片頭痛に耐えられずに意識を失ってから1日が経った。結局あの後は意識を失ったままボーデヴィッヒに保健室まで運ばれたみたいだった。起きた時にはボーデヴィッヒの姿がなかったので、保健室の先生から聞いた話だ。保健室の先生は、大変だったね、と車椅子を器用に動かしながら保健室の中を動き回って仕事をしていた。
保健室の先生が連絡したようで、ボクがベッドの上でぼんやりとしていると千冬姉さんが猛ダッシュで滑り込んできた。保健室の先生に騒いじゃ駄目ですよ、と注意されてたけど、知ったことではないと注意を無視してボクを抱きしめてくれた。気持ちが落ち着いてくる。やっぱり千冬姉さんはボクにとって大切な存在なんだ。
「あらあらまあまあ。ちょっと忘れもの取りに行ってきますね」
保健室の先生が気を使っていなくなると、千冬姉さんがボクをベッドに押し倒してきた。されるがままに押し倒されてみると、千冬姉さんが頭を抱きしめてくれた。
「一夏。気分はどうだ」
頭の上から千冬姉さんの心配そうな声が聞こえてくる。迷惑をかけてしまったことに罪悪感が圧し掛かってくるのと同時に、千冬姉さんが心配してくれている事実が心を満たしてくれる。
「もう大丈夫だよ。だいぶ良くなった」
千冬姉さんの背中に手を回して抱きしめ返す。これで伝わったのかは分からないけど、千冬姉さんの腕の力が弱まったので、もしかしたら伝わったのかもしれない。
「保健室からの内線でお前の名前が飛び出てな。慌てたぞ。連れてきたのがボーデヴィッヒだとも聞いた。その場に居たということは、私の言ったことを実行したということか」
「言ったこと?」
なにそれ。聞いていないこと聞いてしまったけど。
「ああ。朝の話だ。理不尽に暴力を振るったんだ。一夏に謝るのは当然のことだろ」
「だから謝ってきたのか。唐突だからびっくりしたよ」
「だろうな。あの見た目と態度だ。驚くのも無理からぬことだ」
ベッドの上でボクを抱きしめたまま笑う千冬姉さん。教室で教鞭を振るっているときの凛々しさがなくなって、ホッとするような温かい笑顔が見えた。やはり、千冬姉さんも気を張っている。それはそうかもしれない。知りもしない生徒たちを教えているのだから、その負担はとても推し量ることなんてできない。
少しでも負担を減らしてあげたい。でも、負担の原因がボクにあることを考えてみると、その負担を減らすのは並大抵のことじゃない。
「おかしな顔してるぞ。要らんことを考えている証拠だな」
頬をこねくりまわされる。ボクを掴んで離さないようにしてくれる指が肌を滑っていくのが心地好い。
千冬姉にはかなわない。きっと何年、何十年経ってもかないっこない。きっと、記憶を失う前の織斑一夏もかなわなかったんだと思う。千冬姉さんがこんなにも想ってくれていたのだから。
「お前は私の大切な弟だ。今も昔もこれからもな。だから迷惑をかけたくない、なんてことは考えなくていい。むしろどんどん迷惑をかけてこい。その程度の迷惑如きが私の負担になることはないのだからな」
不敵に笑う千冬姉さんのなんと強いことか。ボクは永遠に姉離れできない未来しか想像できない。それでも良い気がするけど。
「じゃあ……迷惑かけ続けるよ。よろしくお願いします」
「おうよ。よろしくお願いされてやる」
互いに抱きしめ合ってそのままゴロゴロとベッドの上で転がり続ける。穏やかな時間だ。教室の中でも寮の部屋でも浸れない。幸せが溢れてきて、吐息となって口から漏れ出してくる。身体の中も心も温かくなってくる。
暫く、ボクも千冬姉さんもベッドの上で穏やかに過ごし続けた。
穏やかな時間の終わりは保健室の内線電話が鳴って、気を利かせて出ていってくれた保健の先生のお叱りによって告げられた。
もう少し待ってくれればいいのにと思って時計を見てみれば、起きてから2時間も経過していた。それはお叱りの1つや2つあるかもしれない。
真実は捻じ曲げられてしまうのが世の常だったりする。それはもうグチャグチャのぐにゃぐにゃな針金細工のようにだ。面白おかしく捻じ曲げられたとしても、噂の主役としては迷惑でしかないし、悪い方向に捻じ曲げられても迷惑の言葉は外れない。
今回の件に関しては、悪い方向に捻じ曲げられてしまった噂であり、ある意味では真実であり、大体が嘘であったりする。
しかし、ボクのような発言力の足りない人間の声を誰が受け止めてくれるか。それは違うよ、とコトダマを発射して信実の追求ができればいいが、ボクは静観決め込むことしかできていないのである。
「許さんな。許したくもない」
箒が腕を組んで鼻息荒く吐き捨てる。不機嫌を絵に描いた表情は、デッサンの見本にできそうな出来栄えでまさしく不機嫌だ。
「うくくく。アタシが居ないところで汚いやり口じゃないの。アタシの一夏に手を出してくれちゃって」
机の角に人差し指を忙しなく打ちつけて呻く鈴。苛立ちを表情には出していないけど、指先からデスビーム並の苛立ちが撃ち出されていることはボクにしか見えていない気がしないでもない。
先日のボーデヴィッヒの謝罪の一件がおかしな風に変化を遂げて伝わった結果である。誰かが目撃したのか、新聞部という悪しき部活によって捻じ曲げられた内容がIS学園に拡散され、ウィルスのように生徒に感染してしまっている。その被害は漏れなく箒と鈴にも向かってしまい、このような堪忍袋の緒が切れかけているという事態を生み出してしまっている。
「大丈夫か。何でも言ってくれ。力になるから」
そして、要らんとこにも影響を与えちゃっている。篠ノ之がダッシュでやってきて力んでいる。ごめん、力んだまま帰って。そちらさまの背後に控えるご令嬢が嫉妬の目を向けてきているのが嫌だから。それと、おんなじ感じの視線を向けてくる貴公子も鬱陶しいので。
「ふうん。情けないと思いませんの? まぁ、一夏さんと違いますから仕方ありませんわ」
オルコットが嫌味と篠ノ之アピールを同時にこなす。器用なことでなによりだ。
「ええと、とにかく怪我なくてよかったね」
嫉妬の視線は篠ノ之に向いていることが判明。ボクに向ける視線は完全に心配だけしか含まれていなかった。それでも要らないけど。
道行く人から「大丈夫」とか「怪我ない?」とか声をかけられてしまう。それもこれも悪しき新聞部の悪質な新聞のせいだ。無駄に文章力の高さを見せつけてくれる将来有望な新聞のせいなのだ。
織斑一夏襲撃される。
これが新聞の見出し。間違ってるけど間違っていない。確かに突撃的な謝罪を受けたので、襲撃を受けたと言えばその通りであるし、内容を鑑みれば全然襲撃されていない。
見出しに続く中身は、事細かに嘘が書かれていた。
放課後の1年1組の教室で、織斑一夏が独りになるタイミングを見計らっていた。接近し、落とし物をしたふりをしてしゃがみ込み、隙を見てアッパーでノックアウトした。倒れた織斑一夏はそのまま気を失った。犯人は走って逃げ去った。
これが中身である。ほぼ100パーセント嘘で構築されている。アッパーを受けた記憶がない。しゃがみ込んだどうのこうのは、きっとボーデヴィッヒが土下座したことだろう。そこからのアッパーがよく分からない。
勝手に片頭痛で倒れただけだっていうのに。まぁ、ボーデヴィッヒのせいで倒れたかもしれないから間違いじゃない気もするけど、完全にたまたま片頭痛がきただけな気もする。
頓珍漢な内容でIS学園という小さな世間を沸かせた新聞部の活躍に、意味不明な罪を背負わされたボーデヴィッヒ。自分の席で腕組んで黙りを決め込んでいる。周囲の心無い視線もそよ風に吹かれた程度の心地なのか、反発も怯えも見えてこない。それどころか、頭がふらりふらりと不規則に揺れ動いている。船漕いでた。図太いのか、大物な。船だけに大物だと思う。
「寝込みをやれば一刀で終わるな」
ネバーランドへ船旅中のボーデヴィッヒを確認した箒が爽やかな顔して爽やかじゃないこと言ってる。どこから持ってきたのか刀を片手に構えてるし。真剣だと考えられる。
「安心せい。峰打ちじゃ。持てる力の全てで繰り出す峰打ちだ」
「安心のあの字も感じられないよ。やったら、箒が刑務所行きだから。全然安心できないから!!」
「……葬る」
「掠めただけで死に至るレベルの毒とか塗ってないよね?」
「ちょ、アンタやめなさいよ。事件になったらこっちに飛び火すんでしょ。見てないとこでやってよ」
「論点はそこじゃないよ!? 織斑くん、凰さん」
「そうですわ。血が跳ねて一夏さんにかかったらどうしますの」
「セシリア。同じだよ!? 論点のズレ方が同じだよ!?」
「正々堂々だろ。闇討ちは武士としてどうなんだよ」
「一夏もおかしいから!? 世間との激しいズレが生じてるから!?」
「およ? 織斑くんどーしたんですか? まるでこれから絵にも描けない有り様が起きそうな顔して」
「いいいところに、相川さん。相川さんの太陽の様な明るさで皆をダークサイドから解放してあげて!!」
「デュノアくん。お上手ですけど、私がそんな言葉でコロッと恋に落ちると思っていたなら大違いザマス」
「常識人かと思ってたけど大間違いだったよ!!」
「私どもにはろんぐろんぐあごーな時代から一途に恋心抱くすってきな彼がおるんじゃけぇ。というわけで今日も乙ゲーだよ!!」
「相川さん、ごめんなさい。頼りにならないと分かった瞬間から話聞いてなかったよ」
終始、デュノアが突っ込みに徹しなければならない気苦労をあざ笑うのは全員だったりする。頼みの綱の相川さんも敵に回ってしまったがために孤立無援の消耗戦。めんどくさいから絶対に救援をよこしたりはしない。そもそも助けるほど仲がよいわけじゃない。
だから千冬姉さんがやってくるまでの間、ボクは味方も敵にもならずに見物人の第三者を演じ続けていたのだ。朝からパワフルに騒ぐ体力もないことだし。
「あら? 珍しい人が居らっしゃること」
放課後にもなると、やはり生徒たちは学年別トーナメントに向けて練習に励んでいる。教室は瞬く間に空になり、各アリーナは練習生でごった返す事態となる。アリーナの数も広さも限られることを考えれば、飽和状態でのびのびとした練習もできずにストレスを感じてしまいそうだ。ストレスは身体に悪いので練習は控えた方がよいのでは、と考えてしまう。
そう言いつつも、ボクも同じように第3アリーナにてISの練習中。基本的な練習をぼんやりと繰り返すだけの怠惰な練習風景ではあるけれど、練習と言い張ればその通りに練習なので、構わずにいることにする。
もちろん第3アリーナも飽和状態、ジグザグ機動をしようものなら、すぐさまスペースデブリ並に生徒とぶつかってしまう。我が身で行うとラッキースケベな展開になりそうだ。
余計なことを考えて練習をだらりとしていると、あんまり声をかけて欲しくない相手と遭遇してしまう。
「珍しくて良かったね」
青い装甲に身を包んだオルコットだ。お馴染みの腰に手を当てて胸を張り右手で髪を払う動作をしている。飽きもせずによくやる。ボクなら飽きる。見ている分には既に飽きている。
「もしかして……もしかしてですが、学年別トーナメントに向けての練習とか……言いませんよね?」
オルコットの疑いの目。織斑一夏は150のダメージを受けた。
「言ったら……どうするのかな?」
マンガだったら背景に『ゴゴゴ』とつきそうだ。だからって何かすることもないけれど。
「いいえ。別になんでもありませんわ。わたくしの興味は篠ノ之一夏さんであって、織斑一夏ではありませんから。勝手に練習でもしてればよろしいのでは」
嫌味だ。近くに篠ノ之のいないオルコットは若干めんどくさい。いるときも別の意味でめんどくさい。じゃあ、どっちもめんどくさいというわけだ。悪いこと尽くめで最悪過ぎる。
オルコットはふふん、と偉そうに鼻を鳴らすと、ふよふよと空へと向かった。そのまま空に溶け込んで消えていってしまえばどんなによかったか。箒や鈴がいてくれたら楽に終わることも、ボク1人では長引いてしまう。慣れていないことが原因なのか。
諦めよう。やる気もないままに練習を再開する。箒は練習用のISの貸出申請に手間取っているみたいだし、鈴は2組の担任から教育的指導を受けているらしい。一体鈴が何を仕出かしたのか気になるところだ。
大変なことで、と他人事のように口遊もうとすれば、目の前を青色が埋め尽くした。気がついた時には地面に叩きつけられて、青色がボクの腹を蹴って再び空へと飛び上がっていた。
「いきなり攻撃してくるとは何事ですか!!」
不愉快の気持ちを押し隠そうともしないオルコットの甲高い声が響き渡る。いきなりぶつかってきた挙句に蹴ってくるとは何事か、と言葉を投げつけたくなったけど、オルコットが相対する相手がボーデヴィッヒであるのを見て黙ることにした。あんな冷たく無機質な目をしている相手を前にして声を出すのが恐くなる。真っ先に仕留められそうな気がしてならないのだ。
「そこにISがいたからだ」
「そこに山があるからみたいに言わないでいただけます?」
「そこまで言うのなら今後は言わないでおく」
オルコットの苦言に対して素直に応じるボーデヴィッヒ。冷たい印象しかないけど、面倒見が良い部分を見せたり、素直な部分を見せたりと、ギャップがありまくり過ぎているところが狙っている気がしてならない。小柄で眼帯で軍人で銀髪で冷静で親切で素直であるのだ。一人で個性豊かに立ち回っている姿に、最近は個性の見せ方が大変になっているのか。オルコットの貴族でアホな個性が大分薄れている。個性の大戦争を勝ち抜くためにはボーデヴィッヒのようにてんこ盛りにしなければならないのかもしれない。本人に真相を聞くことはできないけど。
「それで、突然の攻撃にわたくしふつふつと怒りが込み上げてきているのですが」
「それはカルシウムが不足しているからだと聞いたことがあるぞ」
「それはカルシウムが不足しているからではなく、理由もなく攻撃されたからですわ!!」
「心に余裕がない証拠だな。教官なら笑顔のままいてくださるぞ」
それは笑顔のままシバキ倒すだけじゃないのかな、と思ったけど誇らし気なボーデヴィッヒを前にしては言うことができない。千冬姉さんが評価されることには寛容な人間だったりする。
「とにかく、からかって悪戯でしたと言ったところで、わたくしは許すことなどしませんわよ」
オルコットが許すまじと言いたげな顔で許さないと発言した。裏の裏は表なのできっと許してくれるに違いない、なんて荒唐無稽な都合のよいことなんて存在しないので、きっとオルコットの堪忍袋の緒はぶった切れている。レーザー・ライフルを突きつけているのがその証拠だ。
怒り狂うエゲレス貴族を前にしても、ボーデヴィッヒは冷凍庫のようにひんやりとした空気を醸し出し続けている。夏場にはお得なんじゃなかろうか。
「構わん。許しなど必要ない」
その言葉が合図となってオルコットが引き金を引く。レーザーが迸ったかと思えば、首を傾げたボーデヴィッヒの側を通り抜けていった。簡単に言えば外したのだ。
「スペック上は悪くないと思っていたが。機体は良くても装着者はいまいちのようだな」
傾けていた首を戻して冷静に冷酷なことを言ってのける。挑発にしては感情の色が見えない声は感想を呟いただけのことでしかない。だからこそ、挑発よりも効果がある。心の底からの言葉だと分かってしまうから、相手がそう思っていることがありありと分かってしまうから。
「なんですってぇ!?」
腹の底から怒気を孕んだ声を出すオルコット。言いながらもレーザー・ライフルで狙撃を続行。全て避けられてしまっている。
「事実だ。現に当たっていない。特殊兵装を使用してはどうだ?」
やめて、オルコットのライフはゼロよ。マンガなら青筋のマークが浮かび上がるほどに怒っている。肩を振るわせて頬を膨らませていた。
「なんで頬を膨らませてるわけ?」
向ける相手が違わないか。それは篠ノ之に向ければよかったのに。
「それなら見せてあげましょう。わたくしとブルー・ティアーズの華麗なる演劇を。舞台で慌ただしく振り回されるがいいですわ。敗北とゴールデンラズベリー賞を差し上げますわ!!」
怒り狂っても中々カッコイイ台詞を吐きだせるオルコットの周囲を光が取り囲む。呼び出されたブルー・ティアーズが一斉に飛び立ち、ボーデヴィッヒを取り囲む。総勢14基。4基しかないかと思っていたけど、実はけっこう多かったみたいだ。アレに囲まれてしまえば蜂の巣エンドになる。
「小五月蠅いハエだな」
周囲を取り囲まれているというのに冷静過ぎるボーデヴィッヒ。というか目を瞑っている。
「エレガントで優秀なわたくしのブルー・ティアーズをハエなどと同列に扱うなんてぇ!! 認識を改めさせてあげますわ!! 後悔しても遅いことを教えて差し上げますわ!!」
オルコットが強そうなことを言って数分も経たずに敗北してしまった。流れるような敗北模様に、さすがのボクも言葉が出てこなかった。圧倒的過ぎてオルコットが弱いと罵ることも出来はしなかった。
被弾することもなく空に浮かんでいるのはボーデヴィッヒ。ブルー・ティアーズに囲まれても物怖じせず、IS本体から射出した有線式のブレードみたいなものを振り回して瞬く間にブルー・ティアーズを一掃し、後はボコボコだった。
「つまらん。お前の攻撃はつまらん」
不満たらたらなご様子で逃げたくなった。あの矛先がボクに向けられては困る。
「せっかくだ。織斑一夏。戦ってみるか?」
顔を向けてくるボーデヴィッヒに、ボクは無言で首を振る。もちろん横にだ。絶対に縦に振ることはない。もしも振ってしまうんだったら、その勢いで首が転げ落ちてくれればいい。そうすれば戦わずに済む。
「やはりな。貴様は腰抜けだ。教官とは似てもいない」
逃げようか。そんなことを考えていた時だ。その言葉が耳に入ってきたのは。