘打って手に入る限りの毒物……げふんげふん、隠し味を込めて。
お嬢様はどう転んでもその程度で死にはしないし、たまにある当たりを楽しんでらっしゃるから許されると思う。
仮に、万が一それで動けなくなったら、それはそれで私のお楽しみタイムがやってくるだけだ。
動けなくなったお嬢様を介抱して差し上げて…ああ、瀟洒が鼻からあふれ出しそう!
ついでにパチュリー様は……まぁ小悪魔がいるから何とかなるでしょう。
あの子、何気に薬に詳しいし。
「お嬢様、今はそれよりもあの畜生の扱いを決めるのが先ではないでしょうか」
「畜生って……」
そんな事を考えながら口を開いたせいか、つい本音が漏れてしまった。
お嬢様から向けられる『咲夜、疲れているのよ貴女』という視線が痛い。
どうにも今日は調子が狂っている。
びーくーるびーくーる。
そう、COOLだ。
KではなくCだ。
そんな風に自分を戒めていると、いつの間にかお嬢様がお腹を見せたままの狼に近づいてその目を見つめていた。
馬鹿みたいに大きな狼をじっと見つめるその姿は、まるで無邪気なちびっこの様。
ああ、何てお可愛いらしい!
しばらくそんな状態が続いた後、おもむろにお嬢様が口を開いた。
「あなた、私達と敵対する意思はある?」
狼と見つめあいながらの言葉に、問われた狼は慌てたようにうつ伏せになって首を大きく横へ振る。
やはりしっかりと言葉は理解できているようだ。
「じゃあ、私達が怖い?」
狼がちらりと横目でこちらを見た。
私に視線を向けるんじゃない。
失礼な!!
「咲夜を除いたら?
あ、咲夜っていうのはあの凄い目で睨んでいる人間ね」
ちょ、酷いですわお嬢様……!?
狼は少し考える素振りを見せてから、再び首を横に振った。
……後で覚えていなさい。
この館で暮らすことになるであろう貴方の食事は、私が握っているのよ?
自分でも黒いと思う考えを浮かべながら伏せている狼の目を見下ろすと、狼はがくがくと震えた。
「じゃあ次が最後の質問ね。……ここに居たい?」
それまではどこか楽しげに問いかけていたお嬢様の雰囲気が変わった。
NOとは言わせない。
NOと言える日本人?そんなものは都市伝説だ!
そう言わんばかりのオーラを滲ませながらの問いかけは、最早脅迫以外の何物でもありません。
ああ、流石お嬢様!
カリスマが溢れていらっしゃいます!!
相手が日本人ではなく畜生だというのを除けば完璧です。
あぁ、日本人のくだりは私の想像でした。
完璧です!パーフェクトです!!お嬢様!!!貴方こそが真のお嬢様チャンピオンです!!!!
……今回は顔にも口にも出していないはずなのに、パチュリー様から呆れた視線を向けられた。
ついに読心魔法でも身につけられたのでしょうか。
対策を考えながらさらりとお嬢様と狼へ視線を戻す。
お嬢様の最後の問いかけ以降動きが見られない。
未だ縦にも横にもその首は振られていない。
目線だけがゆっくりとこの場に居る者たちの間で動いている。
一周、二周。
ゆっくりと何度か目線が動いた後に、狼はお嬢様の顔色を伺うかのように、おずおずと首を縦に振った。
その時にようやく敷いたままだった美鈴に気づいたようで、一瞬びくりと体が揺れる。
気づくのが遅い。
美鈴のせいでズレた視線を慌てて目の前のお嬢様に戻して、どうやら再び顔色を伺っているようだ。
上目遣いに『いいのかな、大丈夫かな』と、そんな考えが透けて見えるような様子だった。
お嬢様もお嬢様で、そんな狼の目をじっと見つめ続けている。
しばらくそんなにらめっこが続いた末、華の咲いたような笑みを浮かべたお嬢様の宣言がなされた。
「よし、ここに住むことを許可しましょう!
その体が回復しきるまで、しばらくは好きにするといいわ」
半ば出来レースのようなものだったとはいえ、これで狼は正式に紅魔館の一員となったわけだ。
喜べ畜生!
……それはそうと、先ほどのおぜうさまの笑顔がクリーンヒットしたので鼻血が出そうです。
いえ、出しませんけど。
「……咲夜、いい加減自重しなさいね?それでなくともレミィが珍しくカリスマを発揮しようとしているんだから」
「面目ありません」
そんな私たちのかけあいに目もくれず、ずっと狼と向かい合ったままのお嬢様。
居住の許可からこちら、ピタリと動きを止めた狼に再びお嬢様が問いかけを口にした。
「ところであなた、名前はあるの?」
ああ、さっきのが最後の質問じゃなかったわね、とくすくす笑うお嬢様に鼻血の危機が再びやってきた。
そんな私の考えなど読めるはずもない狼が、どこか呆然としたままふるふると頭を力なく横に振るのを見て、顎に手を当てて思案を開始するお嬢様。
「なら私がつけてもいい?」
そんなお嬢様の提案に、狼は呆然とした様子を崩さないままにゆっくりと、しかし何度も首を縦に振る。
うむ、お嬢様の意向に逆らわなかった点は評価してあげましょう。
食事は残り物の骨に、ほんの少しだけ肉をつけてやろう……ついでにモツも。
「待ちなさいレミィ。
貴女のネーミングセンスじゃ私達が呼びたくないような名前になるわ」
おっとパチュリー君突っ込んだ!!
……待て待て、落ち着け私。
何故だろうか、今日に限って思考が異常だ。
これはいくら何でもおかし過ぎる。
ふとした自覚は加速していき、先ほどまでの自分の思考を振り返って、一瞬背中に冷たいものが走った気がした。
確かに私は猫をかぶることが多い。
犬なのに猫とはこれ如何にと思わないでもないが、それは自覚している。
しかし、猫の中身がここまで酷いのは初めてだ。
「パチェ、それはいくら何でも……」
「あの、お嬢様、私もそう思いますっ」
「……あぁん!?」
「ぴぃ!?」
いつもパチュリー様の後ろに控えて微笑みを絶やさない小悪魔がお嬢様に意見した?
小悪魔がお嬢様へ意見する事なんてこれまで一度たりとも無かったというのに。
「落ち着きなさいレミィ。
古来よりペットの名前は家族全員で決めるものと相場は決まっているのよ」
パチュリー様の言動も少しおかしい。
普段なら大抵の事は呆れたような半目で見やる程度で留めるというのに。
それに、何故美鈴は未だに目を覚まさない?
普段から居眠りが多いとはいえ、ここまで酷くは無い。
そんな疑問が次から次へと頭をよぎる。
「私が拾ってきたんだから、私が名前をつけてもいいじゃない!」
「じゃあ何て名づけるつもりなの?」
「蘇る銀狼」
「名前ですらない」
これはひどい。
そう、敢えてもう一度言おう、これはひどい。
パチュリー様の言うとおり、名前ですらない。
ちょっとシリアスになりかけていた私の頭が一気に冷めました。
俗に言うなら白けました。
この空気で真面目になった所でむなしいだけですよね、ええ。
「それ、さっきまで読んでた推理小説のタイトルじゃない。
もっとましな名前を考えなさいよ」
お嬢様、申し訳ありませんが私もこれはパチュリー様の意見に賛成です。
それに目の前の狼の顔が面白いことになっています。
狼の顔色なんてわかるはずもないのに、何故か泣きそうになっているのがわかる程に。
「ならパチェは何て名づけるのよ!代案無き否定は認めないわ!!」
「ハティ」
さらりと即答を返すパチュリー様に、お嬢様の気勢が一瞬殺がれた。
「……月に大きな影響を受ける私が居るというのに、その名前か」
「じゃあスコール」
「北欧神話繋がりで?」
「ええ」
ハティは月を、スコールは太陽を追い立てる神話の狼……だったはず、うん、あってる。
吸血鬼であるお嬢様の事を考えるなら、大仰な名前だがスコールは悪くない。
十中八九それをわかっていながらハティの名を先に挙げるあたり、パチュリー様もいい性格をしている。
パチュリー様の提案からしばらく考え込んだ後に、お嬢様はふむと一つ頷いた。
どうやら納得がいったらしい。
狼に向かって尊大に胸を張りながら口を開く。
しかしながら見た目は可愛らしい子供が胸を張っているようにしか……考えてはいけない、そう、尊大に胸を張っているのだ!
「このレミリア・スカーレットがお前に名を与えよう。
これよりお前の名はスコール。
その名に恥じぬよう、我らが敵の悉くを屠る牙となれ」
「その聞いてるこちらが恥ずかしくなるような口上……厨二病に感染でもしたの?
最近外の世界で子供たちに流行っている難病らしいわよ?」
すばらしい合いの手だった。
今日のパチュリー様は一味違う。
ピキリと固まったお嬢様のお姿を横目に、先ほどから動こうとしない狼へと目を向ける。
あー、うん………見なければ良かった。
目を向けた瞬間、湧き上がった感情はそれだった。
じっと伏せたまま、泣き出しそうな空気を滲ませて呆然とお嬢様へ目を向け続けている。
それは言葉にするならば、ようやく悲願を達成して、やっと実感が伴ってきた者のような様子。
先ほどまではどこか夢心地といった風な狼だったが、しかし、今現実としてそんな狼がそこに居た。
あぁ、少々まずいかもしれない。
こう見えて割と涙脆いのよ、私は。
とりあえず止まった時の中へ退避する準備だけはしておこう。
私の涙を見せる相手はお嬢様だけでいいもの。
そんな事を考えた直後、この部屋どころか館その物が揺れているのではないかと錯覚する程の鳴き声が響き渡る。
この上ない程にありありと感じられる達成感、その喜びの感情が、そのまま音になったかのような錯覚を覚えた。
びりびりとお腹に響くそれがじわりじわりと胸に上がってくるのを感じて、予想していた通りに目頭が熱くなってきた。
タイム、私の世界へしばし退避。
私がここに受け入れられた時の事を思い出してしまった……不覚。
まぁでも……ええ、歓迎はしてあげましょう。
相手は極上の悪魔なのに、差し伸べられた手がまるで神の手のように感じられるあの感覚は味わった者にしかわからないもの。
色々と思うところがないわけではないけど、流石に、ね?